名前👤 | 誕生日⏳ | 命日⌛ | 年齢❤ | パート🎷 | ジャンル📖 | 出身🌏 |
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ジョン・パティトゥッチ
John Patitucci |
1959年12月22日 | 1959年12月22日 | ベース | ジャズ | us |
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フランク・ワイルドホーン
Frank Wildhorn |
1959年11月29日 | 1959年11月29日 | 作曲家 | ミュージカル | us |
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シンディ・ブラックマン・サンタナ
Cindy Blackman Santana アメリカのジャズ/ロックドラマー。バークリー音楽大学でアラン・ドーソンに師事し、天才トニー・ウィリアムスの指導も受けた。1993年、レニー・クラヴィッツ「Are You Gonna Go My Way」で一躍有名になり、18年間クラヴィッツのツアードラマーとして活躍した。ファラオ・サンダース、ロン・カーター、サム・リヴァース、カサンドラ・ウィルソン、ビル・ラズウェルなどのレコーディングに参加。2010年、カルロス・サンタナと結婚した。
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1959年11月18日 | 1959年11月18日 | ドラム | ジャズ | us |
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ブライアン・アダムス
Bryan Adams |
1959年11月5日 | 1959年11月5日 | 男性歌手 | ポップ | ca |
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ユッスー・ンドゥール
Youssou N'Dour |
1959年10月1日 | 1959年10月1日 | 男性歌手 | ワールド | sn |
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カーティス・ブロウ
Kurtis Blow |
1959年8月9日 | 1959年8月9日 | 男性歌手 | ヒップホップ | us |
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1959年7月29日 | 1959年7月29日 | ギター | ロック | eg |
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スザンヌ・ヴェガ
Suzanne Vega |
1959年7月11日 | 1959年7月11日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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アメリカの世界的ベーシスト・プロデューサー・作曲家。15歳でプロになり、グローヴァー・ワシントン・ジュニア『Winelight』(1980)、渡辺香津美『TO CHI KA』(1980)、マイルス・デイヴィス『The Man with the Horn』(1981)、渡辺貞夫『Orange Express』(1981)、ドナルド・フェイゲン『The Nightfly』(1982) などに参加。1986年、マイルス・デイヴィス『TUTU』のプロデュースでグラミー賞「最優秀ジャズ・インストゥメンタル・パフォーマンス・ソロ部門」受賞し、一躍世界的な名声を獲得した。以後、マイケル・ジャクソン、マライア・キャリー、ビヨンセらのレコーディングに参加。1997年、エリック・クラプトン (G/Vo) スティーヴ・ガッド (Dr) ジョー・サンプル (P) デヴィッド・サンボーン (As) と Legends を結成し、モントルー・ジャズ・フェスティバルに出演した。
グラミー受賞 2回・ノミネート 16回(2024年時点) |
1959年6月14日 | 1959年6月14日 | ベース | フュージョン | us |
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ジミー・ジャム
Jimmy Jam |
1959年6月6日 | 1959年6月6日 | プロデュース | R&B | us |
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スティーヴ・スティーヴンス
Steve Stevens |
1959年5月5日 | 1959年5月5日 | ギター | ハードロック | us |
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ロジャー・イーノ
Roger Eno イングランドの作曲家。兄ブライアン・イーノとともにアンビエント・ミュージックのアーティストとして知られている。ブライアン・イーノのアルバム『Apollo』(1983) にダニエル・ラノワと参加し本格的に音楽活動を開始。デヴィッド・ギルモアの4thアルバム『Rattle That Lock』(2015)、5thアルバム『Luck and Strange』(2024) に参加。
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1959年4月29日 | 1959年4月29日 | 作曲家 | アンビエント | eg |
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1959年4月27日 | 1959年4月27日 | 女性歌手 | ポップ | sc |
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アメリカギタリスト・歌手。1979年にロカビリー・バンドのストレイ・キャッツを結成し、ネオロカビリーブームで人気を博した。1986年にソロ・デビュー。1990年、ブライアン・セッツァー・オーケストラ結成。布袋寅泰 5thアルバム『King & Queen』(1996) で初共演。 グラミー受賞 3回・ノミネート 12回(2024年時点) |
1959年4月10日 | 1959年4月10日 | ギター | ロカビリー | us |
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オマー・ハキム
Omar Hakim アメリカのジャズドラマー。ウェザー・リポートやデヴィッド・ボウイ『Let's Dance』 のレコーディングに参加。マーカス・ミラーとは幼馴染で、父親はデューク・エリントンやカウント・ベイシー楽団のトロンボーン奏者ハサーン・ハキム。
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1959年2月12日 | 1959年2月12日 | ドラム | ジャズ | us |
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ナイジェリア・イバダン生まれのシンガーソングライター。イギリスのバンド「シャーデー」のヴォーカリストとして世界的に有名。ミステリアスでアダルトな歌声で知られている。1977年、ロンドンのセントラル・セント・マーチンズでファッションデザインを学ぶ。1982年、スチュワート・マシューマン (G/Sax) ポール・デンマン (B) アンドリュー・ヘイル (Key) とシャーデーを結成し、1983年にエピック・レコードと契約。1984年、ロビン・ミラーのプロデュースで1stアルバム『Diamond Life』をリリースし全米2位・全英5位を記録。世界で1,000万枚以上を売り上げた。なお、シャーデーからヴォーカルのシャーデー・アデュを抜くとスウィートバックという形態になる。
アルバム
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1959年1月16日 | 1959年1月16日 | 女性歌手 | R&B | ng |
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バリー・イーストモンド
Barry Eastmond |
1959年1月11日 | 1959年1月11日 | プロデュース | R&B | us |
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フランク・ギャンバレ
Frank Gambale |
1958年12月22日 | 1958年12月22日 | ギター | フュージョン | au |
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シェレール
Cherrelle |
1958年10月13日 | 1958年10月13日 | 女性歌手 | R&B | us |
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ハワード・オールデン
Howard Alden |
1958年10月17日 | 1958年10月17日 | ギター | ジャズ | us |
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1958年8月29日 | 2009年6月25日 | 50 | 男性歌手 | ポップ | us |
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ベリンダ・カーライル
Belinda Carlisle |
1958年8月17日 | 1958年8月17日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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1958年8月16日 | 1958年8月16日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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1958年7月30日 | 1958年7月30日 | 女性歌手 | ポップ | eg |
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1958年6月7日 | 2016年4月21日 | 57 | 男性歌手 | R&B | us |
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ヨナス・エルボーグ
Jonas Hellborg |
1958年6月7日 | 1958年6月7日 | ベース | ロック | se |
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ポール・ウェラー
Paul Weller |
1958年5月25日 | 1958年5月25日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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1958年4月10日 | 1958年4月10日 | プロデュース | R&B | us |
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デヴィッド・シルヴィアン
