日本のミュージシャン 1900s

Japanese Musicians

名前 誕生日 命日 年齢 パート ジャンル
みずしま さなえ水島 早苗

Sanae Mizushima

日本のジャズ草創期を代表する女性ヴォーカリスト。鹿児島県出身。ジャズ評論家・野川香文の紹介で淡谷のり子に師事。テイチク・レコードの専属歌手となり流行歌を歌い、1935年から上海に渡って芸名ダリヤ・サガーラでナイトクラブの歌姫となった。帰国後、1957年「水島早苗ヴォーカル研究所」設立。マーサ三宅、金子晴美、峰純子、佐良直美、前野曜子、伊集加代、上條恒彦など多くの歌手を育てた。1975年『You've Got a Friend』リリース。
1909年8月31日 1978年2月25日 68 女性歌手 ジャズ
なかの ただはる中野 忠晴

Tadaharu Nakano

愛媛県大洲市出身の歌手・作曲家。服部良一、ディック・ミネとともにアメリカのポピュラーソングを戦前期の日本に広め、和製ポップスの基礎を築いた。三文オペラ「マック・ザ・ナイフ」を歌って脚光を浴び山田耕筰にスカウトされ、徳山璉のライバルとして日本コロムビアからデビュー。1934年「山の人気者」が大ヒットし、さまざまなヒットソングを放った。戦後は歌手活動を引退し当時の人気歌手だった江利チエミ、松島詩子、若原一郎、三橋美智也、春日八郎らへ楽曲を提供し続けた。
1909年5月27日 1970年2月19日 60 男性歌手 ポップス
でぃっく みねディック・ミネ

Dick Mine

徳島県徳島市出身の歌手・マルチ楽器奏者・俳優。日本流行歌創成期に多数のヒットを放ち、テイチクの立役者となった。若い頃はジャズに傾倒し、スティールギターでミス・コロムビアの伴奏を務めた。1934年、タンゴ楽団「テット・モンパレス・タンゴ・アンサンブル」に歌手兼ドラマーとして参加。淡谷のり子に見出され、同年創立されたテイチクレコードからジャズバンド「ディック・ミネ・エンド・ヒズ・セレナーダス」として「ロマンチック」でデビュー。「二人は若い」「波止場がらす」「ゆかりの唄」「黒い瞳」(すべて1935年)などが大ヒットし、一躍時代の寵児となった。ギタリストの三根信宏は三男。1980年代には「週刊プレイボーイ」誌上で「巨根に訊け」という対談コーナーを持っていた。
1908年10月5日 1991年6月10日 82 男性歌手 戦後歌謡
うえくさ じんいち植草 甚一

Junichi Uekusa

東京市日本橋区出身の欧米文学・ジャズ・映画の評論家。通称「J・J氏」。1930年、早稲田大学理工学部建築学科に進学。在学中、ポスターやイラスト、『ヴォーグ』『ハーパース・バザー』などの翻訳、アパレルのデザインも手掛けた。1949年から本格的に映画評論を書き始め、1958年『スイングジャーナル』で連載開始。チャーリー・ミンガス、セシル・テイラー、マイルス・デイヴィス、アルバート・アイラーを愛聴した。フランク・ザッパなどのロックも評論し、若者に「植草ブーム」が到来した。蔵書は4万冊にのぼり、植草の死後、ジャズを愛好するタモリが約4,000枚のレコードすべてを買い取った。
1908年8月8日 1979年12月2日 71 評論家 ジャズ
はっとり りょういち服部 良一

Ryoichi Hattori

大阪府出身の作曲家。和製ポップス史の重要人物で、淡谷のり子「別れのブルース」(1937)、笠置シヅ子「東京ブギウギ」(1947)、笠置シヅ子「銀座カンカン娘」(1949)、藤山一郎「青い山脈」(1949) が大ヒットした。1926年、大阪フィルハーモニック・オーケストラにフルート奏者として加入。指揮者エマヌエル・メッテルに見いだされ、4年にわたって音楽理論・作曲・指揮の指導を受けた。1936年、コロムビアの専属作曲家となり、淡谷のり子「おしゃれ娘」(1936) で当時最先端のスウィングジャズ取り入れた。古賀政男らとともに日本作曲家協会や日本レコード大賞の創設にも尽力。1969年に紫綬褒章を受章した。息子は作曲家の服部克久。
1907年10月1日 1993年1月30日 85 作曲家 戦前歌謡
せき たねこ関 種子

