名前 | 誕生日 | 命日 | 年齢 | パート | ジャンル | 出身 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
ジョニー・マーサー
30–50年代に活躍し1500曲以上を歌詞。キャピトル・レコードを共同設立した重鎮。フレッド・アステア、ビング・クロスビーらに楽曲提供しヒットを量産。ヘンリー・マンシーニと組み『ティファニーで朝食を』などの映画音楽を手掛けた。アカデミー賞受賞4回。作曲家ハロルド・アーレンと組み数々の名曲を残した。 |
1909年11月18日 | 1976年6月25日 | 66 | 作詞 | ジャズ | us |
|
アート・テイタム
天才ピアニストのホロヴィッツが仰天した盲目の超絶技巧ジャズピアニスト。様々なジャンルのピアニストに影響を与えた。 |
1909年10月13日 | 1956年11月5日 | 47 | ピアノ | ジャズ | us |
|
レスター・ヤング
アメリカのテナーサックス/クラリネット奏者。チャーリー・パーカーなどの偉大なミュージシャンたちから目標とされた。 |
1909年8月27日 | 1959年3月15日 | 49 | サックス | ジャズ | us |
|
トム・パーカー
エルヴィス・プレスリーのマネージャーとして有名。RCAビクターと契約し「Heartbreak Hotel」でプレスリーを成功に導いた。 |
1909年6月26日 | 1997年1月21日 | 87 | マネージ | nl |
||
ベニー・グッドマン
カーネギー・ホールで最初のジャズ・コンサートをした「スウィングの王様」。ジーン・クルーパのドラムで始まる「Sing Sing Sing」が有名。 |
1909年5月30日 | 1986年6月13日 | 77 | クラリネット | ジャズ | us |
|
メイベル・カーター
アメリカのカントリー・ギタリスト。「カーター・スクラッチ」奏法でギターを単純なリズム打ちから、メロディ、リズム、ベースを同時に演奏できる楽器へと変貌させた。RS誌「偉大なギタリスト」17位(2023年) |
1909年5月10日 | 1978年10月23日 | 69 | ギター | カントリー | us |
|
ベン・ウェブスター
コールマン・ホーキンス、レスター・ヤングとともにスウィング期の3大テナーサックス奏者の一人。 |
1909年3月27日 | 1973年9月20日 | 64 | サックス | ジャズ | us |
|
カルメン・ミランダ
40–50年代に人気を博したポルトガル生まれのブラジル人サンバ歌手/ダンサー/映画スター。 |
1909年2月9日 | 1955年8月5日 | 46 | 女性歌手 | サンバ | pt |
|
ジーン・クルーパ
スウィング期に活動したドラム史に残る偉大なジャズドラマー。リンゴ・スター、ジョン・ボーナム、カーマイン・アピスらの憧れ。来日時に秋吉敏子の演奏を聴き「アメリカでも大成する」と絶賛し、後に彼女はクルーパと同じクレフと契約した。バディ・リッチは友情厚いライバル。 |
1909年1月15日 | 1973年10月16日 | 64 | ドラム | ジャズ | us |
|
ジャボ・スミス
トランペットの名手として知られるアメリカのジャズ・ミュージシャン。16歳のときにプロを目指し孤児院を出て、1928年にファッツ・ウォーラーらとブロードウェイのバンドメンバーとなった。その後、低迷し公の場から姿を消したものの60年代にカムバックした。 |
1908年12月24日 | 1991年1月16日 | 82 | トランペット | ジャズ | us |
|
バニー・ベリガン
30–40年代にスタジオミュージシャンとしてグレン・ミラーやビリー・ホリデイらの録音に参加。75年、37年に録音した「I Can't Get Started 」がグラミー賞の殿堂入り。 |
1908年11月2日 | 1942年6月2日 | 33 | トランペット | ジャズ | us |
|
リー・ワイリー
30–50年代に活躍したエレガントな歌声の女性ジャズシンガー。 |
1908年10月9日 | 1975年12月11日 | 67 | 女性歌手 | ジャズ | us |
|
ジョニー・バーク
20–50年代に人気を博した作詞家。44年「Swinging on a Star」でアカデミー賞最優秀歌曲賞受賞。 |
1908年10月3日 | 1964年2月25日 | 55 | 作詞 | ポップ | us |