David Sylvian イングランドのシンガーソングライター。ニューウェイヴバンド「ジャパン」のヴォーカリスト。解散後、電子音楽やアンビエントを追求し、ロバート・フリップや坂本龍一らとコラボレーション作品を多数発表している。
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1958年2月23日 | 1958年2月23日 | 男性歌手 | 前衛 | eg |
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アイスT
Ice-T |
1958年2月16日 | 1958年2月16日 | 男性歌手 | ヒップホップ | us |
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ビル・エヴァンス
Bill Evans アメリカのジャズ・サックス奏者。22歳の時、マイルス・デイヴィス・バンドに加入し『The Man With The Horn』(1981) 『We Want Miles』(1982) 『Star People』(1983) 『Decoy』(1984) に参加。ハービー・ハンコック、ジョン・マクラフリン、マイケル・フランクス、ウィリー・ネルソン、ミック・ジャガーらのツアー・録音に参加した。ジャズ・ピアニストのビル・エヴァンスとは同名異人。
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1958年2月8日 | 1958年2月8日 | サックス | ジャズ | us |
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アメリカの女性R&Bシンガー。「チャプター8」のリードシンガーを経て1983年にソロデビュー。1986年、マイケル・J・パウエルによるプロデュースで1stアルバム『Rapture』リリース。ルイス・ジョンソン、ゲイリー・バイアスと共作した「Sweet Love」が全米8位を獲得しグラミー賞「最優秀R&Bソング賞」受賞。1990–2000年代はリリースが激減したが、1994年に5thアルバム『Rhythm of Love』全米3位、2004年にバリー・イーストモンド、ジョージ・デューク、ベイビーフェイスが参加した6thアルバム『My Everything』が全米4位を記録し根強い人気を証明した。 グラミー受賞 8回・ノミネート 18回(2024年時点) |
1958年1月26日 | 1958年1月26日 | 女性歌手 | R&B | us |
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カシーフ
Kashif アメリカの歌手・プロデューサー。ファンクバンド「BTエクスプレス」後期のメンバーとしてデビュー。その後、ソロ歌手及び音楽プロデューサーとして独立。ケニー・G、ジョージ・ベンソン、ホイットニー・ヒューストンなどプロデュースした。
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1957年12月26日 | 2016年9月25日 | 59 | プロデュース | us |
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ヴェスタ・ウィリアムス
Vesta Williams |
1957年12月1日 | 2011年9月22日 | 53 | 女性歌手 | R&B | us |
マイク・ヴァーニー
Mike Varney |
1957年10月29日 | 1957年10月29日 | プロデュース | メタル | us |
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アメリカの世界的ギタリスト・シンガーソングライター。1977年、スタジオ・ミュージシャンとして活動していたジェフ・ポーカロ、デヴィッド・ペイチらと TOTO を結成。1982年、4thアルバム『TOTO IV』が1200万枚以上のセールスを記録し、グラミー賞で6冠に輝いた。マイケル・ジャクソン「Beat It」(1982) でのエディ・ヴァン・ヘイレンとの共演が有名。2012年より「リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンド」に参加。 グラミー受賞 5回・ノミネート 8回(2024年時点) |
1957年10月21日 | 1957年10月21日 | ギター | ハードロック | us |
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1957年10月17日 | 1957年10月17日 | ベース | ロック | wales |
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ザイン・グリフ
Zaine Griff |
1957年10月4日 | 1957年10月4日 | 女男性歌手 | ポップ | nz |
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ドイツ出身の世界的な映画音楽の作曲家。『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズや『トップガン マーヴェリック 』(2022)『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ 』(2021)『ミッション:インポッシブル2 』(2000)『クリムゾン・タイド 』(1995)『ライオンキング 』(1994)『テルマ&ルイーズ 』(1991)『ブラックレイン 』(1989) など、膨大なサウンドトラックを手掛けた。ロサンゼルス在住。
グラミー受賞 4回・ノミネート 22回(2024年時点)
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1957年9月12日 | 1957年9月12日 | 作曲家 | 映画音楽 | de |
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スージー・スー
Siouxsie Sioux イングランドを代表する女性歌手・作詞家・プロデューサー。セックス・ピストルズに感化され「スージー&ザ・バンシーズ」(1976–1996) を結成。「Hong Kong Garden」「Happy House」「Peek-A-Boo」「Kiss Them for Me」などのヒットを放った。1992年、ティム・バートンに『バットマン・リターンズ』の曲を依頼され「Face to Face」を作曲。元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケイルやモリッシーらと共演。 U2、ザ・キュアー、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、ジェフ・バックリィ、 レディオヘッド、R.E.M.、ソニック・ユースなど世界中のミュージシャンに多大な影響を与えた。
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1957年5月27日 | 1957年5月27日 | 女性歌手 | ロック | eg |
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クリフ・マグネス
Clif Magness アメリカの歌手・ソングライター・プロデューサー・マルチ楽器奏者。アヴリル・ラヴィーンの1stアルバム『Let Go』(2002)「 Losing Grip 」など共同作詞・プロデュース。クインシー・ジョーンズ「The Places You Find Love」で第33回グラミー賞「最優秀インストゥルメンタル・アレンジメント・ヴォーカル賞」受賞。映画『ベートーベン2』(1993) 主題歌「The Day I Fall In Love」でアカデミー賞、ゴールデングローブ賞にノミネートされた。
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1957年4月24日 | 1957年4月24日 | 男性歌手 | ポップ | us |
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ダリル・シモンズ
Daryl Simmons |
1957年4月11日 | 1957年4月11日 | プロデュース | R&B | us |
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ジェイク・E・リー
Jake E. Lee アメリカのロックギタリスト。1983年、オジー・オズボーン・バンドに加入し3rdアルバム『Bark At The Moon』(邦題『月に吠える』)のプレイで注目された。脱退後、ザック・ワイルドが後任として加入した。その後、バッドランズ、レッド・ドラゴン・カーテルを結成した。
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1957年2月15日 | 1957年2月15日 | ギター | ロック | us |
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イングランド出身、ロサンゼルス在住の世界的セッションドラマー。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のドラマー」2010年17位。ジェフ・ポーカロの後任として TOTO に加入 (1992–2013) 。ミック・ジャガー、ジェフ・ベック、ピート・タウンゼント、ゲイリー・ムーア、ジョー・サトリアーニ、エイジア、ジューダス・プリースト、マイケル・シェンカー・グループ、スタンリー・クラーク、カルロス・サンタナ、上原ひろみらと共演。
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1957年2月6日 | 1957年2月6日 | ドラム | ロツク | eg |
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アメリカの伝説的なロック・ギタリスト。オジー・オズボーン・バンドの初代ギタリスト。1980年、オジー・オズボーンの1stシングル「Crazy Train」でメジャーデビューし、新たなギターヒーローとして注目を集めた。1982年3月19日、飛行機事故に遭い25歳で他界。2021年、ロックの殿堂入りした。
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1956年12月6日 | 1982年3月19日 | 25 | ギター | ハードロック | us |
テリー・ルイス
Terry Lewis 1980–1990年代に最も成功したアメリカのプロデューサーの一組「ジャム&ルイス」で知られる。主にジャネット・ジャクソンの楽曲で有名で、S.O.S.バンド、シェレール、アレクサンダー・オニール、シェリル・リンらをプロデュースし、マイケル・ジャクソン、マライア・キャリー、チャカ・カーン、サウンズ・オブ・ブラックネス、メアリー・J. ブライジ、ビヨンセらに楽曲提供した。高校時代にジミー・ジャムとバンドを結成し、1981年よりプリンスのオープニングアクトを務めた。1992年キャリン・ホワイトと結婚。
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1956年11月24日 | 1956年11月24日 | プロデュース | R&B | us |
