名前👤 | 誕生日⏳ | 命日⌛ | 年齢❤ | パート🎷 | ジャンル📖 | 出身🌏 |
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1959年12月22日 | 1959年12月22日 | ベース | ジャズ | us |
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フランク・ワイルドホーン
Frank Wildhorn |
1959年11月29日 | 1959年11月29日 | 作曲家 | ミュージカル | us |
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シンディ・ブラックマン・サンタナ
Cindy Blackman Santana アメリカのジャズ/ロックドラマー。バークリー音楽大学でアラン・ドーソンに師事し、天才トニー・ウィリアムスの指導も受けた。1993年、レニー・クラヴィッツ「Are You Gonna Go My Way」で一躍有名になり、18年間クラヴィッツのツアードラマーとして活躍した。ファラオ・サンダース、ロン・カーター、サム・リヴァース、カサンドラ・ウィルソン、ビル・ラズウェルなどのレコーディングに参加。2010年、カルロス・サンタナと結婚した。
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1959年11月18日 | 1959年11月18日 | ドラム | ジャズ | us |
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カナダ・オンタリオ州キングストン出身のシンガーソングライター。19歳でA&Mレコードと契約。
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1959年11月5日 | 1959年11月5日 | 男性歌手 | ポップ | ca |
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ユッスー・ンドゥール
Youssou N'Dour |
1959年10月1日 | 1959年10月1日 | 男性歌手 | ワールド | sn |
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カーティス・ブロウ
Kurtis Blow |
1959年8月9日 | 1959年8月9日 | 男性歌手 | ヒップホップ | us |
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スタンリー・ジョーダン
Stanley Jordan |
1959年7月31日 | 1959年7月31日 | ギター | ジャズ | us |
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1959年7月29日 | 1959年7月29日 | ギター | ロック | eg |
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スザンヌ・ヴェガ
Suzanne Vega |
1959年7月11日 | 1959年7月11日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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アメリカの世界的ベーシスト、プロデューサー、作曲家。15歳でプロになり、エルトン・ジョン、チャカ・カーン、リー・トリナー、ロバータ・フラック、ロニー・リストン・スミス、カーリー・サイモン、アレサ・フランクリンなど、膨大なレコーディングに参加。1986年、マイルス・デイヴィス『TUTU』をプロデュースし、一躍世界的名な声を獲得した。 グラミー受賞 2回・ノミネート 16回(2024年時点)
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1959年6月14日 | 1959年6月14日 | ベース | フュージョン | us |
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ジミー・ジャム
Jimmy Jam 1980–1990年代に最も成功したアメリカのプロデューサーの一組「ジャム&ルイス」で知られる。主にジャネット・ジャクソンの楽曲で有名で、S.O.S.バンド、シェレール、アレクサンダー・オニール、シェリル・リンらをプロデュースし、マイケル・ジャクソン、マライア・キャリー、チャカ・カーン、サウンズ・オブ・ブラックネス、メアリー・J. ブライジ、ビヨンセらに楽曲提供した。高校時代にテリー・ルイスとバンドを結成し、1981年よりプリンスのオープニングアクトを務めた。
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1959年6月6日 | 1959年6月6日 | プロデュース | R&B | us |
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スティーヴ・スティーヴンス
Steve Stevens |
1959年5月5日 | 1959年5月5日 | ギター | ハードロック | us |
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ロジャー・イーノ
Roger Eno イングランドの作曲家。兄ブライアン・イーノとともにアンビエント・ミュージックのアーティストとして知られている。ブライアン・イーノのアルバム『Apollo』(1983) にダニエル・ラノワと参加し本格的に音楽活動を開始。デヴィッド・ギルモアの4thアルバム『Rattle That Lock』(2015)、5thアルバム『Luck and Strange』(2024) に参加。
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1959年4月29日 | 1959年4月29日 | 作曲家 | アンビエント | eg |
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1959年4月27日 | 1959年4月27日 | 女性歌手 | ポップ | sc |
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アメリカギタリスト・歌手。1979年にロカビリー・バンドのストレイ・キャッツを結成し、ネオロカビリーブームで人気を博した。1986年にソロ・デビュー。1990年、ブライアン・セッツァー・オーケストラ結成。布袋寅泰 5thアルバム『King & Queen』(1996) で初共演。 グラミー受賞 3回・ノミネート 12回(2024年時点) |
1959年4月10日 | 1959年4月10日 | ギター | ロカビリー | us |
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オマー・ハキム
Omar Hakim |
1959年2月12日 | 1959年2月12日 | ドラム | ジャズ | us |
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ドイツの世界的スパニッシュギタリスト。「ヌーヴォー・フラメンコ」というスタイルで『Nouveau Flamenco』(1990) がアメリカで140万枚を売り上げた。1991年『Solo Para Ti』収録「Reaching out 2 U」「Samba Pa Ti」でカルロス・サンタナと客演。カルロス・サンタナ、パコ・デ・ルシア、ジョン・マクラフリン、ロバート・フリップ、ジェフ・ベック、マイルス・デイヴィスらに影響を受けたという。
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1959年2月1日 | 1959年2月1日 | ギター | フラメンコ | de |
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マーク・アイツェル
Mark Eitzel アメリカのシンガーソングライター。1982年、ソロ活動と並行しロックバンド、アメリカン・ミュージック・クラブを結成。
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1959年1月30日 | 1959年1月30日 | 男性歌手 | ロック | us |
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ナイジェリア・イバダン生まれのシンガーソングライター。イギリスのバンド「シャーデー」のヴォーカリストとして世界的に有名。ミステリアスでアダルトな歌声で知られている。1977年、ロンドンのセントラル・セント・マーチンズでファッションデザインを学ぶ。1982年、スチュワート・マシューマン (G/Sax) ポール・デンマン (B) アンドリュー・ヘイル (Key) とシャーデーを結成し、1983年にエピック・レコードと契約。1984年、ロビン・ミラーのプロデュースで1stアルバム『Diamond Life』をリリースし全米2位・全英5位を記録。世界で1,000万枚以上を売り上げた。なお、シャーデーからヴォーカルのシャーデー・アデュを抜くとスウィートバックという形態になる。
アルバム
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1959年1月16日 | 1959年1月16日 | 女性歌手 | R&B | ng |
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バリー・イーストモンド
Barry Eastmond |
1959年1月11日 | 1959年1月11日 | プロデュース | R&B | us |
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1958年12月22日 | 1958年12月22日 | ギター | フュージョン | au |
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シェレール
Cherrelle |
1958年10月13日 | 1958年10月13日 | 女性歌手 | R&B | us |
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ハワード・オールデン
Howard Alden |
1958年10月17日 | 1958年10月17日 | ギター | ジャズ | us |
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1958年8月29日 | 2009年6月25日 | 50 | 男性歌手 | ポップ | us |
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ベリンダ・カーライル
Belinda Carlisle |
1958年8月17日 | 1958年8月17日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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1958年8月16日 | 1958年8月16日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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1958年7月30日 | 1958年7月30日 | 女性歌手 | ポップ | eg |
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アメリカのシンガーソングライター・作曲家・マルチ楽器奏者・プロデューサー・俳優・映画監督。ミネソタ州ミネアポリス出身。ファンク、ブルース、ゴスペル、ハード・ロック、サイケデリック・ロック、ダンス・ミュージック、ソウル、ジャズ、ポップ、ロックなどの音楽性を持ち、ミネアポリス・サウンドの中心的存在。プラチナアルバム12作品、「TOP 40」シングル30曲、総売上1億5,000万枚以上。マルティカなど、多くのアーティスト作品をプロデュースした。
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1958年6月7日 | 2016年4月21日 | 57 | 男性歌手 | R&B | us |
ヨナス・エルボーグ
Jonas Hellborg |
1958年6月7日 | 1958年6月7日 | ベース | ロック | se |
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1958年5月25日 | 1958年5月25日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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1958年4月10日 | 1958年4月10日 | プロデュース | R&B | us |
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マドリーン・ケーン
Madleen Kane スウェーデンのモデル・歌手。十代でエリート・モデル(身長180cm 体重47kg)に所属し、ヨーロッパのファッション誌やプレイボーイ誌で掲載された。1978年、アルバム『Rough Diamond 』で世界的ヒットを記録。 ジョルジオ・モロダーらのプロデュースで1970年代後半から1980年代前半にかけて、米国のダンスミュージックチャートで5曲が「TOP 10」入りを果たした。
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1958年3月4日 | 1958年3月4日 | 女性歌手 | ダンス | se |
