エーロ・サーリネン(1910-1961)は、ミッドセンチュリーのアメリカを代表する
フィンランド系アメリカ人の建築家/インテリアデザイナー。
青年時代に彫刻家を志していた彼の造形美は、
TWA ターミナルやチューリップチェアのフォルムに大きく反映されている。
 
アメリカへ移住

エーロ・サーリネンは、1910年8月20日、フィンランドのキルッコヌンミで生まれた。
父は建築家のエリエル・サーリネン、母はテキスタイルアーティストで写真家のロハ(Loja Gesellius)という、
芸術的環境に恵まれた家庭で育った。

'22年、シカゴ・トリビューン社の本社屋「トリビューン・タワー」のデザインコンペが行われ、父のエリエルが2位を獲得。
これを機に翌年サーリネン家はアメリカ・ミシガン州へ移住した。
エーロが13歳の頃である。

'29年、エーロはミシガン州の学校に入学するが、
彫刻家を志して、すぐにパリのグラン・シャミエールへ留学した。

帰国後、彫刻家になることを諦め、イエール大学で建築を学んだ。
卒業してしばらくノーマン・ベル・ゲディーズとともにインテリアデザイナーとして活動した後、
'36年、父エルエルの建築事務所に就職した。


イームズとサーリネン

この頃、エーロは父が学長を務めるクランブルック美術アカデミーで強靭を執っていたが、
教師を辞め、同校でチャールズ・イームズやレイ・カイザー(後のレイ・イームズ)とプライウッドの研究に没頭する。

'39年、彼らはエリエル・サーリネンが設計したクレインハンス・ミュージックホールのために
最初のプライウッドチェアをデザインした。

'40年にはイームズとともに MoMA で開催された "Organic Design in Home Furnishings" に出展。
プライウッドを使用した革新的な椅子やテーブルが高く評価され、見事優勝した。

その後、イームズはハーマン・ミラー社、エーロはノール社のデザイナーになるが、ふたりの友情は生涯にわたって続いた。
エーロは自分の息子にイームズと名づけた。

 
若かりし頃のイームズとサーリネン


Knoll とのコラボレーション

エーロは建築家として多忙な日々を送りつつ、義妹のフローレンス・ノールに誘われ、
Knoll 社でインテリアデザインに着手した。

'46年、プライウッドを応用した「グラスホッパー」を発表。
'48年に「ウームチェア」、'56年にはミッドセンチュリーを代表する名作「チューリップチェア」を発表した。
どれも曲線を用いたオーガニックなデザインで、彫刻的アプローチがうかがえる。
 

フローレンス・ノールとチューリップチェアについて話し込むサーリネン


建築家として

'50年、父のエリエルが他界すると、ミシガン州に自身の建築事務所を開設して独立。
TWAターミナル、CBSビルディング、ゲートウェイアーチなど、アメリカで80以上もの建築を設計した。

シドニー・オペラハウスのコンペ審査員だったエーロは、
落選案の中からヨーン・ウッツォン(Jorn Utzon)の案を強く推して、最終的に彼が優勝するという経緯も。

ちなみに、エーロは世界的に活躍する彫刻家・流政之がお気に入りだったようで、彼の作品「雲」を購入。
ジョン・D・ロックフェラー3世、フィリップ・ジョンソン、マルセル・ブロイヤー、ミノル・ヤマサキらも魅了された。

生存中は、しばしば建築界の権威から無視され嘲笑の的にもなったが、
今日では20世紀のアメリカを代表する巨匠の一人として数えられている。


■関連サイト

http://www.eerosaarinen.net
 

1910   0歳 8月20日 フィンランド・キルッコヌンミで生まれる
1923 13歳 家族でアメリカ・ミシガン州へ移住
1929 19歳 ミシカン州の学校に入学
1929 - 30 20歳 '31年までパリの Académie de la Grande Chaumière に留学。
1930 - 34 20歳 イエール大学に入学
1934 24歳 イエール大学卒業後、インテリアデザイナーになり Norman Bel Geddes と活動。
1934 - 36   ヨーロッパの旅へ
1936 26歳 父の建築事務所で働きはじめる
クランブルック美術アカデミーでイームズと研究
1939 29歳 Lillian Swann と結婚。エリックとスーザンをもうけるが、'53年に離婚
父との共同作品がスミソニアン・アート・ギャラリーの設計コンペで優勝
1940 30歳 MoMA で開催された「オーガニッック・デザイン・コンペ」にイームズと出展し優勝
1948 38歳 Jefferson National Expansion Memorial (ゲートウェイアーチ)のコンペで優勝
1950 40歳 父のエリエールが死去し独立する
1953 43歳 Aline Bernstein Loucheim と結婚
1954 44歳 息子のイームズが誕生
1956 46歳 Knoll よりチューリップチェアを発表
1960 50歳 American Academy of Arts and Letters 選ばれる
1961 51歳 9月1日 脳腫瘍によりミシガン州アンアーバーで死去
1962 死後、功績を称え、American Institute of Architects より ゴードメダルを授与
An Architecture of Multiplicity
Shaping the Future
Eero Saarinen
Eero Saarinen 1910-1961
Eero Saarinen