名前 | 結成 | 停止 | ジャンル | |
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あんさすぺくてっどものぐらむunsuspected monogram
佐久間正英が海外で通用するメンバーで結成。 |
2008 | ロック | ||
はちじゅうはちかしょじゅんれい八十八ヶ所巡礼
【マーガレット廣井 Katzuya Shimizu Kenzooooooo】 |
2006 | ロック | ||
ふらいどぷらいどFried Pride
日本人初 Concord Records よりアルバム発表。『Swing Journal』誌ゴールドディスク賞受賞。 |
2001 | 2016 | ジャズ | |
えごらっぴんEGO-WRAPPIN'
中納良恵と森雅樹によって大阪で結成。2000年「色彩のブルース」で注目され、02年「くちばしにチェリー」がヒット。 |
1996 | ジャズ | ||
ねったいじゃずがくだん熱帯JAZZ楽団
日本のラテンジャズ・ビッグバンド。パーカッション奏者のカルロス菅野(元・松岡直也グループ、オルケスタ・デ・ラ・ルス)が結成。 |
1995 | ジャズ | ||
げいしゃがーるずGEISHA GIRLS
ラップ音楽ユニット。ダウンタウンの二人が振袖に廻しという芸者めいた姿で歌うコミックバンド。坂本龍一とテイ・トウワ、富家哲、アート・リンゼイ、小室哲哉らが参加。 |
1994 | 1995 | ||
ひずHIS
細野晴臣 (H)、忌野清志郎 (I)、坂本冬美 (S) によるユニット。1990年、東芝EMI創立30周年記念イベント「ロックの生まれた日」で忌野、坂本、三宅伸治で SMI を結成。細野が加入し HIS が誕生した。1991年アルバム『日本の人』リリース。衣装は主に学生服・セーラー服を着用した。 |
1995 | |||
およねーずオヨネーズ
元・殿さまキングスの長田あつしと杏しのぶのデュオ。90年「麦畑」90万枚の大ヒット。 |
1989 | 2014 | ||
じゃずまたーずJAZZ MASTER
沢田研二のバックバンドとして Krís Kríngl を経て結成。 |
1989 | 1995 | ||
もだんちょきちょきずモダンチョキチョキズ
矢倉邦晃を中心に結成された大阪のエンターテインメントバンド。メインボーカルは濱田マリ。2020年から不定期で活動。2020年に再結成 |
1989 | 1997 | ||
あきばはらえれくとりっくさーかすAkihabara Electric Circus
松武秀樹、入江純、松本隆とのユニット。ゲームミュージックや映画音楽をアレンジ。 |
1988 | |||
ぴーずThe ピーズ | 1987 | 1997 | ||
ふぃっしゅまんずフィッシュマンズ
世界最大の音楽レビューサイト「Rate Your Music」で最高評価。海外の音楽リスナーから強い支持を受けている。 |
1987 | 2021 | ロック | |
うるさくてゴメンねBAND
ベーシスト鳴瀬喜博を中心に結成。60–70年代のロックを今に蘇らせるべくライブ活動を展開。 |
1986 | ロック | ||
わんないとすたんどぶらざーずワン・ナイト・スタンド・ブラザーズ
86年、アルバム『One Night Stand Brothers』リリース。 |
1986 | ロック | ||
こころCO-CóLO
沢田研二のバックバンドとしてエキゾティクス解散後に結成。 |
1985 | 1988 | ロック | |
たいにーぱんくすタイニー・パンクス
ビースティ・ボーイズ初来日公演の前座。 |
1985 | 1990 | ヒップホップ | |
とうきょうすか東京スカパラダイスオーケストラ
ジャマイカの音楽スカをベースに様々なジャンルの音楽を独自解釈し演奏。 89年、アルバム『東京スカパラダイスオーケストラ』でデビュー。 |
1985 | スカ | ||
ミン&クリナメン
泯比沙子 |
1985 | |||
ルインズ
ZENI GEVA やボアダムスなどと同様、日本より海外で知名度が高いとされる実験音楽バンド。デレク・ベイリー、灰野敬二、内橋和久など数多くのミュージシャンと共演。2016年『Hyderomastgroningem』がローリング・ストーン誌が選ぶ「音楽史上最高のプログレ・ロック・アルバム50選」で49位に選ばれた。 |
1985 | 実験音楽 | ||
おるけすたオルケスタ・デ・ラ・ルス
日本初のサルサ・バンド「オルケスタ・デル・ソル」に参加していたパーカッショニスト大儀見元をリーダーとして84年に結成。 |
1984 | サルサ | ||
ばちかぶり | 1984 | |||
れべっかレベッカ