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デヴィッド・シルヴィアン
David Sylvian イングランドのシンガーソングライター。ニューウェイヴバンド「ジャパン」のヴォーカリスト。解散後、電子音楽やアンビエントを追求し、ロバート・フリップや坂本龍一らとコラボレーション作品を多数発表している。
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1958年2月23日 | 1958年2月23日 | 男性歌手 | 前衛 | eg |
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アイスT
Ice-T |
1958年2月16日 | 1958年2月16日 | 男性歌手 | ヒップホップ | us |
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ビル・エヴァンス
Bill Evans アメリカのジャズ・サックス奏者。22歳の時、マイルス・デイヴィス・バンドに加入し『The Man With The Horn』(1981) 『We Want Miles』(1982) 『Star People』(1983) 『Decoy』(1984) に参加。ハービー・ハンコック、ジョン・マクラフリン、マイケル・フランクス、ウィリー・ネルソン、ミック・ジャガーらのツアー・録音に参加した。ジャズ・ピアニストのビル・エヴァンスとは同名異人。
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1958年2月8日 | 1958年2月8日 | サックス | ジャズ | us |
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アメリカの女性R&Bシンガー。「チャプター8」のリードシンガーを経て1983年にソロデビュー。1986年、マイケル・J・パウエルによるプロデュースで1stアルバム『Rapture』リリース。ルイス・ジョンソン、ゲイリー・バイアスと共作した「Sweet Love」が全米8位を獲得しグラミー賞「最優秀R&Bソング賞」受賞。1990–2000年代はリリースが激減したが、1994年に5thアルバム『Rhythm of Love』全米3位、2004年にバリー・イーストモンド、ジョージ・デューク、ベイビーフェイスが参加した6thアルバム『My Everything』が全米4位を記録し根強い人気を証明した。 グラミー受賞 8回・ノミネート 18回(2024年時点) |
1958年1月26日 | 1958年1月26日 | 女性歌手 | R&B | us |
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エイドリアン・シャーウッド
Adrian Sherwood |
1958年1月20日 | 1958年1月20日 | プロデュース | eg |
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カシーフ
Kashif アメリカの歌手・プロデューサー。ファンクバンド「BTエクスプレス」後期のメンバーとしてデビュー。その後、ソロ歌手及び音楽プロデューサーとして独立。ケニー・G、ジョージ・ベンソン、ホイットニー・ヒューストンなどプロデュースした。
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1957年12月26日 | 2016年9月25日 | 59 | プロデュース | us |
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シーラ・E
Sheila E アメリカのドラマー、パーカッション奏者、歌手。プリンスのライブやツアーに参加。プリンスがプロデュースした「The Glamorous Life」(1984) 全米7位、「A Love Bizarre」(1986) 全米11位・R&B 2位を記録。日本人では高中正義や小室哲哉らが共演した。本名「Sheila Escovedo」で、父はラテンロックバンド「アステカ」を結成したパーカッション奏者ピート・エスコヴェード。
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1957年12月12日 | 1957年12月12日 | ドラム | us |
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ヴェスタ・ウィリアムス
Vesta Williams アメリカの女性R&B歌手。グラディス・ナイト、チャカ・カーン、ステファニー・ミルズらのバックシンガーを経て、1986年に1stアルバム『Vesta』をリリースした。
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1957年12月1日 | 2011年9月22日 | 53 | 女性歌手 | R&B | us |
マイク・ヴァーニー
Mike Varney |
1957年10月29日 | 1957年10月29日 | プロデュース | メタル | us |
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アメリカの世界的ギタリスト・シンガーソングライター。1977年、スタジオ・ミュージシャンとして活動していたジェフ・ポーカロ、デヴィッド・ペイチらと TOTO を結成。1982年、4thアルバム『TOTO IV』が1200万枚以上のセールスを記録し、グラミー賞で6冠に輝いた。マイケル・ジャクソン「Beat It」(1982) でのエディ・ヴァン・ヘイレンとの共演が有名。2012年より「リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンド」に参加。 グラミー受賞 5回・ノミネート 8回(2024年時点) |
1957年10月21日 | 1957年10月21日 | ギター | ハードロック | us |
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1957年10月17日 | 1957年10月17日 | ベース | ロック | wales |
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ザイン・グリフ
Zaine Griff ニュージーランド出身のベーシスト・シンガーソングライター。1974年、ロンドンに渡りパントマイマーのリンゼイ・ケンプに師事しケイト・ブッシュと交流。デヴィッド・ボウイの再録音「Space Oddity」(1975)「Rebel Rebel」(1974)「Panic in Detroit」(1979) に参加した。
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1957年10月4日 | 1957年10月4日 | ベーシスト | ロック | nz |
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ドイツ出身の世界的な映画音楽の作曲家。『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズや『トップガン マーヴェリック 』(2022)『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ 』(2021)『ミッション:インポッシブル2 』(2000)『クリムゾン・タイド 』(1995)『ライオンキング 』(1994)『テルマ&ルイーズ 』(1991)『ブラックレイン 』(1989) など、膨大なサウンドトラックを手掛けた。ロサンゼルス在住。
グラミー受賞 4回・ノミネート 22回(2024年時点)
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1957年9月12日 | 1957年9月12日 | 作曲家 | 映画音楽 | de |
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イングランドを代表する女性歌手・作詞家・プロデューサー。セックス・ピストルズに感化され、スージー&ザ・バンシーズ (Siouxsie & The Banshees, 1976–1996) を結成。「Hong Kong Garden」「Happy House」「Peek-A-Boo」「Kiss Them for Me」などのヒットを放った。1992年、ティム・バートンに『バットマン・リターンズ』の曲を依頼され「Face to Face」を作曲。元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケイルやモリッシーらと共演。 U2、ザ・キュアー、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、ジェフ・バックリィ、 レディオヘッド、R.E.M.、ソニック・ユースなど世界中のミュージシャンに多大な影響を与えた。
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1957年5月27日 | 1957年5月27日 | 女性歌手 | ロック | eg |
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クリフ・マグネス
Clif Magness アメリカの歌手・ソングライター・プロデューサー・マルチ楽器奏者。アヴリル・ラヴィーンの1stアルバム『Let Go』(2002)「 Losing Grip」など共同作詞・プロデュース。クインシー・ジョーンズ「The Places You Find Love」で第33回グラミー賞「最優秀インストゥルメンタル・アレンジメント・ヴォーカル賞」受賞。映画『ベートーベン2』(1993) 主題歌「The Day I Fall In Love」でアカデミー賞、ゴールデングローブ賞にノミネートされた。
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1957年4月24日 | 1957年4月24日 | 男性歌手 | ポップ | us |
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アメリカのヒップポップ・アーティスト、DJ。1970年代ヒップホップの黎明期にクール・ハーク、グランドマスター・フラッシュらと関わった。バンバータはブロンクスのギャング集団ブラック・スペーズの幹部だったが、1973年に黒人の若者たちによる非暴力組織「ユニバーサル・ズールー・ネイション」(Universal Zulu Nation) を設立。DJ、MC、グラフィティ、ダンスを総じてヒップホップと命名した。1982年、クラフトワーク「Trans-Europe Express」に影響を受けた「Planet Rock」をリリースし、エレクトロファンクと呼ばれたスタイルは大きな影響を与えた。彼の楽曲は、LL Cool feat. ジェニファー・ロペス「Control Myself」など、さまざまなアーティストによってサンプリングされている。ジェームス・ブラウン、ルー・リード、ジョーイ・ラモーン、ジョン・ライドン、ボーイ・ジョージ、ジョージ・クリトン、ブーツィー・コリンズ、U2、Run-D.M.C.など多彩なミュージシャンと共演。
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1957年4月17日 | 1957年4月17日 | 男性歌手 | ヒップポップ | us |
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ダリル・シモンズ
Daryl Simmons |
1957年4月11日 | 1957年4月11日 | プロデュース | R&B | us |
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アメリカのロック・ギタリスト。1983年、オジー・オズボーン・バンドに加入し3rdアルバム『Bark At The Moon』(邦題『月に吠える』)のプレイで注目された。脱退後、ザック・ワイルドが後任として加入した。その後、バッドランズ、レッド・ドラゴン・カーテルを結成した。
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1957年2月15日 | 1957年2月15日 | ギター | ロック | us |
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1957年2月6日 | 1957年2月6日 | ドラム | ロック | eg |
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アメリカの伝説的なロック・ギタリスト。オジー・オズボーン・バンドの初代ギタリスト。1980年、オジー・オズボーンの1stシングル「Crazy Train」でメジャーデビューし、新たなギターヒーローとして注目を集めた。1982年3月19日、飛行機事故に遭い25歳で他界。2021年、ロックの殿堂入りした。
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1956年12月6日 | 1982年3月19日 | 25 | ギター | ハードロック | us |
テリー・ルイス
Terry Lewis 1980–1990年代に最も成功したアメリカのプロデューサーの一組「ジャム&ルイス」で知られる。主にジャネット・ジャクソンの楽曲で有名で、S.O.S.バンド、シェレール、アレクサンダー・オニール、シェリル・リンらをプロデュースし、マイケル・ジャクソン、マライア・キャリー、チャカ・カーン、サウンズ・オブ・ブラックネス、メアリー・J. ブライジ、ビヨンセらに楽曲提供した。高校時代にジミー・ジャムとバンドを結成し、1981年よりプリンスのオープニングアクトを務めた。1992年キャリン・ホワイトと結婚。
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1956年11月24日 | 1956年11月24日 | プロデュース | R&B | us |
