名前 | 誕生日 | 命日 | 年齢 | パート | ジャンル | 出身 | |
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ホーギー・カーマイケル
偉大なジャズ・スタンダード「Stardust」(1927)や「Georgia on My Mind(我が心のジョージア)」(1930)、「Skylark」(1942)で知られる作曲家。インディアナ大学に入学しビックス・バイダーベックのバンドで学費を稼ぎながら、ルイ・アームストロングと出会い作曲を開始。 |
1899年11月22日 | 1981年12月27日 | 82 | 作曲家 | ジャズ | us |
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フレッド・アステア
30–50年代ハリウッド全盛期を担った大俳優。歌とダンスで不況下のアメリカ大衆を熱狂させた。親日家で有名。 |
1899年5月10日 | 1987年6月22日 | 88 | 男性歌手 | ポップ | us |
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デューク・エリントン
ジャズ・ビッグ・バンド界に君臨し一大スウィング・ブームを巻き起こした。作曲数3000以上。 |
1899年4月29日 | 1974年5月24日 | 75 | 作曲家 | ジャズ | us |
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フランシス・プーランク
フランスの作曲家、ピアニスト。ピアノ組曲『3つの無窮動』(1919)、バレエ『牝鹿』(1923)、チェンバロ協奏曲『田園のコンセール』(1928)、『オルガン協奏曲』(1938)、オペラ『カルメル会修道女の対話』(1957)、ソプラノ・合唱・管弦楽のための『グローリア』が知られている。 |
1899年1月7日 | 1963年1月30日 | 64 | 作曲家 | クラシック | fr |
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ベイビー・ドッズ
ビッグ・バンド登場以前の最重要ジャズドラマーで、クラリネット奏者ジョニー・ドッズの弟。若かりしルイ・アームストロンらとレコーディング。 |
1898年12月24日 | 1959年2月14日 | 60 | ドラム | ジャズ | us |
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ジョージ・ガーシュウィン
名曲「Summertime」「Swanee」「Rhapsody in Blue」を書いたアメリカを代表する偉大な作曲家のひとり。 |
1898年9月26日 | 1937年7月11日 | 38 | 作曲家 | ポップ | us |
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フレッド・ローズ
音楽出版を設立し、ハンク・ウィリアムズを成功に導いた。61年、カントリー・ミュージック殿堂博物館が設立された際、ハンク・ウィリアムズ、ジミー・ロジャーズと殿堂入り。 |
1898年8月24日 | 1954年12月1日 | 56 | 実業家 | カントリー | us |
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アンディ・カーク
30年代にジャズバンドを率いカンザスシティで人気を博した。42年「Take It And Git」が Harlem Hit Parade(ビルボードR&Bチャートの前身)で最初に1位になった。 |
1898年5月28日 | 1992年12月11日 | 94 | サックス | ジャズ | us |
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ブラインド・ウィリー・マクテル
60年のフォーク・ミュージック・リバイバルで発見された盲目の黒人シンガーで。ボブ・ディランやオールマン・ブラザーズがカバーした。マクテルの音楽はアメリカ東海岸のブルースをベースとし、ラグタイムやゴスペルなどの黒人大衆音楽から白人の民俗音楽・流行歌・ヒット曲までに及んだ。同時代のカントリー音楽歌手ジミー・ロジャーズを想起させる歌声で、卓越した技量で12弦ギターを演奏した。 |
1898年5月5日 | 1959年8月19日 | 61 | 男性歌手 | ブルース | us |
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レオ・ワトソン
アメリカのジャズ・ ボーカリー歌手/ドラマー/トロンボーン奏者。人気ギタリストのテディ・バンが参加したバンド「スピリッツ・オブ・リズム」を率いた。その後、ジーン・クルーパ、アーティ・ショウなどのバンドで活躍。 |
1898年2月27日 | 1950年5月2日 | 52 | 男性歌手 | ジャズ | us |
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リル・ハーディン・アームストロング
アメリカのジャズピアニス/作曲家/編曲家/歌手/バンドリーダー。ルイ・アームストロングの2番目の妻でクラシックの知識があり、ルイに音楽とファッションを教授。「Struttin' with Some Barbecue」「Don't Jive Me」「Two Deuces」「Knee Drops」「Doin' the Suzie-Q」「Just for a Thrill」「Bad Boy」などのヒット曲を書きレイ・チャールズ、リンゴ・スターらがカバー。結婚は10年ほどで破綻したが関係は維持し、ルイを見送った後、彼を後を追うように他界した。 |
1898年2月3日 | 1971年8月27日 | 73 | 女性歌手 | ジャズ | us |
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アル・ボウリー
モザンビーク出身の人気シンガー。渡英しレイ・ノーブルと共演。晩年は喉の不調に苦しめられたが1,000曲以上を録音。地雷が爆発し他界。 |