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1956年10月23日 | 1956年10月23日 | 女性歌手 | ジャズ | us |
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フレディ・ジャクソン
Freddie Jackson |
1956年10月2日 | 1956年10月2日 | 男性歌手 | R&B | us |
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ポール・クック
Paul Cook イギリスのパンク・ロックバンド、セックス・ピストルズのドラマー。
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1956年7月20日 | 1956年7月20日 | ドラム | パンク | us |
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1956年7月15日 | 1956年7月15日 | ギター | ハードロック | us |
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デナード・コールマン
Denardo Coleman アメリカのジャズドラマー・プロデューサー。父はサックス奏者でフリージャズの先駆者オーネット・コールマン、母は詩人ジェイン・コルテス。6歳でドラムを始め、10歳でオーネット・コールマン『The Empty Foxhole』(1966) に参加。以後、オーネットのリーダー作多数で共演した。
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1956年4月19日 | 1956年4月19日 | ドラム | ジャズ | us |
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グレッグ・フィールド
Gregg Field アメリカのプロデューサー・ドラマー。グラミー賞とエミー賞を複数回受賞。1991年から1995年までフランク・シナトラの最後のドラマーを務めた。
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1956年2月21日 | 1956年2月21日 | プロデュース | ポップ | us |
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ブライアン・ロバートソン
Brian Robertson |
1956年2月12日 | 1956年2月12日 | ギター | ロック | sc |
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ディディエ・ロックウッド
Didier Lockwood |
1956年2月11日 | 2018年2月18日 | 62 | バイオリン | フュージョン | fr |
1956年2月5日 | 1956年2月5日 | ドラム | ロック | us |
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ジョン・ライドン
John Lydon |
1956年1月31日 | 1956年1月31日 | 男性歌手 | パンク | us |
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エイミー・スチュワート
Amii Stewart |
1956年1月29日 | 1956年1月29日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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1955年12月8日 | 1955年12月8日 | ベース | フュージョン | us |
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カサンドラ・ウィルソン
Cassandra Wilson |
1955年12月4日 | 1955年12月4日 | 女性歌手 | ジャズ | us |
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ビリー・アイドル
Billy Idol イングランドのロック歌手・ソングライター・俳優。1976年、パンクロック・バンド「ジェネレーションX」を結成。解散後アメリカに渡りギタリストのスティーヴ・スティーヴンスを迎えアルバム『Billy Idol』(1982) でソロデビューした。1987年「Mony Mony」全米1位。
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1955年11月30日 | 1955年11月30日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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1955年10月7日 | 1955年10月7日 | チェロ | クラシック | fr |
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パット・マステロット
Pat Mastelotto |
1955年9月10日 | 1955年9月10日 | ドラム | プログレ | us |
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スティーヴ・ジョーンズ
Steve Jones |
1955年9月3日 | 1955年9月3日 | ギター | パンク | eg |
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スコットランド出身のギタリスト。スージー&ザ・バンシーズのメンバーとして知られ、「ニュー・ウェイヴのジミー・ペイジ」と称された。ジ・エッジ(U2)、ジョニー・マー(ザ・スミス)、ジョニー・グリーンウッド、エド・オブライエン(ともにレディオヘッド)、デイヴ・ナヴァロ(ジェーンズ・アディクション)、ビリー・コーガン(スマッシング・パンプキンズ)、ジョン・フルシアンテ(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)らがその影響を公言した。
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1955年8月25日 | 2004年3月4日 | 48 | ギター | ロック | sc |
1955年5月31日 | 1955年5月31日 | ギター | カントリー | aau |
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1955年1月26日 | 2020年10月6日 | 65 | ギター | ハードロック | nl |
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1955年1月10日 | 1955年1月10日 | ギター | ハードロック | de |
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スコットランド出身の女性歌手。ユーリズミックスのヴォーカルとして世界中で7,500万枚のレコードを売り上げた。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」93位。
グラミー受賞 4回・ノミネート 15回(2024年時点)
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1954年12月25日 | 1954年12月25日 | 女性歌手 | ニューウェイヴ | sc |
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ヴィンス・アンドリュース
Vince Gerard Andrews |
1954年11月9日 | 2012年7月7日 | 57 | サックス | ポップ | us |
リッキー・リー・ジョーンズ
Rickie Lee Jones アメリカのシンガーソングライター。1979年、1stアルバム『Rickie Lee Jones』全米3位、「Chuck E.'s In Love」全米4位を記録し、グラミー賞「最優秀新人賞」を受賞。レコーディングには、マイケル・マクドナルド、ドクター・ジョン、ウィリー・ウィークス、スティーヴ・ガッド、ジェフ・ポーカロ、アンディ・ニューマーク、ニック・デカロ、バジー・フェイトン、ニール・ラーセン、アーニー・ワッツなど一流ミュージシャンが参加した。一時期レコーディングを中断していたが、ウォルター・ベッカーがプロデュースした6thアルバム『Flying Cowboys』(1989) より復帰した。恋人だったトム・ウェイツの4thアルバム『Foreign Affairs』(1977) と5thアルバム『Blue Valentine』(1978) のカバーアートで姿が確認できる。 グラミー受賞 2回・ノミネート 8回(2024年時点)
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1954年11月8日 | 1954年11月8日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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スコット・ヤナウ
Scott Yanow |
1954年10月4日 | 1954年10月4日 | 評論家 | ジャズ | us |
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アメリカの世界的ブルースギタリスト・歌手・作曲家。アルバート・キング、エルモア・ジェームス、オーティス・ラッシュらに強い影響を受けたという。
グラミー受賞 6回・ノミネート 13回
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1954年10月3日 | 1990年8月27日 | 35 | ギター | ブルース | us |
1954年9月28日 | 1954年9月28日 | ギター | ロック | us |
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1954年8月25日 | 1954年8月25日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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スティーヴ・スミス
Steve Smith アメリカのジャズ/ロックのドラマー。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のドラマー」30位。バークリー音楽大学でトニー・ウィリアムスの師アラン・ドーソンに師事。ジャーニーのドラマーとして有名で、ステップス・アヘッド、マライア・キャリー、ブライアン・アダムス、ラリー・コリエル、フランク・ギャンバレらのレコーディングに参加した。