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1956年10月23日 | 1956年10月23日 | 女性歌手 | ジャズ | us |
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フレディ・ジャクソン
Freddie Jackson |
1956年10月2日 | 1956年10月2日 | 男性歌手 | R&B | us |
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ポール・クック
Paul Cook イギリスのパンク・ロックバンド、セックス・ピストルズのドラマー。
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1956年7月20日 | 1956年7月20日 | ドラム | パンク | us |
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アメリカの著名ギタリスト。ミック・ジャガーやディープ・パープルのツアーギタリストとして同行。ギター講師としてスティーヴ・ヴァイやカーク・ハメットを教えた。 グラミー賞ノミネート 15回(2024年時点) |
1956年7月15日 | 1956年7月15日 | ギター | ハードロック | us |
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デナード・コールマン
Denardo Coleman アメリカのジャズドラマー、音楽プロデューサー。父はサックス奏者でフリージャズの先駆者オーネット・コールマン、母は詩人ジェイン・コルテス。6歳でドラムを始め、10歳でオーネット・コールマン『The Empty Foxhole』(1966) に参加。以後、オーネットのリーダー作多数で共演した。
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1956年4月19日 | 1956年4月19日 | ドラム | ジャズ | us |
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リッキー・ウェルマン
Ricky Wellman アメリカのジャズドラマー。1976–1987年までゴーゴーの生みの親チャック・ブラウンの The Soul Searchers に参加。マイルス・デイヴィス『Amandla 』(1989) のレコーディングとツアー、1997年にサンタナのツアーに参加した。
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1956年4月11日 | 2013年11月23日 | 57 | ジャズ | ドラム | us |
ハル・ウィルナー
Hal Willner |
1956年4月5日 | 2020年4月7日 | 64 | プロデュース | us |
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グレッグ・フィールド
Gregg Field アメリカのプロデューサー・ドラマー。グラミー賞とエミー賞を複数回受賞。1991年から1995年までフランク・シナトラの最後のドラマーを務めた。
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1956年2月21日 | 1956年2月21日 | プロデュース | ポップ | us |
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ブライアン・ロバートソン
Brian Robertson |
1956年2月12日 | 1956年2月12日 | ギター | ロック | sc |
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ディディエ・ロックウッド
Didier Lockwood |
1956年2月11日 | 2018年2月18日 | 62 | バイオリン | フュージョン | fr |
1956年2月5日 | 1956年2月5日 | ドラム | ロック | us |
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1956年1月31日 | 1956年1月31日 | 男性歌手 | パンク | us |
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エイミー・スチュワート
Amii Stewart |
1956年1月29日 | 1956年1月29日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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アメリカのジャズ/フュージョンのベーシスト。10代でバリー・ホワイト率いる「ラヴ・アンリミテッド・オーケストラ」に加入。その後、スタジオ・ミュージシャンとしてジョージ・ベンソン、ジョー・サンプル、ジョージ・ハリスン、エリック・クラプトン、スティーヴィー・ワンダー、フィル・コリンズ、TOTO らと共演。 グラミー賞ノミネート 7回(2024年時点) |
1955年12月8日 | 1955年12月8日 | ベース | フュージョン | us |
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カサンドラ・ウィルソン
Cassandra Wilson |
1955年12月4日 | 1955年12月4日 | 女性歌手 | ジャズ | us |
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ビリー・アイドル
Billy Idol イングランドのロック・シンガー。1976年、パンクロック・バンド「ジェネレーションX」を結成。解散後アメリカに渡りギタリストのスティーヴ・スティーヴンスを迎えアルバム『Billy Idol』(1982) でソロデビューした。1987年「Mony Mony」全米1位。
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1955年11月30日 | 1955年11月30日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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1955年10月7日 | 1955年10月7日 | チェロ | クラシック | fr |
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パット・マステロット
Pat Mastelotto |
1955年9月10日 | 1955年9月10日 | ドラム | プログレ | us |
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スティーヴ・ジョーンズ
Steve Jones |
1955年9月3日 | 1955年9月3日 | ギター | パンク | eg |
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スコットランド出身のギタリスト。スージー&ザ・バンシーズのメンバーとして知られ、「ニュー・ウェイヴのジミー・ペイジ」と称された。ジ・エッジ(U2)、ジョニー・マー(ザ・スミス)、ジョニー・グリーンウッド、エド・オブライエン(ともにレディオヘッド)、デイヴ・ナヴァロ(ジェーンズ・アディクション)、ビリー・コーガン(スマッシング・パンプキンズ)、ジョン・フルシアンテ(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)らがその影響を公言した。
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1955年8月25日 | 2004年3月4日 | 48 | ギター | ロック | sc |
ディーン・ブラウン
Dean Brown フランス生まれのセッション・ギタリスト。バークリー音楽大学の同期マイク・スターンやビル・フリゼールがいる。1981年、ビリー・コブハムのバンドに参加。1980–1990年代にかけてロバータ・フラック、マーカス・ミラー、デイヴィッド・サンボーン、ブレッカー・ブラザーズ、ジョー・サンプル、ボブ・ジェームス、カーク・ウェイラムらと共演。ウィル・リー (B)、デニス・チェンバース (Dr) と「DBIII」(ディービースリー)を結成し、2008年に日本公演を行った。
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1955年8月19日 | 2024年1月26日 | 68 | ギター | フュージョン | fr |
1955年5月31日 | 1955年5月31日 | ギター | カントリー | aau |
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アメリカの音楽プロデューサー、ベーシスト。アンビエント、エレクトロニカ、ダブ、テクノ、アヴァンギャルド、ワールドミュージックなどさまざまな音楽を制作し、ミック・ジャガー、ハービー・ハンコック、ブライアン・イーノ、キップ・ハンラハン、坂本龍一、ジョン・ライドン、アフリカ・バンバータなど関わったアーティストと作品は膨大。ファンカデリック、ストゥージズ、MC5らに影響を受けた。1970年代にニューヨークの実験音楽シーンに触発され、ローリング・ストーンズがハウスバンドを務めた「クローダディ・クラブ」の元オーナーで当時NYで活動していた重鎮ジョルジオ・ゴメルスキー (1934–2016, 81) の元で働き、ヘンリー・カウ、マグマらと交流しながら国内外の前衛音楽の配給を始めた。
プロデュース 1 Material 名義
プロデュース 2 Bill Laswell 名義 |
1955年2月12日 | 1955年2月12日 | プロデュース | エレクトロニカ | us |
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1955年1月26日 | 2020年10月6日 | 65 | ギター | ハードロック | nl |
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1955年1月10日 | 1955年1月10日 | ギター | ハードロック | de |
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スコットランド出身の女性歌手。ユーリズミックスのヴォーカルとして世界中で7,500万枚のレコードを売り上げた。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」93位。
グラミー受賞 4回・ノミネート 15回(2024年時点)
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1954年12月25日 | 1954年12月25日 | 女性歌手 | ニューウェイヴ | sc |
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アメリカの音楽プロデューサー。アストル・ピアソラ (1921–1992, 71)の三部作『Tango: Zero Hour』(1986)『Rough Dancer And The Cyclical Night』(1987)『La Camorra』(1988) をプロデュースした鬼才として知られている。自身名義の楽曲は、ニューヨークのアンダーグラウンド・シーンの前衛的なジャズ、ラテン、ロックなどが融合したパーカッシブルなサウンドが特徴で、スティングやジャック・ブルースが参加した。 ブロンクス・プエルトリコ地区のユダヤ人(父アイルランド系・母ウクライナ系)の家庭に誕生。名門クーパー・ユニオン大学に入学し、コンセプチュアル・アーティストのハンス・ハーケに師事。1980年、レーベル「アメリカン・クラーヴェ」(American Clavé) を設立し、マイルス・デイヴィスのプロデューサーで知られるテオ・マセロ『Teo』(1980) をリリース。1stアルバム『Coup De Tête』(1981) にはアート・リンゼイ (G)、カーラ・ブレイ (P)、ビル・ラズウェル (B)、テオ・マセロ (Sax)らが参加した。 |
1954年12月9日 | 1954年12月9日 | プロデュース | us |
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フランク・マリノ
Frank Marino カナダの歌手、ギタリスト。ハードロックバンド「マホガニー・ラッシュ」のリーダー。1970年代において最も過小評価されているギタリストのひとりとされる。アルバート・キングやスティーヴィー・レイ・ヴォーンのトリビュート・アルバムなどに参加し、ザック・ワイルド、ジョー・ボナマッサ、エリック・ゲイルズ、ヴィニー・ムーア、ポール・ギルバートなどに影響を与えた。『ギター・プレイヤー』ではジェフ・ベック、エドワード・ヴァン・ヘイレン、ジ・エッジと並んで「フルスペクトラムのギターの神」と評されている。2021年、音楽活動から引退した。
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1954年11月20日 | 1954年11月20日 | ギター | ロック | ca |
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ヴィンス・アンドリュース
Vince Gerard Andrews |
1954年11月9日 | 2012年7月7日 | 57 | サックス | ジャズ | us |
リッキー・リー・ジョーンズ
