名前 | 誕生日 | 命日 | 年齢 | パート | ジャンル | 出身 | |
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バーナード・パーディ
キング・カーティスのドラマーを経てアレサ・フランクリンのバンマスに。ジェームス・ブラウン「Ain't That A Groove」「It's A Man's, Man's, Man's World」でプレイ。 |
1939年6月11日 | 1939年6月11日 | ドラム | ソウル | us |
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マーティー・ワイルド
「ブリティッシュ・ロック御三家」(クリフ・リチャード、ビリー・フューリー)の一人。作曲多数。キム・ワイルドは娘。 |
1939年4月15日 | 1939年4月15日 | 男性歌手 | ポップ | eg |
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プーチョ
Pucho & His Latin Soul Brothers を率い人気を博した。 |
1938年11月1日 | 2022年9月21日 | 83 | パーカッション | ラテン | us |
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ロニー・ロス
デヴィッド・ボウイが少年時代にサックスを習ったジャズ・ミュージシャン。ビートルズ「Savoy Truffle」、ルー・リード「Walk On The Wild Side」の演奏が有名。58年、ニューポート ジャズ フェスティバルに出演。翌年、モダン・ジャズ・カルテットとともにヨーロッパをツアーした。 |
1933年10月2日 | 1991年12月12日 | サックス | ジャズ | us |
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ミッキー・モスト
アニマルズ、ハーマンズ・ハーミッツ、ジェフ・ベック・グループ、ドノヴァン、スージー・クアトロらをプロデュース。64年、アニマルズ「朝日のあたる家」全米3週連続1位、世界中で大ヒットしグラミー受賞。67年、ルル「To Sir With Love」全米5週連続1位。ピーター・グラントとプロダクションを設立。後にグラントはレッド・ツェッペリン有名マネージャーとなった。モストは莫大な財産を築き「英国富豪トップ500」にリストされた。 |
1938年6月20日 | 2003年5月30日 | 64 | プロデュース | ロック | eg |
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ハービー・フラワーズ
ルー・リード「Walk On The Wild Side」(72年)の歴史的なイントロで有名なセッション・ベーシスト。ジョージ・ハリスン、エルトン・ジョン、アル・クーパー、 Tレックス、オリビア・ニュートン・ジョンなど600枚を超えるヒット・レコードとその10倍の失敗作に参加。 |
1938年5月19日 | 1938年5月19日 | ベース | ロック | us |
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ジェフ・ゴダード
ジョン・レイトン「Johnny Remember Me」全英1位 |
1937年11月19日 | 2000年5月15日 | 62 | 作曲家 | ポップ | us |
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クリス・ブラックウェル
ジャマイカでアイランド・レコード設立。ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズを発掘し、キング・クリムゾン、エマーソン・レイク・アンド・パーマー、U2らと契約。 |
1937年6月22日 | 1937年6月22日 | 実業家 | eg |
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エディ・パルミエリ
ニューヨーク出身のラテンジャズ/サルサ・ピアニスト。75年『The Sun Of Latin Music』、2000年『Masterpiece 』、06年『Listen Here!』でグラミー受賞。97年に参加した『Nuyorican Soul』も人気を博した。 |
1936年12月15日 | 1936年12月15日 | ピアノ | ラテン | us |
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ジョン・レイトン
61年「Johnny Remember Me」全英1位。大滝詠一「さらばシベリア鉄道」のベース曲となった。 |
1936年2月17日 | 1936年2月17日 | 男性歌手 | ポップ | eg |
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ジェームス・ジェマーソン
60–70年代モータウン黄金期の天才ベーシストで、マーヴィン・ゲイ「What's Going On」などでプレイ。RS誌「史上最高のベーシスト」1位(2020年)。ジャコ・パストリアスなど様々なジャンルのベーシストに影響を与えた。 |
1936年1月29日 | 1983年8月2日 | 47 | ベース | ポップ | us |
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エスター・フィリップス | 1935年12月23日 | 1984年8月7日 | 48 | 女性歌手 | R&B | us |
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ボビー・ティモンズ
ジャズ・メッセンジャーズに在籍。名曲「Moanin' 」「Dat Dere」を作曲。 |
1935年12月19日 | 1974年3月1日 | 38 | ピアノ | ジャズ | us |
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ジュリー・アンドリュース | 1935年10月1日 | 1935年10月1日 | 女性歌手 | ポップ | eg |
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ジョニー・マティス | 1935年9月30日 | 1935年9月30日 | 男性歌手 | ポップ | us |
