1946年11月4日 – 1989年3月9日 42歳
ロバート・メイプルソープはアメリカ合衆国ニューヨーク市クイーンズ出身の写真家。プラット・インスティテュートでグラフィックアートを専攻したが1969年に中退し、ドローイング、コラージュ、オブジェを制作。メイプルソープがデザインしたジュエリーは、アンディ・ウォーホルのスーパースターだった俳優ジョー・ダレッサンドロ (1948– ) が身に着けた。

1967年から1972年までパティ・スミス (1946– ) と同棲し、恋愛関係が終わってからもふたりは生涯を通じて親しい友人関係を保った。1972年、メイプルソープと芸術的・肉体的な関係となった元デトロイト美術館のキュレーター、サム・ワグスタッフ (Sam Wagstaff, 1921–1987, 65) はメイプルソープに50万ドルの資金を提供し、ボンド・ストリート24番地の最上階を購入。ここを住居兼スタジオとし、ワグスタッフはメイプルソープの指導者、パトロンとして生涯の伴侶となった。

1970年代半ば、メイプルソープはアーティストや社交界の人々を撮り始めた。この頃、親しくなった芸術家ジョージ・デュロー (George Dureau, 1930–2014, 83) が撮影した切断障害者・小人の写真作品に大きな影響を受けた。1977年から1980年まで、メイプルソープはゲイカルチャーに詳しい大学教授・作家ジャック・フリッチャー (Jack Fritscher, 1939– ) と関係を持ち、フリッチャーはマンハッタンの会員制BDSMクラブ「マインシャフト」を紹介。ここで数々の写真を撮影した。

1987年1月14日、パートナーのワグスタッフがエイズにより65歳で他界。エイズに蝕まれたメイプルソープは財団の設立に携わり、1989年3月9日42歳で他界した。

メイプルソープ死後、財団は作品管理だけでなくHIV研究に何百万ドルもの寄付を行い、2011年に1970年から1989年までのロバート・メイプルソープ・アーカイブをゲッティ研究所に寄贈した。1989年に開催されたメイプルソープの展覧会「The Perfect Moment」は、わいせつなアート作品への公的資金の使用と言論の自由について議論を巻き起こした。1995年、パトリシア・モリスローに執筆を依頼していた自伝『Mapplethorpe: A Biography』が出版された。
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