NOKKO、木暮武彦らで結成、85年「フレンズ」30万枚のヒット。 |
1984 | 1991 | ロック | |
あぶらだこ
ファンだったという浅川マキは「こんなブレスの深いボーカルは滅多にいない」。 |
1983 | 1990 | ハードコア | |
なすかナスカ
「アライア」(清水靖晃を中心にスタジオ・ミュージシャンで結成されたバンド)のキーボーディスト笹路正徳を中心に結成されたプログレッシブロック・バンド。83年、アルバム『Words Of Love』でCBSソニーからデビュー。 |
1983 | 1987 | ロック | |
はなたらしハナタラシ | 1983 | 1988 | ||
ぴちかーとピチカート・ファイヴ
小西康陽らが結成。歴代ボーカル佐々木麻美子、田島貴男、野宮真貴。複数の外国映画で楽曲使用。 |
1983 | 2001 | ポップス | |
ぴんくPINK
ビブラトーンズに在籍した福岡ユタカ、矢壁アツノブ、ホッピー神山を中心として前身バンド「おPINK兄弟」結成。 岡野ハジメ、スティーブ衛藤、渋谷ヒデヒロが加入し、1983年にPINKとしてデビュー。「無国籍サウンド」と形容され、1986年『アドリブ』誌で「85年ベスト・レコード日本のポップ・ソング部門」第1位となった。 |
1983 | 1989 | ロック | あんぜん安全地帯
73年、玉置浩二を中心に北海道で結成し井上陽水のバックバンドとしてデビュー。83年「ワインレッドの心」71万枚の大ヒット。 |
1982 | 1992 | ロック |
こめこめ米米CLUB
90年「浪漫飛行」170万枚、92年「君がいるだけで」290万枚の大ヒット。 |
1982 | ポップス | ||
せいきまつ聖飢魔II
デーモン小暮らが結成。86年「蠟人形の館」35万枚超のヒット。 |
1982 | 1999 | ヘヴィメタル | |
なにわナニワエキスプレス
関西の実力派フュージョンバンド。 |
1982 | 1986 | フュージョン | |
なんばーわんばんどザ・ナンバーワン・バンド
小林克也が結成した中年ラップバンド。スネークマンショーから発展。82年、アルバム『もも』をリリース。桑田佳祐、世良公則、村上"ポンタ"秀一、鈴木慶一、鈴木雅之らが参加した。 |
1982 | |||
はいらいずハイ・ライズ
南條麻人と成田宗弘を中心に結成されたサイケデリック・ロック・バンド。 |
1982 | ロック | ||
ばーびーぼーいずBARBEE BOYS
9年「目を閉じておいでよ」16.8万枚のヒット。 |
1982 | 1992 | ロック | |
まぼろしのめいばんかいほうどうめい幻の名盤解放同盟
廃盤レコードの復刻活動を行うユニット。 |
1982 | |||
あみん
82年「待つわ」109万枚の大ヒット。 |
1981 | 1983 | ||
えきぞてぃくすエキゾティクス
沢田研二のバックバンドとして井上堯之バンド解散後に結成。 |
1981 | 1984 | ロック | |
かずみばんどKAZUMI BAND
【渡辺香津美 清水靖晃 笹路正徳 高水健司 山木秀夫】 |
1981 | フュージョン | ||
ぎずむG.I.S.M. | 1981 | |||
しゅがーSugar
81年「ウエディング・ベル」(古田喜昭)70万枚の大ヒット。 |
1981 | 1987 | ポップス | |
ちかだはるおとびぶらとーんず近田春夫&ビブラトーンズ
【窪田晴男 福岡ユタカ ホッピー神山】 |
1981 | 1984 | ||
のーばでぃNOBODY
矢沢永吉の元バックメンバー。アン・ルイスや吉川晃司へ楽曲提供。 |
1981 | ロック | WEB | |
ばくふうすらんぷ爆風スランプ
88年「Runner」34万枚のヒット。 |
1981 | 1999 | ロック | |
ばっぷがん爆風銃
爆風スランプの母体の一つ。 |
1981 | 1983 | ファンク | |
ぼういBOØWY
人気絶頂期に解散宣言し9万枚以上のチケットは10分で完売。電話が殺到し文京区の電話回線がパンクした。 |
1981 | 1988 | ||
らうどねすLOUDNESS
日本人アーティスト初 MSG 公演。日本を代表するバンド。 |
1981 | ヘヴィメタル | ||
ろじっくしすてむロジック・システム
YMO で活動していた松武秀樹が結成。海外でも作品が発売された。 |
1981 | テクノ | ||
あらじんアラジン | 1980 | 1983 | ロック | |
おめがとらいぶオメガトライブ
83年、藤田浩一のプロデュースでデビュー。 |
1980 | 1985 | ポップス | |
じゅーしぃふるーつジューシィ・フルーツ