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レス・マッキャン
69年、スイスのモントルー・ジャズ・フェスティバルでのライブを収録したアルバム『Swiss Movement』が大ヒット(ビルボードのジャズアルバムチャート1位、R&Bチャート2位)し、グラミー2部門にノミネート。ロバータ・フラックを発掘し彼女の1stアルバム『First Take』(1969) などに参加。 |
1935年9月23日 | 2023年12月29日 | 88 | ピアノ | ジャズ | us |
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ローランド・カーク
盲目のジャズサックス奏者。多彩な楽器を演奏・蒐集し、クラシック、ラグタイム、ポップス、フリージャズなど古今のあらゆる音楽を取り入れた。アニマルズのエリック・バードン、ジェスロ・タルのイアン・アンダーソンなどロックミュージシャンにも影響を与えた。 |
1935年8月7日 | 1977年12月5日 | 42 | サックス | ジャズ | us |
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おざわ せいじ小澤 征爾
世界的指揮者。海外の一流オーケストラを指揮した初の日本人。 |
1935年9月1日 | 2024年2月6日 | 88 | 指揮者 | クラシック | ||
ペギー・シーガー
アメリカン・フォークの名門シーガー家に生まれたシンガーソングライター。父親は民俗学者・音楽学者のチャールズ・シーガーでピート・シーガーは異母兄弟。「フォークの女王」ジョーン・バエズに多大な影響を与えた。 |
1935年6月17日 | 1935年6月17日 | 女性歌手 | フォーク | us |
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グラント・グリーン
60年代のブルーノート・レコードを代表するジャズ・ギタリスト。ビバップからソウル・ジャズにど様々なスタイルを聴かせた。 |
1935年6月6日 | 1979年1月31日 | 43 | ギター | ジャズ | us |
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テディ・ランダッツォ
ボビー・ワインスタインと組み、64年「Goin' Out of My Head」全米6位、65年「It's Gonna Take a Miracle」全米41位(デニース・ウィリアムスのカバーは全米10位、R&Bチャート1位)、59年「Pretty Blue Eyes」、64年「Hurt So Bad」などがヒット。フランク・シナトラ、エラ・フィッツジェラルド、リンダ・ロンシュタットらがカバーした。女性グループのロイヤレッツをプロデュースした。 |
1935年5月13日 | 2003年11月21日 | 68 | 男性歌手 | ポップ | us |
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ゲイリー・ピーコック
54年から2年の兵役中にベースをマスターし、除隊後はLAでアート・ペッパー等との活動を経てNYでフリージャズに身を投じた。77年にキース・ジャレット、ジャック・ディジョネットと結成したトリオは、25年以上継続した。90年、菊地雅章、ポール・モチアンと「Tethered Moon」結成。アネット・ピーコックは元妻。 |
1935年5月12日 | 2020年9月4日 | 85 | ベース | ジャズ | us |
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ラリー・ウィリアムズ
55年、リトル・リチャードと出会いレイ・チャールズのプロデューサー、ロバート・ブラックウェルを通じてスペシャルティ・レコードと契約。「Dizzy, Miss Lizzy」「Slow Down」「Slow Down」をビートルズがカバーした。 |
1935年5月10日 | 1980年1月7日 | 44 | 男性歌手 | R&B | us |
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ポール・チェンバース
50年–60年代に数々の名盤で演奏した天才的ジャズ・ベーシスト。20歳でマイルス・デイヴィスのバンドに加入した後、ウィントン・ケリー、ジョン・コルトレーン、ソニー・ロリンズ、バド・パウエル、キャノンボール・アダレイといったジャズ・ジャイアンツと共演した。「Mr. P.C.」はコルトレーンがチェンバースへ捧げた曲。大量飲酒と麻薬の常習者で肺結核で夭逝。 |
1935年4月22日 | 1969年1月4日 | 33 | 男性歌手 | ポップ | us |
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ボビー・ヴィントン | 1935年4月16日 | 1935年4月16日 | 男性歌手 | ポップ | us |
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ピーター・グラント
レッド・ツェッペリンを世界的グループに育て上げた敏腕マネージャー。用心棒、プロレスラー、俳優を経て英国の大物プロモーター、ドン・アーデン (1926–2007)の元アメリカから渡英したジーン・ヴィンセント、チャック・ベリー、リトル・リチャード、エディ・コクランらのツアー・マネージャーに。ミッキー・モストと共にプロダクションを設立し、ヤードバーズ、ジェフ・ベック・グループ、レッド・ツェッペリンのマネージャー/プロデューサーを務めた。レッド・ツェッペリンと「スワンソング・レコード」を設立。 |
1935年4月5日 | 1995年11月21日 | 60 | 男性歌手 | ポップ | eg |
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スコット・ラファロ
ビル・エヴァンス・トリオの重要ベーシスト。59年『Portrait in Jazz』、61年『Explorations』、61年6月25日にヴィレッジ・ヴァンガードで収録した『Sunday At The Village Vanguard』『Waltz for Debby』で歴史的な名演を残した(ドラマーはすべてポール・モチアン)。「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」でスタン・ゲッツと共演した2日後、交通事故で夭折。エヴァンスのショックはあまりにもひどく、数カ月間演奏できなかったという。66年、エヴァンスは21歳のエディ・ゴメスを新しいベーシストに迎えた。 |
