世界のミュージシャン 1930s

World Musicians

名前👤 誕生日⏳ 命日⌛ 年齢❤ パート🎷 ジャンル📖 出身🌏
フェリックス・パパラルディ ★

Felix Pappalardi

アメリカの音楽プロデューサー、作詞家、歌手、ベーシスト。ミシガン大学でクラシック音楽を学び、編曲家として活動した。
  • 1967年 クリーム 2ndアルバム『Disraeli Gears』全米1位 作詞・編曲・プロデュース
  • 1969年 マウンテン結成。
  • 1970年 「Mississippi Queen」全米21位 
  • 1976年 マウンテンの前座を務めた竹田一夫のバンド「クリエイション」と共に『Creation with Felix Pappalardi』を録音。
  • 1983年 4月17日 ガールフレンドと会って早朝に帰宅したところを妻ゲイル・コリンズに射殺された。ソングライター・ヴィジュアルアーティストの彼女は、さまざまな作品でクレジットされている。
1939年12月30日 1983年4月17日 43 プロデュース ロック

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フィル・スペクター ★★★

Phillip Spector

アメリカの伝説的なユダヤ系音楽プロデューサー。「ロックンロールの狂気の天才」と呼ばれ、歴史的な名作の数々をプロデュースした。
  • 1957年 テディ・ベアーズ結成。
  • 1958年 「To Know Him Is To Love Him」3週間全米1位
  • 1960年 ジェリー・ライバーとマイク・ストーラーに弟子入り。
  • 1961年 20歳でフィレス・レコードをレスター・シルと共同設立。最強のポップ・レーベルと呼ばれ、超一流セッション・ミュージシャンを集めたレッキング・クルーを結成し、何百曲もレコーディングした。スペクターが追及した究極的なサウンドは「ウォール・オブ・サウンド」と呼ばれ、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンらに絶大な影響を与えた。
  • 1969年 映画『イージーライダー』に出演(帽子をかぶり黄色いレイバンを掛けたヘロインを買う男)。
  • 1989年 ロックの殿堂入り
  • 1997年 ソングライターの殿堂入り
  • 2003年 女優ラナ・クラークソンを銃殺。
  • 2021年 収監中に新型コロナウイルス感染症の合併症により81歳で他界。

プロデュース作品

  • 1961年 クリスタルズ「There's No Other (Like My Baby)」(Philles) 全米20位。
  • 1962年 クリスタルズ「TUptown」(Philles) 全米13位・R&B18位
  • 1962年 クリスタルズ「He's a Rebel」(Philles) 全米1位
  • 1962年 ボブ・B・ソックス&ザ・ブルー・ジーンズ「Zip-a-Dee Doo-Dah」(Philles) 全米8位・R&B7位
  • 1963年 クリスタルズ「Then He Kissed Me」(Philles) 全米6位
  • 1963年 ロネッツ「Be My Baby」(Philles) 全米2位・全英4位 ローリング・ストーン誌「偉大なガールズグループソング」2017年1位、「史上最高の曲」2021年22位
  • 1964年 ライチャス・ブラザーズ「You've Lost That Lovin' Feelin'」(Philles) 全米1位・全英1位 「20世紀にアメリカのテレビやラジオで最もオンエアされた100曲」800万回以上1位
  • 1970年 ビートルズ 13thアルバム『Let It Be』(Apple) 全米1位・全英1位
  • 1970年 ジョージ・ハリスン『All Things Must Pass』(Apple) 全米1位・全英1位
  • 1970年 ジョン・レノン 1stアルバム『John Lennon/Plastic Ono Band』(Apple) 全米6位・全英8位
  • 1971年 ジョン・レノン 2ndアルバム『Imagine』(Apple) 全米1位・全英1位
  • 1972年 ジョン・レノン&プラスティック・オノ・バンド 3rdアルバム『Sometime In New York City』(Apple) 全米48位・全英11位
  • 1974年 ジョン・レノン 5thアルバム『Rock 'n' Roll』(Apple) 全米6位・全英10位
  • 1980年 ラモーンズ 5thアルバム『End Of The Century』(Sire) 全米44位・全英14位

トリビア

  • シェールはスペクターが手掛けた数々の名曲でバックコーラスを務めた。
  • ソニー・ボノはスペクターのアシスタントを務めた後、1964年に2番目の妻シェールと「ソニー&シェール」を結成し大人気を博した。
  • レオン・ラッセルはレッキング・クルーのメンバーとして数々の作品に参加。
  • ジョン・レノンやレナード・コーエンに拳銃を突き付けるなど奇行が目立ち、ラモーンズ『End Of The Century』(1980) をプロデュースし第一線から退いた。
  • フィル・スペクターが収監されたカリフォルニア州のコーコラン刑務所には、シャロン・テート殺人事件で全米を震撼させたチャールズ・マンソンと、ロバート・ケネディ暗殺犯のサーハン・ベシャラ・サーハンがいた。マンソンは敬愛するスペクターに面会を求めたが、スペクターは恐怖におののいたという。
    ▶ 詳細 テリー・メルチャー内チャールズ・マンソンの項目
1939年12月26日 2021年1月16日 81 プロデュース ポップ

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ドン・アライアス

Don Alias

アメリカのジャズ・パーカッション奏者。マイルス・デイヴィス、デイヴィッド・サンボーン、ジャコ・パストリアス、ジョニ・ミッチェル、ハービー・ハンコック、パット・メセニーらとの仕事が有名。
1939年12月25日 2006年3月29日 66 パーカッション ジャズ

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ボブ・ジェームス ★

Bob James

アメリカのピアニスト、音楽プロデューサー、作曲家、編曲家。コンテンポラリー・ジャズ、フュージョンを代表するキーボーディストの一人。
グラミー受賞 2回・ノミネート 19回(2024年時点)
  • 1980年 『One On One』アール・クルーとの共作 グラミー賞「最優秀ポップ・インストゥルメンタル・パフォーマンス」受賞
  • 1986年 『Double Vision』デイヴィッド・サンボーンとの共作 グラミー賞「最優秀ジャズ/フュージョン・パフォーマンス」受賞。
  • 1990年 リー・リトナー 、ネイザン・イースト、ハーヴィー・メイソンとフォープレイ結成。
1939年12月25日 1939年12月25日 キーボード フュージョン

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ジェイムズ・ブッカー ★

James Booker

アメリカのピアニスト、歌手。クラシックからジャズ、R&B、ロックまで幅広く弾きこなすニューオーリンズきっての技巧派。クラシック・ピアノの巨匠アルトゥール・ルービンシュタインは、ブッカーのプレイを聴いて驚愕したという。ファッツ・ドミノ、アール・キング、ウィルソン・ピケット、B.B.キング、ロイド・プライス、シャーリー&リー、エイモス・ミルバーン、ジュニア・パーカー、などのレコーディングやバックバンドに参加。精力的に活動していたが、1983年11月8日コカインの過剰摂取により43歳で他界した。
1939年12月17日 1983年11月8日 43 男性歌手 R&B

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ジェリー・バトラー ★

Jerry Butler

アメリカのR&B歌手、ソングライター。インプレッションズの初代リード・シンガー。ソロになってからはギャンブル&ハフと組みヒットを連発した。1991年ロックの殿堂入り。
グラミー賞ノミネート2回

代表曲

  • 1960年「He Will Break Your Heart」全米7位・R&B1位
  • 1968年「Never Give You Up」14週全米20位・R&B7位
  • 1968年「Hey, Western Union Man」全米16位・R&B1位
  • 1969年「Only The Strong Survive」全米4位・R&B1位
1939年12月8日 2025年2月20日 85 男性歌手 R&B

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ティナ・ターナー ★★★

Tina Turner

アメリカ合衆国テネシー州出身のロック、R&Bの女性歌手。本名アンナ・メイ・ブロック・バーク (Anna Mae Bullock-Bach)。世界セールス2億枚以上、ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」17位。1960年、アイク&ティナ・ターナー「A Fool In Love」全米27位・R&B2位でデビュー。1984年「What's Love Got To Do With It」が全米1位を獲得し「Billboard Top 10」に6曲がチャートインした。1962年、アイク・ターナーと再婚(1978年離婚)。女優としてロック・ミュージカル『トミー』(1975)、『マッドマックス サンダードーム』(1985)、『ラスト・アクション・ヒーロー』(1993) などに出演した。
グラミー受賞 8回・ノミネート 25回
1939年11月26日 2023年5月24日 83 女性歌手 ポップ

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ウェンディ・カルロス ★

Wendy Carlos

アメリカのシンセサイザー奏者、作曲家。スタンリー・キューブリック監督の映画音楽などを手掛けた。
グラミー受賞 3回・ノミネート 6回
  • ブラウン大学で音楽と物理学を学び、コロンビア大学で作曲の修士号を取得。
  • 1968年 1stアルバム『Switched-On Bach』全米10位・クラシック1位・グラミー賞3部門受賞
    モーグ・シンセサイザーを駆使しヨハン・ゼバスティアン・バッハ品を演奏したもので、グレン・グールドが絶賛。
  • 1971年 スタンリー・キューブリック監督『時計じかけのオレンジ』音楽担当
  • 1980年 スタンリー・キューブリック監督『シャイニング』音楽担当
  • 1982年 スタンリー・キューブリック監督『トロン』音楽担当
  • 1972年 男性から女性へ性別適合手術。
  • 1973年 ジョアン・ジルベルト『João Gilberto』(邦題『三月の水』)レコーディング・エンジニア担当
1939年11月14日 1939年11月14日 シンセサイザー 電子音楽

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ダニー・フィールズ ★

Danny Fields

アメリカの音楽マネージャー、作家。1960–1980年代にかけて音楽業界の重役として活躍。パンクロックにおいて影響力を持ち、リンダ・スタインと共同でイギー&ザ・ストゥージズ、MC5、ラモーンズをマネジメントした。
  • ユダヤ人の家庭に生まれ、ペンシルベニア大学とハーバード大学ロースクール、ニューヨーク大学で学び、音楽業界に関わるようになった。
  • 1966年 ティーンファン雑誌「デートブック」の編集長に就任。1966年9月号で物議を醸したジョン・レノンの「More popular than Jesus」(イエスよりも人気がある)発言を再掲載した。
  • アンディ・ウォーホルと交友し、イーディ・セジウィックとロフトを共有。
  • ウォーホルがスポンサーとなったヴェルヴェット・アンダーグラウンドの本やライナーノーツを執筆。
  • 音楽業界では早くから同性愛者であることを公言した。
  • 1968年頃 エレクトラ・レコードに広報として雇われ、ジム・モリソンを多くのティーン雑誌の表紙に掲載し、さらなる人気に一役買った。
  • 1975年 ライブハウス「CBGB」でラモーンズを発見し、サイアー・レコードとの契約を手助けした。バンドをイギリスに連れて行き、セックス・ピストルズ、クラッシュ、ダムドなどパンク・ムーブメントに影響を与えた。
1939年11月13日 1939年11月13日 マネージャー ロック

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ヒューバート・ロウズ ★

Hubert Laws

アメリカのフルート奏者。ジョー・サンプルらが結成したジャズ・クルセイダーズに加入。ジュリアード音楽院でクラシックの名フルート奏者ジュリアス・ベイカーに師事。1969–1972年にかけてニューヨーク・メトロポリタン歌劇場管弦楽団とニューヨーク・フィルハーモニック管弦楽団で演奏し、1971年よりCTIレコード でさまざまなジャズ・ミュージシャンと録音。ジャズとクラシック音楽ファンの支持を得た。ハービー・ハンコック、チック・コリア、マッコイ・タイナー、ナンシー・ウィルソン、クインシー・ジョーンズ、ポール・マッカートニー、ポール・サイモン、アレサ・フランクリン、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ヴォーン、レナード・バーンスタイン、ジャコ・パストリアス、セルジオ・メンデス、カーリー・サイモン、ジョージ・ベンソン、スティーヴィー・ワンダーらのレコーディングに参加した。
グラミー賞ノミネート3回
1939年11月10日 1939年11月10日 フルート ジャズ

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グレイス・スリック ★

Grace Slick

アメリカの著名ロック・シンガー、画家。ジェファーソン・エアプレイン、ジェファーソン・スターシップ、スターシップのメンバーとして、1960–1970年代のサンフランシスコのサイケデリック・ロック・シーンを牽引した。1990年に音楽界から引退しアート活動に専念。1996年、ジェファーソン・エアプレインとしてロックの殿堂入り。
グラミー賞ノミネート 3回(2024年時点)
1939年10月30日 1939年10月30日 女性歌手 ポップ

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トゥンジ・​​オイェラナ

Tunji Oyelana

ナイジェリアのフォークシンガー、作曲家、俳優。アフリカ人初のノーベル文学賞受賞者ウォーレ・ショインカを取り上げたステファン・ブルトン監督の映画『Un dieu au bord de la route』(1994) で音楽を担当した。
1939年10月4日 1939年10月4日 男性歌手 アフリカ ナイジェリア

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ロイ・ブキャナン ★

Roy Buchanan

アメリカの著名なブルース・ギタリスト。テレキャスターの名手で、ギター・プレイヤー誌「50 Greatest Tones of All Time」に選出。ブライアン・ジョーンズ他界後、ローリング・ストーンズから加入をオファーされたが断ったことで有名。ジョニー・オーティスのバンドでキャリアをスタートし、トロントでいとこのロニー・ホーキンスのバンドに加入。ホーキンスのギタリストであったロビー・ロバートソンに影響を与え、ゲイリー・ムーアらによってカバーされた。1968年、ジミ・ヘンドリックスとジャム・セッション。1971年、ドキュメンタリー番組『Introducing Roy Buchanan』が放送されたことで、全米にその名が知れ渡った。1988年8月14日、拘留中に他界した。
グラミー賞ノミネート 1回
1939年9月23日 1988年8月14日 48 ギター ブルース

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エンリコ・ラヴァ

Enrico Rava

イタリアのジャズ・トランペッター。1967年にニューヨークに移り、ギル・エヴァンス、パット・メセニー、ミシェル・ペトルチアーニ、カーラ・ブレイらと共演した。
1939年8月20日 1939年8月20日 トランペット ジャズ

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ルーサー・アリスン

Luther Allison

アーカンソー州出身のブルースシンガー、ギタリスト、ソングライター。マディ・ウォーターズの息子 * と知り合い、ブルースを独学。学校を中退しザ・ローリング・ストーンズというバンドを結成した。ハウリン・ウルフやフレディ・キングのバンドで演奏し、キングがツアーをしたときはキングのバンドを引き継いだ。1972年にモータウン・レコードと契約し、レーベル唯一のブルース・アーティストとなった。1977年、パリに移住しヨーロッパで地位を確立したが、アメリカでの存在感は薄れていった。
* マディ・ウォーターズのふたりの息子、マッド・モーガンフィールドは1954年、ビッグ・ビル・モーガンフィールドは1956年生まれ。
1939年8月18日 1997年8月12日 57 ギター ブルース

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ジンジャー・ベイカー ★★★

Ginger Baker

イングランドの世界的ロックドラマー。世界中で3,500万枚以上を売り上げたブルースロック・トリオ「クリーム」(Cream) のメンバーとして有名。ローリング・ストーン誌「偉大なドラマー100」3位。フェラ・クティや坂本龍一、ジョン・ライドンなどさまざまなミュージシャンと共演。息子 Kofi Baker もドラマーである。
  • 1960年代初頭 戦後イギリスを代表するジャズドラマーのひとりフィル・シーマンからレッスンを受けた。
  • 1962年 アレクシス・コーナーのブルース・インコーポレイテッドに加入。チャーリー・ワッツの後任。
  • 1963年 グレアム・ボンド・オーガニゼーションに加入。
  • 1966年 クリーム結成 ジャック・ブルース (B) エリック・クラプトン (G)
  • 1968年 クリーム解散
  • 1968年 ブラインド・フェイス結成 クラプトン、スティーヴ・ウィンウッド
  • 1969年 ブラインド・フェイス解散
  • 1969年 ジンジャー・ベイカーズ・エアフォース結成
  • 1970年 ジンジャー・ベイカー・ドラム・クワイア結成
  • 1973年 ナイジェリアにレコーディングスタジオを設立。ポール・マッカートニー&ウイングスが「Picasso's Last Words (Drink to Me)」を録音し、ベイカーは砂利の入ったブリキ缶を演奏。
  • 1974年  ベイカー・ガーヴィッツ・アーミー結成(1976年解散)
  • 1980年 ホークウインドに加入(1981年脱退)。
  • 1993年 クリームのメンバーとしてロックの殿堂入り。
  • 2008年 モダン・ドラマーの殿堂入り。
1939年8月19日 2019年10月6日 80 ドラム ロック

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フランキー・フォード

Frankie Ford

アメリカのロックンロール・シンガー。1959年「Sea Cruise」全米14位。
1939年8月4日 2015年9月28日 76 男性歌手 ロック

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アンネア・ロックウッド

Annea Lockwood

ニュージーランド生まれのアメリカの作曲家。ヴァッサー大学で電子音楽を教えていた。音楽の幅は広く、微分音・電子音響のサウンドスケープ・声楽・自然界で見つけた音の録音などを含むことが多い。ピアノ を燃やしたり水に沈めたりするフルクサス風の曲も録音した。
1939年7月29日 1939年7月29日 作曲家 電子音楽

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ディオン ★

Dion

アメリカ合衆国のシンガーソングライター。初期のロックンロールでヒットを飛ばした。ローリング・ストーン誌「偉大なシンガー100人」2008年・63位。エルヴィス・プレスリー、ボブ・ディラン、ジョン・レノン、アート・ガーファンクル、ブルース・スプリングスティーンらが彼のファン。1957年グループ「ディオン&ザ・ベルモンツ」でデビューしヒットを連発した。1959年2月3日、バディ・ホリー、リッチー・ヴァレンスらの命を奪った「音楽が死んだ日」の飛行機に搭乗せずに無事を得た。1960年にソロ活動開始。2015年、大人気ゲーム『Fallout 4』で「The Wanderer」が異なるイメージで使用され訴訟となった。1989年ロックの殿堂入り。

代表曲

  • 1958年「I Wonder Why」全米22位
  • 1959年「A Teenager in Love」全米5位・全英28位
  • 1961年「Runaround Sue」全米1位
  • 1961年「The Wanderer」全米2位・全英10位 ローリングストーン誌「史上最高の500曲」2004年243位
  • 1962年「Lovers Who Wander」全米3位
  • 1963年「Ruby Baby」全米2位
1939年7月18日 1939年7月18日 男性歌手 ロック

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ブライアン・オーガー ★

Brian Auger

イングランドのキーボード奏者、歌手、作曲家。クロスオーバー・ミュージックの草分け的存在として知られている。
  • 1963年 独学でキーボードをマスターしジャズ・ピアニストとしてプロ活動を開始。
  • 1963年 トリニティー結成。その後ジミー・スミスの影響を受け、ハモンド・オルガンを弾くようになる。
  • 1965年 スティーム・パケット結成。ロッド・スチュワート (Vo)、ジュリー・ドリスコール ( Vo 現ジュリー・ティペッツ)
  • 1968年 トリニティーでモントルー・ジャズ・フェスティバルに出演。
  • 1970年 オブリヴィオン・エクスプレス結成。

参加作品

  • 1965年 ヤードバーズ「For Your Love」
  • 1969年 マーサ・ヴェレス『Fiends & Angels』
  • 1972年 ロッド・スチュワート『Never A Dull Moment』
  • 1978年 トニー・ウィリアムス『The Joy Of Flying』「Open Fire」
  • 1998年 カーリーン・アンダーソン『Blessed Burden』「Piece Of Clay」
  • 1998年 Monday満ちる『Double Image』「Damned If U Do, Damned If U Don't」
  • 19年 
1939年7月18日 1939年7月18日 キーボード ロック

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スペンサー・デイヴィス

Spencer Davis

イングランド出身のロック・ギタリスト、歌手。1963年、スティーヴ・ウィンウッド (Vo/Org) らとスペンサー・デイヴィス・グループを結成。アイランド・レコードのクリス・ブラックウェルと契約し大人気を博した。バンド解散後はカリフォルニアに移り、アイランド・レコードの幹部としてボブ・マーリー、ロバート・パーマー、エディ&ザ・ホット・ロッズなどと仕事をした。1995年、ランディ・マイズナー (B/Eagles)、ボビー・キンボール (Vo/TOTO)、デニー・レイン (G/Moody Blues, Wings) とらワールド・クラシック・ロッカーズを結成した。
  • 1965年 「Keep On Running」全米76位・全英1位 Pd: Chris Blackwell
  • 1966年 「Somebody Help Me」全米47位・全英1位 Pd: Chris Blackwell
  • 1966年 「Gimme Some Lovin'」全米7位・全英2位 Pd: Chris Blackwell, Jimmy Miller ローリング・ストーン誌「史上最高の500曲」2010年247位
  • 1967年 「I'm a Man」全米10位・全英9位 Pd: Jimmy Miller
1939年7月17日 2020年10月19日 81 ギター ロック

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ボビー・ワインスタイン ★Bobby Weinstein

アメリカの作曲家、音楽業界の幹部。作詞家テディ・ランダッツォや大物プロデューサーのドン・コスタとの仕事で知られている。ソングライターの殿堂を管轄する「全米ポピュラー音楽アカデミー」(NAPM)の理事を24年間務め、1993–1999年まで会長を務めた。2007年にランダッツォとともに殿堂入り。

代表曲

  • 1959年 スティーヴ・ローレンス「Pretty Blue Eyes」全米9位 Pd: Don Costa
  • 1964年 リトル・アンソニー&ジ・インペリアルズ「Going Out of My Head」全米6位 Pd: Don Costa
1939年7月16日 2022年3月16日 82 作曲家 ポップ

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メイヴィス・ステイプルズ ★

Mavis Staples

アメリカのR&B・ゴスペルの歌手、女優、公民権活動家。彼女の家族によるバンド「ステイプル・シンガーズ」のメンバーとして知られている。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」56位。サム・クック、ビッグ・メイベル、ダイナ・ワシントン、クララ・ウォード、マヘリア・ジャクソン、シスター・ロゼッタ・サープ、シャーリー・シーザーなどの影響を受けた。
1939年7月10日 1939年7月10日 女性歌手 R&B

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デラニー・ブラムレット ★

Delaney Bramlett

アメリカの歌手、ギタリスト、ソングライター、音楽プロデューサー。セッション・ミュージシャンとしてジョー・コッカー、レオン・ラッセル、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ミシェル・ルグランらと共演。ソングライターとしても素晴らしく、エヴァリー・ブラザース、ナンシー・ウィルソン、ナンシー・シナトラ、キャス・エリオット、ルルがデラニーの楽曲を歌った。
  • 1967年 歌手のボニー・オファーレルと結婚し、ブルースロック・デュオ「デラニー&ボニー」結成。
  • 1968年 4月19日 ベッカ・ブラムレット誕生。人気セッション・シンガーとなり、1993年から1995年までフリートウッド・マックに加入。
  • 1969年 1stアルバム『Home』 ブッカー・T&ザ・MG's 参加。
  • 1969年 エリック・クラプトンが結成したブラインド・フェイスのツアーで前座。
  • 1970年 デラニー&ボニー 3rdアルバム『On Tour With Eric Clapton』全米29位 エリック・クラプトン参加。
  • 1970年 エリック・クラプトン 1stアルバム『Eric Clapton』をプロデュース。
  • 1970年 クラプトンはデラニー&ボニーのツアーで知り合ったボビー・ウィットロック、カール・ラドル、ジム・ゴードンとデレク&ザ・ドミノスを結成(1971年解散)。
  • 名曲「Layla」(邦題「いとしのレイラ」)をリリース。
  • 2006年、ジェリー・リー・ルイス 39thアルバム『Last Man Standing』でルイス<とデュエットをした。
1939年7月1日 2008年12月27日 69 男性歌手 ロック

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トニー・ハッチ ★

Tony Hatch

イングランドの作曲家、作詞家、ピアニスト、音楽プロデューサー。1963年、ボビー・ライデル「Forget Him」を作詞・プロデュースし全米4位。以後、チャビー・チェッカー、コニー・フランシス、パット・ブーン、ビッグ・ディー・アーウィン、キーリー・スミスといったアメリカ人スターの曲も手掛けた。1965年よりデヴィッド・ボウイの1stシングル「Can't Help Thinking About Me」から3rdシングルまで手掛けたがヒットしなかった。2013年ソングライターの殿堂入り。

代表曲

  • 1963年 ボビー・ライデル「Forget Him」全米4位 作詞・プロデュース
  • 1963年 サーチャーズ「Sugar and Spice」全英2位 作詞フレッド・ナイチンゲール名義
  • 1964年 ペトゥラ・クラーク「Downtown」全米1位・全英2位 作詞作曲・プロデュース
  • 1964年 ペトゥラ・クラーク「I Know a Place」全米3位・全英17位 作詞作曲・プロデュース
  • 1965年 ペトゥラ・クラーク「My Love」全米1位・全英4位 作詞作曲・プロデュース
  • 1965年 ペトゥラ・クラーク「Call Me」作曲・プロデュース
  • 1965年 ジャッキー・トレント「Where Are You Now」全英1位
1939年6月30日 1939年6月30日 作詞家 ポップ

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ドク・ポーマス ★

Doc Pomus

アメリカのブルース歌手、ソングライター。多くのロックンロール古典の作詞で知られる。十代でブルース歌手になり、ミルト・ジャクソンやキング・カーティスと共演。1940–1950年代に40曲を録音した。1950年代からロックンロールの作詞家としてモルト・シューマン、リーバー&ストーラー、フィル・スペクターと組み数々のヒット曲を作曲。ルー・リードを見出し音楽業界へ導いた。1995年、トリビュートアルバム『Till The Night Is Gone』にB.B.キング、ボブ・ディラン、ブライアン・ウィルソン、ディオン、ドクター・ジョンらが参加。1992年にロックの殿堂とソングライターの殿堂、2012年にブルースの殿堂入り。

代表曲

  • 1956年 レイ・チャールズ「Lonely Avenue」R&B6位
  • 1959年 ディオン「A Teenager in Love」全米5位・全英28位
  • 1959年 ミスティックス「Hushabye」全米20位 ビーチ・ボーイズがカバー
  • 1960年 ドリフターズ「Save The Last Dance For Me」全米1位
  • 1961年 エルヴィス・プレスリー「Little Sister」全米5位・全英1位
  • 1961年 エルヴィス・プレスリー「(Marie's the Name) His Latest Flame」全米4位・全英1位
  • 1961年 エルヴィス・プレスリー「Surrender」全米1位
  • 1962年 エルヴィス・プレスリー「She's Not You」全米5位 with リーバー&ストーラー
  • 1964年 エルヴィス・プレスリー「Viva Las Vegas」全米29位・全英12位
  • 1964年 ベン・E・キング「Young Boy Blues」with フィル・スペクター
1925年6月27日 1991年3月14日 65 作詞家 ロックンロール

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ブリジット・フォンテーヌ

Brigitte Fontaine

フランスのアバンギャルド・ミュージックの歌手。ロック、フォーク、ジャズ、ワールド・ミュージックなど、さまざまな音楽を融合。ステレオラブ、ミシェル・コロンビエ、ジャン=クロード・ヴァニエ、アレスキ・ベルカセム、ゴタン・プロジェクト、ソニック・ユース、アントワーヌ・デュアメル、アーチー・シェップ、アート・アンサンブル・オブ・シカゴらとコラボレートした。
1939年6月24日 1939年6月24日 女性歌手 前衛音楽

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ジミー・ホップス

Jimmy Hopps

アメリカのジャズ・ドラマー。サン・ラ、ローランド・カーク、ファラオ・サンダースらと共演。『Mudari - Spirit Of Song』(1976) で渡辺香津美と共同リーダーを務めた。
1939年6月18日 1939年6月18日 ドラム ジャズ

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ダニエル・リクター

Dan Richter

アメリカの俳優、ジョン・レノンのアシスタント。キューブリックは 映画『2001年宇宙の旅』(1968) で、パントマイム一座を率いロンドンで活動していたリクターに猿人族のリーダー役と「人類の夜明け」シーンの振付を任せた。1965年6月3日、友人のビート詩人アレン・ギンズバーグが全裸で過ごした誕生会で初めてビートルズのメンバーと会った。その後、ジョン・レノンとオノ・ヨーコのアシスタントを4年間務め、1972年に映画『Imagine』に出演。この頃の回想録『The Dream Is Over』は2012年に出版された。リクター「完全な自由の時代、すべてが変わった時代でした。世界はロックンロールのビートに合わせて動き、耳を傾け、そして離れていきました」
1939年6月15日 1939年6月15日 俳優 ロック

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バーナード・パーディ

Bernard Purdie

アメリカのドラマー。1971年、ハーレム・リヴァー・ドライヴに参加。キング・カーティスのバンドを経て、アレサ・フランクリンのバンドマスターになった。ジェームス・ブラウン「Ain't That A Groove」「It's A Man's, Man's, Man's World」で演奏した。
1939年6月11日 1939年6月11日 ドラム R&B

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ゲイリー・US・ボンズ ★

Gary U.S. Bonds

アメリカのR&B・ロックンロールの歌手。1963年のヨーロッパ・ツアーでは、ビートルズを上回るヘッドライナーを務めた。1980年代以降は彼のフォロワーだったブルース・スプリングスティーンやビル・ワイマンと活動した。
  • 1981年「This Little Girl」全米1位
  • 1962年「Twist, Twist Senora」全米9位
  • 1961年「Dear Lady Twist」全米9位・R&Bチャート5位
  • 1961年「School Is Out」全米5位・R&Bチャート12位
  • 1961年「Quarter To Three」2週全米1位・売上100万枚
1939年6月6日 1939年6月6日 男性歌手 R&B

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イアン・ハンター

Ian Hunter

イングランドのシンガーソングライター。グラムロック全盛期に人気を博したモット・ザ・フープルのフロントマン。バンド解散後はミック・ロンソンと組み、2024年現在までコンスタントにアルバムをリリース。2ndアルバム『All American Alien Boy』 (1976) にジャコ・パストリアス (B/「God (Take I)」ではギターも)、デイヴィッド・サンボーン (Sax)、エインズリー・ダンバー (Dr)、「You Nearly Did Me In」ではクイーンのメンバーがコーラスで参加。
1939年6月3日 1939年6月3日 男性歌手 ロック

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マリリン・マクロード

Marilyn McLeod

アメリカのソングライター・歌手。モータウンのソングライターとしてキャリア。ダイアナ・ロス、マーヴィン・ゲイ、スモーキー・ロビンソン、スティーヴィー・ワンダーらの楽曲をてがけた。姉はジョン・コルトレーンの妻アリス・コルトレーン。
1939年5月27日 2021年11月24日 82 作詞家 R&B

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トニー・アッシャー

Tony Asher

ロンドン出身のアメリカ人の作詞家。ビーチ・ボーイズ『Pet Sounds』(1966) でブライアン・ウィルソンと8曲を共作。『神のみぞ知る』『素敵じゃないか』を書いた。同アルバムはローリング・ストーン誌「最も偉大なアルバム500」2位。
1939年5月2日 1939年5月2日 作詞家 ロック

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ジュディ・コリンズ ★

Judy Collins

アメリカ合衆国ワシントン州シアトル出身のフォーク・ミュージックのシンガーソングライター。1961年、1stアルバム『A Maid of Constant Sorrow』(Elektra) でデビュー。6thアルバム『Wildflowers』全米5位、ジョニ・ミッチェルが書いた「Both Sides, Now」全米8位・グラミー賞「最優秀フォーク・パフォーマンス」を受賞。2019年には80歳にして『Winter Stories』がビルボード「ブルーグラス・アルバム・チャート」1位を獲得した。
グラミー受賞 1回・ノミネート 7回(2024年時点)
1939年5月1日 1939年5月1日 女性歌手 フォーク

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ダスティ・スプリングフィールド ★

Dusty Springfield

イングランドの世界的女性歌手、女優。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」35位。1960年代に兄ディオンらと結成したスプリングフィールズ、脱退後はソロとなりミュージカルや司会者としても大人気を博した。その後ドラッグとアルコール依存、トラブル、問題発言などで長期低迷したが、1987年にペット・ショップ・ボーイズとのコラボで復活した。乳がんにより59歳で他界。
グラミー賞ノミネート 2回
  • 1960年 兄ディオンらとスプリングフィールズ結成。
  • 1962年 スプリングフィールズ「Silver Threads and Golden Needles」全米20位 英国のグループで初めて全米TOP 20入り。
  • 1962年 スプリングフィールズ「Island of Dreams」全英5位
  • 1963年 スプリングフィールズ「Say I Won't Be There」全英5位
  • 1963年 スプリングフィールズ脱退
  • 1963年 「I Only Want to Be with You」全米12位・全英4位
  • 1964年 「Wishin' and Hopin'」全米6位
  • 1964年 「I Just Don't Know What to Do with Myself」全英3位
  • 1966年 「You Don't Have to Say You Love Me」全米4位・全英1位
  • 1968年 「I Close My Eyes and Count to Ten」全英4位
  • 1987年 with ペット・ショップ・ボーイズ「What Have I Done to Deserve This?」全米2位・全英2位
1939年4月16日 1999年3月2日 59 男性歌手 ポップ

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マーティー・ワイルド ★

Marty Wilde

イングランドの歌手・作曲家。「ブリティッシュ・ロック御三家」(クリフ・リチャード、ビリー・フューリー)の一人。作曲多数。キム・ワイルドは娘。
1939年4月15日 1939年4月15日 男性歌手 ポップ

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マーヴィン・ゲイ ★★★

Marvin Gaye

アメリカの世界的R&B歌手・作曲家。アレサ・フランクリン『Young, Gifted and Black』(1972) ではオルガン・エレクトリックピアノを担当。
グラミー受賞 2回・ノミネート 12回
1939年4月2日 1984年4月1日 44 男性歌手 R&B

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ニール・セダカ ★

Neil Sedaka

アメリカの世界的シンガーソングライター。エルトン・ジョンのロケット・レコードと契約し、全米1位を獲得した「Laughter In The Rain」(雨に微笑を)が有名。さらに「Breaking Up Is Hard To Do」(1962) と「Bad Blood」(1975)の「全米1位」3曲、「全米TOP 10」9曲、「全米TOP 100」30曲がチャートイン。学生時代にガールフレンドだったキャロル・キングに捧げた曲「Oh! Carol」(1959) は全米9位を記録した。なお、ニール・セダカはユダヤ系移民の子で日系人ではない。
グラミー賞ノミネート 5回(2024年時点)
1939年3月13日 1939年3月13日 女男性歌手 ポップ

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ジョニー・ジェンキンス

Johnny Jenkins

ジョージア州出身のブルース・ギタリスト、歌手。派手なギター演奏スタイルはジミ・ヘンドリックスに影響を与えた。自身のバンド「パイントッパーズ」に当時無名のオーティス・レディングに歌手として雇いキャリアに貢献した。
1939年3月5日 2006年6月26日 67 ギター ブルース

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ジョン・フェイヒ

John Fahey

アメリカのギタリスト・作曲家。「American Primitive Guitar」というアメリカのルーツ音楽に根差した素朴なギターサウンドを追求した。後にクラシック、ポルトガル、ブラジル、インドの影響を取り入れるようになった。ローリング・ストーン誌「最も偉大なギタリスト100人」2023年40位。幼い頃から音楽がある環境で育ちブルースやクラシックを愛聴。アメリカン大学とカリフォルニア大学バークレー校で哲学や宗教の学位を取得し、友人のアラン・ウィルソンが結成したキャンド・ヒートに参加した。
1939年2月28日 2001年2月22日 61 ギター フォーク

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レイ・マンザレク

Ray Manzarek

アメリカのキーボード奏者。全米の若者から絶大な人気を博したロックバンド「ドアーズ」メンバーで、名曲「Light My Fire」(1967) の印象的なイントロを創り上げた。
1939年2月12日 2013年5月20日 74 オルガン ロック

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ジェリー・ゴフィン ★★★

Gerry Goffin

アメリカの作詞家。ビルボード「HOT 100」114曲以上、「TOP 40」59曲、全米1位8曲を送り込んだ。1959年キャロル・キングと結婚し(1968年離婚)、夫妻でソングライティングチームを組んで大成功を収めた。1990年、キャロル・キングとともにロックの殿堂入り。

代表曲

  • 1960年 シュレルズ「Will You Love Me Tomorrow」全米1位は黒人女性グループ初
  • 1961年 ボビー・ヴィー「Take Good Care of My Baby」全米1位
  • 1962年 リトル・エヴァ「The Loco-Motion」全米1位
  • 1962年 スティーヴ・ローレンス「Go Away Little Girl」全米1位
  • 1975年 ダイアナ・ロス「Theme from Mahogany」全米1位
  • 1984年 ホイットニー・ヒューストン「Saving All My Love for You」全米1位
1939年2月11日 2014年6月19日 75 作詞家 R&B

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バリー・マン ★

Barry Mann

アメリカのソングライター。妻シンシア・ワイル (1940–2023, 82) とアメリカで98曲、イギリスで53曲のヒット曲を共作。フィル・スペクターと共作した「You've Lost That Lovin' Feelin'」は20世紀で最も再生された曲となった。
1939年2月9日 1939年2月9日 作詞家 ポップ

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ジョニー・ブリストル

Johnny Bristol

アメリカのソングライター、音楽プロデューサー。1960–1970年代にモータウンでの仕事が有名。「Hang On In There Baby」(1974) 米国10位・英国3位、オズモンズがカバーした「Love Me For A Reason」(1974) 全英1位。プロデューサーとしてマーヴィン・ゲイとタミー・テレルの「Ain't No Mountain High Enough」全米1位など多数。1973年、CBS に移籍しトム・ジョーンズ、マリーナ・ショウ、ジョニー・マティス、ジェリー・バトラー、ボズ・スキャッグスなどのプロデュースと作詞を手掛けた。妻はアイリス・ゴーディ(ベリー・ゴーディの姪)。
1939年2月3日 2004年3月21日 65 プロデュース R&B

