名前
結成
停止
ジャンル
国籍
アメリカのファンクバンド。ザップ、スレイヴ、レイクサイドらとオハイオ・ファンクの代表的バンド。1974年アルバム『Fire』と1975年シングル「Love Rollercoaster」が全米1位を獲得。
1959
2002
ファンク
us
イングランド・リヴァプール出身ののロックバンド。1960年代の
ブリティッシュ・インヴェイジョン の一翼。トニー・ハッチをプロデュースでドリフターズのカバー「Sweets For My Sweet」(1961) でデビューし全英1位。
1959
2019
ロック
eg
アメリカの世界的4人組ガールズグループ。1960年代にヒットを連発し、史上最も売れたガールズグループとなった。
全米1位 12曲 「TOP 20」20曲 「TOP 100」45曲
グラミー賞ノミネート 2回
1959年 ザ・プライメッツ結成(ダイアナ・ロス メアリー・ウィルソン フローレンス・バラード ベティ・マグロウン)
1961年 ザ・スプリームスに改名(ダイアナ・ロス メアリー・ウィルソン フローレンス・バラード)し、モータウンと契約。
1963年 「When The Lovelight Starts」(邦題「恋のキラキラ星」)初の「TOP 40」チャートイン
1964年 6月17日「Where Did Our Love Go」(邦題「愛はどこへ行ったの」)初の全米1位
1964年 9月17日「Baby Love」全米1位・全英1位 グラミー賞「最優秀R&Bソング」ノミネート
1964年 10月27日「Come See About Me」全米1位・全英27位
1965年 2月8日「Stop! In The Name Of Love」全米1位・全英7位
1965年 4月15日「Back in My Arms Again」全米1位・全英40位
1965年 世界中をツアーし海外でも大人気を博した。
1966年 9thアルバム『The Supremes A' Go-Go』全米1位 ビートルズ『Revolver』から首位奪取 アルバムチャート1位はガールズグループ初
1967年 ダイアナを前面に押し出したベリーの売り方に不満を募らせ、アルコール中毒に陥ったフローレンス・バラードが解雇。
1967年 シンディ・バードソング加入。
1967年 ダイアナ・ロス & ザ・スプリームスに改名。
1969年 「Someday We'll Be Together」(邦題「またいつの日にか」)全米1位 ダイアナ在籍最後のシングル
1969年 ダイアナ・ロスが脱退しソロに転向。ジーン・テレルがリードシンガーとして加入。
1972年 シンディ・バードソング脱退。リンダ・ロウレンス加入。
1973年 ジーン・テレルとリンダ脱退。シンディ・バードソング再加入、シェリー・ペイン加入。
1976年 シンディ・バードソング脱退。スーゼイ・グリーン加入。
1976年 1967年に脱退したフローレンス・バラードが32歳で他界。この悲劇を描いたのがミュージカル『ドリームガールズ』である。
1977年 最後のオリジナルメンバー、メアリー・ウィルソンが独立を決意しロンドンで解散コンサート開催。
1986年 元メンバーのジーン・テレル、シェリー・ペイン、リンダ・ロウレンスの3人で再開。オリジナルメンバーがいないことから「The FLOS」(The Former Ladies Of The Supremes/元スプリームスの淑女たちの意)と呼ばれ、オリジナルと区別されている。
1988年 ロックの殿堂入りを果たした。
2000年 ダイアナ・ロスはスプリームス再結成にメアリー・ウィルソンとシンディ・バードソングを誘ったが、プロモーターが提示したダイアナとの待遇の違いから2人は固辞。The FLOS からリンダ・ロウレンスとシェリー・ペインが加わったが、高価なチケットと全盛期メンバーでない2人への風当たりは強く、ツアーは半ばで打ち切られた。
1959
1977
R&B
us
イングランドのR&Bバンド。1959年、ゲイリー・ブルッカーとロビン・トロワーらによって結成。ミック・ジャガーから「最高のR&Bバンド」と称賛され、
プロコル・ハルム の前身となった。6枚のシングルを発表し1966年に解散、2005年に再結成した。
1959
1966
R&B
eg
カナダのロックバンド。
ボブ・ディラン のバックバンドとして世界的に有名。メンバーはバンド、ソロでさまざまなミュージシャンと共演した。1994年ロックの殿堂入り。
メンバー
ザ・ホークス 1958 – 1968
1958年 ロニー・ホーキンスのバックバンド「ザ・ホークス」として始動。
1964年 ホーキンスと別れ「リヴォン&ザ・ホークス」と改名。カナダとアメリカで活動。
1965年 6月16日 ロビー・ロバートソンは、ジョン・P・ハモンド(ディランを世に出した大物プロデューサー、ジョン・ハモンド の息子)に連れられ、ボブ・ディラン「Like a Rolling Stone」 のレコーディングに立ち会った。
