世界のナイトクラブ

World Nightclub

名前 設立 閉鎖 オーナー 国
Studio 54

Studio 54

  • 1977年 1927年にできたオペラハウスの跡地をスティーブ・ルーベルとイアン・シュレーガーが改装し、 1,000人収容可能な大型ナイトクラブ「スタジオ54」としてオープン。
  • 世界中から訪れる有名ゲスト、奇抜な入場ポリシー、豪華なイベントで話題となっが、蔓延する薬物使用、性的快楽主義で悪名高かった。
  • 1980年 シュレーガーとルーベルが脱税で有罪判決を受け、たった3年間の営業で閉店し伝説となった。
  • その後、イアン・シュレーガーは世界的マルチデザイナーのフィリップ・スタルクと組み、1990年代のデザインホテル・ブームに乗じて様々なビジネスを成功させた。

【 常連客 】

  • アンディ・ウォーホル
  • イヴ・サンローラン
  • ウディ・アレン
  • エルトン・ジョン
  • カール・ラガーフェルド
  • カルバン・クライン
  • グレース・ジョーンズ
  • サルバドール・ダリ
  • シェール
  • ジャック・ニコルソン
  • ジョン・トラボルタ
  • ジョン・レノン
  • シルベスター・スタローン
  • ダイアナ・ヴリーランド
  • デヴィッド・ボウイ
  • トム・フォード
  • フェイ・ダナウェイ
  • フランク・シナトラ
  • レナード・バーンスタイン
  • マーサ・グラハム
  • ミック・ジャガー

【 オーナー 】

  • Steve Rubell
  • Ian Schrager
1977 1980

us

ロキシーシアター

Roxy Theatre

ハリウッドのサンセット・ストリップにあるナイトクラブ。1973年9月20日、エルマー・バレンタイン、ルー・アドラー、デヴィッド・ゲフィン、エリオット・ロバーツ、ピーター・アッシャーによってオープンした。

【 出演 】

  • アデル
  • ヴァン・モリソン
  • ガンズ&ローゼズ
  • ジェネシス
  • ニール・ヤング
  • フランク・ザッパ
  • ボブ・マーリー
  • U2
1973年9月20日 Lou Adler

us

ウィスキー・ア・ゴー・ゴー

Whisky a Go Go

ハリウッドのサンセットストリップにある「アメリカで最初の本格的なディスコ」と言われているナイトクラブ。 ドアーズがハウスバンドを務めていたことでも有名。フランク・ザッパのマザーズ・オブ・インベンションは、ウィスキー・ホールでのパフォーマンスをきっかけにレコード契約を結んだ。オーナーの エルマー・バレンタインはサンセットストリップにあった3つの有名なナイトクラブ「ウィスキー・ア・ゴーゴー」「ロキシーシアター」「レインボーバー&グリル」の共同創設者。
1964年1月16日 Elmer Valentine

us

カフェ・オー・ゴー・ゴー

Cafe Au Go Go

ニューヨークのグリニッチビレッジ「 ニュー・アンディ・ウォーホル・ギャリック劇場」の地下にあったナイトクラブ。1964年2月の開店から1970年12月の閉店まで、数多くのミュージシャンやコメディアンが出演した。ハワード・ソロモン (Howard Solomon) が所有していたが、 1969年6月にモーゼス・バルークに売却された。ハワード・ソロモンは歌手フレッド・ニールのマネージャーになった。
1964年 1970年12月 オーナー

us

クロウダディ・クラブ

The Crawdaddy Club

イングランド・サリー州リッチモンドにあったライブハウス。初年度はローリング・ストーンズ、その後はエリック・クラプトン在籍時のヤードバーズ、ジ・アザーズがハウスバンドを務めた。店名はボ・ディドリーの楽曲「Doing The Craw-Daddy」(1960) に由来。ローリング・ストーンズの初日の観客はわずか3人だったという。オーナーはジョージア移民のジョルジオ・ゴメルスキーで、エルトン・ジョン、ロッド・スチュワートなど後に世界的になるさまざまなバンドやミュージシャンの初期のキャリアに貢献した。70年代後半、ゴメルスキーはマンハッタンのチェルシーに「Zu Club」をオープンした。
1963年 Giorgio Gomelsky

eg

カスバ・コーヒー・クラブ

Casbah Coffee Club

リバプールにあるロックンロールのライブハウス。クオリーメン(ビートルズの前身)もここでライブを行った。オーナーのモナ・ベストはピート・ベストの母。
1959年8月29日 1962年6月24日 Mona Best

