| 名前 |
誕生日 |
命日 |
年齢 |
パート |
ジャンル |
ジャズ・シンガー/マルチミュージシャン。1960年代からキャリアを積み重ね、稲垣次郎カルテットでデビュー。1979年、初リーダー『In Scotch House 25』。大橋巨泉の『11PM』『夜はこれから』『ウィークエンド・ジャズ』などにレギュラー出演。
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1939年12月5日 |
2017年4月18日 |
77 |
男性歌手 |
ジャズ |
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1939年11月17日 |
2019年3月17日 |
79 |
男性歌手 |
ポップス |
1968年「今は幸せかい」(作詞・作曲:中村泰士)が60万枚の大ヒット。
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1939年11月9日 |
2024年4月12日 |
84 |
男性歌手 |
ポップス |
ジョージ川口、沢田駿吾、原信夫らのバンドを経て自身のバンドを結成。浅川マキ、金子マリ、木村充揮らのレコーディングに参加。楽曲提供・映画音楽など多数。「見上げてごらん夜の星を」を編曲。
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1939年11月3日 |
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1939年11月3日 |
ピアノ |
ジャズ |
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1939年10月19日 |
2015年7月6日 |
75 |
ピアノ |
ジャズ |
「時の過ぎゆくままに」「勝手にしやがれ」(ともに作詞:阿久悠)など作曲。
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1939年9月12日 |
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1939年9月12日 |
作曲家 |
GS |
『ブルー・ライト・ヨコハマ』『ブルー・シャトウ』など大ヒット多数。すぎやまこういちに師事。
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1939年7月8日 |
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1939年7月8日 |
作詞家 |
ポップス |
1974年、萩原健一主演「傷だらけの天使」でメンズ・ビギが爆発的ブーム。映画「燃えよドラゴン」でブルース・リーがスーツを着用。
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1939年5月25日 |
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1939年5月25日 |
デザイナー |
ファッション |
1972年、ちあきなおみ『喝采』が80万枚の大ヒット。
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1939年5月21日 |
2020年12月20日 |
81 |
作曲家 |
ポップス |
黒柳徹子、横山道代と共に「三人娘」。坂本九「上を向いて歩こう」に貢献。
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1939年4月16日 |
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1939年4月16日 |
女性歌手 |
ポップス |
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1939年4月12日 |
1985年9月19日 |
46 |
男性歌手 |
ロカビリー |
ポール・アンカのカバー「ダイアナ」がヒット。「ロカビリー三人男」(ミッキー・カーチス、平尾昌章)のひとり。
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1939年2月22日 |
2011年1月5日 |
71 |
男性歌手 |
ロカビリー |
『KBC 今週のポピュラーベスト10』で数多くの洋楽を紹介。
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1939年2月5日 |
2023年4月5日 |
84 |
ラジオDJ |
ロック |
エレキの神様。1960年代「寺内タケシとブルージーンズ」を結成し一世を風靡。
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1939年1月17日 |
2021年6月18日 |
82 |
ギター |
GS |
伊東ゆかり「恋のしずく」小柳ルミ子「わたしの城下町」沢田研二「危険なふたり」郷ひろみ「よろしく哀愁」など約4000曲を作詞。
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1939年1月12日 |
1994年3月17日 |
55 |
作詞家 |
ポップス |
ザ・スパイダースでヴォーカル、ギター、作曲を担当。松任谷由実をプロデュース。
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1939年1月12日 |
2017年3月1日 |
78 |
男性歌手 |
GS |
愛称「ZUZU」。1965年、伊東ゆかり「おしゃべりな真珠」でレコード大賞作詞賞受賞。沢田研二、西城秀樹らへ詞を提供。川口浩が経営「川口アパートメント」に住み、飯倉片町の「キャンティ」で交友した。加藤和彦と結婚。
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1939年1月12日 |
1994年3月17日 |
55 |
作詞家 |
ポップス |
1962年「アカシアの雨がやむとき」で日本レコード大賞特別賞を受賞。1967年、レコード売上1000万枚を突破。
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1939年1月9日 |
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1939年1月9日 |
女性歌手 |
ポップス |
元ザ・スパイダースのドラマー。田辺エージェンシー設立。
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1938年11月15日 |