近田春夫のバックバンド「BEEF」が前身。80年「ジェニーはご機嫌ななめ」37万枚のヒット。 |
1980 | 1984 | ポップス | |
すたーりんスターリン | 1980 | 1985 | パンク | |
すとりーととらいだーずストリート・スライダーズ
日本ロックシーンの絶対的存在 |
1980 | 2000 | ロック | |
まらいあマライア
清水靖晃らスタジオ・ミュージシャンで結成。『Marginal Love』スティーヴ・ルカサー参加。 |
1980 | 1983 | フュージョン | |
らっつラッツ&スター(シャネルズ) | 1980 | 1985 | J-POP | |
いっぷうどう一風堂
82年「すみれ September Love」45万枚のヒット。 |
1979 | 1984 | ||
きりんじKYLYN BAND
【渡辺香津美 村上秀一 坂本龍一 矢野顕子】 |
1979 | |||
こすみっくいんべいしょんコスミック・インベンション
森岡みま(ファーストマン創業者・森岡一夫の娘)や井上ヨシマサら小中学生で結成。YMOの前座を務めた。「コンピューターおばあちゃん」が有名。 |
1979 | 1982 | テクノポップ | |
しょーぐんSHŌGUN
79年『俺たちは天使だ!』主題歌「男達のメロディー」50万枚超、『探偵物語』主題歌「Bad City」「Lonely Man」がヒット。 |
1979 | 1980 | ||
すたーだすとスターダストレビュー | 1979 | |||
ぜるだZELDA
「もっとも長く活動した女性ロックバンド」でギネス記録。 |
1979 | 1996 | ロック | |
ちかだはるおとびーふ近田春夫&BEEF
ジューシィ・フルーツの前身。 |
1979 | 1980 | テクノ | |
でーぼデーボ
「ビックリハウス音頭」(作曲:大瀧詠一) |
1979 ? | ? | ||
ぱらしゅーとPARACHUTE
若手一流ミュージシャンで結成されたスーパーグループ。 |
1979 | フュージョン | ||
ひじょうかいだん非常階段 | 1979 | |||
ぴーもでるP-MODEL
プラスチックス、ヒカシューと共に「テクノ御三家」。XTC、ヴァン・ヘイレンなど前座を務めた。 |
1979 | 1988 | ||
ぷれいやーずThe Players
ジャンボ 鶴田の入場曲など。 |
1979 | 1985 | ジャズ | |
メディカル・シュガー・バンク
佐藤允彦のバッグバンド。2枚のアルバムをリリース。 |
1979 | |||
もっずTHE MODS
80年代のパンク・シーンを牽引。 |
1979 | パンク | ||
るーすたーずルースターズ | 1979 | 1988 | ||
あーすしぇいかーEARTHSHAKER | 1978 | 1994 | ハードロック | |
あなーきーアナーキー | 1978 | パンク | ||
いえろーまじっくイエロー・マジック・オーケストラ | 1978 | 1983 | テクノ | |
しーなあんどシーナ&ザ・ロケッツ
鮎川誠とシーナを中心に結成。 |
1978 | ロック | ||
すぴにっぢぱわースピニッヂ・パワー
ビーイングの長戸大幸がつくったバンドで織田哲郎や氷室京介が在籍。 |
1978 | 1981 | ロック | |
ちゃげあんどあすかCHAGE and ASKA
80年「万里の河」、86年「モーニングムーン」がヒット。91年「SAY YES」オリコン13週連続1位を獲得しダブルミリオン達成。 |
1978 | 1996 | ポップス | |
ねいてぃぶさんネイティブ・サン
フュージョン・ブームに登場した代表的なバンドのひとつ。 |
1978 | 1987 | ジャズ | |
ぴんくくらうどピンククラウド
【Char ルイズルイス加部 ジョニー吉長】 |
1978 | 1994 | ロック | |
ほわいWHY
【織田哲郎 北島健二 長戸秀介】 |
1978 | 1979 | ロック | |
えーあーるびーARB | 1977 | 1990 | ロック | |
かしおぺあカシオペア
根本要やT-SQUAREに影響を与えた。 |
1977 | 2006 | フュージョン | |
かりゅうど狩人
兄・加藤久仁彦と弟・高道のフォークデュオ。77年「あずさ2号」80万枚の大ヒット。 |
1977 | 2007 | フォーク | |
がーるずガールズ
「日本初の女性ロック・バンド」といわれる。ジューシィ・フルーツのイリア(奥野敦子)が在籍。 |
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さざんサザンオールスターズ | 1977 | J-POP | ||