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1954年8月21日 | 1954年8月21日 | ドラム | ジャズ | us |
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1954年8月12日 | 1954年8月12日 | ギター | フュージョン | us |
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1954年7月22日 | 1954年7月22日 | ギター | フュージョン | us |
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ウェールズ出身のロックギタリスト。1971年 ゲイリー・ムーアの後任としてアイルランドのバンド「スキッド・ロウ」に加入。>1978年 マイケル・シェンカーの後任として UFO に加入。その後、アメリカへ移住しバンドを結成した。
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1954年6月9日 | 2020年6月9日 | 66 | ギター | ロック | wales |
ジャズ・フュージョンのドラマー・作曲家。1972年、スタン・ケントン・オーケストラでキャリア開始。1978年にウェザー・リポートとジャコ・パストリアスのバンド「ワード・オブ・マウス・ビッグ・バンド」やステップス・アヘッドに参加した。日本人女性(キーボード奏者・吉澤はじめの母の妹)と結婚した。
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1954年6月5日 | 1954年6月5日 | ドラム | フュージョン | us |
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アンジェラ・ボフィル
Angela Bofill |
1954年5月2日 | 2024年6月13日 | 70 | 女性歌手 | R&B | us |
1954年4月19日 | 1954年4月19日 | プロデュース | ロック | ca |
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パット・トラヴァース
Pat Travers カナダのロックギタリスト・歌手・ソングライター。オタワで観たジミ・ヘンドリックスのコンサートに感化されギターを開始。ロニー・ホーキンスに見出され、20代前半でロンドンに移りポリドールと契約。バンドにはニコ・マクブレイン、クライヴ・エドワーズ、トミー・アルドリッジ、カーマイン・アピス、エインズリー・ダンバーらが在籍。ポール・ギルバートはトラヴァースを「ギターの神様」と呼び、メタリカのカーク・ハメットお気に入りのギタリストの一人。
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1954年4月12日 | 1954年4月12日 | ギター | ロック | ca |
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ミシェル・カミロ
Michel Camilo |
1954年4月4日 | 1954年4月4日 | ピアノ | ジャズ | do |
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アメリカのドラマー。ロックバンド TOTO の元リーダー。セッション・ミュージシャンとしても数多くのレコーディングに参加した。TOTO のマイク・ポーカロとスティーヴ・ポーカロは実弟。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のドラマー」に37位。
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1954年4月1日 | 1992年8月5日 | 38 | ドラム | ロッ | us |
アメリカのギタリスト。10歳でギターを始め、ジミ・ヘンドリックスやジミ・ヘンドリックス等に影響を受ける。サンタナのギタリストを経て、世界的ロックバンド「ジャーニー」を結成した。
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1954年2月27日 | 1954年2月27日 | ギター | ロツク | us |
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ジョン・トーマス
John Thomas アメリカのジャズ・ギタリスト。シカゴのブルース・ギタリスト、レジー・ボイドに師事。ジョー・ヘンダーソン『Multiple』(1973)、リターン・トゥ・フォーエヴァー『Live The Complete Concert』(1977) に参加し、ドイツのレーベル「Nabel」と契約。John Thomas & Lifeforce『Devil Dance』(1980)、『3000 Worlds』(1981)、『Dreams, Illusions, Nightmares And Other Realities』(2003) をリリースした。Monika Linges をフィーチャーしたブラジリアン・フュージョン「Like A Samba」がクラブでヒットした。
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1954年2月25日 | 2023年10月12日 | 69 | ギター | ジャズ | us |
ベティ・ライト
Betty Wright アメリカのR&Bの女性シンガーソングライター。「マイアミ・ソウルの女王」と謳われキャリアは60年以上。1971年「Clean Up Woman」全米6位・R&Bチャート2位、1975年「Where Is the Love」でグラミー賞「最優秀R&B楽曲賞」受賞。キング・スポーティーと結婚した。
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1953年12月21日 | 2020年5月10日 | 66 | 女性歌手 | R&B | us |
1953年12月10日 | 1953年12月10日 | 女性歌手 | ジャズ | us |
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シュギー・オーティス
Shuggie Otis アメリカのシンガーソングライター・ギタリスト。父は「R&Bのゴッドファーザー」ことジョニー・オーティス。1969年、15歳でアル・クーパー「Kooper Session」にギターで参加。1970年、デビューアルバム『Here Comes Shuggie Otis』をB.B.キングが絶賛。エタ・ジェイムス、フランク・ザッパらと共演しつつ、1977年に作曲したブラザーズ・ジョンソン「Strawberry Letter 23」が全米1位・R&Bチャート1位を獲得。ローリング・ストーンズのワールドツアー参加要請やクインシー・ジョーンズからのプロデュース依頼を断り、やがてエピック・レコードとのレコーディング契約は無効となった。寡作でアルバムリリースは4枚(2024年時点)。
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1953年11月30日 | 1953年11月30日 | ギター | R&B | us |
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1953年10月28日 | 1953年10月28日 | プロデュース | ロック | us |
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マーク・ジョンソン
Marc Johnson アメリカのジャズベーシスト。1978年、エディ・ゴメスの後任としてビル・エヴァンス・トリオに加入。1980年にエヴァンスが亡くなるまで一緒に活動した。 グラミー受賞 2回・ノミネート 3回(2024年時点) |
1953年10月21日 | 1953年10月21日 | ベース | ジャズ | us |
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ロビー・シェイクスピア
Robbie Shakespeare ジャマイカのレゲエのベーシスト・プロデューサー。レゲエ・デュオ「スライ&ロビー」のメンバーとして有名。ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのベーシスト、アストン・バレットに師事。1975年、スライ・ダンバー (Dr) とスライ&ロビーを結成した。
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1953年9月27日 | 2021年12月8日 | 68 | ベース | レゲエ | jm |
アール・クルー
Earl Klugh |
1953年9月16日 | 1953年9月16日 | ギター | フュージョン | us |
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ジェフ・ハミルトン
Jeff Hamilton アメリカのジャズドラマー。モンティ・アレキサンダー、ウディ・ハーマンらのバンドを経て、1985年クレイトン=ハミルトン・ジャズ・オーケストラ結成。エラ・フィッツジェラルド、ローズマリー・クルーニー、カウント・ベイシー・オーケストラ、オスカー・ピーターソン、レイ・ブラウン、ダイアナ・クラールと共演。
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1953年8月4日 | 1953年8月4日 | 女男性歌手 | ポップ | us |
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1953年8月1日 | 1953年8月1日 | ギター | ブルース | us |
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グレッグ・コーエン
Greg Cohen
アメリカのベーシスト・作曲家。
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1953年7月13日 | 1953年7月13日 | ベース | ジャズ | us |
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アメリカの世界的シンガーソングライター・女優。グラミー受賞2回・ノミネート16回(2024年時点)1980年にバンド「ブルー・エンジェル」でメジャーデビューしたが、シンディが破産し解散。クラブやレストランで歌い、ポートレイト・レコードとの契約した。1983年、ソロデビューアルバム『She's So Unusual』から4曲連続「全米TOP 5」入りした初の女性ソロアーティストとなり、「Time After Time」はマイルス・デイヴィスらにもカヴァーされスタンダードとなった。1985年、USAフォー・アフリカ『We Are The World』に参加。以後も精力的に活動し、2000年以降はシェールと大規模な北米ツアーを行い100万人以上を動員した。大の親日家。
代表作
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1953年6月22日 | 1953年6月22日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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1953年6月4日 | 1979年9月27日 | 26 | ギター | ロック | sc |