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クロード・フランソワ ★

Claude François

フランスのシャンソン歌手、作詞、作曲家、音楽プロデューサー。1960–1970年代にかけてフランスで大人気を博した。レコード売上2,000万枚以上、死後600万枚を売り上げた。1962年「Belles, Belles, Belles」(エヴァリー・ブラザースのフランス語カバー)がヒット。1967年、フランス・ギャルと破局し「Comme d'Habitude」を共作。フランスに滞在していたポール・アンカがこれを聴き英語歌詞を付け、1969年に「My Way」としてフランク・シナトラが歌い世界的に大ヒットした。「Parce Que Je T'aime Mon Enfant」にも英語詞がつけられ、1970年にエルヴィス・プレスリー「My Boy」(全米20位)として歌われた。レコード会社・出版社・モデルエージェンシーを経営し事業を拡大。1975年にホテルのロビーで爆弾が爆発、2年後に車を運転中にファンに撃たれかけ、ともに難を逃れたが1978年3月11日、浴室で感電死した。39歳までに500曲以上を書いた。
1939年2月1日 1978年3月11日 39 男性歌手 シャンソン

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ジョー・サンプル ★

Joe Sample

アメリカのジャズ/フュージョンのピアニスト。1952年、高校仲間とバンドを結成し、1960年に「ジャズ・クルセイダーズ」としてデビューし、1972年「クルセイダーズ」に改名。1979年、ランディ・クロフォードをゲストに迎え、よりポップな路線でアプローチした『Street Life』全米18位を記録。1960年代後半からソロ活動で成功を収め、マイルス・デイヴィス、ジョージ・ベンソン、マイケル・フランクス、B.B.キング、エリック・クラプトン、スティーリー・ダン、ジョニ・ミッチェルなど多数のレコーディングに参加。1966年、パーシー・フェイス楽団のピアニストとして初来日した。『Carmel』(1979年・邦題『渚にて』)などリーダーアルバム多数。レイラ・ハサウェイと共作した『The Song Lives On』(1998) も大ヒットし、ビルボード「メインストリーム・ジャズ・アルバム」を受賞した。
1939年2月1日 2014年9月12日 75 ピアノ ジャズ

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スコット・マッケンジー ★

Scott McKenzie

アメリカのシンガーソングライター。1967年「San Francisco」(Ode) が世界中で大ヒット(US 4位・CA・AUS 2位・UK・IE・DE・ BE・AUT・NOR・FIN・NLD・NZ 1位)し、グラミー賞ノミネート。ジョン・フィリップス (Mamas & Papas)、マイク・ラヴ、テリー・メルチャーと共にビーチ・ボーイズ「Kokomo」(1988) を共作した。本名フィリップ・ウォラック・ブロンドハイム3世。
1939年1月10日 2012年8月18日 73 男性歌手 ポップ

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アレックス・ウォートン

Alex Wharton

イングランドの音楽プロデューサー、エンジニア、俳優。大物プロデューサーのミッキー・モストと「モスト・ブラザーズ」を結成し、1957年にはデッカからデビューしたが翌年解散。世界的ロックバンドのムーディー・ブルースを発掘しマネジメント。「Go Now」(1964) をプロデュースし全米1位・全米10位を獲得した。1971年に音楽業界を去った。
1939年 1939年1月1日 プロデュース ロック

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チャス・チャンドラー ★

Chas Chandler

イングランドの音楽プロデューサー、マネージャー。アニマルズのベーシストを経て、ジミ・ヘンドリックスやスレイドのマネジメントとプロデュースを手掛けた。
  • 1962年 旋盤工として働きながらギターとベースを習得しアラン・プライス・トリオ(後のアニマルズ)に加入。
  • 1966年 アニマルズ解散後、タレントスカウト・マネージャーに転向。以前、アニマルズの全米ツアー中に「Cafe Wha?」で見たつけた「ジミー・ジェイムス」にイギリスで活動するよう説得した。その無名のギタリストは「ジミ・ヘンドリックス」と改名し、イギリスへ渡った。
  • 1966年 チャンドラーはジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスを立ち上げるための資金援助を必要で、アニマルズを搾取し解散に追いやったマネージャーのマイケル・ジェフリーと非常に複雑な気持ちでパートナーシップを組んだ。
  • 1966年 ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス結成 ノエル・レディング (B)、ミッチ・ミッチェル (Dr)
  • 1969年 スレイドのプロデュース及びマネジメントを12年間担当。
  • 1970年 9月18日 ジミ・ヘンドリックスがロンドンのホテルで滞在中に27歳で急逝。
  • 1976年 バーン・レコード設立。1980年頃解散。
  • 1978年 IBCスタジオを買収して4年間経営。後にドン・アーデンが買収。
  • 1980年 チープスケート・レコードに参画。
  • 1995年 ニューカッスル・アリーナ建設に尽力。
  • 1996年 7月17日 ニューカッスルで大動脈瘤により57歳で他界。

プロデュース Jimi Hendrix Experience

  • 1967年 1st『Are You Experienced』全米5位・全英2位
  • 1967年 2nd『Axis: Bold as Love』全米3位・全英5位
  • All Polydor

プロデュース Slade

    Singles

    • 1971年 「Coz I Luv You」 全英1位
    • 1972年 「Take Me Bak 'Ome」全米97位・全英1位
    • 1972年 「Mama Weer All Crazee Now」全米76位・全英1位

    Albums

    • 1972年 3rd『Slayed?』全米69位・全英1位
    • 1974年 4th『Old New Borrowed and Blue』全米168位・全英1位
    • 1974年 5th『Slade in Flame』全米93位・全英6位
    • All Polydor
1938年12月18日 1996年7月17日 57 プロデュース ロック

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ゲイリー・アッシャー

Gary Usher

アメリカの音楽プロデューサー、ソングライター。バーズのアルバムをプロデュースし、ビーチ・ボーイズの楽曲を手掛けた。
1938年12月14日 1990年5月25日 51 プロデュース ロック

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コニー・フランシス ★

Connie Francis

アメリカの世界的歌手・女優。11歳の頃からショーに出演し、1955年に「Freddy」で歌手デビューしたが、しばらくヒット曲は出なかった。1958年「Who's Sorry Now?」からヒット曲を連発。1961年「Together」がビルボードのアダルト・コンテンポラリー・シングル・チャートで女性として初めて1位を獲得。女性初のロックンロール歌手と言われた。大瀧詠一は「Lipstick On Your Collar」(カラーに口紅/1959年) に衝撃を受け、ラッツ&スター「Tシャツに口紅」(作詞:松本隆/1983年)を作曲した。
1938年12月12日 1938年12月12日 女性歌手 ポップ

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マッコイ・タイナー ★

McCoy Tyner

アメリカのジャズ・ピアニスト。1955年にジョン・コルトレーンと出会い、1960年にコルトレーンのバンドに加入。ジミー・ギャリソ (B) やエルヴィン・ジョーンズ (Dr) と共にコルトレーンを支え、『Coltrane』(1962)『Ballads』(1963)『A Love Supreme』(1965)『Ascension』(1965) など多くの作品に参加。1962年にはインパルス!と契約し初リーダー・アルバム『Inception』をリリース。コルトレーンがフリー・ジャズに傾倒し、音楽性の違いから1965年12月にグループを脱退した。
1938年12月11日 2020年3月6日 81 ピアノ ジャズ

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J.J.ケイル ★

J. J. Cale

アメリカのギタリスト、シンガーソングライター。ブルース、ロカビリー、カントリー、ジャズが融合しオクラホマ州タルサで生まれた音楽スタイル「タルサ・サウンド」で有名で、エリック・クラプトンらに影響を与えた。エリック・クラプトンとの共作アルバム『The Road to Escondido』(2006) で第50回グラミー賞「最優秀コンテンポラリー・ブルース・アルバム」にノミネートされた。
1938年12月5日 2013年7月26日 74 ギター ブルース

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プーチョ

Pucho

アメリカのパーカッショニスト。Pucho & His Latin Soul Brothers を率い人気を博した。
1938年11月1日 2022年9月21日 83 パーカッション ラテン

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シャーリー・シーザー ★

Shirley Caesar

アメリカの世界的ゴスペル歌手。「ゴスペル界のファーストレディ」と呼ばれ、12歳でレコード契約しキャリアは70年以上。アルバーティナ・ウォーカーが結成した人気ゴスペル・グループ「キャラバンズ」に19歳から8年間在籍。パティ・ラベル、ホイットニー・ヒューストン、フェイス・エヴァンス、ビヨンセらと共演した。
グラミー受賞 11回・ノミネート 28回(2024年時点)
1938年10月13日 1938年10月13日 女性歌手 ポップ

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エディ・コクラン ★

Eddie Cochran

アメリカの伝説的なロックンローラー。人気絶頂期に事故死を遂げた。
  • 1955年 兄ハンクとコクラン・ブラザースを結成し地元で人気を博す。
  • 1956年 解散後はセッション・ギタリストとしてロサンゼルスを拠点とし、さまざまなレコーディングに参加。自身のシングルより参加した他人名義のシングルの方が多く、リリースされなかった映画のサウンドトラックやセッションは膨大。
  • 1956年 「ポスト・エルヴィス」探しに躍起になっていたリバティ・レコードと契約。2枚のシングルは振るわなかった。
  • 1957年 ジーン・ヴィンセント、リトル・リチャードと共にオーストラリア・ツアー。
  • 1958年 「Summertime Blues」と「C'mon Everybody」をリリース。奇しくも「Summertime Blues」がチャート上昇中、全米1位に輝いていたのはエディのガールフレンド、シャロン・シェーリーがリッキー・ネルソンに書いた「Poor Little Fool」だった。
  • 1960年 4月16日 英国ツアーを終え、ジーン・ヴィンセントらとタクシーで空港へ向かう途中、交通事故に遭い翌日21歳で他界した。
  • 1960年 最後のシングル「Three Steps To Heaven」全英1位・アイルランド1位 デヴィッド・ボウイは「Queen Bitch」(1971) でこのギターコードリフを使用した。

Singles

  • 1958年 「Summertime Blues」(Liberty) 全米8位・全英18位 1999年グラミーの殿堂入り。ローリング・ストーン誌「史上最高の500曲」73位。
  • 1958年 「C'mon Everybody」(Liberty) 全米35位・全英6位
  • 1960年 「Three Steps To Heaven」(Liberty) 全英1位・アイルランド1位
1938年10月3日 1960年4月17日 21 ギター ロック

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ニック・グレイヴナイツ

Nick Gravenites

アメリカのブルース、ロック、フォークの歌手、ギタリスト、作詞家。シカゴ大学に在学中、ポール・バターフィールドやマイク・ブルームフィールドと出会いブルースに魅了された。
  • 1967年 マイク・ブルームフィールドとエレクトリック・フラッグを結成し、リードシンガーとなった。
  • 1969年 ジャニスが抜けたビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーのリード・シンガーを務めた。
  • 1969年 ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーを脱退したジャニス・ジョプリンが結成した「コズミック・ブルース・バンド」に協力。
  • 1969年 ジャニスの1stアルバム『I Got Dem Ol' Kozmic Blues Again Mama!』に「As Good as You've Been to This World」と「Work Me, Lord」を提供。マイク・ブルームフィールド参加。
  • 2003年 「Born In Chicago」がブルースの殿堂入り。
1938年10月2日 1938年10月2日 男性歌手 ブルース

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ベン・E・キング ★

Ben E. King

アメリカのR&B歌手、ソングライター。
グラミー賞ノミネート 1回
  • 1958年 ドリフターズにリードシンガーとして加入し「There Goes My Baby」「This Magic Moment」「Save The Last Dance for Me」(ドリフターズ唯一の全米1位)などのヒットを放った。
  • 1960年 ドリフターズを脱退しソロに転向。
  • 1961年 「Stand By Me」(Atco) 全米9位・全英1位 ジョン・レノンなど数多くの歌手にカバーされている。
  • 1986年 「Stand By Me」が映画『スタンド・バイ・ミー』の主題歌に起用されリバイバル・ヒット。
1938年9月28日 2015年4月30日 76 男性歌手 R&B

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ジュディ・クレイ

Judy Clay

アメリカのゴスペル歌手。リー・ドリンカードの養女となり、14歳でゴスペル・グループのドリンカード・シンガーズに加入。このグループには、リーの親族シシー・ヒューストン、ディオンヌ・ワーウィックとディー・ディー・ワーウィックも参加していた。
1938年9月12日 2001年7月19日 62 女性歌手 ゴスペル

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ケニー・ロジャース ★

Kenny Rogers

アメリカの世界的カントリー・シンガー。1970–1980年代にかけて全米「TOP 100」42曲、「TOP 10」11曲、No.1」2曲を送り込んだ。1985年にはUSAフォー・アフリカ「We Are The World」に参加した。
グラミー受賞 3回・ノミネート 19回
1938年8月21日 2020年3月20日 81 男性歌手 カントリー

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デイヴ・ベイビー・コルテス

Dave Baby Cortez

アメリカのポップス、R&Bのオルガン奏者、ピアニスト。代表曲はインストゥルメンタルとして初めて全米1位を獲得した「The Happy Organ」(1959) 、「Rinky Dink」(1962) 全米10位など。
1938年8月13日 1938年8月13日 オルガン R&B

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イアン・スチュワート

Ian Stewart

スコットランド出身のキーボーディスト。ローリング・ストーンズの結成時メンバーの一人でピアノを担当。プロデューサーのアンドリュー・ルーグ・オールダムから「バンドの雰囲気に合わない」という理由でデビュー前にバンドを解雇された。ストーンズが所有していた車載スタジオ「モービル・ユニット」の発案者であり、1981年に唯一のアルバム『Rocket 88』をリリースした。1985年12月12日、心臓発作により47歳で他界。
1938年7月18日 1985年12月12日 47 キーボード ロック

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リー・モーガン ★★★

Lee Morgan

アメリカの人気ジャズ・トランペット奏者。1956年、ディジー・ガレスピー楽団に加入。翌年ブルー・ノートから初リーダー・アルバム『Indeed!』をリリースし、天才トランペッター、クリフォード・ブラウンの再来と呼ばれた。1958年、ジャズ・メッセンジャーズに加入し「Moanin'」を作曲。1963年『The Sidewinder』が全米25位を記録。ブルーノート史上最も売れたレコードとなり、レーベルを破産寸前から救った。1972年2月18日、ライブの休憩中に愛人に撃たれ33歳で他界した。
1938年7月10日 1972年2月19日 33 トランペット ジャズ

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スナッフ・ギャレット ★

Snuff Garrett

アメリカの音楽プロデューサー。17歳の時、テキサス州でディスクジョッキーとして働き、バディ・ホリーと出会った。1959年、リバティ・レコードに入社。ジュリー・ロンドンやボビー・ヴィーらをプロデュースした。
  • ジュリー・ロンドン
    • 1962年 『Love Letters』
    • 1963年 『Love On The Rocks』
    • 1963年 『Latin In A Satin Mood』
    • 1963年 『The End of the World』全米127位
    • 1963年 『The Wonderful World of Julie London』全米136位
    • 1964年 『Julie London』
    • 1965年 『Our Fair Lady』カナダ11位
  • ボビー・ヴィー
    • 1961年 2ndアルバム『Bobby Vee』(Liberty) 全米18位
    • 1962年 5thアルバム『Take Good Care of My Baby』(Liberty) 全米91位・全英7位
    • 1962年 7thアルバム『Bobby Vee Meets The Crickets』(Liberty) 全米42位・全英2位
    • 1960年 「Rubber Ball」(Liberty) 全米位・全英位
    • 1961年 「Take Good Care of My Baby」(Liberty) 全米・全英・カナダ 1位
    • 1961年 「Run to Him」(Liberty) 全米2位
  • all Liberty Records
1938年7月5日 2015年12月16日 77 プロデュース

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ビル・ウィザース ★

Bill Withers

アメリカの著名R&B歌手、ソングライター。1971年「Ain't No Sunshine」でデビューし数々のヒット曲を残した。レーベルのサウンドに対する干渉に嫌気がさし、1985年頃に引退した。ローリング・ストーン誌「偉大なシンガー200人」2023年106位。
グラミー受賞 3回・ノミネート 6回。
  • 1971年「Ain't No Sunshine」全米3位・R&B6位 グラミー賞「最優秀R&Bソング」受賞(プロデューサー:ブッカー・T・ジョーンズ)
  • 1972年「Use Me」全米2位・R&B2位
  • 1972年「Lean On Me」全米1位・R&B1位 1987年グラミー賞「最優秀R&Bソング」受賞 2007年グラミーの殿堂入り
  • 1977年「Lovely Day」全米30位・R&B6位
  • 1980年 グローバー・ワシントンJr.「Just the Two of Us」全米2位 グラミー賞「最優秀R&Bソング」受賞
1938年7月4日 2020年3月30日 81 男性歌手 R&B

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ミッキー・モスト ★★★

Mickie Most

イングランドの世界的音楽プロデューサー。アニマルズ、ハーマンズ・ハーミッツ、ジェフ・ベック・グループ、ドノヴァン、スージー・クアトロらを手掛け、1964年、アニマルズ「朝日のあたる家」(3週連続全米1位) が世界中で大ヒットしグラミー受賞。1967年、ルル「To Sir With Love」5週連続全米1位。ピーター・グラントとプロダクションを設立。後にグラントはレッド・ツェッペリンの有名マネージャーとなった。モストは莫大な財産を築き「英国富豪トップ500」にリストされた。
1938年6月20日 2003年5月30日 64 プロデュース ロック

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ハービー・フラワーズ

Herbie Flowers

アメリカのセッション・ベーシスト。ルー・リード「Walk On The Wild Side」(1972) の歴史的なイントロで有名。ジョージ・ハリスン、エルトン・ジョン、アル・クーパー、T・レックス、オリビア・ニュートン=ジョンなど600枚を超えるヒット・レコードとその10倍の失敗作に参加。
1974 David Bowie – Diamond Dogs
1971 Serge Gainsbourg – Histoire De Melody Nelson
1969 David Bowie – Space Oddity
1938年5月19日 2024年9月5日 86 ベース ロック

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フレディ・ハバード ★

Freddie Hubbard

アメリカの著名なジャズ・トランペット奏者。1958年、20歳でニューヨークに移り、フィリー・ジョー・ジョーンズ、ソニー・ロリンズ、スライド・ハンプトン、エリック・ドルフィー、J.J.ジョンソン、クインシー・ジョーンズなど最高のプレイヤーと演奏。1960年にブルーノート・レコードとの契約し、デビュー・アルバム『Open Sesame』をリリースした。オーネット・コールマン『Free Jazz』(1961)、ジョン・コルトレーン『Olé Coltrane』(1961)、ハービー・ハンコック『Maiden Voyage』(1965) などに参加。リーダー作『First Light』(1972) グラミー賞を受賞した。1976年には、ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、ロン・カーター、トニー・ウィリアムスらとV.S.O.P.クインテットを結成した。ビリー・ジョエル「Zanzibar」(1978) でも演奏を聴くことができる。
グラミー受賞 1回・ノミネート 5回
1938年4月7日 2008年12月29日 70 トランペット ジャズ

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クラウス・フォアマン ★

Klaus Voormann

ドイツのベーシスト、音楽プロデューサー、画家。スタジオ・ミュージシャンとしてB.B.キング、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター、カーリー・サイモン、ルー・リード、ハリー・ニルソン、ランディ・ニューマンらのレコーディングに参加。ビートルズ『Revolver』のアートワークでグラミー賞受賞。ポール・マッカートニーの代わりにフォアマンを加え、ビートルズ再結成の噂があった。
グラミー受賞 2回・ノミネート 3回(2024年時点)
  • 1966年 ジャック・ブルースの後任としてマンフレッド・マンに加入。
  • 1969年 プラスティック・オノ・バンドに参加。ジョン・レノン (Vo/G)、オノ・ヨーコ (Vo)、エリック・クラプトン (G)、クラウス・フォアマン (B)、アラン・ホワイト (Dr)
  • 1971年 ラヴィ・シャンカル主宰「バングラデシュ・コンサート」にジョージ・ハリスンと出演。
  • 1966年 ビートルズ『Revolver』のアートワークでグラミー賞「ベスト・デザイン」受賞。
  • 1967年 ビージーズ『Bee Gees' 1st』のアートワーク
  • 1981年 トリオ「Da Da Da」をプロデュース。30カ国で大ヒットし1,300万枚を売り上げた。
  • 2009年 1stアルバム『A Sideman's Journey』リリース。
1938年4月29日 1938年4月29日 ベース ロック

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スティーヴ・キューン

Steve Kuhn

アメリカのジャズ・ピアニスト、作曲家、編曲家。幼い頃からクラシック音楽の即興演奏を始め、10代の頃にはチェット・ベイカー、コールマン・ホーキンスらと共演。ハーバード大学卒業後、レノックス音楽学校に入学し、オーネット・コールマン、ドン・チェリー、ゲイリー・マクファーランドらと交流。長期間にわたりケニー・ドーハムのグループに参加した。
1938年3月24日 1938年3月24日 ピアノ ジャズ

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デイヴ・パイク

Dave Pike

アメリカのヴィブラフォン、マリンバ奏者。ヴィブラフォンは独学で1958年にポール・ブレイ・カルテットでレコーディング・デビュー。ケニー・クラーク、ビル・エヴァンス、ハービー・マンなど多数のレコーディングに参加し、ボビー・ハッチャーソンにヴィブラフォンを手ほどきした。1960年代後半頃にヨーロッパへ移り、ドイツのMPSレコードでレコーディングした。
グラミー受賞 回・ノミネート 回(2024年時点)
1938年3月23日 2015年10月3日 77 ヴィブラフォン ジャズ

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チャーリー・ロイド

Charles Lloyd

アメリカのジャズ・サックス奏者。1940年代にチャーリー・パーカー、コールマン・ホーキンス、オスカー・ピーターソン、ビリー・ホリデイ、デューク・エリントンに魅了され、10代でハウリン・ウルフ、B.B.キングらのサイドマンを務めた。ビーチ・ボーイズのサポートミュージシャンとして著名で『Warm Waters』(1971) にメンバーが参加した。
  • 1956年 南カリフォルニア大学で音楽を学び、夜はジャズクラブでオーネット・コールマン、ビリー・ヒギンズ、スコット・ラファロ、ドン・チェリー、チャーリー・ヘイデン、エリック・ドルフィー、ボビー・ハッチャーソンなど西海岸のジャズメンと演奏。
  • 1960年 チコ・ハミルトンのバンドにエリック・ドルフィーの後任で加入。
  • 1964年 キャノンボール・アダレイ・セクステットに加入。
  • 1966年 キース・ジャレット、ジャック・ディジョネット、セシル・マクビーとチャーリー・ロイド・カルテット結成。
  • 1966年 モントレー・ジャズ・フェスティバル参加。ライブアルバム『Forest Flower』(1967) に収録。
  • 1967年 ダウンビート誌「Jazz Artist Of The Year」選出。
  • 1971年 アルバム『Warm Waters』ビーチ・ボーイズ参加。
  • 1981年 ミシェル・ペトルチアーニとツアー。
  • 2008年 『Rabo de Nube』(2007) ジャズタイムズ誌の読者と批評家の投票で1位。
  • 2015年 ブルーノート・レコードと契約。
  • 2015年 バークリー音楽大学から名誉音楽博士号を授与。
  • 2016年 メンフィス音楽の殿堂入り。
  • 2024年 ダウンビート誌ジャズの殿堂入り。
1938年3月15日 1938年3月15日 サックス ジャズ

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アーマ・フランクリン

Erma Franklin

アメリカのゴスペル歌手。アレサ・フランクリン、キャロリン・フランクリンの姉。名曲「Piece of My Heart」(1967) 全米62位・R&B10位のオリジナル・シンガーで、グラミー賞「新人賞」にノミネート。この曲はジャニス・ジョプリンを擁したビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーがカバーし全米12位を獲得した。
グラミー賞ノミネート 1回
1938年3月13日 2002年9月7日 64 女性歌手 ゴスペル

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ジミー・ヒューズ

Jimmy Hughes

アメリカのR&Bシンガー。1964年「Steal Away」全米17位を記録しマッスル・ショールズ音楽産業の発展に貢献した。1968年スタックス・レコードに移籍し、サム・クック、ジャッキー・ウィルソン、ボビー・ウーマックなどとツアーを行った。
1938年2月3日 1938年2月3日 男性歌手 R&B

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エタ・ジェイムズ ★

Etta James

アメリカのブルース、R&Bの女性シンガー。1960–1970年代にかけてチェス・レコードに在籍し「Tell Mama」など多くのヒットを生んだ。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」22位。
1938年1月25日 2012年1月20日 73 女性歌手 ブルース

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ジャック・ジョーンズ ★

Jack Jones

アメリカのイージーリスニングの歌手、俳優。1960–1970年代に大人気を博し、 全米【TOP 100】20曲【イージーリスニング】19曲を送り込んだ。
グラミー受賞 2回・ノミネート 5回(2024年時点)

代表曲

  • 1961年 「Lollipops and Roses」全米66位 グラミー賞「最優秀歌唱」受賞
  • 1963年 「Wives and Lovers」(バート・バカラック作)全米14位・イージーリスニング9位 グラミー賞「最優秀男性ボーカル・パフォーマンス」受賞
  • 1964年 「The Race Is On」全米15位・EL 1位
  • 1966年 「The Impossible Dream」全米35位・EL 11位
  • 1967年 「Lady」全米39位・EL 11位
1938年1月14日 1938年1月14日 男性歌手 ポップ

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デヴィッド・アレン

Daevid Allen

オーストラリアの詩人、ギタリスト、歌手、作曲家。サイケデリックロック・バンドのソフト・マシーンとゴングの創設メンバーのひとり。
  • 1963年 アレン・ギンズバーグやウィリアム・バロウズなどのビート・ジェネレーション、サン・ラに影響を受け、ロバート・ワイアット、ヒュー・ホッパーとフリージャズ・バンドのデヴィッド・アレン・トリオ (Daevid Allen Trio) を結成。
  • 1964年 ワイルド・フラワーズ結成。
  • 1966年 ソフト・マシーンに分裂。
  • 1968年 キャラヴァンに分裂。
  • 1967年 ビザの超過で英国への再入国を拒否され、パリでゴングを結成。
  • 1973年 ヴァージン・レコードと契約。
  • 1978年 重鎮ジョルジオ・ゴメルスキーの招待でニューヨークに渡り、ビル・ラズウェルらとニューヨーク・ゴングを結成。以後、さまざまなバンドを結成した。
1938年1月13日 2015年3月13日 男性歌手 ロック

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ジョー・ファレル

Joe Farrell

アメリカのジャズのテナー・サックス奏者。チック・コリアのリターン・トゥ・フォーエヴァーのメンバーとして活動した。1960年代にサド・ジョーンズ/メル・ルイス・ジャズ・オーケストラに参加し、チャールズ・ミンガス、アンドリュー・ヒル、ジャッキー・バイアード、エルヴィン・ジョーンズらと共演。2008年、娘のキャサリーン・フィランテッロはジョー・ファレル「Upon This Rock」を無許可で使用したカニエ・ウェスト、メソッド・マン、レッドマン、コモンを提訴した。
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1937年12月16日 1986年1月10日 48 サックス ジャズ

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ミウシャ

Miúcha

ブラジルの女性歌手・作曲家。ボサノヴァの創始者ジョアン・ジルベルトの2番目の妻。ジョアンとスタン・ゲッツと組んだ名盤『The Best Of Two Worlds』(1976 Columbia) でプロデビュー。娘は歌手のベベウ・ジルベルト。シコ・ブアルキは弟。
1937年11月30日 2018年12月27日 81 女性歌手 ボサノヴァ

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ボブ・バビット ★

Bob Babbitt

アメリカの著名なベーシスト。ジェームス・ジェマーソン (1936–1983, 47)、マイケル・ヘンダーソン (1951–2022, 71) とともにモータウンを代表するベーシストで、1966年から1972年までモータウンのスタジオバンド「ファンク・ブラザーズ」のメンバーとして活動し、フランク・シナトラ、バリー・マニロウ、グラディス・ナイト、スティーヴィー・ワンダー、スモーキー・ロビンソン、マーヴィン・ゲイ、テンプテーションズ、ジミ・ヘンドリックスらのレコーディングに参加した。『Bass Player』誌「偉大なベーシスト100人」59位。
1937年11月26日 2012年7月16日 74 ベース R&B

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ジェフ・ゴダード

Geoff Goddard

イングランドの作曲家、歌手、楽器奏者。1960年代初頭にジョー・ミークのために働き、 ハインツ、マイク・ベリー、ジェリー・テンプル、トルネードス、ケニー・ハリウッド、ザ・アウトローズ、フレディ・スター、スクリーミング・ロード・サッチ、ザ・ランブラーズ、ジョン・レイトンのために曲を書いた。ジョン・レイトン「Johnny Remember Me」全英1位。
1937年11月19日 2000年5月15日 62 作曲家 ポップ

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グレアム・ボンド

Graham Bond

イングランドのロック/ブルースシンガー。1960年代のイングランドにR&Bブームをもたらした。Alexis Korner's Blues Incorporated を経て、1963年にジンジャー・ベイカー (Dr)、ジャック・ブルース (B)、ジョン・マクラフリン (G) と The Graham Bond Quartet を結成し、ハモンドオルガンをメイン楽器として採用。その後、The Graham Bond Organisation となった。商業的成功に恵まれず、失意のうちに電車にはねられ36歳で他界した。

See Also

  • アレクシス・コーナー (1928–1983, 55)
  • ジョン・メイオール (1933–2024, 90)
1937年10月28日 1974年5月8日 36 男性歌手 ロック

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ビフ・ローズ

Biff Rose

アメリカのコメディアン・シンガーソングライター。1968年、ポール・ウィリアムスと「Fill Your Heart」を共作。デヴッド・ボウイが『Hunky Dory』(1971) でカバーした。
1937年10月15日 2023年7月25日 85 男性歌手 ポップ

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レオン・トーマス

Leon Thomas

アメリカのジャズ/ブルース歌手。ヨーデルをミックスした唱法でジェームズ・ムーディ、ティム・バックリィ、ボビー・マクファーリンらに影響を与えた。
1937年10月4日 1999年5月8日 61 男性歌手 ジャズ

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アリス・コルトレーン

Alice Coltrane

アメリカのジャズ・ハープ奏者、ピアニスト、作曲家。音楽一家に育ち、パリでクラシック音楽を学び、バド・パウエルにジャズ・ピアノを師事。いくつかのバンドを経て、1965年メキシコでジョン・コルトレーンと再婚。1966年、マッコイ・タイナーに代わってジョンが他界する1967年までジョン・コルトレーンのピアニストとなった。

生前ジョンがアリスのために注文したハープが届けられ、以後、主にジャズ・ハープ奏者として活動。1968年、ジョン・コルトレーン・ホームで1stアルバム『A Monastic Trio』を録音。ジョンの死後、よりヒンドゥー教に傾倒し、サウンドはスピリチュアル色が亢進した。1971年、カーネギー・ホールのチャリティ・コンサートに出演(メンバー:ファラオ・サンダース、アーチー・シェップ、ジミー・ギャリソン、セシル・マクビー、エド・ブラックウェル)し、ビルボード誌で「カーネギー・ホールのステージに登場した最も偉大なバンドの一つ」と評され、この模様は2024年『The Carnegie Hall Concer』としてリリースされた。1974年、カルロス・サンタナとアルバム『Illuminations』をリリース。2007年に他界する直前まで演奏を行った。

前夫ケニー・ハグッドとの間に娘ミシェル・コルトレーン(歌手)、ジョン・コルトレーンとの間にジョン・コルトレーン・ジュニア(ドラマー)、ラヴィ(サックス奏者)、オラン (DJ) を授かった。妹のマリリン・マクロードはモータウンのソングライターとしてダイアナ・ロスらの楽曲を手掛けた。

See Also

  • キャスパー・リアドン (1907–1941)
  • ドロシー・アシュビー (1932–1986)
1937年8月27日 2007年1月12日 69 ハープ ジャズ

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チャーリー・ヘイデン ★

Charlie Haden

アメリカ合衆国アイオワ州出身のジャズ・ベーシスト。キース・ジャレットと共演した「Jasmine」(2010) など「ビルボード TOP 200」に4曲がチャートイン。
グラミー受賞 3回・ノミネート 14回
  • 1959年 オーネット・コールマン・カルテットに参加。
  • 1967年 キース・ジャレット・アメリカン・カルテットに参加。
  • 1969年 カーラ・ブレイらとリベレーション・ミュージック・オーケストラ結成。
  • 1998年 パット・メセニーと共演したアルバム『Beyond The Missouri Sky』グラミー賞「最優秀ジャズ・インストゥルメンタル・グループ」受賞。
1937年8月6日 2014年7月11日 76 ベース ジャズ

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ガース・ハドソン ★

Garth Hudson

カナダ出身のキーボーディスト。ボブ・ディランのバックバンド「ザ・バンド」のメンバーで、キーボード、シンセサイザー、アコーディオン、サックスなどを担当し、サウンドに深みを与えた。幼い頃からクラシック音楽とオルガンを親しみ、大学では音楽理論と和声学を学んだ。ディランのライブ・アルバムでは嵐のようなオルガンのプレイを聴くことができる。ザ・バンド解散後、1stアルバム『Music for Our Lady Queen Of The Angels』(1980) リリース。マディ・ウォーターズ、吉田拓郎、佐野元春らのアルバムに参加した。
1937年8月2日 2025年1月21日 87 キーボード ロック

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エディ・フロイド

Eddie Floyd

アメリカのR&B歌手・ソングライター。1965年、スタックス・レコードとソングライターとして契約。重要ギタリストのスティーヴ・クロッパーとチームを組み、ウィルソン・ピケット「Ninety-Nine and a Half (Won't Do)」(1966)「634-5789 (Soulsville, USA)」(1966) などヒットを生み出した。自身も「Knock On Wood」(1966) R&Bチャート1位、エイミー・スチュワートのカバーは全米1位を記録した。
1937年6月25日 1937年6月25日 男性歌手 R&B

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クリス・ブラックウェル ★★★

Chris Blackwell

イングランドの実業家。1959年、ジャマイカでアイランド・レコードを設立。ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズを発掘し、キング・クリムゾン、エマーソン・レイク&パーマー、U2らと契約した。
1937年6月22日 1937年6月22日 実業家

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ウェイロン・ジェニングス ★

Waylon Jennings

アメリカのカントリー・シンガー、ソングライター。1958年、バディ・ホリーに声を掛けられレコーディングに初参加。1970年代にアウトローカントリーを牽引し、1976年にウィリー・ネルソン、トンポール・グレイザー、ジェシー・コルターらと共作した『Wanted! The Outlaws』が全米10位・カントリー1位を記録し、カントリーミュージック初のプラチナアルバム(100万枚)を獲得。1977年には『Ol' Waylon』が 全米15位・カントリー13週間1位を記録し、カントリー・ミュージックのソロアーティストとして初のプラチナアルバムとなった。

人気絶頂期を迎えたがカイン中毒に悩まされたが、1984年に克服。1985年、ジョニー・キャッシュ (1932–2003, 71)、ウィリー・ネルソン (1933– ) 、クリス・クリストファーソン (1936–2024 ,88) らと「ハイウェイマン」を結成。3枚のスタジオアルバムをリリースし、シングル「Highwayman」がカントリーチャート1位を獲得した。2001年、カントリーミュージックの殿堂入り。2002年2月13日、糖尿病の合併症により64歳で他界した。
グラミー受賞 2回・ノミネート 13回(2024年時点)
1937年6月15日 2002年2月13日 64 男性歌手 カントリー

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アーチー・シェップ

Archie Shepp

アメリカのフリージャズ・サックス奏者。セシル・テイラー、ジョン・コルトレーン、ホレス・パーラン、ニューヨーク・コンテンポラリー・ファイヴ (New York Contemporary Five) などの共演でも知られている。コルトレーン『A Love Supreme』(1965) のセッションに参加したが当初発売されたアルバムにシェップのパートは含まれず、デラックス・エディション (2002) に収録された。コルトレーン『Ascension』(1966) に参加した。
1937年5月24日 1937年5月24日 サックス ジャズ

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ディック・デイル

Dick Dale

アメリカのギタリスト。東地中海の民謡をサーフミュージックにアレンジした「Misirlou」(1963) がヒット。映画『パルプ・フィクション』(1994) のテーマ曲となり、ブラック・アイド・ピーズ「Pump It」(2006) などでサンプリングされた。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のギタリスト」2011年74位。
1937年5月4日 2019年3月16日 81 ギター ロック

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ロン・カーター ★

Ron Carter

アメリカの名ジャズ・ベーシスト、作曲家。1959年、チコ・ハミルトンのグループでデビュー。ポール・チェンバースの後任としてマイルス・デイヴィスのバンドに参加。脱退後はサイドマンとして膨大なレコーディングに参加した。
グラミー受賞 3回・ノミネート 6回(2024年時点)
1937年5月4日 1937年5月4日 ベース ジャズ

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レフティ・ディズ

Lefty Dizz

シカゴのブルース・ギタリスト、歌手。ジミ・ヘンドリックスのように右利き用のストラトキャスターを左利きで演奏し芸名の由来となった。
1937年4月29日 1993年9月7日 56 ギター ブルース

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ジョー・ヘンダーソン

Joe Henderson

アメリカの著名ジャズ・テナーサックス奏者。1950年代、18歳でデトロイトのジャズシーンでキャリアを開始。退役後の1962年にニューヨークに移り、1963年から1968年にかけて約30枚のアルバムをブルーノートで録音した。1967年に短期間マイルス・デイヴィス・クインテット(ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、ロン・カーター、トニー・ウィリアムス)に参加。
1937年4月24日 2001年6月30日 64 サックス ジャズ

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ウィンス・マーティンヴィンス・マーティン

Vince Martin

アメリカのフォークシンガー・ソングライター。1960年代初頭に「フレッド・ニール & ヴィンス・マーティン」のデュオで知られるようになった。フェリックス・パパラルディらとレコーディングし、成長しつつあったフォーク(後にフォークロック)シーンで人気を博し影響力を及ぼした。
1937年3月17日 2018年7月6日 81 男性歌手 フォーク