1898年1月7日 | 1941年4月17日 | 男性歌手 | ポップ | mz |
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フレッチャー・ヘンダーソン
ルイ・アームストロングやコールマン・ホーキンスらを輩出したスウィング・ジャズ界の重要人物。 |
1897年12月18日 | 1952年12月29日 | 55 | ピアノ | ジャズ | us |
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ロヴィー・オースティン
20年代のクラシック・ブルース時代の女性バンドリーダー/歌手/作曲家/編曲家。リル・ハーディン・アームストロングと並び当時の最高の女性ジャズ・ブルース・ピアノ奏者。 |
1887年9月19日 | 1972年7月8日 | 84 | 女性歌手 | ジャズ | us |
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ジミー・ロジャーズ
「カントリー音楽の父」と呼ばれ、リズミカルなヨーデルで広く知られているカントリー音楽初期のスーパースター。 |
1897年9月8日 | 1933年5月26日 | 35 | 男性歌手 | カントリー | us |
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ジョニー・マーヴィン
20–30年代に人気を博したアメリカの歌手/ウクレレ奏者。 |
1897年7月11日 | 1944年12月10日 | 47 | 男性歌手 | カントリー | us |
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メンフィス・ミニー
史上最も人気を博した女性ブルース・シンガー。約200曲をレコーディングしレッド・ツェッペリン、ジェファーソン・エアプレインらがカバーした。 |
1897年6月3日 | 1973年8月6日 | 76 | 女性歌手 | ブルース | us |
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シドニー・ベシェ
ルイ・アームストロングと並んでジャズ史上初の重要ソロイスト。52年「Petite Fleur(可愛い花)」を作曲し、ザ・ピーナッツやクリス・バーバーがカバーした。 |
1897年5月14日 | 1959年5月14日 | 62 | クラリネット | ジャズ | us |
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ヘンリー・カウエル
弟子にジョン・ケージ、ルー・ハリソン、ジョージ・ガーシュウィン、唯是震一 |
1898年3月11日 | 1965年12月10日 | 67 | 作曲家 | クラシック | us |
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アイラ・ガーシュウィン
弟ジョージと20世紀を代表する多数の楽曲を残した。 |
1896年12月6日 | 1983年8月17日 | 86 | 作詞家 | ポップ | us |
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ハーマン・ルビンスキー
ユダヤ人家庭に生まれロシアから米国へ移住し42年、サヴォイ・レコードを設立。43年ボニー・デイヴィス「Don't Stop Now」R&Bチャートで5週連続1位。チャーリー・パーカー、デクスター・ゴードン、エロル・ガーナー、マイルス・デイヴィスらを録音した。 |
1896年8月30日 | 1974年3月16日 | 77 | 実業家 | ジャズ | us |
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ハリー・リーサー
1920年代最高のバンジョー奏者のひとり。ライト兄弟のいとこ。生涯音楽活動を続け、オーケストラを率いテレビやブロードウェイに出演。 60年にビング・クロスビー、ペギー・リー、バスター・キートンとともに「A 70th Birthday Salute to Paul Whiteman」に出演した。 |
1896年1月17日 | 1965年9月27日 | 69 | バンジョー | ジャズ | us |
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ハリエット・コーエン
ロンドンでユダヤ人の家庭に生まれ、王立音楽アカデミーにてトバイアス・マッセイにピアノを師事。ヴォーン・ウィリアムズのピアノ協奏曲を世界初演し(演奏至難のため後に2台のピアノのための協奏曲に改作された)、エルガーのピアノ五重奏曲をストラットン弦楽四重奏団と共に作曲者自身の監修で録音するなど、特にイギリス近現代音楽の分野で業績を残した。 |
1895年12月2日 | 1967年11月13日 | 71 | クラシック | ピアノ | eg |
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ソニー・グリア
エリントン楽団のドラマーで当時3,000ドル以上の巨大なドラムセットを構築。アート・ケイン撮影「A Great Day in Harlem」で姿が確認できる。 |
1895年12月13日 | 1982年3月23日 | 86 | ドラム | ジャズ | us |
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ヴァルター・ギーゼキング
伝説のピアニスト |
1895年11月5日 | 1956年10月26日 | 60 | ピアノ | クラシック | fr |
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ルー・ポラック
20–30年代に活躍したアメリカの作曲家。14年、ディキシーランドの不朽のスタンダード「That's a Plenty」を書いた。70年、ソングライターの殿堂に選出。 |
1895年7月16日 | 1946年1月18日 | 50 | 作曲家 | ジャズ | us |
