名前 | 誕生日 | 命日 | 年齢 | パート | ジャンル | |
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さわだ やすし沢田 靖司
ジャズ・シンガー/マルチミュージシャン。60年代からキャリアを積み重ね、稲垣次郎カルテットでデビュー。79年、初リーダー『In Scotch House 25』。大橋巨泉の『11PM』『夜はこれから』『ウィークエンド・ジャズ』などにレギュラー出演。 |
1939年12月5日 | 2017年4月18日 | 77 | 男性歌手 | ジャズ | |
うちだ ゆうや内田 裕也
ロック界のドン。 |
1939年11月17日 | 2019年3月17日 | 79 | 男性歌手 | ポップス | |
さがわ みつお佐川 満男
68年「今は幸せかい」(作詞・作曲:中村泰士)が60万枚の大ヒット。 |
1939年11月9日 | 1939年11月9日 | 男性歌手 | ポップス | ||
しぶや たけし渋谷 毅
ジョージ川口、沢田駿吾、原信夫らのバンドを経て自身のバンドを結成。浅川マキ、金子マリ、木村充揮らのレコーディングに参加。楽曲提供・映画音楽など多数。「見上げてごらん夜の星を」を編曲。 |
1939年11月3日 | 1939年11月3日 | ピアノ | ジャズ | ||
きくち まさぶみ菊地 雅章
ソニー・ロリンズなど著名ジャズメンと共演。 |
1939年10月19日 | 2015年7月6日 | 75 | ピアノ | ジャズ | |
おおの かつお大野 克夫
「時の過ぎゆくままに」「勝手にしやがれ」(ともに作詞:阿久悠)など作曲。 |
1939年9月12日 | 1939年9月12日 | 作曲家 | GS | ||
はしもと じゅん橋本 淳
『ブルー・ライト・ヨコハマ』『ブルー・シャトウ』など大ヒット多数。すぎやまこういちに師事。 |
1939年7月8日 | 1939年7月8日 | 作詞家 | ポップス | ||
きくち たけお菊池 武夫
74年、萩原健一主演「傷だらけの天使」でメンズ・ビギが爆発的ブーム。映画「燃えよドラゴン」でブルース・リーがスーツを着用。 |
1939年5月25日 | 1939年5月25日 | デザイナー | ファッション | ||
なかむら たいし中村 泰士
72年、ちあきなおみ『喝采』が80万枚の大ヒット。 |
1939年5月21日 | 2020年12月20日 | 81 | 作曲家 | ポップス | |
みずたに やえこ2代目 水谷 八重子
黒柳徹子、横山道代と共に「三人娘」。坂本九「上を向いて歩こう」に貢献。 |
1939年4月16日 | 1939年4月16日 | 女性歌手 | ポップス | ||
いのうえ ひろし井上ひろし
60年「雨に咲く花」が約100万枚の大ヒット |
1939年4月12日 | 1985年9月19日 | 46 | 男性歌手 | ロカビリー | |
やました けいじろう山下 敬二郎
ポール・アンカのカバー「ダイアナ」がヒット。「ロカビリー三人男」(ミッキー・カーチス、平尾昌章)のひとり。 |
1939年2月22日 | 2011年1月5日 | 71 | 男性歌手 | ロカビリー | |
まつい しんいち松井 伸一
『KBC 今週のポピュラーベスト10』で数多くの洋楽を紹介。 |
1939年2月5日 | 2023年4月5日 | 84 | ラジオDJ | ロック | |
てらうち たけし寺内タケシ
エレキの神様。1960年代「寺内タケシとブルージーンズ」を結成し一世を風靡。 |
1939年1月17日 | 2021年6月18日 | 82 | ギター | GS | |
やすい かずみ安井かずみ
伊東ゆかり「恋のしずく」小柳ルミ子「わたしの城下町」沢田研二「危険なふたり」郷ひろみ「よろしく哀愁」など約4000曲を作詞。 |
1939年1月12日 | 1994年3月17日 | 55 | 作詞家 | ポップス | |
むっしゅかまやつムッシュかまやつ
ザ・スパイダースでヴォーカル、ギター、作曲を担当。松任谷由実をプロデュース。 |