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バルネ・ウィラン

Barney Wilen

フランスのジャズサックス奏者、作曲家。マイルス・デイヴィスとの『死刑台のエレベーター』(1958) の演奏で知られるようになった。ケニー・クラーク、セロニアス・モンク、チェット・ベイカーらと共演し、映画音楽の他リーダー作多数。1960年代半ばからロックに興味を持ちアルバムを録音。1990年代にはパンク・ロックのミュージシャンと仕事をした。
1937年3月4日 1996年5月25日 59 サックス ジャズ

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マジック・サム

Magic Sam

ミシシッピ州グレナダ出身のブルース・ギタリスト、シンガー。1950–1960年代にかけてシカゴで活躍し、オーティス・ラッシュ、バディ・ガイらとともにシカゴ・ブルースに新風を吹き込んだ。
1937年2月14日 1969年12月1日 32 男性歌手 ブルース

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フィリップ・ウォーカー

Phillip Walker

ルイジアナ州ウェルシュ出身のブルース・シンガー、ギタリスト。ロサンゼルスを拠点に活動。テキサス・ブルースの流れを汲むスウィング感溢れるサウンドを基調としながら、幅広い音楽性を聴かせた。
1937年2月11日 2010年7月22日 73 男性歌手 ブルース

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ロバータ・フラック ★★★

Roberta Flack

アメリカの世界的シンガーソングライター。歴史的な名曲とダニー・ハサウェイらとのデュエットで知られている。ワード大学に史上最年少の15歳で入学し音楽を学んだ。ナイトクラブで演奏中、ジャズ・ピアニストのレス・マッキャンに見出され、1969年『First Take』でレコード・デビュー。2022年、闘病により引退した。
  • 1991年 with マキシ・プリースト「Set the Night to Music」全米6位
  • 1983年 with ピーボ・ブライソン「Tonight, I Celebrate My Love」全米16位
  • 1974年 「Feel Like Makin' Love」全米1位
  • 1973年 「Killing Me Softly with His Song」全米1位 グラミー「最優秀レコード」「最優秀楽曲」「最優秀女性ボーカル」受賞。ロリ・リーバーマンのカバー。
  • 1972年 with ダニー・ハサウェイ「Where Is The Love」全米5位・R&B1位 グラミー「最優秀ポップ・ボーカル・パフォーマンス・デュオ/グループ」受賞
  • 1972年 「The First Time Ever I Saw Your Face」全米1位 グラミー「最優秀レコード」「最優秀楽曲」受賞
1937年2月10日 2025年2月24日 88 女性歌手 R&B

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フィリップ・グラス ★

Philip Glass

アメリカの作曲家。フランスでナディア・ブーランジェに師事し、ラヴィ・シャンカルとともに働いた後、1976年、オペラ三部作のひとつ「Einstein On The Beach」(浜辺のアインシュタイン)を初演した。デヴィッド・ボウイの『Low』(1977)『Heroes』(1977) をオーケストラにした『Low Symphony』(1993)『Heroes Symphony』(1997) をリリース。数多くの映画音楽も手掛けた。
グラミー賞ノミネート 4回(2024年時点)
1937年1月31日 1937年1月31日 作曲家 現代音楽

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スコット・イングリッシュ

Scott English

アメリカの作詞家、編曲家、音楽プロデューサー。1972年、リチャード・カーと「Brandy」を共作。1974年に「Mandy」タイトルされ、バリー・マニロウが歌い全米1位を獲得した。
  • 1974年 バリー・マニロウ「Mandy」全米1位
  • 1972年 スコット・イングリッシュ「Brandy」全英12位 作詞:リチャード・カー
  • 1968年 アメリカン・ブリード「Bend Me, Shape Me」全米5位 作詞:ラリー・ワイス
  • 1967年 ジェフ・ベック「Hi Ho Silver Lining」全英14位・全米23位 ベック最大のソロヒット 作詞:ラリー・ワイス
  • 1967年 リン・ランデル「Ciao Baby」オーストラリア8位
  • 1966年 エリック・バードン「Help Me Girl」全英14位・全米29位
1937年1月10日 2018年11月16日 81 作詞家 ロック

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シャーリー・バッシー ★

Shirley Bassey

英国ウェールズの歌手。世界売上1億4000万枚以上。1950年代より活動し全英シングル1位を獲得した初のウェールズ人、70年連続でアルバムが全英「TOP 40」入りした史上初の女性、映画『007』シリーズで複数のテーマ曲を歌った唯一の歌手。全英1位2曲、全英「TOP 40」27曲のヒットを放った。2000年、エリザベス女王2世より大英帝国勲章デイム・コマンダー受勲。
グラミー賞ノミネート 1回(2024年時点)

Singles

  • 1958年 「As I Love You」(Philips) 全英1位
  • 1961年 「Climb Ev'ry Mountain」A「Reach for The Stars」B (Columbia) 全英1位
  • 1965年 「Goldfinger」 (Columbia) 全米8位・全英21位
  • 1970年 「Something」(United Artists) 全米55位
  • 1972年 「Diamonds Are Forever」(United Artists) 全米57位
  • 1973年 「Never, Never, Never」(United Artists) 全米48位・全英8位
  • 1997年 プロペラヘッズ feat. シャーリー・バッシー「History Repeating」英インディー1位

007 テーマ曲

  • 1964年 『007 ゴールドフィンガー』「Goldfinger」
  • 1971年 『007 ダイヤモンドは永遠に』「Diamonds Are Forever」
  • 1979年 『007 ムーンレイカー』「Moonraker」
サウンドトラック監督:ジョン・バリー
1937年1月8日 1937年1月8日 女性歌手 ポップ

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ドリス・トロイ

Doris Troy

アメリカ合衆国ニューヨーク市ブロンクス出身のR&B歌手、ソングライター。多くのファンに「ママ・ソウル」として知られている。
  • 1963年 スウィート・インスピレーションズに加入。
  • 1963年 「Just One Look」(Atlantic) 全米10位・R&B 3位
  • 1972年 ピンク・フロイド 8thアルバム『The Dark Side Of The Moon』(1973)  コーラス (Lesley Duncan, Liza Strike, Barry St John) で参加。
1937年1月6日 2004年2月16日 67 女性歌手 R&B

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トミー・スティール

Tommy Steele

イングランドの歌手、俳優、彫刻家、作家。イギリス初のティーンアイドルおよびロックンロールスターとみなされている。「Rock With The Caveman」(1956) は英国ロックンロール史上初のヒット曲の一つ。ドラマ「The Tommy Steele Story」のサウンドトラックで全英1位。1960年代にロックンロールから離れ、ブロードウェイでミュージカル俳優として活躍した。2020年、芸能界と慈善活動への貢献が認められナイト爵を受章した。
1936年12月17日 1936年12月17日 男性歌手 ロックンロール

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エディ・パルミエリ ★

Eddie Palmieri

ニューヨーク出身のラテン・ジャズ、サルサのピアニスト。1971年、ハーレム・リヴァー・ドライヴ結成。1975年『The Sun Of Latin Music』、2000年『Masterpiece』、2006年『Listen Here!』でグラミー受賞。1997年に参加した『Nuyorican Soul』も人気を博した。
1936年12月15日 1936年12月15日 ピアノ ラテン

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ドン・チェリー

Don Cherry

アメリカのジャズ・トランペット奏者。1958年、オーネット・コールマン『Something Else!!!!』でデビュー。ジョン・コルトレーンやソニー・ロリンズ、アルバート・アイラー、カーラ・ブレイ、チャーリー・ヘイデン、ガトー・バルビエリ、ファラオ・サンダースとも共演した。ネナ・チェリーは養女、イーグル・アイ・チェリーは実子。
1936年11月18日 1995年10月19日 58 トランペット ジャズ

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モルト・シューマン ★

Mort Shuman

アメリカのソングライター、ピアニスト、歌手。エルヴィス・プレスリー『Viva Las Vegas』(1964) をドク・ポーマスと共作し世界中でヒット。他にもアンディ・ウィリアムス、ボビー・ダーリン、ディオンらに提供した楽曲がヒットした。ブリティッシュ・インヴェイジョンが席巻してからはロンドンへ移住し、スモール・フェイセス「Sha-La-La-La-Lee」(1966・全英3位)、ホリーズ「Here I Go Again」(1964)などを書いた。映画音楽やミュージカルも手掛けた。1992年ソングライターの殿堂入り。
1936年11月12日 1991年11月2日 54 作曲家 ロックンロール

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ジミー・ドーキンス

Jimmy Dawkins

アメリカ合衆国ミシシッピ州出身のブルース・ギタリスト、歌手。1955年にシカゴに移り、セッション・ミュージシャンとして評判を得た。
1936年10月24日 2013年4月10日 76 ギター ブルース

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ビル・ワイマン ★

Bill Wyman

イングランドのロック・ベーシスト。1962年からローリング・ストーンズのベーシストを務めたが、ミック・ジャガーとキース・リチャーズの衝突に辟易し、1993年に脱退した。ローリングストーンズは後任としてマイルス・デイヴィス、ハービー・ハンコック、スティング、ブルース・スプリングスティーン、マドンナらと共演したダリル・ジョーンズをサポート・メンバーとして迎えた。
グラミー賞ノミネート 6回(2024年時点)
1936年10月24日 1936年10月24日 ベース ロック

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トン・ゼー

Tom Zé

ブラジルのシンガーソングライター、マルチ楽器奏者、作曲家。1960年代、カエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルとトロピカリア運動(ロック、ソウルを取り込んだ音楽、ブラジル軍事政権に反発)を牽引したが、1960年代後半に運動が下火になると忘れ去られた。1990年代にトーキング・ヘッズのデヴィッド・バーンがトン・ゼー『Estudando o Samba』(1975) を再発したことで活動を再開した。
1936年10月11日 1936年10月11日 男性歌手 ポップ

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ビリー・ヒギンズ

Billy Higgins

アメリカのジャズ・ドラマー。1958年、オーネット・コールマンのバンドに加入。セッション・ドラマーとしてドナルド・バード、デクスター・ゴードン、ジョン・コルトレーン、ジョー・ヘンダーソン、ミルト・ジャクソン、ジャッキー・マクリーン、パット・メセニー、ハンク・モブレー、セロニアス・モンク、リー・モーガン、デヴィッド・マレイ、アート・ペッパー、ソニー・ロリンズ、マル・ウォルドロン、シダー・ウォルトン、ロン・カーターらと共演。。
1936年10月11日 2001年5月3日 <64/td> ドラム ジャズ

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スティーヴ・ライヒ ★★★

Steve Reich

アメリカの作曲家。テリー・ライリーやフィリップ・グラスらと並ぶミニマル・ミュージックの代表的な作曲家の1人。ルチアーノ・ベリオとダリウス・ミヨーなどの現代音楽化に師事し、アフリカ音楽、バリ島のガムラン、ヘブライ語聖書の詠唱法など研究。1976年「Music for 18 musicians」(18人の音楽家のための音楽)世界初演が行われた。現代音楽、テクノ、エレクトロニカのアーティストたちに多大な影響を与えた。
グラミー受賞 2回・ノミネート 2回(2024年時点)
1936年10月3日 1936年10月3日 女男性歌手 ポップ

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バディ・ホリー ★★★

Buddy Holly

アメリカの伝説的なシンガーソングライター。ザ・クリケッツ (The Crickets) のフロントマンで、ビートルズをはじめ後世のロック・ミュージシャンに大きな影響を与えた。1986年ロックの殿堂入り。

1957年、ザ・クリケッツを結成し、同年「That'll Be The Day」(Brunswick) が全米3位を獲得。1969年にゴールド(米国売上100万枚以上)に認定され、1998年にはグラミー賞の殿堂入りを果たした。1958年7月12日、クオリーメン(ビートルズの前身)は初レコーディングを行い、A面に「That'll Be The Day」、B面に「In Spite Of All The Danger」(ポール・マッカートニー作)を収録した。

1959年2月3日、飛行機事故で同乗していたビッグ・ボッパー、リッチー・ヴァレンス、パイロットと共に17歳で他界。一度に3人のロックンローラーが死んだことで、後にドン・マクリーン『American Pie』のフレーズにちなみ「音楽が死んだ日」と呼ばれるようになった。

バディ・ホリーの後任としてアール・シンクス (Vo) がクリケッツに加入。シンクス脱退後、デヴィッド・ボックス (Vo) が加入したが1960年に脱退。1964年、ボックスはソロ歌手としてツアー中、チャーター機の墜落事故により21歳で他界した。バンドはオリジナル・メンバーがいなくなった後も、メンバーチェンジを繰り返しながら2016年まで続いた。
1936年9月7日 1959年2月3日 22 男性歌手 ロック

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チャック・ブラウン

Chuck Brown

アメリカのギタリスト、バンドリーダー、歌手。ラテン・パーカションを多用し、同じビートを延々と持続する音楽ジャンル「ゴーゴー」を創造したことから「The Godfather Of Go-Go」として知られている。刑務所でギターを始め、The Soul Searchers を結成。2011年、ジル・スコット、マーカス・ミラーとの共演した「Love」でグラミー賞「最優秀R&Bパフォーマンス・デュオ・グループ」にノミネートされた。
1936年8月22日 2012年5月16日 75 ギター ゴーゴー

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チャック・イスラエル

Chuck Israels

アメリカのジャズ・ベーシスト。スコット・ラファロの後任としてビル・エヴァンス・トリオに加入。ビリー・ホリデイ、ベニー・グッドマン、コールマン・ホーキンス、スタン・ゲッツ、ハービー・ハンコック、J・J・ジョンソン、ジョン・コルトレーン、ジュディ・コリンズとも共演した。
1936年8月10日 1936年8月10日 ベース ジャズ

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バディ・ガイ ★★★

Buddy Guy

アメリカ合衆国ルイジアナ州レッツワース出身のブルース・ギタリスト、シンガー。ローリング・ストーン誌「偉大なギタリスト」2003年30位、2011年23位。1958年にデビューし、シカゴ・ブルースで最も成功したミュージシャンのひとり。2005年ロックの殿堂入り。 娘は女性ラッパーのショウナ。
グラミー受賞 8回・ノミネート 15回(2024年時点)
1936年7月30日 1936年7月30日 男性歌手 ブルース

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アルバート・アイラー ★

Albert Ayler

アメリカの前衛ジャズ・サックス奏者、歌手、作曲家。1966年、ジョン・コルトレーンの勧めでインパルス・レコードと契約したものの、十分な聴衆を得ることはなかった。コルトレーンの願いは、葬儀でアイラーとオーネット・コールマンに演奏してもらうことだった。1967年7月21日、ニューヨーク St. Peter's Lutheran Church で執り行われたコルトレーンの葬儀でアイラーは「Love Cry, Truth Is Marching In, Our Prayer」を演奏し、オーネット・コールマンの「Naima」で幕が閉じられた。アイラーは1970年11月5日に失踪し、 11月25日にニューヨーク市のイーストリバーで自殺とみられる遺体で発見された。
1936年7月13日 1970年11月25日 34 サックス ジャズ

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トミー・リピューマ ★

Tommy LiPuma

アメリカの大物音楽プロデューサー、ヴァーヴ・ミュージック・グループ会長。1968年にボブ・クラズノーが設立したブルー・サム・レコードに参画。マイルス・デイヴィス、ポール・マッカートニー、イエロージャケッツ、ジョージ・ベンソン、ダイアナ・クラールなど数多の名盤プロデュースした。
グラミー受賞 5回・ノミネート6 回
1936年7月5日 2017年3月13日 80 プロデュース ジャズ

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デイブ・ヴァン・ロンク

Dave Van Ronk

アメリカのフォークシンガー。1960年代のフォークミュージック復興とグリニッチビレッジのフォークシーンの重要人物。
1936年6月30日 2002年2月10日 65 男性歌手 フォーク

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エルメート・パスコアール ★

Hermeto Pascoal

ブラジルの作曲家、マルチ楽器演奏者。ブラジル音楽の最重要人物の一人で革新的な作曲家として知られている。
  • 1964年 アイアート・モレイラらとジャズ・バンド「サンブラーザ・トリオ」(Sambrasa Trio) を結成。唯一のアルバム『Em Som Maior』(1965)をリリースし解散。
  • 1966年 アイアートらが結成したトリオ・ノーヴォに加入しカルテート・ノヴォと改名。
  • 1968年 ブラジリアン・ジャズ・バンドのブラジリアン・オクトパスに加入。
  • 1970年 アイアートに招かれ渡米。マイルス・デイヴィス『Live Evil』(1971, Columbia) に参加。以後、コンスタントにソロ・アルバムをリリースし、『Eu e Eles』(1999) ではすべての楽器を一人で演奏した。
1936年6月22日 1936年6月22日 作曲家 MPB

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クリス・クリストファーソン ★

Kris Kristofferson

アメリカ合衆国テキサス州ブラウンズビル出身のカントリー音楽の世界的シンガーソングライター、俳優。バーブラ・ストライサンドと主演した映画『スター誕生』(1976) でゴールデングローブ賞の主演男優賞を受賞した。
グラミー受賞 3回・ノミネート 13回
  • オックスフォード大学卒業後、ベトナム戦争に志願するも士官学校の教官に任命された。カントリー歌手になる夢を捨てきれず、コロムビア・レコードの清掃夫として働きながら音楽活動を開始。
  • 女性歌手ジューン・カーター(ジョニー・キャッシュの妻)にデモテープを渡したが聴いてもらえず、ヘリコプターをジョニー・キャッシュの自宅の庭に着陸させてテープを渡したという。
  • 1967年 エピック・レコードと契約し「Golden Idol / Killing Time」をリリース。ヒットしなかったものの、ジョニー・キャッシュらがクリストファーソンの楽曲を取り上げた。
  • 1971年 ジャニス・ジョプリンが「Me and Bobby McGee」を歌い全米1位。
  • 1971年 グラミー賞を総なめにし、サミー・スミスが歌った「Help Me Make It Through The Night」で「カントリー・ソング・オブ・ザ・イヤー」受賞。
  • 2ndアルバム『The Silver Tongued Devil and I』(1971) が全米26位・カントリー5位を記録し、タイトル曲は映画『タクシードライバー』で使用された。
  • 1973年 歌手リタ・クーリッジと再婚(1980年離婚)。
  • 俳優業に専念。『ビリー・ザ・キッド 21才の生涯』(1973) 『コンボイ』(1978) などに出演し、バーブラ・ストライサンドと主演した『スター誕生』(1976) でゴールデングローブ賞の主演男優賞を受賞したが、1980年代以降は作品に恵まれなかった。
  • 1985年 ジョニー・キャッシュ (1932–2003, 71)、ウィリー・ネルソン (1933– ) 、ウェイロン・ジェニングス (1937–2002, 64) らとハイウェイマンを結成。3枚のスタジオアルバムをリリースし、シングル「Highwayman」がカントリー・チャート1位を獲得。
  • 2021年 引退。
  • 2024年 9月28日 マウイ島の自宅で88歳で他界した。
1936年6月22日 2024年9月28日 88 男性歌手 カントリー

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クレイ・ハモンド

Clay Hammond

アメリカのR&Bシンガー、ソングライター。1963年、リトル・ジョニー・テイラーに提供した「Part Time Love」全米19位・R&B1位を獲得。
1936年6月21日 2011年2月4日 74 男性歌手 R&B

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マイーザ ★

Maysa Matarazzo

ブラジルの女性歌手、女優。1956年、アルバム『Convite para Ouvir Maysa』でデビュー。南米ツアーを大成功させたが、ナラ・レオンの恋人で人気プロデューサーのホナルド・ボスコリ (Ronaldo Bôscoli) と不倫関係となった。名家出身のマイーザは、夫も子供もいたことから人気は急落した。その後ヨーロッパで成功を収め、ブラジルに帰国してからは人気が回復。1970年代にはテレビドラマに出演。波乱に満ちた私生活から「ボサノヴァ界のジャニス・ジョプリン」と呼ばれるようになった。1977年、自動車事故に遭い40歳で他界した。なお、ホナルド・ボスコリは1970年にエリス・レジーナとの間に長男をもうけた。
1936年6月6日 1977年1月22日 40 女性歌手 ボサノヴァ

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ボビー・ダーリン ★★★

Bobby Darin

アメリカの世界的歌手、作曲家、俳優。恋人だったコニー・フランシスの作曲家としてキャリアをスタートし、全米「TOP 100」40曲、「TOP 10」10曲、「No.1」1曲のヒット曲を放った。友人のエルヴィス・プレスリーは、ダーリンのコンサートに忍び込み観覧していた。俳優としてさまざまな映画に出演し、黒人としては初めてアカデミー主演男優賞を受賞したシドニー・ポワチエ、スティーヴ・マックイーン、グレゴリー・ペックといったハリウッドのトップスターたちと共演した。ニール・ヤング「ボビー・ダーリンはスタイルをコロコロ変えたので、以前は腹が立っていた。でも今見ると、彼は本当に天才だったと思う」
グラミー受賞 2回・ノミネート 5回
  • 1958年 アトランティック・レコードのアーメット・アーティガンと契約。
  • 1958年 「Splish Splash」全米3位
  • 1959年 「Mack The Knife」全米1位
  • 1960年 人気女優サンドラ・ディーと結婚(1967年離婚)。
  • 1962年 映画『カム・セプテンバー』でゴールデングローブ賞「新人男優賞」受賞。
  • 1964年 ドリス・デイの息子テリー・メルチャーと音楽出版 TM Music 設立。
  • 1968年 ロバート・ケネディに同行し大統領選挙運動に関わった。
  • 1973年 12月20日 心臓手術後、37歳で他界した。
  • 1990年 ロックの殿堂入り。プレゼンターは親友ポール・アンカ。
  • 1999年 ソングライターの殿堂入り。
1936年5月14日 1973年12月20日 37 男性歌手 ポップ

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カーラ・ブレイ★

Carla Bley

アメリカの著名な女性ジャズピアニスト、作曲家。前衛的なアプローチで知られ、アート・ファーマー「Sing Me Softly Of The Blues」(1965)、ゲイリー・バートン『A Genuine Tong Funeral』(1968) 全曲、チャーリー・ヘイデン『Liberation Music Orchestra』(1970) 3曲を提供し、一躍ジャズ界を代表する作曲家のひとりとなった。名ベーシストのスティーヴ・スワロウと共演多数。
グラミー賞ノミネート 3回
  • 1957年 ポール・ブレイと結婚。
  • 1965年 マイケル・マントラーと再婚(1991年離婚)
  • 1966年 カレン・マントラーを授かった。
  • 1971年 詩人ポール・ヘインズと共作した実験的な3枚組ジャズ・オペラ・アルバム『Escalator Over The Hill』はジャズ界に物議をかもした。
  • 1975年 ザ・ジャック・ブルース・バンドのツアーに参加。
  • 1981年 ニック・メイスン (Pink Floyd) 1stアルバム『Nick Mason's Fictitious Sports』全曲提供。
1936年5月11日 2023年10月17日 87 ピアノ ジャズ

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トニー・バーロウ

Tony Barrow

イングランドの音楽マネージャー。デッカでライナーノートを書く仕事をしていたところ、ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインに引き抜かれ、1962年から1968年までエプスタインのネムズ・エンタープライズ初のロンドン支社の責任者・広報部の主任としてビートルズの広報担当となった。ビートルズのデビューから世界制覇、最大のコンサート、日本公演、ビートルズ排斥運動など、数々の歴史的場面に立ち会った。
1936年5月11日 2016年5月14日 80 マネージ ロック

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ロイ・オービソン ★★★

Roy Orbison

アメリカの世界的シンガーソングライター。「Oh, Pretty Woman」が世界各国で1位を獲得し、洗練された歌唱とロカビリー調の楽曲で1960年代に大人気を博した。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」第13位、「偉大な100組のアーティスト」第37位。
グラミー受賞 5回・ノミネート 9回
  • 1960年 「Only The Lonely」(Monument) 全米2位 Pd: Fred Foster
  • 1960年 「Blue Angel」(Monument) 全米9位 Pd: Fred Foster
  • 1961年 「Running Scared」(Monument) 全米1位・全英9位 Pd: Fred Foster
  • 1961年 「Crying」(Monument) 全米2位 Pd: Fred Foster
  • 1962年 「Dream Baby」(Monument) 全米4位 Pd: Fred Foster
  • 1963年 「In Dreams」(Monument) 全米7位 Pd: Fred Foster
  • 1963年 「Mean Woman Blues」(Monument) 全米5位 エルヴィス・プレスリーのカバー
  • 1964年 「It's Over」(Monument) 全米9位 Pd: Wesley Rose
  • 1964年 「Oh, Pretty Woman」(Monument) 全米1位・全英1位 Pd: Fred Foster
  • 1982年 ヴァン・ヘイレンが「Oh, Pretty Woman」をカヴァーし全米12位。「Dance The Night Away」(1979) 以来の全米TOP 20入り。
  • 1988年 ボブ・ディラン、ジョージ・ハリスン、ジェフ・リン、トム・ペティとトラヴェリング・ウィルベリーズを結成した。
  • 1989年 「You Got It」(Virgin) 全米9位
1936年4月23日 1988年12月6日 52 男性歌手 ポップ

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グレン・キャンベル ★

Glen Campbell

アメリカの人気カントリー歌手、ギタリスト、テレビ司会者、俳優。1960–1970年代に多くのヒット曲を生み出し、人気バラエティ番組『The Glen Campbell Goodtime Hour』の司会で知られる。50年のキャリアでアルバム70枚以上、レコード売上4,500万枚。80曲がビルボードにランクイン、29曲トップ10、9曲1位。スタジオ・ミュージシャン集団レッキング・クルーに加入し、フランク・シナトラ、エルヴィス・プレスリーなどビッグネームのレコーディングに参加。1964年からしばらくブライアン・ウィルソンの代役としてビーチ・ボーイズのツアーに参加し『ペット・サウンズ』などのレコーディングにギターで参加した。1967年「ジェントル・オン・マイ・マインド」「恋はフェニックス」でグラミー賞を獲得。1975年には「Rhinestone Cowboy」が200万枚を売り上げ、以後も精力的に活動した。グラミーの殿堂入り3曲、グラミー生涯功労賞を受賞。
1936年4月22日 2017年8月8日 81 男性歌手 カントリー

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スコット・ラファロ ★★★

Scott LaFaro

アメリカの伝説的なジャズ・ベーシスト。ビル・エヴァンス・トリオの黄金期をポール・モチアン (Dr 1931–2011) と支え『Portrait in Jazz』(1959)、『Explorations』(1961)、1961年6月25日にヴィレッジ・ヴァンガードで収録した『Sunday At The Village Vanguard』『Waltz for Debby』で歴史的な名演を残した。「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」でスタン・ゲッツと共演した2日後、交通事故で夭折。エヴァンスのショックはあまりにもひどく、数カ月間演奏できなかったという。1966年、21歳のチャック・イスラエルを後任に迎えた。
1936年4月3日 1961年7月6日 25 ベース ジャズ

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ドン・コヴェイ ★

Don Covay

アメリカのR&B、ソウル、ロックンロールのシンガーソングライター。1950年代から1970年代にかけて人気を博し、アレサ・フランクリン「Chain of Fools」を作曲した。1966年、ソロモン・バークが結成したソウル・クランにオーティス・レディング、ウィルソン・ピケット、ジョー・テックスらと参加。
  • 1964年「Mercy, Mercy」(Rosemart) 全米35位・R&B 1位
  • 1965年「See-Saw」(Atlantic) 全米44位・R&B 5位
  • 1974年「It's Better to Have (and Don't Need)」

作曲

  • チャビー・チェッカー「Pony Time」全米1位
  • アレサ・フランクリン「Chain of Fools」(Atlantic) 全米2位・R&B 1位

グラミー受賞 回・ノミネート 回(2024年時点)
1936年3月24日 2015年1月31日 男性歌手 ポップ

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ベティ・クルティス

Betty Curtis

イタリアの歌手。カンツォーネの名曲「Al Di Là」で知られる。1957年にデビューする。1961年「Tu Si' 'A Malincunia」でナポリ音楽祭で優勝し絶頂期を迎える。1962年「Chariot」、1965年「Invece No」がヒットし長期間にわたり活躍した。
1936年3月21日 2006年6月15日 70 女性歌手 ポップ

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リー・ペリー ★

Lee "Scratch" Perry

ジャマイカのレゲエの音楽プロデューサー、エンジニア。1973年、自宅の裏庭にブラック・アーク・スタジオを建設し、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ、ジュニア・バイルズ、ヘプトーンズ、マックス・ロメオといった有名なミュージシャンのプロデュースを行った。
グラミー受賞 1回・ノミネート 5回(2024年時点)
1936年3月20日 2021年8月29日 85 プロデュース レゲエ

jm

フレッド・ニール

Fred Neil

アメリカのフォークのシンガーソングライター。1960年代初頭に「フレッド・ニール & ヴィンス・マーティン」のデュオで知られるようになった。1966年「Everybody's Talkin'」を作詞作曲。ハリー・ニルソンが歌い映画『真夜中のカーボーイ』(1969)で使用され全米6位、ニルソンはグラミー賞を受賞した。現代のフォークシンガーから高評価だがツアーには消極的で、人生の最後の30年間のほとんどをイルカの保護活動に費やした。マネージャーを務めたハワード・ソロモン (Howard Solomon) は、 ニューヨークのグリニッチビレッジにあった有名ナイトクラブ「カフェ・オー・ゴーゴー」の元オーナー。
1936年3月16日 2001年7月7日 65 男性歌手 フォーク

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ガボール・ザボ

Gábor Szabó

ハンガリー出身のジャズ・ギタリスト。カルロス・サンタナが絶大な影響を受けたことで知られている。ジョン・レジェンドが「Save Room」(2005) で「Stormy」(1969) をサンプリングした。
  • 1958年 バークリー音楽院に入学。
  • 1961年 チコ・ハミルトン楽団に加入。チャールズ・ロイドともに在籍。
  • 1965年 ロマン・ポランスキー監督映画『反撥』音楽担当
  • 1965年 チャールズ・ロイド『Of Course, of Course』『Nirvana』に参加。ロン・カーター、トニー・ウィリアムスと共演。
  • 1968年 ゲイリー・マクファーランド、カル・ジェイダーと共にスカイレコード設立(1970年倒産)。
  • 1970年 サンタナがフリートウッド・マック「Black Magic Woman」とガボール・ザボ「Gypsy Queen」をメドレーにし全米4位を獲得。
  • 1971年 アルバム『High Contrast』にボビー・ウーマックが参加し「Breezin'」を楽曲提供。
  • 1978年 チック・コリアが代表を務める Vanguard Artists International(サイエントロジー関連の会社)とマネジメント契約。後に金銭の横領、洗脳、監禁されたとしてサイエントロジーに対して2100万ドルの訴訟を起こしたが和解。
  • 1982年 2月26日 薬物依存による内臓疾患によりブダペストで他界した。
1936年3月8日 1982年2月26日 45 ギター ジャズ

hr

ジョン・レイトン

John Leyton

イングランドの俳優、歌手。1961年「Johnny Remember Me」全英1位。大滝詠一「さらばシベリア鉄道」のベース曲となった。
1936年2月17日 1936年2月17日 男性歌手 ポップ

eg

ホルスト・ヤンコフスキー

Horst Jankowski

ドイツのピアニスト。イージーリスニングで国際的に成功した。1965年「A Walk In The Black Forest」(Eine Schwarzwaldfahrt) 全米12位・全英3位・イージーリスニング1位・売上100万枚を記録しゴールドディスクを受賞した。
1936年1月30日 1998年6月29日 62 ピアノ イージー

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ジェームス・ジェマーソン ★★★

James Jamerson

アメリカの天才ベーシスト。1960–1970年代のモータウン・レコード黄金期にマーヴィン・ゲイ「What's Going On」などでプレイ。ローリング・ストーン誌「史上最高のベーシスト」2020年1位。ジャコ・パストリアスなど様々なジャンルのベーシストに影響を与えた。

See Also

  • ボブ・バビット (1937–2012, 74)
  • キャロル・ケイ (1935–)
1936年1月29日 1983年8月2日 47 ベース ポップ

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エスター・フィリップス

Esther Phillips

アメリカのR&B歌手。1950年代に「Double Crossing Blues」「Mistrustin' Blues」「Release Me」などがヒット。 1973年「Home Is Where the Hatred Is」でグラミーにノミネート。1975年、ディスコ音楽「What a Diff'rence a Day Makes」が大ヒットした。
1935年12月23日 1984年8月7日 48 女性歌手 R&B

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ボビー・ティモンズ

Bobby Timmons

アメリカのジャズ・ピアニスト、作曲家。1958年、ジャズ・メッセンジャーズに短期間在籍。名曲「Moanin'」(198) と「Dat Dere」(1960) を作曲した。1974年。肝硬変のため38歳で夭折。
1935年12月19日 1974年3月1日 38 ピアノ ジャズ

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アル・ジャクソンJr.

Al Jackson Jr.

