1864年1月1日 – 1946年7月13日 82歳
アルフレッド・スティーグリッツは「近代写真の父」と称されるアメリカの写真家。画家ジョージア・オキーフ (1887–1986, 98) の夫としても知られる。

ニュージャージー州ホーボーケンの富裕なドイツ系ユダヤ人移民の家庭に生まれ、子供たちの教育が不十分であることに気づいた父エドワードは会社を40万ドルで売却し、1881年に家族でヨーロッパに移住した。スティーグリッツはベルリン工科大学で機械工学と写真化学を学び、写真をアートとして捉え独学。1887年、アマチュア写真家の雑誌で1位を獲得し知名度を高めた。

1890年に帰国して写真製版の仕事を開始。ニューヨーク・カメラクラブの副会長に就任し、季刊誌『Camera Notes』の編集に携わった。1902年、エドワード・スタイケンらと写真家グループ「フォト・セセッション」(Photo-Secession) を結成。機関誌『Camera Work』を発行し、1905年にはニューヨーク5番街291にギャラリー「291」をオープン。フォト・セセッションのメンバーらの写真を展示し批評家から高い評価を得えた。同時にアンリ・マティス、オーギュスト・ロダン、アンリ・ルソー、ポール・セザンヌ、パブロ・ピカソ、コンスタンタン・ブランクーシ、マルセル・デュシャン、フランシス・ピカビアなどヨーロッパの前衛的芸術家をアメリカに紹介したことで大きな功績を残した。

1918年、スティーグリッツのミューズとなる画家ジョージア・オキーフと同棲をはじめ、1924年に再婚。1929年、64歳でこれまで経営した最大のギャラリー「An American Place」をオープンし、精力的にさまざまな企画展示を行った。1946年、脳卒中を起こして昏睡状態に陥り、7月13日に82歳で他界した。2006年、妻ジョージア・オキーフを撮影した「Hands」(1919) が147万ドル、「Nude」(1919) が136万ドルで落札された。彼の作品の多くはミネアポリス美術館に所蔵されている。

なお、1945年にオキーフが購入したニューメキシコの自宅には、アレキサンダー・ジラルドアレン・ギンズバーグアンディ・ウォーホルジョニ・ミッチェルらが訪れた。
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