Rickie Lee Jones アメリカのシンガーソングライター。1979年、1stアルバム『Rickie Lee Jones』全米3位、「Chuck E.'s In Love」全米4位を記録し、グラミー賞「最優秀新人賞」を受賞。レコーディングには、マイケル・マクドナルド、ドクター・ジョン、ウィリー・ウィークス、スティーヴ・ガッド、ジェフ・ポーカロ、アンディ・ニューマーク、ニック・デカロ、バジー・フェイトン、ニール・ラーセン、アーニー・ワッツなど一流ミュージシャンが参加した。一時期レコーディングを中断していたが、ウォルター・ベッカーがプロデュースした6thアルバム『Flying Cowboys』(1989) より復帰した。恋人だったトム・ウェイツの4thアルバム『Foreign Affairs』(1977) と5thアルバム『Blue Valentine』(1978) のカバーアートで姿が確認できる。 グラミー受賞 2回・ノミネート 8回(2024年時点)
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1954年11月8日 | 1954年11月8日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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スコット・ヤナウ
Scott Yanow |
1954年10月4日 | 1954年10月4日 | 評論家 | ジャズ | us |
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アメリカの世界的ブルースギタリスト・歌手・作曲家。アルバート・キング、エルモア・ジェームス、オーティス・ラッシュらに強い影響を受けたという。
グラミー受賞 6回・ノミネート 13回
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1954年10月3日 | 1990年8月27日 | 35 | ギター | ブルース | us |
バーシア
Basia イギリスを中心に活動するポーランド出身の女性歌手。イギリスでマット・ビアンコなどに参加し、1986年にソロ・デビュー。1987年、PARCOのクリスマス・キャンペーンのCMに出演・楽曲「New Day for You」を提供し日本で人気を博した。「Cruising for Bruising」全米29位・カナダ4位が有名。
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1954年9月30日 | 1954年9月30日 | 女性歌手 | ポップ | pl |
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1954年9月28日 | 1954年9月28日 | ギター | ロック | us |
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1954年8月25日 | 1954年8月25日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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スティーヴ・スミス
Steve Smith アメリカのジャズ/ロックのドラマー。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のドラマー」30位。バークリー音楽大学でトニー・ウィリアムスの師アラン・ドーソンに師事。ジャーニーのドラマーとして有名で、ステップス・アヘッド、マライア・キャリー、ブライアン・アダムス、ラリー・コリエル、フランク・ギャンバレらのレコーディングに参加した。
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1954年8月21日 | 1954年8月21日 | ドラム | ジャズ | us |
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アメリカの世界的ジャズ・ギタリスト。18歳でバークリー音楽大学の講師を務め、1974年にゲイリー・バートン『Ring』でレコーディング・デビュー。翌年、1975年にジャコ・パストリアスを迎え初リーダー作『Bright Size Life』をリリース。1979年、ドン・アライアス、マイケル・ブレッカー、ジャコ・パストリアス、ライル・メイズらとジョニ・ミッチェルのバンドとして参加した。 グラミー受賞 20回・ノミネート 39回(2024年時点) |
1954年8月12日 | 1954年8月12日 | ギター | フュージョン | us |
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アメリカの世界的なジャズ・フュージョン系ギタリスト。1974年、チック・コリアのリターン・トゥ・フォーエヴァーに参加。ラテン、ワールドミュージック色に彩られたサウンドで、パコ・デ・ルシア、ジョン・マクラフリン、スタンリー・クラークなど世界の著名ミュージシャンと共演。 グラミー受賞 1回・ノミネート 1回(2024年時点)。 |
1954年7月22日 | 1954年7月22日 | ギター | フュージョン | us |
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ウェールズ出身のロックギタリスト。1971年 ゲイリー・ムーアの後任としてアイルランドのバンド「スキッド・ロウ」に加入。>1978年 マイケル・シェンカーの後任として UFO に加入。その後、アメリカへ移住しバンドを結成した。
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1954年6月9日 | 2020年6月9日 | 66 | ギター | ロック | wales |
ジャズ・フュージョンのドラマー・作曲家。1972年、スタン・ケントン・オーケストラでキャリア開始。1978年にウェザー・リポートとジャコ・パストリアスのバンド「ワード・オブ・マウス・ビッグ・バンド」やステップス・アヘッドに参加した。日本人女性(キーボード奏者・吉澤はじめの母の妹)と結婚した。
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1954年6月5日 | 1954年6月5日 | ドラム | フュージョン | us |
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アンジェラ・ボフィル
Angela Bofill |
1954年5月2日 | 2024年6月13日 | 70 | 女性歌手 | R&B | us |
1954年4月19日 | 1954年4月19日 | プロデュース | ロック | ca |
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パット・トラヴァース
Pat Travers カナダのロックギタリスト・歌手・ソングライター。オタワで観たジミ・ヘンドリックスのコンサートに感化されギターを開始。ロニー・ホーキンスに見出され、20代前半でロンドンに移りポリドールと契約。バンドにはニコ・マクブレイン、クライヴ・エドワーズ、トミー・アルドリッジ、カーマイン・アピス、エインズリー・ダンバーらが在籍。ポール・ギルバートはトラヴァースを「ギターの神様」と呼び、メタリカのカーク・ハメットお気に入りのギタリストの一人。
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1954年4月12日 | 1954年4月12日 | ギター | ロック | ca |
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ミシェル・カミロ
Michel Camilo |
1954年4月4日 | 1954年4月4日 | ピアノ | ジャズ | do |
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アメリカのドラマー。ロックバンド TOTO の元リーダー。セッション・ミュージシャンとしても数多くのレコーディングに参加した。TOTO のマイク・ポーカロとスティーヴ・ポーカロは実弟。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のドラマー」に37位。
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1954年4月1日 | 1992年8月5日 | 38 | ドラム | ロッ | us |
アメリカのギタリスト。10歳でギターを始めジミ・ヘンドリックス等に影響を受けた。サンタナのギタリストを経て、1973年に世界的ロックバンド「ジャーニー」を結成した。
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1954年2月27日 | 1954年2月27日 | ギター | ロック | us |
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ジョン・トーマス
John Thomas アメリカのジャズ・ギタリスト。シカゴのブルース・ギタリスト、レジー・ボイドに師事。ジョー・ヘンダーソン『Multiple』(1973)、リターン・トゥ・フォーエヴァー『Live The Complete Concert』(1977) に参加し、ドイツのレーベル「Nabel」と契約。John Thomas & Lifeforce『Devil Dance』(1980)、『3000 Worlds』(1981)、『Dreams, Illusions, Nightmares And Other Realities』(2003) をリリースした。Monika Linges をフィーチャーしたブラジリアン・フュージョン「Like A Samba」がクラブでヒットした。
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1954年2月25日 | 2023年10月12日 | 69 | ギター | ジャズ | us |
トニー・リンゼイ
Tony Lindsay アメリカの歌手。サンタナのヴォーカリストとして1991年から2015年まで最も長く在籍した。バンドは3,000万枚以上を売り上げたアルバム『Supernatural』(1999) で11のグラミー賞を受賞した。2024年に他界した「Maze featuring Frankie Beverly」のフランキー・ビヴァリーに代わり、リンゼイを迎え「Maze Honoring Frankie Beverly」として継続すると発表した。
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1954年 | 1954年1月1日 | 男性歌手 | R&B | us |
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ベティ・ライト
Betty Wright アメリカのR&Bの女性シンガーソングライター。「マイアミ・ソウルの女王」と謳われキャリアは60年以上。1971年「Clean Up Woman」全米6位・R&Bチャート2位、1975年「Where Is the Love」でグラミー賞「最優秀R&B楽曲賞」受賞。キング・スポーティーと結婚した。
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1953年12月21日 | 2020年5月10日 | 66 | 女性歌手 | R&B | us |
アメリカの女性ジャズ歌手・ピアニスト。20枚のアルバムをリリースし、『Diane Schuur & The Count Basie Orchestra』(1987) はビルボードジャズチャート33週間1位を記録。1986年と1987年にグラミー賞「最優秀女性ジャズボーカル・パフォーマンス賞」を受賞。フランク・シナトラ、レイ・チャールズ、クインシー・ジョーンズ、スティーヴィー・ワンダーらとと共演し、B.B.キングと『Heart to Heart』(94) を共作した。 グラミー受賞 2回・ノミネート 5回(2024年時点) |
1953年12月10日 | 1953年12月10日 | 女性歌手 | ジャズ | us |
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シュギー・オーティス
Shuggie Otis アメリカのシンガーソングライター、ギタリスト。父は「R&Bのゴッドファーザー」ことジョニー・オーティス。1969年、15歳でアル・クーパー「Kooper Session」にギターで参加。1970年、デビューアルバム『Here Comes Shuggie Otis』をB.B.キングが絶賛。エタ・ジェイムス、フランク・ザッパらと共演しつつ、1977年に作曲したブラザーズ・ジョンソン「Strawberry Letter 23」が全米1位・R&Bチャート1位を獲得。ローリング・ストーンズのワールドツアー参加要請やクインシー・ジョーンズからのプロデュース依頼を断り、やがてエピック・レコードとのレコーディング契約は無効となった。寡作でアルバムリリースは4枚(2024年時点)。
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1953年11月30日 | 1953年11月30日 | ギター | R&B | us |
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1953年10月28日 | 1953年10月28日 | プロデュース | ロック | us |
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マーク・ジョンソン
Marc Johnson アメリカのジャズ・ベーシスト。1978年、エディ・ゴメスの後任としてビル・エヴァンス・トリオに加入。1980年にエヴァンスが亡くなるまで一緒に活動した。 グラミー受賞 2回・ノミネート 3回(2024年時点) |
1953年10月21日 | 1953年10月21日 | ベース | ジャズ | us |
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ロビー・シェイクスピア