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1938年11月15日 |
実業家 |
GS |
「昔の名前で出ています 」(星野哲郎/叶弦大)95万枚、「熱き心に」(阿久悠/大瀧詠一)134万枚の大ヒット。
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1938年11月3日 |
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<1938年11月3日/span> |
男性歌手 |
演歌 |
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1938年9月20日 |
2020年9月19日 |
81 |
男性歌手 |
ポップス |
「涙と雨にぬれて」が1,000万枚の大ヒット。『長崎ぶらぶら節』で直木賞を受賞。
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1938年9月2日 |
2020年12月23日 |
82 |
作詞家 |
ポップス |
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浅川マキ、桑名正博、りりィ、イルカをプロデュース。
| 1938年8月6日 |
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1938年8月6日 |
プロデュース |
ポップス |
「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」で一世を風靡。
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1938年8月1日 |
2020年4月20日 |
81 |
ドラム |
GS |
キャロル、ガロ、小坂忠、左とん平をプロデュース。内田裕也とともに日本ロックの仕掛け人。
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1938年7月23日 |
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1938年7月23日 |
プロデュース |
ポップス |
マイルス・デイヴィス『TUTU』のカバーアートで日本人初グラミー受賞。
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1938年7月12日 |
2012年1月21日 |
73 |
デザイン |
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デヴィッド・ボウイ、YMO の撮影で世界的に有名。鋤田撮影のマーク・ボランに憧れた少年が布袋寅泰。
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1938年5月5日 |
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1938年5月5日 |
写真家 |
ロツク |
1955年、デビュー曲「この世の花」(西条八十/万城目正)200万枚の大ヒットし人気歌手に。
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1938年3月30日 |
2013年11月8日 |
75 |
女性歌手 |
ポップス |
茨城県下妻市生まれ。1958年、東京声専音楽学校在学中より歌手活動を開始。フランシスコ・キーコ・クワルテット、秋満義孝クインテットを経て、1961年「ニュー・ラテン・クォーター」の専属歌手となり、来店したナット・キング・コール夫妻に素質を認められ本格的にデビュー。CMソング・テレビ出演・国内外でのステージ多数。
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1938年1月3日 |
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1938年1月3日 |
女性歌手 |
ジャズ |
「星は何でも知っている」「ミヨチャン」が大ヒット。幅広い歌手に詞を提供。
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1937年12月24日 |
2017年7月21日 |
79 |
作曲家 |
ポップス |
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坂本九「悲しき六十才」を手掛けヒット。1970年代に邦楽ポップス黄金時代を築いた。
| 1937年11月20日 |
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1937年11月20日 |
プロデュース |
ポップス |
「スイングジャーナル」などで評論。著書「モダン・ジャズ群像」
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1937年11月1日 |
2023年10月14日 |
85 |
評論家 |
ジャズ |
1973年、「とん平のヘイ・ユウ・ブルース」がヒット。
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1937年5月30日 |
2018年2月24日 |
80 |
男性歌手 |
ポップス |
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1937年5月29日 |
1989年6月24日 |
52 |
女性歌手 |
演歌 |
数千作品に参加した「スキャットの女王」。「アルプスの少女ハイジ」のテーマ曲やネスカフェ・ゴールドブレンド のCMが有名。東邦音楽短期大学声楽科でクラシックを学び、卒業後ジャズボーカリスト水島早苗に師事。クリフ・リチャード 、大滝詠一、山下達郎らのコーラスで参加。
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1937年5月20日 |
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1937年5月20日 |
女性歌手 |
ジャズ |
マイルス・デイヴィス日本招聘など様々なエピソードを持つ。
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1937年5月15日 |
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1937年5月15日 |
プロデュース |
