名前👤 | 誕生日⏳ | 命日⌛ | 年齢❤ | パート🎷 | ジャンル📖 | 出身🌏 |
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フェリックス・パパラルディ
Felix Pappalardi アメリカの音楽プロデューサー・作詞家・歌手・ベーシスト。ミシガン大学でクラシック音楽を学び、編曲家として活動した。1967年、クリームの2ndアルバム『Disraeli Gears』で作詞・編曲・プロデュースを担当し全米1位を獲得。1969年「マウンテン」を結成し、1970年「Mississippi Queen」全米21位。マウンテンの前座を務めた竹田一夫のバンド「クリエイション」と1976年に『Creation with Felix Pappalardi』を録音した。1983年4月17日、ガールフレンドと会って早朝に帰宅し妻ゲイル・コリンズに射殺された。
ソングライター・ヴィジュアルアーティストでもあった彼女は、さまざまな作品でクレジットされている。
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1939年12月30日 | 1983年4月17日 | 43 | プロデュース | ロック | us |
「ロックンロールの狂気の天才」と呼ばれたユダヤ系アメリカ人の歴史的な大物プロデューサー。1957年、テディ・ベアーズを結成し翌年「To Know Him Is To Love Him」が3週間全米1位。1961年、20歳で最強のポップレーベル「フィレス・レコード」を共同設立。超一流セッション・ミュージシャンを集めた「レッキングクルー」を結成し、何百曲もレコーディング。スペクターが追及した究極的なサウンドは「ウォール・オブ・サウンド」と呼ばれ、ビーチ・ボーイズの ブライアン・ウィルソンらに絶大な影響を与えた。
「史上最高の1曲」と呼ばれるロネッツ「Be My Baby」(全米2位・全英4位)、1970年代はビートルズやメンバーのアルバムなど数々の世界的ヒットソングをプロデュースした。1969年に映画『イージーライダー』に出演(帽子をかぶり黄色いレイバンを掛けたヘロインを買う男)。ジョン・レノンやレナード・コーエンに拳銃を突き付けるなど奇行が目立ち、ラモーンズの5thアルバム『End Of The Century』(1980) をプロデュースし第一線から退いた。2003年に女優ラナ・クラークソンを銃殺。2021年、収監中に新型コロナウイルス感染症による合併症で他界した。81歳だった。1989年ロックの殿堂入り、1997年ソングライターの殿堂入り。 プロデュース作品
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1939年12月26日 | 2021年1月16日 | 81 | プロデュース | ポップ | us |
ドン・アライアス
Don Alias アメリカのジャズ・パーカッション奏者。マイルス・デイヴィス、デイヴィッド・サンボーン、ジャコ・パストリアス、ジョニ・ミッチェル、ハービー・ハンコック、パット・メセニーらとの仕事が有名。
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1939年12月25日 | 2006年3月29日 | 66 | パーカッション | ジャズ | us |
1939年12月25日 | 1939年12月25日 | キーボード | フュージョン | us |
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ジェイムズ・ブッカー
James Booker |
1939年12月17日 | 1983年11月8日 | 43 | 男性歌手 | R&B | us |
アメリカのR&B歌手・ソングライター。インプレッションズの初代リード・シンガー。ソロになってからはギャンブル&ハフと組みヒットを連発した。1991年ロックの殿堂入り。 グラミー賞ノミネート2回 代表曲
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1939年12月8日 | 1939年12月8日 | 男性歌手 | R&B | us |
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アメリカのシンセサイザー奏者・作曲家。ブラウン大学で音楽と物理学を学び、コロンビア大学で作曲の修士号を取得。1968年、モーグ・シンセサイザーを駆使しバッハ作品を演奏した1stアルバム『Switched-On Bach』をグレン・グールドが絶賛。ビルボード全米10位・クラシカルアルバムチャート1位を記録し、グラミー賞3部門を受賞した。スタンリー・キューブリック監督『時計じかけのオレンジ』(1971) や『シャイニング』(1980)、『トロン』(1982) の映画音楽を担当。1973年、ジョアン・ジルベルト『João Gilberto』(邦題『三月の水』)でレコーディングエンジニアを務めた。1972年に男性から女性への性別適合手術を行った。
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1939年11月14日 | 1939年11月14日 | シンセサイザー | 電子音楽 | us |
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アメリカの音楽マネージャー、作家。1960–1980年代にかけて音楽業界の重役として活躍。パンクロックにおいて影響力を持ち、リンダ・スタインと共同でイギー&ザ・ストゥージズ、MC5、ラモーンズをマネージメントした。
ユダヤ人の家庭に生まれ、ペンシルベニア大学とハーバード大学ロースクール、ニューヨーク大学で学び、音楽業界に関わるようになった。1966年、ティーンファン雑誌「デートブック」の編集長に就任し、1966年9月号で物議を醸したジョン・レノンの「More popular than Jesus」(イエスよりも人気がある)発言を再掲載した。 アンディ・ウォーホルと交友し、イーディ・セジウィックとロフトを共有。ウォーホルがスポンサーとなったヴェルヴェット・アンダーグラウンドの本やライナーノーツを執筆し、音楽業界では早くから同性愛者であることを公言した。 1968年頃、エレクトラ・レコードに広報として雇われ、ジム・モリソンを多くのティーン雑誌の表紙に掲載し、さらなる人気に一役買った。1975年、フィールズはライブハウス「CBGB」でラモーンズを発見し、サイアー・レコードとの契約を手助けした。バンドをイギリスに連れて行き、セックス・ピストルズ、クラッシュ、ダムドなどパンク・ムーブメントに影響を与えた。 |
1939年11月13日 | 1939年11月13日 | マネージ | ロック | us |
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アメリカのフルート奏者。ジョー・サンプルらが結成したジャズ・クルセイダーズに加入。ジュリアード音楽院でクラシックの名フルート奏者ジュリアス・ベイカーに師事。1969–1972年にかけてニューヨーク・メトロポリタン歌劇場管弦楽団とニューヨーク・フィルハーモニック管弦楽団で演奏し、1971年よりCTIレコード でさまざまなジャズ・ミュージシャンと録音。ジャズとクラシック音楽ファンの支持を得た。ハービー・ハンコック、チック・コリア、マッコイ・タイナー、ナンシー・ウィルソン、クインシー・ジョーンズ、ポール・マッカートニー、ポール・サイモン、アレサ・フランクリン、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン、レナード・バーンスタイン、ジャコ・パストリアス、セルジオ・メンデス、カーリー・サイモン、ジョージ・ベンソン、スティーヴィー・ワンダーらのレコーディングに参加した。 グラミー賞ノミネート3回 |
1939年11月10日 | 1939年11月10日 | フルート | ジャズ | us |
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トゥンジ・オイェラナ
Tunji Oyelana |
1939年10月4日 | 1939年10月4日 | 男性歌手 | アフリカ | ng |
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エンリコ・ラヴァ
Enrico Rava |
1939年8月20日 | 1939年8月20日 | トランペット | ジャズ | it |
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ルーサー・アリスン
Luther Allison アーカンソー州出身のブルースシンガー・ギタリスト・ソングライター。マディ・ウォーターズの息子 * と知り合い、ブルースを独学。学校を中退しザ・ローリング・ストーンズというバンドを結成した。ハウリン・ウルフやフレディ・キングのバンドで演奏し、キングがツアーをしたときはキングのバンドを引き継いだ。1972年にモータウン・レコードと契約し、レーベル唯一のブルース・アーティストとなった。1977年、パリに移住しヨーロッパで地位を確立したが、アメリカでの存在感は薄れていった。 * マディ・ウォーターズのふたりの息子、マッド・モーガンフィールドは1954年、ビッグ・ビル・モーガンフィールドは1956年生まれ。 |
1939年8月18日 | 1997年8月12日 | 57 | ギター | ブルース | us |
イングランドの世界的ロックドラマー。世界中で3,500万枚以上を売り上げたブルースロック・トリオ「クリーム」(Cream) のメンバーとして有名。ローリング・ストーン誌「偉大なドラマー100」3位。フェラ・クティや坂本龍一、ジョン・ライドンなどさまざまなミュージシャンと共演。息子 Kofi Baker もドラマーである。
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1939年8月19日 | 2019年10月6日 | 80 | ドラム | ロック | eg |
フランキー・フォード
Frankie Ford |
1939年8月4日 | 2015年9月28日 | 76 | 男性歌手 | ロックンロール | us |
アンネア・ロックウッド
Annea Lockwood |
1939年7月29日 | 1939年7月29日 | 作曲家 | 電子音楽 | nz |
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アメリカ合衆国のシンガーソングライター。初期のロックンロールでヒットを飛ばした。ローリング・ストーン誌「偉大なシンガー100人」2008年・63位。エルビス・プレスリー、ボブ・ディラン、ジョン・レノン、アート・ガーファンクル、ブルース・スプリングスティーンらが彼のファン。1957年グループ「ディオン&ザ・ベルモンツ」でデビューしヒットを連発した。1959年2月3日、バディ・ホリー、リッチー・ヴァレンスらの命を奪った「音楽が死んだ日」の飛行機に搭乗せずに無事を得た。1960年にソロ活動開始。2015年、大人気ゲーム『Fallout 4』で「The Wanderer」が異なるイメージで使用され訴訟となった。1989年ロックの殿堂入り。
代表曲
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1939年7月18日 | 1939年7月18日 | 男性歌手 | ロックンロール | us |
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ボビー・ワインスタイン
Bobby Weinstein |
1939年7月16日 | 2022年3月16日 | 82 | 作曲家 | ポップ | us |
アメリカのR&B/ゴスペル歌手・女優・公民権活動家。彼女の家族によるバンド「ステイプル・シンガーズ」のメンバーとして知られている。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」56位。サム・クック、ビッグ・メイベル、ダイナ・ワシントン、クララ・ウォード、マヘリア・ジャクソン、シスター・ロゼッタ・サープ、シャーリー・シーザーなどの影響を受けた。
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1939年7月10日 | 1939年7月10日 | 女性歌手 | R&B | us |
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デラニー・ブラムレット
Delaney Bramlett
アメリカの歌手・ギタリスト・ソングライター・プロデューサー。セッション・ミュージシャンとしてジョー・コッカー、レオン・ラッセル、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ミシェル・ルグランらと共演。ソングライターとしても素晴らしく、エヴァリーブラザーズ、ナンシー・ウィルソン、ナンシー・シナトラ、キャス・エリオット、ルルがデラニーの楽曲を歌った。
1967年、歌手のボニー・オファーレルと結婚し、ブルースロックデュオ「デラニー&ボニー」結成。アルバム『Home』(1969) でメジャーデビューし、レコーディングにはスタックス専属バンド「ブッカー・T&ザ・MG's」が参加した。1972年にふたりは離婚しグループは解散。 エリック・クラプトンが結成したブラインド・フェイスのツアーでは前座を務め、クラプトンはデラニー&ボニーの3rdアルバム『On Tour with Eric Clapton』(1970) に参加。1969年8月にブラインド・フェイスが解散してからも彼らとレコーディングやツアーを続けた。3rdアルバム『On Tour With Eric Clapton』(1979) 全米29位。デラニーはエリック・クラプトンの1stアルバム『Eric Clapton』(1970) をプロデュース。クラプトンはデラニー&ボニーのツアーで知り合ったボビー・ウィットロック、カール・ラドル、ジム・ゴードンと「デレク&ザ・ドミノス」を結成(1971年解散)し、名曲「Layla」(邦題「いとしのレイラ」)をリリースした。 1972年にデラニーとボニーは離婚し解散。2006年、ジェリー・リー・ルイス 39thアルバム『Last Man Standing』に参加し、ジェリー・リー・ルイスとデュエットした。ふたりの娘は人気セッションシンガーのベッカ・ブラムレット(1968年4月19日–)。1993年から1995年までフリートウッド・マックに加入していた。 |
1939年7月1日 | 2008年12月27日 | 69 | 男性歌手 | ロック | us |
イングランドの作曲家・作詞家・ピアニスト・編曲家・プロデューサー。1963年、ボビー・ライデル「Forget Him」を作詞・プロデュースし全米4位。以後、チャビー・チェッカー、コニー・フランシス、パット・ブーン、ビッグ・ディー・アーウィン、キーリー・スミスといったアメリカ人スターの曲も手掛けた。1965年よりデヴィッド・ボウイの1stシングル「Can't Help Thinking About Me」から3rdシングルまで手掛けたがヒットしなかった。2013年ソングライターの殿堂入り。
代表曲
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1939年6月30日 | 1939年6月30日 | 作詞家 | ポップ | eg |
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アメリカのブルース歌手・ソングライター。多くのロックンロール古典の作詞で知られる。十代でブルース歌手になり、クラブでミルト・ジャクソンやキング・カーティスと共演。1940–1950年代に40曲を録音した。1950年代からロックンロールの作詞家としてモルト・シューマン、リーバー&ストーラー、フィル・スペクターと組み数々のヒット曲を作曲。ルー・リードを見出し音楽業界へ導いた。1995年、トリビュートアルバム『Till The Night Is Gone』に B.B.キング、ボブ・ディラン、ブライアン・ウィルソン、ディオン、ドクター・ジョンらが参加。1992年にロックの殿堂とソングライターの殿堂、2012年にブルースの殿堂入り。
代表曲
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1925年6月27日 | 1991年3月14日 | 65 | 作詞家 | ロックンロール | us |
ブリジット・フォンテーヌ
Brigitte Fontaine |
1939年6月24日 | 1939年6月24日 | 女性歌手 | 前衛音楽 | fr |
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ジミー・ホップス
Jimmy Hopps |
1939年6月18日 | 1939年6月18日 | ドラム | ジャズ | us |
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ダニエル・リクター