Taneko Seki

岡山県出身のソプラノ歌手。東京音楽学校でマルゲレーテ・ネトケ=レーヴェに師事し本科を首席で卒業。歌劇「堕ちたる天女」(原作:坪内逍遥/作曲:山田耕筰)で楽壇デビューし、クラシックのソプラノ歌手として活躍を始めた。1931年、コロムビアレコードからデビュー。1935年、映画『突破無電』主題歌「雨に咲く花」(作詞:高橋掬太郎/作曲:池田不二男)が50万枚の大ヒットとなったが日中戦争開戦後、歌詞が女々しいという理由で発禁処分となった。1960年にロカビリー歌手の井上ひろしがカバーし100万枚の大ヒットを記録した。
1907年9月18日 1990年6月6日 82 女性歌手 戦前歌謡
あわや のりこ淡谷のり子

Noriko Awaya

青森県青森市出身の歌手。1937年「別れのブルース」(作詞:藤浦洸/作曲:服部良一)が100万枚超の大ヒット。東洋音楽学校(現・東京音楽大学)声楽科で荻野綾子、久保田稲子に師事し首席で卒業。1929年「オール日本新人演奏会」で「10年に一度のソプラノ」と絶賛された。「ブルースの女王」と呼ばれ、日本のジャズ草創期を代表する女性ヴォーカリスト水島早苗が師事した。1980年代には『ものまね王座決定戦』の審査員として出演し、辛辣な評価で話題になった。
1907年8月12日 1999年9月22日 92 女性歌手 シャンソン
まつだいら よりつね松平 頼則

Yoritsune Matsudaira

東京市小石川区出身の作曲家・ピアニスト。ISCM入選作品の日本人最多記録保持者。慶應義塾大学在学中、ピアノをチャーレス・ラウトロプ、和声学と対位法と楽式論をハインリヒ・ヴェルクマイスター、作曲を小松耕輔に師事。オリヴィエ・メシアン、ピエール・ブーレーズ、ジョン・ケージに影響を与えた。日本現代音楽協会委員長を歴任。
1907年5月5日 2001年10月25日 94 現代音楽 作曲家
かわだ はるひさ川田 晴久

Haruhisa Kawada

東京府出身の歌手。美空ひばりの師匠で「芸能界の育ての親」として知られている。1937年「あきれたぼういず」結成し人気を博した。
1907年3月15日 1957年6月21日 50 男性歌手 戦中歌謡
いけだ ふじお池田 不二男

★

佐賀県出身の作曲家。クラシック、ワルツ、タンゴなど海外の音楽を積極的に取り入れ、戦前の歌謡史に残る佳曲を多数残した。東京高等音楽学院(国立音楽大学)にて矢田部勁吉、片山禎太郎に師事。卒業後、パーロホンレコードに入社。1933年にコロムビアの専属作曲家兼ディレクターとなり、「幌馬車の唄」「片瀬波」「並木の雨」「あなたのあたし」「雨に咲く花」「花言葉の唄」等のヒット曲を放った。
1905年8月8日 1943年11月27日 38 作曲家 戦前歌謡
まんじょうめ ただし万城目 正

Tadashi Manjyoume

北海道十勝支庁中川郡幕別村(現在の幕別町)出身の人気作曲家。1947年、並木路子「リンゴの唄」(作詞:サトウハチロー)が大ヒット。高峰三枝子、美空ひばり、島倉千代子らへ楽曲提供した。
1905年1月31日 1968年4月25日 63 作曲家 戦後歌謡
こが まさお古賀 政男

Masao Koga

福岡県三潴郡田口村(現・大川市)出身の人気作曲家。1933年、松平晃「サーカスの唄」が大ヒット。服部良一らと「日本レコード大賞」を創設した。数多の流行歌をヒットさせ、生涯で5,000曲を制作した。
1904年11月18日 1978年7月25日 73 作曲家 戦前歌謡
こうた かつたろう小唄 勝太郎

Katsutaro Kouta

新潟県中蒲原郡沼垂町(現新潟市中央区)出身の女性歌手(本名:眞野かつ)。1933年「東京音頭」が大ヒット。米国やブラジルの日系人からも大人気を博した。
1904年11月6日 1974年6月21日 69 女性歌手 戦前歌謡
えのもと けんいち榎本 健一

Kenichi Enomoto

東京府出身の「日本の喜劇王」。1936年、ポリドール専属の歌手となり、和製ジャズの流行歌で多数のヒット曲を放った。
1904年10月11日 1970年1月7日 65 男性歌手 戦後歌謡
ながた さだお永田 貞雄

