フローレンス・ノール(Florence Knoll Basset)は、ミース・ファン・デル・ローエに師事し、
アメリカを代表する家具メーカー Knoll に多大な貢献をした女性デザイナーだ。
正統派モダニストで、アイリーン・グレイ、 シャルット・ペリアン、リリー・ライヒなど、
歴史的な女性デザイナーたちに比肩する実力派である。
その作風は、この上なくモダンでエレガント、そしてラグジュアリー。
元グッチのクリエイティヴ・ディレクター、トム・フォードなどその根強いファンは少なくない。




フローレンス・ノールは、 1917年5月24日、ミシガン州サギノー市に誕生した。
結婚前の名前は、フローレンス・シュスト(Florence Schust)。
愛称 "Shu"。

早くから建築に興味を示し、キングスウッド・スクールに入学。
そこで建築を学ぶ。
彼女の建築の原点は、フランク・ロイド・ライトアルヴァ・アアルトだという。

12歳のときに孤児となり、フィンランド出身の建築家エリエル・サーリネンの養女として迎えられる。
彼女は義兄のエーロ・サーリネンとともにサーリネン家の知的な生活環境の中で、
建築や美術に関する討論に加わり、その時代の最も創造的な精神に触れた。

'34年、エリエルが学長を務めるクランブルック美術アカデミーに入学し、建築を学ぶ。
ランドスケープにあったカール・ミレスの彫刻に感銘を受けたと、後に語っている。
ちなみにエーロ・サーリネンは、同校でチャールズ・イームズレイ・カイザー(後のレイ・イームズ)らと
プライウッドの研究に没頭。
'40年に MoMA で開催された Organic Design in Home Furnishings に出展し、優勝した。

旅行でフィンランドを訪れた際、フローレンスは憧れのアアルトと食事をする機会に恵まれた。
ロンドンから帰国したばかりのアアルトは、
現地で視察したAAスクール(Architectural Association School of Architecture)を絶賛。
彼女はAAスクールに2年間留学するが、間もなく第二次世界大戦がはじまり、アメリカへの帰国を余儀なくされる。

帰国後、アーマー工科大学(後のイリノイ工科大学)に入学し、ミース・ファン・デル・ローエに師事。
この学生時代の広い交友が、後の Koll 社に大きな貢献をもたらすことになる。




アーマー工科大卒業後、彼女はニューヨークへ移り、
建築家として、しばらくの間ヴァルター・グロピウスマルセル・ブロイヤー
ウォーレス・K・ハリソン
の事務所で働いた。

この頃、ドイツ人のインテリアデザイナー、ハンス・ノール(Hans Knoll)と出会い、意気投合する。
'43年、ハンスの誘いで、彼のインテリア会社 Knoll にビジネス・パートナーとして参加。
ハンスがビジネス部門、フローレンスがデザイン部門を担当した。

ニューヨーク、シカゴ、サンフランシスコ、パリなどにショールームをオープンし、次々と顧客を獲得。
「グッドデザインというものへの信頼を、クライアントに持たせたい」と語るふたりのマーケット・ヴィジョンは、
当時の建築家やデザイナーも魅了した。

'46年にふたりは結婚した。
 

Knoll NY Showroom
Knoll San Francisco Showroom
Florence Knoll at the Knoll office
photo by Margaret Bourke-White 1946




当時、彼女は単にインテリアを配置するだけでなく、
建築と家具の融合を図る「ノール・プランニング・ユニット」を考案中であった。
それは、今までモダンデザインの要素がなかったオフィスを、
ミースやサーリネン、ベルトイアなどの家具と結びつける、当時としては画期的なアイデアだった。
簡単にいえば、「インターナショナルスタイルの建築に、モダンな空間を」という発想だ。

'45年、ノール・プランニング・ユニットは、
彼女の最初のクライアントであったネルソン・ロックフェラーのオフィスで実践された。
友人だったイサム・ノグチも参加し、一言で仕事場として括られないモダンな空間づくりに成功した。
'58年には、レバーハウス内にあった損害保険会社インシュランス本社オフィス、
'60年には、「Look Magazine」本社オフィスのインテリアデザインを手掛けた。
この頃、幾何学模様のスクリーンで有名だったエルウィン・ハウワー・スタジオとコラボレートしている。

'55年、ハンスが出張先のキューバで自動車事故に遭い他界。
'58年にフローレンスがノール社の社長に就任してからも、そのデザイン・ポリシーはしっかりと守られた。
同年、銀行家のハリー・フード・バセット(1917-1991)と再婚した。