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オスカー・ハマースタイン2世
アメリカのミュージカル作詞家・脚本家。祖父はユダヤ系ドイツ人のオスカー・ハマースタイン1世、父親は劇場主。作曲家ジェローム・カーン、リチャード・ロジャース等と共に多くのミュージカルの脚本・歌詞を書いた。41年『レディ・ビー・グッド』、45年『ステート・フェア』でアカデミー歌曲賞受賞。『ショウボート』(27年)、『オクラホマ!』(43年)、『南太平洋』(49年)、『王様と私』(51年)、『フラワー・ドラム・ソング』(58年)、『サウンド・オブ・ミュージック』(58年)の「ドレミの歌」「エーデルワイス」「My Favorite Things」が有名。 |
1895年7月12日 | 1960年8月23日 | 作詞家 | ミュージカル | us |
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キルステン・フラグスタート
20世紀に活躍したワーグナー楽劇において最高のソプラノの一人。 |
1895年7月12日 | 1962年12月7日 | 67 | 女性歌手 | オペラ | no |
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ディミトリ・ティオムキン
52年『真昼の決闘』、54年『紅の翼』、59年『老人と海』でアカデミー音楽賞受賞。フランキー・レインが歌った西部劇の代表曲「Rawhide」が有名。 |
1895年5月10日 | 1979年11月11日 | 84 | 作曲家 | 映画音楽 | ua |
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ロレンツ・ハート
アメリカの作詞家。巨匠作曲家リチャード・ロジャースと組み「Blue Moon」「The Lady Is a Tramp」「My Funny Valentine」などの著名な楽曲の作詞家として知られる。 |
1895年5月2日 | 1943年11月22日 | 48 | 作詞家 | ミュージカル | us |
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ジミー・ヌーン
ジョニー・ドッズやシドニー・ベシェと並んで、アメリカの第二世代のジャズ・クラリネット奏者。キング・オリヴァーらの楽団を経て自身のバンドを結成。アール・ハインズが一時期在籍した。 |
1895年4月23日 | 1944年4月19日 | 48 | クラリネット | ジャズ | us |
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バディ・デシルバ
アメリカの作曲家/映画プロデューサー。1942年、人気作曲家ジョニー・マーサーやグレン・ウォリックスとキャピトル・レコードを共同設立。 |
1895年1月27日 | 1950年7月11日 | 55 | 実業家 | ジャズ | us |
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エリザベス・コットン
ブルースとフォークのシンガーソングライター/ギタリスト。10代で書いた「Freight Train」をナンシー・ウィスキーやクオリーメン(ビートルズの前身)らがカバー。音楽一家だったピート・シーガーの実家で働き、58年に63歳のデビュー・アルバムをリリースした。84年、グラミー受賞。 |
1895年1月5日 | 1987年6月29日 | 92 | 女性歌手 | フォーク | us |
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トリクシー・スミス
22年「My Man Rocks Me (With One Steady Roll)」で「ロックンロール」という語句を録音した最初の曲。ビリー・ホリディに似た歌声。 |
1895年 | 1943年9月21日 | 48 | 女性歌手 | ブルース | us |
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ベッシー・スミス
黒人歌手で大成功した「ブルースの女帝」。ビリー・ホリデイ、マヘリア・ジャクソン、ジャニス・ジョプリン、ノラ・ジョーンズへ影響を与えた。 |
1894年4月15日 | 1937年9月26日 | 43 | 女性歌手 | ブルース | us |
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クララ・スミス
フレッチャー・ヘンダーソン、ルイ・アームストロングらと共演した人気歌手。若いジョセフィン・ベイカーをスタイリストとして雇い彼女を業界へ導いた。 |
1894年3月13日 | 1935年2月2日 | 40 | 女性歌手 | ブルース | us |
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ジミー・デュランテ
アメリカの大人気コメディアン。高い歌唱力と演技力でフレッド・アステア、ビング・クロスビー、フランク・シナトラらと共演。 |
1893年2月10日 | 1980年1月29日 | 86 | 男性歌手 | ジャズ | us |
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アーヴィング・ミルズ
アメリカのユダヤ系音楽出版者/ミュージシャン/作詞家/ジャズ・ プロモーター。「キャラバン」などの作詞で著名。「Mills Music」を設立し64年のロイヤルティは130万ドル(2022年1255万8813ドル相当)。同社は世界に20の音楽出版子会社を保有。 |
1894年1月16日 | 1985年4月21日 | 91 | 実業家 | ジャズ | us |
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ブラインド・レモン・ジェファーソン
戦前ブルースを代表する一人。ライトニン・ホプキンス、Tボーン・ウォーカーらに影響を与えた。 |
1893年9月24日 | 1929年12月19日 | 68 | 男性歌手 | ブルース | us |
