日本のミュージシャン 1920s

Japanese Musicians

名前 誕生日 命日 年齢 パート ジャンル
あきよし としこ穐吉 敏子

Toshiko Akiyoshi

世界的ジャズピアニストで渡辺貞夫の活躍に尽力。Monday満ちるの母。
1929年12月12日 1929年12月12日 ピアノ ジャズ
うちだ おさむ内田 修

Osamu Uchida

院内にスタジオを開設し世界の著名ジャズメンと交流した「ドクター・ジャズ」
1929年10月5日 2016年12月11日 87 愛好家 ジャズ
ゆあさ じょうじ湯浅 譲二

Joji Yuasa

50年代に実験工房に参加し武満徹らと現代音楽を作曲。
1929年8月12日 1929年8月12日 作曲 現代音楽
なんしー うめきナンシー梅木

Nancy Umeki

56年、全米デビュー。映画『サヨナラ』でマーロン・ブランド共演し東洋人初のアカデミー賞受賞。
1929年5月8日 2007年8月28日 78 女性歌手 ジャズ
ふらんきー さかいフランキー堺

Frankie Sakai

在学中、ジャズバンド「シックスレモンズ」ドラマーになり進駐軍キャンプで演奏。
1929年2月13日 1996年6月10日 67 ドラム ジャズ
まゆずみ としろう黛 敏郎

Toshiro Mayuzumi

「スポーツ行進曲」が有名な戦後を代表する音楽家。
1929年2月20日 1997年4月10日 68 作曲家 現代音楽
むらた ひでお村田 英雄

Hideo Murata

戦後歌謡界の黄金期をリードした演歌界を代表する歌手の一人。
1929年1月17日 2002年6月13日 73 男性歌手 演歌
おの みつる小野 満

Mitsuru Ono

67年から83年までの17年間「NHK紅白歌合戦」白組の演奏・指揮を担当。
1929年1月3日 2008年1月2日 78 ベース ジャズ
うちの じろう内野 二朗

Jiro Uchino

キョードー東京の設立に参画しビートルズ来日公演を仕切った。東洋最大のキャバレー「ニューラテンクォーター」のプロデューサー。
1927年6月27日 2004年6月15日 76 実業家 ロック
じょーじ かわぐちジョージ川口

George Kawaguchi

「ジャズドラムスの神様」と呼ばれ松本英彦、中村八大、小野満と「ビッグ・フォア」を結成。
1927年6月15日 2003年11月1日 76 ドラム ジャズ
わたなべ しん渡辺 晋

Shin Watanabe

芸能事務所の草分け渡辺プロダクション(ナベプロ)創業者。
1927年3月2日 1987年1月31日 59 実業家 ポップス
うえき ひとし植木 等

Hitoshi Ueki

ハナ肇とクレイジーキャッツのメンバーで高度経済成長期の日本を代表するコメディアン。
1927年2月25日 2007年3月27日 80 男性歌手 ポップス
はら のぶお原 信夫

Nobuo Hara

富山市出身のジャズ・テナーサックス奏者。「シャープス&フラッツ」を率いカウント・ベイシー、リー・モーガン、ウェイン・ショーター、ボビー・ティモンズらと共演し、NHK紅白歌合戦の専属バンドとしても活躍した。67年、美空ひばり「真赤な太陽」を作曲し140万枚を売り上げた。
1926年11月19日 2021年6月21日 94 サックス ジャズ゜
まつもと ひでひこ松本 英彦

Hidehiko Matsumoto

「スリーピー松本」として知られるテナーサックス奏者。戦後日本のジャズ界を代表するプレイヤーとして国際的に活躍し、63年にモントルー・ジャズ・フェスティバルに出場した初の日本人。1951年「渡辺晋とシックス・ジョーズ」に加入。1953年、ジョージ川口、中村八大、小野満と「ビッグ・フォア」を結成、第一次ジャズブームを巻き起こした。1959年、白木秀雄のクインテットに参加。1963年 Monterey Jazz Festival 日本人初出場。甥はサザンオールスターズ、鈴木雅之、吉川晃司、福山雅治らへ楽曲提供した作曲家の松本晃彦。
1926年10月12日 2000年2月29日 73 サックス ジャズ
ながしま たつじ永島 達司