Dan Richter アメリカの俳優・ジョン・レノンのアシスタント。キューブリックは 映画『2001年宇宙の旅』(1968) で、パントマイム一座を率いロンドンで活動していたリクターに猿人族のリーダー役と「人類の夜明け」シーンの振付を任せた。1965年6月3日、友人のビート詩人アレン・ギンズバーグが全裸で過ごした誕生会で初めてビートルズのメンバーと会った。その後、ジョン・レノンとオノ・ヨーコのアシスタントを4年間務め、1972年に映画『Imagine』に出演。この頃の回想録『The Dream Is Over』は2012年に出版された。リクター「完全な自由の時代、すべてが変わった時代でした。世界はロックンロールのビートに合わせて動き、耳を傾け、そして離れていきました」
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1939年6月15日 | 1939年6月15日 | 俳優 | ロック | us |
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バーナード・パーディ
Bernard Purdie アメリカのドラマー。キング・カーティスのバンドを経て、アレサ・フランクリンのバンドマスターになった。ジェームス・ブラウン「Ain't That A Groove」「It's A Man's, Man's, Man's World」で演奏した。
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1939年6月11日 | 1939年6月11日 | ドラム | R&B | us |
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ゲイリー・US・ボンズ
Gary U.S. Bonds |
1939年6月6日 | 1939年6月6日 | 男性歌手 | R&B | us |
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マリリン・マクロード
Marilyn McLeod アメリカのソングライター・歌手。モータウンのソングライターとしてキャリア。ダイアナ・ロス、マーヴィン・ゲイ、スモーキー・ロビンソン、スティーヴィー・ワンダーらの楽曲をてがけた。姉はジョン・コルトレーンの妻アリス・コルトレーン。
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1939年5月27日 | 2021年11月24日 | 82 | 作詞家 | R&B | us |
トニー・アッシャー
Tony Asher |
1939年5月2日 | 1939年5月2日 | 作詞家 | ロック | eg |
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1939年4月15日 | 1939年4月15日 | 男性歌手 | ポップ | eg |
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1939年4月2日 | 1984年4月1日 | 44 | 男性歌手 | R&B | us |
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ジョニー・ジェンキンス
Johnny Jenkins |
1939年3月5日 | 2006年6月26日 | 67 | ギター | ブルース | us |
ジョン・フェイヒ
John Fahey |
1939年2月28日 | 2001年2月22日 | 61 | ギター | フォーク | us |
レイ・マンザレク
Ray Manzarek |
1939年2月12日 | 2013年5月20日 | 74 | オルガン | ロック | us |
アメリカの作詞家。ビルボード「HOT 100」114曲以上、「TOP 40」59曲、全米1位8曲を送り込んだ。1959年キャロル・キングと結婚し(1968年離婚)、夫妻でソングライティングチームを組んで大成功を収めた。1990年、キャロル・キングとともにロックの殿堂入り。
代表曲
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1939年2月11日 | 2014年6月19日 | 75 | 作詞家 | R&B | us |
1939年2月9日 | 1939年2月9日 | 作詞家 | ポップ | us |
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ジョニー・ブリストル
Johnny Bristol アメリカのソングライター・プロデューサー。1960–1970年代にモータウンでの仕事が有名。「Hang On In There Baby」(1974) 米国10位・英国3位、オズモンズがカバーした「Love Me For A Reason 」(1974) 全英1位。プロデューサーとしてマーヴィン・ゲイとタミー・テレルの「Ain't No Mountain High Enough」全米1位など多数。1973年、CBS に移籍しトム・ジョーンズ、マリーナ・ショウ、ジョニー・マティス、ジェリー・バトラー、ボズ・スキャッグスなどのプロデュースと作詞を手掛けた。妻はアイリス・ゴーディ(ベリー・ゴーディの姪)。
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1939年2月3日 | 2004年3月21日 | 65 | プロデュース | R&B | us |
フランスのシャンソン歌手・作詞・作曲者・プロデューサー。1960–1970年代にかけてフランスで大人気を博した。レコード売上2,000万枚以上、死後600万枚を売り上げた。1962年「Belles, Belles, Belles」(エヴァリー・ブラザーズのフランス語カバー)がヒット。1967年、フランス・ギャルと破局し「Comme d'Habitude」を共作。フランスに滞在していたポール・アンカがこれを聴き英語歌詞を付け、1969年に「My Way」としてフランク・シナトラが歌い世界的に大ヒットした。「Parce Que Je T'aime Mon Enfant」にも英語詞がつけられ、1970年にエルヴィス・プレスリー「My Boy」(全米20位)として歌われた。レコード会社・出版社・モデルエージェンシーを経営し事業を拡大。1975年にホテルのロビーで爆弾が爆発、2年後に車を運転中にファンに撃たれかけ、ともに難を逃れたが1978年3月11日、浴室で感電死した。39歳までに500曲以上を書いた。
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1939年2月1日 | 1978年3月11日 | 39 | 男性歌手 | シャンソン | fr |
ジョー・サンプル
Joe Sample アメリカのジャズ/フュージョンのピアニスト。1952年、高校仲間とバンドを結成し、1960年に「ジャズ・クルセイダーズ」としてデビューし、1972年「クルセイダーズ」に改名。1979年、ランディ・クロフォードをゲストに迎え、よりポップな路線でアプローチした『Street Life』全米18位を記録。1960年代後半からソロ活動で成功を収め、マイルス・デイヴィス、ジョージ・ベンソン、マイケル・フランクス、B.B.キング、エリック・クラプトン、スティーリー・ダン、ジョニ・ミッチェルなど多数のレコーディングに参加。1966年、パーシー・フェイス楽団のピアニストとして初来日した。『Carmel』(1979年・邦題『渚にて』)などリーダーアルバム多数。レイラ・ハサウェイと共作した『The Song Lives On』(1998) も大ヒットし、ビルボード「メインストリーム・ジャズ・アルバム」を受賞した。
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1939年2月1日 | 2014年9月12日 | 75 | ピアノ | ジャズ | us |
アレックス・ウォートン
Alex Wharton |
1939年 | 1939年1月1日 | プロデュース | ロック | eg |
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ゲイリー・アッシャー
Gary Usher |
1938年12月14日 | 1990年5月25日 | 51 | プロデュース | ロック | us |
1938年12月12日 | 1938年12月12日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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アメリカのジャズ・ピアニスト。1955年にジョン・コルトレーンと出会い、1960年にコルトレーンのバンドに加入。ジミー・ギャリソ (B) やエルヴィン・ジョーンズ (Dr) と共にコルトレーンを支え、『Coltrane』(1962)『Ballads』(1963)『 A Love Supreme』(1965)『Ascension』(1965) など多くの作品に参加。1962年にはインパルス!と契約し初リーダー・アルバム『Inception』をリリース。コルトレーンがフリー・ジャズに傾倒し、音楽性の違いから1965年12月にグループを脱退した。
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1938年12月11日 | 2020年3月6日 | 81 | ピアノ | ジャズ | us |
アメリカのギタリスト・シンガーソングライター。ブルース、ロカビリー、カントリー、ジャズが融合しオクラホマ州タルサで生まれた音楽スタイル「タルサ・サウンド」で有名で、エリック・クラプトンらに影響を与えた。エリック・クラプトンとの共作アルバム『The Road to Escondido』(2006) で第50回グラミー賞「最優秀コンテンポラリー・ブルース・アルバム」にのノミネートされた。
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1938年12月5日 | 2013年7月26日 | 74 | ギター | ブルース | us |
プーチョ
Pucho |
1938年11月1日 | 2022年9月21日 | 83 | パーカッション | ラテン | us |
アメリカの伝説的なロックギタリスト・シンガー。人気絶頂期に事故死を遂げた早逝のロックンローラー。
代表曲
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1938年10月3日 | 1960年4月17日 | 21 | ギター | ロック | us |
ニック・グレイヴナイツ
Nick Gravenites アメリカのブルース、ロック、フォークの歌手・ギタリスト・作詞家。シカゴ大学に在学中、ポール・バターフィールドやマイク・ブルームフィールドと出会いブルースに魅了された。1967年、ブルームフィールドとエレクトリック・フラッグを結成し、リードシンガーとなった。 1969年「ビッグ・ブラザー & ザ・ホールディング・カンパニー」を脱退したジャニス・ジョプリンが結成した「コズミック・ブルース・バンド」に協力し、ジャニスのソロデビューアルバム『I Got Dem Ol' Kozmic Blues Again Mama!』に「As Good as You've Been to This World」と「Work Me, Lord」を提供し、ブルームフィールドが参加。さらにジャニスが抜けた「ビッグ・ブラザー & ザ・ホールディング・カンパニー」のリード・シンガーを務めた。2003年「Born In Chicago」がブルースの殿堂入りを果たした。 |
1938年10月2日 | 1938年10月2日 | 男性歌手 | ブルース | us |
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アメリカのR&B歌手・ソングライター。1958年、ドリフターズにリードシンガーとして加入し「There Goes My Baby」「This Magic Moment」「Save The Last Dance for Me」(ドリフターズ唯一の全米1位)などのヒットを放った。1960年にドリフターズを脱退しソロに転向。1961年に「Stand By Me」全米9位・全英1位を記録。ジョン・レノンなど数多くの歌手にカバーされ、1986年には映画『スタンド・バイ・ミー』の主題歌に起用されリバイバルヒットした。 グラミー賞ノミネート 1回 |
1938年9月28日 | 2015年4月30日 | 76 | 男性歌手 | R&B | us |
デイヴ・ベイビー・コルテス
Dave Baby Cortez |
1938年8月13日 | 1938年8月13日 | オルガン | R&B | us |
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イアン・スチュワート
Ian Stewart スコットランド出身のキーボーディスト。ローリング・ストーンズの結成時メンバーの一人でピアノを担当。プロデューサーのアンドリュー・ルーグ・オールダムから「バンドの雰囲気に合わない」という理由でデビュー前にバンドを解雇された。ストーンズが所有していた車載スタジオ「モービル・ユニット」の発案者であり、1981年に唯一のアルバム『Rocket 88』をリリースした。1985年12月12日、心臓発作により47歳で他界。
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1938年7月18日 | 1985年12月12日 | 47 | キーボード | ロック | sc |
アメリカの人気ジャズトランペット奏者。1956年、ディジー・ガレスピー楽団に加入。翌年ブルー・ノートから初リーダー・アルバム『Indeed!』をリリースし、天才トランペッター、クリフォード・ブラウンの再来と呼ばれた。1958年、アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズに加入し「Moanin'」を作曲。1963年『The Sidewinder』が全米25位を記録。ブルーノート史上最も売れたレコードとなり、レーベルを破産寸前から救った。1972年2月18日、ライブの休憩中に愛人に撃たれ33歳で他界した。
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1938年7月10日 | 1972年2月19日 | 33 | トランペット | ジャズ | us |
スナッフ・ギャレット
Snuff Garrett |
1938年7月5日 | 2015年12月16日 | 77 | プロデュース | us |
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1938年7月4日 | 2020年3月30日 | 81 | 男性歌手 | R&B | us |
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アニマルズ、ハーマンズ・ハーミッツ、ジェフ・ベック・グループ、ドノヴァン、スージー・クアトロらをプロデュース。1964年、アニマルズ「朝日のあたる家」3週連続全米1位、世界中で大ヒットしグラミー受賞。1967年、ルル「To Sir With Love」5週連続全米1位。ピーター・グラントとプロダクションを設立。後にグラントはレッド・ツェッペリン有名マネージャーとなった。モストは莫大な財産を築き「英国富豪トップ500」にリストされた。
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1938年6月20日 | 2003年5月30日 | 64 | プロデュース | ロック | eg |
ハービー・フラワーズ
Herbie Flowers |
1938年5月19日 | 2024年9月5日 | 86 | ベース | ロック | us |
アメリカの著名なジャズトランペット奏者。1958年、20歳でニューヨークに移り、フィリー・ジョー・ジョーンズ、ソニー・ロリンズ、スライド・ハンプトン、エリック・ドルフィー、J.J.ジョンソン、クインシー・ジョーンズなど最高のプレイヤーと演奏。1960年にブルーノート・レコードとの契約し、デビュー・アルバム『Open Sesame』をリリースした。オーネット・コールマン『Free Jazz』(1961)、ジョン・コルトレーン『Olé Coltrane』(1961)、ハービー・ハンコック『Maiden Voyage』(1965) などに参加。リーダー作『First Light』(1972) グラミー賞を受賞した。1976年には、ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、ロン・カーター、トニー・ウィリアムスらとV.S.O.P.クインテットを結成した。ビリー・ジョエル「Zanzibar」(1978) でも演奏を聴くことができる。 グラミー受賞 1回・ノミネート 5回 |
1938年4月7日 | 2008年12月29日 | 70 | トランペット | ジャズ | us |
スティーヴ・キューン
Steve Kuhn |
1938年3月24日 | 1938年3月24日 | ピアノ | ジャズ | us |
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デイヴ・パイク