1939年1月12日 | 2017年3月1日 | 78 | 男性歌手 | GS | |
やすい かずみ安井かずみ
愛称「ZUZU」。65年、伊東ゆかり「おしゃべりな真珠」でレコード大賞作詞賞受賞。沢田研二、西城秀樹らへ詞を提供。川口浩が経営「川口アパートメント」に住み、飯倉片町の「キャンティ」で交友した。加藤和彦と結婚。 |
1939年1月12日 | 1994年3月17日 | 55 | 作詞家 | ポップス | |
にしだ さちこ西田 佐知子
62年「アカシアの雨がやむとき」で日本レコード大賞特別賞を受賞。1967年、レコード売上1000万枚を突破。 |
1939年1月9日 | 1939年1月9日 | 女性歌手 | ポップス | ||
たなべ しょうち田邊 昭知
元ザ・スパイダースのドラマー。田辺エージェンシー設立。 |
1938年11月15日 | 1938年11月15日 | 実業家 | GS | ||
こばやし あきら小林 旭
「昔の名前で出ています 」(星野哲郎/叶弦大)95万枚、「熱き心に」(阿久悠/大瀧詠一)134万枚の大ヒット。 |
1938年11月3日 | <1938年11月3日/span> | 男性歌手 | 演歌 | ||
もりや ひろし守屋 浩
ホリプロ所属タレントでヒットした第1号。 |
1938年9月20日 | 2020年9月19日 | 81 | 男性歌手 | ポップス | |
なかにし れいなかにし礼
「涙と雨にぬれて」が1,000万枚の大ヒット。『長崎ぶらぶら節』で直木賞を受賞。 |
1938年9月2日 | 2020年12月23日 | 82 | 作詞家 | ポップス | |
てらもと ゆきじ寺本 幸司
浅川マキ、桑名正博、りりィ、イルカをプロデュース。 |
1938年8月6日 | 1938年8月6日 | プロデュース | ポップス | ||
じゃっきー よしのジャッキー吉川
「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」で一世を風靡。 |
1938年8月1日 | 2020年4月20日 | 81 | ドラム | GS | |
みっきー かーちすミッキー・カーチス
キャロル、ガロ、小坂忠、左とん平をプロデュース。内田裕也とともに日本ロックの仕掛け人。 |
1938年7月23日 | 1938年7月23日 | プロデュース | ポップス | ||
いしおか えいこ石岡 瑛子
マイルス・デイヴィス『TUTU』のカバーアートで日本人初グラミー受賞。 |
1938年7月12日 | 2012年1月21日 | 73 | デザイン | ||
すきた まさよし鋤田 正義
デヴィッド・ボウイ、YMO の撮影で世界的に有名。鋤田撮影のマーク・ボランに憧れた少年が布袋寅泰。 |
1938年5月5日 | 1938年5月5日 | 写真家 | ロツク | ||
しまくら ちよこ島倉 千代子
55年、デビュー曲「この世の花」(西条八十/万城目正)200万枚の大ヒットし人気歌手に。 |
1938年3月30日 | 2013年11月8日 | 75 | 女性歌手 | ポップス | |
ひらお まさあき平尾 昌晃
「星は何でも知っている」「ミヨチャン」が大ヒット。幅広い歌手に詞を提供。 |
1937年12月24日 | 2017年7月21日 | 79 | 作曲家 | ポップス | |
くさの こうじ草野 浩二
坂本九「悲しき六十才」を手掛けヒット。70年代に邦楽ポップス黄金時代を築いた。 |
1937年11月20日 | 1937年11月20日 | プロデュース | ポップス | ||
ゆう まさひこ悠 雅彦
「スイングジャーナル」などで評論。著書「モダン・ジャズ群像」 |
1937年11月1日 | 2023年10月14日 | 85 | 評論家 | ジャズ | |
ひだり とんぺい左とん平
73年、「とん平のヘイ・ユウ・ブルース」がヒット。 |
1937年5月30日 | 2018年2月24日 | 80 | 男性歌手 | ポップス | |