ぱんたあんどはるPANTA & HAL
元「頭脳警察」のPANTAと今剛が結成。 |
1977 | 1979 | ||
ぴんくれでぃーピンク・レディー | 1976 | 1981 | ポップス | |
ぷらすちっくすプラスチックス
「テクノ御三家」(P-MODEL、ヒカシュー)。トーキング・ヘッズらとのワールドツアー。 |
1976 | 1981 | テクノ | |
みやの美乃家セントラル・ステイション
大橋純子のバックバンド。佐藤健や土屋昌巳が在籍。 |
1976 | 1980 | ポップス | |
かぜ風
「かぐや姫」の伊勢正三、「猫」の大久保一久によるフォークデュオ。 |
1975 | 1979 | フォーク | |
くーるすクールス
舘ひろし、岩城滉一、水口晴幸、横山剣らが在籍。 |
1975 | ロック | ||
ごだいごゴダイゴ
【ミッキー吉野 他】 |
1975 | 1985 | ポップス | |
すねーくまんしょースネークマンショー
桑原茂一・小林克也・伊武雅刀によるプロジェクト。80年、YMO とコラボレーション・アルバム『増殖』オリコン1位、81年にソロ・アルバムをリリースし大人気を博した。76年、エドウインがスポンサーとなりラジオ大阪で「エドウイン・ロックン・ロール・ショー」として放送開始。78年、エドウインがスポンサーを降板。彼らのファンだった杉山恒太郎の協力で「それゆけスネークマン」としてTBSラジオのコーナー番組となった。83年、メンバーと仲違いした小林が脱退し自然消滅した。 |
1975 | 1983 | ||
そーばっどれひれゅーソー・バッド・レビュー
【北京一 石田長生 山岸潤史 チャールズ清水 永本忠 土居正和 他】 |
1975 | 1976 | ファンク | |
ぷりずむプリズム
エリック・クラプトン日本公演の前座で注目。長年の活動で多彩なメンバーが在籍した。 |
1975 | 2018 | フュージョン | |
むーんらいだーずムーンライダーズ
「はちみつぱい」解散後に結成。 |
1975 | 2011 | ロック | |
やなぎじょーじ柳ジョージ&レイニーウッド | 1975 | 1981 | ロック | |
ゔぃーなすヴィーナス | 1974 | 1983 | ||
かいばんど甲斐バンド | 1974 | 1986 | ロック | |
かみふうせん紙ふうせん
「赤い鳥」解散後に結成。78年「冬が来る前に」45万枚のヒット。 |
1974 | フォーク | ||
くぼまこと久保田麻琴と夕焼け楽団
【保田麻琴 恩蔵隆 藤田洋麻 井上憲一】 |
1974 | |||
とらんざむトランザム
テレビドラマ『俺たちの勲章』『俺たちの旅』『俺たちの朝』等の劇伴音楽、吉田拓郎のバックバンドを担当。 |
1974 | 1981 | ||
はいふぁいせっとハイ・ファイ・セット
「赤い鳥」解散後に結成。76年「フィーリング」100万枚の大ヒット。 |
1974 | 1994 | フォーク | |
ばんぶバンブー
セッション・バンド。【大村憲司 小原礼 今井裕 林立夫 村上秀一 他】 |
1974 | 1975 | ||
ういなすザ・ヴィーナス
1981年、ベートーヴェンの「エリーゼのために」を、オールディーズ風にアレンジした「キッスは目にして!」(作詞:阿木燿子/作曲:ベートーヴェン/編曲:井上大輔)がヒット。 |
1974 | 1983 | ||
あのねのね
「赤とんぼの唄」「ネコ・ニャンニャンニャン」「みかんの心ぼし」がヒット。笑福亭鶴瓶は元メンバー。 |
1973 | フォーク | ||
あるふぃーTHE ALFEE
74年、アイドルフォークバンド「ALFIE」としてデビュー。ロック要素を取り入れバンド名を「ALFEE」に表記変更。83年、16枚目のシングル「メリーアン」ヒット以降、84年「星空のディスタンス」など30年以上にわたり全シングルがチャートイン。メンバー3人がリードボーカルをとれる。 |
1973 | ロック | ||
きゃんでぃーずキャンディーズ
75年以降「年下の男の子」「春一番」「やさしい悪魔」「暑中お見舞い申し上げます」「微笑がえし」大ヒット。 |
1973 | 1978 | ||
しゅがーべいぶシュガー・ベイブ
【山下達郎 大貫妙子 村松邦男】 |
1973 | 1976 | シティポップス | |
しんろくもんせん新六文銭
音源を残さぬまま消滅。 【小室等 柳田ヒロ 後藤次利 チト河内 吉田拓郎】 |
1973 | ? | ||
すもーきーめでぃすんスモーキー・メディスン
【Char 金子マリ 鳴瀬喜博 藤井章司 佐藤準 】 伝説的なバンド。 |
1973 | 1974 | ロック | |