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アメリカのバンド「ソニック・ユース」のヴォーカル・ベーシスト・ギタリスト。ローリングストーン誌「偉大なベーシスト」2020年39位。1981年にサーストン・ムーアとソニックユースを結成(2011年サーストンとの離婚を機に解散)。当初アメリカでは人気が出ずヨーロッパで評価され、イギリスではジョン・ライドンのパブリック・イメージ・リミテッドの前座として活動。高い音楽性とセールス面の対比から「無冠の帝王」と揶揄された。1991年、コートニー・ラブが結成したホールの1stアルバム『Pretty On The Inside』でプロデューサーとしてデビュー。1994年、XLARGEで働いていた友人のデイジー・フォン・ファースと共にアパレルブランド「X-girl」を設立した。2019年からは、ソロアーティストとして活動。最初はザ・スリッツ、 ザ・レインコーツ、スージー・スー、パティ・スミスに影響を受け、その後はザ・ランナウェイズ、ジャニス・ジョプリン、ティナ・ターナー、ビリー・ホリデイに影響を受けた。ソフィア・コッポラに影響を与えた。
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1953年4月28日 | 1953年4月28日 | ベース | オルタナ | us |
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アメリカ・イリノイ州出身の女性R&B歌手。1970–1980年代に精力的に活動し、ホイットニー・ヒューストン、メアリー・J.ブライジなど多くの女性歌手に影響を与えた。1973年、ファンクバンド「ルーファス」にボーカルとして加入し、アイク・ターナーの目に留まりソロデビューした。グラミー受賞10回・ノミネート22回(2024年時点)
代表作
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1953年3月23日 | 1953年3月23日 | 女性歌手 | R&B | us |
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1953年3月19日 | 1953年3月19日 | ベース | ハードロック | us |
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ジミー・アイオヴィン
Jimmy Iovine アメリカの音楽実業家・エンジニア。1970年代にレコーディング・エンジニアとしてキャリアを開始。ジョン・レノンやブルース・スプリングスティーンなどと仕事をし、250枚以上のアルバム制作に携わった。1999年、ユニバーサル・ミュージック・グループによって設立されたインタースコープ・ゲフィン・A&Mの会長兼CEOに就任。2006年、ドクター・ドレーとオーディオメーカー「ビーツ・エレクトロニクス」を共同設立し、2014年にアップルが30億ドルで買収した。
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1953年3月11日 | 1953年3月11日 | 実業家 | us |
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ルシンダ・ウィリアムス
Lucinda Williams |
1953年1月26日 | 1953年1月26日 | 女性歌手 | カントリー | us |
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ジェームス・ハチンソン
James Hutchinson |
1953年1月24日 | 1953年1月24日 | ベース | ポップ | us |
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ジェフ・バーリン
Jeff Berlin アメリカのベーシスト。主にジャズ、フュージョン、プログレッシブ・ロックのジャンルで活躍。
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1953年1月17日 | 1953年1月17日 | ベース | フュージョン | us |
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アメリカの女性ロックシンガー・ソングライター。世界売上3,600万枚以上。ライザ・ミネリのコンサートに感銘を受け、仕事を辞めて歌手を志した。女性ハードロッカーが少なかった時期に活動を始め、1979年に1stアルバム『In The Heat Of The Night』でデビューし全米12位を記録。4年連続でグラミー賞「最優秀女性ロック・ボーカル・パフォーマンス賞」を受賞し、全米屈指のヴォーカリストに昇り詰めた。 グラミー受賞 4回・ノミネート 9回(2024年時点) |
1953年1月10日 | 1953年1月10日 | 女性歌手 | ロック | us |
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1953年1月10日 | 1953年1月10日 | ギター | ジャズ | us |
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ジョー・ロヴァーノ
Joe Lovano |
1952年12月29日 | 1952年12月29日 | サックス | ジャズ | us |
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ジェフ・ローバー
Jeff Lorber |
1952年11月4日 | 1952年11月4日 | キーボード | フュージョン | us |
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1952年10月31日 | 1996年4月18日 | 43 | ベース | R&B | us |
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アール・スリック
Earl Slick |
1952年10月1日 | 1952年10月1日 | ギター | ロック | us |
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1952年9月19日 | 1952年9月19日 | プロデュース | ディスコ | us |
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イングランドのギタリスト・音楽プロデューサー。アニー・レノックス (Vo) とユーリズミックスを結成し世界中で7,500万枚のレコードを売り上げた。
グラミー受賞 1回・ノミネート 7回
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1952年9月9日 | 1952年9月9日 | ギター | ポップ | eg |
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1952年9月8日 | 1952年9月8日 | ベース | ジャズ | us |
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ジョン・ハイアット
John Hiatt |
1952年8月20日 | 1952年8月20日 | 男性歌手 | ポップ | us |
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ジャニス・シーゲル
Janis Siegel |
1952年7月23日 | 1952年7月23日 | 女性歌手 | ジャズ | us |
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ニコレット・ラーソン
Nicolette Larson
アメリカの歌手。1970年代よりセッション・シンガーとして活動開始し、エミルー・ハリスやニール・ヤングのレコーディングに参加。
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1952年7月17日 | 1997年12月16日 | 45 | 女性歌手 | ポップ | us |
アラン・パスクァ
Alan Pasqua アメリカのジャズ・ピアニスト・教育者・作曲家。セッション・ミュージシャンとしてボブ・ディラン、サンタナ、シェール、トニー・ウィリアムス、アラン・ホールズワース、ジョー・ウォルシュ、パット・ベネター、リック・スプリングフィールド、ジョン・フォガティ、マイケル・ブーブレ、松任谷由実らのレコーディングやツアーに参加した。
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1952年6月28日 | 1952年6月28日 | キーボード | フュージョン | us |
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ジノ・ヴァネリ
Gino Vannelli |
1952年6月16日 | 1952年6月16日 | 男性歌手 | ロック | ca |
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ニコ・マクブレイン
Nicko McBrain イングランドのドラマー。ヘヴィメタル・バンド「アイアン・メイデン」のメンバー。2013年、妻に模造刀で襲撃され薪で反撃した。
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1952年6月5日 | 1952年6月5日 | ドラム | メタル | eg |
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デヴィッド・バーン
David Byrne スコットランド出身のシンガー・ギタリスト。1974年にニューヨークで「トーキング・ヘッズ」を結成し、ブライアン・イーノらをプロデューサーに迎え活動した。映画『ラストエンペラー』(1987) の音楽を手がけ、坂本龍一、コン・スーとともにアカデミー賞「作曲賞」とグラミー賞「賞映画・テレビ音楽賞」を受賞。 グラミー受賞 1回・ノミネート 7回(2024年時点) |
1952年5月14日 | 1952年5月14日 | 男性歌手 | ニューウェイブ | sc |
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ジャマイカのレゲエのドラマー・プロデューサー。1975年、ロビー・シェイクスピア (B) とスライ&ロビーを結成。ジュニア・マーヴィン「Police & Thieves」(1976)、ボブ・マーリー「Punky Reggae Party」(1977) 12インチ版、リー・ペリー「Night Doctor」(1984) などのレコーディングにも参加した。 グラミー受賞 2回・ノミネート 13回(2024年時点) |
1952年5月10日 | 1952年5月10日 | ドラム | レゲエ | jm |
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モニカ・マンシーニ