ジャズ |
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1937年5月9日 |
2014年4月29日 |
76 |
ピアノ |
ジャズ |
1965年『君といつまでも』350万枚の大ヒット。俳優として「若大将シリーズ」が大ヒット。
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1937年4月11日 |
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1937年4月11日 |
男性歌手 |
ポップス |
美空ひばり・江利チエミと「三人娘」と呼ばれ一世風靡。日米で活躍し『LIFE』の表紙を飾った初の日本の芸能人。
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1937年3月20日 |
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1937年3月20日 |
女性歌手 |
ポップス |
パリ国立高等音楽院で学び欧米と日本の各地で演奏活動を行う。チャイコフスキー・ピアノ・コンクールなど様々なコンクールに招かれクラシックの普及に貢献。小澤征爾と結婚したが離婚後は良き友人関係を維持した。
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1937年2月27日 |
2024年1月23日 |
86 |
ピアノ |
クラシック |
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1937年2月7日 |
2007年8月1日 |
70 |
作詞家 |
ポップス |
1952年「テネシーワルツ」23万枚の大ヒット。米国で日本人初のチャートイン。「三人娘」(美空ひばり・雪村いづみ)のひとりで高倉健と結婚。
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1937年1月11日 |
1982年2月13日 |
45 |
女性歌手 |
ジャズ |
1959年、トリオ・ロス・パンチョスの前座で歌い「ラテンの女王」として人気歌手に。主演映画『楢山節考』がカンヌ国際映画祭でグランプリ。
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1936年11月25日 |
2021年1月23日 |
84 |
女性歌手 |
ラテン |
1963年「なみだ船」のヒットで人気確立。演歌の帝。
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1936年10月4日 |
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1936年10月4日 |
男性歌手 |
演歌 |
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「水戸黄門」主題歌や「夜明けのスキャット」「瀬戸の花嫁」「学生街の喫茶店」など多数。村井邦彦とアルファミュージック設立。
| 1936年8月2日 |
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1936年8月2日 |
作詞家 |
ポップス |
67年、「天井棧敷」参加。三島由紀夫、マイルス・デイビス、サンタナの作品で世界的に有名。
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1936年6月27日 |
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1936年6月27日 |
画家 |
ロック |
日本カントリー界を代表する「マウンテン・プレイボーイズ」を結成。尾崎紀世彦が所属。
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1936年3月15日 |
2000年3月10日 |
63 |
男性歌手 |
カントリー |
23歳で「古谷充とザ・フレッシュメン」を結成し関西随一のコンボに。
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1936年2月13日 |
2020年9月2日 |
84 |
サックス |
ジャズ |
日本ジャズ界の重鎮ドラマー。ヘレン・メリルやアニタ・オデイの来日公演、尾崎紀世彦「また逢う日まで」など。
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1936年2月6日 |
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1936年2月6日 |
ドラム |
ジャズ |
早くからプレスリーやビートルズを紹介。『ランナウェイ』『六本木心中』『あゝ無情』を作詞。
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1936年1月22日 |
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1936年1月22日 |
評論家 |
ポップス |
アジア諸国で「King of Sax」と称されるフィリピン出身のサックス奏者。1964年、23歳で単身来日しスタジオ・ミュージシャンとして吉田拓郎、ゴダイゴ、大瀧詠一、さだまさし、中島みゆき、松任谷由実らのライブ/レコーディングに参加。2002年、キリン・ラガー・ビールのCMでベーシストいかりや長介と共演。
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1936年1月13日 |
2017年12月4日 |
81 |
サックス |
ジャズ |
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山梨県出身のCM音楽プロデューサー。1960年、数々のCMソングを手掛けた 三木鶏郎の「冗談工房」に所属。1964年、桜井順と「ブレーンJACK」を設立し映像ディレクターの 杉山登志と資生堂のCMなどを制作。1969年に歌手の由紀さおりと結婚(1983年に離婚)。1972年、ONアソシエイツ音楽出版を設立。大瀧詠一、坂本龍一、山下達郎、瀬尾一三、矢野顕子、大貫妙子、大村憲司、井上鑑、杉真理、吉田美奈子、鈴木慶一、EPOらを起用し、様々なや有名企業のCM音楽を手掛けた。
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1936年 |
2018年3月 |
82 |
プロデュース |
ポップ |
前衛演劇団「天井桟敷」主宰マルチアーティスト。浅川マキ「かもめ」、「あしたのジョー」主題歌など作詞多数。