テネシー州メンフィス出身の名ドラマー、音楽プロデューサー、ソングライター。スタックス・レコード専属スタジオ・バンド「ブッカー・T&ザ・MG's」を結成し、オーティス・レディング、ジョニー・テイラー、ウィルソン・ピケット、サム&デイヴらの演奏を担当。1970年代には、エルヴィス・プレスリー、ビル・ウィザース、レオン・ラッセル、ジェリー・リー・ルイス、エリック・クラプトン、アレサ・フランクリン、ロッド・スチュワート、ダニー・ハサウェイなどのセッション・ドラマーとしても活躍した。1975年7月、離婚を申請中の妻に銃で胸を撃たれたが告訴しないことにした。10月1日、自宅で暴漢に撃たれ39歳で他界。後日、犯人は別件で警察官に射殺された。
1935年11月27日 1975年10月1日 39 ドラム R&B

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エスケリータ

Esquerita

アメリカのロックンロール・シンガー、ソングライター、ピアニスト。派手なルックスでリトル・リチャードに影響を与えたロックンロールの先駆者。ジーン・ヴィンセントのバックバンド「ブルーキャップス」のポール・ピークと共作したことからキャピトル・レコードと契約し、1959年にデビュー・アルバム『Esquerita!』をリリース。1970年、リトル・リチャードに「Dew Drop Inn」と「Freedom Blues」を提供した。
1935年11月20日 1986年10月23日 50 男性歌手 ロック

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ルチアーノ・パヴァロッティ ★★★

Luciano Pavarotti

イタリアのオペラ歌手。声域はテノール。20世紀後半を代表するオペラ歌手のひとりで、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスと共に三大テノールとしても知られている。
グラミー受賞 5回・ノミネート 15回
1935年10月12日 2007年9月6日 71 男性歌手 オペラ

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ジュリー・アンドリュース

Julie Andrews

イギリスの女優、歌手。1948年に女優としてデビューし、1964年『メリー・ポピンズ』でアカデミー主演女優賞を獲得。1965年『サウンド・オブ・ミュージック』で2回目のアカデミー賞ノミネートを果たし、ゴールデングローブ賞 主演女優賞を受賞。エリザベス2世より舞台芸術の功績で大英帝国勲章に叙された。
1935年10月1日 1935年10月1日 女性歌手 ポップ

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ジョニー・マティス ★

Johnny Mathis

アメリカの世界的ポピュラー音楽歌手。20世紀で最も売れたアーティストの一人。

代表曲

  • 1956年 「Wonderful! Wonderful!」(Columbia) 全米位
  • 1957年 A「Chances Are」(Columbia) 全米4位
  • 1957年 B「The Twelfth of Never」(Columbia) 全米9位・豪2位
  • 1957年 「It's Not for Me to Say」(Columbia) 全米5位
  • 1959年 「Misty」(Columbia) 全米12位
  • 1978年 with デニース・ウィリアムス「Too Much,Too Little,Too Late」(Columbia) 全米・R&B 1位
  • 1982年 with ディオンヌ・ワーウィック「Friends in Love」(Arista) 全米38位
  • 2004年 with レイ・チャールズ「Over The Rainbow」
1935年9月30日 1935年9月30日 男性歌手 ポップ

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ジェリー・リー・ルイス ★

Jerry Lee Lewis

アメリカのロックンロール、ロカビリー、カントリー・ミュージックのシンガーソングライター、ピアニスト。ローリング・ストーン誌「史上最高の500曲」96位、「偉大な100組のアーティスト」2004年24位、「偉大な100人のシンガー」67位。「Great Balls of Fire」(1957) 全米2位。2000年代になってもアルバム『Last Man Standing』が全米26位・カントリー4位を記録し長期にわたって人気を博した。1956年、エルヴィス・プレスリー、カール・パーキンス、ジョニー・キャッシュと一回限りのミリオン・ダラー・カルテットを結成し、即興ジャム・セッションを行った。ライヴでピアノに火をつけたエピソードが有名だが本人は否定。
グラミー受賞 1回・ノミネート 3回
1935年9月29日 2022年10月28日 男性歌手 ロック

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レス・マッキャン

Les McCann

アメリカのジャズ・ピアニスト。1969年、スイスのモントルー・ジャズ・フェスティバルでのライブを収録したアルバム『Swiss Movement』ビルボード・ジャズアルバム1位・R&Bチャート2位・グラミー賞2部門ノミネート。ロバータ・フラックを発掘し彼女の1stアルバム『First Take』(1969) などに参加した。
1935年9月23日 2023年12月29日 88 ピアノ ジャズ

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オザワ小澤 征爾 ★

Seiji Ozawa

世界的指揮者。海外の一流オーケストラを指揮した初の日本人。
1935年9月1日 2024年2月6日 88 指揮者 クラシック
ジョー・テックス ★

Joe Tex

アメリカ合衆国テキサス州出身のソウル歌手。ファンク、カントリー、ゴスペル、R&Bをミックスした独自のサザン・ソウルで1960・1970年代に成功を収めた。アポロ・シアターで4回優勝し、1955年にキング・レコードと契約。ジャッキー・ウィルソン、ジェームス・ブラウン、リトル・リチャードなどの前座を務め、「Hold What You've Got」(1964) まで長年ヒットに恵まれなかった。リトル・リチャードらによると、ジェームス・ブラウンの動きやマイクさばきはテックスによるものだという。1963年のコンサート中、ジェームス・ブラウンはライバル関係が激化したテックスを襲撃し、複数の人が刺され銃撃されたがテックスは逃げ延びた。1966年、ソロモン・バークが結成したソウル・クランにオーティス・レディング、ウィルソン・ピケット、ドン・コヴェイらと参加。心臓発作により他界。
グラミー賞ノミネート 5回
  • 1964年「Hold What You've Got」(Dial) 全米5位・R&B 1位
  • 1967年「Skinny Legs and All」全米10位・R&B 2位
  • 1972年「I Gotcha」全米2位・R&B 1位 クエンティン・タランティーノ監督の映画『レザボア・ドッグス』(1992) に収録。
  • 1977年「Ain't Gonna Bump No More (With No Big Fat Woman)」全米12位・R&B 7位・英・豪2位
1935年8月8日 1982年8月13日 47 男性歌手 ソウル

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ローランド・カーク ★

Rahsaan Roland Kirk

アメリカの盲目のジャズ・サックス奏者。多彩な楽器を演奏・蒐集し、クラシック、ラグタイム、ポップス、フリージャズなど古今のあらゆる音楽を取り入れた。アニマルズのエリック・バードン、ジェスロ・タルのイアン・アンダーソンなどロック・ミュージシャンにも多大な影響を与えた。
1935年8月7日 1977年12月5日 42 サックス ジャズ

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スティーヴ・ローレンス ★

Steve Lawrence

アメリカの歌手、コメディアン、俳優。妻イーディ・ゴーメとのポップデュオ「スティーブ&アイディー」や映画『ブルース・ブラザース』(1980) でモーリー・スライン役を演じたことで知られている。1950年代後半から1960年代前半にかけて、ミュージカルのヒットパレードで成功を収め、「Party Doll」(全米5位)「Pretty Blue Eyes」(全米9位)「Footsteps」(全米7位)「Portrait of My Love」(全米9位)「Go Away Little Girl」(全米1位)などが大ヒット曲。2009年にイーディが引退するまでデュオとして活動を続けた。
グラミー受賞 1回・ノミネート 2回
1935年7月8日 2024年3月7日 88 男性歌手 ポップ

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テリー・ライリー

Terry Riley

アメリカの作曲家。スティーヴ・ライヒやフィリップ・グラスらと並ぶミニマル・ミュージックの代表的な作曲家の1人。2020年から日本在住。英国のロック・バンド、カーヴド・エアのバンド名の由来となった「A Rainbow In Curved Air」(1969) は、ピート・タウンゼントに影響を与えザ・フー「Won't Get Fooled Again」(1971) と「Baba O'Riley」(1971) が誕生した。
グラミー賞ノミネート 1回(2024年時点)
1935年6月24日 1935年6月24日 作曲家 ミニマム

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ペギー・シーガー

Peggy Seeger

アメリカの女性シンガーソングライター。アメリカン・フォークの名門シーガー家に生まれ、父は民俗学者・音楽学者のチャールズ・シーガーでピート・シーガーは異母兄弟。「フォークの女王」ジョーン・バエズに多大な影響を与えた。
1935年6月17日 1935年6月17日 女性歌手 フォーク

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グラント・グリーン ★

Grant Green

アメリカのジャズ・ギタリスト。1960年代のブルーノート・レコードを代表するギタリストで、ビバップからソウル・ジャズにど様々なスタイルを聴かせた。
1935年6月6日 1979年1月31日 43 ギター ジャズ

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マル・エヴァンズ

Mal Evans

ビートルズのアシスタント、ロードマネージャー。ビートルズのマネージャーのブライアン・エプスタインにビートルズのロードマネージャー兼アシスタントとしてニール・アスピノールとともに雇われた。ビートルズ解散後、1969年にバッドフィンガーのヒット曲「No Matter What」(嵐の恋)をプロデュースした。ロサンゼルスの自宅でエヴァンズが持っていた空気銃を本物と誤認した警官に射殺された。
1935年5月27日 1976年1月5日 40 アシスタント ロック

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ラムゼイ・ルイス ★

Ramsey Lewis

アメリカのジャズ・ピアニスト、作曲家。
グラミー受賞 3回・ノミネート 4回(2024年時点)
  • 1956年 ラムゼイ・ルイス・トリオとしてチェス・レコードよりデビュー。アイザック・レッド・ホルト (Dr)、エルディー・ヤング (B)
  • 1964年 シングル「The 'In' Crowd」』全米5位・R&B2位
  • 1965年 『The In Crowd』全米2位・R&B1位 第8回グラミー賞「最優秀インストゥルメンタル・ジャズ・パフォーマンス」受賞。
  • 1966年 ヤングとホルトが脱退し、ヤング・ホルト・アンリミテッド結成
  • 1966年 モーリス・ホワイト (Dr)、クリーヴランド・イートン (B) 加入。
  • 1970年 ホワイトに替わりモーリス・ジェニングス加入。
  • 1972年 コロムビア・レコードに移籍。
  • 1974年 『Sun Goddess』全米12位・R&B1位・Jazz1位 Pd: Teo Macero, Ramsey Lewis, Maurice White グラミー受賞
  • 1992年 GRPレコードに移籍。
  • 1995年 アーバン・ナイツ結成 2019年までに7枚のアルバムをリリース。
  • 1995年 アーバン・ナイツ 1stアルバム『Urban Knights』グローヴァー・ワシントン・ジュニア、オマー・ハキム参加。
  • 2018年 音楽界から引退表明。
1935年5月27日 2022年9月12日 ピアノ ジャズ

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セシル・マクビー ★

Cecil McBee

アメリカのジャズ・ベーシスト。1975年に自身のグループを結成して多数のリーダー・アルバムを録音。サイドマンとして著名で、マイルス・デイヴィス、アンドリュー・ヒル、サム・リヴァース、ジャッキー・マクリーン、ウェイン・ショーター、ファラオ・サンダース、チャールズ・ロイド、ユセフ・ラティーフ、フレディ・ハバード、ウディ・ショウ、キース・ジャレット、アリス・コルトレーンらとレコーディングを行なった。
1935年5月19日 1935年5月19日 ベース ジャズ

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テディ・ランダッツォ

Teddy Randazzo

アメリカのシンガーソングライター、音楽プロデューサー。ボビー・ワインスタインと組み、「Goin' Out of My Head」(1964) 全米6位、「It's Gonna Take a Miracle」(1965) 全米41位(デニース・ウィリアムスのカバーは全米10位・R&B1位)、「Pretty Blue Eyes」(1959) 、「Hurt So Bad」(1964) などがヒット。フランク・シナトラ、エラ・フィッツジェラルド、リンダ・ロンシュタットらがカバーした。女性グループのロイヤレッツをプロデュースした。
1935年5月13日 2003年11月21日 68 男性歌手 ポップ

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ゲイリー・ピーコック ★

Gary Peacock

アメリカの名ジャズ・ベーシスト。1954年から2年の兵役中にベースをマスターし、除隊後はLAでアート・ペッパーらとの活動を経てNYでフリージャズに身を投じた。1977年にキース・ジャレット、ジャック・ディジョネットと結成したトリオは25年以上継続した。1990年、菊地雅章、ポール・モチアンと「Tethered Moon」結成。アネット・ピーコックは元妻。
グラミー賞ノミネート 4回
1935年5月12日 2020年9月4日 85 ベース ジャズ

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ラリー・ウィリアムズ

Larry Williams

アメリカのR&Bのシンガーソングライター。1955年、リトル・リチャードと出会いレイ・チャールズのプロデューサー、ロバート・ブラックウェルを通じてスペシャルティ・レコードと契約。「Dizzy, Miss Lizzy」「Slow Down」「Slow Down」をビートルズがカバーした。
1935年5月10日 1980年1月7日 44 男性歌手 R&B

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オーティス・ラッシュ ★

Otis Rush

アメリカ合衆国ミシシッピ州フィラデルフィア出身のブルース・シンガー、ギタリスト、ソングライター。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のギタリスト」2011年53位。1950年代にシカゴでバディ・ガイ、マジック・サムらとともに新たなシカゴ・ブルースのサウンドを切り開いた。2006年にリリースされたライブ・アルバム『Live At Montreux 1986』が全米15位を記録した。
グラミー受賞 1回・ノミネート 4回
1935年4月29日 2018年9月29日 83 男性歌手 ブルース

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ミルトン・バナナ

Milton Banana

ブラジルのボサノバおよびジャズ・ドラマー。ジョアン・ジルベルトやスタン・ゲッツとのコラボレーションで知られている。
1935年4月23日 1999年5月22日 60 ジャズ ドラム

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ポール・チェンバース ★★★

Paul Chambers

アメリカの天才的ジャズ・ベーシスト。1950–1960年代の数々の名盤で知られている。20歳でマイルス・デイヴィスのバンドに加入した後、ウィントン・ケリー、ジョン・コルトレーン、ソニー・ロリンズ、バド・パウエル、キャノンボール・アダレイといったジャズ・ジャイアンツと共演。「Mr. P.C.」はコルトレーンがチェンバースへ捧げた曲。大量飲酒と麻薬の常習者で肺結核で夭逝。
  • 1962 Wes Montgomery – Full House
  • 1961 Oliver Nelson – The Blues And The Abstract Truth
  • 1960 John Coltrane – Giant Steps
  • 1959 Miles Davis – Kind Of Blue
  • 1959 Chet Baker – Chet
  • 1958 John Coltrane With Red Garland – Soultrane
  • 1958 Sonny Clark – Cool Struttin'
  • 1958 Miles Davis – Milestones
  • 1957 Sonny Rollins – Volume 2
  • 1957 John Coltrane – Blue Train
  • 1957 Miles Davis – 'Round About Midnight
1935年4月22日 1969年1月4日 33 ベース ジャズ

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ポール・A・ロスチャイルド ★

Paul A. Rothchild

アメリカ合衆国ニューヨーク州ブルックリン出身の音楽プロデューサー。1964年、ジャック・ホルツマンのエレクトラ・レコードでプロデューサーに就任し、ポール・バターフィールド、ドアーズ、ジャニス・ジョプリンらを手掛けた。
グラミー賞ノミネート 1回

プロデュース作品

  • 1965年 ポール・バターフィールド・ブルース・バンド 1stアルバム『The Paul Butterfield Blues Band』(Elektra) 全米123位
  • 1966年 ポール・バターフィールド・ブルース・バンド 2ndアルバム『East-West』(Elektra) 全米65位
  • 1966年 ティム・バックリィ 1stアルバム『Tim Buckley』(Elektra)
  • 1966年 ドアーズ 1stアルバム『The Doors』(Elektra) 全米2位
  • 1967年 ドアーズ 2ndアルバム『Strange Days』(Elektra) 全米3位
  • 1968年 ドアーズ 3rdアルバム『Waiting for The Sun』(Elektra) 全米1位
  • 1969年 ドアーズ 4thアルバム『The Soft Parade』(Elektra) 全米6位
  • 1970年 ドアーズ 5thアルバム『Morrison Hotel』(Elektra) 全米4位・全英12位
  • 1969年 ジョニ・ミッチェル 2ndアルバム『Clouds』(Reprise) 全米31位
  • 1971年 ジャニス・ジョプリン「Me and Bobby McGee」全米1位 クリス・クリストファーソン作
  • 1971年 ジャニス・ジョプリン 2ndアルバム『Pearl』全米1位
  • 1979年 ベット・ミドラー 『The Rose』(Atlantic) 全米12位 サウンドトラック
  • 1991年 映画『ドアーズ』サウンドトラック 主演ヴァル・キルマー 監督オリバー・ストーン 制作ビル・グレアム
1935年4月18日 1995年3月30日 59 プロデュース ロック

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ボビー・ヴィントン ★

Bobby Vinton

アメリカの人気歌手。1960年にエピック・レコードと契約。セールス不振で1962年に解雇の通知を受けるが、スタッフを説得し「Roses Are Re」を録音。4週間全米1位を記録し、エピック・レコードに最初のミリオンセラーをもたらした。
1935年4月16日 1935年4月16日 男性歌手 ポップ

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ピーター・グラント ★

Peter Grant

イングランドの音楽マネージャー。レッド・ツェッペリンを世界的グループに育て上げたことで知られている。用心棒、プロレスラー、俳優を経て英国の大物プロモーター、ドン・アーデン (1926–2007) のアシスタントとなり、アメリカから渡英したジーン・ヴィンセント、チャック・ベリー、リトル・リチャード、エディ・コクランらのツアー・マネージャーを務めた。ミッキー・モストと共にプロダクションを設立し、ヤードバーズ、ジェフ・ベック・グループ、レッド・ツェッペリンのマネージャーとプロデューサーを務めた。レッド・ツェッペリンと「スワンソング・レコード」を設立。
1935年4月5日 1995年11月21日 60 実業家 ロック

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ハーブ・アルパート ★★★

Herb Alpert

アメリカのトランペット奏者。日本ではニッポン放送『オールナイトニッポン』のテーマ曲「Bittersweet Samba」(1965) が有名。1962年、ジェリー・モスとA&Mレコードを共同設立。「This Guy's In Love With You」(1968)「Rise」(1979) の2曲が全米1位。28枚のアルバムがビルボードTOP 200にチャートインし、5枚が全米1位を獲得。ボーカリストとしても全米1位を獲得した唯一のミュージシャン。レコードを売上推定7,200万枚。2006年、ロックの殿堂入り。2013年、オバマ大統領からアメリカ国家芸術勲章を授与。1959年、サム・クック、ルー・アドラーと「Wonderful World」全米12位・R&B2位を共作した。
グラミー受賞 8回・ノミネート 24回(2024年時点)
1935年3月31日 1935年3月31日 トランペット ジャズ

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キャロル・ケイ ★★★

Carol Kaye

アメリカ合衆国ワシントン州エヴァレット出身の女性ベーシスト、ギタリスト。ローリング・ストーン誌「史上最高のベーシスト50選」2020年5位。モータウンのスタジオ・ミュージシャン集団レッキング・クルーのメンバーとして知られ、1万回以上のレコーディングに参加。1969年、世界初のエレクトリックベース教則本『How To Play The Electric Bass』や『Electric Bass Lines』シリーズを出版し、スティング、ジョン・ポール・ジョーンズ、 ジャコ・パストリアス、ネイザン・イースト、クリスチャン・マクブライドらが手にしたという。1970年代には『ミッション・インポッシブル』や『アダムス・ファミリー』のテーマなどテレビ・映画音楽で演奏した。

参加作品

  • 1958年 リッチー・ヴァレンス「La bamba」リズム・ギター
  • 1966年 ビーチ・ボーイズ『Pet Sounds』(Capitol)
  • 1966年 マザーズ・オブ・インヴェンション『Freak Out!』

See Also

  • タル・ウィルケンフェルド (1986–)
  • ジェームス・ジェマーソン (1936–1983, 47)
1935年3月24日 1935年3月24日 ベース

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サム・レイ

Sam Lay

アメリカのドラマー、歌手。1960年にマディ・ウォーターズのドラマーとなり、以後、ハウリン・ウルフ、ボブ・ディラン、ポール・バターフィールドらと共演した。
1935年3月20日 2022年1月29日 86 ドラム ブルース

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ソニー・ボノ

Sonny Bono

アメリカのシンガーソングライター、俳優、政治家。スペシャルティ・レコードでソングライターとしてキャリアを開始し、サム・クック「Things You Do to Me」(1959) を書いた。フィル・スペクターのアシスタントを務めた後、1964年に2番目の妻シェールと「ソニー&シェール」結成し大人気を博した。

カリフォルニア州パームスプリングスの第16代市長 (1988–1992)、 カリフォルニア州第44選挙区の米国下院議員 (1995–1998) を務め、全米1位を獲得した唯一の議員。レッド・ホット・チリ・ペッパーズのアンソニー・キーディスの名付け親。スキー中に木にぶつかって負傷し他界した。
1935年2月16日 1998年1月5日 62 男性歌手 ポップ

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ジーン・ヴィンセント ★

Gene Vincent

アメリカのロカビリー・シンガー。ブルー・キャップスを率いて1950年代に人気を博し、後世のロック・ミュージシャンに影響を与えた。1956年、デビュー・シングルのB面「Be-Bop-A-Lula」(Capitol ) が全米7位を記録し、ビートルズらがライヴで演奏した。エディ・コクランやバディ・ホリーらと同様、ヨーロッパに拠点を移し、ロックンロールが全盛期だったイギリスで人気となり、若者のジョン・レノンやポール・マッカートニーらがコンサートに訪れ、セッション・ミュージシャン時代のリッチー・ブラックモアが「Catch Me a Rat」や「Crazy Beat」のライブなどでギターを演奏した。1960年4月16日、イギリスで交通事故に遭い、同乗していたエディ・コクランは翌日他界。ヴィンセントから影響を受けたビートルズやローリング・ストーンズらがシーンを席巻すると影を潜めていった。胃潰瘍のため36歳で他界。1998年ロックの殿堂入り。
1935年2月11日 1971年10月12日 36 男性歌手 ロック

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ロニー・ホーキンス ★

Ronnie Hawkins

アメリカ出身のロックンロール、カントリーの歌手、俳優、司会者。40年以上にわたってカナダで活動し、同国のロック・シーンに多大な影響を与えた。
  • 1958年 ザ・ホークス結成。バックバンドはのちにザ・バンドとなりボブ・ディランのバックバンドとなった。
  • 1963年 「Who Do You Love」ロイ・ブキャナン、ボ・ディドリー参加
  • 1969年 世界平和キャンペーンでオンタリオ州に訪れたジョン・レノンとオノ・ヨーコがホーキンス自宅に宿泊。
  • 1970年 アルバム『Ronnie Hawkins』カナダ12位 デュアン・オールマン参加
  • 1976年 11月25日 サンフランシスコで行われたザ・バンドの解散コンサートに出演。1978年、マーティン・スコセッシ監督の映画『The Last Waltz』として上演。Pd: Bill Graham
  • 1978年 ボブ・ディラン監督の映画『レナルドとクララ』でボブ・ディラン役を演じた。
  • 1982年 ジュノー賞「カントリー男性ヴォーカリスト」受賞
  • 1995年 60歳記念コンサートにカール・パーキンス、ジェリー・リー・ルイス、ザ・バンド出演。アルバム『Let It Rock』に収録。
1935年1月10日 2022年5月29日 87 男性歌手 ロック

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エルヴィス・プレスリー ★★★

Elvis Presley

アメリカの伝説的な歌手、俳優。史上最も売れたミュージシャンのひとりで世界売上5億枚以上。「キング・オブ・ロックンロール」と称されている。 マネージャーのトム・パーカー大佐は、エルヴィスをRCAビクターと契約させ、「Heartbreak Hotel」(1956) 全米1位で成功に導いた。
グラミー受賞 3回・ノミネート 14回
1935年1月8日 1977年8月16日 42 男性歌手 ロック

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デル・シャノン ★

Del Shannon

アメリカの歌手、シンガーソングライター。デビュー曲「Runaway」(1961) が全米1位を獲得し、1960年代にビルボード「TOP 100」17曲、「TOP 10」3曲を送り込んだ。低迷期を抜けて1980年代に再評価の動きがあったものの、1990年にうつ病のため猟銃自殺を遂げた。1988に他界したロイ・オービソンの後継としてトラヴェリング・ウィルベリーズする加入する予定だったという。
1934年12月30日 1990年2月8日 55 男性歌手 ロック

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アルマンド・ピッチリアーニ★

Armando Pittigliani

ブラジルの大物音楽プロデューサー。セルジオ・メンデス、エリス・レジーナ、ジョイス、タンバ・トリオ、ジョルジ・ベン、マルコス・ヴァーリらの才能を発掘・プロデュースし、ブラジルのポップ・ミュージック界に大きな影響を与えた。
1934年12月26日 1934年12月26日 プロデュース MPB

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ジュニア・ウェルズ

Junior Wells

アメリカ合衆国テネシー州メンフィス出身のブルースシンガー、ハーモニカ奏者。本名は、1950年代よりイリノイ州シカゴでバディ・ガイとのデュオで活動し、「ファンク・ブルース」の形成に寄与した。
1934年12月9日 1998年1月15日 63 男性歌手 ブルース

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ビリー・ポール

Billy Paul

アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィア出身のブルース・シンガー、ハーモニカ奏者。1952年、リトル・ウォルターの後任としてマディ・ウォーターズのバンドに加入。フィラデルフィア(フィリー)・ソウルを代表する一人で、1972年「Me and Mrs. Jones」3週間全米1位・売上200万枚。
1934年12月1日 2016年4月24日 81 男性歌手 ソウル

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バール・フィリップス

Barre Phillips

アメリカのジャズ・ベーシスト。エリック・ドルフィー、ジミー・ジュフリー、アーチー・シェップ、オーネット・コールマンらと共演した。
1934年10月27日 1934年10月27日 ベース ジャズ

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ジェイムズ・"シュガー・ボーイ"・クロフォード

James Sugar Boy Crawford

アメリカのR&Bシンガー、ピアノ奏者。1954年「Iko Iko」をリリースし、1965年にディキシー・カップス、1972年にドクター・ジョンらがカバーした。
1934年10月12日 2012年9月15日 77 男性歌手 R&B

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ウド・ユルゲンス ★

Udo Jürgens

ドイツ語圏で最も成功したオーストリアのポップ歌手の一人。1963年、エルヴィス・プレスリーのカバー「Kiss Me Quick」がドイツで3位。1972年に大ヒットしたペドロ&カプリシャス「別れの朝」のオリジナルは、ユルゲンスの「夕映えの二人」(原題:Was ich dir sagen will)。2014年、ドイツ音楽作家賞生涯功労賞を受賞。
1934年9月30日 2014年12月21日 80 男性歌手 ポップ

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ブリジット・バルドー ★

Brigitte Bardot

フランスの女優、モデル、歌手。不倫関係だったセルジュ・ゲンスブールとのデュエット「Je T'Aime Moi Non Plus」が有名だが未公開だったため、先にジェーン・バーキンのデュエットがリリースされた。
1934年9月28日 1934年9月28日 女性歌手 ポップ

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ディック・ヘクストール=スミス

Dick Heckstall-Smith

イングランドのジャズとブルースのサックス奏者。アレクシス・コーナーのブルース・インコーポレイテッドやジョン・メイオールのブルースブレイカーズ、1968年から1971年までコロシアムに参加。2001年、ジョン・メイオール、ジャック・ブルース、ミック・テイラー、ピーター・グリーンと Dick Heckstall-Smith & Friends『Blues and Beyond』を録音した。
1934年9月26日 2004年12月17日 70 サックス ブルースロック

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レナード・コーエン ★★★

Leonard Cohen

カナダの世界的シンガーソングライター、詩人、小説家。U2のボノが「世界で最も完璧な曲」と語った時代を超え魂に触れる名曲「Hallelujah」(ハレルヤ・1984年)の作者として有名。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」2023年103位。1950年代から詩人・小説家としてキャリアをスタート。

1966年、コーエンが書いたジュディ・コリンズ「Suzanne」が大物プロデューサーのジョン・ハモンド の目に留まり、コロムビア・レコードと契約。1967年、33歳で1stアルバム『Songs of Leonard Cohen』をリリース。コーエンはアルバムの仕上がりに不満を残したものの全米83位・全英13位を記録し英国では1年半チャートインした。ジョニ・ミッチェルらとの恋多き男としても有名。1970年代に雑誌『an・an』でのインタビュー以来、個人的にコーエンと親しかった立川直樹氏によると、コーエンのお気に入りはビリー・ホリデイ、ニーナ・シモン、レイ・チャールズだという。

ピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアなど、ミュージシャンにもフォロワーが多い。2008年から2014年までウェッブ・シスターズがバックシンガーを務めた。
グラミー受賞 2回・ノミネート 4回
1934年9月21日 2016年11月7日 82 男性歌手 フォークロック

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ブライアン・エプスタイン ★★★

Brian Epstein

ビートルズを世界的成功へ導いたイングランドの伝説的なマネージャー。1961年、アラン・ウィリアムズに替わってビートルズの2代目マネージャーに就任。1962年、弟クライブとマネジメント会社NEMSエンタープライズを共同経営者。ビートルズのほかにビージーズなどとマネジメント契約を結んだ。1963年、音楽出版社ノーザン・ソングス設立。1985年、ノーザン・ソングスの親会社ATVを27歳のマイケル・ジャクソンが約4750万ドルで購入し、ビートルズの版権所有者となった。1967年、ビージーズをポリドール・レコードさせたが、同年8月27日にアスピリンの過剰摂取により32歳他界した。
1934年9月19日 1967年8月27日 32 マネージャー ロック

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ジョアン・ドナート ★

João Donato

ブラジル音楽の巨匠作曲家、ピアニスト。1956年、1stアルバム『Cha Dançante』(シャ・ダンサンチ)リリース。1959年に渡米しティト・プエンテらのバンドで曲を提供した。1963年、ジョアン・ジルベルト、セバスチャン・ネト、ミルトン・バナナらとイタリア・ツアー。ボサノヴァ・ブームが去った1970年、クロスオーバーの名盤『A Bad Donato』をリリースした。
1934年8月17日 2023年7月17日 88 作曲家 ボサノヴァ

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スティーヴ・レイシー

Steve Lacy

アメリカのジャズ・サックス奏者。1955年、セシル・テイラー・カルテットに参加。1975年に来日し5枚のアルバムを録音した。
1934年7月23日 2004年6月4日 69 サックス ジャズ

us

ボブ・クラスノウ ★

Bob Krasnow

アメリカのレーベル経営者、音楽ブロデューサー。カーマ・スートラ・レコードの副社長、ワーナーブラザーズ・レコード副社長、エレクトラ・レコード会長を歴任し、ブッダレコードやトミー・リピューマとブルーサム・レコードを設立した。

ジェームス・ブラウンのプロモーション担当やデッカの営業マンとしてキャリアをスタートし、アイク&ティナ・ターナー、キャプテン・ビーフハート、アニタ・ベイカー、チャカ・カーン、ジョージ・クリントン、ザ・キュアー、ビョーク、ジョージア・サテライト、トレイシー・チャップマン、リンダ・ロンシュタットのネルソン・リドル三部作、メタリカ、モトリー・クルー、ドッケン、10,000マニアックス、ディアンジェロ、エリカ・バドゥらを発掘・契約・プロデュースを行った。

1983年、アトランティック・レコード会長アーメット・アーティガンらと「ロックの殿堂」を共同設立。1992年、ナタリー・コール「Unforgettable … With Love」を手掛け、このアルバムはグラミー賞を6部門受賞した。
1934年7月20日 2016年12月11日 82 実業家

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ルネ・ユルトルジェ

René Urtreger

フランスのジャズ・ピアニスト。1956年にオスカー・ピーターソンのヨーロッパツアーに同行。1957年12月、マイルス・デイヴィスと映画『絞首台のエレベーター』のサウンドトラックを録音した。1950年代後半はライオネル・ハンプトン、スタン・ゲッツ、チェット・ベイカー、デクスター・ゴードン、ソニー・ロリンズ、ベン・ウェブスターなどと共演した。
1934年7月6日 1934年7月6日 ピアノ ジャズ

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デイヴ・グルーシン ★

Dave Grusin

アメリカのピアニスト、編曲家、作曲家、音楽プロデューサー。リー・リトナーと組んだスムース・ジャズ、ポール・サイモンと共作した映画『卒業』のサントラなどで知られている。1972年、フュージョン・ブームにラリー・ローゼンと「グルーシン・ローゼン・プロダクションズ」やGRPレコードを共同設立した。
グラミー受賞 10回・ノミネート 38回(2024年時点)
934年6月26日 934年6月26日 ピアノ フュージョン

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ジャッキー・ウィルソン ★

Jackie Wilson

アメリカのR&Bシンガー。サム・クック、ジェームス・ブラウンと並び、ソウルのパイオニアの一人。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」2013年26位。1953年、クライド・マクファターの後任としてビリー・ワード&ヒズ・ドミノズに加入。1956年、エルヴィス・プレスリーはラスベガスで4夜連続で彼らの演奏を聴き、ミリオン・ダラー・カルテットでウィルソンの歌唱を真似て「Don't Be Cruel」を収録した。ソロに転身し、1958年にモータウン・レコードを設立したベリー・ゴーディのプロデュースで「Lonely Teardrops」リリース。R&Bチャート1位を獲得した。
1934年6月9日 1984年1月21日 49 男性歌手 ソウル

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ワイルド・ジミー・スプルーイル ★

Wild Jimmy Spruill

アメリカのセッション・ギタリスト。1950–1960年代のヒット曲でそのギタープレイを聴くことができる。ライブでは歯でギターを弾いた。バスで帰宅中、心臓発作で他界。

参加作品

  • 1959年 ウィルバート・ハリソン「Kansas City」全米1位・R&B1位・売上100万枚
  • 1959年 デイヴ・ベイビー・コルテス「The Happy Organ」全米1位
  • 1959年 バスター・ブラウン「Fannie Mae」全米38位・R&B1位
  • 1961年 シュレルズ「Dedicated to the One I Love」全米3位・R&B2位
  • 1961年 ボビー・ルイス「Tossin' and Turnin'」全米1位
1934年6月9日 1996年2月3日 61 ギター R&B

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パット・ブーン ★

Pat Boone

アメリカのポピュラー音楽の歌手。1950–1960年代にエルヴィス・プレスリーに次ぐ人気を博し、売上4,500万枚以上、38曲の全米TOP 40を記録。12本以上のハリウッド映画に出演した。先祖は西部開拓史上の英雄ダニエル・ブーン。
グラミー賞ノミネート6回
1934年6月1日 1934年6月1日 男性歌手 ポップス

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ピーター・ネロ

Peter Nero

アメリカの指揮者、ピアニスト。17 歳でポール・ ホワイトマンのテレビ番組で「ラプソディ・イン・ブルー」を演奏しデビュー。1961年アルバム『Piano Forte』でグラミー賞受賞。2003年、ロッド・スチュワート『As Time Goes By: The Great American Songbook, Volume II』参加。
1934年5月22日 2023年7月6日 89 ピアノ BGM

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ジョルジュ・ムスタキ

Georges Moustaki

エジプト出身、フランスのシンガーソングライター(両親はギリシャ系ユダヤ人)。恋人エディット・ピアフへ書いた「ミロール」がヒットしイヴ・モンタンたちから曲を依頼。親日家で広島県出身の西城秀樹が「ヒロシマ」をカバーした。
1934年5月3日 2013年5月23日 79 男性歌手 シャンソン エジプト

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フランキー・ヴァリ ★

Frankie Valli

アメリカのポピュラー・シンガー。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」80位。1960年に結成されたフォー・シーズンズのリード・ヴォーカルとして世界中を席巻し、「全米1位」5曲・「全米TOP 40」29曲、ソロとして「全米TOP 40」9曲がチャートインした。
グラミー賞ノミネート 5回(2024年時点)

フォー・シーズンズ

  • 1962年 「Sherry」全米1位・全英8位
  • 1962年 「Big Girls Don't Cry」全米1位・全英13位
  • 1963年 「Walk Like a Man」全米1位・全英12位
  • 1964年 「Rag Doll」全米1位・全英2位
  • 1975年 「December, 1963」全米1位・全英1位
1934年5月3日 1934年5月3日 男性歌手 ポップ

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ジェリー・ローダン ★

Jerry Lordan

イングランドの作詞家、作曲家、歌手。シャドウズの楽曲を支えたことで有名。「I've Waited So Long」(1959) 全英3位、「Apache」(1960) 全英1位・全米2位、クリフ・リチャード「A Girl Like You」(1961) 全英3位、シャドウズ「Wonderful Land」(1962) 8週間全英1位、ジェット・ハリスとトニー・ミーハン「Diamonds」(1963) 全英1位など作詞作曲。歌手としてジョージ・マーティンがプロデュースした「Who Could Be Bluer?」など60年に3曲がチャートインした。
1934年4月30日 1995年7月24日 61 作曲家 ポップ

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ドン・カーシュナー ★

Don Kirshner

アメリカの音楽プロデューサー、音楽出版社経営者、マネージャー、ソングライター。モンキーズなどのプロデュースで知られ「黄金の耳を持つ男」と呼ばれた。
  • 1944年 元スリー・サンズのアル・ネヴィンズと「Twilight Time」全米1位・売上400万枚を共作。
  • 1958年 ネヴィンズと共同で音楽出版社アルドン・ミュージック (Aldon Music) 設立。社名はアル・ネヴィンズの「AL」とドン・カーシュナーの「DON」に由来。ドク・ポマスとモルト・シューマン、ジェリー・リーバーとマイク・ストーラー、ニール・セダカ、ハワード・グリーンフィールド、キャロル・キング、ジェリー・ゴフィン、ニール・ダイアモンド、ポール・サイモン、フィル・スペクター、バリー・マン、シンシア・ワイル、ジャック・ケラーなど複数のソングライターと契約し、1950–1960年代に数多くの「ブリル・ビルディングサウンド」を世に送り出した。
  • 1963年 同社をコロムビア・ピクチャーズに売却し、コロンビアに幹部に就任。モンキーズやアーチーズをプロデュースし大成功を収めた。
  • 2012年 ロックの殿堂入り。
1934年4月17日 2011年1月17日 76 プロデュース ポップ

us

ロバート・スティグウッド ★

Robert Stigwood

オーストラリア生まれの映画プロデューサー、興行師。クリーム、ビージーズのマネージャーを経て、ブロードウェイで「Hair」「ジーザス・クライスト・スーパースター」などプロデュース。グラハム・ボネットをデビューさせ、ジョン・トラボルタを映画スターにした。
1934年4月16日 2016年1月4日 81 マネージャー ロック

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ウイクター・フェルドマンヴィクター・フェルドマン

Victor Feldman

イングランドのジャズ・ピアノ、ヴィブラフォン、パーカッション奏者、作曲家。1958年、スコット・ラファロとバンドを結成。マイルス・デイヴィスのバンドに参加し「Seven Steps to Heaven」(1963) を作曲した。60年後半からはフランク・ザッパ、スティーリー・ダン、ジョニ・ミッチェル、トム・ウェイツの作品に参加した。
1934年4月7日 1987年5月12日 53 ヴィブラフォン ジャズ

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スタンリー・タレンタイン

Stanley Turrentine

アメリカのジャズ・テナーサックス奏者。マックス・ローチのバンド経て、1960年代にブルーノートでソウルジャズ、1970年代はCTIでジャズ・フュージョンを録音した。
1934年4月5日 2000年9月12日 66 サックス ジャズ

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ジミー・ノーレン

Jimmy Nolen

アメリカのギタリスト。1965年、ジェームス・ブラウンのバンドに加入。リードギタリストとして1983年に心臓発作で他界するまで活躍した。ローリング・ストーン誌「偉大なギタリスト」2023年12位。
1934年4月3日 1983年12月18日 49 ギター ファンク

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シャーリー・スコット

Shirley Scott

アメリカのソウル・ジャズの女性オルガン奏者。2008年、ユニバーサル・スタジオの火災でマスター音源が喪失した。スタンリー・タレンタインは元夫。
1934年3月14日 2002年3月10日 67 オルガン ジャズ

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ウィリー・ボボ

Willie Bobo

アメリカのラテンジャズ・パーカッショニスト。1954年から1957年までティト・プエンテと共に師モンゴ・サンタマリアのバンド参加。その後、ジョージ・シアリング 、カル・ジェイダー・モダン・マンボ・クインテットに参加した。サンタナの1stアルバム『Santana』(1969) で話題になったクラレンス・ソニー・ヘンリー作曲「Evil Ways」は、1967年にボボが最初に録音した。
1934年2月28日 1983年9月15日 パーカッション ジャズ

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ジョルジオ・ゴメルスキー ★

Giorgio Gomelsky

ジョージア出身の映画製作者、プロモーター、マネージャー、ソングライター、音楽プロデューサー。エルトン・ジョン、ロッド・スチュワート、ソフト・マシーン、10cc など後に世界的にバンドやミュージシャンの初期のキャリアに貢献した。
  • 1963年 ロンドンに「クローダディ・クラブ」(Crawdaddy Club) をオープン。初年度はローリング・ストーンズ、その後はエリック・クラプトン在籍時のヤードバーズ、ジ・アザーズがハウスバンドを務めた。店名はボ・ディドリーの楽曲「Doing The Craw-Daddy」(1960) に由来。ローリング・ストーンズの初日の観客はわずか3人だったという。
  • 1966年 マーマレード・レコードを設立し、アレクシス・コーナー、グレアム・ボンド、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ、ロッド・スチュワート、ジョン・マクラフリン、ソフト・マシーンなどをプロデュースした。
  • 1970年代後半 マンハッタンのチェルシーに「Zu Club」をオープン。チェコのアーティストを支援し、1989年のビロード革命を刺激したという。
1934年2月28日 2016年1月13日 81 プロデュース ロック ジョージア

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ピエール・バルー ★

Pierre Barouh

フランスのシンガーソングライター、俳優。1966年、名作映画『男と女』に出演。フランシス・レイ作曲のテーマ曲をニコール・クロワジールと歌い、フランスでボサノヴァを広めた。立川直樹プロデュースのもと『Le Pollen』(1982) と『Sierras』(1984) を録音。坂本龍一や高橋幸宏などが参加した。ブラジルの音楽家ヴィニシウス・ヂ・モライスからボサノヴァを教わった。
1934年2月19日 2016年12月28日 82 男性歌手 ボサノヴァ