Dave Pike アメリカのヴィブラフォン、マリンバ奏者。ヴィブラフォンは独学で1958年にポール・ブレイ・カルテットでレコーディング・デビュー。ポール・ブレイ、ケニー・クラーク、ビル・エヴァンス、ハービー・マンなど多数のレコーディングに参加し、ボビー・ハッチャーソンにヴィブラフォンを手ほどきした。1960年代後半頃にヨーロッパへ移り、ドイツのMPSレコードでレコーディングした。 グラミー受賞 回・ノミネート 回(2024年時点) |
1938年3月23日 | 2015年10月3日 | ヴィブラフォン | ジャズ | us |
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チャーリー・ロイド
Charles Lloyd
アメリカのジャズサックス奏者。1940年代にチャーリー・パーカー、コールマン・ホーキンス、レスター・ヤング、ビリー・ホリデイ、デューク・エリントンに魅了され、10代でハウリン・ウルフ、BBキングらのサイドマンを務めた。ビーチ・ボーイズのサポートミュージシャンとして著名で『Warm Waters』(1971) にメンバーが参加した。
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1938年3月15日 | 1938年3月15日 | サックス | ジャズ | us |
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ジミー・ヒューズ
Jimmy Hughes |
1938年2月3日 | 1938年2月3日 | 男性歌手 | R&B | us |
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1938年1月25日 | 2012年1月20日 | 73 | 女性歌手 | ブルース | us |
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ジャック・ジョーンズ
Jack Jones アメリカの歌手・俳優。1960–1970年代に人気を博しグラミー受賞2回、 イージーリスニングにチャートイン19曲・「トップ10」7曲・1位3曲を送り込んだ。
代表曲
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1938年1月14日 | 1938年1月14日 | 男性歌手 | ポップ | us |
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デヴィッド・アレン
Daevid Allen オーストラリアの詩人、ギタリスト、歌手、作曲家。サイケデリックロック・バンドのソフト・マシーン(1966年・イギリス)とゴング(1967年・フランス)の創設メンバーのひとり。アレン・ギンズバーグやウィリアム・バロウズなどのビート・ジェネレーション、サン・ラに影響を受け、1963年にロバート・ワイアット、ヒュー・ホッパーとフリージャズ・バンドのデヴィッド・アレン・トリオ (Daevid Allen Trio) を結成。1964年、ワイアットとホッパーはワイルド・フラワーズを結成したが、ソフト・マシーン(1966年)とキャラヴァン(1968年)に分裂した。1967年、ビザの超過で英国への再入国を拒否され、パリでゴングを結成し1973年にヴァージン・レコードと契約。1978年、重鎮ジョルジオ・ゴメルスキーの招待でニューヨークに渡り、ビル・ラズウェルらとニューヨーク・ゴングを結成。以後、さまざまなバンドを結成した。
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1938年1月13日 | 2015年3月13日 | 男性歌手 | ロック | au |
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ジョー・ファレル
Joe Farrell アメリカのジャズのテナー・サックス奏者。チック・コリアのリターン・トゥ・フォーエヴァーのメンバーとして活動した。1960年代にサド・ジョーンズ/メル・ルイス・ジャズ・オーケストラに参加し、チャールズ・ミンガス、アンドリュー・ヒル、ジャッキー・バイアード、エルヴィン・ジョーンズらと共演。2008年、娘のキャサリーン・フィランテッロはジョー・ファレル「Upon This Rock」を無許可で使用したカニエ・ウェスト、メソッド・マン、レッドマン、コモンを提訴した。
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1937年12月16日 | 1986年1月10日 | 48 | サックス | ジャズ | us |
ミウシャ
Miúcha ブラジルの女性歌手・作曲家。ボサノヴァの創始者ジョアン・ジルベルトの2番目の妻。ジョアンとスタン・ゲッツと組んだ名盤『The Best Of Two Worlds』(1976 Columbia) でプロデビュー。娘は歌手のベベウ・ジルベルト。シコ・ブアルキは弟。
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1937年11月30日 | 2018年12月27日 | 81 | 女性歌手 | ボサノヴァ | br |
ボブ・バビット ★
Bob Babbitt アメリカの著名なベーシスト。ジェームス・ジェマーソン (1936–1983, 47)、マイケル・ヘンダーソン (1951–2022, 71) とともにモータウンを代表するベーシストで、1966年から1972年までモータウンのスタジオバンド「ファンク・ブラザーズ」のメンバーとして活動し、フランク・シナトラ、バリー・マニロウ、グラディス・ナイト、スティーヴィー・ワンダー、スモーキー・ロビンソン、マーヴィン・ゲイ、テンプテーションズ、ジミ・ヘンドリックスらのレコーディングに参加した。『Bass Player』誌「偉大なベーシスト100人」59位。
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1937年11月26日 | 2012年7月16日 | 74 | ベース | R&B | us |
ジェフ・ゴダード
Geoff Goddard |
1937年11月19日 | 2000年5月15日 | 62 | 作曲家 | ポップ | us |
グレアム・ボンド
Graham Bond イングランドのロック/ブルースシンガー。1960年代のイングランドにR&Bブームをもたらした。Alexis Korner's Blues Incorporated を経て、1963年にジンジャー・ベイカー (Dr)、ジャック・ブルース (B)、ジョン・マクラフリン (G) と The Graham Bond Quartet を結成し、ハモンドオルガンをメイン楽器として採用。その後、The Graham Bond Organisation となった。商業的成功に恵まれず、失意のうちに電車にはねられ36歳で他界した。
See Also
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1937年10月28日 | 1974年5月8日 | 36 | 男性歌手 | ロック | eg |
ビフ・ローズ
Biff Rose |
1937年10月15日 | 2023年7月25日 | 85 | 男性歌手 | ポップ | us |
レオン・トーマス
Leon Thomas |
1937年10月4日 | 1999年5月8日 | 61 | 男性歌手 | ジャズ | us |
アリス・コルトレーン
Alice Coltrane
アメリカのジャズハープ奏者・ピアニスト・作曲家。音楽一家に育ち、パリでクラシック音楽を学び、バド・パウエルにジャズピアノを師事。いくつかのバンドを経て、1965年メキシコでジョン・コルトレーンと再婚。1966年、マッコイ・タイナーに代わってジョンが他界する1967年までジョン・コルトレーンのピアニストとなった。
生前ジョンがアリスのために注文したハープが届けられ、以後、主にジャズ・ハープ奏者として活動。1968年、ジョン・コルトレーン・ホームで1stアルバム『A Monastic Trio』を録音。ジョンの死後、よりヒンドゥー教に傾倒し、サウンドはスピリチュアル色が亢進した。1971年、カーネギー・ホールのチャリティ・コンサートに出演(メンバー:ファラオ・サンダース、アーチー・シェップ、ジミー・ギャリソン、セシル・マクビー、エド・ブラックウェル)し、ビルボード誌で「カーネギー・ホールのステージに登場した最も偉大なバンドの一つ」と評され、この模様は2024年『The Carnegie Hall Concer』としてリリースされた。1974年、カルロス・サンタナとアルバム『Illuminations』をリリース。2007年に他界する直前まで演奏を行った。 前夫ケニー・ハグッドとの間に娘ミシェル・コルトレーン(歌手)、ジョン・コルトレーンとの間にジョン・コルトレーン・ジュニア(ドラマー)、ラヴィ(サックス奏者)、オラン (DJ) を授かった。妹のマリリン・マクロードはモータウンのソングライターとしてダイアナ・ロスらの楽曲を手掛けた。 See Also
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1937年8月27日 | 2007年1月12日 | 69 | ハープ | ジャズ | us |
1937年8月2日 | 1937年8月2日 | キーボード | ロック | ca |
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エディ・フロイド
Eddie Floyd アメリカのR&B歌手・ソングライター。1965年、スタックス・レコードとソングライターとして契約。重要ギタリストのスティーヴ・クロッパーとチームを組み、ウィルソン・ピケット「Ninety-Nine and a Half (Won't Do)」(1966)「634-5789 (Soulsville, USA)」(1966) などヒットを生み出した。自身も「Knock On Wood」(1966) R&Bチャート1位、エイミー・スチュワートのカバーは全米1位を記録した。
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1937年6月25日 | 1937年6月25日 | 男性歌手 | R&B | us |
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イングランドの実業家。ジャマイカでアイランド・レコード設立。ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズを発掘し、キング・クリムゾン、エマーソン・レイク・アンド・パーマー、U2らと契約。
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1937年6月22日 | 1937年6月22日 | 実業家 | eg |
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アメリカのカントリー歌手・ソングライター。1958年、バディ・ホリーに声を掛けられレコーディングに初参加。1970年代にアウトローカントリーを牽引し、1976年にウィリー・ネルソン、トンポール・グレイザー、ジェシー・コルターらと共作した『Wanted! The Outlaws』が全米10位・カントリー1位を記録し、カントリーミュージック初のプラチナアルバム(100万枚)を獲得。1977年には『Ol' Waylon』が 全米15位・カントリー13週間1位を記録し、カントリーミュージックのソロアーティストとして初のプラチナアルバムとなった。
人気絶頂期を迎えたがカイン中毒に悩まされたが、1984年に克服。1980年代半ば、ジョニー・キャッシュ (1932–2003, 71)、ウィリー・ネルソン (1933– ) 、クリス・クリストファーソン (1936–2024 ,88) らとスーパーバンド「ハイウェイマン」を結成。3枚のスタジオアルバムをリリースし、シングル「Highwayman」がカントリーチャート1位を獲得した。2001年、カントリーミュージックの殿堂入り。2002年2月13日、糖尿病の合併症により64歳で他界した。 グラミー受賞 2回・ノミネート 13回(2024年時点) |
1937年6月15日 | 2002年2月13日 | 64 | 男性歌手 | カントリー | us |
アーチー・シェップ
Archie Shepp アメリカのフリージャズ・サックス奏者。セシル・テイラー、ジョン・コルトレーン、ホレス・パーラン、ニューヨーク・コンテンポラリー・ファイヴ (New York Contemporary Five) などの共演でも知られている。コルトレーン『A Love Supreme』(1965) のセッションに参加したが当初発売されたアルバムにシェップのパートは含まれず、デラックス・エディション (2002) に収録された。コルトレーン『Ascension』(1966) に参加した。
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1937年5月24日 | 1937年5月24日 | サックス | ジャズ | us |
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ディック・デイル
Dick Dale |
1937年5月4日 | 2019年3月16日 | 81 | ギター | ロック | us |
アメリカの名ジャズベーシスト・作曲家。1959年、チコ・ハミルトンのグループでデビュー。ポール・チェンバースの後任としてマイルス・デイヴィスのバンドに参加。脱退後はサイドマンとして膨大なレコーディングに参加した。 グラミー受賞 3回・ノミネート 6回(2024年時点) |
1937年5月4日 | 1937年5月4日 | ベース | ジャズ | us |
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レフティ・ディズ
Lefty Dizz |
1937年4月29日 | 1993年9月7日 | 56 | ギター | ブルース | us |
ジョー・ヘンダーソン
Joe Henderson アメリカの著名ジャズ・テナーサックス奏者。1950年代、18歳でデトロイトのジャズシーンでキャリアを開始。退役後の1962年にニューヨークに移り、1963年から1968年にかけて約30枚のアルバムをブルーノートで録音した。1967年に短期間マイルス・デイヴィス・クインテット(ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、ロン・カーター、トニー・ウィリアムス)に参加。
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1937年4月24日 | 2001年6月30日 | 64 | サックス | ジャズ | us |
ウィンス・マーティンヴィンス・マーティン
Vince Martin |
1937年3月17日 | 2018年7月6日 | 81 | 男性歌手 | フォーク | us |
バルネ・ウィラン
Barney Wilen フランスのジャズサックス奏者・作曲家。マイルス・デイヴィスとの『死刑台のエレベーター』(1958) の演奏で知られるようになった。ケニー・クラーク、セロニアス・モンク、チェット・ベイカーらと共演し、映画音楽の他リーダー作多数。1960年代半ばからロックに興味を持ちアルバムを録音。1990年代にはパンク・ロックのミュージシャンと仕事をした。
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1937年3月4日 | 1996年5月25日 | 59 | サックス | ジャズ | fr |
マジック・サム
Magic Sam |
1937年2月14日 | 1969年12月1日 | 32 | 男性歌手 | ブルース | us |
フィリップ・ウォーカー
Phillip Walker |
1937年2月11日 | 2010年7月22日 | 73 | 男性歌手 | ブルース | us |
アメリカの世界的シンガーソングライター。歴史的な名曲とダニー・ハサウェイらとのデュエットで知られている。
ワード大学に史上最年少の15歳で入学し音楽を学んだ。ナイトクラブで演奏中、ジャズピアニストのレス・マッキャンに見出され、1969年『First Take』でレコードデビューした。2022年、闘病により引退した。
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1937年2月10日 | 1937年2月10日 | 女性歌手 | R&B | us |
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スコット・イングリッシュ
Scott English アメリカの作詞家・編曲家・音楽プロデューサー。1972年、リチャード・カーと「Brandy」を共作。1974年に「Mandy」タイトルされ、バリー・マニロウが歌い全米1位を獲得した。
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1937年1月10日 | 2018年11月16日 | 81 | 作詞家 | ロック | us |