|
レイモンド・スコット
アメリカの作曲家、バンドリーダー、ピアニスト、プロデューサー、電子楽器の発明者、エレクトロニカの先駆者。カール・スターリングが「バッグス・バニー」「ポーキー・ピッグ」「ダフィー・ダック」などにスコットの音楽取り入れたため、彼の音楽は万人に親しまることとなった。69年、スコットの研究所を訪れたモータウンのベリー・ゴーディは、自動作曲装置「エレクトロニウム」に感銘を受けたゴーディは、スコットを77年までモータウンの電子音楽/研究部門のディレクターとして雇用した(音源未発表)。 |
1908年9月10日 | 1994年2月8日 | 電子音楽 | 作曲家 | us |
||
クロード・ソーンヒル
スタンダードナンバー「Snowfall」やビリー・ホリデイが歌った「I Wish I Had You」などを作曲。 |
1908年8月10日 | 1965年7月1日 | 56 | 作曲 | ジャズ | us |
|
ルイ・ジョーダン
「Johnny B. Goode」(1958) に影響を与えた「Ain't That Just Like A Woman」(1946) がヒット。18曲がR&Bチャート1位。 |
1908年7月8日 | 1975年2月4日 | 66 | 男性歌手 | R&B | us |
|
シャーリー・グリフィス
インディアナポリスのブルースシンガー/ギタリスト。スクラッパー・ブラックウェルと共演。 |
1908年4月26日 | 1974年6月18日 | 67 | 男性歌手 | ブルース | us |
|
アルフレッド・ライオン
名門ジャズ・レーベル「ブルーノート」創設者。ドイツ生まれ。 |
1908年4月21日 | 1987年2月2日 | 78 | 実業家 | ジャズ | de |
|
ライオネル・ハンプトン
ジャズ・ヴィブラフォンの第一人者。ベニー・グッドマン楽団を経て独立。クインシー・ジョーンズ、ダイナ・ワシントン、デクスター・ゴードン、ジョニー・グリフィン、チャールス・ミンガス、ファッツ・ナヴァロ、ウェス・モンゴメリー、ベティ・カーターなど輩出した。 |
1908年4月20日 | 2002年8月31日 | 94 | ヴィブラフォン | ジャズ | us |
|
パーシー・フェイス
イージーリスニングで著名な作曲家・指揮者。「デリカード」「ムーラン・ルージュの歌」「夏の日の恋」全米1位。60年グラミー受賞。 |
1908年4月7日 | 1976年2月9日 | 67 | 作曲家 | イージーリスニング | ca |
|
ヘルベルト・フォン・カラヤン
オーストリア=ハンガリー帝国ザルツブルク生まれの指揮者。55–89年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の終身指揮者・芸術監督を務め、同時にウィーン国立歌劇場の総監督やザルツブルク音楽祭の芸術監督など、クラシック音楽界の主要ポストを独占し多大な影響力を持った。20世紀のクラシック音楽界において最も著名な人物のひとり。 |
1908年4月5日 | 1989年7月16日 | 81 | 指揮者 | クラシック | at |
|
ステファン・グラッペリ
フランスのジャズ・ヴァイオリニストの第一人者。ジャンゴ・ラインハルトと「フランス・ホット・クラブ五重奏団」を結成し、第二次世界大戦前から晩年まで精力的な演奏活動を続けた。 |
1908年1月26日 | 1997年12月1日 | 89 | ヴァイオリン | ジャズ | fr |
|
キャブ・キャロウェイ
「コットン・クラブ」でのライブが全米で放送され大人気を博した。映画や舞台にも出演。 |
1907年12月25日 | 1994年11月18日 | 86 | 男性歌手 | ジャズ | us |
|
フレッド・エリザルド
7歳でマドリード王立音楽院に入学し14歳でピアノ部門首席。スタンフォード大学とケンブリッジ大学在学中にバンドを結成。英国ジャズの発展に影響を与えた。狙撃の名手。 |
1907年12月12日 | 1979年1月16日 | 71 | 作曲 | ジャズ | ph |
|
タイニー・ブラッドショー
50 年「Well Oh Well」がヒットし翌年、ロックンロールの発展に極めて重要な「The Train Kept A-Rollin'」リリース。レッド・ツェッペリンが最初にリハーサルした曲で、ジェフ・ベックやエアロスミスがカバー。 |