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メイ・ウエスト
セックスシンボルとして物議を醸し、全米最大の興行収入を誇った大女優。幼少期からヴォードヴィルで活躍しミュージカルの伴奏にデューク・エリントンを起用した。 |
1893年8月17日 | 1980年11月22日 | 87 | 女性歌手 | ジャズ | us |
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ビッグ・ビル・ブルーンジー
50年代にヨーロッパをツアーしイギリスの聴衆を演奏技術で驚嘆させた。デレク&ザ・ドミノスが「Key To The Highway」をカバー。 |
1893年6月26日 | 1958年8月14日 | 65 | 男性歌手 | ブルース | us |
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ロレンツォ・ティオ
父ともにジャズクラリネット奏者でソロの発展に影響を与え、クラシックの音楽理論をラグタイム、ブルース、ジャズのミュージシャンたちにもたらした。 |
1893年 | 1933年 | 40 | クラリネット | ジャズ | us |
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ジョニー・ノーブル
ハワイ生まれの作曲家/編曲家/バンドリーダー。ホノルルでハパ・ハオレ(ハパ=混血/ハオレ=白人)音楽の発展に貢献し、米国にハワイアン音楽を紹介した。17年、ノーブルはホノルルの多数のホテルで音楽監督をしていたアーネスト・カアイに雇われた。翌年、ソニー・クーニャ(1900年に伝統的なハワイアン音楽とアメリカのラグタイムを混ぜ合わせてハパハオレサウンドを開発)のバンドに参加。ふたりでハパハオレ音楽を発展させたが、保守派からは「ハワイ音楽を劣化させて商業化した」と不評だったが、ホノルルでは非常に人気があったという。ノーブルは「マイ・リトル・グラス・シャック」「キング・カメハメハ」「フラ・ブルース」など数多くのハパハオレを作曲し、また伝統的な「ハワイアン・ウォー・チャント」の歌を広めた。 |
1892年9月17日 | 1944年1月13日 | 51 | 作曲家 | ハワイアン | us |
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ダリウス・ミヨー
フランス人の作曲家/ピアニスト/指揮者。フランス6人組の一人。第二次世界大戦期以降はアメリカでも活動。 |
1892年9月4日 | 1974年6月22日 | 81 | 作曲家 | クラシック | fr |
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ジェルメーヌ・タイユフェール
コクトーに「耳のマリー・ローランサン」と呼ばれた女性作曲家。 |
1892年4月19日 | 1983年11月7日 | 91 | 作曲家 | ポップ | fr |
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ミシシッピ・ジョン・ハート
ミシシッピのブルースシンガー/ギタリスト。穏やかでオールドタイムな楽曲を残した。 |
1892年7月2日 | 1966年11月2日 | 74 | 男性歌手 | ブルース | eg |
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ジョニー・ドッズ
キング・オリヴァー、ルイ・アームストロングらのバンドとの録音で知られるジャズクラリネット/アルトサックス奏者。ベニー・グッドマンに大きな影響を与えた。 |
1892年4月12日 | 1940年8月8日 | 48 | クラリネット | ジャズ | us |
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オウニー・マドゥン
禁酒法時代「コットンクラブ」を経営したアイルランド系のギャングスター。人気ジャズメンや歌手を引き抜き、デューク・エリントンと契約。ヤミ酒を提供したコットンクラブは1920年代ニューヨークの「夜遊びのメッカ」となり莫大な資産を築いた。 |
1891年12月18日 | 1965年4月24日 | 73 | ギャング | ジャズ | us |
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カール・スターリング
ウォルト・ディズニー作品の音楽で有名なアメリカの作曲家/声優/アニメ映画音楽の編曲家。スターリングは無声映画のオルガン伴奏をしていた頃、若きウォルト・ディズニーと出会い、ミッキーマウスの短編映画『プレーン・クレイジー』や『ギャロピン・ガウチョ』の音楽を担当。スターリングはミュージカルのように「音楽に合わせたアニメーション」を提案。ディズニーは「世界初のカラーアニメ」「マルチプレーンカメラの導入」といった斬新な手法を導入し、『シリー・シンフォニー』シリーズでアニメにおいて世界初のアカデミー賞を7作品で受賞した。 |
1891年11月10日 | 1972年11月29日 | 81 | 作曲家 | 映画音楽 | us |
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ファニー・ブライス
アメリカのコメディアン、歌手、女優。21年、演劇で歌った『マイ・マン』が大ヒット。69年に越路吹雪(「私のおとこ」)、82年に浅川マキがカバーした 99年にグラミー殿堂賞を受賞した。 |
1891年10月29日 | 1951年5月29日 | 59 | 女性歌手 | ポップ | us |
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コール・ポーター
20世紀を代表する最もアメリカ的な作曲家。大ヒット曲多数。 |
1891年6月9日 | 1964年10月15日 | 73 | 作曲家 | ポップ | us |
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セルゲイ・プロコフィエフ
20世紀の大作曲家の一人。 |