トミー・スティール
Tommy Steele |
1936年12月17日 | 1936年12月17日 | 男性歌手 | ロックンロール | eg |
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エディ・パルミエリ
Eddie Palmieri |
1936年12月15日 | 1936年12月15日 | ピアノ | ラテン | us |
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ドン・チェリー
Don Cherry アメリカのジャズトランペット奏者。1958年、オーネット・コールマン『Something Else!!!!』でデビュー。ジョン・コルトレーンやソニー・ロリンズ、アルバート・アイラー、カーラ・ブレイ、チャーリー・ヘイデン、ガトー・バルビエリ、ファラオ・サンダースとも共演した。
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1936年11月18日 | 1995年10月19日 | 58 | トランペット | ジャズ | us |
モルト・シューマン
Mort Shuman |
1936年11月12日 | 1991年11月2日 | 54 | 作曲家 | ロックンロール | us |
ジミー・ドーキンス
Jimmy Dawkins |
1936年10月24日 | 2013年4月10日 | 76 | ギター | ブルース | us |
イングランドのロック・ベーシスト。1962年からローリング・ストーンズのベーシストを務めたが、ミック・ジャガーとキース・リチャーズの衝突に辟易し、1993年に脱退した。ローリングストーンズは後任としてマイルス・デイヴィス、ハービー・ハンコック、スティング、ブルース・スプリングスティーン、マドンナらと共演したダリル・ジョーンズをサポート・メンバーとして迎えた。 グラミー賞ノミネート 6回(2024年時点) |
1936年10月24日 | 1936年10月24日 | ベース | ロック | eg |
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トン・ゼー
Tom Zé |
1936年10月11日 | 1936年10月11日 | 男性歌手 | ポップ | br |
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ビリー・ヒギンズ
Billy Higgins アメリカのジャズドラマー。1958年、オーネット・コールマンのバンドに加入。セッション・ドラマーとしてドナルド・バード、デクスター・ゴードン、ジョン・コルトレーン、ジョー・ヘンダーソン、ミルト・ジャクソン、ジャッキー・マクリーン、パット・メセニー、ハンク・モブレー、セロニアス・モンク、リー・モーガン、デヴィッド・マレイ、アート・ペッパー、ソニー・ロリンズ、マル・ウォルドロン、シダー・ウォルトン、ロン・カーターらと共演。。
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1936年10月11日 | 2001年5月3日 | <64/td> | ドラム | ジャズ | us |
アメリカの伝説的なシンガーソングライター。ザ・クリケッツ (The Crickets) のフロントマンで、ビートルズをはじめ後世のロック・ミュージシャンに大きな影響を与えた。1986年ロックの殿堂入り。
1957年、ザ・クリケッツを結成し、同年「That'll Be The Day」(Brunswick) が全米3位を獲得。1969年にゴールド(米国売上100万枚以上)に認定され、1998年にはグラミー賞の殿堂入りを果たした。1958年7月12日、クオリーメン(ビートルズの前身)は初レコーディングを行い、A面に「That'll Be The Day」、B面に「In Spite Of All The Danger」(マッカートニーが書いた曲)を収録した。 1959年2月3日、リッチー・ヴァレンス、ザ・ビッグ・ボッパーと共に搭乗した小型機の墜落事故により22歳で他界。一度に3人のスターを失ったこの悲惨な事故は「音楽が死んだ日」と呼ばれるようになった。 バディ・ホリーの後任としてアール・シンクス (Vo) がクリケッツに加入。シンクス脱退後、デヴィッド・ボックス (Vo) が加入したが1960年に脱退。1964年、ボックスはソロ歌手としてツアー中、チャーター機の墜落事故により21歳で他界した。バンドはオリジナル・メンバーがいなくなった後も、メンバーチェンジを繰り返しながら2016年まで続いた。 |
1936年9月7日 | 1959年2月3日 | 22 | 男性歌手 | ロック | us |
チャック・ブラウン
Chuck Brown アメリカのギタリスト、バンドリーダー、歌手。ラテン・パーカションを多用し、同じビートを延々と持続する音楽ジャンル「ゴーゴー」を創造したことから「The Godfather Of Go-Go」として知られている。刑務所でギターを始め、The Soul Searchers を結成。2011年、ジル・スコット、マーカス・ミラーとの共演した「Love」でグラミー賞「最優秀R&Bパフォーマンス・デュオ・グループ」にノミネートされた。
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1936年8月22日 | 2012年5月16日 | 75 | ギター | ゴーゴー | us |
チャック・イスラエル
Chuck Israels アメリカのジャズベーシスト・作曲家。スコット・ラファロの後任としてビル・エヴァンス・トリオに加入。ビリー・ホリデイ、ベニー・グッドマン、コールマン・ホーキンス、スタン・ゲッツ、ハービー・ハンコック、J・J・ジョンソン、ジョン・コルトレーン、ジュディ・コリンズとも共演した。
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1936年8月10日 | 1936年8月10日 | ベース | ジャズ | us |
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アルバート・アイラー
Albert Ayler アメリカの前衛ジャズサックス奏者・歌手・作曲家。
1966年、ジョン・コルトレーンの勧めでインパルス・レコードと契約したものの、十分な聴衆を得ることはなかった。
コルトレーンの願いは葬儀でアイラーとオーネット・コールマンに演奏してもらうことだった。1967年7月21日、ニューヨーク St. Peter's Lutheran Church で執り行われたコルトレーンの葬儀でアイラーは「Love Cry, Truth Is Marching In, Our Prayer」を演奏し、オーネット・コールマンの「Naima」で幕が閉じられた。アイラーは1970年11月5日に失踪し、 11月25日にニューヨーク市のイーストリバーで自殺とみられる遺体で発見された。
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1936年7月13日 | 1970年11月25日 | 34 | サックス | ジャズ | us |
アメリカの大物音楽プロデューサー、ヴァーヴ・ミュージック・グループ会長。1968年にボブ・クラズノーが設立したブルー・サム・レコードに参画。マイルス・デイヴィス、ポール・マッカートニー、イエロージャケッツ、ジョージ・ベンソン、ダイアナ・クラールなど数多の名盤プロデュースした。 グラミー受賞 5回・ノミネート6 回 |
1936年7月5日 | 2017年3月13日 | 80 | プロデュース | ジャズ | us |
デイブ・ヴァン・ロンク
Dave Van Ronk |
1936年6月30日 | 2002年2月10日 | 65 | 男性歌手 | フォーク | us |
ブラジルの作曲家、マルチ楽器演奏者。ブラジル音楽の最重要人物の一人で革新的な作曲家として知られている。
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1936年6月22日 | 1936年6月22日 | 作曲家 | MPB | br |
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アメリカ合衆国テキサス州ブラウンズビル出身のカントリー音楽のシンガーソングライター・俳優。オックスフォード大学卒業後、ベトナム戦争に志願するも士官学校の教官に任命された。カントリー歌手になる夢を捨てきれず、コロムビア・レコードの清掃夫として働きながら音楽活動を始めた。女性歌手ジューン・カーター(ジョニー・キャッシュの妻)にデモテープを渡したが聴いてもらえず、ヘリコプターをジョニー・キャッシュの自宅の庭に着陸させてテープを渡したという。
1967年、エピック・レコードと契約し「Golden Idol / Killing Time」をリリース。ヒットしなかったものの、ジョニー・キャッシュらがクリストファーソンの楽曲を取り上げ、1971年には交際していたジャニス・ジョプリンが「Me and Bobby McGee」を歌い全米1位となった。同年、グラミー賞を総なめにし、サミー・スミスが歌った「Help Me Make It Through The Night」でカントリー・ソング・オブ・ザ・イヤーを受賞。さらに2ndアルバム『The Silver Tongued Devil and I』(1971) が全米26位・カントリー5位を記録し、タイトル曲は映画『タクシードライバー』で使用された。 1973年、歌手リタ・クーリッジと再婚(1980年離婚)し俳優業に専念。『ビリー・ザ・キッド 21才の生涯』(1973) 『コンボイ 』(1978) などに出演し、バーブラ・ストライサンドとツ主演した『スター誕生』(1976) でゴールデングローブ賞の主演男優賞を受賞したが、1980年代以降は作品に恵まれなかった。 1980年代半ば、ジョニー・キャッシュ (1932–2003, 71)、ウィリー・ネルソン (1933– ) 、ウェイロン・ジェニングス (1937–2002, 64) らとスーパーバンド「ハイウェイマン」を結成。3枚のスタジオアルバムをリリースし、シングル「Highwayman」がカントリーチャート1位を獲得した。その後も精力的に活動を続けたが、2021年に引退。2024年9月28日、マウイ島の自宅で88歳で亡くなった。 グラミー受賞 3回・ノミネート 13回 |
1936年6月22日 | 2024年9月28日 | 88 | 男性歌手 | カントリー | us |
クレイ・ハモンド
Clay Hammond |
1936年6月21日 | 2011年2月4日 | 74 | 男性歌手 | R&B | us |
ボビー・ダーリン
Bobby Darin |
1936年5月14日 | 1973年12月20日 | 37 | 男性歌手 | ポップ | us |
アメリカの著名な女性ジャズピアニスト、作曲家。前衛的なアプローチで知られ、アート・ファーマー「Sing Me Softly Of The Blues」(1965)、ゲイリー・バートン『A Genuine Tong Funeral』(1968) の全曲、チャーリー・ヘイデン『Liberation Music Orchestra』(1970) 収録3曲を提供し、一躍ジャズ界を代表する作曲家のひとりとなった。1971年、詩人ポール・ヘインズと共作した実験的な3枚組ジャズ・オペラ『Escalator Over The Hill』はジャズ界に物議をかもした。名ベーシスト、スティーヴ・スワロウとの共演多数。1975年、ザ・ジャック・ブルース・バンドのツアーに参加し、ニック・メイスン(ピンク・フロイドの 1stアルバム『Nick Mason's Fictitious Sports』(1981) に全曲を提供。
1957年、ポール・ブレイと結婚。1965年、マイケル・マントラーと再婚し(1991年離婚)1966年にカレン・マントラーを授かった。 グラミー賞ノミネート 3回 |
1936年5月11日 | 2023年10月17日 | 87 | ピアノ | ジャズ | us |
トニー・バーロウ
Tony Barrow |
1936年5月11日 | 2016年5月14日 | 80 | マネージ | ロック | eg |
アメリカの人気カントリー歌手・ギター奏者・テレビ司会者・俳優。1960–1970年代に多くのヒット曲を生み出し、人気バラエティ番組『The Glen Campbell Goodtime Hour』の司会で知られる。50年のキャリアでアルバム70枚以上、レコード売上4,500万枚。80曲がビルボードにランクイン、29曲トップ10、9曲1位。スタジオ・ミュージシャン集団「レッキング・クルー」に加入し、フランク・シナトラ、エルヴィス・プレスリーなどビッグネームのレコーディングに参加。1964年からしばらくブライアン・ウィルソンの代役としてビーチ・ボーイズのツアーに参加し『ペット・サウンズ』などのレコーディングにギターで参加した。1967年「ジェントル・オン・マイ・マインド」「恋はフェニックス」でグラミー賞を獲得。1975年には「Rhinestone Cowboy」が200万枚を売り上げ、以後も精力的に活動した。グラミーの殿堂入り3曲、グラミー生涯功労賞を受賞。
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1936年4月22日 | 2017年8月8日 | 81 | 男性歌手 | カントリー | us |
アメリカの伝説的なジャズベーシスト。ビル・エヴァンス・トリオの黄金期をポール・モチアン (Dr 1931–2011) と支え『Portrait in Jazz』(1959)、『Explorations』(1961)、1961年6月25日にヴィレッジ・ヴァンガードで収録した『Sunday At The Village Vanguard』『Waltz for Debby』で歴史的な名演を残した。「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」でスタン・ゲッツと共演した2日後、交通事故で夭折。エヴァンスのショックはあまりにもひどく、数カ月間演奏できなかったという。1966年、21歳のチャック・イスラエルを後任に迎えた。
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1936年4月3日 | 1961年7月6日 | 25 | ベース | ジャズ | us |
ベティ・クルティス
Betty Curtis |
1936年3月21日 | 2006年6月15日 | 70 | 女性歌手 | ポップ | it |
リー・ペリー
Lee "Scratch" Perry ジャマイカのレゲエのプロデューサー・エンジニア。1973年、自宅の裏庭にブラック・アーク・スタジオを建設し、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ、ジュニア・バイルズ、ヘプトーンズ、マックス・ロメオといった有名なミュージシャンのプロデュースを行った。
グラミー受賞 1回・ノミネート 5回(2024年時点) |
1936年3月20日 | 2021年8月29日 | 85 | プロデュース | レゲエ | jm |
フレッド・ニール
Fred Neil アメリカのフォークシンガー・ソングライター。1960年代初頭に「フレッド・ニール & ヴィンス・マーティン」のデュオで知られるようになった。1966年「Everybody's Talkin'」を作詞作曲。ハリー・ニルソンが歌い映画『真夜中のカーボーイ』(1969)で使用され全米6位、ニルソンはグラミー賞を受賞した。現代のフォークシンガーから高評価だがツアーには消極的で、人生の最後の30年間のほとんどをイルカの保護活動に費やした。マネージャーを務めたハワード・ソロモン (Howard Solomon) は、 ニューヨークのグリニッチビレッジにあった有名ナイトクラブ「カフェ・オー・ゴーゴー」の元オーナー。
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1936年3月16日 | 2001年7月7日 | 65 | 男性歌手 | フォーク | us |
ジョン・レイトン
John Leyton |
1936年2月17日 | 1936年2月17日 | 男性歌手 | ポップ | eg |
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ホルスト・ヤンコフスキー
Horst Jankowski |
1936年1月30日 | 1998年6月29日 | 62 | ピアノ | イージー | de |
1936年1月29日 | 1983年8月2日 | 47 | ベース | ポップ | us |
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エスター・フィリップス
Esther Phillips |
1935年12月23日 | 1984年8月7日 | 48 | 女性歌手 | R&B | us |
ボビー・ティモンズ
Bobby Timmons |
1935年12月19日 | 1974年3月1日 | 38 | ピアノ | ジャズ | us |
アル・ジャクソンJr.