1936年4月3日 | 1961年7月6日 | 25 | 男性歌手 | ポップ | us |
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サム・レイ
60年にマディ・ウォーターズのドラマーとなり、以後、ハウリン・ウルフ、ボブ・ディラン、ポール・バターフィールドらと共演。 |
1935年3月20日 | 2022年1月29日 | 86 | ドラム | ブルース | us |
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ジュニア・ウェルズ
バディ・ガイとのデュオでも知られ「ファンク・ブルース」と呼ばれるサウンドの形成に寄与。 |
1934年12月9日 | 1998年1月15日 | 63 | 男性歌手 | ブルース | us |
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ビリー・ポール
フィラデルフィア(フィリー)・ソウルを代表する一人で、72年「Me and Mrs. Jones」全米3週1位、売上200万枚。 |
1934年12月1日 | 2016年4月24日 | 81 | 男性歌手 | ソウル | us |
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バール・フィリップス
エリック・ドルフィー、ジミー・ジュフリー、アーチー・シェップ、オーネット・コールマンらと共演した前衛的ジャズ・ベーシスト。 |
1934年10月27日 | 1934年10月27日 | ベース | ジャズ | us |
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ジェイムズ・"シュガー・ボーイ"・クロフォード
54年「Iko Iko」リリース。65年にディキシー・カップス、72年にドクター・ジョンらがカバーした有名曲。 |
1934年10月12日 | 2012年9月15日 | 77 | 男性歌手 | R&B | us |
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ブリジット・バルドー
フランスの女優/モデル/歌手。不倫関係だったセルジュ・ゲンスブールとのデュエット「Je T'Aime Moi Non Plus」が有名だが未公開だったため、先にジェーン・バーキンのデュエットがリリースされた。 |
1934年9月28日 | 1934年9月28日 | 女性歌手 | ポップ | fr |
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ディック・ヘクストール=スミス
アレクシス・コーナーのブルース・インコーポレイテッドやジョン・メイオールのブルースブレイカーズに参加。 |
1934年9月26日 | 2004年12月17日 | 70 | サックス | ブルースロック | eg |
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ブライアン・エプスタイン
ビートルズを世界的成功へ導いた伝説的なマネージャー。ビージーズも発掘。 |
1934年9月19日 | 1967年8月27日 | 32 | マネージャー | ロック | eg |
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スティーヴ・レイシー
アメリカのジャズ/フリージャズのソプラノサックス奏者。55年、セシル・テイラー・カルテットに参加。75年に来日し5枚のアルバムを録音した。 |
1934年7月23日 | 2004年6月4日 | 69 | サックス | ジャズ | us |
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ジャッキー・ウィルソン
サム・クック、ジェームス・ブラウンと並び、ソウルのパイオニアの一人でRS誌「偉大な100人のシンガー」26位(2013年)。53年、クライド・マクファターの後任として「ビリー・ウォード&ヒズ・ドミノズ」に加入。56年、エルヴィス・プレスリーはラスベガスで4夜連続彼らの演奏を聴き入り、ミリオン・ダラー・カルテットでウィルソンの歌唱を真似て「Don't Be Cruel」を収録した。ソロに転身し、58年にモータウン・レコードを設立したベリー・ゴーディのプロデュースで「Lonely Teardrops」R&Bチャート1位。 |
1934年6月9日 | 1984年1月21日 | 49 | 男性歌手 | ソウル | us |
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パット・ブーン
50–60年代にエルヴィス・プレスリーに次ぐ人気を博し、売上4,500 万枚以上38曲のTOP 40を記録。12本以上のハリウッド映画に出演。 |
1934年6月1日 | 1934年6月1日 | 男性歌手 | ポップス | us |
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ピーター・ネロ
17 歳でポール・ ホワイトマンのテレビ番組で「ラプソディ・イン・ブルー」を演奏しデビュー。61年アルバム『Piano Forte』でグラミー受賞。2003年、ロッド・スチュワート『As Time Goes By: The Great American Songbook, Volume II』参加。 |
1934年5月22日 | 2023年7月6日 | 89 | ピアノ | BGM | us |
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ジョルジュ・ムスタキ
エジプト出身、フランスのシンガーソングライター(両親ギリシャ系ユダヤ人)。恋人エディット・ピアフへ書いた「ミロール」がヒットしイヴ・モンタンたちから曲を依頼。親日家で広島県出身の西城秀樹が「ヒロシマ」をカバーした。 |
1934年5月3日 | 2013年5月23日 | 79 | 男性歌手 | シャンソン | us |
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ロバート・スティグウッド
クリーム、ビージーズのマネージャー。ブロードウェイで「Hair」「ジーザス・クライスト・スーパースター」などプロデュース。ジョン・トラボルタを映画スターにした。 |