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1935年12月10日 |
1983年5月4日 |
47 |
作詞家 |
ポップス |
樺太で誕生、室蘭市育ちの歌手・作曲家。ヨーデルを得意とし、1956年にウイリー沖山とと「ブルー・レンジャーズ」結成。1960年、ザ・コースターズをバックに菊地正夫の名で「ひとりぽっちで」でデビュー。1966年、城卓矢と改名し「骨まで愛して」(作詞:川内康範/作曲:北原じゅん)140万枚の大ヒット。1971年に引退した。
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1935年11月28日 |
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1989年5月9日 |
男性歌手 |
ポップス |
アイドル生みの親。フォーリーブス、キャンディーズ、山口百恵など300人以上を輩出。
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1935年11月17日 |
2021年7月16日 |
85 |
プロデュース |
ポップス |
高校卒業後、米軍キャンプで10年間歌い続けた。1922年、デイヴィッド・マシューズと初アルバムをリリース。
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1935年10月10日 |
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1935年10月10日 |
女性歌手 |
ジャズ |
伊東ゆかり「小指の想い出」、南沙織「17才」、 金井克子「他人の関係」などヒット曲多数。
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1935年10月9日 |
2019年4月18日 |
83 |
作詞家 |
ポップス |
世界的指揮者。海外の一流オーケストラを指揮した初の日本人。
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1935年9月1日 |
2024年2月6日 |
88 |
指揮者 |
クラシック |
カントリーバンド「ワゴン・マスター」で人気に。紅白歌合戦で異例のロックンロールを歌い「元祖和製プレスリー」と呼ばれた。
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1935年5月30日 |
1997年11月1日 |
62 |
男性歌手 |
カントリー |
艶麗な容貌でシャンソンを歌い上げ一躍人気。1966年「ヨイトマケの唄」がヒット。
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1935年5月15日 |
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1935年5月15日 |
男性歌手 |
シャンソン |
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『サザエさん』『海のトリトン』を作詞。『週刊少年マガジン』編集長として『巨人の星』『ゲゲゲの鬼太郎』『仮面ライダー』担当。
| 1935年4月22日 |
2008年5月30日 |
73 |
作詞家 |
アニメ |
『夜のヒットスタジオ』で人気を博したパンチパーマと口髭がトレードマークのラテンパーカッション奏者・バンドマスター。1969年「ダン池田とニューブリード」を結成し『夜のヒットスタジオ』のカラー放送開始と同時に専属バンドに抜擢。フジテレビやNHKのさまざまな音楽番組に出演。1985年『夜のヒットスタジオ』を降板し芸能界の暴露本『芸能界 本日モ反省ノ色ナシ』を出版。70万部を売り上げたが業界から干された。
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1935年4月11日 |
2007年12月25日 |
72 |
リーダー |
ポップス |
「ゲーリー石黒とサンズ・オブ・ウエスト」などを担当した名司会者。
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1935年1月10日 |
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1935年1月10日 |
司会者 |
ジャズ |
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1936年1月1日 |
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1936年1月1日 |
ギター |
ジャズ |
昭和を代表する俳優。1977年「ブランデーグラス」152万枚の大ヒット。シングル総売上4657万枚以上。
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1934年12月28日 |
1987年7月17日 |
52 |
男性歌手 |
ポップス |
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1934年11月10日 |
2002年2月10 |
67 |
ドラム |
ジャズ |
1977年、松崎しげる「愛のメモリー」、五木ひろし「おまえとふたり」などミリオンセラー多数。
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1934年10月27日 |
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1934年10月27日 |
作詞家 |
演歌 |
1968年、寺尾聰らと『ザ・ホワイト・キックス』結成。『11PM』テーマ曲を作曲。
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1934年10月17日 |
1986年5月16日 |
51 |
ピアノ |
ジャズ |
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1934年3月22日 |
2016年7月12日 |
82 |
評論家 |
ジャズ |
寺山修司「天井桟敷」のポスターを横尾忠則と制作。布袋寅泰 『GUITARHYTHM』など。
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1934年3月13日 |
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1934年3月13日 |