Al Jackson Jr. テネシー州メンフィス出身の名ドラマー・プロデューサー・ソングライター。スタックス・レコード専属スタジオ・バンド「ブッカー・T&ザ・MG's」を結成し、オーティス・レディング、ジョニー・テイラー、ウィルソン・ピケット、サム&デイヴらの演奏を担当。1970年代には、エルヴィス・プレスリー、ビル・ウィザース、レオン・ラッセル、ジェリー・リー・ルイス、エリック・クラプトン、アレサ・フランクリン、ロッド・スチュワート、ダニー・ハサウェイなどのセッション・ドラマーとしても活躍した。1975年7月、離婚を申請中の妻に銃で胸を撃たれたが告訴しないことにした。10月1日、自宅で暴漢に撃たれ他界。39歳没。後日、犯人は別件で警察官に射殺された。
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1935年11月27日 | 1975年10月1日 | 39 | ドラム | R&B | us |
ジュリー・アンドリュース
Julie Andrews |
1935年10月1日 | 1935年10月1日 | 女性歌手 | ポップ | eg |
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ジョニー・マティス
Johnny Mathis アメリカのポピュラー音楽歌手。1958年「Wonderful! Wonderful!」が大ヒット。代表曲は「恋のチャンス」「Misty」、デニース・ウィリアムスとの「涙のデュエット」、ディオンヌ・ワーウィックとの「Friends in Love」、レイ・チャールズとの「虹のかなたに」など。
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1935年9月30日 | 1935年9月30日 | 男性歌手 | ポップ | us |
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レス・マッキャン
Les McCann |
1935年9月23日 | 2023年12月29日 | 88 | ピアノ | ジャズ | us |
1935年9月1日 | 2024年2月6日 | 88 | 指揮者 | クラシック | ||
ローランド・カーク
Rahsaan Roland Kirk |
1935年8月7日 | 1977年12月5日 | 42 | サックス | ジャズ | us |
スティーブ・ローレンス
Steve Lawrence |
1935年7月8日 | 2024年3月7日 | 88 | 男性歌手 | ポップ | us |
ペギー・シーガー
Peggy Seeger |
1935年6月17日 | 1935年6月17日 | 女性歌手 | フォーク | us |
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グラント・グリーン
Grant Green |
1935年6月6日 | 1979年1月31日 | 43 | ギター | ジャズ | us |
マル・エヴァンズ
Mal Evans |
1935年5月27日 | 1976年1月5日 | 40 | アシスタント | ロック | eg |
アメリカのジャズ・ピアニスト、作曲家。
グラミー受賞 3回・ノミネート 4回(2024年時点)
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1935年5月27日 | 2022年9月12日 | ピアノ | ジャズ | us |
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セシル・マクビー
Cecil McBee アメリカのジャズベーシスト。1975年に自身のグループを結成して多数のリーダー・アルバムを録音。サイドマンとして著名で、マイルス・デイヴィス、アンドリュー・ヒル、サム・リヴァース、ジャッキー・マクリーン、ウェイン・ショーター、ファラオ・サンダース、チャールズ・ロイド、ユセフ・ラティーフ、フレディ・ハバード、ウディ・ショウ、キース・ジャレット、アリス・コルトレーンらとレコーディングを行なった。
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1935年5月19日 | 1935年5月19日 | ベース | ジャズ | us |
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テディ・ランダッツォ
Teddy Randazzo アメリカのシンガーソングライター・アレンジャー・プロデューサー。ボビー・ワインスタインと組み、「Goin' Out of My Head」(1964) 全米6位、「It's Gonna Take a Miracle」(1965) 全米41位(デニース・ウィリアムスのカバーは全米10位・R&Bチャート1位)、「Pretty Blue Eyes」(1959) 、「Hurt So Bad」(1964) などがヒット。フランク・シナトラ、エラ・フィッツジェラルド、リンダ・ロンシュタットらがカバーした。女性グループのロイヤレッツをプロデュースした。
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1935年5月13日 | 2003年11月21日 | 68 | 男性歌手 | ポップ | us |
アメリカの名ジャズベーシスト。1954年から2年の兵役中にベースをマスターし、除隊後はLAでアート・ペッパー等との活動を経てNYでフリージャズに身を投じた。1977年にキース・ジャレット、ジャック・ディジョネットと結成したトリオは、25年以上継続した。1990年、菊地雅章、ポール・モチアンと「Tethered Moon」結成。アネット・ピーコックは元妻。
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1935年5月12日 | 2020年9月4日 | 85 | ベース | ジャズ | us |
ラリー・ウィリアムズ
Larry Williams アメリカのR&Bのシンガーソングライター。1955年、リトル・リチャードと出会いレイ・チャールズのプロデューサー、ロバート・ブラックウェルを通じてスペシャルティ・レコードと契約。「Dizzy, Miss Lizzy」「Slow Down」「Slow Down」をビートルズがカバーした。
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1935年5月10日 | 1980年1月7日 | 44 | 男性歌手 | R&B | us |
ミルトン・バナナ
Milton Banana ブラジルのボサノバおよびジャズ・ドラマー。ジョアン・ジルベルトやスタン・ゲッツとのコラボレーションで知られている。
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1935年4月23日 | 1999年5月22日 | 60 | ジャズ | ドラム | br |
アメリカの天才的ジャズベーシスト。1950–1960年代の数々の名盤で知られている。20歳でマイルス・デイヴィスのバンドに加入した後、ウィントン・ケリー、ジョン・コルトレーン、ソニー・ロリンズ、バド・パウエル、キャノンボール・アダレイといったジャズ・ジャイアンツと共演。「Mr. P.C.」はコルトレーンがチェンバースへ捧げた曲。大量飲酒と麻薬の常習者で肺結核で夭逝。
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1935年4月22日 | 1969年1月4日 | 33 | ベース | ジャズ | us |
1935年4月16日 | 1935年4月16日 | 男性歌手 | ポップ | us |
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レッド・ツェッペリンを世界的グループに育て上げた敏腕マネージャー。用心棒、プロレスラー、俳優を経て英国の大物プロモーター、ドン・アーデン (1926–2007)の元アメリカから渡英したジーン・ヴィンセント、チャック・ベリー、リトル・リチャード、エディ・コクランらのツアー・マネージャーに。ミッキー・モストと共にプロダクションを設立し、ヤードバーズ、ジェフ・ベック・グループ、レッド・ツェッペリンのマネージャー/プロデューサーを務めた。レッド・ツェッペリンと「スワンソング・レコード」を設立。
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1935年4月5日 | 1995年11月21日 | 60 | 実業家 | ロック | eg |
1935年3月31日 | 1935年3月31日 | トランペット | ジャズ | us |
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サム・レイ
Sam Lay |
1935年3月20日 | 2022年1月29日 | 86 | ドラム | ブルース | us |
ソニー・ボノ
Sonny Bono アメリカの歌手・ソングライター・俳優・政治家。スペシャルティ・レコードでソングライターとしてキャリアを開始し、サム・クック「Things You Do to Me」(1959) を書いた。フィル・スペクターのアシスタントを務めた後、1964年に2番目の妻シェールと「ソニー&シェール」結成し大人気を博した。 1988年から1992年までカリフォルニア州パームスプリングスの第16代市長を務め、 1995年から1998年に亡くなるまでカリフォルニア州第44選挙区の米国下院議員を務め、全米1位を獲得した唯一の議員。レッド・ホット・チリ・ペッパーズのアンソニー・キーディスの名付け親。スキー中に木にぶつかって負傷し他界した。 |
1935年2月16日 | 1998年1月5日 | 62 | 男性歌手 | ポップ | us |
1935年1月8日 | 1977年8月16日 | 42 | 男性歌手 | ロック | us |
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アルマンド・ピッチリアーニ
Armando Pittigliani |
1934年12月26日 | 1934年12月26日 | プロデュース | MPB | br |
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ジュニア・ウェルズ
Junior Wells |
1934年12月9日 | 1998年1月15日 | 63 | 男性歌手 | ブルース | us |
ビリー・ポール
Billy Paul |
1934年12月1日 | 2016年4月24日 | 81 | 男性歌手 | ソウル | us |
バール・フィリップス
Barre Phillips |
1934年10月27日 | 1934年10月27日 | ベース | ジャズ | us |
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ジェイムズ・"シュガー・ボーイ"・クロフォード
James Sugar Boy Crawford |
1934年10月12日 | 2012年9月15日 | 77 | 男性歌手 | R&B | us |
1934年9月30日 | 2014年12月21日 | 80 | 男性歌手 | ポップ | at |
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フランスの女優・モデル・歌手。不倫関係だったセルジュ・ゲンスブールとのデュエット「Je T'Aime Moi Non Plus」が有名だが未公開だったため、先にジェーン・バーキンのデュエットがリリースされた。
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1934年9月28日 | 1934年9月28日 | 女性歌手 | ポップ | fr |
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ディック・ヘクストール=スミス
Dick Heckstall-Smith イングランドのジャズとブルースのサックス奏者。アレクシス・コーナーのブルース・インコーポレイテッドやジョン・メイオールのブルースブレイカーズ、1968年から1971年までコロシアムに参加。2001年、ジョン・メイオール、ジャック・ブルース、ミック・テイラー、ピーター・グリーンと Dick Heckstall-Smith & Friends『Blues and Beyond』を録音した。
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1934年9月26日 | 2004年12月17日 | 70 | サックス | ブルースロック | eg |
カナダの世界的シンガーソングライター・詩人・小説家。U2のボノが「世界で最も完璧な曲」と語った時代を超え魂に触れる名曲「Hallelujah」(ハレルヤ・1984年)の作者として有名。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」2023年103位。1950年代から詩人・小説家としてキャリアをスタート。 1966年、コーエンが書いたジュディ・コリンズ「Suzanne」が大物プロデューサーのジョン・ハモンド の目に留まり、コロムビア・レコードと契約。1967年、33歳で1stアルバム『Songs of Leonard Cohen』をリリース。コーエンはアルバムの仕上がりに不満を残したものの全米83位・全英13位を記録し英国では1年半チャートインした。ジョニ・ミッチェルらとの恋多き男としても有名。1970年代に雑誌『an・an』でのインタビュー以来、個人的にコーエンと親しかった立川直樹氏によると、コーエンのお気に入りはビリー・ホリディ、ニーナ・シモン、レイ・チャールズだという。 ピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアなど、ミュージシャンにもフォロワーが多い。2008年から2014年までウェッブ・シスターズがバックシンガーを務めた。 |
1934年9月21日 | 2016年11月7日 | 82 | 男性歌手 | フォークロック | ca |
ビートルズを世界的成功へ導いたイングランドの伝説的なマネージャー。1961年、アラン・ウィリアムズに替わってビートルズの2代目マネージャーに就任。1962年、弟クライブとマネージメント会社NEMSエンタープライズを共同経営者。ビートルズのほかにビージーズなどとマネージメント契約を結んだ。1963年、音楽出版社ノーザン・ソングス設立。1985年、ノーザン・ソングスの親会社ATVを27歳のマイケル・ジャクソンが約4750万ドルで購入し、ビートルズの版権所有者となった。1967年、ビージーズをポリドール・レコードさせたが、同年8月27日にアスピリンの過剰摂取により32歳他界した。
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1934年9月19日 | 1967年8月27日 | 32 | マネージャー | ロック | eg |
ジョアン・ドナート
João Donato |
1934年8月17日 | 2023年7月17日 | 88 | 作曲家 | ボサノヴァ | br |
スティーヴ・レイシー
Steve Lacy |
1934年7月23日 | 2004年6月4日 | 69 | サックス | ジャズ | us |
アメリカの音楽業界の重鎮・レーベル経営者・ブロデューサー。カーマ・スートラ・レコードの副社長、ワーナーブラザーズ・レコード副社長、エレクトラ・レコード会長を歴任し、ブッダレコードやトミー・リピューマとブルーサム・レコードを設立。
ジェームス・ブラウンのプロモーション担当やデッカの営業マンとしてキャリアをスタートし、アイク&ティナターナー、キャプテンビーフハート、アニタ・ベイカー、チャカ・カーン、ジョージ・クリントン、ザ・キュアー、ビョーク、ジョージア・サテライト、トレイシー・チャップマン、リンダ・ロンシュタットのネルソン・リドル三部作、メタリカ、モトリー・クルー、ドッケン、10,000マニアックス、ディアンジェロ、エリカ・バドゥらを発掘・契約・プロデュースを行った。 1983年、アトランティック・レコード会長アーメット・アーティガンらと「ロックの殿堂」を共同設立。1992年、ナタリー・コール「Unforgettable … With Love」を手掛け、このアルバムはグラミー賞を6部門受賞した。 |
1934年7月20日 | 2016年12月11日 | 82 | 実業家 | us |
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ルネ・ユルトルジェ
René Urtreger フランスのジャズピアニスト。1956年にレスター・ヤングのヨーロッパツアーに同行。1957年12月、デイヴィス・デイヴィスと映画『絞首台のエレベーター』のサウンドトラックを録音した。1950年代後半はライオネル・ハンプトン、スタン・ゲッツ、チェット・ベイカー、デクスター・ゴードン、ソニー・ロリンズ、ベン・ウェブスターなどと共演した。
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1934年7月6日 | 1934年7月6日 | ピアノ | ジャズ | fr |
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アメリカのR&Bシンガー。サム・クック、ジェームス・ブラウンと並び、ソウルのパイオニアの一人。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」2013年26位。1953年、クライド・マクファターの後任として「ビリー・ウォード&ヒズ・ドミノズ」に加入。1956年、エルヴィス・プレスリーはラスベガスで4夜連続で彼らの演奏を聴き、ミリオン・ダラー・カルテットでウィルソンの歌唱を真似て「Don't Be Cruel」を収録した。ソロに転身し、1958年にモータウン・レコードを設立したベリー・ゴーディのプロデュースで「Lonely Teardrops」リリース。R&Bチャート1位を獲得した。
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1934年6月9日 | 1984年1月21日 | 49 | 男性歌手 | ソウル | us |
ワイルド・ジミー・スプルーイル
Wild Jimmy Spruill アメリカのセッションギタリスト。1950–1960年代のヒット曲でそのギタープレイを聴くことができる。ライブでは歯でギターを弾いた。バスで帰宅中、心臓発作で他界。
参加作品
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1934年6月9日 | 1996年2月3日 | 61 | ギター | R&B | us |
アメリカのポピュラー音楽の歌手。1950–1960年代にエルヴィス・プレスリーに次ぐ人気を博し、売上4,500万枚以上、38曲の全米TOP 40を記録。12本以上のハリウッド映画に出演した。先祖は西部開拓史上の英雄ダニエル・ブーン。 グラミー賞ノミネート6回 |
1934年6月1日 | 1934年6月1日 | 男性歌手 | ポップス | us |
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ピーター・ネロ
Peter Nero |