eg

ガスライト・カフェ

The Gaslight Cafe

  • ニューヨーク市マンハッタンのグリニッチビレッジ地区にあった伝説的なコーヒーハウス。
  • 1957年 ピッツバーグの中古車販売員ジョン・ミッチェル (John Mitchell) は、マクドゥーガル通りとブリーカー通りの交差点に「カフェ・フィガロ」(Café Figaro) を開店。
  • 1958年 ジョンは「カフェ・フィガロ」を売却し、狭苦しく薄汚い石炭貯蔵庫を改装した「ガスライト・カフェ」を開店。
  • 1958年 ガスライト・カフェの真向かいに「コモンズ」(Commons) を開店。ボブ・ディランが「Blowin' In The Wind」を作曲した場所として伝えられ、1963年に「ファット・ブラック・プッシーキャット」(Fat Black Pussycat) と改名(1972年に閉店)。
  • 建物の構造上、大きな拍手音は通気孔を通して近隣住民に迷惑をかけるため、客は代わりに指を鳴らした。
  • 公民権運動、フェミニズム、同性愛者の権利運動、マッカーシズム、テレビのブラックリストなど、あらゆる人種や性別のアーティストが自分を表現できる数少ない場所であった。
  • ビート詩人アレン・ギンズバーグやジャック・ケルアック、グレゴリー・コーソを特集していたが、後にフォークミュージック・クラブになった。
  • ボブ・ディラン、ウディ・ガスリー、ピーター・ヤーロウ、デイヴ・ヴァン・ロンク、トム・パクストンなどが出演した。
  • ジョン・ミッチェルは出演者たちを「キッズ」と呼び、彼らを守りその声を届けるため並々ならぬ努力をした。
  • 毎晩、アンディ・ウォーホル、マレーネ・ディートリッヒ、サルバドール・ダリといった著名人が客席にいた。
  • 1962年 ハリー・フライ (Harry W. Fry) とジョン・モヤント (John K. Moyant) に売却し、サミュエル・フード (Samuel Leighton Hood, 1943–2007) とクラレンス・フード (Clarence Hood) 親子が支配人を務めていた様子(1965年まで経営)。
    • 1965年 サミュエルはフォーク歌手アリックス・ドブキン (Alix Dobkin, 1940–2021, 80) と結婚。サウス・マイアミに移住し、「Gaslight Cafe South」をオープン。 他に「The Elephant」(Woodstock, NY)、「Max's Kansas City」(Manhattan, NY) といったクラブを経営。フォトメーカー (Fotomaker) をプロデュースした。
    • 1967年 「Gaslight Cafe South」でデヴィッド・クロスビーは無名のジョニ・ミッチェルを発見した。
    • 2016年 アリックス・ドブキンが1975年頃に着ていた「THE FUTURE IS FEMALE」と書かれた再現Tシャツをアリアナ・グランデが着用。▶ LINK
  • 1971年 4月5日 閉店。オープンからさまざまな経営者を経て、最後はパティ・スミスの母ベティ・スミスとブルース・ギタリストのスーザン・マーティンによって運営されていた。
  • 2024年 『Gaslight Café: The John Mitchell Story』が上映された。
1958 1971

us

キャヴァーン・クラブ

The Cavern Club

  • イングランド・リヴァプールにあるレンガ造りの地下クラブ。ジャズ・クラブとして開店。
  • 1960年代にビートルズ、ローリング・ストーンズ、ヤードバーズ、ホリーズ、キンクス、エルトン・ジョン、クイーン、ザ・フー、ジョン・リー・フッカーらが演奏し、リヴァプールのロックンロールの中心地となった。
  • 1973年3月に閉店、1984年4月26日に再建・再開された。
1957年1月16日 Alan Sytner

eg

ワンハンドレッド・クラブ

100 Club

  • ロンドンのオックスフォードストリート100番地にあるライブハウス。
  • ロニー・スコットやジョニー・ダンクワースなどの英国ミュージシャンをはじめ、メル・パウエル、レイ・マッキンリー、アート・ペッパー、ベニー・グッドマンなど多くのアメリカのトップジャズバンドが演奏した。
  • 1976年9月に「100クラブ パンク・スペシャル」が開催され、セックス・ピストルズ、スージー&ザ・バンシーズ、クラッシュ、ジャム、ストラングラーズ、ダムドなどが出演した。
1942年

eg

フェイマス・ドア

Famous Door

  • ニューヨークの52番街にあった有数のジャズクラブ。
  • オープン初年度は、バニー・ベリガン、ジョージ・ブルーニス、ボビー・ハケット、ビリー・ホリデイ、マックス・カミンスキー、ウィンギー・マノン、レッド・ノーヴォなどがライブをし評判となった。
  • 1936年 5月10日 財政問題により閉店。
  • 1937年 12月 西52丁目66番地に再開。容人数は60人以下でセットの合間にアート・テイタムが演奏した。
  • 1938年 カウント・ベイシー楽団が週に数晩クラブからラジオ放送しキャリアを積んだ。
  • 1940年 ミュージシャンへの支払いが滞ったため、クラブは6月から9月まで閉鎖。
  • 1943年 11月 西52丁目201番地に移転。
  • 1944年 閉店。
  • 1947年 西52丁目56番地で再開。ジャズ界の重鎮たちがスウィングやビバップを演奏した。
  • 1950年 閉店。
▶ PopSpots' Guide to Legendary Manhattan Jazz Club Locations from the Golden Era of NYC Jazz Clubs, 1930-1950
1935年3月1日 1950年 Russell Carter

us

  • Main