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アール・キング

Earl King

アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズ出身のブルースシンガー、ギタリスト、ソングライター。1954年「Things That I Used to Do」がR&Bチャート1位となったギター・スリムの替え玉となり、無事ツアーを切り抜けた。ジミ・ヘンドリックスが「Come On」をカバー。
1934年2月7日 2003年4月17日 69 男性歌手 ブルース

us

キング・カーティス ★

King Curtis

アメリカのジャズ・サックス奏者、音楽プロデューサー。ザ・キングピンズを結成し、ジミー・ジェイムスこと無名時代のジミ・ヘンドリックス、コーネル・デュプリー、バーナード・パーディ (Dr)、ジェリー・ジェモット (B) などスーパー・ミュージシャンが在籍したことでも知られている。学生時代はオーネット・コールマンと共に音楽を学び、セッション・ミュージシャンとしてナット・アダレイ、ウィントン・ケリー、バディ・ホリー、アンディ・ウィリアムス、ウェイロン・ジェニングス 、アレサ・フランクリン、ジョン・レノンなどのレコーディングに参加した。

息子キング・カーティス・ジュニアは、デヴィッド・ボウイ、マドンナ、ビリー・ジョエル、セリーヌ・ディオンなどのバックヴォーカル、セルジュ・ゲンズブール「You're Under Arrest」にラップで参加した。
グラミー受賞 1回・ノミネート 4回
  • 1959年 1stアルバム『Have Tenor Sax, Will Blow』(Atco)
  • 1962年 「Soul Twist」全米17位・R&B1位
  • 1965年 8月15日 ビートルズのシェイ・スタジアム公演(世界初のスタジアム・コンサート)で前座。
  • 1966年 無名時代のジミ・ヘンドリックスとコーネル・デュプリーがキングピンズに在籍。「Home Cookin'」でジミとの演奏が聴ける。
  • 1969年 「Games People Play」第12回グラミー賞受賞。
  • 1971年 3月 アレサ・フランクリン&ザ・キングピンズとしてフィルモア・ウェストに出演。ビリー・プレストンがゲスト参加。アレサ・フランクリン『Aretha Live at Fillmore West』とキング・カーティス『Live at Fillmore West』に収録。
  • 1971年 ジョン・レノン『Imagine』収録「It's So Hard」と「I Don't Want to Be a Soldier」でのプレイが遺作となった。
  • 1971年 8月13日 自宅アパート付近で暴漢に刺され37歳で他界。
  • 2000年 ロックの殿堂入り。
1934年2月7日 1971年8月13日 37 サックス ジャズ

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エヂソン・マシャード

Edison Machado

ブラジルのドラマー、作曲家。アート・ブレイキーやマックス・ローチに刺激を受けドラムを独学。サンバとボサノバの形成に貢献した。チェット・ベイカー、スタン・ゲッツ、ロン・カーター、アントニオ・カルロス・ジョビン、ルイス・ボンファらと共演し、1990年に急逝するまで50枚以上のアルバムを録音した。
1934年1月31日 1990年9月15日 56 ドラム ジャズ

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ヒューイ・ピアノ・スミス

Huey Piano Smith

アメリカのR&Bピアニスト。ギター・スリム、アール・キング、リトル・リチャードらと共演し1950年代に人気を博した。
1934年1月26日 2023年2月13日 89 ピアノ R&B

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シダー・ウォルトン ★

Cedar Walton

アメリカのジャズ・ピアニスト、作曲家。ケニー・ドーハムのバンドを経て、1960年ジョン・コルトレーン『Giant Steps』に参加。1961年ジャズ・メッセンジャーズに加入。
1934年1月17日 2013年8月19日 79 ピアノ ジャズ

us

フィル・ラモーン ★★★

Phil Ramone

南アフリカ出身のアメリカの世界的音楽プロデューサー。レコーディング・エンジニアとしてクインシー・ジョーンズ、アントニオ・カルロス・ジョビン、ジョアン・ジルベルト、フランク・シナトラ、バート・バカラック、プロデューサーとしてビリー・ジョエル、ポール・サイモンなどの世界的ヒット作品を数多く手掛けた。
グラミー受賞 14回・ノミネート 32回
1934年1月5日 2013年3月30日 79 プロデュース

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ルー・レイズナー

Lou Reizner

アメリカの音楽プロデューサー、マーキュリー・レコードのヨーロッパ事業責任者。ロッド・スチュワートの最初のソロ・アルバム2枚、ザ・フーのロック・オペラ『Tommy』オーケストラ版、リック・ウェイクマン『Journey To The Center Of The Earth』をプロデュース。 デヴィッド ボウイの米国契約を手配した。
1934年 1977年6月26日 43 プロデュース ロック

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ジョニー・ハモンド・スミス

Johnny Hammond Smith

アメリカのソウルジャズのオルガン奏者。歌手ナンシー・ウィルソンの伴奏者としてキャリアをスタート。プレスティッジや CTI の姉妹レーベル KUDU を経てサウンドはますますファンキーになり、マイゼル兄弟プロデュース『Gears』(1975) で頂点に達した。
1933年12月16日 1997年6月4日 63 オルガン ジャズ

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ルー・アドラー ★★★

Lou Adler

アメリカの世界的なユダヤ人音楽プロデューサー、映画プロデューサー。ママス&パパスの全作品(5thアルバム以外)、キャロル・キングの2ndアルバム『Tapestry』15週連続全米1位などをプロデュース。ロサンゼルスの人気スポット「ロキシー・シアター」を所有。
グラミー受賞 2回・ノミネート 5回(2024年時点)
  • 1959年 ハーブ・アルパートと共にドレ・レコードに就職し、ふたりでジャン&ディーン「Baby Talk」などをプロデュース。
  • 1959年 サム・クック、ルー・アドラー、ハーブ・アルパートと「Wonderful World」共作 全米12位・R&B2位
  • 1964年 ダンヒル・レコード設立。ママス&パパスをプロデュース。アドラーに誘われ観覧したコロムビア・レコードの大物クライヴ・デイヴィスはジャニス・ジョプリンを擁したビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーと契約。
  • 1967年 ダンヒル・レコードをABCレコードに売却。
  • 1967年 オード・レコード設立。キャロル・キング、スピリット、チーチ&チョン、スコット・マッケンジー、ペギー・リプトンらと契約。
  • 1967年 6月16日–18日 モントレー・ポップ・フェスティバルをジョン・フィリップス (Mamas & Papas) らとプロデュース。
  • 1975年 映画『ロッキー・ホラー・ショー』エグゼクティブ・プロデューサー
  • 1976年 スタッフと共に誘拐されたが容疑者3人は逮捕。
  • 2006年 ハリウッド・ウォーク・オブ・フェイムに星を授与。
  • 2013年 クインシー・ジョーンズと共にロックの殿堂入りし「アーメット・アーティガン賞」受賞
1933年12月13日 1933年12月13日 プロデュース

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ルー・ロウルズ ★

Lou Rawls

アメリカのR&Bシンガー。1970年代から大ヒットを連発し、アルバム・リリース 61枚、世界セールス4,000万枚以上。サム・クックは高校時代の同級生。
グラミー受賞3回・ノミネート13回
1933年12月1日 2006年1月6日 72 男性歌手 R&B

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ジョン・メイオール ★

John Mayall

イングランドのミュージシャン。アレクシス・コーナー (1928–1984) の影響を受け、1962年に John Mayall & The Bluesbreakers を結成。エリック・クラプトン、ジャック・ブルース(ともにCream)、ピーター・グリーン、ミック・フリートウッド、ジョン・マクヴィー(ともにFleetwoodmac)ミック・テイラー(Rolling Stones)、ハーヴィー・マンデル、ラリー・テイラー(ともにCanned Heat)、アンディ・フレイザー(Free)、エインズレー・ダンバー(Mothers of Invention、Journey、Whitesnake)、ジョン・ハイズマン(Colosseum)らを輩出し、イギリスのブルース・ロック・ブームを牽引した。

See Also

  • アレクシス・コーナー (1928–1983, 55)
  • グレアム・ボンド (1937–1974, 36)
1933年11月29日 2024年7月22日 90 ギター ブルース

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ガーネット・ミムズ

Garnet Mimms

アメリカのソウル・R&Bのシンガー。1963年「Cry Baby」(United Artists) が全米4位・R&B 1位を獲得し、1970年にジャニス・ジョプリンがカバー(42位)。レッド・ツェッペリンは全米ツアーで「As Long As I Have You」をレパートリーにした。1967年にはロンドンのサヴィル劇場でジミ・ヘンドリックスらと公演を行った。
1933年11月16日 1933年11月16日 男性歌手 ソウル

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ジョン・バリー ★

John Barry

イングランドの映画音楽の巨匠作曲家。映画『007』シリーズや『死亡遊戯』などを手掛けたことで世界的に有名。スタン・ケントンに作曲を学びEMIでクリフ・リチャードらを手掛けた。ジェーン・バーキンは元妻。
グラミー受賞4回・ノミネート8回
1933年11月3日 2011年1月30日 77 作曲家 映画音楽

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ゲイリー・マクファーランド

Gary McFarland

ここまで
アメリカの作曲家、編曲家、指揮者、ヴィブラフォン奏者。オーケストラを率いアントニオ・カルロス・ジョビンと共演し、アメリカでのボサノヴァ普及に貢献した。『The In Sound』(1966) にバークリー留学中だった渡辺貞夫の参加。1968年、ノーマン・シュワルツ、ガボール・ザボ、カル・ジェイダーらと Skye Records 設立。ソフト・ロックの名盤ウェンディ&ボニー『Genesis』(1969) をプロデュースした。
グラミー賞ノミネート4回
  • 1963 Gary McFarland Orchestra with Bill Evans (Verve)
  • 1962 Stan Getz with The Gary McFarland Orchestra – Big Band Bossa Nova (Verve)
  • 1962 All The Sad Young Men with Anita O'Day (Verve)
1933年10月23日 1971年11月2日 38 ビブラフォン ジャズ

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アル・シャックマン

Al Schackman

アメリカのジャズ・ギタリスト。1957年から2000年までニーナ・シモンの伴奏者として活動した。
1933年10月5日 1933年10月5日 ギター ジャズ

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ロニー・ロス

Ronnie Ross

イングランドのバリトン・サックス奏者。ビートルズ「Savoy Truffle」(1968)、ルー・リード「Walk On The Wild Side」(1972) の演奏が有名で、13歳の少年だったデヴィッド・ボウイがサックスを習った。ブライアン・フェリー『Another Time, Another Place』(1974) 、バーシア『London Warsaw New York』(1989) など多数のレコーディングに参加。1958年、ニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演。翌年、モダン・ジャズ・カルテットと共にヨーロッパをツアーした。
1933年10月2日 1991年12月12日 58 サックス ジャズ

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シシー・ヒューストン

Cissy Houston

アメリカのゴスペル・シンガー。家族ぐるみの人気ゴスペル・グループ「ドリンカード・シンガーズ」に加入。エルヴィス・プレスリー、ジミ・ヘンドリックスらのバックコーラスを経て、1963年にソロデビュー。1970年代はハービー・マンと組み、ディスコソングをヒットさせた。『Face to Face』(1996) 『He Leadeth Me』(1997) でグラミー賞を受賞。
グラミー受賞 2回・ノミネート 2回

親族

  • ホイットニー・ヒューストン:娘
  • ゲイリー・ガーランド:息子で元NBA選手。
  • ディオンヌ・ワーウィックとディー・ディー・ワーウィック:姉リー・ドリンカードの娘
  • ジュディ・クレイ:姉リー・ドリンカードの養女
  • レオンタイン・プライス:従妹でオペラ歌手。
1933年9月30日 2024年10月7日 91 女性歌手 ゴスペル

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ジーン・ハリス

Gene Harris

アメリカのソウルジャズのピアニスト。温かな音色で親しまれ、レアグルーヴ愛好家では『Astral Signal』(1974 Blue Note) とその収録曲「Losalamitoslatinfunklovesong」が人気がある。
1933年9月1日 2000年1月16日 66 ピアニスト ジャズ

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ウェイン・ショーター ★★★

Wayne Shorter

アメリカの偉大なジャズ・サックス奏者。膨大なレコーディングに参加した。
グラミー受賞 12回・ノミネート 23回(2024年時点)
  • 1959年 アート・ブレイキー & ジャズ・メッセンジャーズに加入。
  • 1964年 マイルス・デイヴィス・クインテットに加入。
  • 1970年 ジョー・ザヴィヌルらとウェザー・リポートを結成。15年間在籍。
  • 1975年 名盤『Native Dancer』ミルトン・ナシメント参加。
  • 1989年 ドン・ヘンリー「The End of the Innocence」参加。
  • 1997年 ローリング・ストーンズ『Bridges to Babylon』参加。
1933年8月25日 2023年3月2日 89 サックス ジャズ

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ランディ・スパークス

Randy Sparks

アメリカのシンガーソングライター、俳優。1961年、フォーク合唱団「ニュー・クリスティ・ミンストレルズ」を結成。デビューアルバム『Presenting the New Christy Minstrels』(1962) がグラミーを受賞し、ビルボード200アルバムチャートに2年間留まった。アルバムからは日本の音楽教科書にも掲載された「グリーングリーン」の原曲「Green, Green」など、さまざまな曲がヒット。音楽活動と並行していくつかの映画に出演した。
1933年7月29日 2024年2月11日 90 男性歌手 フォーク

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ジュリアン・ブリーム ★

Julian Bream

ロンドン出身のクラシック・ギタリスト。卓越したテクニックでキング・クリムゾンのロバート・フリップが愛聴。オーストラリアのクラシック・ギター奏者ジョン・ウィリアムスとのデュオは、20世紀屈指の女性ギタリストのイダ・プレスティ&アレクサンドル・ラゴヤやアサド兄弟と並ぶ20世紀の代表的ギター・デュオとして記憶されている。
1933年7月15日 2020年8月14日 87 ギター クラシック

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ラシッド・アリ

Rashied Ali

アメリカのジャズ・ドラマー。ジョン・コルトレーン最後のスタジオ・アルバム『Expression』(1967) やアリス・コルトレーンとの演奏で知られている。本名ロバート・パターソン (Robert Patterson)。退役後、フィリー・ジョー・ジョーンズに師事しソニー・ロリンズとツアーを開始。1985年、ゼア・ゴーズ・ザ・ネイバーフッド (There Goes the Neighborhood) 結成 (Rashied Ali, Jaco Pastorius, Jorma Kaukonen, Doug McClean, Whitie Melvin, Ben Prevo)。灰野敬二、ビル・ラズウェルとともに前衛音楽バンド「パープル・トラップ」(Purple Trap) を結成し『Decided...Already the Motionless Heart of Tranquility, Tangling the Prayer Called "I"』(1999) をリリースした。
1933年7月1日 2009年8月12日 76 ドラム ジャズ

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ジェームス・ブラウン ★★★

James Brown

アメリカの世界的歌手、作曲家、音楽プロデューサー。ブルース、ゴスペル、R&Bなどの音楽性を持ち、シャウトを用いソウルフルなヴォーカルと革新的なファンク・サウンドを確立した。ローリング・ストーン誌「偉大な200人のシンガー」2023年44位。
グラミー受賞3回・ノミネート8回
1933年5月3日 2006年12月25日 73 男性歌手 ファンク

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ウィリー・ネルソン ★★★

Willie Nelson

アメリカの世界的カントリー・シンガー、ソングライター、ギタリスト、俳優。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」2011年88位、「偉大な100人のギタリスト」77位。1975年、カントリーの名曲「Blue Eyes Crying in the Rain」(邦題「雨の別離」)のカバーでカントリー・チャート1位、グラミー賞「ベスト・カントリー・男性ボーカル」受賞。保守的なカントリー界にあってヒッピー的なスタイルから異端児と見られたが、ボブ・ディランなどの若い世代から支持された。1985年、ジョニー・キャッシュ、クリス・クリストファーソン、ウェイロン・ジェニングスらとハイウェイマン結成した。
グラミー受賞 12回・ノミネート 57回(2024年時点)
1933年4月29日 1933年4月29日 男性歌手 カントリー

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ジェリー・リーバー ★★★

Jerry Leiber

アメリカの世界的ソングライター。作曲家マイク・ストーラーと組み「スタンド・バイ・ミー」「ハウンド・ドッグ」「監獄ロック」を制作。彼らの元でフィル・スペクターが働いていた。
グラミー受賞1回・ノミネート2回
1933年4月25日 2011年8月22日 78 作詞家 ポップ

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モンセラート・カバリェ

Montserrat Caballé

スペインのオペラ歌手(ソプラノ)。優れたベルカント歌唱技術とロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティらのベルカント・オペラの諸役での優れた歌唱で名高い。 カバリェを尊敬していたフレディ・マーキュリーとのデュエット「Barcelona」は1992年バルセロナオリンピックのテーマソングとなった。
1933年4月12日 2018年10月6日 85 女性歌手 オペラ

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ボーンズ・ハウ ★

Dayton “Bones” Howe

アメリカの音楽プロデューサー、レコーディング・エンジニア。1960–1970年代にかけて、フィフス・ディメンション、アソシエイション、ママス&パパスなど、サンシャイン・ポップのヒット曲、オーネット・コールマン、アーマッド・ジャマル、エルヴィス・プレスリー、ジェリー・リー・ルイス、モンキーズ、タートルズ、トム・ウェイツ、アラン・プライスなどを手掛けた。
グラミー受賞 1回・ノミネート 7回(2024年時点)

エンジニア

  • 1959年 オーネット・コールマン『The Shape Of Jazz To Come』
  • 1965年 ママス&パパス「California Dreamin'」
  • 1966年 ママス&パパス「Monday, Monday」
  • 1967年 フィフス・ディメンション『Up, Up And Away』

プロデュース

  • 1967年 アソシエイション『Insight Out』
  • 1969年 フィフス・ディメンション『The Age Of Aquarius』
  • 1977年 トム・ウェイツ『Foreign Affairs』
1933年3月18日 1933年3月18日 プロデュース

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クインシー・ジョーンズ ★★★

Quincy Jones

アメリカの歴史的な音楽プロデューサー、作曲家、編曲家、トランペット奏者、指揮者。マイケル・ジャクソンや「We Are The World」をプロデュースし、売上世界一でギネスブックに登録された。本名「Quincy Delight Jones Jr.」。レイ・チャールズ (1930–2004, 73)とフランク・シナトラ (1915–1998, 82) とは生涯の友情を築いた。
グラミー受賞 28回・ノミネート 88回
  • 1933年 3月14日 イリノイ州シカゴ出身。少年時代にトランペットを学ぶ。
  • 1943年 ワシントン州ブレマートンに移住。
  • 1944年 ワシントン州シアトルに移住し、ガーフィールド高校に入学。ジミ・ヘンドリックスも同校出身。
  • 1947年 ガーフィールド高校の音楽仲間チャーリー・テイラーたちとチャーリー・テイラー・バンド (Charlie Taylor Band) を結成。のちにリトル・リチャードやサム・クックのプロデューサーとなるロバート・ブラックウェルがマネジメントと演奏指導し「The Bumps Blackwell Junior Band」と命名。サヴォイ・ボールルームなど、さまざまなクラブで演奏し歌手のアーネスティン・アンダーソンが加入した。
  • 1948年 小さなナイトクラブで演奏していた無名のレイ・チャールズ (1930–2004, 73)と出会い、ディジー・ガレスピーやチャーリー・パーカーの話で意気投合。トランペット奏者から作曲家になりたかったクインシーは、レイから高度な音楽理論のレッスンを受けた。レイはブラックウェル・ジュニア・バンドと演奏するようになり、友情は生涯続いた。
  • 1951年 バークリー音楽大学を卒業。
  • 1953年 ライオネル・ハンプトン楽団にトランペット奏者として加入。アレンジャーとしての才能を見出され、カウント・ベイシーやデューク・エリントンらの編曲を手がけるようになった。
  • 1954年 ライオネル・ハンプトン楽団を脱退し、ニューヨークで作曲に専念。
  • 1956年 『エド・サリバン・ショー』にエルヴィス・プレスリーが出演した際「Heartbreak Hotel」でトランペットを演奏。
  • 1956年 ディジー・ガレスピー楽団の音楽監督として中東と南米をツアー。
  • 1956年 ABCパラマウントと契約。
  • 1957年 パリでナディア・ブーランジェとオリヴィエ・メシアンに作曲と音楽理論を師事。パリの老舗ミュージックホール「オランピア」で演奏した。
  • 1957年 フランスのバークレー・レコードの音楽監督に就任。
  • 1957年 18人編成のビッグバンド「The Jones Boys」を結成。ヨーロッパでも成功を収めた。
  • 1958年 グレース王女に招かれモナコで慈善コンサートを企画した際、フランク・シナトラ (1915–1998, 82) と出会った。その後、シナトラのいくつかの代表曲でアレンジャーとして参加し、友情は生涯続いた。
  • 1961年 マーキュリー・レコードの副社長に就任。
  • 1969年 8月8日 チャールズ・マンソン・ファミリーによるシャロン・テート殺人事件が発生。当日、招待されていたクインシーとスティーヴ・マックイーンは、スケジュールが合わず難を逃れた。
  • 1974年 女優ペギー・リプトンと結婚し、2人の娘ラシダとキダーダを授かった(1990年離婚)。
  • 1978年 マイケル・ジャクソンとダイアナ・ロス主演ミュージカル『ウィズ』のサウンドトラックを制作中、マイケル・ジャクソンと出会った。
  • 1980年 クウェスト・レコード設立。クインシーが慕った大物実業家スティーヴ・ロス率いるワーナー・ブラザースの子会社。
  • 1985年 映画『カラーパープル』をスティーブン・スピルバーグらと共同制作。アカデミー賞11部門、ゴールデングローブ賞4部門でノミネートされ、オプラ・ウィンフリー、ウーピー・ゴールドバーグらの出生作となった。
  • 1990年 クインシー・ジョーンズ・エンターテインメント設立。
  • 1999年 クインシー、ポール・マッカートニー、マイケル・ジャクソン、マドンナ、スティング、ボノ、ボブ・ゲルドフなど世界の貧困救済を目的とした「ジュビリー2000」の運動に参加。2005年にチャリティ・コンサート「LIVE 8」へと発展した。
  • 2006年 北京オリンピック組織委員会の芸術顧問になったが、ダルフール紛争に関する中国政府の姿勢に抗議してスティーヴン・スピルバーグらと共に辞任。
  • 2007年 2008年度のグラミー賞レコーディング・アカデミー50回大記念の大使に任命。
  • 2013年 マイケル・ジャクソンの遺産管理団体とソニー・ミュージック・エンタテインメントに対し、1,000万ドル(当時約11億円)の著作権使用料を求め訴訟。
  • 2022年 ザ・ウィークエンド 5thアルバム『Dawn FM』収録「A Tale by Quincy」に参加。
  • 2024年 11月3日 ロサンゼルスのベルエア地区の自宅で膵臓がんにより91歳で他界した。

プロデュース作品

  • 1972年 ダニー・ハサウェイ『Come Back, Charleston Blue』(Atco) サウンドトラック
  • 1955年 ヘレン・メリル 1stアルバム『Helen Merrill』(EmArcy)
    「You'd Be So Nice To Come Home To」を収録したクリフォード・ブラウンとの名盤。
  • 1963年 レスリー・ゴーア「It's My Party」(Mercury) 全米1位・全英9位・R&B 1位
    フィル・スペクターからこの曲をリリースする予定だと聞いたクインシーは、急いで全米のラジオ局にプロモーション盤を送り先手を打った。スペクター版は未発表。
  • 1963年 サラ・ヴォーン『Sassy Swings The Tivoli』(Mercury)
  • 1964年 サラ・ヴォーン『Vaughan with Voices』(Mercury)
  • 1965年 サラ・ヴォーン『¡Viva! Vaughan』(Mercury)
  • 1965年 サラ・ヴォーン『Sarah Vaughan Sings The Mancini Songbook』(Mercury)
  • 1973年 アレサ・フランクリン 19thアルバム『Hey Now Hey』(Atlantic) 全米30位・R&B 2位
  • 1979年 ルーファス & チャカ・カーン『Masterjam』(MCA) 全米14位・R&B 1位
  • 1979年 マイケル・ジャクソン 5thアルバム『Off The Wall』(Epic) 全米5位・全英5位・R&B 1位
    • 1979年 マイケル・ジャクソン「Don't Stop 'Til You Get Enough」(Epic) 全米1位・全英3位
      作詞作曲:ロッド・テンパートン マイケル初のグラミー賞受賞
    • 1979年 マイケル・ジャクソン「Rock with You」(Epic) 全米1位・全英7位
      作詞作曲:ロッド・テンパートン
  • 1982年 マイケル・ジャクソン 6thアルバム『Thriller』(Epic) 全米1位・全英1位・R&B 1位
  • 1980年 ジョージ・ベンソン『Give Me The Nigh』(Warner) 全米3位・全英3位・R&B 1位
  • 1981年 レナ・ホーン『The Lady and Her Music』(Qwest) グラミー賞「Best Musical Show Album」「Best Pop Vocal Performance, Female」受賞。
  • 1982年 USAフォー・アフリカ「We Are The World」(Columbia) 全米1位・全英1位 印税は貧困解消のチャリティーとして寄付された。
  • 1984年 フランク・シナトラ『L.A. Is My Lady』(Qwest) フランク・シナトラの遺作
  • 1987年 マイケル・ジャクソン 7thアルバム『Bad』(Epic) 全米1位・全英1位・R&B 1位
  • 1993年 マイルス・デイヴィス『Miles & Quincy Live at Montreux』(Warner) Jazz 1位

Albums

  • 1957年 『This Is How I Feel About Jazz』(ABC-Paramount) Pd: Creed Taylor
  • 1971年 『Smackwater Jack』(A&M) 全米56位・Jazz 1位・R&B 11位 Pd: Phil Ramone
  • 1974年 『Body Heat』(A&M) 全米6位・Jazz 1位・R&B 1位
  • 1981年 『The Dude』(A&M) 全米9位・Jazz 3位・R&B 3位
  • 1989年 『Back On The Block』(Qwest) 全米9位・Jazz 1位・R&B 1位
  • 1995年 『Q's Jook Joint』(Qwest) 全米32位・Jazz 1位・R&B 6位
  • 1999年 『From Q with Love』全米72位・Jazz 1位・R&B 31位
  • 2010年 『Q Soul Bossa Nostra』(Interscope) 全米86位・R&B 15位

Singles

  • 1962年 「Soul Bossa Nova」(A&M) ローランド・カーク (Fl)、ラロ・シフリン (P)
  • 1978年 「Stuff Like That」(A&M) 全米21位・R&B1位
  • 1981年 「Ai No Corrida」(A&M) 全米28位・R&B10位 チャズ・ジャンケルのカヴァーで大島渚監督の映画タイトル。
  • 1989年 with レイ・チャールズ & チャカ・カーン「I'll Be Good To You」(Qwest) 全米18位・R&B1位
  • 1990年 「The Secret Garden」(Qwest) 全米31位・R&B1位
  • 1990年 「Tomorrow」(A&M) 全米位・全英71位・R&B1位
  • 2010年 with エイミー・ワインハウス「It's My Party」(A&M)

ドラマ・映画音楽

  • 1977年 「ルーツ」

トリビア

  • 夕方の4時か5時に起きて、誰にも邪魔されることない静寂のなかで夜通し創作に没頭。午前10時くらいに寝るという。
  • ケンドリック・ラマー、ブルーノ・マーズ、ドレイクなどがお気に入り。
  • ジェフ・ベゾスやマーク・ザッカーバーグなど実業界の大物と交遊。
  • 俳優マイケル・ケインと親友で、ふたりは1933年3月14日生まれ。
  • 晩年、小指にした指輪はフランク・シナトラがシチリア島にあった親の生家から持ってきたもの。
  • 毒舌でエルヴィス・プレスリー、ビートルズ、マイケル・ジャクソン、プリンス、U2、テイラー・スウィフトらを批判したが、SNSで謝罪した。
  • レイ・チャールズと知り合って間もない15歳の頃からヘロインを始め、デトロイトに行くたびに売人だったマルコムX (1925–1965, 39) からドラッグを買っていたという。
  • 当時のシカゴは殺人が日常茶飯事で、大工の父クインシー・ジョーンズ・シニアはジョーンズ兄弟のギャング団の一員だった。ジョーンズ兄弟(エドワード、ジョージ、マック ※クインシー・ジョーンズとは親族ではない)は1940年代に違法宝くじなどで2,500万ドルの帝国を築き、稼いだお金を黒人コミュニティに投資。全米で唯一の黒人所有のデパート「Ben Franklin Store」を所有した。ジョセフィン・ベーカー、フリーダ・カーロ、デューク・エリントンらと親交を深める一方、アル・カポネが率いたシカゴ・アウトフィットと対立した。2022年、エドワード・ジョーンズの孫ハリエット・マリン・ジョーンズはドキュメンタリー映画『King of Kings: Chasing Edward Jones』を製作し、クインシーも出演した。
  • 1974年、脳動脈瘤を発症。家族や友人はクインシーの命が終わりに近づいていると考え、生前葬を行った。マーヴィン・ゲイ、サラ・ヴォーン、黒人で初めてアカデミー「主演男優賞」を受賞したシドニー・ポワチエ、人気コメディアンのリチャード・プライヤーらが参列した。
  • 作曲家の久石譲(本名・藤澤守)というステージネームは「クインシー・ジョーンズ」に由来。久(ク)石(イシ)譲(ジョー)
1933年3月14日 2024年11月3日 91 プロデュース ジャズ

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マイク・ストーラー ★★★

Mike Stoller

アメリカの世界的ソングライター。作詞家ジェリー・リーバーと組み「スタンド・バイ・ミー」「ハウンド・ドッグ」「監獄ロック」を制作。
グラミー受賞1回・ノミネート2回(2024年時点)
1933年3月13日 1933年3月13日 作曲家 ポップス

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マイケル・ジェフリー

Mike Jeffery

イングランドの音楽マネージャー。アニマルズのマネジメント、その後はチャス・チャンドラーと共同でジミ・ヘンドリックスのマネジメントを手掛けた。
  • ニューカッスル大学卒業後、ニューカッスルの「マリンバコーヒーハウス」と「ダウンビート・ジャズ・クラブ」のオーナー兼マネージャーとして音楽のキャリアを開始。
  • ダウンビート・ジャズ・クラブには、エリック・バードンやアラン・プライス・コンボなどの地元ミュージシャンが出演していたが、クラブが消防法によって閉鎖された後、両店舗は全焼した(バードンはジェフリーが保険金目当てで燃やしたと主張)。
  • 「The Club a' Gogo」をオープン。キャプテン・ビーフハート、クリーム、フリートウッド・マック、グレアム・ボンド・オーガニゼーション、ハウリン・ウルフ、ジェフ・ベック、ジミ・ヘンドリックス、ジョン・リー・フッカー、ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ、ピンク・フロイド、ローリング・ストーンズ、ザ・フー、ヤードバーズ、スティング、ブライアン・フェリーなどのコンサートが開催された。

アニマルズ

  • ジェフリーはアニマルズとマネジメント契約し、コロムビア・レコードとレコーディング契約。ミッキー・モストによるプロデュースで「The House Of The Rising Sun」(1964) が全米1位・全英1位を獲得し世界中で大ヒットしたものの、収益のほとんどをジェフリーが横領されたとメンバーが主張し、アニマルズはめちゃくちゃになった。
  • 1965年 「The Club a' Gogo」のハウスバンド、アニマルズが同店を歌った「Club a Go-Go」(1965) がヒットし、ニューカッスルで最も有名な会場となった。
  • アニマルズが世界的なグループになると、ハウスバンドはジュンコ・パートナーズに交代した。
  • 1966年 12月 エリック・バードンはメンバーを刷新し、エリック・バードン&ジ・アニマルズ結成。ケヴィン・デベリッチがマネージャーに就任。

ジミ・ヘンドリックス

  • チャス・チャンドラーがジミをプロデュースする間、ジェフリーはビジネスを担当した。ここでもジェフリーはバンドの収入の多くを横領し、海外の銀行口座に流用したという。
  • 1973年「ナント空中衝突事故」により39歳で他界。2006年、ジェフリーの遺産が1500万ドルで競売にかけられ、その中には「Purple Haze」や「Voodoo Child (Slight Return)」などの権利も含まれていた。ジミの家族が設立した会社「エクスペリエンス・ヘンドリックス」は、これらの曲の権利は自分たちが所有していると訴訟を起こすつもりだと述べた。
1933年3月13日 1973年3月5日 39 マネージャー ロック

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ロイド・プライス ★

Lloyd Price

アメリカのR&B・ロックンロールの歌手。
  • 1952年 デイヴ・バーソロミューに見出されスペシャルティ・レコードと契約。
  • 1952年 バーソロミューのプロデュースで「Lawdy Miss Clawdy」が大ヒットし人気歌手となった。
  • 1967年 伝説のジャズ・クラブ「バードランド」の跡地を取得し「ターンテーブル」をオープン。
  • 1970年代 興行師ドン・キングに協力してモハメド・アリとジョージ・フォアマンの試合の他、B.B.キングやジェームス・ブラウンやなどをプロモート。
  • 1993年 ジェリー・リー・ルイス、リトル・リチャードらとヨーロッパツアー。
  • 1998年 ロックの殿堂入り。
  • 2005年 ジェリー・バトラー、ジーン・チャンドラー、ベン・E・キングと共にツアーに参加。

代表曲

  • 1952年「Lawdy Miss Clawdy」(Specialty) 7週間R&B 1位
  • 1958年「Stagger Lee」(Victor) 全米1位・R&B 1位
  • 1959年「Personality」(ABC-Paramount) 4週間R&B 1位
  • 1959年「I'm Gonna Get Married」(ABC-Paramount) 全米3位・R&B 1位
1933年3月9日 2021年5月6日 88 男性歌手 R&B

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トミー・タッカー

Tommy Tucker

アメリカ合衆国オハイオ州スプリングフィールド出身のブルースシンガ、ソングライター、ピアニスト。1964年「Hi-Heel Sneakers」(Checker) 全米11位・全英23位 (Pd: Herb Abramson)。1960年代後半に音楽業界を離れ、不動産業者やライターとして働き、アメリカの黒人の苦境と無知、白人中心のメディアによる黒人からの搾取について記事を書いた。
1933年3月5日 1982年1月22日 48 男性歌手 ブルース

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ジミー・ギャリソン ★

Jimmy Garrison

アメリカのジャズ・ダブルベース奏者。1961年から1967年までジョン・コルトレーン・カルテットに加入し、マッコイ・タイナー (P) とエルヴィン・ジョーンズ (Dr) と共にコルトレーンを支えた。
1933年3月3日 1976年4月7日 43 ベース ジャズ

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アーニー・ケイドー

Ernie K-Doe

アメリカのR&B歌手。1961年「Mother-In-Law」全米1位・R&Bチャート1位。大滝詠一「楽しい夜更かし」の元ネタとなった。
1933年2月22日 2001年7月5日 68 男性歌手 R&B

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ニーナ・シモン ★★★

Nina Simone

アメリカの偉大なジャズ・シンガー、ピアニスト、作曲家、編曲家。クラシック、ゴスペル、ブルース、フォークなど幅広い音楽性、ショパン、リスト、ラフマニノフなどをレパートリーした高度な演奏力に加え深遠な表現力を有した。ローリング・ストーン誌「偉大な200人のシンガー」2023年21位。
  • 本名はユニース・キャスリン・ウェイモン (Eunice Kathleen Waymon) といい、ノースカロライナ州トライオンの貧しい家庭に生まれた。
  • 幼い頃からピアノで才能を発揮し、地元の教会で演奏。12歳の時にクラシック音楽のリサイタルでコンサート・デビュー。
  • バッハに心酔し、コンサートピアニストを志しジュリアード音楽院に入学。個人レッスンの費用を捻出するためナイトクラブでピアノを弾き生計を立て、家族にばれないようボーイフレンドがつけたあだ名「ニーナ」とフランスの女優シモーヌ・シニョレに因んで「ニーナ・シモン」と名乗った。
  • 1959年 1stアルバム『Little Girl Blue』から「I Loves You, Porgy」(作詞:アイラ・ガーシュウィン 作曲:ジョージ・ガーシュウィン)が全米18位・R&Bチャート2位を記録し人生最大のヒット。彼女は権利を3,000ドルで売却していたため、100万ドル以上の印税を失ったという。
  • 1963年 4月12日 念願のカーネギーホールで公演。アルバム『Nina Simone at Carnegie Hall』(1963) に収録。
  • 公民権運動に熱心になり、1968年に友人のマーティン・ルーサー・キング・ジュニアが暗殺された後、娘や夫を捨てヨーロッパ、アフリカ、カリブ海諸国を転々とし演奏活動を行った。
  • 1973年 10月 日本公演を行い、観賞した浅川マキや尾崎紀世彦は強烈な衝撃を受けたという。日本公演は『Nina Simone In Japan』(2010) に収録された。
  • 1987年 女優キャロル・ブーケを起用したシャネルNo.5のCMに「My Baby Just Cares for Me」(1958) が使用され、ヨーロッパで大ヒットを記録し人気が急上昇した。
  • 非常に気性が荒く、公衆電話を壁から引きちぎる、銃を発砲するなどさまざまなエピソードがある。
  • グラミー賞に2回ノミネートされたが、ともにアレサ・フランクリン(1942年3月25日–2018年8月16日)に敗れた。
  • 32枚のスタジオアルバムを録音。
  • 晩年は乳がんを患い、睡眠中に他界するまで演奏活動を続け、観客を魅了し続けた。
  • 結婚歴多数で、娘は歌手のリサ・シモン。

グラミー賞ノミネート

  • 1968年 13thアルバム『Silk & Soul』(1967) 収録曲「(You'll) Go to Hell」 第10回グラミー賞「最優秀女性R&Bボーカルパフォーマンス」
    受賞:アレサ・フランクリン「Respect」(1967)
  • 1971年 17rhアルバム『Black Gold』(1970) 第13回グラミー賞「優秀女性リズム・アンド・ブルース・ヴォーカル・パフォーマンス」
    受賞:アレサ・フランクリン「Don't Play That Song (You Lied)」(1970)
1933年2月21日 2003年4月21日 70 女性歌手 ジャズ