1891年4月23日 | 1953年3月5日 | 61 | 作曲家 | クラシック | ru |
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チャーリー・パットン
B.B.キングの憧れで戦前のデルタ・ブルースで最も人気があった。 |
1891年4月? | 1934年4月28日 | 43 | 男性歌手 | ブルース | us |
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カルロス・ガルデル
アルゼンチンの不世出タンゴ歌手。 |
1890年12月11日? | 1935年6月24日 | 44 | 男性歌手 | タンゴ | ar |
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ジェリー・ロール・モートン
映画『海の上のピアニスト』にモートンをモデルにした人物が登場するジャズ草創期の作曲家。 |
1890年10月20日 | 1941年7月10日 | 50 | 作曲家 | ジャズ | us |
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ポール・ホワイトマン
アメリカのバンドリーダー。デューク・エリントンは自伝で「ホワイトマンはキング・オブ・ジャズとして知られており、これほど確実かつ威厳を持ってその称号を背負った人はまだいない」と記した。ジョージ・ガーシュインのデビュー作「ラプソディ・イン・ブルー」のように、交響楽とジャズの融合などさまざまなスタイルの音楽を探求した。 |
1890年3月28日 | 1967年12月29日 | 77 | 男性歌手 | ジャズ | us |
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マイラ・ヘス
モーツァルトやベートーヴェン、シューマンの演奏家として有名だが現代音楽に至るまでレパートリーは幅広い。ジャズ・ピアニストのマリアン・マクパートランドは教え子。大英帝国勲章を与えられた。 |
1890年2月25日 | 1965年11月25日 | ピアノ | クラシック | us |
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ダミア
「シャンソンの悲劇女優」。36年「Sombre Dimanche」(暗い日曜日)が放送禁止に。53年の来日公演で日本でも人気を博した。レズビアンであり建築家アイリーン・グレイの恋人。 |
1889年12月5日 | 1978年1月31日 | 88 | 女性歌手 | シャンソン | fr |
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アーヴィング・バーリン
ビング・クロスビーが歌い2億枚以上を売り上げた「ホワイト・クリスマス」(1940年頃)を作詞・作曲。ジョージ・ガーシュウィンをして「アメリカのシューベルト」と言わしめた。 |
1888年5月11日 | 1989年9月22日 | 101 | 作詞家 | ジャズ | ru |
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レッドベリー
ゴスペル、フォーク、ブルースなと幅広い題材をカバー。ウディ・ガスリー、ピート・シーガー、ボブ・ディランらに影響を与えた。 |
1888年1月23日 | 1949年12月6日 | 61 | 男性歌手 | ブルース | us |
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ロヴィー・オースティン
20年代のクラシック・ブルース時代の女性バンドリーダー/歌手/作曲家/編曲家。リル・ハーディン・アームストロングと並び当時の最高の女性ジャズ・ブルース・ピアノ奏者。 |
1887年9月19日 | 1972年7月8日 | 84 | 女性歌手 | ジャズ | us |
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キッド・オリー
自身の楽団からキング・オリヴァー、ルイ・アームストロング、ジョニー・ドッズ、ジミー・ヌーンらニューオーリンズの偉大なジャズ・ミュージシャンを輩出。 |
1886年12月25日 | 1973年1月23日 | 86 | トロンボーン | ジャズ | us |
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チャールズ・シーガー
ハーバード大学卒業後ドイツで学び帰国。いくつかの大学で教鞭を執り不協和対位法を考案。ピート・シーガー、ペギ・シーガー、マイク・シーガーの父。弟で詩人のアランはケネディ大統領のお気に入り。ヘンリー・カウエル は生徒。 |
1886年12月14日 | 1979年2月7日 | 92 | 作曲家 | 音楽学 | us |
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アル・ジョルソン
ブロードウェイとハリウッドで成功したエンタテイナーの開祖。”Swanee”を歌い若きガーシュインの名前を轟かせた。系譜:ジョルスン→ビング→シナトラ |
1886年5月26日 | 1950年10月23日 | 64 | 男性歌手 | ポップ | us |
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ブラインド・ブレイク
「ラグタイムギターの王様」で謎が多いミュージシャン。 |
1896年 | 1934年12月1日 | 37 | 男性歌手 | ブルース | us |
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キング・オリヴァー
数多くのスタンダードナンバーを作曲し、ルイ・アームストロングを輩出。 |
1885年12月19日 | 1938年4月10日 | 52 | 作曲家 | ジャズ | us |
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ルイス・ネルソン・ドリール
ジョニー・ドッズ、ジミー・ヌーンなどニューオーリンズ・ジャズのクラリネット奏者に影響を与えた。 |