1907年9月23日 | 1958年11月26日 | 51 | ピアノ | R&B | us |
|
ベニー・カーター
30–90年代にジャズ界に君臨。マイルス・デイヴィスはカーター楽団で初レコーディング。ルイ・アームストロング、ビリー・ホリデイ、レイ・チャールズらの編曲を担当。 |
1907年8月8日 | 2003年7月12日 | 95 | 男性歌手 | ジャズ | us |
|
ジョニー・ホッジス
エリントン楽団でのソロ演奏で知られコルトレーンが憧れた名サックス奏者。 |
1907年7月25日 | 1970年5月11日 | 62 | サックス | ジャズ | us |
|
ロージャ・ミクローシュ
映画『ベン・ハー』などの作曲で名声を博しアカデミー作曲賞ノミネート17回3度受賞。 |
1907年4月18日 | 1995年7月23日 | 88 | 作曲 | 映画音楽 | hr |
|
フランシス・ウルフ
アルフレッド・ライオンのブルーノートに参画。ライオンが兵役中はのコモドアで働きブルーノートを維持した。 |
1907年4月6日 | 1971年3月8日 | 53 | 実業家 | ジャズ | de |
|
アルバート・アモンズ
30–40年に人気を博したブギウギのピアニスト。46年「Swanee River Boogie」売上100万枚。49年、トルーマン大統領の就任式で演奏。息子はジーン・アモンズ。 |
1907年3月1日 | 1949年12月2日 | 42 | ピアノ | ブギウギ | us |
|
ブッカ・ホワイト
ボブ・ディランが「Fixin' to Die Blues」、ローリング・ストーンズが「Shake 'Em On Down」をカバー。 |
1906年11月12日 | 1977年2月26日 | 70 | 男性歌手 | ブルース | us |
|
ドミートリイ・ショスタコーヴィチ
シベリウス、プロコフィエフと共に、マーラー以降の最大の交響曲作曲家。 |
1906年9月25日 | 1975年8月9日 | 68 | 作曲 | クラシック | ru |
|
サニーランド・スリム
マディ・ウォーターズ、ハウリン・ウルフらと共演したブルース・ピアニスト。 |
1906年9月5日 | 1995年3月17日 | 88 | 男性歌手 | ブルース | us |
|
ヴィック・ディッケンソン
アメリカのジャズ・トロンボーン奏者。20年代にキャリアをスタートし、カウント・ベイシー(40–41)、シドニー・ベシェ(41)、アール・ハインズらの楽団で演奏した。 |
1906年8月6日 | 1984年11月16日 | 78 | トロンボーン | ジャズ | us |
|
ジョセフィン・ベーカー
「黒いヴィーナス」と呼ばれフランスで大人気。ボードレールやヘミングウェイが夢中になった。グレース・ケリーの生涯の友。 |
1906年6月3日 | 1975年4月12日 | 68 | 女性歌手 | ジャズ | us |
|
ウォルター・レッグ
レッグが創立したフィルハーモニア管弦楽団をカラヤンへ提供しレコード録音で大成功。マリア・カラスらをプロデュース。 |
1906年6月1日 | 1979年3月22日 | 72 | プロデュース | クラシック | eg |
|
バーニー・ビガード
アメリカのジャズ・クラリネット奏者。デューク・エリントン楽団でのソロイストとして定評がある。 |
1906年3月3日 | 1980年6月27日 | 74 | クラリネット | ジャズ | us |
|
ルーズヴェルト・サイクス
「44 Blues」「Driving Wheel」「Night Time Is the Right Time」など影響力がある楽曲を書いた。 |
1906年1月31日 | 1983年7月17日 | 77 | 男性歌手 | ブルース | us |
|
ハンク・ウェイランド
アメリカのスウィングジャズの ベーシスト。ベニー・グッドマン(34年)、レッド・ノーボ(34年)、アーティ・ショウ(36年)、バニー・ベリガン(37–39年)、ラリー・クリントンの楽団で活躍した。大物プロデューサーのジョン・ハモンドのお気に入り。 |
1906年1月21日 | 1983年3月27日 | ベース | ジャズ | us |
||
トミー・ドーシー
アメリカのジャズ・トロンボーン/トランペット奏者/バンドリーダー。34年にオーケストラを結成し、グレン・ミラー、フランク・シナトラ、ジーン・クルーパらが在籍した。ビルボードチャートで17曲が1位。 |