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オノ・ヨーコ ★

Yoko Ono

日本出身の前衛芸術家・音楽家・平和運動活動家。ジョン・レノンの妻として世界的に有名。
グラミー受賞 2回・ノミネート 5回(2024年時点)
  • 父方の祖父は福岡県出身の財界人・小野英二郎、母方の祖父は安田善三郎(安田財閥の創始者・安田善次郎の二女てるの夫)。
  • 1952年 学習院大学の哲学科に入学。翌年、家族とニューヨークへ移住し、サラ・ローレンス大学で音楽と詩を学んだ。
  • 1956年 作曲家・ピアニストの一柳慧 (1933–2022) と出会い大学を退学し結婚。芸術集団フルクサスらと活動した。
  • 1963年 アンソニー・コックスと再婚し京子を授かった。
  • 1964年 パフォーマンスアート「Cut Piece」と詩集『Grapefruit』を発表。
  • 1966年 活動拠点をロンドンへ移し、ロンドンのインディカ・ギャラリーで個展を開催中にジョン・レノンとの出会い、コラボレーションを行うようになった。
  • 1969年 ジョン・レノンと結婚しプラスティック・オノ・バンドを結成。
  • 1971年 ニューヨークに移住。反戦運動家・黒人解放運動家・女性解放運動家などと交流を深め、政治運動に注力。
  • 1973年 ダコタに入居。
  • 1975年 42歳でショーンを出産。
  • 1980年 12月8日、ジョン・レノンがダコタ前でマーク・チャップマンに射殺。ヨーコは難を逃れた。
  • 1987年 アンディ・ウォーホルの葬儀で弔辞を述べた。
  • 2023年 1978年にジョンと購入したニューヨーク州フランクリン近郊の広大な農場へ移った。

See Also

  • ローリー・アンダーソン (1947–)
  • ホアン・ラ・バルバラ (1947–)
  • リンダ・シャーロック (1947–)
  • ジュリー・ティペッツ (1946–)
  • アネット・ピーコック (1941–)
  • カーラ・ブレイ (1936–2023, 87)
  • アリス・コルトレーン (1937–2007, 69)
  • オノ・ヨーコ (1933–)
1933年2月18日 1933年2月18日 女性歌手 前衛音楽

jp

サッシャ・ディステル

Sacha Distel

フランスの歌手、ギタリスト、作詞家、俳優。1970年「Raindrops Keep Falling on My Head」全英10位、「Scoubidou」や「The Good Life」がヒットした。1963年、ディステル作詞「The Good Life」をトニー・ベネットが歌いヒット。ケニー・クラーク、ライオネル・ハンプトンらと共演。一時期ブリジット・バルドーと交際していた。
1933年1月29日 2004年7月22日 71 男性歌手 ポップ

fr

ジャン・ルイ・ヴィアール

Jean-Louis Viale

フランスのジャズ・ドラマー。フランスの名ギタリスト、サッシャ・ディステルやクリフォード・ブラウン、スタン・ゲッツ、セロニアス・モンク、ジャンゴ・ラインハルト、チェット・ベイカーやと共演した。
1933年1月22日 1984年5月10日 51 ドラム ジャズ

fr

カーティス・フラー

Curtis Fuller

アメリカのジャズ・トロンボーン奏者。ソウル・ジャズの「Five Spot After Dark」が有名。ユセフ・ラティーフのバンドに参加し、1957年にプレスティッジ・レコードに初リーダーアルバムを録音し、同年ジョン・コルトレーン『Blue Train』に参加。1961年から1965年までジャズ・メッセンジャーズに所属。
1932年12月15日 2021年5月8日 88 トロンボーン ジャズ

us

ドナルド・バード ★

Donald Byrd

アメリカのジャズ・トランペット奏者、音楽講師。高校在学中にライオネル・ハンプトンと共演。ウェイン州立大学、マンハッタン音楽院で学んだ後、1955年、初リーダーアルバム『Byrd Jazz』リリース。その後、ジョージ・ウォーリントンのバンド、ジャズ・メッセンジャーズに参加。1960年代以降はジャズとゴスペル、R&B、ファンクなどの融合を試み、1975年の「Walking in Rhythm」がグラミー賞にノミネートされた。
1932年12月9日 2013年2月4日 80 トランペット ジャズ

us

リトル・リチャード ★★★

Little Richard

アメリカの世界的ロックンロール・シンガー、ソングライター。チャック・ベリーやファッツ・ドミノらと共に初期のロックンロールを形成した。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」12位。ポール・マッカートニー、プリンスらに影響を与え、エスケリータに影響を受けた。1955年、ロイド・プライスのアドバイスで、スペシャルティ・レコードにデモレコードを送り契約。サム・クックを手掛けたロバート・ブラックウェルのプロデュースによりデビュー。彼のバックバンド「ザ・アップセッターズ」では、ジミ・ヘンドリックス、オーティス・レディング、ビリー・プレストン、ビリー・コックス、ボビー・コールドウェルなどがプレイした。
  • 1955年 「Tutti Frutti」(Specialty) 全米17位・R&B2位・全英29位 Mojo誌「世界を変えたレコード」1位
  • 1956年 「Ready Teddy」(Specialty) 全米44位・R&B8位
  • 1956年 「Long Tall Sally」(Specialty) 全米6位・6週間R&B1位 ローリング・ストーン誌「史上最高の500曲」55位
  • 1957年 「Rip It Up」(Specialty) 全米17位・R&B1位・全英30位
  • 1958年 「Good Golly, Miss Molly」(Specialty) 全米10位・R&B4位・全英8位 ローリング・ストーン誌「史上最高の500曲」92位

印税問題

スペシャルティ・レコードとアーティストとの契約書では、アート・ループとレーベル幹部が楽曲の所有権と出版権を持つことになっていた。リトル・リチャードは楽曲の所有権を譲渡した代わりに印税の50%を受け取ったと伝えられている。彼の伝記には「Tutti Frutti」の出版権を50ドルで売却したと記されており、レコード販売1枚につきわずか0.5セントの印税しか残らなかった。1959年、リトル・リチャードはレーベルを離れ、印税を受け取っていないとして訴訟。11,000ドルで和解し、「Tutti Frutti」や「Long Tall Sally」などのヒット曲の印税の権利を放棄した。
1932年12月5日 2020年5月9日 87 男性歌手 ポップ

us

エセル・エニス

Ethel Ennis

アメリカの女性ジャズシンガー。1955年にデビューしキャリアは70年にわたる。1973年、ニクソン大統領の再就任式で国歌斉唱した。
1932年11月28日 2019年2月17日 86 女性歌手 ジャズ

us

クライド・マクファター ★

Clyde McPhatter

アメリカのR&B歌手。ビリー・ワード&ヒズ・ドミノズ、ドリフターズの元シンガー。1953年、ドリフターズを結成するためビリー・ワード&ザ・ドミノスを脱退。後任にジャッキー・ウィルソンが加入した。同年「Money Honey」R&Bチャート23週間1位・売上200万枚。エルヴィス・プレスリーやリトル・リチャードによってカバーされ、ローリング・ストーン誌誌「偉大な500曲」252位。
1932年11月15日 1972年6月13日 39 男性歌手 R&B

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ペトゥラ・クラーク ★

Petula Clark

アメリカの女性ジャズ・シンガー。1964年「Downtown」(邦題「恋のダウンタウン」)が全米1位となり世界的ヒット。1965年「I Know a Place」「My Love」全米1位。同年サンレモ音楽祭に出場し「Invece No」を歌い入賞。『フィニアンの虹』でハリウッド映画にも出演した。
グラミー受賞 2回・ノミネート 9回(2024年時点)
1932年11月15日 1932年11月15日 女性歌手 ジャズ

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ポール・ブレイ ★

Paul Bley

カナダのピアニスト。1960年代のフリー・ジャズ・ムーブメントに貢献。革新的なトリオ演奏で影響を与え、またモーグ・シンセサイザー奏者の草分けとして1969年にライヴ演奏を行った。1953年、チャールズ・ミンガスのレーベルから『Introducing Paul Bley』リリース。チャーリー・パーカー、チャールズ・ミンガス、オーネット・コールマン、ソニー・ロリンズ、セシル・テイラー、アーチー・シェップ、サン・ラ、アネット・ピーコックらと共演。世界中をツアーし、100枚以上の音源をリリースした。前妻はカーラ・ブレイ。
1932年11月10日 2016年1月3日 83 ピアノ ジャズ

ca

アルバート・コリンズ ★

Albert Collins

アメリカ合衆国テキサス州出身のブルース・ギタリスト、シンガー。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のギタリスト」2011年56位。 16歳の時、ジョン・リー・フッカー「Boogie Chillen」(1948) を聴いてギターを開始。1956年、セッション・ギタリストとして初レコーディング。1958年、1stングル「The Freeze」リリース。ロバート・クレイ、ジョニー・コープランドとのセッション・アルバム『Showdown!』(1985) でグラミー賞「最優秀トラディショナル・ブルース・アルバム」を受賞した。フェンダー・テレキャスターから称号「テレキャスターの巨匠」を得た。
グラミー受賞 1回・ノミネート8 回
1932年10月1日- 1993年11月24日 61 ギター ブルース

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グレン・グールド ★

Glenn Gould

カナダのピアニスト、作曲家。「バッハの再来」と賞賛され、演奏力のみならず、端正な容貌と奇行で一躍時の人となった。
グラミー受賞 4回・ノミネート 21回
  • 1940年 7歳でトロント王立音楽院に合格。レオ・スミスに音楽理論、フレデリック・シルヴェスターにオルガン、アルベルト・ゲレロにピアノを師事。
  • 1944年 ピアノ演奏のコンペティションで優勝。
  • 1945年 オルガン奏者としてデビュー。
  • 1946年 トロント交響楽団と共演。ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番」でピアニストとしてデビュー。
  • 1946年 トロントの王立音楽院を最年少で最優秀の成績で卒業。
  • 1947年 初リサイタルで国内で高い評価を獲得。
  • 1955年 アメリカでの初演奏が高評価。
  • 1956年 1stアルバム『Bach: The Goldberg Variations』(Columbia) 1960年までにクラシック・アルバムとしては驚異的な売上4万枚を記録。
  • 1957年 ソビエト連邦およびヨーロッパへツアー。
  • 1959年 ザルツブルク音楽祭で大絶賛をされ、世界的なピアニストとしての地位を確立。
  • 1964年 シカゴでのリサイタルを最後にコンサート活動から引退。以降、レコード録音や放送媒体に音楽活動を限定した。
  • 1977年 グールド演奏によるバッハ「平均律」第2巻 前奏曲とフーガ第1番ハ長調の録音が宇宙船ボイジャー1号・2号にゴールデン・レコードとして搭載。
  • 1981年 バッハ「ゴルトベルク変奏曲」を再録音。
  • 1982年 10月4日 脳卒中により入院していたが容態は悪化し、延命措置が停止された。50歳没。
1932年9月25日 1982年10月4日 50 ピアノ クラシック

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パッツィー・クライン ★

Patsy Cline

アメリカのカントリー・ミュージックの歌手。カントリー・ミュージック殿堂入りとカーネギー・ホールで演奏を達成した初の女性。1961年、ウィリー・ネルソンが書いた「Crazy」で全米9位。ローリング・ストーン誌「偉大なシンガー」2023年13位。
1932年9月8日 1963年3月5日 30 女性歌手 カントリー

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ウォルター・デイヴィス・ジュニア

Walter Davis Jr.

アメリカのジャズ・ピアニスト。チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーと共演し、ドナルド・バード『Au Chat Qui Pêche』(1958) に参加した。
1932年9月2日 1990年6月2日 57 ピアノ ジャズ

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トゥルーディ・ピッツ

Trudy Pitts

アメリカの女性ジャズ・オルガン奏者。ジュリアード音楽院など様々な教育機関で学び、パット・マルティーノ、ローランド・カークらと共演した。
1932年8月10日 2010年12月19日 78 オルガン ジャズ

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ドロシー・アシュビー ★

Dorothy Ashby

アメリカのジャズ・ハープ奏者、作曲家。「1950年代の最も過小評価されたジャズの巨匠」「最も優れたモダン・ジャズ・ハープ奏者」と評され、バックグラウンド楽器として使われていたハープをジャズの即興楽器として確立。『The Rubaiyat of Dorothy Ashby』(1970) では日本の琴を使用した。ビル・ウィザース、スティーヴィー・ワンダー、ミニー・リパートン、ボビー・ウーマック、アンジー・ストーンらの名盤にクレジットされている。
  • See Also
    • アリス・コルトレーン(1937–2007)
    • キャスパー・リアドン (1907–1941)
  • 1932年8月6日 1986年4月13日 53 ハープ ジャズ

    us

    ジョー・ザヴィヌル ★

    Joe Zawinul

    オーストリア出身のジャズ、フュージョンのピアニスト。1970年代よりシンセサイザーを駆使し多大な影響を与えた。ウェザー・リポート解散後はソロ活動に専念。ワールド・ミュージックに傾倒しエレクトロニカとの融合を図った。
    グラミー受賞 1回・ノミネート 2回
    • 1961年 キャノンボール・アダレイのバンドに加入。9年間在籍。
    • 1967年 「Mercy, Mercy, Mercy」作詞作曲。全米11位・R&B2位 ジャズでは異例のヒット
    • 1969年 マイルス・デイヴィス『In A Silent Way』(Columbia) 参加。
    • 1969年 マイルス・デイヴィス『Bitches Brew』(Columbia) 参加。
    • 1970年 ウェザー・リポート結成。
    • 1986年 ウェザー・リポート解散。
    1932年7月7日 2007年9月11日 75 ピアノ ジャズ

    at

    ビッグ・ディー・アーウィン

    Big Dee Irwin

    アメリカのR&Bのシンガーソングライター。1963年にリトル・エヴァとのデュエットし「Swinging On A Star」全米38位・全英7位を記録。レイ・チャールズやボビー・ウーマックなどのソングライターとしても活動した。
    1932年7月6日 1995年8月27日 63 R&B

    us

    ラロ・シフリン ★

    Lalo Schifrin

    アルゼンチン出身の作曲家、編曲家、ジャズ・ピアニスト、指揮者。映画音楽で世界的に有名で『ブリット』『ダーティハリー』『燃えよドラゴン』の他、テレビシリーズ『スパイ大作戦』『スタスキー&ハッチ』などの楽曲を手掛けた。
    グラミー受賞 4回・ノミネート 19回(2024年時点)
    1932年6月21日 1932年6月21日 作曲家 映画音楽

    ar

    ティナ・ブルックス

    Tina Brooks

    アメリカのジャズ・サックス奏者。1951年、プロとして活動開始しライオネル・ハンプトンと共演し。1958年にブルーノートと契約し、ケニー・バレル、フレディ・ハバード、ジャッキー・マクリーン、フレディ・レッド、ジミー・スミスのアルバムに参加した。1961年に薬物依存で録音をやめ、肝臓障害で早世した。
    1932年6月7日 1974年8月13日 42 サックス ジャズ

    us

    オリヴァー・ネルソン ★

    Oliver Nelson

    アメリカのジャズ・サックス奏者、クラリネット奏者、編曲家、作曲家、バンド・リーダー、音楽プロデューサー。アルバム『The Blues And The Abstract Truth』(1961/Impulse!) とネルソン作の収録曲「Stolen Moments」が有名。
    グラミー賞ノミネート 4回
    • 1950年 ルイ・ジョーダンのバンドに加入。
    • 1952年 兵役中、日本で観賞した東京フィルハーモニー交響楽団のコンサートに感銘し、作曲家になると決意。
    • 大学で音楽を学び、ニューヨークでカウント・ベイシー、デューク・エリントン、クインシー・ジョーンズらのビッグ・バンドに加入。全米とヨーロッパをツアー。
    • 1967年 ロサンゼルスに移り『刑事コロンボ』などのテレビや映画音楽、ナンシー・ウィルソン、ジェームス・ブラウン、テンプテーションズ、ダイアナ・ロスらのアルバム・プロデュースやアレンジを手掛けた。
    • 1975年 10月28日 心臓発作により43歳で他界。生前30枚以上のアルバムをリリースした。
    1932年6月4日 1975年10月28日 43 作曲家 ジャズ

    us

    ボブ・ジョンストン ★★★

    Bob Johnston

    アメリカの音楽プロデューサー。主にボブ・ディラン、ボブ・ディラン「Like A Rolling Stone」(1956)、サイモン&ガーファンクル『Sounds Of Silence』(1966)、レナード・コーエン『Songs From A Room』(1969) などを手掛けたことで有名。

    See Also

    • ジョン・サイモン (1941–)
    • クライヴ・デイヴィス (1932–)
    • トム・ウィルソン (1931–1978, 47)
    • テオ・マセロ (1925–2008, 82)
    • アーヴィング・タウンゼント (1920–1981, 61)
    • ジョージ・アヴァキアン (1919–2017, 98)
    • ジョン・ハモンド (1910–1987, 1976)
    1932年5月14日 2015年8月14日 83 プロデュース フォーク

    us

    ワルター・ワンダレイ

    Walter Wanderley

    ブラジルのオルガン奏者。1966年「Samba de Verão」(日:サマー・サンバ/英:So Nice/作曲:マルコスヴァーリ/作詞:パウロ・セルジオ・ヴァーリ)が全米26位・イージーリスニングチャート3位を記録し、日本のジャズ・ファンにも知られる存在となった。
    1932年5月12日 1986年9月4日 54 オルガン ボサノヴァ

    br

    フランシス・レイ ★

    Francis Lai

    フランスの作曲家。ピエール・バルー主演の映画『男と女』などクロード・ルルーシュ監督とのコンビで知られ、多数の映画音楽を手掛けた。ブラジルの音楽家ヴィニシウス・ヂ・モライスからボサノヴァを教わった。
    1932年4月26日 2018年11月7日 86 作曲家 映画音楽

    fr

    スライド・ハンプトン

    Slide Hampton

    アメリカのジャズ・トロンボーン奏者、作曲家。さまざまな楽団に参加した後、ハーバード大学などで教鞭を執った。1998年、ディー・ディー・ブリッジウォーターの編曲でグラミー賞を受賞した。
    グラミー受賞 2回・ノミネート 5回
    1932年4月21日 2021年11月18日 89 トロンボーン ジャズ

    us

    ジェリー・グラナハン

    Gerry Granahan

    アメリカの歌手、ソングライター、音楽プロデューサー。1958年「No Chemise Please」全米23位をはじめ、1950年代後半にヒット。カプリス・レコードを設立しガールズグループのエンジェルスやジェイムス・レイの楽曲をリリースした。その後、ドット・レコードとパラマウント・レコードの副社長を務めた。
    1932年4月20日 2022年1月10日 89 プロデュース

    us

    ロレッタ・リン ★

    Loretta Lynn

    アメリカを代表する伝説的なカントリー・ミュージック歌手。
  • 「Fist City」(1968)、「Coal Miner's Daughter」(1970) など16曲がカントリー1位
  • ドリー・パートン、タミー・ワイネットとのデュエットを含め70曲以上がヒット。 グラミー受賞 3回・ノミネート 18回
    • 1960年 1stシングル「I'm a Honky Tonk Girl」
    • 1966年 7thアルバム『You Ain't Woman Enough』カントリー1位
    • 1967年 9thアルバム『Don't Come Home A' Drinkin' (With Lovin' on Your Mind)』カントリー1位
    • 1971年 1975年までコンウェイ・トゥイッティとデュエットを組み、5枚連続カントリー1位を獲得。グラミー賞をはじめ様々な賞を受賞し、カントリー史上最も成功したデュオのひとつとなった。
    • 1988年 カントリーの殿堂入り。
    • 2010年 50年におよぶ活動でグラミー賞「特別功労賞生涯業績」を受賞。
    • 2024年 孫娘エミー・ラッセルが『Amazing Auditions』に出場。
  • 1932年4月14日 2022年10月4日 90 女性歌手 カントリー

    us

    カール・パーキンス ★

    Carl Perkins

    アメリカのロカビリー・ミュージシャン。ローリング・ストーン誌「偉大な100組のアーティスト」99位、「偉大な100人のギタリスト」2011年88位。ロックンロールの立役者としてエルヴィス・プレスリーらとともにサン・レコードの黄金期を担い、エルヴィス・プレスリー、ジョニー・キャッシュ、ビートルズ、ジミ・ヘらにカバーされた。1956年、エルヴィス・プレスリー、ジェリー・リー・ルイス、ジョニー・キャッシュと一回限りのミリオン・ダラー・カルテットを結成し、即興ジャム・セッションを行った。
    グラミー受賞 1回・ノミネート 2回(2024年時点)
    1932年4月9日 1998年1月19日 65 男性歌手 ロック

    us

    クライヴ・デイヴィス ★★★

    Clive Davis

    アメリカ音楽界の重鎮プロデューサー。1960年代にロックの到来を読みジャニス・ジョプリン、サンタナ、ブルース・スプリングスティーン、シカゴ、ビリー・ジョエル、エアロスミス、さらにアレサ・フランクリン、ホイットニー・ヒューストン、バリー・マニロウらと契約し成功へ導いた。 グラミー受賞 4回・ノミネート 5回(2024年時点)
    • 1932年 ニューヨーク市ブルックリンのユダヤ人家庭に誕生。
    • 1960年 コロムビア・レコードの顧問弁護士に就任。
    • 1967年 コロムビア・レコード社長に就任。
    • 1973年 コロムビア・レコード社長解任。
    • 1973年 ベル・レコードに移り、1974年に社名をアリスタ・レコードと改名。
    • 2000年 ロックの殿堂入り。

    See Also

    • ジョン・サイモン (1941–)
    • ボブ・ジョンストン(1932–2015, 83)
    • トム・ウィルソン (1931–1978, 47)
    • テオ・マセロ (1925–2008, 82)
    • アーヴィング・タウンゼント (1920–1981, 61)
    • ジョージ・アヴァキアン (1919–2017, 98)
    • ジョン・ハモンド (1910–1987, 1976)
    1932年4月4日 1932年4月4日 プロデュース

    us

    ジュニア・パーカー

    Junior Parker

    アメリカ合衆国ミシシッピ州のブルース・シンガー。歌声は「蜜のように甘く、ビロードのように滑らか」と評される。エルヴィス・プレスリーを発掘したサム・フィリップスの目に留まり、1953年にサン・レコードと契約。「Feelin' Good」R&B5位、「Love My Baby」「Mystery Train」などがヒット。プレスリーが「Mystery Train」をカバーし、カントリー・チャート11位を記録した(ローリング・ストーン誌「史上最高の500曲」2003年77位)。脳腫瘍の手術中に39歳で死去。2001年、ブルースの殿堂入り。
    1932年3月27日 1971年11月18日 39 男性歌手 ブルース

    us

    マーク・マーフィー

    Mark Murphy

    アメリカのジャズ・ボーカリスト。卓越した技巧と天才的なひらめきで、エディ・ジェファーソンやジョン・ヘンドリックスが行ったヴォーカリーズ(アドリブソロにオリジナルの歌詞をつけて歌う)をさらに発展させた。1980年代はブラジル音楽に傾倒。アシッドジャズ・ブームでジャイルス・ピーターソンら世界中のDJがプレイし、新しいリスナーを獲得した。
    グラミー賞ノミネート6回
    1932年3月14日 2015年10月22日 83 男性歌手 ジャズ

    us

    ジョン・バージェス ★

    John Burgess

    イングランドの音楽プロデューサー。1951年、EMIの宣伝部門に就職。1955年に同社がキャピトル・レコードを買収し、フランク・シナトラ、ペギー・リー、ディーン・マーティンなどのプロモーションを担当。その後、プロデューサーのノーマン・ニューウェルのアシスタントを経て、1960年代にブリティッシュ・インヴェイジョン初期のヒット曲をプロデュースした。

    プロデュース作品

    • 1959年 アダム・フェイス「What Do You Want?」全英1位 編曲:ジョン・バリー
    • 1960年 アダム・フェイス「Poor Me」全英1位
    • 1962年 ジョン・バリー・セブン「James Bond Theme」全英8位。作詞作曲:モンティ・ノーマン
    • 1963年 フレディ&ザ・ドリーマーズ「If You Gotta Make a Fool of Somebody」全英3位
    • 1963年 フレディ&ザ・ドリーマーズ「I'm Telling You Now」全米1位・全英2位
    • 1964年 マンフレッド・マン「5-4-3-2-1」全英5位
    • 1964年 マンフレッド・マン「Do Wah Diddy Diddy」全米1位・全英1位
    • 1966年 マンフレッド・マン「Pretty Flamingo」全英1位
    1932年3月8日 2014年3月13日 82 プロデュース ポップ

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    ミリアム・マケバ ★

    Miriam Makeba

    南アフリカ共和国の女性歌手。「ママ・アフリカ」の名前でも知られている。1950年代にメンバー全員が女性によるグループ「ザ・スカイラークス」を結成し、西洋音楽と伝統的な南アフリカ音楽を融合した。
    グラミー受賞 1回・ノミネート 9回
    • 1959年 反アパルトヘイト映画『Come Back, Africa』に出演し国際的な注目を集めた。ロンドンでハリー・ベラフォンテと出会い、活動拠点をニューヨークに移してからすぐに人気を博した。
    • 1964年 ヒュー・マセケラと結婚(1966年離婚)
    • 1965年 ハリー・ベラフォンテとのアルバム『An Evening with Belafonte/Makeba』でグラミー賞「最優秀フォークレコーディング」受賞。
    • 1967年 「Pata Pata」全米12位
    • 1968年 ブラックパンサー党の指導者ストークリー・カーマイケルと結婚し白人の支持を失い、海外旅行中に米国政府によってビザを取り消されギニアに移住。アパルトヘイトを批判した曲を書き、主にアフリカ諸国で演奏を続けた。
    • 1990年 アパルトヘイトが廃止されると南アフリカに戻った。
    • 1991年 ニーナ・シモンやディジー・ガレスピーとアルバムをリリース。
    • 2008年 11月10日 イタリアでのコンサート中に心臓発作で他界。
    1932年3月4日 2008年11月10日 76 女性歌手 マラビ 南アフリカ

    za

    ジョニー・キャッシュ ★

    Johnny Cash

    アメリカの世界的ロカビリー、カントリー・ミュージックのシンガーソングライター、俳優。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー21位、「偉大な100組のアーティスト」31位。ヒット曲数は世界記録保持者エルヴィス・プレスリーの151曲に迫る140曲以上で世界売上5,000万枚。クールでアウトローなルックスで「ロックの反逆性とカントリーの哀愁、フォークの語り口」といわれる独自の世界観を持ち、ウィリー・ネルソン、ボブ・ディラン、ボノたちからリスペクトされている。
    グラミー受賞 13回・ノミネート 35回
  • 1955年 デビュー・シングル「Hey Porter」(Sun) カントリー14位
  • 1968年 カーター・ファミリーの次女ジューン・カーター (1929–2003, 73) と再婚。
  • 1969年 『ジョニー・キャッシュ・ショー』放映開始(1971年まで)。ルイ・アームストロング、ニール・ヤング、ジェームス・テイラー、レイ・チャールズ、デレク&ザ・ドミノス、ボブ・ディラン、ジョニ・ミッチェルら多数のミュージシャンが出演した。
  • 1980年 史上最年少の48歳でカントリー・ミュージックの殿堂入り。
  • 1985年 ハイウェイマン結成。ウィリー・ネルソン、クリス・クリストファーソン、ウェイロン・ジェニングスらと3枚のスタジオ・アルバムをリリースし、シングル「Highwayman」がカントリー1位を獲得。
  • 1932年2月26日 2003年9月12日 71 男性歌手 カントリー

    us

    ミシェル・ルグラン ★★★

    Michel Legrand

    フランスの映画音楽の巨匠作曲家。『シェルブールの雨傘』『ロシュフォールの恋人たち』『華麗なる賭け』『おもいでの夏』『愛と哀しみのボレロ』『栄光のル・マン』『ネバーセイ・ネバーアゲイン』などを作曲。親日家で1972年以降たびたび来日公演。松崎しげるは1976年「マジョルカ音楽祭」でルグランやデヴィ・スカルノら審査員が見守る中「愛のメモリー」を熱唱した。
    グラミー受賞 5回・ノミネート 17回
    1932年2月24日 2019年1月26日 86 作曲家 映画音楽

    fr

    ローランド・ハナ

    Roland Hanna

    アメリカのジャズ・ピアニスト、作曲家、教師。サド・ジョーンズ&メル・ルイス・ジャズ・オーケストラに在籍後、サラ・ヴォーン『Crazy and Mixed Up』(1982 邦題『枯葉』) に参加。晩年は音楽学校で教鞭をとった。
    1932年2月10日 2002年11月13日 70 ピアノ ポップ

    us

    ジョン・ウィリアムズ ★★★

    John Williams

    アメリカの世界的作曲家、編曲家、指揮者、ピアニスト。『スター・ウォーズ』(1977)『ジョーズ』(1975)『未知との遭遇』(1977)『スーパーマン』(1978)『インディ・ジョーンズ』(1981)『E.T.』(1982)『ホーム・アローン』(1990)『ジュラシック・パーク』(1990)『シンドラーのリスト』(1993)『ハリー・ポッター』(2001) など、ジョージ・ルーカスやスティーヴン・スピルバーグ監督作品を中心に歴史的な映画音楽を作曲した。
    グラミー受賞 26回・ノミネート 76回(2024年時点)
    1932年2月8日 1932年2月8日 作曲家 映画音楽

    us

    リック・ホール

    Rick Hall

    アメリカの音楽プロデューサー、ソングライター。アラバマ州マッスルショールズのFAMEスタジオのオーナーとして有名。「マッスルショールズ音楽の父」としてアレサ・フランクリン、オーティス・レディング、デュアン・オールマン、エタ・ジェイムスらのキャリアに貢献した。
    1932年1月31日 2018年1月2日 85 プロデュース R&B

    us

    シリル・デイヴィス

    Cyril Davies

    イングランドのブルースシンガー・ハーモニカ奏者。純粋なブルースマンで、R&B化するブルース・インコーポレイテッドを脱退し自身のバンドを結成した。
    • 1954年 アレクシス・コーナーとブルースバンドを結成。
    • 1961年 ブルース・インコーポレイテッド結成(アレクシス・コーナー、シリル・デイヴィス、ロング・ジョン・ボルドリー、チャーリー・ワッツ、ジャック・ブルース、 ディック・ヘックストール・スミス)
    • 1962年 ブルース・インコーポレイテッド脱退。「シリル・デイヴィス R&B オールスターズ」結成。
    • 1963年 ロング・ジョン・ボルドリーとニッキー・ホプキンスが加入。
    • 1964年 1月7日、デイヴィスは病により31歳で他界。ボルドリーがバンドを引き継ぎ、ロッド・スチュワートらを迎え「ロング・ジョン・ボルドリー&ヒズ・フーチー・クーチー・メン」となり、後にエルトン・ジョンを輩出した。
    1932年1月23日 1964年1月7日 31 男性歌手 ブルース

    eg

    ジョニー・アダムス

    Johnny Adams

    アメリカのR&B歌手。カントリー的なサザン・ソウルで知られる。1986年、アール・キングとともに来日公演を行った。
    1932年1月5日 1998年9月15日 66 男性歌手 R&B

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    スコッティ・ムーア ★

    Scotty Moore

    アメリカのギタリスト。エルヴィス・プレスリーの伴奏で著名。ローリング・ストーン誌「偉大なギタリスト」2003年44位、2011年29位 。
    • 1954年 行方不明になったヴォーカルの代理で参加したエルヴィス・プレスリー (Vo)、ビル・ブラック (B) と3ピースバンド「The Blue Moon Boys」結成。後にDJフォンタナ (Dr) が参加。
    • 1954年 「That's All Right」(Sun) が地元メンフィスのチャート4位。アーサー・クルーダップのカバー
    • 1968年 プレスリーとの関係が自然消滅した後、スタジオ・ミュージシャンとしてジェリー・リー・ルイス、ロイ・オービソンらのレコーディングで多忙を極めた。
    • 2000年 ロックの殿堂入り。翌日、ポール・マッカートニーとDJフォンタナの3人で「That's All Right」をレコーディング。▶ YouTube
    1931年12月27日 2016年6月28日 84 ギター ロック

    us

    アラン・クレイン ★

    Allen Klein

    アメリカの音楽マネージャー。ビートルズとローリング・ストーンズを食い物にしたことで有名。1967年、レコード会社を買収してアブコ・レコードと改名。アップル・コアの改革に乗り出したが不正経理が発覚し訴訟合戦に発展。アップル・コアがクレインに420万ドルを支払い関係を清算した。
    1931年12月18日 2009年7月4日 77 実業家 ロック

    us

    ダニー・リッチモンド

    Dannie Richmond

    アメリカのジャズ・ドラマー。チャールズ・ミンガスとの仕事でよく知られている。『Chet Baker Sings』(1956) やジョー・コッカー、エルトン・ジョン、マーク・アーモンドなどの録音に参加。
    1931年12月15日 1988年3月16日 56 ドラム ジャズ

    us

    ウィントン・ケリー ★

    Wynton Kelly

    アメリカのジャズ・ピアニスト。1959–1963年、マイルス・デイヴィス・クインテットに参加。『Kind of Blue』収録「Freddie Freeloader」やジョン・コルトレーン「Naima」を演奏。
    1931年12月2日 1971年4月12日 39 ピアノ ジャズ

    us

    ナット・アダレイ ★

    Nat Adderley

    アメリカのコルネット奏者。「Work Song」(1960) の作曲者として知られ、ファンキー・ジャズを代表するプレイヤー。1954年、ライオネル・ハンプトン楽団での活動を経て、1955年に兄キャノンボール・アダレイとバンドを結成。長きに渡って兄をサポートした。
    1931年11月25日 2000年1月2日 68 コルネット ジャズ

    us

    アイク・ターナー ★

    Ike Turner

    アメリカのR&Bのギタリスト、シンガーソングライター、ピアニスト、音楽プロデューサー、タレント・スカウト。草創期のロックに大きな影響を与え、チャカ・カーンなどをスカウトした。
    グラミー受賞 2回・ノミネート 7回
    • 1940年代後半 ミシシッピ州クラークスデールでキングス・オブ・リズム結成。
    • 1951年 ジャッキー・ブレンストン & ヒズ・デルタ・キャッツ名義で初期のロックンロール「Rocket 88」(Chess) R&B 1位を録音。
    • ティナ・ターナーとアイク&ティナ・ターナーを結成し、1960–1970年代にかけて数々のヒットを飛ばした。
    • 1962年 ティナ・ターナーと結婚(1978年離婚)。
    1931年11月5日 2007年12月12日 76 ギター R&B

    us

    フィル・ウッズ ★

    Phil Woods

    アメリカのジャズ・アルトサックス奏者。ビリー・ジョエル「Just the Way You Are」(素顔のままで)のソロが有名。スティーリー・ダン、ポール・サイモンとも共演し、グラミー賞を4度受賞。ベニー・グッドマン、ディジー・ガレスピーといったレジェンドの世界ツアーに同行した。チャーリー・パーカーの死後、パーカーの内縁の妻チャン・パーカー (1925–1999, 74) と結婚し遺児の継父となった。
    グラミー受賞 4回・ノミネート 18回
    1931年11月2日 2015年9月29日 83 サックス ジャズ

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    ハロルド・バティスト

    Harold Battiste

    アメリカのジャズ・サックス奏者、編曲家。サム・クック「You Send Me」(1957) を編曲。ドクター・ジョンを発掘しプロデュース。1961年、AFOレコード設立。
    1931年10月28日 2015年6月19日 83 サックス ジャズ

    us

    アンソニー・ニューリー

    Anthony Newley

    イングランドの俳優、歌手、作詞家、映画製作者。「イギリスのアル・ジョルソン」と呼ばれ、歌・舞台・映画で成功を収めた。1959–1962年にかけて全英1位2曲を含む12曲を全英TOP 40に送り込み、サミー・デイヴィス・ジュニア「What Kind of Fool Am I?」(1962) でグラミー賞最優秀楽曲賞を受賞。「Feeling Good」(1964) を作曲しニーナ・シモン、ジョン・コルトレーンらがカバーした。彼の曲はトニー・ベネット、バーブラ・ストライサンド、マイケル・ブーブレ、マライア・キャリー、フィオナ・アップルなど、さまざまな歌手に歌われている。
    1931年9月24日 1999年4月14日 67 作詞家 ジャズ

    eg

    リトル・ウィリー・リトルフィールド

    Little Willie Littlefield

    アメリカのR&B、ブギウギのピアニスト、歌手。1949年「It's Midnight」R&B 3位、1952年「Kansas City」(作詞作曲:ジェリー・リーバー&マイク・ストーラー)のオリジナル歌手。
    1931年9月16日 2013年6月23日 81 男性歌手 R&B

    us

    ジャック・ホルツマン ★★★

    アメリカのユダヤ人の実業家。1950年、エレクトラ・レコードを設立。ドアーズ、クイーン(米国のみ)、ティム・バックリィ、カーリー・サイモン、ストゥージズらと契約し、ジュディ・コリンズを発掘した。マイルス・デイヴィスと共演したジャズ・ロック・キーボード奏者アダム・ホルツマンは息子。
    1931年9月15日 1931年9月15日 実業家 ロック

    us

    リッチー・パウエル

    Richie Powell

    アメリカのジャズ・ピアニスト。ジョニー・ホッジス、ソニー・ロリンズ、ダイナ・ワシントンと共演。バド・パウエルの弟。
    1931年9月5日 1956年6月26日 24 ピアノ ジャズ

    us

    ジョージ・バトラー

    George Butler

    アメリカのジャズ・プロデューサー、A&Rマン。1960–1990年代にかけてブルーノート、コロムビア・レコード、ユナイテッド・アーティスツで著名アーティストと契約。ハワード大学で学んだ後、コロンビア大学で音楽教育の修士号を取得。1980年にマイルス・デイヴィスを説得しレコーディングに復帰させた。
    1931年9月2日 2008年4月9日 76 プロデュース ジャズ

    us

    アラン・ゴラゲール ★

    Alain Goraguer"