1965年 ボブ・ディランのバックバンドとしてツアー。
1966年 ボブ・ディラン 7thアルバム『Blonde on Blonde』(Columbia) 参加 Pd: ボブ・ジョンストン
ザ・バンド 1968 – 1976
1968年 ザ・ホークスからザ・バンドと改名。
1969年 7月14日 映画『イージー・ライダー』で「The Weight」使用。「史上最高の500曲」2010年41位
1969年 8月17日 ウッドストック・フェスティバル出演。
1969年 8月31日 ボブ・ディランとワイト島フェスティバル出演。ジョン・レノン、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターと親交。
1976年 ザ・バンド解散。ロバートソンが主導権を握りメンバーと対立していた。各自ソロ活動開始。
ソロ
ロビー・ロバートソン セッション・ギタリストや音楽プロデューサーとして活動。マーティン・スコセッシ監督『レイジング・ブル』(1980) 音楽担当。
リヴォン・ヘルム Levon Helm & The RCO All-Stars 結成 ドクター・ジョン、ポール・バターフィールド、スティーヴ・クロッパー、ドナルド・ダック・ダン
リック・ダンコ 『Rick Danko』(1977) リリース。ザ・バンド全員、エリック・クラプトン、ロン・ウッドらが参加。
リチャード・マニュエル ソロ・アルバムを残さず1986年3月4日、モーテルで縊死。死後、ライブ・アルバムがリリースされた。エリック・クラプトン「Holy Mother」(1986) は彼に捧げられた。
ガース・ハドソン 『Music for Our Lady Queen Of The Angels』(1980) 他リリース。マディ・ウォーターズ、吉田拓郎、佐野元春らのアルバムに参加。
ザ・バンド再結成 1983 – 1999
1982年 ロビー・ロバートソン以外のメンバーで再結成。
1990年 ロジャー・ウォーターズ(ピンク・フロイド)主催イベント「The Wall Live In Berlin」にヴァン・モリソン、ジョニ・ミッチェルらと出演。20万人動員。
1992年 ボブ・ディラン、デビュー30周年記念公演に出演。
1999年 12月10日 リック・ダンコが他界。以後、活動を停止した。
アルバム
1968年 1stアルバム『Music from Big Pink』(Capitol) 全米30位
1969年 2ndアルバム『The Band』(Capitol) 全米9位 Pd: ジョン・サイモン
1970年 3thアルバム『Stage Fright』(Capitol) 全米5位・全英15位 Pd: The Band
1971年 4thアルバム『Cahoots』(Capitol) 全米21位・全英41位 Pd: The Band
1972年 ライブアルバム『Rock Of Ages』(Capitol) 全米6位 Pd: The Band
1973年 5thアルバム『Moondog Matinee』(Capitol) Pd: The Band
1975年 6thアルバム『Northern Lights – Southern Cross』(Capitol) 全米26位 Pd: The Band
1977年 7thアルバム『Islands』(Capitol) Pd: The Band
1978年 解散ライブアルバム『The Last Waltz』(Warner)マディ・ウォーターズ、ボブ・ディラン、エリック・クラプトン、ジョニ・ミッチェル、リンゴ・スター、ロン・ウッドなど参加。マーティン・スコセッシによって映画化。Pd: ロビー・ロバートソン
1993年 8thアルバム『Jericho』(Rhino)
1996年 9thアルバム『High On The Hog』(Rhino)
1998年 10thアルバム『Jubilation』(River North)
ボブ・ディランと共演
1966年 ボブ・ディラン 7thアルバム『Blonde On Blonde』(Columbia) 全米9位・全英3位 Pd: Bob Johnston
1970年 ボブ・ディラン 10thアルバム『Self Portlate』(Columbia) 全米4位・全英1位 Pd: Bob Johnston
1974年 ボブ・ディラン 14thアルバム『Planet Waves』(Asylum) 全米1位 Pd: Rob Fraboni
1975年 ボブ・ディラン 15thアルバム『The Basement Tapes』(Columbia) 全米7位 Pd: Bob Dylan, The Band