1934年4月16日 | 2016年1月4日 | 81 | マネージャー | ロック | au |
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ヴィクター・フェルドマン
58年、スコット・ラファロとバンド結成。マイルスのバンドに参加し「Seven Steps to Heaven」を作曲。60年後半からはフランク・ザッパ、スティーリー・ダン、ジョニ・ミッチェル、トム・ウェイツの作品に参加。 |
1934年4月7日 | 1987年5月12日 | 53 | ヴィブラフォン | ジャズ | eg |
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スタンリー・タレンタイン
マックス・ローチのバンド経て、60年代にブルーノートでソウルジャズ、70年代はCTIでジャズ・フュージョンを録音。 |
1934年4月5日 | 2000年9月12日 | 66 | サックス | ジャズ | us |
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ジミー・ノーレン
ジェームス・ブラウン・バンドのリードギタリスト。RS誌「偉大なギタリスト」12位(2023年) |
1934年4月3日 | 1983年12月18日 | ギター | ファンク | us |
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シャーリー・スコット
ソウル・ジャズの女性オルガン奏者。2008年、ユニバーサル・スタジオの火災でマスター音源が喪失した。スタンリー・タレンタインは元夫。 |
1934年3月14日 | 2002年3月10日 | 67 | オルガン | ジャズ | us |
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ピエール・バルー
フランスでボサノヴァを広めたシンガーソングライター。66年、名作『男と女』に出演。フランシス・レイ作曲のテーマ曲をニコール・クロワジールと歌った。立川直樹プロデュースのもと『ル・ポレン』『シエラ』を録音。 |
1934年2月19日 | 2016年12月28日 | 82 | 男性歌手 | ボサノヴァ | fr |
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アール・キング
「Things That I Used to Do」R&Bチャート1位となったギター・スリムの替え玉となり、無事ツアーを切り抜けた。ジミ・ヘンドリックスが「Come On」をカバー。 |
1934年2月7日 | 2003年4月17日 | 69 | 男性歌手 | ブルース | us |
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ヒューイ・ピアノ・スミス
ギター・スリム、アール・キング、リトル・リチャードらと共演し50年代に人気を博したピアニスト。 |
1934年1月26日 | 2023年2月13日 | 89 | ピアノ | R&B | us |
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シダー・ウォルトン
ケニー・ドーハムのバンドを経て、60年ジョン・コルトレーン『Giant Steps』に参加。61年ジャズ・メッセンジャーズに加入。 |
1934年1月17日 | 2013年8月19日 | 79 | ピアノ | ジャズ | us |
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ルー・レイズナー
アメリカのプロデューサー、マーキュリー・レコードのヨーロッパ事業責任者。ロッド・スチュワートの最初のソロ・アルバム2枚、ザ・フーのロック・オペラ『Tommy』オーケストラ版、リック・ウェイクマン『Journey To The Center Of The Earth』をプロデュース。 デヴィッド ボウイの米国契約を手配した。 |
1934年 | 1977年6月26日 | 43 | プロデュース | ロック | us |
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ルー・ロウルズ
70年代から大ヒットを連発しアルバム61枚、セールス4,000万枚以上。サム・クックは高校時代の同級生。 |
1933年12月1日 | 2006年1月6日 | 72 | 男性歌手 | R&B | us |
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ジョン・バリー
映画『007』シリーズや『 死亡遊戯』などを手掛けた映画音楽の巨匠。スタン・ケントンに作曲を学びEMIでクリフ・リチャードらを手掛けた。ジェーン・バーキンは元妻。 |
1933年11月3日 | 2011年1月30日 | 77 | 作曲家 | 映画音楽 | eg |
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ゲイリー・マクファーランド
オーケストラを率いアントニオ・カルロス・ジョビンと共演。米国でのボサノヴァ普及に貢献した。『The In Sound』(1966)にバークリー留学中だった渡辺貞夫の参加。
68年、ノーマン・シュワルツ、ガボール・ザボ、カル・ジェイダーらと Skye Records 設立。ソフトロックの名盤ウェンディ&ボニー『ジェネシス』をプロデュースした。
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1933年10月23日 | 1971年11月2日 | 38 | ビブラフォン | ジャズ | us |
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シシー・ヒューストン
エルヴィス・プレスリー、ジミ・ヘンドリックスらのバックコーラスを経てソロでグラミー2回受賞。ホイットニー・ヒューストンの母。 |
1933年9月30日 | 1933年9月30日 | 女性歌手 | ソウル | us |
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ウェイン・ショーター
偉大なジャズ奏者。59年にジャズ・メッセンジャーズ、64年にマイルス・デイヴィス・クインテットに参加。70年、ウェザー・リポート結成。グラミー受賞11回。 |