    フランスのジャズ・ピアニスト、編曲家、作曲家。ボリス・ヴィアンとセルジュ・ゲンズブールのサイドマンとして著名。1965年「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」で優勝したフランス・ギャル「夢見るシャンソン人形」(Poupée de cire, poupée de son) のオーケストラ指揮者を務めた。1973年、ルネ・ラルー監督のアニメ映画『ファンタスティック・プラネット』(La Planète Sauvage) の音楽を担当した。
    1931年8月20日 2023年2月13日 91 ピアノ ジャズ

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    ランブリン・ジャック・エリオット

    Ramblin' Jack Elliott

    アメリカのフォーク歌手。ユダヤ系アメリカ人の家庭で育ちながらカウボーイに憧れ家出し、ウディ・ガスリーを慕い共同生活。ディランは「エリオットの息子」と自称という。
    1931年8月1日 1931年8月1日 男性歌手 フォーク

    us

    ケニー・バレル ★

    Kenny Burrell

    アメリカの巨匠ジャズ・ギタリスト。1951年、ディジー・ガレスピー楽団に加入。1955年にニューヨークで活動を移しブルーノートと契約。1963年、名盤『Midnight Blue』をリリースした。
    1931年7月31日 1931年7月31日 ギター ジャズ

    us

    ソニー・クラーク

    Sonny Clark

    アメリカのジャズ・ピアニスト。当時アメリカではヒットしなかった『Cool Struttin'』(1958) が日本で人気を博し、ブルーノート創設者アルフレッド・ライオンは日本からの注文殺到を不思議に思ったという。1963年1月13日、ヘロインの過剰摂取により31歳で他界。
    1931年7月21日 1963年1月13日 31 ピアノ ジャズ

    us

    アラン・ダクラス

    Alan Douglas

    アメリカのロシア系ユダヤ人移民の音楽プロデューサー、ダグラス・レコードの経営者。マイルス・デイヴィス、ジミ・ヘンドリックス、ジョン・マクラフリンの他、デューク・エリントン、マックス・ローチ、チャールズ・ミンガス『Money Jungle』(1963) を手掛け、ニューポート・ジャズ・フェスティバルの創設者ジョージ・ウェインが「ジャズ史上最高のピアノ・トリオ・レコーディングの一つ」と評した。ジミ・ヘンドリックスの死後、未発表音源のプロデュース権を獲得し、リリースした『Crash Landing』と『Midnight Lightning』は物議をかもした。1995年、ジミの父アルにアーカイブの管理権を譲渡。法廷闘争の末、ジミの著作をまとめた『Starting At Zero』を出版した。

    プロデュース作品

    • 1962年 アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズ『3 Blind Mice』
    • 1962年 ハービー・マン『Brazil, Bossa Nova & Blues』
    • 1962年 ビル・エヴァンス&ジム・ホール『Undercurrent』
    • 1974年 ジミ・ヘンドリックス『... And A Happy New Year』
    • 1975年 ジミ・ヘンドリックス『Midnight Lightning』
    • 1975年 ジミ・ヘンドリックス『Crash Landing』
    1931年7月20日 2014年6月7日 82 プロデュース ロック

    us

    ジョアン・ジルベルト ★★★

    João Gilberto

    音楽史上重要なブラジルの歌手、ギタリスト。アントニオ・カルロス・ジョビンやヴィニシウス・ヂ・モライスらとボサノヴァを創成した。1959年にアストラッド・ジルベルトと結婚。1965年にシコ・ブアルキの姉で歌手のミウシャと再婚しベベウ・ジルベルトを授かった。
    グラミー受賞 2回・ノミネート 6回
    1931年6月10 2019年7月6日 88 男性歌手 ボサノヴァ ブラジル

    br

    シャーリー・ベレット

    Shirley Verrett

    アメリカのメゾソプラノ歌手。1960–1990年代にかけて名声を博した。
    1931年5月31日 2010年11月5日 79 女性歌手 オペラ

    us

    ジャッキー・マクリーン ★

    Jackie McLean

    アメリカのジャズ・サックス奏者。マイルス・デイヴィス『Dig』、チャールズ・ミンガス『直立猿人』、ソニー・クラーク『Cool Struttin'』に参加。16歳の天才ドラマー、トニー・ウィリアムスをスカウトした。
    1931年5月17日 2006年3月31日 74 ピアノ ジャズ

    us

    テレサ・ブリュワー ★

    Teresa Brewer

    アメリカのジャズ・ポップス歌手。1950年代のアメリカで大人気を博し約600曲をレコーディングした。高校生のエルヴィス・プレスリーが初めて公の場で歌ったひとつは、1952年に全米1位を獲得したテレサの「Till I Waltz Again With You」(邦題「思い出のワルツ」)である。ルイ・アームストロングの名曲「What a Wonderful World」(1967・邦題「この素晴らしき世界」)を作詞作曲した大物プロデューサーのボブ・シールと再婚した。
    1931年5月7日 2007年10月17日 76 女性歌手 ポップ

    us

    リチャード・グルーヴ・ホームズ

    Richard Groove Holmes

    アメリカのジャズ・オルガン奏者。アグレッシブなハードバップとソウルジャズのプレイで知られ、リーダー作多数。
    1931年5月2日 1991年6月29日 60 オルガン ジャズ

    us

    ロニー・ドネガン ★

    Lonnie Donegan

    スコットランド出身のスキッフル歌手、作詞家。「スキッフルの王様」と呼ばれ、1960年代のイギリスの著名ミュージシャンに影響を与えた。
    • 「全英TOP 30」31曲の内24曲が連続ヒット、3曲が全英1位。
    • 「全米TOP 10」2曲を獲得した最初のイギリス人男性歌手。
    • 1956年、アメリカのフォークソング「Rock Island Line」が大ヒット。ゴールド認定(40万枚)された英国史上初のデビューレコードとなり、アメリカでも8位を獲得。スキッフル・ブームのきっかけとなった。
    • ジョン・レノンはビートルズの前身となったスキッフル・バンド「クオリーメン」を結成。
    • 1978年 9thアルバム『Putting On The Style』 エルトン・ジョン、リンゴ・スター、ブライアン・メイ、ロリー・ギャラガー参加
    • 2002年 11月3日 英国ツアー中に心臓発作を起こし71歳で他界。ジョージ・ハリスンの追悼コンサート(11月29日ロイヤル・アルバート・ホール)に出演する予定だった。
    • ポール・マッカートニー「私たちは彼のレコードを熱心に研究し、みんなスキッフル・グループに入るためにギターを購入した。彼は素晴らしい人だった」
    • ブライアン・メイ「彼はまさにイギリスのブルースとロックの礎を築いた人物だった」
    • ロジャー・ダルトリー「私はエルヴィス・プレスリーになりたかった。それを実現できると感じさせてくれたのがロニー・ドネガンだった」

    Single

    • 1957年 「Cumberland Gap」全英1位
    • 1957年 「Gamblin' Man」A「Puttin' On the Style」B 全英1位
    • 1959年 「Does Your Chewing Gum Lose Its Flavour」全英2位・全米5位
    • 1960年 「My Old Man's a Dustman」全英1位 アイルランド、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドで1位
    1931年4月29日 2002年11月3日 71 男性歌手 スキッフル

    sc

    チャールズ・ステップニー ★

    Charles Stepney

    アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身の音楽プロデューサー、ソングライター、歌手、マルチ楽器奏者。カデット・レコード(チェス・レコードのサブ・レーベル)でミニー・リパートン、コロムビア・レコードでモーリス・ホワイトと共同でアース・ウィンド&ファイアなどの楽曲を手掛けた。スティーヴィー・ワンダー、ブルーイ、4heroなどに影響を与えた。
    • 1966年 マーシャル・チェス(チェス・レコード設立者レナード・チェスの息子)とロック・バンド「ロータリー・コネクション」結成。後にミニー・リパートン (Vo) が参加。
    • 1975年 モーリス・ホワイトとカリンバ・プロダクション設立。
    • 1976年 5月17日 心臓発作により45歳で他界。
    • 2022年 トリビュート・アルバム『Step On Step』リリース。1960年代後半から1970年代初頭にかけて、ステップニーが一人で制作した楽曲を収録。

    プロデュース作品

    • ロータリー・コネクション
      • 1967年 『Rotary Connection』全米37位
      • 1968年 『Aladdin』全米176位
      • 1968年 『Peace』全米24位
      • 1969年 『Songs』
      • 1970年 『Dinner Music』
      • 1971年 『Hey, Love』
      • all Pd with: Marshall Chess
    • ラムゼイ・ルイス
      • 1968年 『Mother Nature's Son』全米156位・Jazz 3位・R&B 10位
      • 1970年 『The Piano Player』全米157位・Jazz 9位
      • 1975年 『Don't It Feel Good』(Columbia) Jazz 3位・R&B 5位
      • 1976年 『Salongo』(Columbia) 全米77位・Jazz 7位・R&B 17位
      • 1977年 『Love Notes』(Columbia) 全米79位・Jazz 7位・R&B 31位
    • デルズ
      • 1968年 『There Is』全米29位・R&B 4位
      • 1969年 『Love Is Blue』全米54位・R&B 3位
      • 1971年 『Like It Is, Like It Was』全米126位・R&B 7位
      • 1971年 『Freedom Means』全米81位・R&B 4位
    • マディ・ウォーターズ
      • 1968年 『Electric Mud』全米127位
      • 1969年 『After The Rain』
    • フィル・アップチャーチ
      • 1969年 『Upchurch』
      • 1970年 『The Way I Feel』
    • テリー・キャリアー
      • 1972年 『Occasional Rain』
      • 1972年 『What Color Is Love』
      • 1973年 『 I Just Can't Help Myself』
    • アース・ウィンド&ファイア
      • 1975年 『That's The Way Of The World』(Columbia) 全米1位・R&B 1位
      • 1975年 「Shining Star」(Columbia) 全米1位・R&B 1位
      • 1975年 『Gratitude』(Columbia) 全米1位・R&B 1位
      • 1976年 『Spirit』(Columbia) 全米2位・R&B 2位
      • all Pd with: Maurice White
    • デニース・ウィリアムス
      • 1976年 『This Is Niecy』(Columbia) 全米33位・全英26位・R&B 3位
      • 1976年 「Free」(Columbia) 全米25位・全英1位・R&B2位
      • all Pd with: Maurice White
    • 1969年 ハウリン・ウルフ『The Howlin' Wolf Album』R&B 49位
    • 1969年 マリーナ・ショウ『The Spice of Life』
    • 1976年 エモーションズ『Flowers』(Columbia) 全米45位・R&B 5位
    1931年3月26日 1976年5月17日 45 プロデュース ソウル

    us

    トム・ウィルソン ★

    Tom Wilson

    アメリカの大物音楽プロデューサー。ハーバード大学を優秀な成績で卒業し、セシル・テイラー、ボブ・ディラン、サイモン&ガーファンクル、アニマルズ、フランク・ザッパ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、コニー・フランシス、ジョン・メイヨールのプロデュースした。
    • 1955年 トランジション・レコードを設立。サン・ラやセシル・テイラーなど15枚のアルバムをリリース。
    • 1957年 トランジション・レコード倒産。カタログはブルーノート・レコードとデルマーク・レコードに売却された。
    • 1958年 ユナイテッド・アーティスツ・レコードに就職。
    • 1961年 サヴォイ・レコードで再びサン・ラをレコーディング。
    • 1963年 ジョン・ハモンド に代わってボブ・ディランをプロデュース。ディランのマネージャーだったアルバート・グロスマンとハモンドの関係が悪化したためと言われている。
    • 1966年 ヴァーヴ・レコードと契約し、マザーズ・オブ・インヴェンションやヴェルヴェット・アンダーグラウンドをプロデュース。
    • 1978年 9月6日 心筋梗塞のため47歳で他界。

    プロデュース作品

    • 1957年 サン・ラ 1stアルバム『Jazz By Sun Ra』(Transition)
    • 1957年 セシル・テイラー 1stアルバム『Jazz Advance』(Transition)
    • 1964年 ボブ・ディラン 3rdアルバム『The Times They Are a-Changin'』(Columbia)
    • 1964年 ボブ・ディラン 4thアルバム『Another Side of Bob Dylan』(Columbia)
    • 1964年 サイモン&ガーファンクル 1stアルバム『Wednesday Morning, 3 A.M.』(Columbia) 全米30位・全英24位・名曲「The Sounds Of Silence」収録
    • 1965年 ボブ・ディラン 5thアルバム『Bringing It All Back Home』(Columbia) 全米6位・全英1位
    • 1965年 ボブ・ディラン「Like a Rolling Stone」(Columbia) 全米2位 ディラン最大のヒット・シングル
    • 1966年 アニマルズ US版 4thアルバム『Animalization』(MGM) 全米20位
    • 1966年 アニマルズ US版 5thアルバム『Animalism』(MGM) 全米33位
    • 1966年 コニー・フランシス『Movie Greats Of The 60's』(MGM)
    • 1966年 マザーズ・オブ・インヴェンション 1stアルバム『Freak Out!』(Verve)
    • 1967年 ヴェルヴェット・アンダーグラウンド&ニコ『The Velvet Underground & Nico』(Verve)

    See Also

    • ジョン・サイモン (1941–)
    • ボブ・ジョンストン(1932–2015, 83)
    • クライヴ・デイヴィス (1932–)
    • テオ・マセロ (1925–2008, 82)
    • ジョージ・アヴァキアン (1919–2017, 98)
    • ジョン・ハモンド (1910–1987, 1976)
    1931年3月25日 1978年9月6日 47 プロデュース ジャズ

    us

    ポール・モチアン ★

    Paul Motian

    アメリカのジャズ・ドラマー。歴史的なビル・エヴァンス・トリオ黄金期にベーシストのスコット・ラファロと共に『Portrait in Jazz』(1959)『Explorations』(1961)『Sunday At The Village Vanguard』『Waltz for Debby』(1961) など歴史的な録音に参加した。1967–1976年までキース・ジャレット・トリオに参加。
    1931年3月25日 2011年11月22日 80 ドラム ジャズ

    us

    DJフォンタナ ★

    DJ Fontana

    アメリカのドラマー。エルヴィス・プレスリーの3ピースバンド「The Blue Moon Boys」に4人目のメンバーとして参加し、ドラマーを14年間務めた。2009年、ロックの殿堂入り。
    1931年3月15日 2018年6月13日 87 ドラム ロック

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    クラレンス・アヴァント ★

    Clarence Avant

    アメリカの著名な音楽エグゼクティブ、映画プロデューサー。ルイ・アームストロングのマネージャーとして有名なジョー・グレイザーの元でキャリアを磨いた後、リトル・ウィリー・ジョン、サラ・ヴォーン、ルイス・ボンファ、ウィントン・ケリー、フレディ・ハバード、カーティス・フラー、トム・ウィルソン、クリード・テイラー、ジミー・スミス、ラロ・シフリンのマネジメントを行った。
    1931年2月25日 2023年8月13日 92 プロデュース R&B

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    サム・クック ★★★

    Sam Cooke

    アメリカの世界的ソウル・シンガー、ソングライター。1950年代後半の新しいR&Bの動きはやがて「ソウル・ミュージック」と呼ばれ、レイ・チャールズやジェームス・ブラウンらと牽引し、後にオーティス・レディング、シュープリームス、アイク&ティナ・ターナー、ロッド・スチュワート、アニマルズ、アレサ・フランクリン、スティーヴィー・ワンダー、キャット・スティーブンス、セリーヌ・ディオン、ビヨンセらによってカバーされた。
    音楽スタイルから3つの時期に分けることができる。① ゴスペル時代(スペシャリティ・レコード) ② R&B・ジャズ時代(キーン・レコード) ③ ソウル時代(RCAビクター)
    グラミー賞ノミネート 6回

    デビューまで

    • 1931年1月22日、ミシシッピ州クラークスデイル生まれ。本名サミュエル・クック (Samuel Cook)。8人きょうだいの5番目。
    • 1933年に家族とともにシカゴに移住。父親は牧師であり、6歳の頃から聖歌隊で歌った。
    • ナット・キング・コールが通っていたウェンデル・フィリップス・アカデミー高等学校に入学。
    • 高校生のときにゴスペル・グループ The Highway Q.C.'s のリードヴォーカルを担当。抜群の歌唱力とルックスで人気を博した。

    1950s

    • 1950年 19歳のときR.H.ハリスの後任として、スペシャルティ・レコードの人気ゴスペル・グループ「ソウル・スターラーズ」(The Soul Stirrers) のリードヴォーカルに抜擢。
    • 1951年 Sam Cooke and The Soul Stirrers「Jesus gave me Water」(Specialty)
    • 1956年 デイル・クック「Lovable」 サム初のR&B。ゴスペル歌手が世俗的な音楽を演奏することに偏見があったため、デイル・クック (Dale Cooke) 名義でリリース。
    • 1956年 ソウル・スターラーズ脱退
    • 1957年 ソロ歌手としてR&Bに転向し、キーン・レコードと契約。
    • 1957年 9月「You Send Me」(Keen) 3週間全米1位・6週間R&B1位 週給200ドルから5,000ドル以上(2023年で約54,000ドル)に上昇。
    • 1958年 マネージャーのJ.W.アレクサンダーと共に音楽出版社を設立。
    • 1958年 1stアルバム『Sam Cooke』(Keen) 全米16位 Pd: Robert Blackwell
    • 1958年 2ndアルバム『Encore』(Keen)  Pd: Robert Blackwell
    • 1959年 3rdアルバム『Tribute to The Lady』(Keen) Pd: Hugo & Luigi ビリー・ホリデイ (1915–1959, 44) に捧げたアルバム
    • 1959年 ルー・アドラー、ハーブ・アルパートと「Wonderful World」共作 全米12位・R&B2位
    • 1959年 キーン・レコードを離れる。

    1960s

    公民権運動に積極的に関わり、マルコムXやモハメド・アリと親交を深めた。さらにマネージャーのJ.W.アレクサンダーとSARレコードを設立。自らの著作権を管理する画期的なレーベルで、当時の黒人アーティストは曲を作っても白人の会社に搾取され、満足な対価を得られなかった。後にレイ・チャールズやジェームス・ブラウンもこれに倣った。SARからボビー・ウーマックのザ・ヴァレンティノスが「It's All Over Now」(1964) をリリース。すぐにローリング・ストーンズがカバーし、彼らは初の全英1位を獲得した。
    • 1960年 SARレコード設立
    • 1960年 RCAビクターと契約
    • 1960年  5月 4thアルバム『The Wonderful World Of Sam Cooke』
    • 1960年  7月 「Chain Gang」全米2位・R&B2位・全英9位
    • 1960年  8月 5thアルバム『Hits of the 50's』
    • 1960年 10月 コンピレーション『The Wonderful World of Sam Cooke』(Keen)
    • 1961年  2月 6thアルバム『Swing Low』 Pd: Hugo & Luigi
    • 1961年 10月 7thアルバム『My Kind of Blues』 Pd: Hugo & Luigi
    • 1962年  1月 シングル「Twistin' The Night Away」全米9位・R&B1位・全英6位 作詞作曲:サム・クック
    • 1962年  4月 8thアルバム『Twistin' the Night Away』全米74位 Pd: Hugo & Luigi
    • 1962年  5月 「Bring It On Home to Me」全米13位・R&B2位
    • 1962年 ベスト・アルバム『The Best of Sam Cooke』 Pd: Hugo & Luigi
    • 1963年  2月 9thアルバム『Mr. Soul』全米94位 Pd: Hugo & Luigi
    • 1963年 4月 「Another Saturday Night」全米10位・R&B1位・全英23位
    • 1963年  8月 10thアルバム『Night Beat』全米62位 Pd: Hugo & Luigi 最高傑作の1つ。16歳のオルガン奏者ビリー・プレストン参加。
    • 1963年 悪名高いアレン・クラインをマネージャーに迎え、娘の名前にちなんだトレイシー・リミテッドを設立。1967年にアブコ・レコードとなった。
    • 1963年 ボビー・ウーマックがギタリストとして『Night Beat』『Ain't That Good News』やツアーに参加
    • 1963年 ダービー・レコード設立 アレクサンダーと設立したポップ・ミュージックのレーベル。メル・カーター『When A Boy Falls In Love』、ビリー・プレストン『16 Yr. Old Soul』のアルバム2枚とシングル数枚をリリースして解散。
    • 1964年 アレン・クラインとブライアン・エプスタイン(ビートルズのマネージャー)がサム・クックとビートルズの共演ツアーを計画したが破談。
    • 1964年  2月 コンピレーション『3 Great Guys』Pd: Hugo & Luigi
      RCAの三大スターのサム・クック、ポール・アンカ、ニール・セダカの未発表曲を4曲ずつ収録した企画物。
    • 1964年  2月 11thアルバム『Ain't That Good News』全米34位 Pd: Hugo & Luigi
    • 1964年 11月16日 シングル「Shake」(全米7位 Pd: Sam CookeAl Schmitt) をレコーディング。これが生涯最後のレコーディングとなった。
    • 1964年 12月11日 モーテルの女性管理人に撃たれ33歳で他界。
    • 1964年 12月22日 シングル「Shake / A Change Is Gonna Come」
      • A面「Shake」全米7位・R&B2位
      • B面「Change Is Gonna Come」全米31位・R&B9位 ボブ・ディラン「Blowin' In The Wind」(1963) に影響を受け、人種平等社会を歌ったこの曲は公民権運動のアンセムとなった。ローリング・ストーン誌「史上最高の500曲」2021年3位。
    • 1965年 1月 アルバム『Shake』全米44位・R&B1位 「Yeah Man」がアーサー・コンリーとオーティス・レディングに盗作され「Sweet Soul Music」に使用。遺産管理団体は作詞作曲のクレジットと和解金を受け取った。

    家族

    サムは最初の妻ドロレスと彼女の連れ子ジョーイと家庭を持った。ドロレスと結婚していた1953年、愛人バーバラが17歳でリンダを出産。1985年、サムはドロレスと離婚し、バーバラと再婚した。その他、3人の女性との間に少なくとも3人の子供が生まれた。
    • ドロレス・ミリガン (Dolores Elizabeth Milligan Cook, 1930–1959)
      1953年サムと結婚(1958年離婚)。1959年、交通事故で他界し葬儀費用はサムが支払った。
    • バーバラ・キャンベル (Barbara Campbell Cooke)
      1959年サムと結婚。サムの死後間もない1965年2月に、ボビー・ウーマックと再婚し物議をかもした。1970年に離婚。
    • リンダ・ウーマック(リンダ・クック)
      1953年生まれの長女。義父のボビー・ウーマックと肉体関係になり、ボビーとバーバラは離婚。数年後、リンダはボビーの弟セシル・ウーマックと結婚し、2人は「Womack & Womack」を結成した。
    • トレーシー・クック
      1960年生まれの次女。
    • ヴィンセント・クック
      1961年12月19日生まれ。1963年6月17日プールで溺死。

    関連人物・他

    • ナット・キング・コール 1919 – 1965, 45
      サムが影響を受けた偉大なジャズ・シンガー。
    • R.H.ハリス
      サムが影響を受けたソウル・スターラーズのゴスペル・シンガー。
    • ジュリアス・チークス
      サムが影響を受けたセンセーショナル・ナイチンゲールズ、ソウル・スターラーズのゴスペル・シンガー。
    • ルー・ロウルズ
      サムが学生の頃、ライバルのゴスペル・グループのシンガーでふたりは親友になった。「Bring It On Home To Me」(1962) バックヴォーカルで参加。
    • ボビー・ウーマック 1944 – 2014
      サム・クックの弟子で著名なソウル・シンガー、ギタリスト。サムが他界して間もない1965年2月、21歳で未亡人バーバラ・クック (29) と結婚。バーバラの希望により、ボビーは結婚式やサムの葬儀でサムのスーツを着用したことで、サムの熱狂的なファンたちを怒らせコンサートではブーイングが起きた。ボビーは息子にクック夫妻の長男にちなんでヴィンセントと名付けた(1986年、薬物とアルコールに苦しみ21歳で自殺)。ボビーは10代だったクック夫妻の娘リンダと性的関係を持ったことで、1970年にバーバラと離婚した。
    • J.W.アレクサンダー (J. W. Alexander, 1916–1996, 80)
      スペシャルティ・レコードの幹部。生涯サムをサポートした。後にルー・ロウルズのマネジメントとプロモーションを行った。
    • ジェス・ランド
      (Jess Rand 1925年12月25日–2014年9月12日):ム・クックのマネージャー。16歳のときでアーヴィング・バーリンと音楽活動を開始。従軍後、サミー・デイヴィス・ジュニア、リー・マーヴィン、メル・トーメ、グレン・キャンベル、ジュディ・コリンズ、ボビー・ジェントリー、ザ・レターメン、モート・サール、ディック・ゴーティエなど大スターの代理人を務めた。1961年、ジェフ・チャンドラーとともにザ・プランダラーズをプロデュース。
    • アレサ・フランクリン
      1961年、新人のアレサやザ・インペリアルズは、サムのアポロ・シアター公演でサポート・アクトを務めた。サムの大ファンだった。
    • 愛車
      1963年型フェラーリ250GTルッソ (1963 Ferrari 250 GT Lusso)。 死後、ビーチボーイズのデニス・ウィルソンが購入した。
    1931年1月22日 1964年12月11日 33 男性歌手 ソウル

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    ビル・グレアム ★★★

    Bill Graham

    アメリカの伝説的なプロモーター、俳優。歴史的なコンサート会場「フィルモア・イースト」と「フィルモア・イースト」のオーナー。壮絶な幼少期を経て、ロック創成期のサンフランシスコでグレイトフル・デッド、ジェファーソン・エアプレイン、ジャニス・ジョプリン、オールマン・ブラザーズ・バンドなど数千人規模のコンサートから、ローリング・ストーンズ、ボブ・ディランなど数万人規模の歴史的なスタジアム・コンサートをプロデュース。俳優として映画『地獄の黙示録』(1979) や『バグジー』(1991) などに出演した。
    • 来歴
    • フィルモア・オーディトリアム 1966年 – 1968年
    • フィルモア・イースト 1968年3月8日 – 1971年6月27日
    • フィルモア・ウエスト 1968年7月5日 – 1971年7月4日
    • ウィンターランド 1971年月日 – 1979年1月1日
    • コンサート・プロデュース
    • 設立会社
    • 映画
    • サイケデリック・アート

    来歴

    • ロシア系ユダヤ人としてドイツに生まれた。土木技師の父親はグレアムが誕生して2日後に産業事故で他界、母親は第二次世界大戦中にアウシュビッツで殺害された。
    • 1941年 移民として10歳でニューヨークに到着。フランスを出発した64人の子供たちのうち11人がアメリカに到着した。
    • デウィット・クリントン高校(ビリー・ホリデイ「奇妙な果実」(1937) の作詞・作曲で知られているエイベル・ミーアポルの出身校)を卒業後、ブルックリン・カレッジに進学。 毎晩、マンハッタンの人気ナイトクラブ「パラディウム」(Palladium Ballroom) のミラーボールが回転するダンスフロアで、マチート、ティト・プエンテ、ティト・ロドリゲスなどのラテン・バンドの演奏でマンボを踊り、充実した学生時代を過ごした。
    • 本名ウルフ・ウォロディア・グラジョンカ (Wulf Wolodia Grajonca / Wolfgang Grajonca)。18歳でまだアメリカ市民ではなかったグレアムは、朝鮮戦争に徴兵。誰も「グラジョンカ」を正しく発音できなかったため、電話帳から新しい姓を選んで「グレアム」に変えた。
    • マンハッタンのグリニッジ・ヴィレッジで、ウェイターやタクシードライバーとして働きながら俳優になることを決意。リー・ストラスバーグ(マーロン・ブランド、ポール・ニューマン、アル・パチーノ、マリリン・モンロー、ジェームズ・ディーン、ダスティン・ホフマン、ロバート・デ・ニーロ、ジャック・ニコルソン、スティーブ・マックイーンらが師事)とユタ・ヘーゲン(ジェイソン・ロバーズ、シガニー・ウィーバー、ライザ・ミネリ、ウーピー・ゴールドバーグ、ジャック・レモン、ジュディ・ガーランドらが師事)に師事し、いくつかの小さ役を演じた。
    • 1965年 ヒッチハイクで何度も訪れたカリフォルニアへ移住。黒人プロモーターのチャールズ・サリバン(Charles Sullivan, サンフランシスコの有名コンサート会場フィルモアのマスターリースを所有し、デューク・エリントンやルイ・アームストロングをブッキングしていた)と組み、サンフランシスコ・マイム劇団 (San Francisco Mime Troupe) の興行を成功させた。
    • 1965年 劇団のゲリラ・パフォーマンスがわいせつとして、主催者のRGデイヴィスらと共に逮捕された。訴訟費用を賄うため慈善コンサートを開催。ジェファーソン・エアプレイン、マザーズ・オブ・インヴェンション、サンディ・ブル、ファッグス、ジョン・ハンディ、アレン・ギンズバーグ、ピーター・オルロフスキー、ローレンス・ファーリンゲッティらが出演し、2,000ドルの寄付が集まった。2回目の「芸術の自由継続を求めるアピール」はグレアムが企画しフィルモアで開催。ジェファーソン・エアプレイン、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー、グレイトフル・デッド、クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィスらが出演し、2,000人以上が集まった。
    • 1966年 劇団を離れプロモーター業を開始。チャールズ・サリバンからフィルモア・オーディトリアムを賃貸契約。以後、ポール・バターフィールド、グレイトフル・デッド、ジェファーソン・エアプレインらのマネジメントを請け負った。
    • 1967年 6月11日 ボニー・マクリーン (Bonnie MacLean, 1939–2020, 80) と結婚(1975年離婚)。グレアムと仲違いしたウェス・ウィルソンに代わってフィルモアのポスターを描くようになった。
    • 1967年 8月 オーティス・レディングはカリフォルニア州サウサリートのウォルドポイント港に停泊していたグレアムのハウスボートで「(Sittin’ On) The Dock Of The Bay」を書いた。
    • 1968年 3月8日 フィルモア・イースト(マンハッタン)オープン。
    • 1968年 7月5日 フィルモア・ウエスト(サンフランシスコ)オープン。
    • 1971年 6月27日 フィルモア・イースト閉鎖。
    • 1971年 7月4日 フィルモア・ウエスト閉業。
    • 1971年 ウィンターランド・ボールルームを改装。
    • 1991年 10月25日 ヒューイ・ルイス & ザ・ニュースのコンサートから帰宅途中、暴風雨でのヘリコプター墜落事故で恋人メリッサ・ゴールド、パイロットのスティーブ・カーンと共に60歳で他界。▶ ヴァレーホのヘリコプター墜落事故
    • 1991年 11月3日 サンフランシスコ「ゴールデン・ゲート・パーク」でビル・グラハム追悼コンサート「Laughter, Love and Music」開催。▶ YouTube
      出演:グレイトフル・デッド、サンタナ、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング、ジャーニー、ジャクソン・ブラウン、ボビー・マクファーリン、他
    • 1992年 ロックの殿堂入り(ノンパフォーマー部門)。
    • 2008年 ビル・グレアム記念財団設立。▶ Bill Graham Foundation
    • 2010年 グレアムの息子、デヴィッド・グレアムとアレックス・グレアムは、遺産管理人のニコラス・クレイノスを財産の横領と信託義務違反で提訴。ローリング・ストーンズやボブ・ディランのコンサート・ポスターやフィルモア・コンサート会場の商標を含む記念品が、1997年にSFX社に売却されたことを知らなかったと主張。
      SFX社 1996年、ロバート・FX・シラーマンによって設立。地域のコンサート・プロモーターを買収し、単一の全国的な事業体に統合するビジネスモデルで事業を拡大。2000年にラジオ放送会社クリア・チャンネル社に44億ドルで売却。 クリア・チャンネル社は2005年にライブ・ネーションを設立し世界最大級のライブ・エンタテイメント企業となった。

    フィルモア・オーディトリアム 1966年–1968年

    The Fillmore Auditorium
    • 所在地:アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ ギアリー・ブールバード 1805
      Fillmore Auditorium: 1805 Geary Blvd, San Francisco, CA 94115
      ▶ Google Maps
    • 客席数:1,315
    • サイケデリック音楽やカウンターカルチャーの中心地となった。
    • 出演:ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、グレイトフル・デッド(公演51回)、スティーヴ・ミラー・バンド、ジェファーソン・エアプレイン、クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、モビー・グレープ、ドアーズ、ジミ・ヘンドリックス、バーズ、ビッグ・ブラザー、サンタナ、マザーズ・オブ・インヴェンション、ザ・フー、クリーム、ピンク・フロイド、レニー・ブルース、マイルス・デイヴィス、ローランド・カーク、アレサ・フランクリンなど。
    • 1966年 12月20日–22日 オーティス・レディング
    • 1967年 フィルモア・オーディトリアムで酔っ払ったポール・バターフィールドの代役として無名のカルロス・サンタナが飛び入り。サンタナのギタープレイは注目を集め、最終的にメインを務めるようになった。グレアムによればレコードを出さずにトリをとったバンドはサンタナだけだったという。
    • 1968年 経済的衰退と収容人数の少なさから閉業。
    • 1969年 1970年まで「ニュー・オールド・フィルモア」として新しい経営陣によって運営され、グレイトフル・デッドとストゥージズが公演。
    • 1980年代初頭の数年間、「エリート・クラブ」となり、ポール・ラットとウェス・ロビンソンがパンクロックをプロモート。
    • 2007年以来、ライブ・ネイションによって運営。▶ The Fillmore

    フィルモア・イースト 1968年3月8日 – 1971年6月27日

    The Fillmore East

    • 所在地:ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン東6番街セカンド・アベニュー 105
      Fillmore East: 105 Second Avenue at East 6th Street Manhattan, New York City, US
      ▶ Google Maps
    • 客席数:2,654
    • 1925年から1926年にかけて、セカンド・アベニュー105番地にユダヤ人のための劇場「コモドア・シアター」として建てられた。以後、様々なオーナーによって劇場や映画館になり「ヴィレッジ・シアター」と呼ばれていた。
    • 1967年 9月20日・23日 クリーム
    • 1968年 3月8日 「フィルモア・イースト」オープン。
    • 1968年 3月22日・23日 ドアーズ
    • 1969年 2月15日 チャック・ベリー、ジョニー・ウィンター、サヴォイ・ブラウン
    • 1969年 2月21日・22日 マザーズ・オブ・インヴェンション、バディ・マイルス・エクスプレス、シカゴ
    • 1969年 12月 オールマン・ブラザーズ・バンド、ブラッド・スウェット&ティアーズ(前座)
    • 1969年 12月4日 ジミ・ヘンドリックス
    • 1969年 12月31日 ジミ・ヘンドリックス ライブ・アルバム『Live at The Fillmore East』(1999)
    • 1970年 1月1日 ジミ・ヘンドリックス ライブ・アルバム『Band of Gypsys』(1970)『Live at The Fillmore East』(1999)
    • 1970年 1月 バディ・ガイ、B.B.キング、ブラッド・スウェット&ティアーズ(前座)
    • 1970年 3月7日 マイルス・デイヴィス ライブ・アルバム『Live at The Fillmore East, March 7, 1970: It's About That Time』
    • 1970年 3月27日・28日 ジョー・コッカー ライブ・アルバム『Mad Dogs & Englishmen』
    • 1970年 6月17日–20日 マイルス・デイヴィス ライブ・アルバム『Miles Davis at Fillmore』
    • 1970年 9月23日 バーズ、エルヴィン・ビショップ、アルバート・キング、シャ・ナ・ナ、ヴァン・モリソン(番組用の録画)
    • 1971年 3月12日・13日 オールマン・ブラザーズ・バンド ライブ・アルバム『At Fillmore East』
      バンドには1公演につき1,250ドルが支払われた。アルバムは国家録音登録簿に選出された50枚のひとつで、「史上最高のロック・ライブ・アルバム」と呼ばれている。
    • 1971年 6月6日 ジョン・レノンとオノ・ヨーコ、マザーズ・オブ・インヴェンション
    • オールマン・ブラザーズ・バンドは頻繁に公演し「ビル・グラハムのハウスバンド」と呼ばれることもあった。
    • グレイトフル・デッド 公演43回
    • ジェファーソン・エアプレイン 公演36回
    • タジ・マハール 公演8回
    • クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング 公演10回
    • レッド・ツェッペリン 4回(アイアン・バタフライの前座)
    • 1971年6月27日閉業。1972年11月17日におそらく別のオーナーによりヴィレッジストとして再開。以後、名前を変えながら営業した。

    フィルモア・ウエスト 1968年7月5日 – 1971年7月4日

    The Fillmore West

    • 所在地:カリフォルニア州サンフランシスコ サウス・ネス・アベニュー 10
      10 South Van Ness Avenue, San Francisco, California
      ▶ Google Maps
    • 客席数:3,000
    • もともとは「エル・パティオ」「カルーセル・ボールルーム」と呼ばれたスウィング時代のダンスホール。
    • 出演:グレイトフル・デッド、ジャニス・ジョプリン with ビッグ・ブラザー、クイックシルヴァー・メッセンジャー・サーヴィス、サンタナ、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル、アレン・ギンズバーグ(詩の朗読会)、他
    • 1968年 9月26–28日 マイク・ブルームフィールド、アル・クーパー『The Live Adventures of Mike Bloomfield and Al Kooper』(フィルモアの奇蹟)
    • 1970年 11月12日 エルトン・ジョン
    • 1971年 3月6日・7日  アレサ・フランクリン『Aretha Live At Fillmore West』全米7位・R&B1位
    • ▶ YouTube: Last Days at The Fillmore

    ウィンターランド・ボールルーム 1971年 – 1979年1月1日

    The Winterland Ballroom

    • 所在地:カリフォルニア州サンフランシスコ
      2000 Post Street at Steiner Street, San Francisco, California
      ▶ Google Maps
    • 客席数:5,400
    • 1966年、フィルモア・オーディトリアムで収容しきれない大規模なコンサートでこの会場を使うようになり、1971年にフィルモア・ウエスト閉鎖後、週末の定期公演を行った。1985年に取り壊されアパート「2000 Post」になった。
    • 1968年 03月9–10日 クリーム 
    • 1976年 11月25日 ザ・バンド 解散公演
    • 1978年 01月14日 セックス・ピストルズ 最後の公演
    • 1978年 12月15–16日 ブルース・スプリングスティーン
    • 1979年 01月01日 グレイトフル・デッド、ニュー・ライダース・オブ・ザ・パープル・セイジ、ブルース・ブラザーズ