だうんたうんぶぎうぎダウン・タウン・ブギウギ・バンド
宇崎竜童らによって結成 |
1973 | 1981 | ロック | |
だかーぽダ・カーポ
74年『結婚するって本当ですか』60万枚の大ヒット。「野に咲く花のように」が有名。 |
1973 | フォーク | ||
てぃんぱんティン・パン・アレー
【細野晴臣 鈴木茂 林立夫 松任谷正隆】 |
1973 | 1977 | ロック | |
えんとらんすエントランス
「赤い鳥」解散後、五輪真 弓のバックバンドとして結成されたスーパーグループ。 |
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れいじーレイジー
解散後 LOUDNESS 結成。 |
1973 | 1981 | アイドル | |
うえすとろーどぶるーすばんどウエスト・ロード・ブルース・バンド
関西で結成された日本のブルース・バンドの草分け的存在。72年、B.B.キング大阪公演の前座を務めた。 |
1972 | 1977 | ブルース | |
きゃぷてんひろキャプテンひろ & スペースバンド
【つのだひろ 芳野藤丸 四方義朗 今井裕 他】 |
1972 | 1975 | ロック | |
ごじらゴジラ
【アラン・メリル 近田春夫 金沢ジュン】 |
1972 | ? | ロック | |
さでぃすてぃっくみかばんどサディスティック・ミカ・バンド | 1972 | 1975 | ロック | |
ちかだはるおとはるおふぉん近田春夫&ハルヲフォン | 1972 | 1979 | ニューウェイヴ | |
くりえいしょんクリエイション
全米ツアー後、日本のロックバンド初の武道館公演。 |
1972 | 1984 | ロック | |
むーんらいだーずオリジナル・ムーンライダーズ
【山本浩美 鈴木博文 松本隆 矢野誠】 |
1972 | 1974 | ロック | |
らんまどう乱魔堂
72年、中山ラビ『私ってこんな』を「はっぴいえんど」とサポート。 |
1972 | 1973 | ロック | |
ありすアリス | 1971 | 1981 | フォーク | |
うぉっかこりんずウォッカ・コリンズ
73年、ジャクソン5の日本初公演の前座を務めた。 |
1971 | 1973 | ロック | |
くりすたるきんぐクリスタルキング
79年「大都会」150万枚、「蜃気楼」75万枚、「愛をとりもどせ!!」50万枚。 |
1971 | ロック | ||
こんでぃしょんぐりーんコンディション・グリーン
沖縄の米軍基地などで演奏していた実力派人気バンド。 |
1971 | 1979 | ロック | |
すぴーどぐるースピード・グルー&シンキ
フード・ブレイン解散後に結成。 |
1971 | ロック | ||
ちゅーりっぷチューリップ
財津和夫が在籍 |
1971 | 1989 | ||
でぃらんディランII | 1971 | 1974 | フォーク | |
はちみつぱい
「はっぴいえんど」と共に日本語ロックの先駆者。 |
1971 | 1974 | ロック | |
ぴっぐPYG
タイガース、テンプターズ、スパイダースのメンバーが集結したスーパーグループ。 |
1971 | 1972 | ロック | |
ぴーぷるPEOPLE
立川直樹プロデュースで仏教+ロックをコンセプトにした『Ceremony - Buddha Meet Rock』(世界的レア盤)をリリースし解散。 |
1971 | 1971 | ||
ふらいどえっぐフライド・エッグ
【成毛滋 つのだ☆ひろ 高中正義】 |
1971 | 1972 | ||
へいわかつじ平和勝次とダークホース
72年にメジャーデビューし「宗右衛門町ブルース」が200万枚の大ヒット。 |
1971 | 1973 | ムード歌謡 | |
ぺどろペドロ&カプリシャス
ペドロ梅村がリーダーを務め、1971年に初代ボーカル前野曜子を迎えメジャーデビュー。デビュー・シングル「別れの朝」(オリジナルはウド・ユルゲンス「夕映えの二人」)が大ヒット。73年に2代目ボーカル高橋まり(髙橋真梨子)を迎えて、「ジョニィへの伝言」「五番街のマリーへ」も大ヒットした。2017年以降はペドロ梅村の体調不良もあり活動休止状態が続いている。2021年に結成50周年を迎えた。 |
1971 | ポップス | ||
ねこ猫
吉田拓郎がプロデュース。【常富喜雄、内山修、田口清】 |
1971 | 1975 | フォーク | |
よにんばやし四人囃子 | 1971 | ロック | ||
らしょうもん羅生門
『日本国憲法 平和・自由・愛』『インディアン、死よりも赤を選ぶ』 |
1971 | ロック | ||
かぐや姫 | 1970 | 1975 | フォーク | |
かるめんまきおずカルメン・マキ & OZ