1933年8月25日 | 2023年3月2日 | 89 | サックス | ジャズ | us |
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ランディ・スパークス
61年、フォーク合唱団「ニュー・クリスティ・ミンストレルズ」結成。2年、デビューアルバムがグラミーを受賞し、ビルボード200アルバムチャートに2年間留まった。 |
1933年7月29日 | 2024年2月11日 | 90 | 男性歌手 | フォーク | us |
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ジェームス・ブラウン
シャウトを用いソウルフルなヴォーカルと革新的なファンク・サウンドを確立した「Godfather of Soul」。RS誌「偉大な200人のシンガー」44位(2023年) |
1933年5月3日 | 2006年12月25日 | 73 | 男性歌手 | ファンク | us |
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ジェリー・リーバー
作曲家マイク・ストーラーと組み「スタンド・バイ・ミー」「ハウンド・ドッグ」「監獄ロック」を制作。彼らの元でフィル・スペクターが働いた。 |
1933年4月25日 | 2011年8月22日 | 78 | 作詞家 | ポップ | us |
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クインシー・ジョーンズ
音楽界の重鎮。マイケル・ジャクソンや「We Are The World」をプロデュースし売上世界一をギネス記録。 |
1933年3月14日 | 1933年3月14日 | プロデュース | ジャズ | us |
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マイク・ストーラー
作詞家ジェリー・リーバーと組み「スタンド・バイ・ミー」「ハウンド・ドッグ」「監獄ロック」を制作。 |
1933年3月13日 | 1933年3月13日 | 作曲家 | ポップス | us |
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ロイド・プライス
52年、デビューシングル「Lawdy Miss Clawdy」R&Bチャート7週1位。引退後はドン・キングとモハメド・アリの興行。 |
1933年3月9日 | 2021年5月6日 | 88 | 男性歌手 | R&B | us |
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アーニー・ケイドー
61年「Mother-In-Law」R&Bチャートと Billboard Hot 100 で1位。大滝詠一「楽しい夜更かし」の元ネタとなった。 |
1933年2月22日 | 2001年7月5日 | 68 | 男性歌手 | R&B | us |
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オノ・ヨーコ
ニューヨークで前衛芸術活動を開始し、66年に活動の場をロンドンへ。69年、ビートルズのジョン・レノンと結婚しプラスティック・オノ・バンドを結成。 |
1933年2月18日 | 1933年2月18日 | 女性歌手 | 実験音楽 | us |
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カーティス・フラー | 1932年12月15日 | 2021年5月8日 | 88 | ジャズ | us |
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ドナルド・バード | 1932年12月9日 | 2013年2月4日 | 80 | ジャズ | us |
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エセル・エニス
55年にデビューしキャリアは70年にわたる。73年、ニクソン大統領の再就任式で国歌斉唱した。 |
1932年11月28日 | 2019年2月17日 | 86 | 女性歌手 | ジャズ | us |
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クライド・マクファター
ビリー・ワード&ザ・ドミノス、ドリフターズの元シンガー。53年、ドリフターズを結成するためビリー・ワード&ザ・ドミノスを脱退。後任にジャッキー・ウィルソンが加入した。同年「Money Honey」売上200万枚、R&Bチャート23週1位。エルヴィス・プレスリーやリトル・リチャードによってカバーされRS誌「偉大な500曲」252位。 |
1932年11月15日 | 1972年6月13日 | 39 | 男性歌手 | R&B | us |
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ペトゥラ・クラーク
英国を代表するシンガーの一人。60年代に人気を博した。64年「Downtown」(恋のダウンタウン)が全米1位となり世界的ヒット。65年、「I Know a Place」「My Love」全米1位。同年、サンレモ音楽祭に出場し「Invece No」を歌い入賞。『フィニアンの虹』でハリウッド映画にも出演した。 |
1932年11月15日 | 1932年11月15日 | 女性歌手 | ジャズ | eg |
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パッツィー・クライン
カントリー・ミュージック殿堂入りとカーネギー・ホールで演奏を達成した初の女性カントリー歌手。61年、ウィリー・ネルソンが書いた「Crazy」で全米9位。RS誌「偉大なシンガー」13位(2023年) |
1932年9月8日 | 1963年3月5日 | 30 | 女性歌手 | カントリー | us |
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ウォルター・デイヴィス・ジュニア
チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーと共演したハードバップのジャズ・ピアニスト。Donald Byrd Quartet at Le Chat qui Pêche, 1958 に参加。 |
1932年9月2日 | 1990年6月2日 | 57 | ピアノ | ジャズ | us |