1934年5月22日 | 2023年7月6日 | 89 | ピアノ | BGM | us |
ジョルジュ・ムスタキ
Georges Moustaki |
1934年5月3日 | 2013年5月23日 | 79 | 男性歌手 | シャンソン | us |
1934年4月30日 | 1995年7月24日 | 61 | 作曲家 | ポップ | eg |
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アメリカのユダヤ系プロデューサー・音楽出版社経営者・マネージャー・ソングライター。モンキーズなどのプロデュースで知られ「黄金の耳を持つ男」と呼ばれた。1944年、元スリー・サンズのアル・ネヴィンズと「Twilight Time」全米1位・売上400万枚を共作。1958年、ネヴィンズと共同で音楽出版社アルドン・ミュージック設立(Aldon Music/社名はアル・ネヴィンズの「AL」とドン・カーシュナーの「DON」に由来)。 複数のソングライター(ドク・ポマスとモルト・シューマン、ジェリー・ライバーとマイク・ストーラー、ニール・セダカ、ハワード・グリーンフィールド、キャロル・キング、ジェリー・ゴフィン、ニール・ダイアモンド、ポール・サイモン、フィル・スペクター、バリー・マン、シンシア・ワイル、ジャック・ケラーなど)と契約し、1950–1960年代に数多くの「ブリル・ビルディングサウンド」を世に送り出した。1963年、同社をコロムビア・ピクチャーズに多額で売却しコロンビアに幹部に就任。モンキーズやアーチーズをプロデュースし大成功を収めた。2012年ロックの殿堂入り。 |
1934年4月17日 | 2011年1月17日 | 76 | プロデュース | ポップ | us |
ロバート・スティグウッド
Robert Stigwood |
1934年4月16日 | 2016年1月4日 | 81 | マネージャー | ロック | au |
ウイクターフェルドマンヴィクター・フェルドマン
Victor Feldman イングランドのジャズピアノ・ヴィブラフォン・パーカッション奏者・作曲家。1958年、スコット・ラファロ(ビル・エヴァンス・トリオの名ベーシスト)とバンドを結成。マイルス・デイヴィスのバンドに参加し「Seven Steps to Heaven」(1963) を作曲した。60年後半からはフランク・ザッパ、スティーリー・ダン、ジョニ・ミッチェル、トム・ウェイツの作品に参加した。
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1934年4月7日 | 1987年5月12日 | 53 | ヴィブラフォン | ジャズ | eg |
スタンリー・タレンタイン
Stanley Turrentine |
1934年4月5日 | 2000年9月12日 | 66 | サックス | ジャズ | us |
ジミー・ノーレン
Jimmy Nolen |
1934年4月3日 | 1983年12月18日 | 49 | ギター | ファンク | us |
シャーリー・スコット
Shirley Scott アメリカのソウル・ジャズの女性オルガン奏者。2008年、ユニバーサル・スタジオの火災でマスター音源が喪失した。スタンリー・タレンタインは元夫。
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1934年3月14日 | 2002年3月10日 | 67 | オルガン | ジャズ | us |
ウィリー・ボボ
Willie Bobo |
1934年2月28日 | 1983年9月15日 | パーカッション | ジャズ | us |
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ジョージア出身の映画製作者・プロモーター・マネージャー・ソングライター・プロデューサー。エルトン・ジョン、ロッド・スチュワート、ソフト・マシーン、10cc など後に世界的になるさまざまなバンドやミュージシャンの初期のキャリアに貢献した。
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1934年2月28日 | 2016年1月13日 | 81 | プロデュース | ロック | ge |
ピエール・バルー
Pierre Barouh フランスのシンガーソングライター・俳優。1966年、名作『男と女』に出演。フランシス・レイ作曲のテーマ曲をニコール・クロワジールと歌い、フランスでボサノヴァを広めた。立川直樹プロデュースのもと『Le Pollen』(1982) と『Sierras』(1984) を録音。坂本龍一や高橋幸宏などが参加した。
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1934年2月19日 | 2016年12月28日 | 82 | 男性歌手 | ボサノヴァ | fr |
アール・キング
Earl King |
1934年2月7日 | 2003年4月17日 | 69 | 男性歌手 | ブルース | us |
エヂソン・マシャード
Edison Machado ブラジルのドラマー・作曲家。アート・ブレイキーやマックス・ローチに刺激を受けドラムを独学。サンバとボサノバの形成に貢献した。チェット・ベイカー、スタン・ゲッツ、ロン・カーター、アントニオ・カルロス・ジョビン、ルイス・ボンファらと共演し、1990年に急逝するまで50枚以上のアルバムを録音した。
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1934年1月31日 | 1990年9月15日 | 56 | ドラム | ジャズ | br |
ヒューイ・ピアノ・スミス
Huey Piano Smith |
1934年1月26日 | 2023年2月13日 | 89 | ピアノ | R&B | us |
シダー・ウォルトン
Cedar Walton アメリカのジャズピアニスト・作曲家。ケニー・ドーハムのバンドを経て、1960年ジョン・コルトレーン『Giant Steps』に参加。1961年ジャズ・メッセンジャーズに加入。
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1934年1月17日 | 2013年8月19日 | 79 | ピアノ | ジャズ | us |
1934年1月5日 | 2013年3月30日 | 79 | プロデュース | za |
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ルー・レイズナー
Lou Reizner |
1934年 | 1977年6月26日 | 43 | プロデュース | ロック | us |
ジョニー・ハモンド・スミス
Johnny Hammond Smith |
1933年12月16日 | 1997年6月4日 | 63 | オルガン | ジャズ | us |
1933年12月1日 | 2006年1月6日 | 72 | 男性歌手 | R&B | us |
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イングランドのミュージシャン。アレクシス・コーナー (1928–1984) の影響を受け、1962年に John Mayall & The Bluesbreakers を結成。エリック・クラプトン、ジャック・ブルース(ともにクリーム)、ピーター・グリーン、ミック・フリートウッド、ジョン・マクヴィー(ともにフリートウッド・マック)ミック・テイラー(ローリング・ストーンズ)、ハーヴィー・マンデル、ラリー・テイラー(ともにキャンド・ヒート)、アンディ・フレイザー(フリー)、エインズレー・ダンバー(マザーズ・オブ・インヴェンション、ジャーニー、ホワイトスネイク)、ジョン・ハイズマン(コロシアム)らを輩出し、イギリスのブルース・ロック・ブームを牽引した。
See Also
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1933年11月29日 | 2024年7月22日 | 90 | ギター | ブルース | eg |
1933年11月3日 | 2011年1月30日 | 77 | 作曲家 | 映画音楽 | eg |
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ゲイリー・マクファーランド
Gary McFarland アメリカの作曲家・編曲家・指揮者・ヴィブラフォン奏者。オーケストラを率いアントニオ・カルロス・ジョビンと共演し、アメリカでのボサノヴァ普及に貢献した。『The In Sound』(1966) にバークリー留学中だった渡辺貞夫の参加。1968年、ノーマン・シュワルツ、ガボール・ザボ、カル・ジェイダーらと Skye Records 設立。ソフトロックの名盤ウェンディ&ボニー『Genesis』(1969) をプロデュースした。 グラミー賞ノミネート4回
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1933年10月23日 | 1971年11月2日 | 38 | ビブラフォン | ジャズ | us |
アル・シャックマン
Al Schackman |
1933年10月5日 | 1933年10月5日 | ギター | ジャズ | us |
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ロニー・ロス
Ronnie Ross |
1933年10月2日 | 1991年12月12日 | 58 | サックス | ジャズ | us |
シシー・ヒューストン
Cissy Houston アメリカのゴスペルシンガー。ホイットニー・ヒューストンと元NBA選手ゲイリー・ガーランドの母。歌手のディオンヌ・ワーウィックとディー・ディー・ワーウィックの叔母、オペラ歌手レオンタイン・プライスの従妹。エルヴィス・プレスリー、ジミ・ヘンドリックスらのバックコーラスを経て、1963年にソロデビュー。1970年代はハービー・マンと組み、ディスコソングをヒットさせた。『Face to Face』(1996) 『He Leadeth Me』(1997) でグラミー賞を受賞した。 グラミー受賞2回・ノミネート2回 |
1933年9月30日 | 2024年10月7日 | 91 | 女性歌手 | ゴスペル | us |
ジーン・ハリス
Gene Harris |
1933年9月1日 | 2000年1月16日 | ピアニスト | ジャズ | us |
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アメリカの偉大なジャズサックス奏者。1959年にジャズ・メッセンジャーズ、1964年にマイルス・デイヴィス・クインテットに参加。1970年、ジョー・ザヴィヌルらとウェザー・リポート結成し、15年間在籍した。1975年、ブラジルの歌手ミルトン・ナシメントを迎え名盤『Native Dancer』をリリースした。ロックミュージシャンとも共演も多く、イーグルスのドン・ヘンリー「The End of the Innocence」(1989)、ローリング・ストーンズ『Bridges to Babylon』(1997) などに参加した。 グラミー受賞12回・ノミネート23回(2024年時点) |
1933年8月25日 | 2023年3月2日 | 89 | サックス | ジャズ | us |
ランディ・スパークス
Randy Sparks アメリカのシンガーソングライター・俳優。1961年、フォーク合唱団「ニュー・クリスティ・ミンストレルズ」を結成。デビューアルバム『Presenting the New Christy Minstrels』(1962) がグラミーを受賞し、ビルボード200アルバムチャートに2年間留まった。アルバムからは日本の音楽教科書にも掲載された「グリーングリーン」の原曲「Green, Green」など、さまざまな曲がヒット。音楽活動と並行していくつかの映画に出演した。
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1933年7月29日 | 2024年2月11日 | 90 | 男性歌手 | フォーク | us |
ロンドン出身のクラシックギタリスト。卓越したテクニックでキング・クリムゾンのロバート・フリップが愛聴。オーストラリアのクラシック・ギター奏者ジョン・ウィリアムスとのデュオは、20世紀屈指の女性ギタリストのイダ・プレスティ&アレクサンドル・ラゴヤやアサド兄弟と並ぶ20世紀の代表的ギター・デュオとして記憶されている。
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1933年7月15日 | 2020年8月14日 | 87 | ギター | クラシック | eg |
ラシッド・アリ
Rashied Ali アメリカのジャズ・ドラマー。ジョン・コルトレーン最後のスタジオ・アルバム『Expression』(1967) やアリス・コルトレーンとの演奏で知られている。本名ロバート・パターソン (Robert Patterson)。退役後、フィリー・ジョー・ジョーンズに師事しソニー・ロリンズとツアーを開始。1985年、ゼア・ゴーズ・ザ・ネイバーフッド (There Goes the Neighborhood) 結成 (Rashied Ali, Jaco Pastorius, Jorma Kaukonen, Doug McClean, Whitie Melvin, Ben Prevo)。灰野敬二、ビル・ラズウェルとともに前衛音楽バンド「パープル・トラップ」(Purple Trap) を結成し『Decided...Already the Motionless Heart of Tranquility, Tangling the Prayer Called "I"』(1999) をリリースした。
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1933年7月1日 | 2009年8月12日 | 76 | ドラム | ジャズ | us |
1933年5月3日 | 2006年12月25日 | 73 | 男性歌手 | ファンク | us |
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1933年4月29日 | 1933年4月29日 | 男性歌手 | カントリー | us |
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1933年4月25日 | 2011年8月22日 | 78 | 作詞家 | ポップ | us |
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モンセラート・カバリェ
Montserrat Caballé スペインのオペラ歌手(ソプラノ)。優れたベルカント歌唱技術とロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティらのベルカント・オペラの諸役での優れた歌唱で名高い。
カバリェを尊敬していたフレディ・マーキュリーとのデュエット「Barcelona」は1992年バルセロナオリンピックのテーマソングとなった。
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1933年4月12日 | 2018年10月6日 | 85 | 女性歌手 | オペラ | es |
アメリカのプロデューサー、レコーディング・エンジニア。1960–1970年代にかけて、フィフス・ディメンション、アソシエイション、ママス&パパスなど、サンシャイン・ポップのヒット曲、オーネット・コールマン、アーマッド・ジャマル、エルヴィス・プレスリー、ジェリー・リー・ルイス、モンキーズ、タートルズ、トム・ウェイツ、アラン・プライスなどを手掛けた。
グラミー受賞 1回・ノミネート 7回(2024年時点) エンジニア
プロデュース
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1933年3月18日 | 1933年3月18日 | プロデュース | us |
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1933年3月14日 | 1933年3月14日 | プロデュース | ジャズ | us |
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1933年3月13日 | 1933年3月13日 | 作曲家 | ポップス | us |
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マイケル・ジェフリー
Mike Jeffery
イングランドの音楽マネージャー。チャス・チャンドラー(元アニマルズ)と共同でジミ・ヘンドリックスやアニマルズのマネージメントを行った。ニューカッスル大学卒業後、ニューカッスルの「マリンバコーヒーハウス」と「ダウンビート・ジャズ・クラブ」のオーナー兼マネージャーとして音楽のキャリアを開始。ダウンビート・ジャズ・クラブには、エリック・バードンやアラン・プライス・コンボなどの地元ミュージシャンが出演していたが、クラブが消防法によって閉鎖された後、両店舗は全焼した(バードンはジェフリーが保険金目当てで燃やしたと主張)。
その後、ジェフリーは共同で「クラブ・ア・ゴーゴー」をオープン。キャプテン・ビーフハート、クリーム、フリートウッド・マック、グラハム・ボンド・オーガニゼーション、ハウリン・ウルフ、ジェフ・ベック、ジミ・ヘンドリックス、ジョン・リー・フッカー、ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ、ピンク・フロイド、ローリング・ストーンズ、ザ・フー、ヤードバーズ、スティング、ブライアン・フェリーなどのコンサートが開催された。 アニマルズ ハウスバンドのアニマルズ「Club A Go Go」(1965) がヒットし、ニューカッスルで最も有名な会場となった。アニマルズが世界的なグループになると、ハウスバンドはジュンコ・パートナーズに交代した。ジェフリーはアニマルズとマネージメント契約し、コロムビア・レコードとレコーディング契約。ミッキー・モストによるプロデュースで「The House Of The Rising Sun」(1964) が全米1位・全英1位を獲得し世界中で大ヒットしたものの、収益のほとんどをジェフリーが横領されたとメンバーが主張し、アニマルズはめちゃくちゃになった。1968年、新生アニマルズがにはケビン・デヴェリッチがマネージャーに就任した。ジミ・ヘンドリックス 1966年にアニマルズのメンバーが入れ替わり、ベーシストだったチャス・チャンドラーはタレントスカウト・マネージャーに転向した。以前、アニマルズでアメリカをツアー中「Cafe Wha?」で見たつけた「ジミー・ジェイムス」に改名してイギリスで活動するよう説得した。その無名のギタリストは「ジミ・ヘンドリックス」と改名し、イギリスへ渡った。チャンドラーはイギリスで「ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス」を立ち上げるために資金援助を必要で、非常に複雑な気持ちでマイケル・ジェフリーとパートナーシップを組んだ。チャンドラーがジミをプロデュースする間、ジェフリーはビジネスを担当した。ここでもジェフリーはバンドの収入の多くを横領し、海外の銀行口座に流用したという。1973年「ナント空中衝突事故」により39歳で他界。2006年、ジェフリーの遺産が1500万ドルで競売にかけられ、その中には「Purple Haze」や「Voodoo Child (Slight Return)」などの権利も含まれていた。ジミの家族が設立した会社「エクスペリエンス・ヘンドリックス」は、これらの曲の権利は自分たちが所有していると訴訟を起こすつもりだと述べた。 |