1998年 ボブ・ディラン ライブアルバム『The Bootleg Series Vol. 4: Bob Dylan Live 1966, The Royal Albert Hall Concert』(Columbia) 全米31位・全英19位
1959
1999
ロック
ca
アメリカのインストゥルメンタル・ロック・バンド。ビートルズと並び日本の音楽シーンに多大な影響を与えた。
1959
ロック
us
アメリカのドゥーワップ・グループ。1961年、スタンダードバラード「Blue Moon」をカバーし全米・全英1位を獲得。
1959
1962
ドゥーワップ
us
アメリカのの3人組ガールズグループ。
フィル・スペクター のプロデュースでヒットを連発し、1960年代と代表するグループとなった。
代表曲
1963年「Be My Baby」全米2位・「史上最高の500曲」22位・ビルボード「偉大な歴代ガールズグループソング100」1位
1963年「Baby, I Love You」全米24位
1964年「Walking In The Rain」(恋の雨音)(1964) 全米23位
1959
1966
ポップ
us
アメリカの黒人ヴォーカルグループ。ドゥーワップ、ゴスペル、ソウル、R&Bを歌った。
1958
2018
R&B
us
アメリカの3人組ガールグループ。1963年「My Boyfriend's Back」(私のボーイフレンド)全米1位。2005年、ボーカル・グループの殿堂入り。
1958
us
アメリカのロックバンド。コロムビア・レコードと契約し、ロサンゼルスの人気プロデューサー、テリー・メルチャーが手掛けた。1966年、ライ・クーダーがグループのレコーディングにスタジオ・ミュージシャンとして参加。
1958
1976
ロック
us
アメリカのR&Bのヴォーカルグループ。1958年、デビューシングル「Tears on My Pillow」全米4位を獲得。2009年ロックの殿堂入り 。
1958
R&B
us
アメリカのフォークグループ。50年代後半から60年代後半にかけてフォーク・リバイバルの先駆けとなった。
1957
1967
フォーク
us
アメリカのロックバンド。1957年1月、
バディ・ホリー (G/Vo) ニキ・サリバン (G) ジェリー・アリソン (Dr) ジョー・B・モールディン (B) によって結成。1957年5月「That'll Be The Day」(Brunswick) をリリースし全米3位を獲得。1969年にゴールド(米国売上100万枚以上)に認定され、1998年にはグラミー賞の殿堂入りを果たした。1958年7月12日、クオリーメン(
ビートルズ の前身)は初レコーディングを行い、A面に「That'll Be The Day」、B面に「In Spite Of All The Danger」(マッカートニーが書いた曲)を収録した。
1959年2月3日、ホリーが飛行機事故により22歳で他界。アール・シンクス (Vo) が加入し、クリケッツは活動を続けた。シンクス脱退後、デヴィッド・ボックス (Vo) が加入したが1960年に脱退。1964年、ボックスはソロ歌手としてツアー中、チャーター機の墜落事故により21歳で他界した。バンドはオリジナル・メンバーがいなくなった後も、メンバーチェンジを繰り返しながら2016年まで続いた。
1957
2016
ロック
us
アメリカの4人組ガールズグループ。1960年に「Will You Love Me Tomorrow」(作詞:ジェリー・ゴフィン/作曲:キャロル・キング)全米1位(おそらくガールグループ初全米1位)、「Tonight's The Night 」全米39位を獲得した。
1957
1982
R&B
us
イングランドのバンド。映画音楽の巨匠になるジョン・バリーが結成。
1957
1965
ロック
eg
イングランドマロックバンド。ジョン・レノンが結成したビートルズの前身となった。
1956
1960
ロック
eg
アメリカのロックバンド。1956年12月4日、テネシー州メンフィスのサン・スタジオで行なわれたエルヴィス・プレスリー、ジェリー・リー・ルイス、カール・パーキンス、ジョニー・キャッシュによる即興ジャム・セッションを行った。
1956
1956
ロック
us
アメリカのR&Bのヴォーカルグループ。1958年「Yakety Yak」全米1位。
1955
R&B
us
アメリカのヴォーカルグループ。1961年「The Lion Sleeps Tonight」(邦題「ライオンは寝ている」)全米1位。エイブラハム・リンカーン高校の学生ニール・セダカ、シンシア・ゾロティン、ハンク・メドレス、エディー・ラプキンが結成し地元のイベントで活動した。
1955
ドゥーワップ
eg
アメリカのR&Bグループ。モータウン・レコードと最初に契約・成功し、ブラックミュージックで最も重要なグループのひとつ。 1965年から1972年までは「スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズ」としても知られていた。