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トゥルーディ・ピッツ
ジュリアード音楽院など様々な教育機関で学んだ女性ジャズ・オルガン奏者。パト・マルティーニ、ローランド・カークらと共演。 |
1932年8月10日 | 2010年12月19日 | 78 | オルガン | ジャズ | us |
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フランシス・レイ
映画『男と女』などクロード・ルルーシュ監督とのコンビでよく知られているフランスの作曲家。 |
1932年4月26日 | 2018年11月7日 | 86 | 作曲家 | 映画音楽 | fr |
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スライド・ハンプトン
さまざまな楽団に参加した後、ハーバード大学などで教鞭を執った。98年、ディー・ディー・ブリッジウォーターの編曲でグラミー受賞。 |
1932年4月21日 | 2021年11月18日 | 89 | トロンボーン | ジャズ | us |
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クライヴ・デイヴィス
アメリカ音楽界の重鎮。60年代にロックの到来を読みジャニス・ジョプリン、サンタナ、ブルース・スプリングスティーン、シカゴ、ビリー・ジョエル、エアロスミスらと契約。74年、アリスタレコードを設立し、アレサ・フランクリン、ホイットニー・ヒューストン、バリー・マニロウらを成功させた。グラミー受賞5回。 |
1932年4月4日 | 1932年4月4日 | プロデュース | us |
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ジュニア・パーカー
52年、アイク・ターナーに発掘され、53年「Feelin' Good」R&Bチャート5位。エルヴィス・プレスリー「Mystery Train」をカバー。 |
1932年3月27日 | 1971年11月18日 | 39 | 男性歌手 | ブルース | us |
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ミシェル・ルグラン
『シェルブールの雨傘』『ロシュフォールの恋人たち』『華麗なる賭け』『おもいでの夏』『愛と哀しみのボレロ』『栄光のル・マン』『ネバーセイ・ネバーアゲイン』などの映画音楽を作曲した巨匠。親日家で72年以降たびたび来日公演。松崎しげるは76年「マジョルカ音楽祭」でルグランやデヴィ・スカルノら審査員が見守る中「愛のメモリー」を熱唱した。 |
1932年2月24日 | 2019年1月26日 | 86 | 作曲家 | 映画音楽 | fr |
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ローランド・ハナ
サド・ジョーンズ&メル・ルイス・ジャズ・オーケストラに在籍後、サラ・ヴォーン『枯葉』に参加。晩年は音楽学校で教鞭をとった。 |
1932年2月10日 | 2002年11月13日 | 70 | ピアノ | ポップ | us |
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ジョニー・アダムス
カントリー的なサザン・ソウルで知られる。 |
1932年1月5日 | 1998年9月15日 | 66 | 男性歌手 | R&B | us |
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アラン・クレイン
ビートルズとストーンズを食い物にしたマネージャー。 |
1931年12月18日 | 2009年7月4日 | 77 | 実業家 | ロック | us |
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ウィントン・ケリー
59–63年マイルス・デイヴィス・クインテットに参加。『Kind of Blue』収録「Freddie Freeloader」やジョン・コルトレーン「Naima」を演奏。 |
1931年12月2日 | 1971年4月12日 | 39 | ピアノ | ジャズ | us |
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ナット・アダレイ
ファンキー・ジャズを代表するコルネット奏者。キャノンボール・アダレイの弟。 |
1931年11月25日 | 2000年1月2日 | 68 | コルネット | ジャズ | us |
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アイク・ターナー
51年、初期のロックンロール「Rocket 88」をジャッキー・ブレンストン録音。60年、アイク&ティナ・ターナー結成。 |
1931年11月5日 | 2007年12月12日 | 76 | ギター | R&B | us |
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フィル・ウッズ
アメリカのジャズアルトサックス奏者。ビリー・ジョエルの「Just the Way You Are」(素顔のままで)のソロが有名。スティーリー・ダン、ポール・サイモンとも共演しグラミーを4回受賞。チャーリー・パーカーの未亡人チャン・パーカーと結婚した。 |
1931年11月2日 | 2015年9月29日 | 83 | サックス | ジャズ | us |
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ハロルド・バティスト
ジャズ・サックス奏者/編曲家。サム・クック「You Send Me」を編曲。ドクター・ジョンを発掘しプロデュース。61年、AFOレコード設立。 |
1931年10月28日 | 2015年6月19日 | 83 | サックス | ジャズ | us |
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リトル・ウィリー・リトルフィールド
49年「It's Midnight」R&Bチャートで3位。有名曲「カンザスシティ」のオリジナル歌手。 |
1931年9月16日 | 2013年6月23日 | 81 | 男性歌手 | R&B | us |
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リッチー・パウエル
ジョニー・ホッジス、ソニー・ロリンズ、ダイナ・ワシントンと共演。バド・パウエルの弟。 |