Monica Mancini アメリカの歌手。大作曲家ヘンリー・マンシーニの娘。子供の頃は父の音楽よりもビートルズを好んで聴いていた。14歳で母や姉同様ヘンリー・マンシーニ合唱団でプロとして歌い始めた。ロサンゼルスでフリーランスのスタジオシンガーとなり、1998年『Monica Mancini』でデビュー。プラシド・ドミンゴ、クインシー・ジョーンズ、マイケル・ジャクソンらと共演した。複数のグラミー賞とエミー賞を受賞したプロデューサーのグレッグ・フィールドと結婚。
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1952年5月4日 | 1952年5月4日 | 女性歌手 | ジャズ | it |
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アメリカのピアニスト。1972年、オールマン・ブラザーズ・バンドに加入。解散後、ロックバンド「シー・レヴェル」 (Sea Level) 結成。1982年、ローリング・ストーンズのツアーに参加し、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、ロン・ウッドのソロ活動もサポートした。ジョージ・ハリスン、エリック・クラプトン、ブラック・クロウズなど共演多数。
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1952年4月28日 | 1952年4月28日 | ピアノ | ロック | us |
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アメリカの大物ドラマー・プロデューサー。
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1952年4月23日 | 1952年4月23日 | プロデューサー | R&B | us |
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北アイルランド出身の世界的ロックギタリスト・歌手・作曲家。1974年のシン・リジィ参加で有名になり、以降1980年代はハードロック、フュージョン等を中心に、1990年代以降はブルースロックを軸に活躍。影響を受けたギタリストはジェフ・ベック、ピーター・グリーン、エリック・クラプトン、ジミ・ヘンドリックスなど。ブルース時期以降からはオーティス・ラッシュの楽曲へのアプローチが顕著に見受けられる。2011年2月6日、休暇先のスペインで心臓発作を起こし急逝。息子のジャック・ムーアが「Danny Boy」を演奏して葬送された。
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1952年4月4日 | 2011年2月6日 | 58 | ギター | ブルースロック | nie |
ジェラルド・ウエルタ
Gerard Huerta アメリカの巨匠タイポグラファー・グラフィックデザイナー。CBSの名アートディレクターのジョン・バーグと組み、AC/DCのロゴやシカゴ『Chicago 14』の指紋のカバーアートをはじめ、ボストン、ウィリー・ネルソン、テッド・ニュージェント、ブルー・オイスター・カルト、リック・デリンジャー、ボブ・ディラン、ラムゼイ・ルイス、アイズレー・ブラザーズ、ハロルド・メルヴィン・アンド・ザ・ブルー・ノーツ、ジョージ・ベンソン、ルパート・ホームズ、スティーヴン・スティルス、アルヴィン・リー、チャーリー・ダニエルズ・バンドなど、音楽史に残るグラフィックをデザインした。
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1952年3月19日 | 1952年3月19日 | グラフィック | us |
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シルヴィア・ローヌ
Sylvia Rhone |
1952年3月11日 | 1952年3月11日 | 実業家 | us |
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アメリカの歌手・ソングライター。ハスキーで渋みのある歌声が特徴で、スティーリー・ダン、ドゥービー・ブラザーズ、ケニー・ロギンスとの活動で知られている。 グラミー受賞 5回・ノミネート 14回(2024年時点)
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1952年2月12日 | 1952年2月12日 | 男性歌手 | R&B | us |
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フリオ・キリコ
Furio Chirico |
1952年1月14日 | 1952年1月14日 | ドラム | ロック | it |
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1952年1月11日 | 1952年1月11日 | ギター | フュージョン | us |
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1952年 | 1952年1月1日 | プロデュース | eg |
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ジミー・ハスリップ
Jimmy Haslip |
1951年12月31日 | 1951年12月31日 | ベース | フュージョン | us |
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イヴォンヌ・エリマン
Yvonne Elliman |
1951年12月29日 | 1951年12月29日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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1951年12月26日 | 1951年12月26日 | ギター | ジャズ | us |
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ロベン・フォード
Robben Ford |
1951年12月16日 | 1951年12月16日 | ギター | ジャズ | us |
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1951年12月3日 | 1951年12月3日 | 女男性歌手 | ポップ | eg |
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アメリカの伝説的なベーシスト。グラミー受賞1回・ノミネート4回。パット・メセニー『Bright Size Life』(1976) に参加。1976年「ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ」のドラマー、ボビー・コロンビーのプロデュースで『Jaco Pastorius』をリリース。ウェイン・ショーターやハービー・ハンコックやR&Bの大物サム&デイヴなど多数の豪華ミュージシャンが参加した。ウェザー・リポート 6thアルバム『Black Market』から同グループに参加。1979年、パット・メセニーらと恋人だったジョニ・ミッチェルのツアーに参加し、ジョニ・ミッチェル『Shadows and Light』(1980) に収録された。1979年、ジョン・マクラフリン、トニー・ウィリアムスと「Trio Of Doom」を結成。ウェザー・リポートを脱退し、ピーター・アースキンらと自身のバンドを結成してソロ活動に専念していたが、ドラッグとアルコールで精神状態は悪化をたどった。2010年、行方不明になっていたジャコのベース「Bass of Doom」がニューヨークの楽器店にあることが判明。遺族が返却を求めたが拒否され、ジャコを敬愛するメタリカのベーシスト、ロバート・トゥルヒーヨが買い戻すと申し出た。遺族は深く感謝しベースをトゥルヒーヨに託した。1960年製の黒いベースは中村梅雀が所有。息子はベーシストのフェリックス・パストリアス。
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1951年12月1日 | 1987年9月21日 | 35 | ベース | フュージョン | us |
ロリ・リーバーマン
Lori Lieberman |
1951年11月15日 | 1951年11月15日 | 女性歌手 | フォーク | us |
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コージー・ファニ・トゥッティ
Cosey Fanni Tutti イングランドのパフォーマンスアーティスト・女性歌手。1975年、クリス・カーター、ピーター・クリストファーソン(元ヒプノシス)、ジェネシス・P・オリッジらと前衛音楽結成バンド「スロッビング・グリッスル」結成。1981年に解散後「クリス&コージー」を結成した。 See Also: クラウス・ノミ ローリー・アンダーソン |
1951年11月4日 | 1951年11月4日 | 女性歌手 | 前衛音楽 | eg |
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キャロライン・ペイトン
Caroline Peyton アメリカの歌手・ソングライター・女優。1973年 Screaming Gypsy Bandits『In The Eye』に参加。1977年、ソロアルバム『Intuition』をリリースした後、女優としてブロードウェイに出演したりディズニーアニメ映画でヴォーカルを録音した。
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1951年10月8日 | 2021年8月11日 | 69 | 女性歌手 | ポップ | us |
1951年10月7日 | 1951年10月7日 | 男性歌手 | ロック | us |
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1951年10月2日 | 1951年10月2日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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イングランド出身のアメリカの世界的ロックシンガー。ディープ・パープル3代目ヴォーカリスト、ホワイトスネイクでの活動で知られている。
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1951年9月22日 | 1951年9月22日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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カナダ出身の世界的音楽プロデューサー。ブライアン・イーノから影響を受け、共同でU2の名盤の他、主にロック、フォーク、カントリーの様々なアーティストをプロデュース。2009年、ブライアン・ブレイドらと Black Dub 結成した。
グラミー受賞 7回・ノミネート 15回(2024年時点) プロデュース作品
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1951年9月19日 | 1951年9月19日 | プロデュース | ロック | ca |