1905年11月19日 | 1956年11月26日 | 51 | 男性歌手 | ジャズ | us |
|
エディ・コンドン
アメリカのジャズ・バンジョー奏者/ギタリスト/バンドリーダー。シカゴのジャズを牽引し、ピアノ奏者・歌手としても活躍した。ルー・ポラック作曲「That's a Plenty」(1914)の演奏が有名。 |
1905年11月16日 | 1973年8月4日 | 67 | ギター | ジャズ | us |
|
マントヴァーニ
イギリスの編曲者/指揮者。40年に英デッカと契約し40年間に767曲を録音。「シャルメーヌ」全米10位、「グリーンスリーヴス」全米25位、「ムーランルージュのテーマ」全米8位、「80日間世界一周」全米12位などの大ヒット曲を飛ばしたイージーリスニングの第一人者。 |
1905年11月15日 | 1980年3月29日 | 74 | 作曲 | ジャズ | eg |
|
ジョゼフ・コズマ
モーリス・ジョベールやジョルジュ・オーリックと並ぶフランス映画音楽の大家。『夜の門』の主題歌でイヴ・モンタンが歌ったシャンソンの名曲「枯葉」(仏:Les Feuilles mortes /英:Autumn Leaves)が有名(英語詞はキャピトル・レコードの創立者ジョニー・マーサー)。 |
1905年10月22日 | 1969年8月7日 | 63 | 作曲 | 映画 | hu |
|
ミード・ルクス・ルイス
「Honky Tonk Train Blues」の作曲で知られるブルース・ピアニスト。ルイ・アームストロングとビリー・ホリデイ主演『ニューオーリンズ』などの映画にも出演。 |
1905年9月4日 | 1964年6月7日 | 58 | ピアノ | ブルース | us |
|
アーサー・クルーダップ
アメリカのデルタ・ブルース歌手/ソングライター/ギタリスト。作曲した「That's All Right」「My Baby Left Me」をエルヴィス・プレスリーらがカバー。晩年ははボニー・レイットと共演。 |
1905年8月24日 | 1974年3月28日 | 68 | 男性歌手 | ブルース | us |
|
レッド・ニコルス
アメリカのジャズ・コルネット奏者/作曲家/バンドリーダー。父は大学の音楽教授で、ニコルズは12歳までに父の楽団で難曲を演奏し神童と呼ばれた。バンドを結成しジミー・ドーシー、ベニー・グッドマン、グレン・ミラーらと共演。 |
1905年5月8日 | 1965年6月28日 | 60 | コルネット | ジャズ | us |
|
ハロルド・アーレン
アメリカの作曲家。ミュージカル映画『オズの魔法使』(1938年)でジュディ・ガーランドが歌った「Over The Rainbow」(虹の彼方に)でアカデミー歌曲賞受賞。作詞家ジョニー・マーサーと組んで「Blues In The Night」「Out of This World」「That Old Black Magic」「Ac-Cent-Tchu-Ate the Positive」「Any Place I Hang My Hat Is Home」「Come Rain or Come Shine」「One For My Baby (And One More For The Road」などの名曲を書いた。 |
1905年2月15日 | 1986年4月23日 | 81 | 作曲 | ポップス | us |
|
コールマン・ホーキンス
アメリカのジャズ・サックス奏者。フレッチャー・ヘンダーソン楽団の看板奏者でセロニアス・モンクやマックス・ローチら若手を育てた。 |
1904年11月21日 | 1969年5月19日 | 64 | サックス | ジャズ | us |
|
レイ・シナトラ
イタリア生まれのアメリカの指揮者/プロデューサー。マリオ・ランツァの音楽監督として知られている。35年、ボストンのラジオバンドのリーダーになり、 ラッキー・ストライクの「ユア・ヒット・パレード」の指揮者を務めた。「またいとこ」だと判明したフランク・シナトラの初期のキャリアに尽力した。「フランキー・トレント」に名前を変更したいと考えていたフランクにレイは「冗談ですか?シナトラは世界で最も美しい名前で、とても音楽的です」と言って彼を思いとどまらせた。 長年にわたりトロピカーナ・ラスベガスのバンドリーダーを務めた。息子は俳優のリチャード・シナトラ(1935-1979)。 |