Tatsuji Nagashima

ビートルズを呼んだ日本初のプロモーター 。キョードー東京を設立。
1926年4月26日 1999年5月2日 73 実業家 ポップス
よだ てるお与田 輝雄

Teruo Yoda

ジャズ・テナーサックス奏者/バンドリーダー。早稲田大学在学中から中村八大らと学生バンドで活躍。46年に東宝交響楽団、48年「東松ニ郎とアスマニアンズ」、49年「松井八郎と東京ジャイブ」などを経て、51年「与田輝雄とシックス・レモンズ」を結成。「ジョージ川口とビック・フォア」「渡辺晋とシックス・ジョーズ」が三大コンボと呼ばれジャズが大ブームとなった。バンドにはフランキー堺や穐吉敏子らが在籍し、編成を変えながら30年以上にわたって活動を続けた。
1926年1月3日 2011年6月5日 85 サックス ジャズ
ほしの てつろう星野 哲郎

Tetsuro Hoshino

4000曲以上を手掛けた戦後歌謡界を代表する作詞家の一人。
1925年9月30日 2010年11月15日 85 作詞家 演歌
ふじさわ らんこ藤沢 嵐子

Ranko Fujisawa

1950年代に活動した東京府出身のタンゴ歌手。1950年に「早川真平とオルケスタ・ティピカ東京」に参加し日本語・スペイン語でタンゴを歌いった。1953・1954・1956・1964年にはアルゼンチンでツアーを行い、フアン・ペロン大統領夫人のエバ・ペロン(エビータ)の追悼コンサートやラジオ番組に出演し、アルゼンチンで絶大な人気を得た。この時の録音がラジオ東京『藤沢嵐子アワー』で放送されると日本でも人気が高まった。1971年に楽団が解散し引退した。
1925年7月21日 2013年8月22日 88 女性歌手 タンゴ
はぎわら ひろあき萩原 哲晶

Hiroaki Hagiwara

北海道岩見沢市出身の作曲家。いくつかのジャズバンドを経て、55年、クレージーキャッツの前身「ハナ肇とキューバン・キャッツ」に参加。作曲に専念するため脱退し、「スーダラ節」などクレージーキャッツのほとんどの作曲・編曲を手がけた。没後、大瀧詠一が1986年にクレージーキャッツの「実年行進曲」を作曲・編曲した際、萩原の編曲手法に着想を得た事から萩原を「原編曲」としてクレジットした。
1925年5月26日 1984年1月13日 58 作曲家 ジャズ
おいだ としお笈田 敏夫

Toshio Oida

戦後を代表するジャズ歌手。
1925年2月21日 2003年9月2日 78 男性歌手 ジャズ
ふくだ いちろう福田 一郎

Ichiro Fukuda

ビートルズなどの洋楽を紹介しマイケル・ジャクソンら著名人と交流。
1925年2月16日 2003年9月4日 78 評論家 ロック
つるた こうじ鶴田 浩二

Koji Tsuruta

70年「傷だらけの人生」が大ヒット。昭和を代表する映画俳優。
1924年12月6日 1987年6月16日 62 男性歌手 戦後歌謡
かすが はちろう春日 八郎

Hachiro Kasuga

『お富さん』が社会現象化し125万枚の大ヒット。
1924年10月9日 1991年10月22日 67 男性歌手 戦後歌謡
せがわ まさひさ瀬川 昌久

Masahisa Segawa

53年、富士銀行NY支店に在籍中、カーネギーホールでビリー・ホリデイ、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピー、バド・パウエルらのライブを体験。音楽誌に多数寄稿。2015年、ジャズとミュージカルの普及活動により文化庁長官表彰を受賞(小泉清子、八千草薫に次ぐ3人目)。
▶ カーネギー・ホールで生のチャーリー・パーカーを聴いた想い出
1924年6月18日 2021年12月29日 97 評論家 ジャズ
こしじ ふぶき越路 吹雪

Fubuki Koshiji

日本屈指のシャンソンの女王。1946年「ブギウギ巴里」でレコードデビューし戦後の宝塚で最大のヒットとなった。「愛の讃歌」「サン・トワ・マミー」などヒット多数。
1924年2月18日 1980年11月7日 56 女性歌手 シャンソン
もりやす しょうたろう守安 祥太郎