画家 |
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1958年「北野タダオとアロージャズオーケストラ」を結成しアニタ・オデイ、パティ・ペイジ、マレーネ・ディートリッヒらと共演。
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1934年3月3日 |
2018年10月3日 |
84 |
ピアノ |
ジャズ |
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西田佐知子「恋なんてしたくない」で作曲デビュー。長年、ちあきなおみ、八代亜紀らに楽曲提供。
| 1934年2月7日 |
2021年12月9日 |
87 |
作曲家 |
ポップス |
勝新太郎「座頭市子守唄」藤圭子「圭子の夢は夜ひらく」など作曲。
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1933年12月28日 |
2017年4月20日 |
83 |
作曲 |
演歌 |
東京府東京市麻布区出身のジャズ・シンガー、日本の男性ファッションモデル第1号。ラジオ東京の番組「味の素 ミュージックレストラン」でデビュー。「ハッシャバイ」「あいつ」「史上最大の作戦のマーチ」などがヒット。美空ひばりや江利チエミと共演し映画やテレビなどにも出演。1959年から1961年までNHK「おかあさんといっしょ」の初代レギュラーメンバーを務め、NHK紅白歌合戦に7回出場した。
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1933年12月2日 |
2019年12月8日 |
86 |
男性歌手 |
ジャズ |
1959年「南国土佐を後にして」空前の大ヒット。一流ビッグバンド「渡辺弘とスター・ダスターズ」専属。
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1933年11月9日 |
2017年4月12日 |
83 |
女性歌手 |
ジャズ |
「ハナ肇とキューバン・キャッツ」(後の「ハナ肇とクレージーキャッツ」)の結成当時のメンバー。ジョージ川口、白木秀雄らと活動。1969年「稲垣次郎とソウル・メディア」を結成。伝説の女性シンガー Sammy や沢田靖司、佐藤允彦、水谷公生、柳田ヒロらが参加した。 1971年、世界初デジタル録音したアナログレコード『Something』リリース。
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1933年10月3日 |
2024年1月18日 |
90 |
サックス |
ジャズ |
1963年、日本人初のカーネギー・ホール公演を達成。
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1933年9月27日 |
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1933年9月27日 |
男性歌手 |
ポップス |
兵庫県加古川市出身の男性歌手。国立音楽大学声楽専攻科で 関種子に師事。同大学院修了後、1958年にタンゴバンド 「早川真平とオルケスタ・ティピカ東京」で歌手デビューした。「知りたくないの」(1965) 80万枚以上、「誰もいない」(1968) 第10回日本レコード大賞歌唱賞、「今日でお別れ」(1970) 第12回日本レコード大賞受賞、「愛のフィナーレ」(1970)「忘れな草をあなたに」(1971)「愛の嵐」(1974) 「アマン」(1982) などがヒット。1985~1989年にかけてアルゼンチンを代表するタンゴ・オルケスタの レオポルド・フェデリコ楽団や ホセ・コランジェロ楽団と共演し絶賛を浴びた。
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1933年8月21日 |
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1933年8月21日 |
男性歌手 |
タンゴ |
美空ひばり、シナトラ、プレスリー、ビートルズなど評論。「劇団四季」取締役、エイベックス顧問。
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1933年5月21日 |
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1933年5月21日 |
評論家 |
ポップス |
1954年、レイモンド・コンデの専属歌手となり注目を集めた。ヴォーカル教室を開校し大橋純子らを輩出。
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1933年5月13日 |
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1933年5月13日 |
女性歌手 |
ジャズ |
「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」「いい湯だな」「遠くへ行きたい」など名曲を作詞。
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1933年4月10日 |
2016年7月7日 |
83 |
作詞家 |
ポップス |
「キング・オブ・ヨーデル」の異名を持つヨーデル/カントリー歌手。1956年、抜群の歌唱力と発音の良さを買われてヨーデルの曲「スイスの娘」でレコードデビュー。『全日本歌謡選手権』では10週勝ち抜きグランドチャンピオンになった。音から高音までの音域の広さを生かし、ジャズ、カントリー、ポピュラー、シャンソン、ハワイアンとレパートリーは多岐に渡る。
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1933年2月25日 |
2020年6月28日 |
87 |
男性歌手 |
カントリー |
1978年『カリフォルニア・シャワー』異例のヒット。世界的ジャズ・ミュージシャン。
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1933年2月1日 |
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1933年2月1日 |
トランペット |
ジャズ |
「ミス・コロムビア」や「東京ローズ」を手本にした素顔を出さない「戦後初の覆面歌手」。1957年「東京のバスガール」がヒット。
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1933年1月4日 |