ジェフ・ベック、グランド・ファンク・レイルロードの前座を務めた。 |
1970 | 1977 | ロック | |
かるめんまきたいむましーんカルメン・マキ & タイムマシーン
【カルメン・マキ 立川直樹 近田春夫】 |
1970 | 1970 ? | ロック | |
こすもすふぁくとりーコスモスファクトリー
「 四人囃子 」と双璧、海外でも人気のプログレバンド。 映画 『 キル・ビル 』 で『海』が使われた。 |
1970 | 1977 | プログレ | |
ごーるでんはーふゴールデン・ハーフ
全員ハーフの女性グループ。スリー・キャッツ「黄色いさくらんぼ」のカバーでデビュー。 |
1970 | 1974 | ポップス | |
さんはうすサンハウス
【柴山俊之 鮎川誠 奈良敏博】 |
1970 | 1978 | ブルースロック | |
じぷしーあいずジプシーアイズ
【成毛滋 つのだ☆ひろ 柳ジョージ】セッション:ミッキー吉野(ゴダイゴ)柳田ヒロ(エイプリル・フール、フードブレイン) |
1970 | 1972 | ロック | |
すとろべりーぱすストロベリー・パス
ピンク・フロイドの前座の際、臨時ベーシスト高中正義が加入しフライド・エッグへ発展。 |
1970 | 1971 | ||
ふらわーとらべりんフラワー・トラベリン・バンド
「内田裕也とザ・フラワーズ」を経て改名。海外でライブを重ねアトランティック・レコードと契約。アメリカとカナダでアルバムを発売した。
解散後、石間と篠原は新六文銭の元メンバーらとトランザムを結成。 |
1970 | 1973 | ロック | |
むらさき紫
沖縄のロックバンドの草分け的存在。解散後、83年に「ISLAND」を結成。 |
1970 | 1981 | ロック | |
ゆうかだん憂歌団
日本を代表するブルースバンドのひとつ。80年、マディ・ウォーターズと共演。 |
1970 | 1998 | ブルース | |
ろすとあふーらロスト・アラーフ
解散後、高橋は「エターナル・ウーム・デリラム」結成。 |
1970 | 1974 | 前衛 | |
あかいとり赤い鳥
「翼をください」28万枚のヒット。解散後「紙ふうせん」「ハイ・ファイ・セット」「ハミング・バード」に。 |
1969 | 1974 | フォーク | |
えいぷりるエイプリル・フール
前身はザ・フローラル。 |
1969 | 1969 | サイケデリック | |
えもーしょんエモーション
ザ・ビーバーズ解散、成田賢と平井正之が結成。浅野孝已(ゴダイゴ)近田春夫が参加。 |
1969 | 1971 | ロック | |
くりえいしょんクリエイション
【竹田和夫 樋口晶之 ヒロ小川 ミック三国】 |
1969 | 1984 | ロック | |
しゅりーくすシュリークス
【神部和夫 山田パンダ イルカ】 |
1969 | 1973 | フォーク | |
ずのうけいさつ頭脳警察
【PANTA TOSHI】 |
1969 | 1975 | ロック | |
たーじタージ・マハル旅行団
フルクサスに参加した小杉武久らによって結成。 |
1969 | 1976 | 前衛 | |
はっぴいえんど
【細野晴臣 大瀧詠一 松本隆 鈴木茂】 |
1969 | 1972 | ロック | |
ぶるーすくりえいしょんブルース・クリエイション
ザ・ジャガーズの弟分バンド「ザ・ビッキーズ」 |
1969 | 1972 | ||
むらはちぶ村八分
【山口冨士夫 柴田和志 他】 |
1969 | 1973 | ロック | |
あーるしーさくせしょんRCサクセション
忌野清志郎を中心に結成。フォークソング「宝くじは買わない」でデビューしロック/R&B 形態へ。 |
1968 | 1991 | ロック | |
ずーにーゔーズー・ニー・ヴー
【町田義人、山本翔、他】「また逢う日まで」の元歌「ひとりの悲しみ」が有名。 |
1968 | 1971 | GS | |
ぱわーはうすパワーハウス
ゴールデン・カップスと双璧。 |
1968 | 1971 ? | ロック | |
ぴんきーときらーずピンキーとキラーズ
1968年『恋の季節』200万枚超の大ヒット |
1968 | 1972 | ボサノバ | |
ふろーらるフローラル
フローラル → エイプリル・フール → はっぴいえんどと発展。 |
1968 | 1969 ? | GS | |
ほわいときっくすホワイト・キックス
68年、「アリゲーター・ブーガルー」の1枚で解散。 |
1968 | 1968 | GS | |
ろくもんせん六文銭
小室等(後にフォーライフ・レコード初代社長)が中心となって結成。 |
1968 | 1972 | フォーク | |
うちだゆうや内田裕也とザ・フラワーズ