1931年9月5日 | 1956年6月26日 | 24 | ピアノ | ジャズ | us |
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ランブリン・ジャック・エリオット
ユダヤ系アメリカ人の家庭で育ちながらカウボーイに憧れ家出し、ウッディ・ガスリーを慕い共同生活。ディランは「エリオットの息子」と自称という。 |
1931年8月1日 | 1931年8月1日 | 男性歌手 | フォーク | us |
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ケニー・バレル
ディジー・ガレスピー楽団を経て『Midnight Blue』などの名盤を残した巨匠ジャズ・ギタリスト。 |
1931年7月31日 | 1931年7月31日 | ギター | ジャズ | us |
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ソニー・クラーク
58年『Cool Struttin'』が日本で人気。アメリカではヒットせず、ブルーノート創設者アルフレッド・ライオンは日本からの注文殺到を不思議に思ったという。 |
1931年7月21日 | 1963年1月13日 | 31 | ピアノ | ジャズ | us |
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ジョアン・ジルベルト
アントニオ・カルロス・ジョビンやヴィニシウス・ヂ・モライスらとボサノヴァを創成した音楽史上重要な歌手/ギタリスト。 |
1931年6月10 | 2019年7月6日 | 88 | 男性歌手 | ボサノヴァ | br |
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シャーリー・ベレット
60–90年代にかけて名声を博したアメリカ・オペラ界の メゾソプラノ歌手。 |
1931年5月31日 | 2010年11月5日 | 79 | 女性歌手 | オペラ | us |
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ジャッキー・マクリーン
マイルス・デイヴィ『Dig』、チャールズ・ミンガス『直立猿人』、ソニー・クラーク『Cool Struttin'』に参加。16歳のトニー・ウィリアムスをスカウトした。 |
1931年5月17日 | 2006年3月31日 | 74 | ピアノ | ジャズ | us |
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リチャード・グルーヴ・ホームズ
アグレッシヴなプレイで知られるハードバップとソウルジャズのオルガン演奏。 |
1931年5月2日 | 1991年6月29日 | 60 | オルガン | ジャズ | us |
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トム・ウィルソン
セシル・テイラー、ボブ・ディラン、アニマルズ、サイモン&ガーファンクル、フランク・ザッパ、ヴェルベット・アンダーグラウンドのプロデュースで有名。 |
1931年3月25日 | 1978年9月6日 | 47 | プロデュース | ジャズ | us |
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ポール・モチアン
ビル・エヴァンス・トリオ黄金期(ベースはスコット・ラファロ)のドラマーで、59年『Portrait in Jazz』61年『Explorations』『Sunday At The Village Vanguard』『Waltz for Debby』歴史的な録音に参加した。67–76年までキース・ジャレット・トリオに参加。 |
1931年3月25日 | 2011年11月22日 | 80 | ドラム | ジャズ | us |
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ボビー・ボイル
詳細不明のマニアックな美声シンガー。67年『A Day In The Life』、69年『Bobbi Boyle Sings』リリース。Bobbi Blake という別名で活動していたという記事も。 |
1931年 | 2009年7月23日 | 78 | 女性歌手 | ジャズ | us |
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ジム・ホール
ビル・エヴァンス、チェット・ベイカー、パット・メセニーらと共演盤を録音。 |
1930年12月4日 | 2013年12月10日 | 83 | ギター | ジャズ | us |
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クリフォード・ブラウン
ハード・バップ期初期のプレイヤー。5年ほどの活動期間に優れた演奏を数多く残しジャズ史に名を刻んだ。 |
1930年10月30日 | 1956年6月26日 | 25 | トランペット | ジャズ | us |
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ロバート・パーカー
66年「Barefootin'」R&bチャート2位、全米7位。 |
1930年10月14日 | 2020年1月19日 | 89 | 男性歌手 | R&B | us |
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ムハル・リチャード・エイブラムス
65年、「アート・アンサンブル・オブ・シカゴ」が誕生したAACM(クリエイティブ・ミュージシャン育成協会)を設立。 |
1930年9月19日 | 2017年10月29日 | 87 | ピアノ | ジャズ | us |
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ソニー・ロリンズ
56年『Saxophone Colossus』で一躍注目。81年、ローリング・ストーンズ『刺青の男』に参加。 |
1930年9月7日 | 1930年9月7日 | サックス | ジャズ | us |
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ジャッキー・ブレンストン
51年、初期のロックンロール「Rocket 88」をティナ・ターナーと録音。 |
1930年8月15日 | 1979年12月15日 | 49 | 男性歌手 | R&B | us |