1885年1月28日 | 1885年1月28日 | 65 | クラリネット | ジャズ | us |
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ジェローム・カーン
アメリカの作曲家。ミュージカルの劇中曲を手がけ、40年以上のキャリアで700以上を作曲。コール・ポーターとならび日本人にもなじみが深く、「煙が目にしみる」「Yesterdays」「All The Things You Are」などがある。41年「The Last Time I Saw Paris」でアカデミー歌曲賞を受賞。オットー・ハーバック、オスカー・ハマースタイン2世との共作も多く残した。 |
1885年1月27日 | 1945年11月11日 | 60 | 作曲家 | ミュージカル | us |
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エドガー・ヴァレーズ
多数の打楽器と電子楽器の使用した斬新な音響空間は後の現代作曲家達に大きな影響を与えた。弟子にアンドレ・ジョリヴェ、周文中、ウィリアム・グラント・スティルら。 |
1883年12月22日 | 1965年11月6日 | 81 | 作曲家 | クラシック | fr |
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アントン・ヴェーベルン
シェーンベルクに師事。20世紀前半の作曲家として最も前衛的な作風を展開した。 |
1883年12月3日 | 1945年9月15日 | 61 | 作曲家 | クラシック | at |
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ガス・キャノン
ジャグ バンドの普及に貢献。63年、ルーフトップ・シンガーズがカバーした「Walk Right In」が全米1位。 |
1883年9月12日 | 1979年10月15日 | 96 | 男性歌手 | ブルース | us |
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イーゴリ・ストラヴィンスキー
『火の鳥』『ペトルーシュカ』『春の祭典』で知られる20世紀を代表する作曲家の一人。 |
1882年6月17日 | 1971年4月6日 | 88 | 作曲家 | クラシック | ru |
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レオポルド・ストコフスキー
20世紀における個性的な指揮者の一人で「音の魔術師」 |
1882年4月18日 | 1977年9月13日 | 95 | 指揮者 | クラシック | eg |
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ジェイムズ・ジョイス | 1882年2月2日 | 1941年1月13日 | 58 | 詩人 | ie |
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アーネスト・カアイ
ハワイのホノルル出身で「ハワイ最高のウクレレ奏者」といわれる。音楽教師、タレントオーガナイザー、ブッキングエージェント、作曲家、音楽出版者、教則本著者と多才。 |
1881年1月1日 | 1962年9月26日 | 80 | ウクレレ | ハワイアン | us |
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ソニー・クーニャ
ハワイ王国ホノルル出身の作曲家/バンドリーダー。1900年、伝統的なハワイアン音楽とアメリカのラグタイムを混ぜ合わせ、ハワイアン音楽の一種ハパハオレ(ハパ=混血/ハオレ=白人)音楽を開発した。1905年「My Honolulu Tomboy」が大ヒット。 |
1879年10月1日 | 1933年1月23日 | 53 | 作曲家 | ハワイアン | us |
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ウォレス・ハートリー
タイタニックの処女航海でバンドマスターを務め、バンドメンバーと一緒にタイタニック号沈没事故と運命を共にした。なお、日本人唯一のタイタニック号の乗客として知られる細野正文は細野晴臣の祖父。細野晴臣はジェームズ・キャメロン監督から潜水艦でのタイタニック号調査に誘われたが丁重に断った。 |
1878年6月2日 | 1912年4月15日 | 33 | ヴァイオリン | ラグタイム | us |
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ヨゼフ・ホフマン
完璧なテクニックと音楽性で一世を風靡したポーランド出身のユダヤ系アメリカ人ピアニスト/作曲家。わずか10歳にして、ヨーロッパ各地とスカンジナヴィア諸国を歴訪して長期間の演奏旅行を行い、神童の名をほしいままにする。12歳のときにエジソンの研究所を訪問し、収録時間2分のシリンダーを数本録音している。 |
1876年1月20日 | 1957年2月16日 | 81 | ピアノ | クラシック | pl |
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ピエール・モントゥー
1911年からディアギレフのロシア・バレエ団で指揮を担当。ストラヴィンスキー『春の祭典』『ペトルーシュカ』、ラヴェル『ダフニスとクロエ』、ドビュッシー『遊戯』など20世紀の名作バレエ音楽の初演を多く振った。 |
1875年4月4日 | 1964年7月1日 | 89 | 指揮者 | クラシック | fr |
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モーリス・ラヴェル
『スペイン狂詩曲』やバレエ音楽『ダフニスとクロエ』『ボレロ』の作曲、『展覧会の絵』のオーケストレーションで知られる。 |
1875年3月7日 | 1937年12月28日 | 62 | 作曲家 | クラシック | fr |
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アルノルト・シェーンベルク