1933年3月13日 | 1973年3月5日 | 39 | マネージャー | ロック | eg |
ロイド・プライス
Lloyd Price ルイジアナ州のR&B/ロックンロール歌手。1952年「Lawdy Miss Clawdy」が大ヒットし人気歌手となった。1967年、伝説のジャズクラブ「バードランド」の跡地を取得し「ターンテーブル」をオープンした。1970年代はドン・キングに協力しモハメド・アリとジョージ・フォアマンの試合や、ジェームス・ブラウンとBBキングなどのプロモートを行った。1993年にジェリー・リー・ルイス、リトル・リチャードらとヨーロッパツアーを行い、2005年にジェリー・バトラー、ジーン・チャンドラー、ベン・E・キングと共にツアーに参加した。1998年、ロックの殿堂入り。
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1933年3月9日 | 2021年5月6日 | 88 | 男性歌手 | R&B | us |
トミー・タッカー
Tommy Tucker |
1933年3月5日 | 1982年1月22日 | 48 | 男性歌手 | ブルース | us |
ジミー・ギャリソン
Jimmy Garrison アメリカのジャズ・ダブルベース奏者。1961年から1967年まで<ジョン・コルトレーン・カルテットに加入し、マッコイ・タイナー (P) とエルヴィン・ジョーンズ (Dr) と共にコルトレーンを支えた。
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1933年3月3日 | 1976年4月7日 | 43 | ベース | ジャズ | us |
アーニー・ケイドー
Ernie K-Doe |
1933年2月22日 | 2001年7月5日 | 68 | 男性歌手 | R&B | us |
アメリカの偉大なジャズシンガー・ピアニスト・作曲家・編曲家。クラシック、ゴスペル、ブルース、フォークなど幅広い音楽性、ショパン、リスト、ラフマニノフなどをレパートリーした高度な演奏力に加え深遠な表現力を有した。ローリング・ストーン誌「偉大な200人のシンガー」2023年21位。本名はユニース・キャスリン・ウェイモン (Eunice Kathleen Waymon) といい、ノースカロライナ州トライオンの貧しい家庭に生まれた。幼い頃からピアノの才能を発揮し、地元の教会で演奏。12歳の時にクラシック音楽のリサイタルでコンサートデビューした。バッハに心酔し、コンサートピアニストを志しジュリアード音楽院に入学。個人レッスンの費用を捻出するためナイトクラブでピアノを弾き生計を立て、家族にばれないようボーイフレンドがつけたあだ名「ニーナ」とフランスの女優シモーヌ・シニョレに因んで「ニーナ・シモン」と名乗った。
1959年、デビューアルバム『Little Girl Blue』から「I Loves You, Porgy 」(作詞:アイラ・ガーシュウィン/作曲:ジョージ・ガーシュウィン)が全米18位・R&Bチャート2位を記録し、人生最大のヒットとなったが、彼女は権利を3,000ドルで売却していたため、100万ドル以上の印税を失ったという。1963年4月12日には念願のカーネギーホールでコンサートを行い、アルバム『Nina Simone at Carnegie Hall』(1963) に収録された。 公民権運動に熱心になり、1968年に友人のマーティン・ルーサー・キング・ジュニアが暗殺された後、娘や夫を捨てヨーロッパ、アフリカ、カリブ海諸国を転々とし演奏活動を行った。1973年10月に日本公演を行い、観賞した浅川マキや尾崎紀世彦は強烈な衝撃を受けたという。日本公演は『Nina Simone In Japan』(2010) に収録された。 1987年、女優キャロル・ブーケを起用したシャネルNo.5のCMに「My Baby Just Cares for Me」(1958) が使用され、ヨーロッパで大ヒットを記録し人気が急上昇した。 非常に気性が荒く、公衆電話を壁から引きちぎる、銃を発砲するなどさまざまなエピソードがある。生前グラミー賞に2回ノミネートされたが、ともにアレサ・フランクリン(1942年3月25日–2018年8月16日)に敗れた。32枚のスタジオアルバムを録音。晩年は乳がんを患い、睡眠中に他界するまで演奏活動を続け、観客を魅了し続けた。結婚歴多数で、娘は歌手のリサ・シモン。 グラミー賞ノミネート
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1933年2月21日 | 2003年4月21日 | 70 | 女性歌手 | ジャズ | us |
オノ・ヨーコ
Yoko Ono
日本出身の前衛芸術家・音楽家・平和運動活動家。ジョン・レノンの妻として世界的に有名。
グラミー受賞 2回・ノミネート 5回(2024年時点)
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1933年2月18日 | 1933年2月18日 | 女性歌手 | 実験音楽 | jp |
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サッシャ・ディステル
Sacha Distel |
1933年1月29日 | 2004年7月22日 | 71 | 男性歌手 | ポップ | fr |
ジャン・ルイ・ヴィアール
Jean-Louis Viale フランスのジャズドラマー。フランスの名ギタリスト、サッシャ・ディステルやクリフォード・ブラウン、スタン・ゲッツ、セロニアス・モンク、ジャンゴ・ラインハルト、チェット・ベイカーやと共演した。
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1933年1月22日 | 1984年5月10日 | 51 | ドラム | ジャズ | fr |
カーティス・フラー
Curtis Fuller アメリカのモダンジャズのトロンボーン奏者。ソウル・ジャズの「Five Spot After Dark」が有名。ユセフ・ラティーフのバンドに参加し、1957年にプレスティッジ・レコードに初リーダーアルバムを録音し、同年ジョン・コルトレーン『Blue Train』に参加。1961年から1965年までジャズ・メッセンジャーズに所属。
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1932年12月15日 | 2021年5月8日 | 88 | トロンボーン | ジャズ | us |
ドナルド・バード
Donald Byrd |
1932年12月9日 | 2013年2月4日 | 80 | ジャズ | us |
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エセル・エニス
Ethel Ennis |
1932年11月28日 | 2019年2月17日 | 86 | 女性歌手 | ジャズ | us |
ビリー・ワード&ザ・ドミノス、ドリフターズの元シンガー。1953年、ドリフターズを結成するためビリー・ワード&ザ・ドミノスを脱退。後任にジャッキー・ウィルソンが加入した。同年「Money Honey」R&Bチャート23週間1位・売上200万枚。エルヴィス・プレスリーやリトル・リチャードによってカバーされ、ローリング・ストーン誌誌「偉大な500曲」252位。
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1932年11月15日 | 1972年6月13日 | 39 | 男性歌手 | R&B | us |
1932年11月15日 | 1932年11月15日 | 女性歌手 | ジャズ | eg |
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1932年9月8日 | 1963年3月5日 | 30 | 女性歌手 | カントリー | us |
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ウォルター・デイヴィス・ジュニア
Walter Davis Jr. |
1932年9月2日 | 1990年6月2日 | 57 | ピアノ | ジャズ | us |
トゥルーディ・ピッツ
Trudy Pitts |
1932年8月10日 | 2010年12月19日 | 78 | オルガン | ジャズ | us |
ドロシー・アシュビー
Dorothy Ashby アメリカのジャズ・ハープ奏者・作曲家。「1950年代の最も過小評価されたジャズの巨匠」「最も優れたモダン・ジャズ・ハープ奏者」と評され、バックグラウンド楽器として使われていたハープをジャズの即興楽器として確立。『The Rubaiyat of Dorothy Ashby』(1970) では日本の琴を使用した。ビル・ウィザース、スティーヴィー・ワンダー、ミニー・リパートン。ボビー・ウーマック、アンジー・ストーンらの名盤にクレジットされている。
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1932年8月6日 | 1986年4月13日 | 53 | ハープ | ジャズ | us |
ビッグ・ディー・アーウィン
Big Dee Irwin アメリカのR&Bシンガーソングライター。1963年にリトル・エヴァとのデュエットし「Swinging On A Star」全米38位・全英7位を記録。レイ・チャールズやボビー・ウーマックなどのソングライターとしても活動した。
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1932年7月6日 | 1995年8月27日 | 63 | R&B | us |
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ティナ・ブルックス
Tina Brooks アメリカのジャズサックス奏者。1951年、プロとして活動開始しライオネル・ハンプトンと共演し。1958年にブルーノートと契約し、ケニー・バレル、フレディ・ハバード、ジャッキー・マクリーン、フレディ・レッド、ジミー・スミスのアルバムに参加した。1961年に薬物依存で録音をやめ、肝臓障害で早世した。
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1932年6月7日 | 1974年8月13日 | 42 | サックス | ジャズ | us |
ボブ・ジョンストン
Bob Johnston |
1932年5月14日 | 2015年8月14日 | プロデュース | フォーク | us |
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ワルター・ワンダレイ
Walter Wanderley |
1932年5月12日 | 1986年9月4日 | 54 | オルガン | ボサノヴァ | br |
1932年4月26日 | 2018年11月7日 | 86 | 作曲家 | 映画音楽 | fr |
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スライド・ハンプトン
Slide Hampton |
1932年4月21日 | 2021年11月18日 | 89 | トロンボーン | ジャズ | us |
ジェリー・グラナハン
Gerry Granahan |
1932年4月20日 | 2022年1月10日 | 89 | プロデュース | us |
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アメリカを代表する伝説的なカントリー・ミュージック歌手。1960年、シングル「I'm a Honky Tonk Girl」でデビュー。7thアルバム『You Ain't Woman Enough 』(1966)、1967年、9thアルバム『Don't Come Home A' Drinkin' (With Lovin' on Your Mind) 』(1967) と「Fist City」(1968) 「Coal Miner's Daughter」(1970) などの16曲がカントリー・チャート1位を獲得。ドリー・パートン、タミー・ワイネットとのデュエットを含め70曲ものヒット曲をリリースした。1971年から1975年までコンウェイ・トゥイッティとデュエットを組み、5枚連続カントリー・チャート1位を獲得。グラミー賞をはじめ様々な賞を受賞し、カントリー史上最も成功したデュオのひとつとなった。1988年にはカントリーの殿堂入り。2010年、50年におよぶ活動でグラミー賞「特別功労賞生涯業績」を受賞した。2024年、孫娘エミー・ラッセルが『Amazing Auditions』に出場した。
グラミー受賞 3回・ノミネート 18回 |
1932年4月14日 | 2022年10月4日 | 90 | 女性歌手 | カントリー | us |
1932年4月4日 | 1932年4月4日 | プロデュース | us |
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ジュニア・パーカー
Junior Parker |
1932年3月27日 | 1971年11月18日 | 39 | 男性歌手 | ブルース | us |
イングランドのプロデューサー。1951年、EMIの宣伝部門に就職。1955年に同社がキャピトル・レコードを買収し、フランク・シナトラ、ペギー・リー、ディーン・マーティンなどのプロモーションを担当。その後、プロデューサーのノーマン・ニューウェルのアシスタントを経て、1960年代にブリティッシュ・インヴェイジョン初期のヒット曲をプロデュースした。
プロデュース作品
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1932年3月8日 | 2014年3月13日 | 82 | プロデュース | ポップ | eg |
ミリアム・マケバ
Miriam Makeba 南アフリカ共和国の歌手。「ママ・アフリカ」の名前でも知られている。1950年代にメンバー全員が女性によるグループ「ザ・スカイラークス」を結成し、西洋音楽と伝統的な南アフリカ音楽を融合。1959年、反アパルトヘイト映画『Come Back, Africa』に出演し国際的な注目を集めた。ロンドンでハリー・ベラフォンテと出会い、活動拠点をニューヨークに移してからすぐに人気を博した。1964年ヒュー・マセケラと結婚(1966年離婚)。1965年、ベラフォンテとのアルバム『An Evening with Belafonte/Makeba』でグラミー賞「最優秀フォークレコーディング省」を受賞。1967年には「Pata Pata」全米12位を記録した。 1968年、ブラックパンサー党の指導者ストークリー・カーマイケルと結婚し白人の支持を失い、海外旅行中に米国政府によってビザを取り消されギニアに移住。アパルトヘイトを批判した曲を書き、主にアフリカ諸国で演奏を続けた。 1990年にアパルトヘイトが廃止されると南アフリカに戻り、1991年にはニーナ・シモンやディジー・ガレスピーとアルバムをリリースした。2008年。イタリアでのコンサート中に心臓発作で亡くなった。 グラミー受賞 1回・ノミネート 9回 |
1932年3月4日 | 2008年11月10日 | 76 | 女性歌手 | マラビ | za |
アメリカのカントリーミュージックのシンガーソングライター・俳優。
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1932年2月26日 | 2003年9月12日 | 71 | 男性歌手 | カントリー | us |
1932年2月24日 | 2019年1月26日 | 86 | 作曲家 | 映画音楽 | fr |
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マーク・マーフィー
Mark Murphy |
1932年3月14日 | 2015年10月22日 | 83 | 男性歌手 | ジャズ | us |
ローランド・ハナ
Roland Hanna |
1932年2月10日 | 2002年11月13日 | 70 | ピアノ | ポップ | us |
リック・ホール
Rick Hall |
1932年1月31日 | 2018年1月2日 | 85 | プロデュース | R&B | us |
シリル・デイヴィス
Cyril Davies イングランドの初期のブルースシンガー・ハーモニカ奏者。純粋なブルースマンで、R&B化するブルース・インコーポレイテッドを脱退し自身のバンドを結成した。
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1932年1月23日 | 1964年1月7日 | 31 | 男性歌手 | ブルース | eg |
ジョニー・アダムス
Johnny Adams |
1932年1月5日 | 1998年9月15日 | 66 | 男性歌手 | R&B | us |
スコッティ・ムーア
Scotty Moore エルヴィス・プレスリーの伴奏で知られるアメリカのギタリスト。
1954年、行方不明になったヴォーカルの代理で参加したエルヴィス・プレスリー、ビル・ブラック(ベース)と3ピースバンド「The Blue Moon Boys」を組み(後にドラムのDJフォンタナが参加)、7月に発売した「That's All Right」(ブルース歌手アーサー・クルーダップのカバー)がヒット。1968年、プレスリーとの関係が自然消滅した後はスタジオミージシャンとしてジェリー・リー・ルイス、ロイ・オービソンらのレコーディングに多忙を極めた。RS誌「最も偉大のギタリスト」44位 (2003) 29位 (2011) 。2000年、ムーアがロックの殿堂入りを果たした翌日、ポール・マッカートニーとDJフォンタナの3人で「That's All Right」をレコーディングした。
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1931年12月27日 | 2016年6月28日 | 84 | ギター | ロック | us |
アラン・クレイン
Allen Klein |
1931年12月18日 | 2009年7月4日 | 77 | 実業家 | ロック | us |
ダニー・リッチモンド
Dannie Richmond |
1931年12月15日 | 1988年3月16日 | 56 | ドラム | ジャズ | us |
ウィントン・ケリー
Wynton Kelly アメリカのジャズピアニスト。1959–1963年、マイルス・デイヴィス・クインテットに参加。『Kind of Blue』収録「Freddie Freeloader」やジョン・コルトレーン「Naima」を演奏。
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1931年12月2日 | 1971年4月12日 | 39 | ピアノ | ジャズ | us |
ナット・アダレイ
Nat Adderley アメリカのコルネット奏者。「Work Song」(1960) の作曲者として知られ、ファンキー・ジャズを代表するプレイヤー。1954年、ライオネル・ハンプトン楽団での活動を経て、1955年に兄キャノンボール・アダレイとバンドを結成。長きに渡って兄をサポートした。