グラミー賞 ノミネート 1回
1955
1983
R&B
us
アメリカの世界的 R&B グループ。オケリー・アイズレー・ジュニア (Vo/1937–1986) ルドルフ・アイズレー (Vo/1939–2024) ロナルド・アイズレー (Vo/1941–) 3兄弟で結成。官能的で美しいヴォーカルと、さまざまなスタイルのブラックミュージックで世界を席巻。1973年にアーニー・アイズレー(G/Dr) マーヴィン・アイズレー (B) クリス・ジャスパー (Key) が加入しグループは絶頂期を迎えた。
グラミー受賞 1回・ノミネート 4回(2024年時点)
ジミ・ヘンドリックス
無名だった
ジミ・ヘンドリックス (1942–1970) がギタリストとして加入し、アイズレー・ブラザーズ「Testify」(1964) がジミの初レコーディングとなった。ジミは仕事がない時はアイズレー家に居候しており、アーニー・アイズレー(1952–) はジミからギターを学んだ。
1959年 「Shout」全米47位 ローリングストーン誌「史上最高の500曲」2004年119位
1961年 「Twist and Shout」全米17位・R&B2位 1964年ビートルズがカバーし全米2位
1966年 「This Old Heart of Mine (Is Weak for You)」全米12位・全英3位
1969年 「It's Your Thing」全米2位・R&B1位
1971年 「Love The One You're With」全米18位・R&B3位 スティーヴン・スティルスのカバー
1974年 「Summer Breeze」全米60位・R&B10位 シールズ&クロフトのカバー
1973年 アーニー・アイズレー(G/Dr) マーヴィン・アイズレー (B) クリス・ジャスパー (Key) 加入
1973年 「That Lady」全米6位・R&B2位 1964年の楽曲をリメイク
1975年 「For The Love Of You」全米22位・R&B10位
1976年 「Harvest For The World」全米63位・全英10位・R&B9位
1977年 「Footsteps In The Dark」R&B16位
1983年 22ndアルバム『Between The Sheets』全米19位・R&B1位
1983年 アーニー・アイズレー、マーヴィン・アイズレー、クリス・ジャスパーが「アイズレー・ジャスパー・アイズレー」 を結成し分裂。
1986年 オーケリー・アイズレー・ジュニア他界(48歳)
1989年 ルドルフ・アイズレーが牧師になるため脱退
1991年 アーニー・アイズレーとマーヴィン・アイズレーが復帰
1995年 Rケリー「Down Low (Nobody Has to Know)」全米3位・R&B1位 ロナルド・アイズレー参加
1997年 マーヴィン・アイズレーが糖尿病により脱退
1997年 「トリート・ユー・ライト」
2000年 マーヴィン・アイズレー他界
2001年 「Contagious」全米19位・R&B3位 1950–2000年代の6つ年代でビルボード・シングルチャートに連続で登場した史上初のアーティストとなった。
2005年 ロナルド・アイズレーが検挙されグループは活動停止
2010年 ロナルド・アイズレーイが出所しツアー
2023年 10月11日 ルドルフ・アイズレー他界(84歳)
1954
R&B
us
アメリカのR&Bのヴォーカルグループ。1970年、
テディ・ペンダーグラス がドラマーとして加入し、リート・シンガーとなった。1976年、成功の絶頂期にあったが、テディ・ペンダーグラスはギャラの問題で脱退しソロ活動を開始した。
1972年 「If You Don't Know Me By Now」(邦題「二人の絆」) 全米3位・R&B1位
1972年 「I Miss You」全米58位・R&B7位
1973年 「愛の幻想(The Love I Lost)」全米7位・R&B1位
1975年 「Wake Up Everybody」全米12位・R&B1位
1975年 「Bad Luck」全米15位・R&B4位
1975年 「Hope That We Can Be Together Soon」全米42位・R&B1位
1954
1996
R&B
us
アメリカのコーラスグループ。1955年「Only You (And You Alone)」R&Bチャート7週連続1位、1956年「The Great Pretender」全米1位・R&B1位など数々のヒットを飛ばした。
1954
R&B
us
アメリカのドゥーワップ/ロックンロールのグループ。55年「Speedoo」R&Bチャート3位。ライ・クーダーがカバー。
1953
2011
ドゥーワップ
us