First National Bank of Miami
President's office 1957
Look Magazine office 1960




'64年、エーロ・サーリネンが設計したCBS本社ビルのインテリアデザインを手掛ける。
フローレンスやミースの家具とともに、フランツ・クラインマーク・ロスコの抽象画、アレキサンドル・ノルの彫刻、
そして生花が飾られたフランク・スタントンの社長室は、「オフィス・インテリアの最高傑作」として名高い。

彼女はシンプルに構成された空間を、抽象画や写真、彫刻、生花で彩るのが好きだったようだ。
特にトム・フォードの自宅を見ると、その影響が大きく反映されていて、
実際にフランツ・クラインやフォンタナのミニマルアート、アレキサンドル・ノルの彫刻、
アレクサンダー・カルダーのモビール、蘭の花などが飾られている。

'65年、CBSの仕事を最後に Knoll を引退。
「私はデザイナーではない」と言い切る彼女の旺盛なデザイン活動は、
現在もフロリダ州バーモントで続いている。

「聡明なインテリア・プランとは、単に家具でスペースを埋めるという以上のものであり、
それは生活の根本を刺激し、習慣を変えてしまうものなのである」  フローレンス・ノール・バセット

CBS Frank Stanton's office 1964

 
1917年 5月24日、ミシガン州サギノー市に誕生
1934年 クランブルック美術アカデミーに入学
1937年 ロンドンのAAスクールに留学
1940年 アーマー工科大学(後のイリノイ工科大学)に入学し、ミース・ファン・デル・ローエに師事
ハンス・ノールが Knoll 社を設立
1941年 建築の学位を取得
ニューヨークでハンス・ノールと出会う
1943年 Knoll 社に参加
1946年 ハンス・ノールと結婚
1955年 ハンスが出張先のキューバで自動車事故死
1957年 First National Bank of Miami と Southeast Bank のインテリアデザインを手掛ける
1958年 フローレンス・ノールが Knoll 社の社長に就任
銀行家の Harry Hood Bassett (1991年死去) と結婚
1962年 Look Magazine 本社のインテリアデザインを手掛ける
1965年 CBS 社長室のインテリアデザインを手掛ける
Knoll 社を退職

 
Knoll Furniture 1938-1960
1938年から1960年までの Knoll のプロダクトを270点以上の貴重な資料を交え解説。
Knoll ファンのみならず、インテリアデザイン好き必見の一冊。
ページ数 160ページ ハードカバー
出版日 1999年9月
言 語 英語

 
クランブルック美術アカデミー Cranbrook Academy of Art
「アメリカのバウハウス」と呼ばれた建築・デザイン学校。
1932年、地元ミシガン州の新聞社主で愛好家のジョージ・ゴフ・ブースにより開校。
キャンバスはエリエル・サーリネンによって設計され、エリエリルは初代学長に就任した。
フローレンス・ノール、エーロ・サーリネン、チャールズ&レイ・イームズ、ハリー・ベルトイア、
ハリー・ウィース、ラルフ・ラプソンらを輩出したことでも知られている。
http://www.cranbrookart.edu
 
ヘルベルト・マター Herbert Matter [ 1907 - 1984 ]
バウハウスで学んだスイス出身のグラフィックデザイナー/写真家。
'50〜'60年代の Knoll のグラフィックを担当した。
その後は、マッシモ・ヴィネリ(Massimo Vignelli)が担当。
 
カール・ミレス Carl Milles [ 1875 - 1955 ]
スウェーデン出身の彫刻家。
ロダンの助手を務めた後、ミシガン州を拠点に活動。
ロックフェラー・センターの金色のオブジェや、
セントルイス市街の巨大な彫刻の噴水など、代表作は非常に多い。
 
フランツ・クライン Franz Kline [ 1910 - 1962 ]
アメリカの抽象画家。
同じようなテイストでは、ジャクソン・ポロック(Jackson Pollock)、
ピエール・スーラージュ(Pierre Soulages)らが有名。
 
アレキサンドル・ノル Alexandre Noll [ 1890 - 1970 ]
'40〜'50年代に活躍したフランスの木彫刻家。
黒檀などを使ったオブジェや家具を製作した。
 
エルウィン・ハウワー Erwin Hauer [ 1926 - ]
オーストリア出身の彫刻家。主に'50〜'60年代に活躍し、幾何学模様のスクリーンをデザインした。
フローレンス・ノールお気に入りのアーティストで、Knoll ショールームの他、
ファースト・ナショナル・バンク・オブ・マイアミなどのスクリーンを手掛けた。