Robbie Shakespeare ジャマイカのベーシスト。レゲエ・デュオ「スライ&ロビー」のメンバーとして有名。ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのベーシスト、アストン・バレットに師事。1975年、スライ・ダンバー (Dr) とスライ&ロビーを結成した。
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1953年9月27日 | 2021年12月8日 | 68 | ベース | レゲエ | jm |
アール・クルー
Earl Klugh アメリカのジャズ・フュージョンのギタリスト。十代後半でユセフ・ラティーフとジョージ・ベンソンのレコーディングとツアーに参加。20歳の時にチック・コリアのリターン・トゥ・フォーエヴァーに加入した。ボブ・ジェームスとの共作『One on One』(1979) でグラミー「ベスト・ポップ・インストゥルメンタル・パフォーマンス」受賞。 グラミー受賞 1回・ノミネート 13回(2024年時点) |
1953年9月16日 | 1953年9月16日 | ギター | フュージョン | us |
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ジェームズ・JT・テイラー
James JT Taylor アメリカ合衆国サウス・カロライナ州出身の歌手。世界的ファンク・バンド、クール&ザ・ギャングのリードシンガーとして知られている。1979年、同グループに加入し1988年脱退。ソロ活動に転じたが1996年に再加入した。ジェームス・テイラーとは別人。
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1953年8月16日 | 1953年8月16日 | 男性歌手 | ファンク | us |
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ジェフ・ハミルトン
Jeff Hamilton アメリカのジャズドラマー。モンティ・アレキサンダー、ウディ・ハーマンらのバンドを経て、1985年クレイトン=ハミルトン・ジャズ・オーケストラ結成。エラ・フィッツジェラルド、ローズマリー・クルーニー、カウント・ベイシー・オーケストラ、オスカー・ピーターソン、レイ・ブラウン、ダイアナ・クラールと共演。
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1953年8月4日 | 1953年8月4日 | ドラム | ジャズ | us |
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1953年8月1日 | 1953年8月1日 | ギター | ブルース | us |
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グレッグ・コーエン
Greg Cohen
アメリカのベーシスト・作曲家。
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1953年7月13日 | 1953年7月13日 | ベース | ジャズ | us |
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アメリカの世界的シンガーソングライター・女優。1980年にバンド「ブルー・エンジェル」でメジャーデビューしたが、シンディが破産し解散。クラブやレストランで歌い、ポートレイト・レコードとの契約した。1983年、ソロデビューアルバム『She's So Unusual』から4曲連続「全米TOP 5」入りした初の女性ソロアーティストとなり、「Time After Time」はマイルス・デイヴィスらにもカヴァーされスタンダードとなった。1985年、USAフォー・アフリカ『We Are The World』に参加。以後も精力的に活動し、2000年以降はシェールと大規模な北米ツアーを行い100万人以上を動員した。大の親日家。 グラミー受賞 2回・ノミネート 16回(2024年時点) 代表作
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1953年6月22日 | 1953年6月22日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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1953年6月4日 | 1979年9月27日 | 26 | ギター | ロック | sc |
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アメリカのバンド「ソニック・ユース」のヴォーカル・ベーシスト・ギタリスト。ローリングストーン誌「偉大なベーシスト」2020年39位。1981年にサーストン・ムーアとソニックユースを結成(2011年サーストンとの離婚を機に解散)。当初アメリカでは人気が出ずヨーロッパで評価され、イギリスではジョン・ライドンのパブリック・イメージ・リミテッドの前座として活動。高い音楽性とセールス面の対比から「無冠の帝王」と揶揄された。1991年、コートニー・ラブが結成したホールの1stアルバム『Pretty On The Inside』でプロデューサーとしてデビュー。1994年、XLARGEで働いていた友人のデイジー・フォン・ファースと共にアパレルブランド「X-girl」を設立した。2019年からは、ソロアーティストとして活動。最初はザ・スリッツ、 ザ・レインコーツ、スージー・スー、パティ・スミスに影響を受け、その後はザ・ランナウェイズ、ジャニス・ジョプリン、ティナ・ターナー、ビリー・ホリデイに影響を受けた。ソフィア・コッポラに影響を与えた。
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1953年4月28日 | 1953年4月28日 | ベース | オルタナ | us |
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アメリカ・イリノイ州出身の女性R&B歌手。1970–1980年代に精力的に活動し、ホイットニー・ヒューストン、メアリー・J.ブライジなど多くの女性歌手に影響を与えた。1973年、ファンクバンド「ルーファス」にボーカルとして加入し、アイク・ターナーの目に留まりソロデビューした。 グラミー受賞 10回・ノミネート 22回(2024年時点) 代表作
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1953年3月23日 | 1953年3月23日 | 女性歌手 | R&B | us |
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1953年3月19日 | 1953年3月19日 | ベース | ハードロック | us |
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アメリカの音楽実業家、エンジニア。1970年代にレコーディング・エンジニアとしてキャリアを開始。ジョン・レノンやブルース・スプリングスティーンなどと仕事をし、250枚以上のアルバム制作に携わった。1999年、ユニバーサル・ミュージック・グループによって設立されたインタースコープ・ゲフィン・A&Mの会長兼CEOに就任。2006年、ドクター・ドレーとオーディオメーカー「ビーツ・エレクトロニクス」を共同設立し、2014年にアップルが30億ドルで買収した。
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1953年3月11日 | 1953年3月11日 | 実業家 | us |
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ルシンダ・ウィリアムス
Lucinda Williams |
1953年1月26日 | 1953年1月26日 | 女性歌手 | カントリー | us |
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ジェームス・ハチンソン
James Hutchinson |
1953年1月24日 | 1953年1月24日 | ベース | ポップ | us |
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ジェフ・バーリン
Jeff Berlin アメリカのベーシスト。主にジャズ、フュージョン、プログレッシブ・ロックのジャンルで活躍。
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1953年1月17日 | 1953年1月17日 | ベース | フュージョン | us |
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アメリカの女性ロックシンガー・ソングライター。世界売上3,600万枚以上。ライザ・ミネリのコンサートに感銘を受け、仕事を辞めて歌手を志した。女性ハードロッカーが少なかった時期に活動を始め、1979年に1stアルバム『In The Heat Of The Night』でデビューし全米12位を記録。4年連続でグラミー賞「最優秀女性ロック・ボーカル・パフォーマンス賞」を受賞し、全米屈指のヴォーカリストに昇り詰めた。 グラミー受賞 4回・ノミネート 9回(2024年時点) |
1953年1月10日 | 1953年1月10日 | 女性歌手 | ロック | us |
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1953年1月10日 | 1953年1月10日 | ギター | ジャズ | us |
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ジョー・ロヴァーノ
Joe Lovano |
1952年12月29日 | 1952年12月29日 | サックス | ジャズ | us |
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ジェフ・ローバー
Jeff Lorber |
1952年11月4日 | 1952年11月4日 | キーボード | フュージョン | us |
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1952年10月31日 | 1996年4月18日 | 43 | ベース | R&B | us |
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アール・スリック
Earl Slick アメリカのロック・ギタリスト。デヴィッド・ボウイ、ジョン・レノン、オノ・ヨーコ、ロバート・スミス、ジョン・ウェイト、ティム・カリー、デヴィッド・カヴァデールなどと共演。スレイ・キャッツのスリム・ジム・ファントム、リー・ロッカーと「ファントム、ロッカー&スリック」を結成した。
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1952年10月1日 | 1952年10月1日 | ギター | ロック | us |
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1952年9月19日 | 1952年9月19日 | プロデュース | ディスコ | us |
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イングランドのギタリスト・音楽プロデューサー。アニー・レノックス (Vo) とユーリズミックスを結成し世界で7,500万枚のレコードを売り上げた。
グラミー受賞 1回・ノミネート 7回(2024年時点)
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1952年9月9日 | 1952年9月9日 | ギター | ポップ | eg |
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1952年9月8日 | 1952年9月8日 | ベース | ジャズ | us |
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ジョン・ハイアット
John Hiatt |
1952年8月20日 | 1952年8月20日 | 男性歌手 | ポップ | us |
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ジャニス・シーゲル
Janis Siegel |
1952年7月23日 | 1952年7月23日 | 女性歌手 | ジャズ | us |
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ニコレット・ラーソン
Nicolette Larson
アメリカの歌手。1970年代よりセッション・シンガーとして活動開始し、エミルー・ハリスやニール・ヤングのレコーディングに参加。
seealso
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1952年7月17日 | 1997年12月16日 | 45 | 女性歌手 | ポップ | us |
アラン・パスクァ
Alan Pasqua アメリカのジャズ・ピアニスト、教育者、作曲家。セッション・ミュージシャンとしてボブ・ディラン、サンタナ、シェール、トニー・ウィリアムス、アラン・ホールズワース、ジョー・ウォルシュ、パット・ベネター、リック・スプリングフィールド、ジョン・フォガティ、マイケル・ブーブレ、松任谷由実らのレコーディングやツアーに参加した。
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1952年6月28日 | 1952年6月28日 | キーボード | フュージョン | us |
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ジノ・ヴァネリ
Gino Vannelli |