みそら ひばり美空ひばり
戦後歌謡界の女王。売上枚数1億1700万枚以上。 |
1937年5月29日 | 1989年6月24日 | 52 | 女性歌手 | 演歌 | |
いしゅう かよ伊集 加代
数千作品に参加した「スキャットの女王」。「アルプスの少女ハイジ」のテーマ曲やネスカフェ・ゴールドブレンド のCMが有名。東邦音楽短期大学声楽科でクラシックを学び、卒業後ジャズボーカリスト水島早苗に師事。クリフ・リチャード 、大滝詠一、山下達郎らのコーラスで参加。 |
1937年5月20日 | 1937年5月20日 | 女性歌手 | ジャズ | ||
こう よしお康 芳夫
マイルス・デイヴィス日本招聘など様々なエピソードを持つ。 |
1937年5月15日 | 1937年5月15日 | プロデュース | ジャズ | ||
まつおか なおや松岡 直也
ラテン・フュージョン音楽の第一人者。 |
1937年5月9日 | 2014年4月29日 | 76 | ピアノ | ジャズ | |
かやま ゆうぞう加山 雄三
65年『君といつまでも』350万枚の大ヒット。俳優として「若大将シリーズ」が大ヒット。 |
1937年4月11日 | 1937年4月11日 | 男性歌手 | ポップス | ||
ゆきむら いづみ雪村いづみ
美空ひばり・江利チエミと「三人娘」と呼ばれ一世風靡。日米で活躍し『LIFE』の表紙を飾った初の日本の芸能人。 |
1937年3月20日 | 1937年3月20日 | 女性歌手 | ポップス | ||
江戸 京子
パリ国立高等音楽院で学び欧米と日本の各地で演奏活動を行う。チャイコフスキー・ピアノ・コンクールなど様々なコンクールに招かれクラシックの普及に貢献。小澤征爾と結婚したが離婚後は良き友人関係を維持した。 |
1937年2月27日 | 2024年1月23日 | 86 | ピアノ | クラシック | |
あく ゆう阿久 悠
5,000曲以上を手掛けた昭和を代表する作詞家。 |
1937年2月7日 | 2007年8月1日 | 70 | 作詞家 | ポップス | |
えり ちえみ江利チエミ
52年「テネシーワルツ」23万枚の大ヒット。米国で日本人初のチャートイン。「三人娘」(美空ひばり・雪村いづみ)のひとりで高倉健と結婚。 |
1937年1月11日 | 1982年2月13日 | 45 | 女性歌手 | ジャズ | |
さかもと すみこ坂本スミ子
59年、トリオ・ロス・パンチョスの前座で歌い「ラテンの女王」として人気歌手に。主演映画『楢山節考』がカンヌ国際映画祭でグランプリ。 |
1936年11月25日 | 2021年1月23日 | 84 | 女性歌手 | ラテン | |
きたじま さぶろう北島 三郎
63年「なみだ船」のヒットで人気確立。演歌の帝。 |
1936年10月4日 | 1936年10月4日 | 男性歌手 | 演歌 | ||
やまがみ みちお山上 路夫
「水戸黄門」主題歌や「夜明けのスキャット」「瀬戸の花嫁」「学生街の喫茶店」など多数。村井邦彦とアルファミュージック設立。 |
1936年8月2日 | 1936年8月2日 | 作詞家 | ポップス | ||
よこお ただのり横尾 忠則
67年、「天井棧敷」参加。三島由紀夫、マイルス・デイビス、サンタナの作品で世界的に有名。 |
1936年6月27日 | 1936年6月27日 | 画家 | ロック | ||
じみー ときたジミー時田
日本カントリー界を代表する「マウンテン・プレイボーイズ」を結成。尾崎紀世彦が所属。 |
1936年3月15日 | 2000年3月10日 | 63 | 男性歌手 | カントリー | |
いのまた たけし猪俣 猛
日本ジャズ界の重鎮ドラマー。ヘレン・メリルやアニタ・オデイの来日公演、尾崎紀世彦「また逢う日まで」など。 |
1936年2月6日 | 1936年2月6日 | ドラム | ジャズ | ||
ゆかわ れいこ湯川れい子
早くからプレスリーやビートルズを紹介。『ランナウェイ』『六本木心中』『あゝ無情』を作詞。 |