67年、内田裕也が欧州でクリーム、ジミ・ヘンドリックス、ピンク・フロイド、ジャニス・ジョプリンなどの最新音楽を体験し帰国後に結成。70年、フラワー・トラベリン・バンドヘ展開した。 |
1967 | 1970 | GS | |
おふこーすオフコース
1979年「さよなら」が大ヒット。 |
1967 | 1989 | ||
かーなびーつカーナビーツ
アイ高野らによって結成。デビュー曲『好きさ好きさ好きさ』100万枚超の大ヒット。 |
1967 | 1969 | GS | |
ザ・サニー・ファイブさにーふぁいぶサニー・ファイブ | 1967 | 1969 | GS | |
りがにーずザ・リガニーズ
68年「海は恋してる」10万枚のヒット。解散後、内山と常富は「猫」結成。新田と武藤はプロデューサーに。 |
1967 | 1970 | フォーク | |
たいがーすタイガース
【沢田研二 瞳みのる 岸部一徳 森本太郎 加橋かつみ 岸部シロー】 |
1967 | 1971 | GS | |
てんぷたーずテンプターズ
【萩原健一 松崎由治 田中俊夫 高久昇 大口広司】 |
1967 | 1970 | GS | |
とのさまきんぐす殿さまキングス
73年「なみだの操」9週連続1位/197万枚、74年「夫婦鏡」150万枚で連続ミリオンは史上初の快挙。 |
1967 | 1990 | ムード歌謡 | |
はだかのらりーず裸のラリーズ
水谷孝を中心に結成され「よど号ハイジャック事件」の若林盛亮が在籍した伝説的なバンド。 |
1967 | 1997 | ||
ふぉーりーぶすフォーリーブス
初期のジャニーズ事務所を代表するグループ。 |
1967 | 1978 | アイドル | |
べべずベベズ
「ミッドナイト・エキスプレス・ブルース・バンド」からメンバーチェンジし改名。柳譲治の「ムー」に陳が加入し「ベベズ」(第二期)に改名。 |
1967 | ? | ロック | |
ろっくきゃんでぃーずロック・キャンディーズ
解散後、谷村はアリスを結成。 |
1967 | 1971 | フォーク | |
あうときゃすとアウト・キャスト
「のっぽのサリー」が「日本最古のガレージパンク」と海外から再熱。 |
1966 | 1969 | GS | |
ごーるでんかっぷすゴールデン・カップス
【デイヴ平尾 エディ藩 ルイズルイス加部 ミッキー吉野 アイ高野 他】 |
1966 | 1971 | GS | |
びーばーずザ・ビーバーズ
ジェフ・ベック時代の和製ヤードバーズに喩えられ絶賛。 |
1966 | 1969 | GS | |
ぴんきーちっくすピンキー・チックス
全員女性のグループ・サウンズ・バンド |
1966 | 1971 | GS | |
みっどないとえきすぷれすミッドナイト・エキスプレス・ブルース・バンド
ヤードバーズなどをレパートリー。後にメンバー変更し「べべズ」に改名。パワー・ハウスへ発展した。 |
1966 | 1967 | ロック | |
もっぷすザ・モップス
日本のサイケデリックロックの草分け。72年、吉田拓郎が書いた「たどりついたらいつも雨ふり」がヒット。後年、海外から日本の重要ロックバンドとして再評価された。 |
1966 | 1974 | ロック | |
きゃっするあんどげいつキャッスル&ゲイツ
【町田義人 田村守 田村和郎 山下和久 他】 |
1965 | 1972 | フォーク | |
さべーじサベージ
「いつまでもいつまでも」「この手のひらに愛を」がヒット。 |
1965 | 1968 | GS | |
じゃっくすジャックス
日本のサイケデリックロックの先駆者。 |
1965 | 1969 | ロック | |
だいなまいつダイナマイツ
【瀬川洋 吉田博 山口冨士夫(村八分)他】 |
1965 | 1969 | GS | |
ちぇっくめいつチェックメイツ
テスコ楽器株式会社のデモバンド |
1965 | 1966 | GS | |
ふぉーくくるせいだーずフォーク・クルセダーズ
【加藤和彦 北山修 他】 |
1965 | 1967 | フォーク | |
じゃがーずジャガーズ
すぎやまこういち、田辺靖雄を中心にした「野獣会オールスターズ」が母体。 |
1964 | 1971 | GS | |
どんきーかるてっとドンキーカルテット
小野ヤスシをリーダーとし、ザ・ドリフターズから独立したコミックバンド(ドンキーはロバ、のろまの意)。 |
1964 | 1970 | ||
はぷにんぐすふぉーハプニングス・フォー
【クニ河内 チト河内 他】 |
1964 | 1972 | GS | |
しゃーぷほーくすシャープ・ホークス
【安岡力也 他】 |
1963 | 1969 | GS | |
ぴんからトリオ