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1933年1月4日 |
女性歌手 |
戦後歌謡 |
アート・ブレイキーにスカウトされジャズ・メッセンジャーズのメンバーに
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1933年1月2日 |
2022年3月8日 |
89 |
ベース |
ポップス |
ティーブ釜萢の『日本ジャズ学校』に通い1951年デビュー。女優として多数の映画に出演。1957年引退。父は新国劇の花形俳優だった辰巳柳太郎。
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1933年 |
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女性歌手 |
ジャズ |
19歳でプロ活動。フリー・ジャズに影響を受け実験的な即興演奏を追求した。渡辺香津美、安藤正容、山本恭司らを輩出。
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1932年12月22日 |
1991年6月23日 |
58 |
ギター |
ジャズ |
1999年『奇蹟のカンパネラ』30万枚の大ヒット。日本と欧米で活動。
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1932年12月5日 |
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1932年12月5日 |
ピアノ |
クラシック |
「芭蕉布」「ゆうなの花」を送り出した戦後沖縄を代表する作曲家の一人。
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1932年11月14日 |
2022年11月1日 |
89 |
作曲家 |
沖縄民謡 |
日本のジャズ創成期に活躍。「あしたのジョー」の主題歌をはじめ映画音楽多数。サザンオールスターズの編曲。
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1932年11月14日 |
1991年3月4日 |
58 |
ピアノ |
ジャズ |
作家・作詞家・タレント・司会者・俳優・放送作家・映画監督・政治家・歌手。「スーダラ節」「だまって俺について来い」「明日があるさ」など「ハナ肇とクレージーキャッツ」や坂本九らの楽曲を作詞。第13代 東京都知事。
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1932年7月17日 |
2006年12月20日 |
74 |
作詞家 |
ポップス |
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1958年カントリーバンド「ワゴン・エース」結成。ムッシュかまやつが在籍。
| 1932年7月19日 |
1996年8月25日 |
64 |
ギター |
カントリー |
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1969年「ミュージック・マガジン」を創刊。
| 1932年7月17日 |
2011年7月21日 |
79 |
評論家 |
ロック |
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アルト・サックス奏者。1940年代後半よりプロのジャズバンドで活動。松下彰孝のメトロトーンズや沢田駿吾のダブルビーツ5で活躍し、1960年には原信夫のシャープス&フラッツに入団。78年「ザ・聞楽亭」を実兄の五十嵐武要と結成し、長きにわたり日本ジャズ界の中心で活動。
| 1932年6月2日 |
2020年10月14日 |
94 |
サックス |
ジャズ |
1965年、白木秀雄クインテットでベルリン・ジャズ・フェスティバルに出演。
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1932年3月10日 |
2004年2月17日 |
71 |
ピアノ |
ジャズ |
「ハナ肇とクレージーキャッツ」のメンバー。ムッシュかまやつ曰く「ドナルド・フェイゲンみたいなミュージシャン」
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1932年2月22日 |
2010年9月11日 |
78 |
トロンボーン |
ジャズ |
山形県鶴岡市生まれのジャズ・テナーサックス奏者・バンドリーダー。1951年、仙台の米軍キャンプでプロデビューし上京。平岡精二のコンボ、シックス・ジョーズ、草ヶ谷隆夫5、松本彰孝5を経て1962年に「海老原啓一郎とロブスターズ」に参加。1964年5月に結成された「野村良と東京ユニオン」に加入。66年に4代目バンドリーダーに就任し「高橋達也と東京ユニオン」として名実共に日本一のビッグバンドに成長させた。1977年、三木敏悟作品アルバム『北欧組曲』でスイングジャーナル・ジャズ・ディスク大賞、日本ジャズ賞受賞。1978年・1980年、モントルー・ジャズ・フェスティバル出演。
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1931年12月27日 |
2008年2月29日 |
76 |
サックス |
ジャズ |
1955年、歌手デビュー。1967年「座頭市」がヒット。
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1931年11月29日 |
1997年6月21日 |
65 |
男性歌手 |
ポップス |
少年野球チームから「ジャニーズ事務所」を設立。様々なギネス記録を保持。
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1931年10月23日 |
2019年7月9日 |
87 |
実業家 |
ポップス |
東京出身のジャズミュージシャン・作詞家・作曲家・編曲家。15歳の頃「村上一徳とサーフライダーズ」に参加しプロデビュー。ゲイ・セプテットに加入を経て、1956年「平岡精二カルテット」を結成し人気を博し、ペギー葉山に楽曲提供した。
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1931年8月13日 |
1990年3月22日 |
58 |
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ジャズ |
1972年「岸壁の母」がヒット。坂本冬美、藤あや子らを歌唱指導。
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1931年6月23日 |