1936年1月22日 | 1936年1月22日 | 評論家 | ポップス | ||
ジェイク・コンセプション
アジア諸国で「King of Sax」と称されるフィリピン出身のサックス奏者。64年、23歳で単身来日しスタジオ・ミュージシャンとして吉田拓郎、ゴダイゴ、大瀧詠一、さだまさし、中島みゆき、松任谷由実らのライブ/レコーディングに参加。2002年、キリン・ラガー・ビールのCMでベーシストいかりや長介と共演。 |
1936年1月13日 | 2017年12月4日 | 81 | サックス | ジャズ | |
いしづか たかお石塚 孝夫
63年、ジャズのコンサートや企画制作を行うオールアート・プロモーション設立。キャノンボール・アダレイ・クインテットを皮切りに数々の超一流を日本へ招聘した。74年、ディー・ディー・ブリッジウォーター『Afro Blue』プロデュース。ジャズヴォーカリストの峰純子と結婚。ジャズに人生を捧げた。 |
1936年 | 2022年 | 89 | 実業家 | ジャズ | |
てらやま しゅうじ寺山 修司
前衛演劇団「天井桟敷」主宰マルチアーティスト。浅川マキ「かもめ」、「あしたのジョー」主題歌など作詞多数。 |
1935年12月10日 | 1983年5月4日 | 47 | 作詞家 | ポップス | |
じょう たくや城 卓矢
樺太で誕生、室蘭市育ちの歌手・作曲家。ヨーデルを得意とし、56年にウイリー沖山とと「ブルー・レンジャーズ」結成。60年、ザ・コースターズをバックに菊地正夫の名で「ひとりぽっちで」でデビュー。66年、城卓矢と改名し「骨まで愛して」(作詞:川内康範/作曲:北原じゅん)140万枚の大ヒット。71年に引退した。 |
1935年11月28日 | 1989年5月9日 | 男性歌手 | ポップス | ||
さかい まさとし酒井 政利
アイドル生みの親。フォーリーブス、キャンディーズ、山口百恵など300人以上を輩出。 |
1935年11月17日 | 2021年7月16日 | 85 | プロデュース | ポップス | |
さいとうていこ齋藤 悌子
高校卒業後、米軍キャンプで10年間歌い続けた。22年、デイヴィッド・マシューズと初アルバムをリリース。 |
1935年10月10日 | 1935年10月10日 | 女性歌手 | ジャズ | ||
ありま みえこ有馬 三恵子
伊東ゆかり「小指の想い出」、南沙織「17才」、 金井克子「他人の関係」などヒット曲多数。 |
1935年10月9日 | 2019年4月18日 | 83 | 作詞家 | ポップス | |
おざわ せいじ小澤 征爾
世界的指揮者。海外の一流オーケストラを指揮した初の日本人。 |
1935年9月1日 | 2024年2月6日 | 88 | 指揮者 | クラシック | |
こさか かずや小坂 一也
カントリーバンド「ワゴン・マスター」で人気に。紅白歌合戦で異例のロックンロールを歌い「元祖和製プレスリー」と呼ばれた。 |
1935年5月30日 | 1997年11月1日 | 62 | 男性歌手 | カントリー | |
みわ あきひろ美輪 明宏
艶麗な容貌でシャンソンを歌い上げ一躍人気。66年「ヨイトマケの唄」がヒット。 |
1935年5月15日 | 1935年5月15日 | 男性歌手 | シャンソン | ||
うちだ まさる内田 勝
『サザエさん』『海のトリトン』を作詞。『週刊少年マガジン』編集長として『巨人の星』『ゲゲゲの鬼太郎』『仮面ライダー』担当。 |
1935年4月22日 | 2008年5月30日 | 73 | 作詞家 | アニメ | |
古谷 充
23歳で「古谷充とザ・フレッシュメン」を結成し関西随一のコンボに。 |
1936年2月13日 | 2020年9月2日 | 84 | サックス | ジャズ | |
はまむら じゅん浜村 淳
「ゲーリー石黒とサンズ・オブ・ウエスト」などを担当した名司会者。 |
1935年1月10日 | 1935年1月10日 | 司会者 | ジャズ | ||
たけだ かずひこ竹田 一彦
関西ジャズ界の重鎮。 |
