1879年3月27日 – 1973年3月25日 93歳
エドワード・スタイケンはルクセンブルク生まれのアメリカ人写真家。写真史上きわめて重要な一人で、ファッション写真の先駆者としても知られている。
高校を中退し、ミルウォーキーのアート会社で4年間リトグラフの制作に従事していた際、写真を独学。1911年、
ポール・ポワレ (Paul Poiret, 1879– 1944, 65) のドレスを纏ったモデルを撮影した写真が雑誌
『Art et Décoration』(1897– ) に掲載され、最初の近代ファッション写真となった。これらの写真はファッション・イラストレーターの
ポール・イリーブ (Paul Iribe, 1883–1935, 52) や
ジョルジュ・ルパップ (Georges Lepape, 1887–1971, 83) を手本にしたといわれている。
その後、作品はアメリカの写真家
アルフレッド・スティーグリッツ (Alfred Stieglitz, 1864–1946, 82) が創刊した写真雑誌
『Camera Work』(1903–1917) に掲載され、スティーグリッツはスタイケンを「史上最高の写真家」と称賛。1923年から1938年までコンデ・ナスト社と破格の報酬で契約し、『VOGUE』と『Vanity Fair』のチーフカメラマンを務め、世界的な写真家となった。
第一次世界大戦中 (1914–1918) は陸軍大佐を務め、第二次世界大戦中には専業写真家としての活動を引退し、海軍航空写真部の部長に就任。戦争ドキュメンタリー
『ファイティング・レディ』(1944) を監督し、第17回アカデミー賞で「長編ドキュメンタリー映画賞」を受賞した。1947年から1961年までニューヨーク近代美術館の写真部門のディレクターを務め、900万人が訪れた巡回展
「The Family Of Man」(68か国から集められた503枚の写真)を含む展示品の企画・構成に携わった。2003年、「Family of Man」の写真コレクションはユネスコの世界記憶遺産に登録された。
1960年、80歳のスタイケンは27歳の
ジョアンナ・タウブ (1933–2010, 77) と再婚。1963年12月6日、36代アメリカ合衆国大統領
リンドン・ジョンソンから大統領自由勲章を授与。1973年3月25日、1928年に購入したコネチカット州の農場「ウンパワグ」(Umpawaug) で他界した。93歳だった。農場は
トップストーンパーク公園となった。
2006年、スタイケンの初期のピクトリアリスト写真
「The Pond — Moonlight」(1904) が当時写真の最高額290万ドル、2022年には
「The Flatiron」(1904) 写真史上2番目の1200万ドルで落札された。