1952年6月16日 | 1952年6月16日 | 男性歌手 | ロック | ca |
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ニコ・マクブレイン
Nicko McBrain イングランドのドラマー。ヘヴィメタル・バンド「アイアン・メイデン」のメンバー。2013年、妻に模造刀で襲撃され薪で反撃した。
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1952年6月5日 | 1952年6月5日 | ドラム | メタル | eg |
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スコットランド出身のシンガー・ギタリスト。1974年にニューヨークでトーキング・ヘッズを結成し、ブライアン・イーノらをプロデューサーに迎え活動した。映画『ラストエンペラー』(1987) の音楽を手がけ、坂本龍一、コン・スーとともにアカデミー賞「作曲賞」とグラミー賞「賞映画・テレビ音楽賞」を受賞。 グラミー受賞 1回・ノミネート 7回(2024年時点) |
1952年5月14日 | 1952年5月14日 | 男性歌手 | ニューウェイブ | sc |
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ジャマイカのレゲエのドラマー・プロデューサー。1975年、ロビー・シェイクスピア (B) とスライ&ロビーを結成。ジュニア・マーヴィン「Police & Thieves」(1976)、ボブ・マーリー「Punky Reggae Party」(1977) 12インチ版、リー・ペリー「Night Doctor」(1984) などのレコーディングにも参加した。 グラミー受賞 2回・ノミネート 13回(2024年時点) |
1952年5月10日 | 1952年5月10日 | ドラム | レゲエ | jm |
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モニカ・マンシーニ
Monica Mancini アメリカの歌手。大作曲家ヘンリー・マンシーニの娘。子供の頃は父の音楽よりもビートルズを好んで聴いていた。14歳で母や姉同様ヘンリー・マンシーニ合唱団でプロとして歌い始めた。ロサンゼルスでフリーランスのスタジオシンガーとなり、1998年『Monica Mancini』でデビュー。プラシド・ドミンゴ、クインシー・ジョーンズ、マイケル・ジャクソンらと共演した。複数のグラミー賞とエミー賞を受賞したプロデューサーのグレッグ・フィールドと結婚。
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1952年5月4日 | 1952年5月4日 | 女性歌手 | ジャズ | it |
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1952年4月28日 | 1952年4月28日 | ピアノ | ロック | us |
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アメリカの大物ドラマー、音楽プロデューサー。 グラミー受賞 3回・ノミネート 8回(2024年時点)
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1952年4月23日 | 1952年4月23日 | プロデューサー | R&B | us |
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北アイルランド出身の世界的ロックギタリスト・歌手・作曲家。1974年のシン・リジィ参加で有名になり、以降1980年代はハードロック、フュージョン等を中心に、1990年代以降はブルースロックを軸に活躍。影響を受けたギタリストはジェフ・ベック、ピーター・グリーン、エリック・クラプトン、ジミ・ヘンドリックスなど。ブルース時期以降からはオーティス・ラッシュの楽曲へのアプローチが顕著に見受けられる。2011年2月6日、休暇先のスペインで心臓発作を起こし急逝。息子のジャック・ムーアが「Danny Boy」を演奏して葬送された。
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1952年4月4日 | 2011年2月6日 | 58 | ギター | ブルースロック | nie |
ジェラルド・ウエルタ
Gerard Huerta アメリカの巨匠タイポグラファー・グラフィックデザイナー。CBSの名アートディレクターのジョン・バーグと組み、AC/DCのロゴやシカゴ『Chicago 14』の指紋のカバーアートをはじめ、ボストン、ウィリー・ネルソン、テッド・ニュージェント、ブルー・オイスター・カルト、リック・デリンジャー、ボブ・ディラン、ラムゼイ・ルイス、アイズレー・ブラザーズ、ハロルド・メルヴィン・アンド・ザ・ブルー・ノーツ、ジョージ・ベンソン、ルパート・ホームズ、スティーヴン・スティルス、アルヴィン・リー、チャーリー・ダニエルズ・バンドなど、音楽史に残るグラフィックをデザインした。
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1952年3月19日 | 1952年3月19日 | デザイン | us |
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1952年3月11日 | 1952年3月11日 | 実業家 | us |
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アメリカの歌手・ソングライター。ハスキーで渋みのある歌声が特徴で、スティーリー・ダン、ドゥービー・ブラザーズ、ケニー・ロギンスとの活動で知られている。 グラミー受賞 5回・ノミネート 14回(2024年時点)
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1952年2月12日 | 1952年2月12日 | 男性歌手 | R&B | us |
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フリオ・キリコ
Furio Chirico |
1952年1月14日 | 1952年1月14日 | ドラム | ロック | it |
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1952年1月11日 | 1952年1月11日 | ギター | フュージョン | us |
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1952年 | 1952年1月1日 | プロデュース | eg |
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ジミー・ハスリップ
Jimmy Haslip |
1951年12月31日 | 1951年12月31日 | ベース | フュージョン | us |
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イヴォンヌ・エリマン
Yvonne Elliman |
1951年12月29日 | 1951年12月29日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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カーラ・ボノフ
Karla Bonoff |
1951年12月27日 | 1951年12月27日 | 女性歌手 | フォーク | us |
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1951年12月26日 | 1951年12月26日 | ギター | ジャズ | us |
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ロベン・フォード
Robben Ford アメリカののギタリスト。1970年代にジャズバンド「Tom Scott & The L.A. Express」に加入し、バンドは1974年にジョージ・ハリスンのアメリカツアーのサポート、ジョニ・ミッチェル『The Hissing of Summer Lawns』と『Miles of Aisles』で演奏した。1986年、モントルー・ジャズ・フェスティバルでマイルス・デイヴィスと共演した。2022年、エリック・クラプトンのオープニングアクトとしてイタリアをツアーした。 グラミー賞ノミネート5回(2024年時点) |
1951年12月16日 | 1951年12月16日 | ギター | ジャズ | us |
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1951年12月3日 | 1951年12月3日 | エンジニア | ロック | eg |
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アメリカの伝説的なベーシスト。グラミー受賞 1回・ノミネート 4回。ベース・プレイヤー誌「偉大なベーシスト100人」ジェームス・ジェマーソンに次いで2017年2位。 1976年、ボビー・コロンビー(ブラッド・スウェット&ティアーズ)のプロデュースで1stアルバム『Jaco Pastorius』をリリース。ウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、R&Bの大物サム&デイヴなど多数の豪華ミュージシャンが参加した。マイルス・デイヴィス『Amandla』(1989) 収録「Mr. Pastorius」(作曲:マーカス・ミラー)はジャコに捧げられた曲。ベーシストのフェリックス・パストリアスなど4人の子供を授かった。
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1951年12月1日 | 1987年9月21日 | 35 | ベース | フュージョン | us |
ロリ・リーバーマン
Lori Lieberman アメリカの歌手。「Killing Me Softly With His Song」(1971) を最初に歌い、1973年にロバータ・フラックがカバーした。ジョニ・ミッチェルを彷彿させるナチュラルで穏やかなサウンド。
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1951年11月15日 | 1951年11月15日 | 女性歌手 | フォーク | us |
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コージー・ファニ・トゥッティ
Cosey Fanni Tutti イングランドのパフォーマンスアーティスト・女性歌手。1975年、クリス・カーター、ピーター・クリストファーソン(元ヒプノシス)、ジェネシス・P・オリッジらと前衛音楽結成バンド「スロッビング・グリッスル」結成。1981年に解散後「クリス&コージー」を結成した。 See Also: クラウス・ノミ ローリー・アンダーソン |
1951年11月4日 | 1951年11月4日 | 女性歌手 | 前衛音楽 | eg |
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キャロライン・ペイトン
Caroline Peyton アメリカの歌手・ソングライター・女優。1973年 Screaming Gypsy Bandits『In The Eye』に参加。1977年、ソロアルバム『Intuition』をリリースした後、女優としてブロードウェイに出演したりディズニーアニメ映画でヴォーカルを録音した。
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1951年10月8日 | 2021年8月11日 | 69 | 女性歌手 | ポップ | us |
アメリカのシンガーソングライター。世界売上6,000万枚以上。1970年代にデヴィッド・ボウイの敏腕マネージャーであったトニー・デフリーズに見出され、グラムロッカーとしてデビュー。1979年、Johnny Cougar 名義「I Need A Lover」が全米28位を獲得。1982年、6thアルバム『American Fool』とシングル「Jack & Diane」が全米1位を獲得し、名実ともに人気ロッカーの仲間入りを果たした。1991年、本名のジョン・メレンキャンプに改名。2006年、インディアナポリスで無料コンサートを行い5万人の観衆を集めた。2008年ロックの殿堂入り、2018年ソングライターの殿堂入り。 グラミー受賞 1回・ノミネート 14回(2024年時点) |
1951年10月7日 | 1951年10月7日 | 男性歌手 | ロック | us |
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1951年10月2日 | 1951年10月2日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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イングランド出身のアメリカの世界的ロックシンガー。ディープ・パープル3代目ヴォーカリスト、ホワイトスネイクでの活動で知られている。
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1951年9月22日 | 1951年9月22日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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カナダ出身の世界的音楽プロデューサー。ブライアン・イーノから影響を受け、共同でU2の名盤の他、主にロック、フォーク、カントリーの様々なアーティストをプロデュース。2009年、ブライアン・ブレイドらと Black Dub 結成した。
グラミー受賞 7回・ノミネート 15回(2024年時点) プロデュース作品