Shotaro Moriyasu

ビバップを日本でいち早く体得した「幻のピアニスト」
1924年1月5日 1955年9月28日 31 ピアノ ジャズ
つむら けん津村 謙

Ken Tsumura

51年「上海帰りのリル」が52万枚の大ヒット。
1923年12月12日 1961年11月28日 37 男性歌手 戦後歌謡
みなみ はるお三波 春夫

Haruo Minami

戦後昭和の歌謡界黄金期を代表する歌手。
1923年7月19日 2001年4月14日 77 男性歌手 戦後歌謡
ゆいぜ しんいち唯是 震一

Shinichi Yuize

53年、コロンビア大学でヘンリー・カウエルに師事。ストコフスキー指揮ニューヨーク・フィルハーモニーとの共演で「春の海」を演奏し国際的に。竹久夢二の絵画に着想を得た組曲「長崎十二景」は坂東玉三郎によって舞踊化された。
1923年10月30日 2015年1月5日 91 作曲 邦楽
まぶち げんぞう馬渕 玄三

Genzo Mabuchi

美空ひばり、島倉千代子、かぐや姫を担当。五木寛之の小説「艶歌の竜」のモデル。
1923年7月 1997年5月15日 73 ディレクター 演歌
じん あきら神 彰

Akira Jin

戦後復興期にボリショイ・バレエ団、ボリショイサーカス、レニングラード・フィルハーモニー交響楽団を招聘。
1922年6月27日 1998年5月28日 75 実業家
どりーべいかードリー・ベイカー

Dolly Baker

ニューヨーク生まれ。38年、アポロ・シアターの名物「アマチュアナイト」で優勝(34年の優勝者はエラ・フィッツジェラルド)。61年にポルトガル人実業家と再婚し東京へ移住。85年、第1回「日本ジャズボーカル賞」奨励賞受賞。30年以上にわたり日本各地でライブを行い人気を博し、来日したデューク・エリントン、サラ・ヴォーン、メル・トーメらをサポートした。
▶ Dolly Baker Story
1922年2月7日 2014年4月23日 90 女性歌手 ジャズ
みやま としゆき宮間 利之

Toshiyuki Miyama

第二次世界大戦中は海上自衛隊音楽隊で演奏。戦後、日大の学生とラッキー・パピー・オーケストラを結成し、58年に楽団名をニュー・ハードに変更。71年にチャールズ・ミンガスとレコーディングし70年代から80年代にかけて世界中でツアーを行った。彼は50年以上にわたって楽団を率い、2000年代まで演奏を続けた。
▶ 宮間利之ニューハード
1921年10月31日 2016年5月24日 94 クラリネット ジャズ
なみき みちこ並木 路子

Michiko Namiki

「リンゴの唄」が歌謡史に残る爆発的なヒット。日本を代表する歌手のひとり。
1921年9月30日 2001年4月7日 79 女性歌手 戦後歌謡
さかうえ ひろし坂上 弘

Hiroshi Sakaue

菊池滋弥ジャズバンドにトランペット奏者として参加。2009年、世界最高齢シンガーソングラッパーとしてメジャーデビュー。
1921年8月10日 1921年8月10日 男性歌手 ポップス
よしだ ただし吉田 正

Tadashi Yosjida

「いつでも夢を」300万枚の大ヒット。吉永小百合は門下生。作曲数2,400曲以上。
1921年1月20日 1998年6月10日 77 作曲家 戦後歌謡
きな しょうえい喜納 昌永

Shoei Kina

柔軟なアイデアで戦後民謡の黄金期を築いた。息子は喜納昌吉。
1920年12月28日 2009年12月24日 88 三線 沖縄民謡
みはら じゅんこ三原 純子

Junko Mihara

昭和期の流行歌歌手。デビュー曲「南から南から」が大ヒット。
1920年8月6日 1959年10月3日 39 女性歌手 戦中歌謡
もり みつこ森 光子

Mitsuko Mori

日本演劇界に金字塔を打ち立てた名女優。戦時中は前座歌手。05年「月夜のタンゴ」(竹内まりや/山下達郎])が2つの記録。
1920年5月9日 2012年11月10日 92 女性歌手 ポップス
やまぐち よしこ山口 淑子

Yoshiko Yamaguchi

「李香蘭」として日本・満洲で人気沸騰。イサム・ノグチと結婚し魯山人のもとに居住。田中角栄の要請で政治家に。
1920年2月12日 2014年9月7日 94 女性歌手 戦前歌謡
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