1904年11月1日 | 1980年11月8日 | 76 | 指揮者 | it |
||
ジャズ・ギラム
アメリカのブルース・ハーモニカ奏者。ブルースの名曲「Key to The Highway」「Look on Yonder Wall」で名を残した。口論で頭を撃たれ死去。 |
1904年9月11日 | 1966年3月29日 | 61 | ハーモニカ | ブルース | us |
|
カウント・ベイシー
アメリカのジャズピアノ奏者/バンドリーダー。グレン・ミラー、ベニー・グッドマン、デューク・エリントンらと共にビッグバンドで有名。 |
1904年8月21日 | 1984年4月26日 | 79 | ピアノ | ジャズ | us |
|
アイキー・ロビンソン
アメリカのバンジョー奏者/歌手。1920年後半にジェリー・ロール・モートン、クラレンス・ウィリアムズ、ジャボ・スミスらと録音した。 |
1904年7月28日 | 1990年10月25日 | 86 | バンジョー | ジャズ | us |
|
リビー・ホルマン
アメリカの歌手・女優。ユダヤ系の裕福な家族に生まれたが複雑かつ型破りな私生活により悪名を轟かせた。「The House of The Rising Sun」は必聴。 |
1904年5月23日 | 1971年6月18日 | 67 | 女性歌手 | ジャズ | us |
|
ファッツ・ウォーラー
アメリカのジャズピアニスト/オルガン奏者/歌手/作曲家/作詞家。29年、ルイ・アームストロング出演ミュージカルで音楽担当。 |
1904年5月21日 | 1943年12月15日 | 39 | ピアノ | ジャズ | us |
|
シド・ネイサン
43年、キング・レコードを設立。ユダヤ人だが黒人音楽に特化した R&B やブルース、ゴスベルなどリリース。ジェームス・ブラウン、フレディ・キング、アルバート・キングらを輩出し大きな足跡を残した。 |
1904年4月27日 | 1968年3月5日 | 63 | 実業家 | R&B | us |
|
ピッグミート・マーカム
アメリカのコメディアン/歌手/ダンサー/俳優。68 年、元祖ヒップホップ「Here Comes the Judge」(ドラム:モーリス・ホワイト)が有名。 |
1904年4月18日 | 1981年12月13日 | 77 | 男性歌手 | ジャズ | us |
|
ハル・ケンプ
アメリカのジャズ アルトサックス奏者/クラリネット奏者/バンドリーダー/作曲家/編曲家。渡英しレコーディング。ウェールズ皇太子と演奏し米国で話題となった。帰国後、バンドを結成し30年代に人気を博したが交通事故で他界した。 |
1904年3月27日 | 1940年12月21日 | 36 | サックス | ジャズ | us |
|
ピート・ジョンソン
アメリカのジャズ・ピアニストでブギウギの名手。ビッグ・ジョー・ターナーと組んだ38年「Roll 'Em Pete」は「最初のロックンロール」のひとつ。 |
1904年3月25日 | 1967年3月23日 | 62 | ピアノ | ジャズ | us |
|
グレン・ミラー
アメリカのジャズ・トロンボーン奏者/作曲家/編曲家/バンドリーダー。カウント・ベイシー、ベニー・グッドマン、デューク・エリントンらと共にビッグバンドで有名。代表曲「イン・ザ・ムード」「ムーンライト・セレナーデ」 |
1904年3月1日 | 1944年12月15日? | 40 | トロンボーン | ジャズ | us |
|
ジミー・ドーシー
アメリカのジャズ・ クラリネット奏者/サックス奏者/作曲家/バンドリーダー。ジャズとポップのスタンダード「I'm Glad There Is You (In This World of Ordinary People)」「It's The Dreamer In Me」を作曲。ビング・クロスビー、ルイ・アームストロング、フランシス・ラングフォードとの「ペニーズ・フロム・ヘヴン」などレコーディング。「Georgia on My Mind」(1930)オリジナル録音でクラリネットを演奏した。トミー・ドーシーは弟。 |
1904年2月29日 | 1957年6月12日 | 53 | リーダー | ジャズ | us |
|
フレッド・マクダウェル
アメリカのブルースシンガー/ソングライター/ギタリスト。ボニー・レイットにスライド・ギターを指導しローリング・ストーンズが「You Gotta Move」をカバー。 |