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1951年9月19日 | 1951年9月19日 | プロデュース | ロック | ca |
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ハーヴェイ・コーエン
Harvey Cohen |
1951年9月13日 | 2007年1月14日 | 55 | 作曲家 | ポップ | us |
アメリカのシンガーソングライター。プリテンダーズのヴォーカリスト兼ギタリスト。1973年、ロンドンへ移住してマルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッドのブティック「SEX」で働いた。1978年、プリテンダーズを結成。フランク・シナトラ、シェール、ネナ・チェリー、UB40 と共演。2005年ロックの殿堂入り グラミー賞ノミネート 5回(2024年時点) |
1951年9月7日 | 1951年9月7日 | 女性歌手 | ロック | us |
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マーク・アイシャム
Mark Isham アメリカの作曲家・トランペット奏者・シンセサイザー奏者。本領は映画音楽だが、ローリング・ストーンズ、ファラオ・サンダース、ヴァン・モリソン、ジョニ・ミッチェル、デヴィッド・シルヴィアンらのレコーディングに参加し、音楽スタイルも幅広い。1990年グラミー賞を受賞。 グラミー受賞 1回・ノミネート 8回(2024年時点) |
1951年9月7日 | 1951年9月7日 | 作曲家 | 映画音楽 | us |
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グレン・ヒューズ
Glenn Hughes |
1951年8月21日 | 1951年8月21日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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アメリカの歌手・ソングライター・マルチ楽器奏者。アダルトコンテンポラリーの名曲「What You Won't Do for Love」で知られ、特に日本で根強い人気を誇っている。マンハッタンで生まれマイアミ育ち。母はマイアミの不動産業者でボビーは顧客のボブ・マーリー (1945–1981) と友人になった。
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1951年8月15日 | 2023年3月14日 | 71 | 男性歌手 | AOR | US |
1951年8月1日 | 1976年12月4日 | 25 | ギター | ハードロック | us |
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T.M.スティーヴンス
T. M. Stevens アメリカのベーシスト・歌手・作曲家・プロデューサー。1978年3月2日、マイルス・デイヴィスのセッションにラリー・コリエル、菊地雅章、アル・フォスターらと参加。 ▶ Miles Davis Columbia Session 1978 ジェームス・ブラウン、ナラダ・マイケル・ウォルデン、スティーヴ・ヴァイ、ジョー・コッカー、シンディ・ローパー、リトル・スティーヴン、ティナ・ターナー、ビリー・ジョエルらのレコーディングに参加した。 |
1951年7月28日 | 2024年3月10日 | 72 | ベース | ポップ | us |
マイケル・ヘンダーソン ★
Michael Henderson アメリカのジャズ・ベートシスト・歌手。ジェームス・ジェマーソン (1936–1983, 47)、ボブ・バビット (1937–2012, 74) とともにモータウンを代表するベーシスト。スティーヴィー・ワンダーのベーシストとして頭角を現し、マーヴィン・ゲイ、アレサ・フランクリン、ドクター・ジョンらと共演。マイルス・デイヴィス『Jack Johnson』(1970) 『Live-Evil』(1971)『Pangaea』1976) などアルバム9作に参加した。ジェイZ、スヌープ・ドッグ、LLクールJ、エミネムらのにサンプリング、カバーされた。
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1951年7月7日 | 2022年7月19日 | 71歳 | ベース | ジャズ | us |
アメリカの超絶技巧のベーシスト。ローリング・ストーン誌「史上最高のベーシスト50選」13位。
グラミー受賞 3回・ノミネート 12回(2024年時点)
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1951年6月30日 | <1951年6月30日/span> | ベース | フュージョン | us |
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ホルヘ・サンタナ
Jorge Santana |
1951年6月13日 | 2020年5月14日 | 68 | ギター | ロック | mx |
プエルトリコ出身のギタリスト。1970年代中盤以降20年近くデヴィッド・ボウイと共演。他のどのミュージシャンよりも多くのボウイのアルバムで演奏している。
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1951年5月7日 | 1951年5月7日 | ギター | ロック | pr |
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バーニー・マースデン
Bernie Marsden |
1951年5月7日 | 2023年8月24日 | 72 | ギター | ロック | eg |
ピーボ・ブライソン
Peabo Bryson |
1951年4月13日 | 1951年4月13日 | 男性歌手 | R&B | us |
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アメリカのシンガーソングライター。1966年、自作曲「Society's Child」(全米14位)でデビュー。1972年にロバータ・フラックが「Jesse」をカバーし再び脚光を浴びた。1976年「At Seventeen」(17才の頃・全米3位)でグラミー賞「最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞」を受賞。日本とヨーロッパでは絶大な人気を誇り『愛の余韻』(1976) がオリコン洋楽チャートで半年間1位、「恋は盲目」は8週連続1位を記録。角川映画『復活の日』(1980) で「You Are Love」がテーマ曲になった。2003年、同性愛者であることをカミングアウトし女性パートナーと結婚した。 グラミー受賞 2回・ノミネート 10回(2024年時点) |
1951年4月7日 | 1951年4月7日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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インド出身の世界的タブラ奏者。父アラ・ラカも著名なタブラ奏者。ノラ・ジョーンズの父で世界的シタール奏者ラヴィ・シャンカルのサポートをするようになり、1970年にアメリカでデビュー。ジョン・マクラフリンらとシャクティ、ビル・ラズウェルとタブラ・ビート・サイエンスを結成し、グレイトフル・デッドのパーカッション奏者ミッキー・ハートやヴァン・モリソンと共演した。
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1951年3月9日 | 2024年12月15日 | 73 | タブラ | インド | in |
イングランドのシンガーソングライター。世界売上3,000万枚以上。主にヨーロッパで人気を博し、日本では「On The Beach」(1986) 全英57位が有名。イーグルスのジョー・ウォルシュに憧れ音楽活動を開始。1974年「So Much Love」でデビュー。1978年、エルトン・ジョンを手掛けたガス・ダッジョンのプロデュースで1stアルバム『Whatever Happened To Benny Santini?』(全米49位)リリース。「Fool (If You Think It's Over)」全米12位・アダルト・コンテンポラリー・チャート1位を獲得した。10thアルバム『The Road to Hell』(1989) 全米107位・全英1位、11thアルバム『Auberge』(1991) 全米176位・全英1位。
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1951年3月4日 | 1951年3月4日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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スティーヴ・ハーレイ
Steve Harley イギリスのシンガーソングライターで、ロックバンド「スティーヴ・ハーレイ&コックニー・レベル」フロントマン。「Judy Teen」(1974) 全英5位「Mr. Soft」(1974) 全英8位「Make Me Smile (Come Up and See Me)」(1975) 全英1位を獲得。
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1951年2月27日 | 2024年3月17日 | 73 | 男性歌手 | ロック | eg |
アルフォンソ・ジョンソン
Alphonso Johnson アメリカのジャズ・ベーシスト。1974年、ウェザー・リポートに加入し、4thアルバム『Mysterious Traveller』から6thアルバム『Black Market』まで参加。1985年から1989年までサンタナに加入。フィル・コリンズ、ウェイン・ショーター、ディヴィッド・ギルモアらのレコーディングやツアーに参加した。
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1951年2月2日 | 1951年2月2日 | ベース | ジャズ | us |
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イングランドの世界的ロックシンガー・ドラマー・プロデューサー。世界売上1億5,000万枚以上。「You Can't Hurry Love」(1982年・邦題「恋はあせらず」1966年のスプリームスのカバー)「Against All Odds (Take A Look At Me Now)」(1984年・邦題「見つめて欲しい」)、「Easy Lover」(1984) 「Sussudio」(1985)「Another Day in Paradise」(1989) が世界中で大ヒット。1970年、プログレッシブ・ロック・バンド「ジェネシス」にドラマーとして加入。バンドとソロを兼任しながら、ロバート・プラントらのプロデュースも行った。 グラミー受賞 8回・ノミネート 27回(2024年時点) |
1951年1月30日 | 1951年1月30日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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ブライアン・ダウニー
Brian Downey |
1951年1月27日 | 1951年1月27日 | ドラム | ロック | ie |
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ニューヨーク・ブロンクス出身のプエルトリコ系ラテン・ジャズ・ベーシスト。スティーヴ・スワロウにベースを師事し、在学中にレイ・バレットやモンゴ・サンタマリアの息子モンギートらと演奏した。ジョージ・ベンソン、ディジー・ガレスピー、ティト・プエンテ、エディ・パルミエリ、キップ・ハンラハン、アストル・ピアソラ、デヴィッド・バーン、ロニー・ジョーダン、ハービー・ハンコック、ジャック・ブルースなど数々のレコーディングに参加。1stアルバム『Entre Colegas』(2016) がグラミー賞「最優秀ラテンジャズアルバム」ノミネートされた。弟はトランペット・パーカッション奏者のジェリー・ゴンザレス (1949–2018, 69)。
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1951年1月1日 | 2020年4月9日 | 69 | ベース | ラテン | us |
エディ・ジョーンズ
Eddie Johns |
1951年 | 1951年1月1日 | 男性歌手 | ディスコ | lr |
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ニッキー・バークレー
Nickey Barclay アメリカの歌手・キーボーディスト。1969年、4人組ガールズロックバンド「ファニー」結成。ソロでジョー・コッカー、バーブラ・ストライサンド、キース・ムーンと共演した。
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1951年 | 1951年1月1日 | 女性歌手 | ロック | us |
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1950年12月27日 | 1950年12月27日 | ドラム | ロック | us |
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カールトン・バレット
Carlton "Carly" Barrett ジャマイカのドラマー。ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのメンバーとして知られている。「War」を作曲し、兄アストンと「Talkin' Blues」を共作した。