調性音楽を脱し無調に入り「十二音技法」を創始した。 |
1874年9月13日 | 1951年7月13日 | 76 | 作曲家 | クラシック | at |
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オットー・ハーバック
アメリカの作詞家/台本作家。約50の音楽喜劇やオペレッタを書き、「煙が目にしみる」「インディアン・ラブ・コール」「Cuddle up a Little Closer, Lovey Mine」などを作詞。ジェローム・カーン、ルイス・ハーシュ、ハーバート・ストーサート、ヴィンセント・ユーマンズ、ジョージ・ガーシュウィン、シグムント・ロンバーグなど、20世紀初頭のブロードウェイを代表する作曲家とコラボレートした。 |
1873年8月18日 | 1963年1月24日 | 89 | 作詞家 | us |
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ルイス・フォン・デア・メーデン
オーケストラのチェロ奏者を経てヘラルド・スクエア・シアターの音楽監督に就任後、レコード会社で働いた。1913年、パナマ運河開通を記念した「Through The Panama Canal」を作曲。死後、遺族によって大学に多額の寄付がされVDMリサイタルホールが建設された。 |
1873年7月20日 | 1954年8月27日 | 81 | 作曲家 | クラシック | us |
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セルゲイ・ラフマニノフ
ピフランツ・リストと並び称され、ピアノ演奏史上有数の名手。作曲家・指揮者として大きな成功を収めた。モスクワ音楽院ピアノ科を飛び抜けた優れた成績を残しスクリャービンと首席で卒業。 |
1873年4月1日 | 1943年3月28日 | 69 | ピアノ | クラシック | ru |
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エンリコ・カルーソー
オペラ史上における高名なイタリアのテノール歌手の一人。約500曲の歌曲もレパートリーはイタリアの古典歌曲、民謡、ポピュラーソングまで及んだ。後輩へ煙草の害を訴えたが本人はヘビースモーカーだったよう。 |
1873年2月25日 | 1921年8月2日 | 48 | 男性歌手 | オペラ | it |
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セルゲイ・ディアギレフ
バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)の創設者。名だたる作曲家にバレエ音楽の傑作を依嘱した音楽史上、極めて重要な人物。 |
1872年3月31日 | 1929年8月19日 | 57 | プロデュース | クラシック | ru |
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アレクサンドル・スクリャービン
ドビュッシー、シェーンベルクとともに20世紀現代音楽の先駆者の一人。 |
1872年1月6日 | 1915年4月27日 | 43 | 作曲家 | クラシック | ru |
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シャルル・トゥルヌミール
フランスの作曲家。オルガン奏者として卓越した即興演奏でも有名。パリ音楽院でセザール・フランクに、スコラ・カントルムでヴァンサン・ダンディに学んだ後にパリ音楽院室内学科で教鞭を執りつつ、聖サント・クロティルド教会のオルガニストに就任。弟子ではオリヴィエ・メシアン等が知られる。 |
1870年11月3日 | 1939年11月3日 | 69 | 作曲家 | クラシック | us |
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シャルル・ケクラン | 1867年11月27日 | 1950年12月31日 | 83 | 作曲家 | クラシック | fr |
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スコット・ジョプリン
「ラグタイム王」と呼ばれた作曲家。あまりにも有名な「The Entertainer」がアメリカレコード協会「世紀の歌」で10位。 |
1867年11月24日 | 1917年4月1日 | 48 | 作曲家 | ラグタイム | us |
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ジョン・ローマックス
先駆的な音楽学者でアメリカの民族音楽の保存に貢献。子のアラン、ジョン、ベスもフォーク・ミュージックのコレクターとして著名。 |
1867年9月23日 | 1948年1月26日 | 80 | 学者 | クラシック | us |
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アルトゥーロ・トスカニーニ
スカラ座やメトロポリタン等の音楽監督を歴任し20世紀前半を代表する指揮者の一人。 |
1867年3月25日 | 1957年1月16日 | 89 | 作曲家 | クラシック | it |
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エリック・サティ
フランスの作曲家。「音楽界の異端児」「音楽界の変わり者」の異名で知られドビュッシーやラヴェルに影響を与えた。 |
1866年5月17日 | 1925年7月1日 | 59 | クラシック | 作曲家 | fr |
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フェイ・テンプルトン
アメリカの女優/歌手/ソングライター。両親はボードビリアンで、彼女は1900年にブロードウェイでデビュー。33年のミュージカル『ロバータ』で「イエスタデイズ」 (作曲:ジェローム・カーン/作詞:オットー・ハーバック)を最初に歌い、すぐにジャズスタンダードとなった。 |