1904年1月12日 | 1972年7月3日 | 68 | 男性歌手 | ブルース | us |
|
タンパ・レッド
アメリカのブルース・ミュージシャン。スライド・ギターのスタイルとソングライティングはエルモア・ジェームスなど、シカゴ・ブルースのミュージシャンたちに影響を与えた。 |
1904年1月8日 | 1981年3月19日 | 男性歌手 | ブルース | us |
||
アール・ハインズ
アメリカのジャズ・ピアニスト/バンドリーダー。ビッグバンドを結成し、ディジー・ガレスピーや歌手のビリー・エクスタインが在籍。ジャズ・ピアノの発展に多大な貢献した。 |
1903年12月28日 | 1983年4月22日 | 79 | ピアノ | ジャズ | us |
|
レイ・ノーブル
イギリスのジャズバンドリーダー/作曲家/編曲家/司会者/俳優。英国で人気ダンスバンドを率い渡米し、フレッド・アステア主演映画『踊る騎士』にバンドと出演した。 |
1903年12月17日 | 1978年4月3日 | 74 | リーダー | ジャズ | eg |
|
ヴァーノン・デューク
「I Can't Get Started」「Taking a Chance on Love」「April in Paris」などを書いた人気作曲家。欧米を行き来しディアギレフから「Zéphire et Flore」の作曲を依頼された。 |
1903年10月10日 | 1969年1月16日 | 65 | 作曲 | 舞台音楽 | ru |
|
ウラディミール・ホロヴィッツ
史上最も偉大なピアニストの一人。 |
1903年10月1日 | 1989年11月5日 | 86 | ピアノ | クラシック | ru |
|
ジョー・ヴェヌーティ
「ジャズ・ヴァイオリニストの父」。ギタリストの エディ・ラングと共にジャズにおける弦楽器奏者の先駆者。 |
1903年9月16日 | 1978年8月14日 | 74 | ヴァイオリン | ジャズ | us |
|
ロイ・エイカフ
「カントリーの王様」。音楽出版社を設立しハンク・ウィリアムズ、ロイ・オービソン、エヴァリー・ブラザーズらと契約し、パティ・ペイジ「テネシーワルツ」が大ヒット。RS誌「偉大な100組のアーティスト」66位(2017年)。 |
1903年9月15日 | 1992年11月23日 | 89 | 男性歌手 | ジャズ | us |
|
ビング・クロスビー
「White Christmas」が有名な「クリスマスソングの王様」。レコード売上4億枚。俳優業でも成功し長年ハリウッドのトップに君臨。 |
1903年5月3日 | 1977年10月14日 | 74 | 男性歌手 | ジャズ | us |
|
ビックス・バイダーベック
1920年代、ルイ・アームストロングと並んで最も影響力のあった巨星。村上春樹『ポートレイト・イン・ジャズ』の表紙になった。 |
1903年3月10日 | 1931年8月6日 | 28 | コルネット | ジャズ | us |
|
スクラッパー・ブラックウェル
アメリカのブルースシンガー/ギタリスト。 20年代後半にリロイ・カーとギター・ピアノ・デュオを結成。ボブ・ディラン「私たちのすべての音楽には、スクラッパー・ブラックウェルに遡ることができる強い一線がある。彼は本当に偉大なミュージシャンで、これまでに与えられた以上の価値がある人だ」 |
1903年2月21日 | 1962年10月7日 | 59 | 男性歌手 | ブルース | us |
|
エディ・ラング
ビング・クロスビーのお気に入りの伴奏者で「ジャズギターの父」として知られる。ジョージ・ハリスンのお気に入り。 |
1902年10月25日 | 1933年3月26日 | 30 | ギター | ジャズ | us |
|
オマー・シメオン
アメリカのジャズ・クラリネット奏者。27年、キング・オリバーの楽団に参加し、以後、コールマン・ホーキンスらの楽団で演奏した。 |
1902年7月21日 | 1959年9月17日 | 57 | クラリネット | ジャズ | us |
|
リチャード・ロジャース