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ハーヴェイ・コーエン
Harvey Cohen |
1951年9月13日 | 2007年1月14日 | 55 | 作曲家 | ポップ | us |
アメリカのシンガーソングライター。プリテンダーズのヴォーカリスト兼ギタリスト。1973年、ロンドンへ移住してマルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッドのブティック「SEX」で働いた。1978年、プリテンダーズを結成。フランク・シナトラ、シェール、ネナ・チェリー、UB40 と共演。2005年ロックの殿堂入り グラミー賞ノミネート 5回(2024年時点) |
1951年9月7日 | 1951年9月7日 | 女性歌手 | ロック | us |
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マーク・アイシャム
Mark Isham |
1951年9月7日 | 1951年9月7日 | 作曲家 | 映画音楽 | us |
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グレン・ヒューズ
Glenn Hughes |
1951年8月21日 | 1951年8月21日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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ボビー・コールドウェル
Bobby Caldwell
アメリカの歌手・ソングライター・マルチ楽器奏者。アダルトコンテンポラリーの名曲「What You Won't Do for Love」で知られ、特に日本で根強い人気を誇っている。マンハッタンで生まれマイアミ育ち。母はマイアミの不動産業者でボビーは顧客のボブ・マーリー (1945–1981) と友人になった。
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1951年8月15日 | 2023年3月14日 | 71 | 男性歌手 | AOR | US |
1951年8月1日 | 1976年12月4日 | 25 | ギター | ハードロック | us |
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T.M.スティーヴンス
T. M. Stevens アメリカのベーシスト・歌手・作曲家・プロデューサー。1978年3月2日、マイルス・デイヴィスのセッションにラリー・コリエル、菊地雅章、アル・フォスターらと参加。 ▶ Miles Davis Columbia Session 1978 ジェームス・ブラウン、ナラダ・マイケル・ウォルデン、スティーヴ・ヴァイ、ジョー・コッカー、シンディ・ローパー、リトル・スティーヴン、ティナ・ターナー、ビリー・ジョエルらのレコーディングに参加した。 |
1951年7月28日 | 2024年3月10日 | 72 | ベース | ポップ | us |
アメリカの超絶技巧のベーシスト。ローリング・ストーン誌「史上最高のベーシスト50選」13位。
グラミー受賞 3回・ノミネート 12回(2024年時点)
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1951年6月30日 | <1951年6月30日/span> | ベース | フュージョン | us |
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カルロス・アロマー
Carlos Alomar |
1951年5月7日 | 1951年5月7日 | ギター | ロック | pr |
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バーニー・マースデン
Bernie Marsden |
1951年5月7日 | 2023年8月24日 | 72 | ギター | ロツク | eg |
ピーボ・ブライソン
Peabo Bryson |
1951年4月13日 | 1951年4月13日 | 男性歌手 | R&B | us |
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アメリカのシンガーソングライター。1966年、自作曲「Society's Child」(全米14位)でデビュー。1972年にロバータ・フラックが「Jesse」をカバーし再び脚光を浴びた。1976年「At Seventeen」(17才の頃・全米3位)でグラミー賞「最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞」を受賞。日本とヨーロッパでは絶大な人気を誇り『愛の余韻』(1976) がオリコン洋楽チャートで半年間1位、「恋は盲目」は8週連続1位を記録。角川映画『復活の日』(1980) で「You Are Love」がテーマ曲になった。2003年、同性愛者であることをカミングアウトし女性パートナーと結婚した。 グラミー受賞2回・ノミネート10回(2024年時点) |
1951年4月7日 | 1951年4月7日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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クリス・レア
Chris Rea イングランドのシンガーソングライター。世界売上3,000万枚以上。主にヨーロッパで人気を博し、日本では「On The Beach」(1986) 全英57位が有名。イーグルスのジョー・ウォルシュに憧れ音楽活動を開始。1974年「So Much Love」でデビュー。1978年、エルトン・ジョンを手掛けたガス・ダッジョンのプロデュースで1stアルバム『Whatever Happened To Benny Santini?』(全米49位)リリース。「Fool (If You Think It's Over)」全米12位・アダルト・コンテンポラリー・チャート1位を獲得した。10thアルバム『The Road to Hell』(1989) 全米107位・全英1位、11thアルバム『Auberge』(1991) 全米176位・全英1位。
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1951年3月4日 | 1951年3月4日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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スティーヴ・ハーレイ
Steve Harley イギリスのシンガーソングライターで、ロックバンド「スティーヴ・ハーレイ&コックニー・レベル」フロントマン。「Judy Teen」(1974) 全英5位「Mr. Soft」(1974) 全英8位「Make Me Smile (Come Up and See Me)」(1975) 全英1位を獲得。
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1951年2月27日 | 2024年3月17日 | 73 | 男性歌手 | ロック | eg |
アルフォンソ・ジョンソン
Alphonso Johnson アメリカのジャズ・ベーシスト。1974年、ウェザー・リポートに加入し、4thアルバム『Mysterious Traveller』から6thアルバム『Black Market』まで参加。1985年から1989年までサンタナに加入。フィル・コリンズ、ウェイン・ショーター、ディヴィッド・ギルモアらのレコーディングやツアーに参加した。
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1951年2月2日 | 1951年2月2日 | ベース | ジャズ | us |
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イングランドの世界的ロックシンガー・ドラマー・プロデューサー。世界売上1億5,000万枚以上。「You Can't Hurry Love」(1982年・邦題「恋はあせらず」。1966年スプリームスのカバー)「Against All Odds(Take A Look At Me Now)」(1984年・邦題「見つめて欲しい」)、「Easy Lover」(1984) 「Sussudio」(1985)「Another Day in Paradise」(1989) が世界中で大ヒット。1970年、プログレッシブ・ロック・バンド「ジェネシス」にドラマーとして加入。バンドとソロを兼任しながら、ロバート・プラントらのプロデュースも行った。 グラミー受賞 8回・ノミネート 27回(2024年時点) |
1951年1月30日 | 1951年1月30日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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ブライアン・ダウニー
Brian Downey |
1951年1月27日 | 1951年1月27日 | ドラム | ロック | ie |
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エディ・ジョーンズ
Eddie Johns |
1951年 | 1951年1月1日 | 男性歌手 | ディスコ | lr |
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ニッキー・バークレー
Nickey Barclay アメリカの歌手・キーボーディスト。1969年、4人組ガールズロックバンド「ファニー」結成。ソロでジョー・コッカー、バーブラ・ストライサンド、キース・ムーンと共演した。
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1951年 | 1951年1月1日 | 女性歌手 | ロック | us |
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アメリカのドラマー。フランク・ザッパ、ミッシング・パーソンズのドラマーとして有名。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のドラマー」17位。2008年に日本人女性と結婚。義娘はドラマーの Marina。
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1950年12月27日 | 1950年12月27日 | ドラム | ロック | us |
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カールトン・バレット
Carlton "Carly" Barrett ジャマイカのドラマー。ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのメンバーとして知られている。「War」を作曲し、兄アストンと「Talkin' Blues」を共作した。
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1950年12月17日 | 1987年4月17日 | 36 | ドラム | レゲエ | jm |
ステラ・ヴァンデ
Stella Vander |