1972年「女のみち」420万枚、「女のねがい」170万枚、1973年「女のゆめ」80万枚の大ヒット。 |
1963 | 1973 | ||
じゃにーずジャニーズ
ジャニーズ事務所初のグループ。66年、海外収録し全世界リリース(没曲が他アーティストにより全米チャート第1位)。 |
1962 | 1967 | ポップス | |
てらうち寺内タケシとブルージーンズ | 1962 | GS | ||
ふぃんがーずフィンガーズ
成毛滋、高橋信之らによって結成。ユーミンが追っかけをしていたことでも知られる。 |
1962 | 1969 | ロック | |
すぱいだーすスパイダース
田辺昭知が結成。ブルー・コメッツとともにGSの礎を築いた。 |
1961 | 1970 | ||
すりーふぁんきーずスリーファンキーズ
男性アイドルグループの元祖。 |
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すりーきゃっつスリー・キャッツ
女性3人組。『黄色いさくらんぼ』(星野哲郎/浜口庫之助)45万枚の大ヒット。歌詞にの「ウフン」が卑猥とされ放送禁止。 |
1959 | 1960? | ポップス | |
すまいりスマイリー小原とスカイライナーズ
しばたはつみが所属。 |
1958 | 1983 | ||
じゃっきーよしかわジャッキー吉川とブルー・コメッツ
1967年「ブルー・シャトウ」150万枚をはじめヒット多数。一世を風靡した。 |
1957 | GS | ||
スウィング・ウエスト
ワゴン・マスターズを脱退した堀威夫(ホリプロ創業者)が結成。1960年代中期にGSとなった。 |
1957 | 1970 | ロカビリー | |
しらき白木秀雄クインテット
アート・ブレイキー、ホレス・シルヴァーらと共演。日野皓正など著名ジャズメンを輩出 |
1957 | 1968 | ジャズ | |
どりふたーずドリフターズ
『8時だョ!全員集合』『ドリフ大爆笑』などのテレビ番組に出演し、国民的人気を誇ったコントグループとして活動(通称ドリフ)。69年頃まで主にバンドとして活動し、ビートルズ日本公演の前座を務めた。56年、「マウンテンボーイズ」と「東京ウエスタンボーイズ」が合併し、ロカビリーバンド「サンズ・オブ・ドリフターズ」結成(ドリフターは放浪者の意)。「井上ひろしとドリフターズ」「桜井輝夫とドリフターズ」に「碇矢長一とザ・ドリフターズ」と改名とメンバー変更を経て、64年に「いかりや長介とザ・ドリフターズ」に。「ハナ肇とクレージーキャッツ」の後輩。初期のメンバーには坂本九や小野ヤスシ、荒井注らがいたが、小野は脱退後ドンキーカルテットを結成。90年代以降は個人での活動が増えていった。 |
1956 | |||
だにーいいだとぱらだいすきんぐダニー飯田とパラダイス・キング | 1955 | 1999 | ||
はなはじめとくれーじーきゃっつハナ肇とクレージーキャッツ | 1955 | 1993 | ||
びっぐふぉあビッグ・フォア
58年、渡辺貞夫が参加。第一次ジャズブームを巻き起こした。 |
1953 | ? | ||
じっけんこうぼう実験工房
詩人の瀧口修造の下にさまざまな分野の若手芸術家約14人が集まって結成された総合芸術グループ。作曲家の武満徹や湯浅譲二らが参加。 |
1951 | 1957 | 現代音楽 | |
げーりーいしぐろゲーリー石黒とサンズ・オブ・ウエスト
同志社大学の学生らで結成。スパイダースの加藤充と大野克夫、西郷輝彦を輩出。専属司会者は浜村淳。 |
1950s | 1960s | ||
ぶるーこーつブルーコーツ | 1946 | |||
あきれたぼういず
35年に吉本興業(東京吉本)が浅草にオープンした浅草花月劇場で活躍していた若手で結成された音楽コントグループ。爆発的な人気を博した。 |
1937 | 1951 | ||
なかのただはる中野忠晴とリズムボーイズ
服部良一、ディック・ミネとともにアメリカのポピュラーソングを戦前期の日本に広め、和製ポップスの基礎を築いた中野忠晴。自分のソロ・ボーカルにコーラスを加えた「中野忠晴とコロムビア・リズムボーイズ」で録音した「山の人気者」が大ヒット。しかし35年初めにポリドールによってリズムボーイズ4人全員が引き抜かれたため、「中野忠晴とコロムビア・ナカノ・リズムボーイズ」を結成。 |
1933 | 1939 | ||
しょうちくかげきだん松竹歌劇団
「三大少女歌劇」(宝塚歌劇団・OSK日本歌劇団・松竹歌劇団)のひとつ。 |
1928 | 1996 | 少女歌劇 | |
おーえすけーにっぽんかげきだんOSK日本歌劇団
「三大少女歌劇」(宝塚歌劇団・OSK日本歌劇団・松竹歌劇団)のひとつ。 |
1922 | 少女歌劇 |