1865年12月25日 | 1939年10月3日 | 73 | 女性歌手 | ミュージカル | us |
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ジャン・シベリウス
フィンランドの最も偉大な作曲家。 |
1865年12月8日 | 1957年9月20日 | 91 | 作曲家 | クラシック | fi |
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クロード・ドビュッシー
19世紀後半から20世紀初頭にかけて最も影響力を持った作曲家の一人。 |
1862年8月22日 | 1918年3月25日 | 55 | 作曲家 | クラシック | fr |
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ラビンドラナート・タゴール
インド国歌の作詞・作曲、バングラデシュ国歌の作詞者でタゴール国際大学の設立者。 |
1861年5月7日 | 1941年8月7日 | 80 | 詩人 | 国歌 | in |
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グスタフ・マーラー
ウィーンで活躍した作曲家、指揮者。交響曲と歌曲の大家。 |
1860年7月7日 | 1911年5月18日 | 50 | 作曲家 | クラシック | at |
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ジャコモ・プッチーニ
オペラの名曲『トスカ』『蝶々夫人』『ラ・ボエーム』『トゥーランドット』を作曲。 |
1858年12月22日 | 1924年11月29日 | 65 | 作曲家 | オペラ | it |
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エドワード・D・イーストン
コロムビア・レコードを設立。同社はエジソン・レコード、ビクター・トーキング・マシン・カンパニーと並んで当時3大レコード会社の1つであったノース・アメリカン・フォノグラフの子会社から発展。 |
1856年4月10日 | 1915年4月30日 | 59 | 起業家 | |||
エミール・ベルリナー
ドイツ出身のユダヤ系アメリカ人発明家。グラハム・ベルに雇われベルとエジソンの電話機特許争いに勝利をもたらした。85年に盤蓄音機「グラフォフォン」、87年にレコードプレイヤーの原型となった蓄音機「グラモフォン」をつくり、その製造・販売のために95年「ベルリーナ・グラモフォン」設立。同社はビクター・トーキングマシンを経てRCAレコード、英国支店はEMIとなり世界的音楽企業の源流をつくった。 |
1851年5月20日 | 1929年8月3日 | 78 | 男性歌手 | ジャズ | de |
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アントニン・ドヴォルザーク
『スラヴ舞曲集』でチェコの人気作曲家に。渡米し音楽教育に貢献。ネイティブ・アメリカンの音楽や黒人霊歌を自身の作品に反映させた。 |
1841年9月8日 | 1904年5月1日 | 62 | 作曲家 | クラシック | at |
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エマニュエル・シャブリエ
狂詩曲『スペイン』の作曲者としてよく知られる |
1841年1月18日 | 1894年9月13日 | 53 | 作曲家 | クラシック | us |
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ピョートル・チャイコフスキー
三大バレエ音楽「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」で有名なロシア最大の作曲家。 |
1840年5月7日 | 1893年11月6日 | 53 | 作曲家 | クラシック | ru |
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ジョルジュ・ビゼー
あまり成功に恵まれなかったものの『カルメン』がオペラ史上、最大の人気と上演回数を獲得した。 |
1838年10月25日 | 1875年6月3日 | 36 | 作曲家 | クラシック | fr |
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ヨハネス・ブラームス
バッハ、ベートーヴェンと共にドイツ音楽における三大Bと称されるドイツの作曲家/ピアニスト/指揮者。 |
1833年5月7日 | 1897年4月3日 | 63 | 作曲家 | クラシック | de |
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カール・ゴルトマルク
オペラ『サバの女王』が有名。ルービン・ゴールドマークは甥。 |
1830年5月18日 | 1915年1月2日 | 84 | 作曲家 | クラシック | hr |
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マリア・セヴェーラ
ポルトガルの民族音楽ファドの歌手。その悲劇的な生涯が小説や劇に取り上げられ、伝説的な歌手となった。 |
1820年7月26日 | 1846年11月30日 | 26 | 女性歌手 | ファド | pt |
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シャルル・グノー
ゲーテ『ファウスト』のオペラ、バチカン国歌『賛歌と教皇の行進曲』の作曲、声楽曲『アヴェ・マリア』を完成させた。 |
1818年6月17日 | 1893年10月18日 | 75 | 作曲家 | クラシック | fr |
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リヒャルト・ワーグナー
楽劇の創始者でロマン派オペラの頂点。文筆家としても知られ、音楽界だけでなく19世紀後半のヨーロッパに広く影響を及ぼした。 |
1813年5月22日 | 1883年2月13日 | 69 | 作曲家 | クラシック | de |