アメリカのコーラスグループ。1953年に結成された当時は「ビリー・ワード&ザ・ドミノス」の元リードテナー、クライド・マクファターのバックコーラスであった。ローリング・ストーン誌「偉大なアーティスト100組」81位。
1958年、
ベン・E・キング がリードシンガーとして加入し「There Goes My Baby」「This Magic Moment」「Save The Last Dance for Me」(ドリフターズ唯一の全米1位)などのヒットを放った。キングは1960年にドリフターズを脱退し、「Stand By Me」(1961) で全米9位・全英1位を獲得した。
1953
ソウル
us
アメリカの世界的 R&B グループ。女性リードシンガーの
グラディス・ナイト (1944年5月28日–)は「ソウルの女帝」(The Empress Of Soul)の異名を持ち、ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」51位。1996年にロックの殿堂入り、 2001年にボーカル・グループの殿堂入り。
グラミー受賞 3回・ノミネート 10回
1966年 モータウンレコードと契約。
1967年 「I Heard It Through The Grapevine」全米2位
1967年 「The Nitty Gritty」全米8位
1969年 「Friendship Train」全米17位・R&B 2位
1970年 「If I Were Your Woman」全米9位・R&B 1位
1971年 「I Don't Want to Do Wrong」全米17位・R&B 2位
1972年 「Neither One of Us (Wants To Be The First To Say Goodbye)」全米1位 グラミー賞「最優秀ポップ・ボーカル・パフォーマンス」受賞
1973年 ブッダレコードに移籍
1973年 「I've Got to Use My Imagination」全米4位・R&B 1位
1973年 「Midnight Train to Georgia」全米1位・R&B 1位 グラミー賞「最優秀R&Bボーカルパフォーマンス」受賞
1974年 「I Feel a Song (In My Heart)」全米21位・R&B 1位
1974年 『Claudine』全米35位・R&B 1位 映画『愛しのクローディン』サウンドトラック
1974年 「On and On」全米5位・R&B 2位
1980年 コロムビアレコードと契約
1983年 「Save the Overtime (For Me)」全米66位・R&B 1位
1987年 「Love Overboard」全米13位・R&B 1位 グラミー賞「最優秀R&Bボーカルパフォーマンス」受賞
1989年 解散
1952
1989
us
アメリカのR&Bのヴォーカルグループ。1957年、ルイ・アームストロングの2番目の妻が書いた「Bad Boy」全米36位・R&Bチャート7位を獲得しリンゴ・スターらがカバーした。
1952
us
アメリカのドゥーワップグループ。 ジョン・カーネギー 、チャーリー ・ホワイト、アーウィン "テディ" ウィリアムズ、ジェームス・ターナーによって結成 。キング・レコードからシングル25枚(1枚未発表)を録音し解散。
1952
1955
ドゥーワップ
us
アメリカのカントリーロックデュオ。「Bye Bye Love」(1957) 全米2位などヒット曲多数。ビートルズ、ザ・ビーチ・ボーイズ、サイモン&ガーファンクルに多大な影響を与えた。「100人のシンガー」で唯一兄弟でランクイン。「偉大な100組のアーティスト」33位。
1951
1973
カントリーロック
us
アメリカ空軍の最高のジャズアンサンブル。1950年にグレン・ミラー陸軍航空軍管弦楽団の伝統を引き継ぐために結成。全米から集まった18人のプロのジャズミュージシャンで構成される。
1950
ジャズ
us
アメリカのR&Bのヴォーカルグループ。ビリー・ウォード、クライド・マクファター、チャーリー・ホワイト、ビル・ブラウン、ジョー・ラモントらと結成。エルヴィス・プレスリーはラスベガスで聴いたジャッキー・ウィルソン&ザ・ドミノズに感銘を受け、ミリオン・ダラー・カルテットでウィルソンの歌唱を真似て「Don't Be Cruel」を収録した。
1951年 チャーリー・ホワイトとビル・ブラウンが脱退。チェッカーズ結成。
1951年 「Sixty Minute Man」 R&Bチャート1位 ロックンロール形成に貢献した重要曲
1953年 クライド・マクファター脱退。ドリフターズ結成。
1953年 ジャッキー・ウィルソン加入。
1957年 ジャッキー・ウィルソン脱退。
1957年 「Stardust」全米12位 グループ唯一のミリオンセラー
1950
1965
R&B
us