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1931年11月25日 | 2000年1月2日 | 68 | コルネット | ジャズ | us |
1931年11月5日 | 2007年12月12日 | 76 | ギター | R&B | us |
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フィル・ウッズ
Phil Woods |
1931年11月2日 | 2015年9月29日 | 83 | サックス | ジャズ | us |
ハロルド・バティスト
Harold Battiste |
1931年10月28日 | 2015年6月19日 | 83 | サックス | ジャズ | us |
アンソニー・ニューリー
Anthony Newley 「イギリスのアル・ジョルソン」と呼ばれ、歌・舞台・映画で成功を収めたイギリスの俳優・歌手・作詞家・映画製作者。1959–1962年にかけて全英1位2曲を含む12曲を全英TOP 40に送り込み、サミー・デイヴィス・ジュニア「 What Kind of Fool Am I?」(1962) でグラミー賞最優秀楽曲賞を受賞。「Feeling Good 」(1964) を作曲しニーナ・シモン、ジョン・コルトレーンらがカバーした。彼の曲はトニー・ベネット、バーブラ・ストライサンド、マイケル・ブーブレ、マライア・キャリー、フィオナ・アップルなど、さまざまな歌手に歌われている。
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1931年9月24日 | 1999年4月14日 | 67 | 作詞家 | ジャズ | eg |
リトル・ウィリー・リトルフィールド
Little Willie Littlefield |
1931年9月16日 | 2013年6月23日 | 81 | 男性歌手 | R&B | us |
リッチー・パウエル
Richie Powell |
1931年9月5日 | 1956年6月26日 | 24 | ピアノ | ジャズ | us |
ジョージ・バトラー
George Butler アメリカの著名なジャズ・プロデューサー、A&Rマン。1960–1990年代にかけてブルーノート、コロムビア、ユナイテッドアーティスツで著名アーティストと契約。ハワード大学で学んだ後、コロンビア大学で音楽教育の修士号を取得。1980年にマイルス・デイヴィスを説得しレコーディングに復帰させた。
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1931年9月2日 | 2008年4月9日 | 76 | プロデュース | ジャズ | us |
フランスのジャズピアニスト、編曲家、作曲家。ボリス・ヴィアンとセルジュ・ゲンズブールのサイドマンとして著名。1965年「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」で優勝したフランス・ギャル「夢見るシャンソン人形」(Poupée de cire, poupée de son) のオーケストラ指揮者を務めた。1973年、ルネ・ラルー監督のアニメ映画『ファンタスティック・プラネット』(La Planète Sauvage) の音楽を担当した。
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1931年8月20日 | 2023年2月13日 | 91 | ピアノ | ジャズ | fr |
ランブリン・ジャック・エリオット
Ramblin' Jack Elliott |
1931年8月1日 | 1931年8月1日 | 男性歌手 | フォーク | us |
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1931年7月31日 | 1931年7月31日 | ギター | ジャズ | us |
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ソニー・クラーク
Sonny Clark |
1931年7月21日 | 1963年1月13日 | 31 | ピアノ | ジャズ | us |
アラン・ダクラス
Alan Douglas
アメリカのロシア系ユダヤ人移民の音楽プロデューサー、ダグラス・レコードの経営者。マイルス・デイヴィス、ジミ・ヘンドリックス、ジョン・マクラフリンの他、デューク・エリントン、マックス・ローチ、チャールズ・ミンガス『マネー・ジャングル』を手掛け、ニューポート・ジャズ・フェスティバルの創設者ジョージ・ウェインが「ジャズ史上最高のピアノ・トリオ・レコーディングの一つ」と評した。ジミ・ヘンドリックスの死後、未発表音源のプロデュース権を獲得し、リリースした『Crash Landing』と『Midnight Lightning』は物議をかもした。1995年、ジミの父アルにアーカイブの管理権を譲渡。法廷闘争の末、ジミの著作をまとめた『Starting At Zero』を出版した。
プロデュース作品
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1931年7月20日 | 2014年6月7日 | 82 | プロデュース | ロック | us |
1931年6月10 | 2019年7月6日 | 88 | 男性歌手 | ボサノヴァ | br |
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シャーリー・ベレット
Shirley Verrett |
1931年5月31日 | 2010年11月5日 | 79 | 女性歌手 | オペラ | us |
アメリカのジャズ・サックス奏者。マイルス・デイヴィス『Dig』、チャールズ・ミンガス『直立猿人』、ソニー・クラーク『Cool Struttin'』に参加。16歳の天才ドラマー、トニー・ウィリアムスをスカウトした。
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1931年5月17日 | 2006年3月31日 | 74 | ピアノ | ジャズ | us |
アメリカのジャズ・ポップス歌手。1950年代のアメリカで大人気を博し約600曲をレコーディングした。高校生のエルヴィス・プレスリーが初めて公の場で歌ったひとつは、1952年に全米1位を獲得したテレサの「Till I Waltz Again With You」(邦題「思い出のワルツ」)である。ルイ・アームストロングの名曲「What a Wonderful World」(1967・邦題「この素晴らしき世界」)を作詞作曲した大物プロデューサー、ボブ・シールと再婚した。
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1931年5月7日 | 2007年10月17日 | 76 | 女性歌手 | ポップ | us |
リチャード・グルーヴ・ホームズ
Richard Groove Holmes |
1931年5月2日 | 1991年6月29日 | 60 | オルガン | ジャズ | us |
アメリカの大物プロデューサー。セシル・テイラー、ボブ・ディラン、アニマルズ、サイモン&ガーファンクル、アニマルズ、フランク・ザッパ、ヴェルベット・アンダーグラウンド、コニー・フランシス、ジョン・メイヨールのプロデュースで有名。ハーバード大学を優秀な成績で卒業。1955年にトランジション・レコードを設立し、サン・ラやセシル・テイラーなど15枚のアルバムをリリースしたが、1957年に倒産。カタログはブルーノート・レコードとデルマーク・レコードに売却された。同年、ユナイテッド・アーティスツ・レコードに就職し、傘下のサヴォイ・レコードで再びサン・ラをレコーディングした。1963年、ジョン・ハモンド に代わってボブ・ディランをプロデュース。1966年、ヴァーヴ・レコードと契約し、マザーズ・オブ・インベンションやヴェルヴェット・アンダーグラウンドをプロデュースした。1978年9月6日、心筋梗塞のため他界。47歳没。
プロデュース作品
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1931年3月25日 | 1978年9月6日 | 47 | プロデュース | ジャズ | us |
ポール・モチアン
Paul Motian |
1931年3月25日 | 2011年11月22日 | 80 | ドラム | ジャズ | us |
DJフォンタナ
DJ Fontana |
1931年3月15日 | 2018年6月13日 | 87 | ドラム | ロック | us |
アメリカの著名な音楽エグゼクティブ・映画プロデューサー。ルイ・アームストロングのマネージャーとして有名なジョー・グレイザーの元でキャリアを磨いた後、リトル・ウィリー・ジョン、サラ・ヴォーン、ルイス・ボンファ、ウィントン・ケリー、フレディ・ハバード、カーティス・フラー、トム・ウィルソン、クリード・テイラー、ジミー・スミス、ラロ・シフリンのマネージメントを行った。
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1931年2月25日 | 2023年8月13日 | 92 | プロデュース/td> | R&B | us |
アメリカの大物興行主。ドイツでユダヤ人の家庭に生まれ、母親はアウシュビッツで殺害され、10歳の時に移民として渡米。黒人プロモーターのチャールズ・サリバン(歴史的なライブハウス「フィルモア」のマスターリースを所有し、デューク・エリントンやジェームス・ブラウンをブッキングしていた)と組み、「サンフランシスコ・マイム劇団」の興行を成功させプロモーター業を開始。
1965年頃に「フィルモア」を所有し、1960年代にグレイトフル・デッド、ジェファーソン・エアプレイン、ジャニス・ジョプリンらのマネージメントを請け負った。1973年にステージングを担当した「Summer Jam at Watkins Glen」には60万人以上のチケット購入者が集まった。晩年はアップルの共同創業者スティーブ・ウォズニアックと仕事をした。 グレアムは性格俳優になることが夢で、『地獄の黙示録』 (1979) でプロモーター役、『バグジー』(1991) ではチャーリー・ルチアーノ役を演じた。1991年10月25日、ヒューイ・ルイス & ザ・ニュースのコンサートから帰宅途中、ヘリコプター墜落事故で他界。1992年、ノンパフォーマー部門で「ロックの殿堂」入りを果たした。 |
1931年1月8日 | 1991年10月25日 | 60 | プロモーター | de |
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ボビー・ボイル
Bobbi Boyle |
1931年 | 2009年7月23日 | 78 | 女性歌手 | ジャズ | us |
セバスティアン・ネト
Sebastião Neto |
1931年 | 2001年6月13日 | 69 | ベース | ボサノヴァ | br |
ジム・ホール
Jim Hall |
1930年12月4日 | 2013年12月10日 | 83 | ギター | ジャズ | us |
マット・モンロー
Matt Monro |
1930年12月1日 | 1985年2月7日 | 54 | 男性歌手 | ジャズ | eg |
1930年10月30日 | 1956年6月26日 | 25 | トランペット | ジャズ | us |
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ロバート・パーカー
Robert Parker |
1930年10月14日 | 2020年1月19日 | 89 | 男性歌手 | R&B | us |
デル・ニューマン
Del Newman イングランドの指揮者・編曲家・プロデューサー。1960–1990年代にかけて、ジョージ・ハリスン、エルトン・ジョン、カーリー・サイモン、ロッド・スチュワート、ポール・サイモン、キャット・スティーヴンス、ピーター・フランプトン、ハリー・ニルソン、10ccなど、ミュージシャンや映画音楽などのオーケストラ編曲を手掛けた。映画『007 死ぬのは奴らだ』(1973) 主題歌ポール・マッカートニー&ウイングス「Live And Let Die」(プロデュース:ジョージ・マーティン)のオーケストラを指揮。マッカートニーのドキュメンタリー『One Hand Clapping』(1974) と2024年にリリースされたライブアルバム『One Hand Clapping』でもオーケストラを指揮した。
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1930年10月5日 | 2020年8月10日 | 89 | 編曲家 | eg |
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ムハル・リチャード・エイブラムス
Muhal Richard Abrams |
1930年9月19日 | 2017年10月29日 | 87 | ピアノ | ジャズ | us |
1930年9月7日 | 1930年9月7日 | サックス | ジャズ | us |
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ジャッキー・ブレンストン
Jackie Brenston |
1930年8月15日 | 1979年12月15日 | 49 | 男性歌手 | R&B | us |
ジャック・ドーハティ
Jack Daugherty |
1930年8月13日 | 1991年2月2日 | 60 | プロデュース | ポップ | us |
アビー・リンカーン
Abbey Lincoln |
1930年8月6日 | 2010年8月14日 | 80 | 女性歌手 | ジャズ | us |
アンディ・ホワイト
Andy White |
1930年7月27日 | 2015年11月9日 | 85 | ドラム | ロック | sc |
アニー・ロス
Annie Ross |
1930年7月25日 | 2020年7月21日 | 89 | 女性歌手 | ジャズ | eg |
アメリカのジャズピアニスト・作曲家・教育者。14歳の時にプロとしてピアノを弾き始め、音楽評論家スタンリー・クラウチは「45年以降のジャズでチャーリー・パーカーに次ぐ重要」と評し、アート・テイタムは「次代の大物」と絶賛。ブルーノートと長期契約していたが、演奏を見た大物プロデューサーのジョン・ハモンド がコロムビア傘下オーケー・レコードと契約させた。『The Piano Scene of Ahmad Jamal』(1959) から『Ballades』(2019) まで多数のリーダー・アルバムを録音。マイルス・デイヴィスはジャマルのリズム感覚・空間の捉え方・タッチの軽やかさ・控えめな表現に感銘し影響を受けたという。
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1930年7月2日 | 2023年4月16日 | 92 | ピアノ | ジャズ | us |
エリック・モーズホルム
Erik Moseholm |
1930年5月13日 | 2012年10月12日 | 82 | ベース | ジャズ | dk |
リトル・ウォルター
Little Walter |
1930年5月1日 | 1968年2月15日 | 37 | ハーモニカ | ブルース | us |
ボビー・マーシャン
Bobby Marchan |
1930年4月30日 | 1999年12月5日 | 69 | 男性歌手 | R&B | us |
クラウス・オガーマン
Claus Ogerman |
1930年4月29日 | 2016年3月8日 | 85 | 編曲 | ジャズ | de |
1930年4月17日 | 2021年4月26日 | 91 | エンジニア | us |
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1930年4月16日 | 2003年7月1日 | 73 | フルート | ジャズ | us |
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ロルフ・ハリス
Rolf Harris オーストラリア出身のテレビ司会者・俳優・歌手・ソングライター・画家。21歳で渡英し1950年代後半から子供番組の出演で人気を集めた。ミュージシャンとしては「Tie Me Kangaroo Down Sport」(1962年・邦題「悲しきカンガルー」)やビートルズのトリビュート・ソング「Ringo For President」(1964) がヒットし「グラストンベリー・フェスティバル」に5度出演した。画家としても才能を発揮し、エリザベス女王の公式肖像画を描き2005年には大英帝国勲章第3位(CBE)を受勲。2011年には「イギリスでもっとも売れた作家」となった。晩年はファミリーや子供向けのテレビや映画で「名おじいちゃん俳優」として活躍していたが、2014年に強制わいせつ罪で有罪判決を受け2017年に仮釈放された。
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1930年3月30日 | 2023年5月10日 | 93 | 男性歌手 | ポップ | au |
トミー・フラナガン
Tommy Flanagan アメリカのジャズ・ピアニスト。ソニー・ロリンズ『Saxophone Colossus』(1956)、ジョン・コルトレーン『Giant Steps』(1959) などの名盤に参加。 グラミー賞ノミネート4回 |
1930年3月16日 | 2001年11月16日 | 71 | ピアノ | ジャズ | us |
ブルー・ミッチェル
Blue Mitchell |
1930年3月13日 | 1979年5月21日 | 49 | トランペット | ジャズ | us |
オーネット・コールマン
Ornette Coleman アメリカのジャズ・サックス奏者。フリージャズの先駆者として『The Shape of Jazz to Come』(1959) をリリースし、一大センセーションを巻き起こした(RS誌「オールタイム・グレイテスト・アルバム500」248位)。息子はジャズドラマーのデナード・コールマン(1956年4月19日生まれ)で、オーネットの『The Empty Foxhole』(1966) などリーダー作多数で共演。
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1930年3月9日 | 2015年6月11日 | 85 | サックス | ジャズ | us |
デレク・ベイリー
Derek Bailey イングランドの即興ジャズ・ギタリスト。1966年にロンドンに移りジョン・スティーヴンスの率いる「スポンティニアス・ミュージック・アンサンブル」のレギュラー・メンバーとなった。
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1930年1月29日 | 2005年12月25日 | 75 | ギター | ジャズ | eg |
オンジー・マシューズ
Onzy Matthews アメリカのジャズピアニスト・歌手・編曲家・作曲家・俳優。1960年代はじめにビッグバンド結成。ルー・ロウルズ、レイ・チャールズ、アール・ハインズ、ロイ・エアーズらの編曲を手掛けた。映画『ディンゴ』 にトランペッターのシーザー役で出演。
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1930年1月15日 | 1997年11月13日 | 67 | ピアノ | ジャズ | us |