    コンサート

    フィルモア以外でもさまざまなコンサートや、アリーナやスタジアムでの大規模なコンサートをプロデュースした。

    • 1970年 5月30日 ジミ・ヘンドリックス バークレー・コミュニティ・シアター公演
    • 1972年 6月3日–7月26日「The Rolling Stones American Tour 1972」全48公演 ▶ YouTube
    • 1973年 11月20日 ザ・フー カウ・パレス公演 ▶ YouTube
      演奏中にキース・ムーンが気絶。グレアムに指名された19歳の一般人観客スコット・ハルピン (Scot Halpin, 1954–2008, 54) が代役を務め、ローリング・ストーン誌「ピックアップ・プレイヤー・オブ・ザ・イヤー」を受賞した。
    • 1973年 「Day On The Green」 ▶ YouTube
      • オークランド・スタジアムで開催された定期コンサート。1992年まで続き2015年より再開。
      • 歴代の出演:グレイトフル・デッド、レッド・ツェッペリン、イーグルス、フリートウッド・マック、レオン・ラッセル、ウェイロン・ジェニングス、ザ・フー、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング、ザ・バンド、ボズ・スキャッグス、タワー・オブ・パワー、サンタナ、ジェフ・ベック、ジャーニー、マーヴィン・ゲイ、テンプテーションズ、ナンシー・ウィルソン、スモーキー・ロビンソン、テディ・ペンダーグラス、B.B.キング、エアロスミス、AC/DC、ブラック・サバス、チープ・トリック、オジー・オズボーン、ボブ・ディラン、デヴィッド・ボウイ、ピンク・フロイド、ブルース・スプリングスティーン、ローリング・ストーンズ、ジェネシス、メタリカ、ガンズ&ローゼズ、他
      • 1977年7月23日 デイ・オン・ザ・グリーンでレッド・ツェッペリンがアメリカでの最後のコンサートを行い、同イベント最大規模となった。
        ▶ YouTube
    • 1973年 1月28日 「Summer Jam at Watkins Glen」▶ YouTube
      • 出演:オールマン・ブラザーズ・バンド、グレイトフル・デッド、ザ・バンド、他
      • 60万人以上の観客が集まり、当時の有料コンサートとしては史上最大の観客動員数となった。
    • 1974年 1月3日–2月14日 「Bob Dylan & The Band 1974 Tour」▶ YouTube
      ボブ・ディランとザ・バンドによる全米ツアー。ディランは1966年にバイク事故を起こして以来、初めての大規模ツアーとなった。
    • 1974年 7月9日–9月8日 「Crosby, Stills, Nash & Young – Doom Tour」全30公演
      オープニング・アクト:ザ・バンド、ジョニ・ミッチェル、ビーチ・ボーイズ、サンタナ、ジョー・ウォルシュ、他
    • 1974年 11月2日–12月20日 「George Harrison – Dark Horse Tour 1974」全45公演 ▶ YouTube
      ジョージ・ハリスンとラヴィ・シャンカルによる北米ツアー。参加:ビリー・プレストン (Org)、ロベン・フォード (G)、ウィリー・ウィークス (B)、ジム・ケルトナー (Dr)、トム・スコット (Sax)、他
    • 1975年 3月23日 「SNACK Benefit Concert」▶ YouTube
      • ウッドストック・フェスティバル (1969) 以来、最大規模のロック・チャリティー・コンサート。
      • 出演:エディ・パルミエリ、グラハム・セントラル・ステーション、グレイトフル・デッド、タワー・オブ・パワー、サンタナ、ドゥービー・ブラザーズ、ジェファーソン・スターシップ、ジョーン・バエズ、ニール・ヤング、ボブ・ディラン
      • サプライズ・ゲスト:俳優マーロン・ブランド、野球選手ウィリー・メイズ
      • 「SNACK」は「San Francisco Needs Athletics, Culture, and Kicks.」の略。
    • 1976年 11月25日 ザ・バンド解散公演 ▶ YouTube
      • 会場:ウィンターランド
      • マーティン・スコセッシ監督の映画『The Last Waltz』(1978) として上演。
    • 1981年 9月25日–12月19日「The Rolling Stones American Tour 1981」全50公演 ▶ YouTube
    • 1982年 5月26日–7月25日「The Rolling Stones European Tour 1982」全36公演 ▶ YouTube
    • 1982年 9月3日–5日 「Us Festival 1982」▶ YouTube
      アップルの共同創業者スティーブ・ウォズニアックの音楽イベント。1980年、アップルの株式公開によって30歳にして1億ドル超の資産を手にしたウォズニアックは、1年の歳月と1,250万ドルを費やし同イベンドを企画。約42万5,000人の観客が集まったが、1,000万ドルの損失を出したという。
    • 1985年 7月13日 「Live Aid」フィラデルフィア公演 ▶ YouTube
    • 1986年 6月4日–15日 「A Conspiracy Of Hope」▶ YouTube
      アムネスティ・インターナショナル主催のチャリティー・コンサート。
      出演:ルー・リード、ピーター・ガブリエル、ブライアン・アダムス、ジョニ・ミッチェル、U2、ポリス、他
    • 1988年 9月2日–10月15日 「Human Rights Now!」▶ YouTube
      アムネスティ・インターナショナル主催のチャリティー・コンサート。
    • 1989年 ローリング・ストーンズ「Steel Wheels Tour/Urban Jungle Tour」に入札したが、カナダ人のプロモーター、マイケル・コール (Michael Cohl) が権利を取得。ビル「ストーンズを失うことは、最愛の恋人が売春婦になるのを見ているようなものだった」
    • 1989年 11月26日 「Earthquake Relief Concert」▶ YouTube
      10月17日に起こったロマ・プリータ地震の救済コンサート。
      傘下:クロスビー・スティルス・ナッシュ、サンタナ、
    • 1990年 6月30日 ネルソン・マンデラ演説公演 ▶ YouTube
      南アフリカの刑務所から釈放されたネルソン・マンデラは、オークランド・コロシアムに集まった6万人に南アフリカでの黒人の苦しみを語り、自由を求める演説を行った。

    設立会社

    • 1969年 フィルモア・コーポレーション (Fillmore Corporation)  デヴィッド・ルビンソンと共同設立。
    • 1969年 サンフランシスコ・レコード (San Francisco Records) 共同設立 フィルモア・コーポレーション傘下
    • 1969年 フィルモア・レコード (Fillmore Records) 共同設立 フィルモア・コーポレーション傘下
    • 1969年 カテロ・サウンド・カンパニー (Catero Sound Company) 設立 フィルモア・コーポレーション傘下
    • 1970年代 F.M. Productions
    • 1974年 ウィンターランド・プロダクション (Winterland Productions)
      ウィンターランド・ボールルームのマネージャーだったデル・フラノと共同設立し、コンサートTシャツやグッズを販売。1988年、MCAユニバーサルに売却しフラノはCEOとして留任した。
    • 1977年 ウルフギャング・レコード (Wolfgang Records)
    • 1980年代 ビル・グレアム・プレゼンツ (Bill Graham Presents)
      ブッキング会社。グレアム他界後、息子や従業員によって引き継がれた。その後、クリア・チャンネル社に売却され訴訟に発展した。▶ Facebook

    映画

    子供の頃から俳優ジョン・ガーフィールドに憧れ、性格俳優になる夢を実現した。

    • 1962年 『The American Way』
    • 1964年 『Muscle Beach Party』13歳のスティーヴィー・ワンダーがちょい役で出演。
    • 1976年 『スター誕生』主演:バーブラ・ストライサンド、クリス・クリストファーソン
    • 1979年 『地獄の黙示録』プレイメイツ(シンシア・ウッド、コリーン・キャンプ、リンダ・カーペンター)のエージェント役。監督:フランシス・コッポラとは親友。
    • 1984年 『コットン・クラブ』監督:フランシス・コッポラ
    • 1991年 『ドアーズ』制作 主演:ヴァル・キルマー、監督:オリバー・ストーン、音楽監督:ポール・A・ロスチャイルド
    • 1987年 『Gardens of Stone』監督:フランシス・コッポラ
    • 1991年 『バグジー』チャーリー・ルチアーノ役

    サイケデリック・アート

    妻のボニー・マクリーン、ウェス・ウィルソン、リック・グリフィン、スタンリー・マウス、アルトン・ケリーなど新進気鋭のアーティストにフィルモアのコンサートのポスターを依頼。「Bill Graham Series」(BGシリーズ)と題された番号付きのポスター・シリーズは、1966年の「BG-0」から始まり、1972年6月のローリング・ストーンズ「Tumbling Dice」のポスター「BG-289」まで続いた。ヒッピー・カルチャーとアール・ヌーヴォーを融合したそれらの作風は、著名なサイケデリック・アートとなった。

    • ヴィクター・モスコソ (Victor Moscoso, 1936– )
    • ボニー・マクリーン (Bonnie MacLean, 1939–2020, 80)
    • ウェス・ウィルソン (Wes Wilson, 1937–2020, 82)
    • アルトン・ケリー (Alton Kelley, 1940– )
    • スタンリー・マウス (Stanley Mouse, 1940– )
    • リック・グリフィン (Rick Griffin, 1944–1991, 47)

    トリビア

  • 『ローリング・ストーン』誌の編集長ヤン・ウェナーと確執。
  • アル・ディ・メオラは若い頃、毎週のようにフィルモア・イーストでロック・バンドの演奏に聴き入った。

    See Also

    • メイ・ボレン・アクストン (1914–1997, 82)
    • シド・バーンスタイン (1918–2013, 95)
    • チェット・ヘルムズ (1942–2005, 62)
    • マイケル・ラング (1944–2022, 77)
  • 1931年1月8日 1991年10月25日 60 プロモーター

    de

    ボビー・ボイル

    Bobbi Boyle

    アメリカの女性ジャズ・シンガー。知る人ぞ知る詳細不明のマニアックなミュージシャンで美声の持ち主。『A Day In The Life』(1967)『Bobbi Boyle Sings』(1969) リリース。「Bobbi Blake」という別名で活動していたという記事がある。
    1931年 2009年7月23日 78 女性歌手 ジャズ

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    セバスティアン・ネト

    Sebastião Neto

    ブラジルのベーシスト、音楽プロデューサー。トム・ジョビン、ジョアン・ジルベルト、セルジオ・メンデス、エドゥ・ロボ、ボッサトレスらのレコーディングとツアーに参加した。ティアン・ネト (Tião Neto) とも表記。
    1931年 2001年6月13日 69 ベース ボサノヴァ

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    ジム・ホール ★

    Jim Hall

    アメリカのジャズ・ギタリスト。チェット・ベイカー、ビル・エヴァンス、ソニー・ロリンズ、ロン・カーター、パット・メセニーらとの共作で著名。1955年にチコ・ハミルトン楽団に加入。1957年、初リーダー・アルバム『Jazz Guitar』(Pacific) 発表。
    グラミー賞ノミネート 6回
    1930年12月4日 2013年12月10日 83 ギター ジャズ

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    マット・モンロー

    Matt Monro

    イングランドの歌手。「黄金の声を持つ男」として知られ、30年間のキャリアを通じて国際的に活動した。フランク・シナトラはモンローの死後「最も優れた男性ボーカリストを3人選ぶとしたら、マットがその一人になるだろう。音程・発音・歌に対する理解は完璧だった」「Portrait of My Love」「My Kind of Girl」「Softly As I Leave You」「Walk Away」「Yesterday」などが全英TOP 10にチャートイン。『007 ロシアより愛をこめて』など映画のテーマ曲もレコーディングした。
    1930年12月1日 1985年2月7日 54 男性歌手 ジャズ

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    クリフォード・ブラウン ★★★

    Clifford Brown

    アメリカのハード・バップ期初期のトランペット奏者。チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーら一流ミュージシャンから高い評価を受け「ファッツ・ナヴァロの再来」と呼ばれた。自動車事故の巻き添えにより25歳で急逝。5年ほどの活動期間に優れた演奏を数多く残し、ジャズ史に名を刻んだ。
    1930年10月30日 1956年6月26日 25 トランペット ジャズ

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    ビッグ・ボッパー ★

    The Big Bopper

    アメリカのロックンロール・シンガー、ディスクジョッキー。「Chantilly Lace」(1958, Mercury) 全米6位・カナダ2位、「Running Bear」(1959) 全米1位・全英1位・カナダ1位、「White Lightning」(1959) カントリー1位などが大ヒット。1959年2月3日、飛行機事故で同乗していたバディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、パイロットと共に28歳で他界。一度に3人のロックンローラーが死んだことで、後にドン・マクリーン『American Pie』のフレーズにちなみ「音楽が死んだ日」と呼ばれるようになった。
    1930年10月24日 1959年2月3日 28 男性歌手 ロック

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    ロバート・パーカー

    Robert Parker

    アメリカのR&B歌手。1966年「Barefootin'」全米7位・R&B 2位。
    1930年10月14日 2020年1月19日 89 男性歌手 R&B

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    デル・ニューマン

    Del Newman

    イングランドの指揮者、編曲家、音楽プロデューサー。1960–1990年代にかけてジョージ・ハリスン、エルトン・ジョン、カーリー・サイモン、ロッド・スチュワート、ポール・サイモン、キャット・スティーヴンス、ピーター・フランプトン、ハリー・ニルソン、10ccなど、ミュージシャンや映画音楽などのオーケストラ編曲を手掛けた。映画『007 死ぬのは奴らだ』(1973) 主題歌ポール・マッカートニー&ウイングス「Live And Let Die」(プロデュース:ジョージ・マーティン)のオーケストラを指揮。マッカートニーのドキュメンタリー『One Hand Clapping』(1974) と2024年にリリースされたライブアルバム『One Hand Clapping』でもオーケストラを指揮した。
    1930年10月5日 2020年8月10日 89 編曲家

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    レイ・チャールズ ★★★

    Ray Charles

    アメリカ合衆国ジョージア州オールバニ出身の歌手、作曲家、ピアニスト。音楽史上、最も影響力の強い歌手のひとり。1950年代にブルース、ジャズ、R&B、ゴスペルを融合してソウル・ミュージックを創った第一人者。ルイ・ジョーダン、チャールズ・ブラウンをはじめ、特にナット・キング・コールから大きな影響を受けたという。クインシー・ジョーンズは生涯の友人。
    グラミー受賞 17回・ノミネート 37回

    幼少期

    • 1930年 9月23日 ジョージア州オールバニにて肉体労働者の父ベイリー・ロビンソン、洗濯作業員の母アレサのもとレイ・チャールズ・ロビンソンとして誕生。
    • ベイリーには妻メリー・ジェーンがいたが、幼い頃に母を亡くしたアレサを養女に迎えた。15歳となったアレサはベイリーの子レイを妊娠し、地元のスキャンダルとなった。アレサは息子を亡くしたメリー・ジェーンと共にレイを育て、ベイリーは家族を見捨て他の女性と再婚した。
    • 父親不明の弟ジョージが誕生したが、レイが6歳の頃、4歳のジョージは洗濯桶で溺れて亡くなった。
    • レイは4歳から5歳で視力が悪化し始め、おそらく緑内障のため7歳で失明した。
    • 盲学校に通いながらバッハ、モーツァルト、ベートーベンなどのクラシック・ピアノを学んだ。

    1940s

    • 1945年 14歳の時に母アレサが他界。弟と母の死は「人生最大の悲劇」と語った。音楽に専念するため学業をやめ、フロリダ州ジャクソンビルに転居。複数のバンドでピアノを弾き、一晩で4ドル(2023年で約46ドル)を稼ぎ評判となったが定職に就けなかった。
    • 1947年 ラッキー・ミリンダー楽団のピアノのオーディションを受けたが落ちた。
    • 1948年 ワシントン州シアトルに移住。
    • 1948年 マクソン・トリオ (The McSon Trio/The Maxim Trio) 結成 ゴッシー・マッキー (G: Gosady McKee)、ミルトン・ギャレット (B: Milton S. Garret)
    • 1948年 ロバート・ブラックウェルが指導していた「ブラックウェル・ジュニア・バンド」のメンバーで、15歳のクインシー・ジョーンズと意気投合。トランペット奏者から作曲家になりたいクインシーは、レイから高度な音楽理論のレッスンを受けた。レイはブラックウェル・ジュニア・バンドと演奏するようになり、クインシーと生涯にわたる友情が始まった。この頃から薬物使用の悪癖が始まった。
    • 1948年 ダウン・ビート・レコードのジャック・ローダーデールがジャズ・クラブ「ロッキング・チェア」でマクソン・トリオの演奏を聴き、翌日「I Love You, I Love You」と「Confession Blues」(B面)を録音。
    • 1949年 「Confession Blues」(Down Beat Records) R&Bチャート2位。「マクソン・トリオ」は不本意ながら「マキシン・トリオ」(The Maxim Trio) と記載された。

    1950s

    1950年代にヒット曲を連発し、後半にはアポロ・シアターなどの黒人施設だけでなく、カーネギー・ホールやニューポート・ジャズ・フェスティバルなど大規模な公演でもメインとして出演するようになった。

    • 1950年 ロサンゼルスに転居。ブルースマンのローウェル・フルスン (Lowell Fulson) のツアーに数年間、音楽監督として同行。
    • 1950年 レイ・ロビンソンの名で活動していたが、伝説的なボクサーのシュガー・レイ・ロビンソンがいたため「レイ・チャールズ」に改名。
    • 1950年 大物プロデューサーのヘンリー・ストーン (Henry Stone) が感銘を受け、「Ray Charles Rockin'」をレコーディングしたがヒットせず。
    • 1951年 レイ・チャールズ・トリオ (Ray Charles Trio) 結成 Ray Charles, Johnny Miller, Oscar Moore
    • 1952年 アトランティック・レコードのアーメット・アーティガンから声を掛けられ、2,500ドル(2023年で約28,684ドル)で契約。
    • 1953年 ギター・スリム「The Things That I Used to Do」プロデュース 6週間R&B1位
    • 1954年 「I've Got a Woman」レイ初のR&B 1位 Pd: Jerry Wexler
    • 1955年 「This Little Girl of Mine」R&B 9位
    • 1955年 「A Fool for You」R&B 1位 Pd: Jerry Wexler
    • 1955年 「Drown in My Own Tears」R&B 1位
    • 1955年 「Hallelujah I Love Her So」R&B 5位
    • 1957年 『The Great Ray Charles』 ジャズ・アルバム
    • 1958年 『Ray Charles at Newport』 初ライヴ・アルバム
    • 1958年 『Soul Brothers』with ミルト・ジャクソン
    • 1958年 女性ヴォーカル・グループのクッキーズ (The Cookies) を雇い、レイレッツ (The Raelettes) 名義でコーラスに抜擢。レイはレイレッツのマージー・ヘンドリックス (Margie Hendrix) と不倫関係になり、彼女はチャールズ・ウェイン・ヘンドリックスを出産。ふたりの関係は次第に泥沼化し、マージーは1964年に解雇された。
    • 1959年 「What'd I Say」全米6位・R&B 1位 Pd: Jerry Wexler 歌詞が煽情的であるとして複数のラジオ局で放送禁止。
    • 1959年 『The Genius of Ray Charles』全米17位 初のTOP 40入り
    • 1959年 ABCパラマウントと契約。前払金5万ドル(2023年で約522,603ドル)、これまで以上の印税収入、マスタリング所有権など寛大な契約を獲得。

    1960s

    公民権運動が盛んになり、レイはマーティン・ルーサー・キングを支援。1961年にはマイルス・デイヴィスの推薦でベティ・カーターとツアーを開始した。

    • 1960年 飛行機事故で助かる。
    • 1960年 「Georgia on My Mind」全米1位 1930年のカバー曲(作曲:ホーギー・カーマイケル 作詞:ステュアート・ゴレル)邦題「我が心のジョージア」
    • 1961年 「Hit The Road Jack」全米1位・R&B1位 グラミー賞受賞
    • 1961年 「One Mint Julep」全米8位・R&B1位
    • 1961年 『Soul Meeting』with ミルト・ジャクソン
    • 1961年 ジャズ・アルバム『Genius + Soul = Jazz』クインシー・ジョーンズとラルフ・バーンズによるビッグバンド編曲
    • 1961年 ジャズ・アルバム『The Genius After Hours』
    • 1961年 ジャズ・アルバム『Ray Charles and Betty Carter』with ベティ・カーター
    • 1961年 ブルース『The Genius Sings the Blues』
    • 1961年 「Unchain My Heart」全米9位・R&B1位
    • 1962年 「I Can't Stop Loving You」5週連続全米1位・10週連続R&B1位・初全英1位
    • 1962年 ABCパラマウントが広報と配給を行なう自身のレコード会社タンジェリン・レコードを創立。
    • 1962年  「Chains」全米17位・R&B 6位 作詞:ジェリー・ゴフィン 作曲:キャロル・キング ビートルズがカバー
    • 1963年 「Don't Say Nothin' Bad (About My Baby)」全米7位・R&B 3位
    • 1963年 「Busted」全米4位
    • 1963年 「Take These Chains from My Heart」全米8位
    • 1964年 ヘロイン所持で3度目の逮捕。
    • 1965年 「Crying Time」全米6位・グラミー賞2部門受賞
    • 1966年 「I Don't Need No Doctor」「Let's Go Get Stoned」R&B1位
    • 1967年 「Here We Go Again」全米15位

    1970s

    サイケデリック・ロックやハードなR&Bの台頭により、1970年代までにはラジオ局であまり流されなくなった。マスタリング所有権による印税収入があるため制作意欲を失い、1968年から1973年のレコーディングの多くは賛否両論となった。アルバム『A Message from the People』(1972) は当時人気だったプログレッシブ・ソウルに傾倒。

    • 1974年 ABCレコードを離れ、自身のレーベル「クロスオーバー・レコード」で複数のアルバムをレコーディング。
    • 1975年 「Living for The City」(スティーヴィー・ワンダーのカバー)グラミー賞「最優秀男性R&Bボーカルパフォーマンス」受賞
    • 1977年 アトランティック・レコードと再契約(1980年まで)
    • 1977年 テレビ番組『サタデー・ナイト・ライブ』にゲスト司会者として出演。
    • 1979年 ジョージア州議会は「Georgia On My Mind」を州歌と定めた。

    1980s

    • 1980年 映画『ブルース・ブラザース』に楽器店の店主役で出演し「Shake Your Tailfeather」を演奏。
    • 1981年 南アフリカ共和国のアパルトヘイトに抗議する国際的なボイコットの間、リゾート地サンシティでコンサートを開催したことに批判が起こった。のちにこのコンサート中は黒人と白人が平等となるとして決行したと主張。
    • 1983年 コロムビア・レコードと契約。一連のカントリー・アルバムをレコーディング。ジョージ・ジョーンズ、チェット・アトキンス、B・J・トーマス、ミッキー・ガイリー、ハンク・ウィリアムズ・ジュニア、ディー・ディー・ブリッジウォーターと「Precious Thing」、ウィリー・ネルソンと「Seven Spanish Angels」とデュエットしヒット。
    • 1985年 「USA for Africa」に参加。チャリティ・シングル「We Are The World」のブリッジでリードヴォーカルをとった。
    • 1986年 初めてロックの殿堂入りした人物の1人となった。
    • 1987年 ビリー・ジョエル & レイ・チャールズ「Baby Grand」全米75位・AC3位
    • 1989年 クインシー・ジョーンズ feat. チャカ・カーン & レイ・チャールズ「I'll Be Good to You」24年ぶりのR&B 1位 ブラザーズ・ジョンソンのカバー
    • 1989年 「Ellie My Love」オリコン3位 サントリーのテレビ・コマーシャルのためにサザンオールスターズ「いとしのエリー」をカバー。
    • 1989年 イタリア人歌手ズッケロ・フォルナチャーリの『Oro Incenso & Birra』ツアーでアレーナ・ディ・ヴェローナにゲスト出演。

    1990s

    • 1990年 ワーナーでの初のアルバム『Would You Believe』

    2000s

    • 2003年 ホワイトハウス記者団夕食会で「Georgia on My Mind」と「America The Beautiful」を演奏。
    • 2003年 ヴァン・モリソンがソングライターの殿堂入り。プレゼンターのレイと「Crazy Love」を歌唱。ヴァン・モリソン『The Best of Van Morrison Volume 3』(2007)に収録。
    • 2003年 人工股関節置換術に成功してツアーに戻る予定であったが、他の病気に羅漢。
    • 2004年 4月30日 ロサンゼルスにあるレイのレコーディンク・スタジオ RPM International Studios が歴史的建造物に指定。式典にクリント・イーストウッドらが出席し、レイが公に姿を見せた最後となった。
    • 2004年 6月10日 73歳でカリフォルニア州ビバリーヒルズの自宅にて肝不全による合併症で死去。
    • 2004年 6月18日 ロサンゼルス・ファースト・アフリカン・メソジスト聖公会で葬儀。 参列したB.B.キング、グレン・キャンベル、スティーヴィー・ワンダー、ウィントン・マルサリスがそれぞれ演奏を行なった。イングルウッド公園墓地に埋葬された。
    • 2004年 8月31日 ラスト・アルバム『Genius Loves Company』(Concord) 全米1位・R&B4位 Pd: John Burk, Phil Ramone 第47回グラミー賞 10部門ノミネート 9部門受賞
      B.B.キング、ヴァン・モリソン、ウィリー・ネルソン、ジェームス・テイラー、グラディス・ナイト、マイケル・マクドナルド、ナタリー・コール、エルトン・ジョン、ボニー・レイット、ダイアナ・クラール、ノラ・ジョーンズ、ジョニー・マティスなどが参加。
    • 2004年 10月29日 映画『Ray』公開

    名誉

    • ケネディ・センター名誉賞
    • 国民芸術勲章
    • ポーラー音楽賞
    • グラミー賞18回(没後5回)
    • グラミーの殿堂に10枚のシングル・アルバムが殿堂入り
    • ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」2位
    • ローリング・ストーン誌「偉大な100組のアーティスト」10位
    • 1986年 ロックの殿堂入り
    • 2022年 カントリー・ミュージックの殿堂入り
    • 2022年 ブラック・ミュージック・エンターテイメントの殿堂入り

    トリビア

    • フランク・シナトラ「ショービジネス界で唯一の真の天才」
    • ビリー・ジョエル「言葉が悪いかもしれないが、私はレイ・チャールズはエルヴィス・プレスリーより重要だったと考えている」
    • ジミ・ヘンドリックスはレイ・チャールズ「What’d I Say」をよくプレイしていた。▶ LINK
    • トレードマークのサングラスはレイバン。マクソン・トリオ時代に宣伝写真を撮影した際、ゴッシー・マッキーがレイの写真の目にサングラスを描いたことで演奏中にサングラスをかけるようになった。ロイ・オービソンやスティーヴィー・ワンダーたちもこれに倣い、レイバンのサングラスをかけるようになった。
    • 10人の女性との間に12人の子供が誕生した。
    • 1964年「Love Me with All Your Heart」(太陽は燃えている)全米3位を獲得したレイ・チャールズ (1918–2015) は別人。
    1930年9月23日 2004年6月10日 73 男性歌手 R&B

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    ムハル・リチャード・エイブラムス

    Muhal Richard Abrams

    アメリカのジャズ・ピアニスト、クラリネット奏者、作曲家、編曲家。1965年「アート・アンサンブル・オブ・シカゴ」が誕生したAACM(クリエイティブ・ミュージシャン育成協会)を設立。
    1930年9月19日 2017年10月29日 87 ピアノ ジャズ

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    ソニー・ロリンズ ★

    Sonny Rollins

    アメリカの名ジャズ・サックス奏者。1956年『Saxophone Colossus』で一躍注目。1981年、ローリング・ストーンズ『刺青の男』に参加。
    グラミー受賞 2回・ノミネート 7回(2024年時点)
    1930年9月7日 1930年9月7日 サックス ジャズ

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    ジャッキー・ブレンストン

    Jackie Brenston

    アメリカのR&B歌手、サックス奏者。1951年、初期のロックンロール「Rocket 88」をアイク・ターナーと録音。
    1930年8月15日 1979年12月15日 49 男性歌手 R&B

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    ジャック・ドーハティ

    Jack Daugherty

    アメリカの音楽プロデューサー、トランペット奏者。1950年代はウディ・ハーマン楽団にトランペッターとして在籍。ドーハティはカーペンターズのデモテープをハーブ・アルパートに届けたことで、カーペンターズはA&Mと契約。ドーハティは彼らの作品にプロデューサーしてクレジットされたが、それを不服としたリチャード・カーペンターはA&Mを巻き込み9年間に及ぶ訴訟に発展した。ドーハティは敗訴したが、1983年にカレンの葬儀に出席。リチャードはその行為に感動したという。手術中に他界。
    1930年8月13日 1991年2月2日 60 プロデュース ポップ

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    アビー・リンカーン

    Abbey Lincoln

    アメリカの女性ジャズ・シンガー。ビリー・ホリデイを敬愛し「ビリーの後継者」と評された。マックス・ローチは元夫。
    1930年8月6日 2010年8月14日 80 女性歌手 ジャズ

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    アンディ・ホワイト

    Andy White

    スコットランド人ドラマー。リンゴ・スターに代わって「Love Me Do」で演奏した。セッション・ミュージシャンとしてチャック・ベリー、ビリー・フューリー、ハーマンズ・ハーミッツ、トム・ジョーンズ、マレーネ・ディートリヒらと共演した。
    1930年7月27日 2015年11月9日 85 ドラム ロック スコットランド

    sc

    アニー・ロス

    Annie Ross

    アメリカの女性ジャズ・シンガー。ヴォーカリーズ・トリオ「ランバート、ヘンドリックス&ロス」のメンバー。ドラマーのケニー・クラークと結婚し息子を儲けた。2010年、ジャズ マスターに選定。
    1930年7月25日 2020年7月21日 89 女性歌手 ジャズ

    eg

    ハンク・モブレー

    Hank Mobley

    アメリカのテナー・サクソフォーン奏者。穏やかで繊細、メロディアスなスタイルで、バップ時代最も過小評価されている一人と評された。1961年、マイルス・デイヴィス『Someday My Prince Will Come』でテオ・マセロに捧げた「Teo」に参加。
    1930年7月7日 1986年5月30日 55 サックス ジャズ

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    アーマッド・ジャマル ★

    Ahmad Jamal

    アメリカのジャズ・ピアニスト、作曲家、教育者。14歳の時にプロとしてピアノを弾き始め、著名ジャズ評論家スタンレー・クラウチ (1945–2020) は「1945年以降のジャズでチャーリー・パーカーに次ぐ重要」と評し、アート・テイタムは「次代の大物」と絶賛。ブルーノートと長期契約していたが、演奏を見た大物プロデューサーのジョン・ハモンド がコロムビア・レコード傘下オーケー・レコードと契約させた。『The Piano Scene of Ahmad Jamal』(1959) から『Ballades』(2019) まで多数のリーダー・アルバムを録音。マイルス・デイヴィスはジャマルのリズム感覚・空間の捉え方・タッチの軽やかさ・控えめな表現に感銘し、「New Rhumba」(1957) や「Ahmad's Blues」(1959 ) をカバーした。
    1930年7月2日 2023年4月16日 92 ピアノ ジャズ

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    エリック・モーズホルム

    Erik Moseholm

    デンマークのジャズ・ベーシスト、作曲家、バンドリーダー。ドン・バイアスやエリック・ドルフィーらの録音に参加。1961–1966年までデンマーク・ラジオ・ビッグバンドのリーダーを務め、1992–1997年まで コペンハーゲンのリトミック音楽院の校長を務めた。
    1930年5月13日 2012年10月12日 82 ベース ジャズ デンマーク

    dk

    リトル・ウォルター

    Little Walter

    アメリカ合衆国 ルイジアナ州のブルース・ハーモニカ奏者。マディ・ウォーターズのバンドを経て「Juke」(1952) R&Bチャート1位。「My Babe」「Roller Coaster」ヒット。1964年、ローリング・ストーンズと英国ツアーを行った。
    1930年5月1日 1968年2月15日 37 ハーモニカ ブルース

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    ボビー・マーシャン

    Bobby Marchan

    アメリカのR&B歌手。「ヒューイ・ピアノ・スミス&ザ・クラウンズ」の元ヴォーカル。10代の頃に女装をするようになりドラッグクイーン集団「Powder Box Revue」を結成した。「There's Something On Your Mind」(1960) R&Bチャート1位。「Get Down And Get with It」(1964) をリトル・リチャードやスレイドがカバーした。
    1930年4月30日 1999年12月5日 69 男性歌手 R&B

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    クラウス・オガーマン ★★★

    Claus Ogerman

    ドイツの編曲家、指揮者、作曲家。ジャズ、R&B、ボサノヴァ、ロック、クラシック音楽で活躍した20世紀最大の編曲家の一人。ビリー・ホリデイ、アントニオ・カルロス・ジョビン、フランク・シナトラ、ダイアナ・クラールらとの作品でよく知られている。1979年、ジョージ・ベンソン『Breezin'』でグラミー賞「最優秀アレンジ」受賞。
    グラミー受賞 2回・ノミネート 19回。
    1930年4月29日 2016年3月8日 85 編曲 ジャズ

    de

    アル・シュミット ★★★

    Al Schmitt

    トム・ダウドと並ぶアメリカの巨匠レコーディング・エンジニア、音楽プロデューサー。クインシー・ジョーンズ、スティーリー・ダン、TOTO などの作品で多数のグラミー賞を受賞。ジャズ・R&B・フォーク・ロックなど様々な名盤で大きな功績を残した。レス・ポールは生涯の友。
    グラミー受賞 20回・ノミネート 36回
    1930年4月17日 2021年4月26日 91 エンジニア

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    ハービー・マン ★

    Herbie Mann

    アメリカのジャズ・フルート奏者、音楽プロデューサー。ジャズの境界を破ったフルートのパイオニアとして、いち早くボサノヴァを取り入れ欧米に広めた。新人のチック・コリアをバンドに加え、1965年のニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演。大絶賛を受けたライブはアルバム『Standing Ovation At Newport』に収録された。ジャズ・ミュージシャンには珍しく、1960–1970年代にかけて25枚のアルバムを「ビルボード・ポップ・チャート 200」に送り込んだ。
    1930年4月16日 2003年7月1日 73 フルート ジャズ

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    ジョー・ポーカロ

    Joe Porcaro

    アメリカのジャズ・ドラマー、パーカッショニスト。息子はTOTO ジェフ・ポーカロ (Dr) 、マイク・ポーカロ (B) 、スティーヴ・ポーカロ (Key)。セッション・ミュージシャンとしてフランク・シナトラ、スタン・ゲッツ、ジェリー・マリガン、フレディ・ハバード、サラ・ヴォーン、グラディス・ナイト、マドンナ、モンキーズ、ピンク・フロイド『The Wall』、ナタリー・コール、ナンシー・シナトラなどのレコーディングに参加した。
    1930年4月29日 2020年7月6日 90 ドラム ジャズ

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    ロルフ・ハリス

    Rolf Harris

    オーストラリア出身のテレビ司会者、俳優、歌手、ソングライター、画家。21歳で渡英し1950年代後半から子供番組の出演で人気を集めた。ミュージシャンとしては「Tie Me Kangaroo Down Sport」(1962年・邦題「悲しきカンガルー」)やビートルズのトリビュート・ソング「Ringo For President」(1964) がヒットし「グラストンベリー・フェスティバル」に5度出演した。画家としても才能を発揮し、エリザベス女王の公式肖像画を描き2005年には大英帝国勲章第3位(CBE)を受勲。2011年には「イギリスでもっとも売れた作家」となった。晩年はファミリーや子供向けのテレビや映画で「名おじいちゃん俳優」として活躍していたが、2014年に強制わいせつ罪で有罪判決を受け2017年に仮釈放された。
    1930年3月30日 2023年5月10日 93 男性歌手 ポップ

    au

    トミー・フラナガン

    Tommy Flanagan

    アメリカのジャズ・ピアニスト。ソニー・ロリンズ『Saxophone Colossus』(1956)、ジョン・コルトレーン『Giant Steps』(1959) などの名盤に参加。
    グラミー賞ノミネート4回
    1930年3月16日 2001年11月16日 71 ピアノ ジャズ

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    ブルー・ミッチェル

    Blue Mitchell

    アメリカのジャズ・トランペット奏者。キャノンボール・アダレイに見出され、伸びのあるクリアな音色でハード・バップ期に人気を博した。
    1930年3月13日 1979年5月21日 49 トランペット ジャズ

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    オーネット・コールマン ★★★

    Ornette Coleman

    アメリカのジャズ・サックス奏者。フリージャズの先駆者として『The Shape of Jazz to Come』(1959) をリリースし、一大センセーションを巻き起こした(RS誌「オールタイム・グレイテスト・アルバム500」248位)。息子はジャズ・ドラマーのデナード・コールマン(1956年4月19日生まれ)で、オーネットの『The Empty Foxhole』(1966) などリーダー作多数で共演。
    1930年3月9日 2015年6月11日 85 サックス ジャズ

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    デレク・ベイリー

    Derek Bailey

    イングランドのジャズ・ギタリスト。1966年にロンドンに移りジョン・スティーヴンスの率いる「スポンティニアス・ミュージック・アンサンブル」のレギュラー・メンバーとなった。
    1930年1月29日 2005年12月25日 75 ギター ジャズ

    eg

    オンジー・マシューズ

    Onzy Matthews

    アメリカのジャズ・ピアニスト、歌手、編曲家、作曲家、俳優。1960年代はじめにビッグバンド結成。ルー・ロウルズ、レイ・チャールズ、アール・ハインズ、ロイ・エアーズらの編曲を手掛けた。映画『ディンゴ』 にトランペッターのシーザー役で出演。
    1930年1月15日 1997年11月13日 67 ピアノ ジャズ

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