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1950年12月17日 | 1987年4月17日 | 36 | ドラム | レゲエ | jm |
ステラ・ヴァンデ
Stella Vander |
1950年12月12日 | 1950年12月12日 | 女性歌手 | ポップ | fr |
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1950年12月12日 | 1950年12月12日 | アコーディオン | ジャズ | fr |
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ジョーン・アーマトレーディング
Joan Armatrading |
1950年12月9日 | 1950年12月9日 | 女性歌手 | フォーク | eg |
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ジョセリン・ブラウン
Jocelyn Brown |
1950年11月25日 | 1950年11月25日 | 女性歌手 | R&B | us |
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アメリカのギタリスト。1973年、エアロスミスのメンバーとしてデビュー。スティーヴン・タイラーとの確執で1980年に脱退したが、1984年に和解し復帰。憧れのジェフ・ベックとはエアロスミスのステージなどで共演した。 グラミー受賞 4回・ノミネート 17回(2024年時点) |
1950年9月10日 | 1950年9月10日 | ギター | ハードロック | us |
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スコットランドのベーシスト。エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ピーター・グリーンホワイトスネイク、ゲイリー・ムーア、ブライアン・メイ、スティング、ビル・ブルーフォード、コージー・パウエル、VOW WOW、ブラック・サバス、マイケル・シェンカー・グループらと共演したハードロック界屈指のベーシスト。
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1950年8月27日 | 1950年8月27日 | ベース | ロック | sc |
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デクスター・ワンセル
Dexter Wansel |
1950年8月22日 | 1950年8月22日 | キーボード | ジャズファンク | us |
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1950年7月18日 | 1950年7月18日 | 実業家 | eg |
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アメリカの歌手・俳優。アメリカン・ロックの世界的バンド、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースのフロントマンとして有名。1985年、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の主題歌「The Power Of Love」が全米1位を獲得。ヒューイも映画に脇役(オーディションの審査員)としてカメオ出演した。
グラミー受賞 1回・ノミネート 6回(2024年時点) |
1950年7月5日 | 1950年7月5日 | 男性歌手 | ロック | us |
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ギンガ
Guinga |
1950年6月10日 | 1950年6月10日 | ギター | MPB | br |
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スージー・クアトロ
Suzi Quatro アメリカ出身イギリスの女性ロック歌手・ベーシスト・ソングライター・女優。60年以上のキャリアを持つ女性ロック界の先駆者。1964年、姉妹らとガールズバンド「ザ・プレジャー・シーカーズ」を結成し、MC5 やジェファーソン・エアプレインらとアメリカ各地をツアーした。1970年、大物プロデューサーのミッキー・モストに見出され、拠点をイギリスへ移した。1973年にプロデューサーのマイク・チャップマンとニッキー・チンを迎え、ハードロック路線へ転向。アメリカではさほど売れなかったものの、ヨーロッパと日本で大ヒットし、1978年に日本で挙式した。
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1950年6月3日 | 1950年6月3日 | 女性歌手 | ロック | us |
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アメリカの女性ジャズシンガー・俳優。1990年代以降においてダイアン・リーヴス、カサンドラ・ウィルソン、ダイアナ・クラールらと共に最も成功したジャズシンガーの一人と考えられている。16歳の時、R&Bバンドの歌手としてナイトクラブで歌った。ミシガン州立大学とイリノイ大学で学び、1969年に自身のジャズバンドとソヴィエト連邦にツアーを行なった。翌年、トランペット奏者のセシル・ブリッジウォーターと結婚。ホレス・シルヴァー、サド・ジョーンズ&メル・ルイス・ジャズ・オーケストラ、ソニー・ロリンズ、ディジー・ガレスピー、デクスター・ゴードン、マックス・ローチ、ローランド・カークらと共演した。
1973年、モントレー・ジャズ・フェスティバルに出演。1974年、1stアルバム『Afro Blue』をリリース。1975年、ブロードウェイ・ミュージカル『ザ・ウィズ』でグリンダ役を演じトニー賞「助演女優賞」、1998年に『Dear Ella』でグラミー賞「ベスト・ジャズ・ボーカル・アルバム賞」を受賞した。 グラミー受賞 2回・ノミネート 8回(2024年時点) |
1950年5月27日 | 1950年5月27日 | 女性歌手 | ジャズ | us |
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1950年5月22日 | 1950年5月22日 | 作詞家 | ポップ | eg |
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1950年5月13日 | 1950年5月13日 | 男性歌手 | R&B | us |
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ボビー・ハンフリー
Bobbi Humphrey アメリカの女性ジャズ・フルート奏者、歌手。大学のタレントコンテストで彼女の演奏を見たディジー・ガレスピーに促され、ニューヨークでキャリアを開始。すぐにブルーノートと契約し、1971年リー・モーガンのラストアルバム『The Last Session』(1972) に参加。モーガンはハンフリーの1stアルバム『Flute-In』(1971) に参加した。1973年、ジャズファンクの名作『Blacks and Blues』(全米84位・21週チャートイン)をリリース。1976年、スティーヴィー・ワンダー「Another Star」に参加し、ビルボード誌「最優秀女性楽器奏者」に選ばれた。2002年、コモン『Electric Circus』に参加。
See Also |
1950年4月25日 | 1950年4月25日 | フルート | ジャズ | us |
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1950年4月22日 | 1950年4月22日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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1950年3月26日 | 2010年1月13日 | 59 | 男性歌手 | R&B | us |
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ボビー・マクファーリン
Bobby McFerrin アメリカのジャズ歌手。ジミ・ヘンドリックスやアル・ジャロウと並ぶ器楽的唱法が特徴。1988年、自身の声だけで多重録音した「Don't Worry, Be Happy」全米1位を獲得。楽器をしようしていない楽曲として史上初、ジャズ歌手の曲としてはルイ・アームストロング以来となった。父はオペラ歌手のロバート・マクファーリン。 グラミー受賞 10回・ノミネート 18回(2024年時点) See Also |
1950年3月11日 | 1950年3月11日 | 男性歌手 | ジャズ | us |
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アメリカの世界的デュオ「カーペンターズ」のヴォーカリスト・ドラマー。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」2013年94位。世界売上1億枚以上。兄リチャード(作曲・演奏)のキャッチーで美しいメロディーと、カレンのエモーショナルで気品高い歌声は世界中を席巻した。摂食障害に陥ったカレンは1983年2月4日、32歳で他界。カーペンターズは活動を終えた。
グラミー受賞 3回・ノミネート 7回 代表曲
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1950年3月2日 | 1983年2月4日 | 32 | 女性歌手 | ポップ | us |
ジェネシス・P・オリッジ
Genesis P-Orridge イングランドのパフォーマンスアーティスト、歌手。1975年、コージー・ファニ・トゥッティ、クリス・カーター、ピーター・クリストファーソン(元ヒプノシス)、らと前衛音楽結成バンド「スロッビング・グリッスル」結成。1981年、新興宗教団体「スリー・テンプル・オブ・サイキック・ユース」を設立し、イギリス国外退去処分をうけニューヨークへ移住。性別はサード・ジェンダーを自認。
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1950年2月22日 | 2020年3月14日 | 74 | 女性歌手 | 前衛音楽 | eg |
アメリカのギタリスト、音楽プロデューサー。ドナルド・フェイゲンと結成したスティーリー・ダンのメンバーとして有名。1981年に解散後、ドナルド・フェイゲンやチャイナ・クライシス、リッキー・リー・ジョーンズ、マイケル・フランクスらをプロデュースした。 グラミー受賞 3回・ノミネート 10回 |
1950年2月20日 | 2017年9月3日 | 67 | ギター | フュージョン | us |
イングランドの歌手。プログレッシブ・ロック・バンド「ジェネシス」の初代ヴォーカリスト。在籍時の「ジェネシス」は奇抜な衣装・メイク・演出でヨーロッパで人気を博した。1980年代以降は映画音楽も数多く手掛けた。2014年ロックの殿堂入り。
グラミー受賞 6回・ノミネート 21回(2024年時点) ジェネシス
ソロ
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1950年2月13日 | 1950年2月13日 | 男性歌手 | ポップ | eg |
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アメリカのシンガーソングライター・女優。父は大物ジャズシンガーのナット・キング・コール (1919–1965 45)、母マリア・コール (1922–2012 89) はデューク・エリントン楽団の歌手。
グラミー受賞 9回・ノミネート 21回
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1950年2月6日 | 2015年12月31日 | 65 | 女性歌手 | R&B | us |
グラシーニャ・レポラーセ
Gracinha Leporace ブラジル出身のボサノヴァの女性歌手。1968年、『Gracinha Leporace』(Philips) を発表。その後、アイアート・モレイラ、エルメート・パスコアールらのクアルテート・ノーヴォ (Quarteto Novo) に参加。セルジオ・メンデスにスカウトされボサリオに加入し、メンデスと結婚した。ボサリオと平行してブラジル'66にも参加し、ボサリオ解散後はブラジル'77に参加した。ドキュメンタリー映画『ペレ』(1977) のサウンドトラックでは、「Meu Mundo É Uma Bola (My World Is A Ball)」「Cidade Grande (Big City)」でペレとデュエット。セルジオ・メンデスをはじめエドゥ・ロボ、リー・リトナー、サラ・ヴォーン&コルトン・ナシメント『Brazilian Romance』(1987) 収録「Your Smile」バックヴォーカルなどのレコーディングに参加した。。
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1950年1月20日 | 1950年1月20日 | 女性歌手 | ボサノヴァ | br |
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マイク・ペラ
Mike Pela
イングランドの音楽プロデューサー・ミキサー。1980年代にロビン・ミラーの Powerplant Studios ミキサーとして働き、ボーイ・ジョージ、エヴリシング・バット・ザ・ガール、スタイル・カウンシル、シャーデーなどのプロジェクトに参加。ロビン・ミラーからシャーデーのプロデュースを引き継ぎ、他にエレクトリック・ライト・オーケストラ、マックスウェルなどを手掛けた。
グラミー受賞 2回・ノミネート 1回
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1950年1月13日 | 2022年7月23日 | 72 | プロデュース | eg |