1936年1月1日 | 1936年1月1日 | ギター | ジャズ | ||
いしはら ゆうじろう石原 裕次郎
昭和を代表する俳優。77年「ブランデーグラス」152万枚の大ヒット。シングル総売上4657万枚以上。 |
1934年12月28日 | 1987年7月17日 | 52 | 男性歌手 | ポップス | |
いしかわ あきら石川 晶
様々なジャズバンドに参加。テレビでも人気者に。 |
1934年11月10日 | 2002年2月10 | 67 | ドラム | ジャズ | |
たか たかし
77年、松崎しげる「愛のメモリー」、五木ひろし「おまえとふたり」などミリオンセラー多数。 |
1934年10月27日 | 1934年10月27日 | 作詞家 | 演歌 | ||
みほ けいたろう三保 敬太郎
68年、寺尾聰らと『ザ・ホワイト・キックス』結成。『11PM』テーマ曲を作曲。 |
1934年10月17日 | 1986年5月16日 | 51 | ピアノ | ジャズ | |
おおはし きょせん大橋 巨泉
ジャズ評論家で司会者。マルチタレントの先駆け。 |
1934年3月22日 | 2016年7月12日 | 82 | 評論家 | ジャズ | |
うの あきら宇野亞 喜良
寺山修司「天井桟敷」のポスターを横尾忠則と制作。布袋寅泰 『GUITARHYTHM』など。 |
1934年3月13日 | 1934年3月13日 | 画家 | |||
きたの ただお北野タダオ
58年「北野タダオとアロージャズオーケストラ」を結成しアニタ・オデイ、パティ・ペイジ、マレーネ・ディートリッヒらと共演。 |
1934年3月3日 | 2018年10月3日 | 84 | ピアノ | ジャズ | |
すずき じゅん鈴木 淳
西田佐知子「恋なんてしたくない」で作曲デビュー。長年、ちあきなおみ、八代亜紀らに楽曲提供。 |
1934年2月7日 | 2021年12月9日 | 87 | 作曲家 | ポップス | |
そね こうめい曽根 幸明
勝新太郎「座頭市子守唄」藤圭子「圭子の夢は夜ひらく」など作曲。 |
1933年12月28日 | 2017年4月20日 | 83 | 作曲 | 演歌 | |
ぺぎー はやまペギー葉山
59年「南国土佐を後にして」空前の大ヒット。一流ビッグバンド「渡辺弘とスター・ダスターズ」専属。 |
1933年11月9日 | 2017年4月12日 | 83 | 女性歌手 | ジャズ | |
いながき じろう稲垣 次郎
「ハナ肇とキューバン・キャッツ」(後の「ハナ肇とクレージーキャッツ」)の結成当時のメンバー。ジョージ川口、白木秀雄らと活動。69年「稲垣次郎とソウル・メディア」を結成。伝説の女性シンガー Sammy や沢田靖司、佐藤允彦、水谷公生、柳田ヒロらが参加した。 71年、世界初デジタル録音したアナログレコード『Something』リリース。 |
1933年10月3日 | 2024年1月18日 | 90 | サックス | ジャズ | |
あいじょーじアイ・ジョージ
63年、日本人初のカーネギー・ホール公演を達成。 |
1933年9月27日 | 1933年9月27日 | 男性歌手 | ポップス | ||
あべ やすし安倍 寧
美空ひばり、シナトラ、プレスリー、ビートルズなど評論。「劇団四季」取締役、エイベックス顧問。 |
1933年5月21日 | 1933年5月21日 | 評論家 | ポップス | ||
まーさ みやけマーサ三宅
54年、レイモンド・コンデの専属歌手となり注目を集めた。ヴォーカル教室を開校し大橋純子らを輩出。 |
1933年5月13日 | 1933年5月13日 | 女性歌手 | ジャズ | ||
えい ろくすけ永 六輔
「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」「いい湯だな」「遠くへ行きたい」など名曲を作詞。 |
1933年4月10日 | 2016年7月7日 | 83 | 作詞家 | ポップス | |
ういりーおきやまウイリー沖山