20世紀のアメリカを代表する作曲家の一人。作詞家ロレンツ・ハートや作詞家オスカー・ハマースタイン2世と組み、ブロードウェイ・ミュージカル43作品、900曲以上を作曲。ポピュラー音楽の発展に貢献した。代表曲に「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」「10番街の殺人」「魅惑の宵」「ザ・サウンド・オブ・ミュージック」「ドレミの歌」など多くの楽曲がある。ロジャースは舞台のトニー賞、映画のアカデミー賞、音楽のグラミー賞、テレビのエミー賞すべてを受賞した最初の人物であり、さらにピュリツァー賞を受賞。5賞すべて受賞したのは、ロジャースとマーヴィン・ハムリッシュの2人しかいない。 |
1902年6月28日 | 1979年12月30日 | 77 | 作曲家 | ミュージカル | us |
|
スキップ・ジェイムス
ブルース愛好家によって再発見された知る人ぞ知る存在。クリームが「I'm So Glad」をカバーし印税10,000ドルを提供した。 |
1902年6月9日 | 1969年10月3日 | 67 | 男性歌手 | ブルース | us |
|
メレディス・ウィルソン
アメリカの作曲家。41年にチャーリー・チャップリン監督『独裁者』、42年にウィリアム・ワイラー監督 『偽りの花園』でアカデミー作曲賞にノミネートされた。 |
1902年5月18日 | 1984年6月15日 | 作曲家 | us |
|||
サン・ハウス
感情的な歌唱とスライドギターで有名。ロバート・ジョンソンやマディ・ウォーターズに影響を与えた。 |
1902年3月21日 | 1988年10月19日 | 86 | 男性歌手 | ブルース | us |
|
ドン・ロウ
英国生まれのアメリカのプロデューサー。ロウはロバート・ジョンソンの唯一のレコーディングをプロデュース(1936年11月23日–25日/1937年6月19日・20日/全29曲)し、コロンビア・レコードのカントリー・ミュージック部門の責任者となった。ここで手掛けたジョニー・ホートン「ニューオーリンズの戦い」、マーティ・ロビンス「エル・パソ」、ジミー・ディーン「ビッグ・バッド・ジョン」が全米ポップ・ミュージックのトップを占め、カントリーをより幅広い聴衆に届けた。また、ジョニー・キャッシュのレコーディングのほとんどをプロデュースした。 |
1902年2月24日 | 1982年12月20日 | 80 | プロデューサー | eg |
||
ソル・ホオピイ
ハワイアン・スティール・ギターの巨匠。ハパ・ハオレ音楽の大家ジョニー・ノーブルのバンドでデビュー。1924年頃にアメリカへ渡りバンドを結成し、デッカなどで録音した。 |
1902年 | 1953年11月16日 | 51 | ギター | ハワイアン | us |
|
マレーネ・ディートリヒ
女優・歌手で成功。70年、バート・バカラックと大阪万博 で公演。 |
1901年12月27日 | 1992年5月6日 | 90 | 女性歌手 | シャンソン | de |
|
ロイ・フォックス
20年バンドを結成しツアーをしながら数多くの映画音楽を制作。29年に渡英。人気を博したダンスバンドはデッカで録音し同レーベルのディレクターに就任した。 |
1901年10月25日 | 1982年3月20日 | 80 | リーダー | ジャズ | us |
|
エド・サリヴァン
TV番組『エド・サリヴァン・ショー』(48–71年)の司会者。視聴率は56年プレスリー出演時82.6%、65年ビートルズ出演時72%を記録。 |
1901年9月28日 | 1974年10月13日 | 73 | 司会 | us |
||
ルイ・アームストロング
64年「ハロー・ドーリー!」がビートルズ14週連続全米1位を歯止め1位に。67年「この素晴らしき世界」が世界的大ヒット。 |
1901年8月4日 | 1971年7月6日 | 69 | 男性歌手 | ジャズ | us |
|
ルディ・ヴァリー
ニューヨークのラジオ番組から「クルーナー」として人気を博した。37年、自身のラジオ番組の司会の代役にルイ・アームストロングを指名。初めて黒人が全国ラジオ番組の司会を務めることとなった。 |
1901年7月28日 | 1986年7月3日 | 84 | 男性歌手 | ジャズ | us |
|
ルース・クロフォード=シーガー
夫となるチャールズ・シーガーに作曲を師事し、女性作曲家で初めてグッゲンハイム奨学金を給付されベルリンに留学。米国議会図書館に奉職しアメリカ民謡を編纂した。子供のマイケル、ペギーもミュージシャンになった。 |
1901年7月3日 | 1953年11月18日 | 52 | 作曲 | クラシック | us |
|
フレデリック・ロウ