Sadao Nagata

佐賀県出身。興行界のドン。浪曲の興行で成功し、戦後は三波春夫、春日八郎、三橋美智也らのマネージメントや海外のスターの日本興行を行った。1953年、力道山らと日本プロレスを設立した。
1904年1月26日 1993年9月30日 89 実業家
のがわ こうぶん野川 香文

Koubun Nogawa

日本のジャズ評論の草分け。1930年代初頭、『時事新報』で大井蛇津郎(「大いにジャズろう」のもじり)のペンネームでジャズ評論を開始。1950年代後半に『ミュージック・ライフ』の執筆者となりジャズの普及に尽力。訳詞・作詞・レコードの企画制作も手がけ、作曲家の服部良一と組み、淡谷のり子「雨のブルース」、笠置シヅ子「センチメンタル・ダイナ」などを作詞した。日本のジャズ草創期を代表する女性ヴォーカリスト水島早苗は、野川の紹介で淡谷に師事した。
1904年 1957年 53 評論家 ジャズ
ふくはら ちょうき普久原 朝喜

Chouki Fukuhara

沖縄県出身の音楽家・実業家。1927年、大阪市でマルフクレコードを創業し、琉球民謡を中心にレコード制作や新曲の作詞・作曲を手がけた。「琉球民謡の祖」として知られている。
1903年12月30日 1981年10月20日 77 実業家 琉球民謡
とくやま たまき徳山 璉

Tamaki Tokuyama

神奈川県藤沢市出身の歌手・俳優。流行歌手として日本で初めて大スターになった佐藤千夜子のピアノ伴奏をした縁で、1930年、ビクターから「叩け太鼓」でデビューし、翌年「侍ニッポン」が大ヒット。古川ロッパと共演しコミックソングも残した。息子はジャズピアニストの徳山陽。坂本龍一は妻・寿子の音楽教室の生徒だった。
1903年7月27日 1942年1月28日 38 男性歌手 戦前歌謡
えぐち よし江口 夜詩

Yoshi Eguchi

岐阜県養老郡時村(現・大垣市上石津町)出身の作曲家。1931年、松平晃「忘られぬ花」が大ヒット。作曲数4000曲以上。
1903年7月1日 1978年12月8日 75 作曲家 戦前歌謡
さとう よしこ佐藤 美子

Yoshiko Sato

兵庫県神戸市出身の声楽家・オペラ歌手。東京音楽学校(現東京芸術大学)で声楽科を学び、日本で初めて『カルメン』を演じ「カルメンお美」と呼ばれた。1981年「オペラ団体協議会」会長に就任。
1903年5月25日 1982年7月4日 79 女男性歌手 オペラ
さとう はちろサトウハチロー

Hachiro Sato

東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区)出身の作詞家。「うれしいひなまつり」(1936・作曲:河村光陽) や戦後ヒット曲第1号「リンゴの唄」(1946・作曲:万城目正)、「悲しくてやりきれない」(1968・作曲:加藤和彦)など作詞。
1903年5月23日 1973年11月13日 70 作詞家 戦後歌謡
さえき たかお佐伯 孝夫

Takao Saeki

東京市出身の作詞家。フランク永井「有楽町で逢いましょう」(1957)、フランク永井・松尾和子「東京ナイト・クラブ」(1959) などヒット曲多数。
1902年11月22日 1981年3月18日 78 作詞家 戦後歌謡
おおき まさお大木 正夫

Masao Ohki

静岡県磐田郡中泉町(現磐田市)出身の作曲家。『5つのお話』『夜の思想』でワインガルトナー賞優等賞を受賞。戦後に反戦的な作品を残した。
1901年10月3日 1971年4月18日 69 作曲家 クラシック
たかはし きくたろう高橋 掬太郎

Kikutaro Takahashi

北海道根室郡根室町出身の作詞家。「酒は涙か溜息か」(1931年/作曲:古賀政男/歌:藤山一郎)が80万枚以上の大ヒットを記録。
1901年4月25日 1970年4月9日 68 作詞家 戦前歌謡
あずま たつみ東 辰三

Tatsumi Azuma

兵庫県出身の作詞家・作曲家。1947年「港が見える丘」などヒットを放ちビクターを復興。息子は作詞家の山上路夫。
1900年7月3日 1950年9月27日 50 作詞家 戦前歌謡
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