「キング・オブ・ヨーデル」の異名を持つヨーデル/カントリー歌手。56年、抜群の歌唱力と発音の良さを買われてヨーデルの曲「スイスの娘」でレコードデビュー。『全日本歌謡選手権』では10週勝ち抜きグランドチャンピオンになった。音から高音までの音域の広さを生かし、ジャズ、カントリー、ポピュラー、シャンソン、ハワイアンとレパートリーは多岐に渡る。 |
1933年2月25日 | 2020年6月28日 | 87 | 男性歌手 | カントリー | わたなべ さだお渡辺 貞夫
78年『カリフォルニア・シャワー』異例のヒット。世界的ジャズ・ミュージシャン。 |
1933年2月1日 | 1933年2月1日 | トランペット | ジャズ |
ころんびあろーず初代コロムビア・ローズ
「ミス・コロムビア」や「東京ローズ」を手本にした素顔を出さない「戦後初の覆面歌手」。57年「東京のバスガール」がヒット。 |
1933年1月4日 | 1933年1月4日 | 女性歌手 | 戦後歌謡 | すずき いさお鈴木 勲
アート・ブレイキーにスカウトされジャズ・メッセンジャーズのメンバーに |
1933年1月2日 | 2022年3月8日 | 89 | ベース | ポップス |
しんくら よしこ新倉 美子
ティーブ釜萢の『日本ジャズ学校』に通い51年デビュー。女優として多数の映画に出演。57年引退。父は新国劇の花形俳優だった辰巳柳太郎。 |
1933年 | 女性歌手 | ジャズ | |||
たかやなぎ まさゆき高柳 昌行
19歳でプロ活動。フリー・ジャズに影響を受け実験的な即興演奏を追求した。渡辺香津美、安藤正容、山本恭司らを輩出。 |
1932年12月22日 | 1991年6月23日 | 58 | ギター | ジャズ | |
あおしま ゆきお青島 幸男
「スーダラ節」「だまって俺について来い」「明日があるさ」など「ハナ肇とクレージーキャッツ」や坂本九らの楽曲を作詞。 |
1932年7月17日 | 2006年12月20日 | 74 | 作詞家 | ポップス | |
ふじこ・へみんぐフジ子・ヘミング
99年『奇蹟のカンパネラ』30万枚の大ヒット。日本と欧米で活動。 |
1932年12月5日 | 1932年12月5日 | ピアノ | クラシック | ||
ふくはら つねお普久原 恒勇
「芭蕉布」「ゆうなの花」を送り出した戦後沖縄を代表する作曲家の一人。 |
1932年11月14日 | 2022年11月1日 | 89 | 作曲家 | 沖縄民謡 | |
やぎ まさお八木 正生
日本のジャズ創成期に活躍。「あしたのジョー」の主題歌をはじめ映画音楽多数。サザンオールスターズの編曲。 |
1932年11月14日 | 1991年3月4日 | 58 | ピアノ | ジャズ | |
はらだ まこと原田 実
58年カントリーバンド「ワゴン・エース」結成。ムッシュかまやつが在籍。 |
1932年7月19日 | 1996年8月25日 | 64 | ギター | カントリー | |
なかむら とうよう中村とうよう
69年「ミュージック・マガジン」を創刊。 |
1932年7月17日 | 2011年7月21日 | 79 | 評論家 | ロック | |
せら ゆずる世良 譲
65年、白木秀雄クインテットでベルリン・ジャズ・フェスティバルに出演。 |
1932年3月10日 | 2004年2月17日 | 71 | ピアノ | ジャズ | |
たに けい谷 啓
「ハナ肇とクレージーキャッツ」のメンバー。ムッシュかまやつ曰く「ドナルド・フェイゲンみたいなミュージシャン」 |
1932年2月22日 | 2010年9月11日 | 78 | トロンボーン | ジャズ | |
かつ しんたろう勝 新太郎
55年、歌手デビュー。67年「座頭市」がヒット。 |
1931年11月29日 | 1997年6月21日 | 65 | 男性歌手 | ポップス | |
じゃにー きたがわジャニー喜多川
少年野球チームから「ジャニーズ事務所」を設立。様々なギネス記録を保持。 |
1931年10月23日 | 2019年7月9日 | 87 | 実業家 | ポップス | |
ふたば ゆりこ二葉 百合子