作詞家アラン・ジェイ・ラーナーと組み『ブリガドーン』『ペイント・ユア・ワゴン』『マイ・フェア・レディ』『キャメロット』などブロードウェイ・ミュージカルを作曲。すべて映画化された。13歳でベルリン・フィルハーモニーと共演した最年少のソリスト。 |
1901年6月10日 | 1988年2月14日 | 86 | 作曲 | ミュージカル | de |
|
フランキー・トランバウアー
20–30年代のアメリカで活躍したチェロキー族の血を引くジャズ・サックス奏者。27年、ビックス・バイダーベッケとエディ・ラングとともに「Singin' The Blues」の画期的な録音を残し、77年にグラミー賞の殿堂入りを果たした。 |
1901年5月30日 | 1956年6月11日 | 55 | サックス | ジャズ | us |
|
エドモンド・ホール
アメリカのスウィングジャズ・クラリネット奏者。チャーリー・クリスチャン、ミード・ルクス・ルイス、テディ・ウィルソン、ヴィック・ディッケンソンらと共演。 |
1901年5月15日 | 1967年2月11日 | 65 | クラリネット | ジャズ | us |
|
アルフレッド・ニューマン
アメリカの映画音楽の巨匠作曲家。20代でブロードウェイで音楽監督になり、30年に拠点をハリウッドへ。チャップリンから『街の灯』(1931)の作曲を依頼され、20世紀フォックスのファンファーレ、『大空港』(1970)など200本以上に映画音楽を手掛けた。アカデミー賞ノミネート45回、受賞9回。40年には4作の映画でノミネートされた。 |
1901年3月17日 | 1970年2月17日 | 68 | 作曲 | 映画音楽 | us |
|
ココモ・アーノルド
アメリカのシカゴブルースのシンガー/ギタリスト。強烈な演奏スタイルと早口のボーカルで一線を画した。34年「Milk Cow Blues」を作曲しエルヴィス・プレスリー、キンクス、エアロスミスらがカバー。生没に諸説あり。 |
1901年2月15日 | 1968年11月8日 | 72 | 男性歌手 | ブルース | us |
|
ビーエイチハギンB.H.ハギン
米国の音楽評論家。1930年代、ジョン・ハモンドを『ブルックリン・デイリー・イーグル』の評論家に迎え、レコード・プロデューサーとしての道を開いた。 |
1900年12月29日 | 1987年5月28日 | 86 | 評論 | クラシック | us |
|
アーロン・コープランド
20世紀アメリカを代表する作曲家の一人。古謡を取り入れ親しみやすい「アメリカ音楽」を作り上げた。指揮や著述、音楽評論にも実績を残した。 |
1900年11月14日 | 1990年12月2日 | 90 | 作曲 | クラシック | us |
|
ジーン・オースティン
アメリカのシンガー・ソングライター。27年「My Blue Heaven」売上500万枚以上は当時の最高記録。「When My Sugar Walks Down the Street」「The Lonesome Road」がスタンダードに。24年以来8,600万枚以上のレコードを販売。 |
1900年6月24日 | 1972年1月24日 | 71 | 作曲 | ポップス | us |
|
クルト・ヴァイル
ドイツの作曲家で「September Songs」「Speak Low」が有名。レナード・コーエン、ドアーズ、トム・ウェイツ、デビッド・ボウイらへ影響を与えた。 |
1900年3月2日 | 1950年4月3日 | 50 | 作曲 | クラシック | de |
|
ロイ・スメック
「弦楽の魔術師」と呼ばれたアメリカのバンジョー、ギター、ウクレレ奏者で、楽器を歯や背中で弾いたり、バイオリンの弓を使って演奏した。短編映画で一躍有名になり、フランクリン・ルーズベルト大統領就任舞踏会やジョージ6世の戴冠式観閲式で演奏し、世界でツアーを行った。 |
1900年2月6日 | 1994年4月5日 | 94 | ギター | ジャズ | us |
|
ザビア・クガート
スペイン出身のバンドリーダー。アメリカでサビア・クガート楽団を率い世界中で大人気を博した。 |
1900年1月1日 | 1990年10月27日 | 90 | 作曲 | ラテン | es |
|
リル・ジョンソン
アメリカの黒人女性歌手。20–30年代にブルースやホーカムの卑猥な歌を録音したが、37年の録音を最後に一切の記録がない。 |
1900年 | ? | ? | 女性歌手 | ブルース | us |