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1931年6月23日 |
女性歌手 |
演歌 |
1984年「娘よ」大ヒット。テレビ番組『裸の大将放浪記』が人気を博した。
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1931年5月29日 |
2004年4月7日 |
72 |
男性歌手 |
演歌 |
17歳でプロになり、1951年に高見弘らとジャズコンボ「グレーシー5」を結成。1953年、宮間利之率いるジャイブ・エーセスに参加。ギタリスト/作編曲家として長年にわたり活躍。
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1931年4月18日 |
2018年12月26日 |
87 |
ギター |
ジャズ |
CM音楽・歌謡曲・アニメソング・ゲーム音楽の大家。
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1931年4月11日 |
2021年9月30日 |
90 |
作曲家 |
ポップス |
『宇宙戦艦ヤマト』の作曲で有名。和製ポップスの開拓者。ザ・ピーナッツの楽曲がヒット。
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1931年3月18日 |
2006年3月21日 |
75 |
作曲家 |
ポップス |
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1931年2月27日 |
2024年6月14日 |
93 |
詩人 |
ジャズ |
『網走番外地』『昭和残侠伝』『唐獅子牡丹』主題歌が大ヒット。
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1931年2月16日 |
2014年11月10日 |
83 |
男性歌手 |
演歌 |
熊本県出身の実業家。戦後、 永島達司が設立したた協同企画( キョードー東京)でキャリアをスタート。1967年に「有働音楽事務所」、1972年に大阪に「大阪ウドー音楽事務所」を設立した。ボブ・ディラン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、ザ・フー、エリック・クラプトン、サンタナ、ジェフ・ベック、デヴィッド・ボウイ、イーグルス、エアロスミス、キッス、ビリー・ジョエル、ボン・ジョヴィ、ヴァン・ヘイレン、TOTO、ブライアン・アダムスら主に海外のロック・ミュージシャンをプロモートした。
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1931年2月5日 |
2023年10月23日 |
92 |
実業家 |
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『上を向いて歩こう』『こんにちは赤ちゃん』などヒット多数。
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1931年1月20日 |
1992年6月10日 |
61 |
作曲家 |
ポップス |
「浪花のモーツァルト」の異名を持つ作曲家。 「かに道楽」「プロポーズ大作戦」「アホの坂田」など、著名なテレビ・ラジオ・CMのテーマ曲多数。
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1930年12月6日 |
2024年5月14日 |
93 |
作曲家 |
CM音楽 |
「おもちゃのチャチャチャ」を作詞し第5回・日本レコード大賞「童謡賞」受賞。
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1930年10月10日 |
2015年12月9日 |
85 |
男性歌手 |
シャンソン |
数多くの映画・演劇音楽を手掛けた世界的な前衛・現代音楽家。
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1930年10月8日 |
1996年2月20日 |
65 |
作曲家 |
現代音楽 |
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日本の音楽文化研究家・音楽プロデューサー。 ポリドール・レコード学芸部長、徳間音楽工業常務取締役、テイチクエンタテインメント顧問を歴任。大学在学中からコロムビアレコードでアルバイトをし、レコード業界に出入り。卒業後、同年キングレコード入社し童謡担当から22年間ディレクターを務めた。「ACCディスク大賞」(世界で最も権威あるレコード大賞)など国内外の様々な賞を受賞。著作は約500冊。
| 1930年3月19日 |
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1930年3月19日 |
プロデュース |
ポップス |
愛媛県西宇和郡八幡浜町出身のジャズ・ギタリスト/作曲家。第二次世界大戦後に東京へ出て、本格的にジャズギターを開始し米軍キャンプで演奏。1954年、『モカンボ・セッション』にハナ肇、植木等、守安祥太郎らと参加。1957年、チコ・ハミルトン楽団のギタリストだったデンプシー・ライトに弟子入りした。テレビドラマ『月曜日の男』の劇伴音楽と主題歌の作曲を手掛けるなど数多くの作品も残した。
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1930年2月10日 |
2006年8月28日 |
76 |
ギター |
ジャズ |
1948年プロデビュー。渡辺貞夫を擁すカルテットを結成。
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1930年2月10日 |
1991年7月13日 |
61 |
ピアノ |
ジャズ |
CBS・ソニーレコード社長などを経てソニーの発展に貢献。留学中に知り合ったヘルベルト・フォン・カラヤンは生涯の友。
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1930年1月29日 |
2011年4月23日 |
81 |
実業家 |
クラシック |
総作数15,000曲以上。「見上げてごらん夜の星を」が大ヒット。
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1930年1月20日 |
1992年5月11日 |
62 |
作曲家 |
ポップス |
西郷輝彦、桜田淳子、松田聖子を輩出したサンミュージック創業者。
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1930年1月20日 |
2013年5月23日 |
83 |
実業家 |
ポップス |