72年「岸壁の母」がヒット。坂本冬美、藤あや子らを歌唱指導。 |
1931年6月23日 | 1931年6月23日 | 女性歌手 | 演歌 | ||
あしや がんのすけ芦屋 雁之助
84年「娘よ」大ヒット。テレビ番組『裸の大将放浪記』が人気を博した。 |
1931年5月29日 | 2004年4月7日 | 72 | 男性歌手 | 演歌 | |
やまき こうざぶろう山木 幸三郎
17歳でプロになり、51年に高見弘らとジャズコンボ「グレーシー5」を結成。53年、宮間利之率いるジャイブ・エーセスに参加。ギタリスト/作編曲家として長年にわたり活躍。 |
1931年4月18日 | 2018年12月26日 | 87 | ギター | ジャズ | |
すぎやま こういちすぎやまこういち
CM音楽・歌謡曲・アニメソング・ゲーム音楽の大家。 |
1931年4月11日 | 2021年9月30日 | 90 | 作曲家 | ポップス | |
みやがわ ひろし宮川 泰
『宇宙戦艦ヤマト』の作曲で有名。和製ポップスの開拓者。ザ・ピーナッツの楽曲がヒット。 |
1931年3月18日 | 2006年3月21日 | 75 | 作曲家 | ポップス | |
たかくら けん高倉 健
『網走番外地』『昭和残侠伝』『唐獅子牡丹』主題歌が大ヒット。 |
1931年2月16日 | 2014年11月10日 | 83 | 男性歌手 | 演歌 | |
なかむら はちだい中村 八大
『上を向いて歩こう』『こんにちは赤ちゃん』などヒット多数。 |
1931年1月20日 | 1992年6月10日 | 61 | 作曲家 | ポップス | |
きだたろキダ・タロー
「浪花のモーツァルト」著名なテレビ・ラジオ・CMのテーマ曲多数。 |
1930年12月6日 | 1930年12月6日 | 作曲家 | CM音楽 | ||
のさか あきゆき野坂 昭如
「おもちゃのチャチャチャ」を作詞し第5回・日本レコード大賞「童謡賞」受賞。 |
1930年10月10日 | 2015年12月9日 | 85 | 男性歌手 | シャンソン | |
たけみつ とおる武満 徹
数多くの映画・演劇音楽を手掛けた世界的な前衛・現代音楽家。 |
1930年10月8日 | 1996年2月20日 | 65 | 作曲家 | 現代音楽 | |
おさだ ぎょうじ長田 暁二
「ACCディスク大賞」(世界で最も権威あるレコード大賞)など国内外の様々な賞を受賞。著作は約500冊。 |
1930年3月19日 | 1930年3月19日 | プロデュース | ポップス | ||
さわだ しゅんご澤田 駿吾
愛媛県西宇和郡八幡浜町出身のジャズ・ギタリスト/作曲家。第二次世界大戦後に東京へ出て、本格的にジャズギターを開始し米軍キャンプで演奏。54年、『モカンボ・セッション』にハナ肇、植木等、守安祥太郎らと参加。57年、チコ・ハミルトン楽団のギタリストだったデンプシー・ライトに弟子入りした。テレビドラマ『月曜日の男』の劇伴音楽と主題歌の作曲を手掛けるなど数多くの作品も残した。 |
1930年2月10日 | 2006年8月28日 | 76 | ギター | ジャズ | |
やしろ かずお八城 一夫
48年プロデビュー。渡辺貞夫を擁すカルテットを結成。 |
1930年2月10日 | 1991年7月13日 | 61 | ピアノ | ジャズ | |
おおが のりお大賀 典雄
CBS・ソニーレコード社長などを経てソニーの発展に貢献。留学中に知り合ったヘルベルト・フォン・カラヤンは生涯の友。 |
1930年1月29日 | 2011年4月23日 | 81 | 実業家 | クラシック | |
いずみ たくいずみ たく
総作数15,000曲以上。「見上げてごらん夜の星を」が大ヒット。 |
1930年1月20日 – | 1992年5月11日 | 62 | 作曲家 | ポップス | |
あいざわ ひでよし相澤 秀禎
西郷輝彦、桜田淳子、松田聖子を輩出したサンミュージック創業者。 |
1930年1月20日 | 2013年5月23日 | 83 | 実業家 | ポップス |