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アビー・リンカーン
ビリー・ホリデイを敬愛し「ビリーの後継者」と評された。マックス・ローチは元夫。 |
1930年8月6日 | 2010年8月14日 | 80 | 女性歌手 | ジャズ | us |
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アンディ・ホワイト
リンゴ・スターに代わって「Love Me Do」で演奏したスコットランド人ドラマー。セッション・ミュージシャンとしてチャック・ベリー、ビリー・フューリー、ハーマンズ・ハーミッツ、トム・ジョーンズ、マレーネ・ディートリヒらと共演。 |
1930年7月27日 | 2015年11月9日 | 85 | ドラム | ポップ | sc |
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アニー・ロス
ヴォーカリーズ・トリオ「ランバート、ヘンドリックス&ロス」のメンバー。50年、ドラマーのケニー・クラークと息子を儲けた。2010年、ジャズ マスターに選定。 |
1930年7月25日 | 2020年7月21日 | 89 | 女性歌手 | ジャズ | eg |
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アーマッド・ジャマル
音楽評論家スタンリー・クラウチは「45年以降のジャズでチャーリー・パーカーに次ぐ重要」と評価。 |
1930年7月2日 | 2023年4月16日 | 92 | ピアノ | ジャズ | us |
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エリック・モーズホルム
デンマークの ジャズ・ベーシスト/作曲家/バンドリーダー。ドン・バイアスやエリック・ドルフィーらの録音に参加。61年から66年までデンマーク・ラジオ・ビッグバンドのリーダーを務め、92年から97年まで コペンハーゲンのリトミック音楽院の校長を務めた。 |
1930年5月13日 | 2012年10月12日 | ベース | ジャズ | dk |
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リトル・ウォルター
マディ・ウォーターズのバンドを経て、52年「Juke」R&Bチャート1位。「My Babe」「Roller Coaster」ヒット。64年、ローリング・ストーンズと英国ツアー。 |
1930年5月1日 | 1968年2月15日 | 37 | ハーモニカ | ブルース | us |
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ボビー・マーシャン
ヒューイ・ピアノ・スミス&ザ・クラウンズの元ヴォーカル。60年「There's Something On Your Mind」R&Bチャート1位。「Get Down And Get with It」をリトル・リチャードやスレイドがカバー。 |
1930年4月30日 | 1999年12月5日 | 69 | 男性歌手 | R&B | us |
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クラウス・オガーマン
ジャズ、R&B、ボサノヴァ、ロック、クラシック音楽で活躍した20世紀最大の編曲家の一人。79年、ジョージ・ベンソン『Breezin')』でグラミー賞最優秀アレンジ賞受賞。 |
1930年4月29日 | 2016年3月8日 | 85 | 編曲 | ジャズ | de |
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アル・シュミット
トム・ダウドと並ぶ巨匠レコーディングエンジニア/プロデューサー。クインシー・ジョーンズ、スティーリー・ダン、TOTO などの作品でグラミー20度受賞。ジャズ、R&B、フォーク、ロックなど様々な名盤で大きな功績を残した。レス・ポールは生涯の友。 |
1930年4月17日 | 2021年4月26日 | 91 | エンジニア | us |
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ハービー・マン
ジャズフルート奏者のパイオニア。いちはやくボサノヴァを取り入れ欧米に広めた。 |
1930年4月16日 | 2003年7月1日 | 73 | フルート | ジャズ | us |
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トミー・フラナガン
56年 ソニー・ロリンズ『Saxophone Colossus』、59年 ジョン・コルトレーン『Giant Steps』などの名盤に参加。 |
1930年3月16日 | 2001年11月16日 | 71 | ピアノ | ジャズ | us |
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ブルー・ミッチェル
キャノンボール・アダレイに見出され、伸びのあるクリアな音色でハード・バップ期に人気を博した。 |
1930年3月13日 | 1979年5月21日 | 49 | トランペット | ジャズ | us |
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オーネット・コールマン
フリージャズの先駆者。59年『The Shape of Jazz to Come』(ジャズ来るべきもの)をリリースし、一大センセーションを巻き起こした(RS誌「オールタイム・グレイテスト・アルバム500」248位)。 |
1930年3月9日 | 2015年6月11日 | 85 | サックス | ジャズ | us |
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デレク・ベイリー
英国の即興ジャズギタリスト。 |
1930年1月29日 | 2005年12月25日 | ギター | ジャズ | eg |
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オンジー・マシューズ
60年代はじめにビッグバンド結成。ルー・ロウルズ、レイ・チャールズ、アール・ハインズ、ロイ・エアーズらの編曲を手掛けた。映画『ディンゴ』 にトランペッターのシーザー役で出演。 |
1930年1月15日 | 1997年11月13日 | 67 | ピアノ | ジャズ | us |