1950年12月12日 | 1950年12月12日 | 女性歌手 | ポップ | fr |
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リシャール・ガリアーノ
Richard Galliano |
1950年12月12日 | 1950年12月12日 | アコーディオン | ジャズ | fr |
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ジョーン・アーマトレーディング
Joan Armatrading |
1950年12月9日 | 1950年12月9日 | 女性歌手 | フォーク | eg |
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アメリカのギタリスト。1973年、エアロスミスのメンバーとしてデビュー。スティーヴン・タイラーとの確執で1980年に脱退したが、1984年に和解し復帰。憧れのジェフ・ベックとはエアロスミスのステージなどで共演した。 グラミー受賞4回・ノミネート17回(2024年時点) |
1950年9月10日 | 1950年9月10日 | ギター | ハードロック | us |
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1950年8月27日 | 1950年8月27日 | ベース | ロック | sc |
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デクスター・ワンセル
Dexter Wansel |
1950年8月22日 | 1950年8月22日 | キーボード | ジャズファンク | us |
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1950年7月18日 | 1950年7月18日 | 実業家 | eg |
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アメリカの歌手・俳優。アメリカン・ロックの世界的バンド、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースのフロントマンとして有名。1985年、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の主題歌「The Power Of Love」が全米1位を獲得。ヒューイも映画に脇役(オーディションの審査員)としてカメオ出演した。
グラミー受賞 1回・ノミネート 6回(2024年時点) |
1950年7月5日 | 1950年7月5日 | 男性歌手 | ロック | us |
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ギンガ
Guinga |
1950年6月10日 | 1950年6月10日 | ギター | MPB | br |
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スージー・クアトロ
Suzi Quatro アメリカ出身イギリスの女性ロック歌手・ベーシスト・ソングライター・女優。60年以上のキャリアを持つ女性ロック界の先駆者。1964年、姉妹らとガールズバンド「ザ・プレジャー・シーカーズ」を結成し、MC5 やジェファーソン・エアプレインらとアメリカ各地をツアーした。1970年、大物プロデューサーのミッキー・モストに見出され、拠点をイギリスへ移した。1973年にプロデューサーのマイク・チャップマンとニッキー・チンを迎え、ハードロック路線へ転向。アメリカではさほど売れなかったものの、ヨーロッパと日本で大ヒットし、1978年に日本で挙式した。
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1950年6月3日 | 1950年6月3日 | 女性歌手 | ロック | us |
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ディー・ディー・ブリッジウォーター
Dee Dee Bridgewater アメリカの女性ジャズシンガー・俳優。1990年代以降においてダイアン・リーヴス、カサンドラ・ウィルソン、ダイアナ・クラールらと共に最も成功したジャズシンガーの一人と考えられている。16歳の時、R&Bバンドの歌手としてナイトクラブで歌った。ミシガン州立大学とイリノイ大学で学び、1969年に自身のジャズバンドとソヴィエト連邦にツアーを行なった。翌年、トランペット奏者のセシル・ブリッジウォーターと結婚。ホレス・シルヴァー、サド・ジョーンズ&メル・ルイス・ジャズ・オーケストラ、ソニー・ロリンズ、ディジー・ガレスピー、デクスター・ゴードン、マックス・ローチ、ローランド・カークらと共演した。
1973年、モントレー・ジャズ・フェスティバルに出演。1974年、1stアルバム『Afro Blue』をリリース。1975年、ブロードウェイ・ミュージカル『ザ・ウィズ』でグリンダ役を演じトニー賞「助演女優賞」、1998年に『Dear Ella』でグラミー賞「ベスト・ジャズ・ボーカル・アルバム賞」を受賞した。 グラミー受賞 2回・ノミネート 8回(2024年時点) |
1950年5月27日 | 1950年5月27日 | 女性歌手 | ジャズ | us |
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1950年5月22日 | 1950年5月22日 | 作詞家 | ポップ | eg |
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1950年5月13日 | 1950年5月13日 | 男性歌手 | R&B | us |
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1960年5月10日 | 1960年5月10日 | 男性歌手 | ロック | ie |
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ボビー・ハンフリー
Bobbi Humphrey アメリカの女性ジャズ・フルート奏者・歌手。大学のタレントコンテストで彼女の演奏を見たディジー・ガレスピーに促され、ニューヨークでキャリアを開始。すぐにブルーノートと契約し、1971年リー・モーガンのラストアルバム『The Last Session』(1972) に参加。モーガンはハンフリーの1stアルバム『Flute-In』(1971) に参加した。1973年、ジャズファンクの名作『Blacks and Blues』(全米84位・21週チャートイン)をリリース。1976年、スティーヴィー・ワンダー「Another Star」に参加し、ビルボード誌「最優秀女性楽器奏者」に選ばれた。2002年、コモン『Electric Circus』に参加。
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1950年4月25日 | 1950年4月25日 | フルート | ジャズ | us |
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1950年4月22日 | 1950年4月22日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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1950年3月26日 | 2010年1月13日 | 59 | 男性歌手 | R&B | us |
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ボビー・マクファーリン
Bobby McFerrin |
1950年3月11日 | 1950年3月11日 | 男性歌手 | ジャズ | us |
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アメリカの世界的デュオ「カーペンターズ」のヴォーカリスト・ドラマー。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」2013年94位。世界売上1億枚以上。兄リチャード(作曲・演奏)のキャッチーで美しいメロディーと、カレンのエモーショナルで気品高い歌声は世界中を席巻した。摂食障害に陥ったカレンは1983年2月4日、32歳で他界。カーペンターズは活動を終えた。
グラミー受賞 3回・ノミネート 7回 代表曲
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1950年3月2日 | 1983年2月4日 | 32 | 女性歌手 | ポップ | us |
ジェネシス・P・オリッジ
Genesis P-Orridge イングランドのパフォーマンスアーティスト・歌手。1975年、コージー・ファニ・トゥッティ、クリス・カーター、ピーター・クリストファーソン(元ヒプノシス)、らと前衛音楽結成バンド「スロッビング・グリッスル」結成。1981年、新興宗教団体「スリー・テンプル・オブ・サイキック・ユース」を設立し、イギリス国外退去処分をうけニューヨークへ移住。性別はサード・ジェンダーを自認。
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1950年2月22日 | 2020年3月14日 | 74 | 女性歌手 | 前衛音楽 | eg |
ウォルター・ベッカー
Walter Becker |
1950年2月20日 | 2017年9月3日 | 67 | ギター | フュージョン | us |
イングランドの歌手。プログレッシブ・ロック・バンド「ジェネシス」の初代ヴォーカリスト。在籍時の「ジェネシス」は奇抜な衣装・メイク・演出でヨーロッパで人気を博した。1980年代以降は映画音楽も数多く手掛けた。2014年ロックの殿堂入り。
グラミー受賞 6回・ノミネート 21回(2024年時点) ジェネシス
ソロ
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1950年2月13日 | 1950年2月13日 | 男性歌手 | ポップ | eg |
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アメリカのシンガーソングライター・女優。父は大物ジャズシンガーのナット・キング・コール (1919–1965 45)、母マリア・コール (1922–2012 89) はデューク・エリントン楽団の歌手。
グラミー受賞 9回・ノミネート 21回
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1950年2月6日 | 2015年12月31日 | 65 | 女性歌手 | R&B | us |
マイク・ペラ
Mike Pela
イングランドの音楽プロデューサー・ミキサー。1980年代にロビン・ミラーの Powerplant Studios ミキサーとして働き、ボーイ・ジョージ、エヴリシング・バット・ザ・ガール、スタイル・カウンシル、シャーデーなどのプロジェクトに参加。ロビン・ミラーからシャーデーのプロデュースを引き継ぎ、他にエレクトリック・ライト・オーケストラ、マックスウェルなどを手掛けた。
グラミー受賞 2回・ノミネート 1回
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1950年1月13日 | 2022年7月23日 | 72 | プロデュース | eg |