名前👤 | 誕生日⏳ | 命日⌛ | 年齢❤ | パート🎷 | ジャンル📖 | 出身🌏 |
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エイドリアン・ブリュー
Adrian Belew |
1949年12月23日 | 1949年12月23日 | ギター | ロック | us |
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アメリカの天才的ジャズ・ドラマー。19歳でマイルス・デイヴィス・バンド、その後リターン・トゥ・フォーエヴァーなどに参加した。
グラミー受賞 3回・ノミネート 2回(2024年時点)
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1949年12月19日 | 1949年12月19日 | ドラム | フュージョン | us |
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1949年12月17日 | 1949年12月17日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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アメリカの世界的ロック・ギタリスト。1969年に結成したZZトップのリードヴォーカル兼ギタリスト。
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1949年12月16日 | 1949年12月16日 | ギター | ハードロック | us |
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リン・ランデル
Lynne Randell イングランドのポップ歌手。1960年代にオーストラリアで人気を博し、「Heart」「Goin' Out of My Head」「Ciao Baby」などがヒット。モンキーズやジミ・ヘンドリックスの前座としてステージに立った。
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1949年12月14日 | 2007年6月8日 | 57 | 女性歌手 | ポップ | eg |
アメリカのシンガーソングライター、俳優。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」82位。1972年、新興だったアサイラム・レコードと契約し、1973年『Closing Time』でレコード・デビュー。美しいピアノにしがない心情をユーモラスで温かな視線で見つめた歌詞を乗せ、嗄声で歌いあげる様は「酔いどれ詩人」と呼ばれた。ベット・ミドラーと共演した4thアルバム『Foreign Affairs』(1977) と5thアルバム『Blue Valentine』(1978) のカバーアートは、恋人だったリッキー・リー・ジョーンズとの写真。キース・リチャーズお気に入りのミュージシャンでいくつか共演した。俳優としてフランシス・フォード・コッポラやジム・ジャームッシュといった映画監督と関係が深い。2011年ロックの殿堂入り。
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1949年12月7日 | 1949年12月7日 | 男性歌手 | ブルース | us |
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アメリカの女性ロック・ギタリスト、シンガー。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」50位、「偉大な100人のギタリスト」2011年89位。女性スライド・ギタリストの草分け的存在として知られ、ブルース、R&B色のサウンドが特長。名曲「I Can't Make You Love Me」(1991) 全米18位がローリングストーン誌「史上最高の500曲」2004年339位にランクインした。 グラミー受賞 13回・ノミネート 31回(2024年時点) See Also |
1949年11月8日 | 1949年11月8日 | 女性歌手 | ロック | us |
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カナダの大物音楽プロデューサー。マイケル・ボルトン、バーブラ・ストライサンド、セリーヌ・ディオン、チャカ・カーン、ホイットニー・ヒューストン、マイケル・ジャクソン、シカゴ、マドンナ、マイケル・ブーブレなどをプロデュースした。 グラミー受賞 16回・ノミネート 45回(2024年時点) |
1949年11月1日 | 1949年11月1日 | プロデュース | ポップ | ca |
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イングランド出身のキーボーディスト、作曲家、作詞家、音楽プロデューサー。クインシー・ジョーンズに作曲の才能を買われ、1979年以降、マイケル・ジャクソン「Rock with You」「Off The Wall」(ともに1979)「Thriller」(1982)、ジョージ・ベンソン「Give Me The Night」(1980) など、クインシーがプロデュースしたアーティストに楽曲提供した。 グラミー受賞 1回・ノミネート 5回 |
1949年10月9日 | 2016年10月5日 | 66 | キーボード | ポップ | eg |
アメリカのギタリスト、シンガーソングライター、音楽プロデューサー。フリートウッド・マックのギタリストとして知られ、ソロとしても精力的に活動。1998年、フリートウッド・マックでロックの殿堂入り。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のギタリスト」100位。
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1949年10月3日 | 1949年10月3日 | ギター | ロック | us |
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アニー・リーボヴィッツ
Annie Leibovitz アメリカのユダヤ人写真家。1973年に『Rolling Stone』誌のチーフ・カメラマンとなり、ローリング・ストーンズのツアー撮影で一躍有名になった。1980年12月8日、ジョン・レノンとオノ・ヨーコを撮影した数時間後ジョンは暗殺された。1983年に『Vanity Fair』誌に移籍し、デミ・ムーアの妊婦ヌードが1991年8月号の表紙を飾り論争となった。1998年に『Vogue』誌に移籍。2009年、彼女は財政難に陥り、 数軒の家と自身の写真の権利を担保し2400万ドル(約22億7000万円)を借り入れたという(リンク)。
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1949年10月2日 | 1949年10月2日 | 写真家 | ロック | us |
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リチャード・ヘル
Richard Hell |
1949年10月2日 | 1949年10月2日 | 男性歌手 | パンク | us |
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アンジー・ボウイ
Angie Bowie アメリカのモデル、女優。デヴィッド・ボウイのジギー・スターダストの衣装に協力し、1970年代のグラムロックファッションに影響を与えた。1970年にボウイと結婚(1980年離婚)し、1971年にダンカン・ジョーンズを授かった。
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1949年9月25日 | 1949年9月25日 | 女優 | ロック | us |
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1949年9月23日 | 1949年9月23日 | 男性歌手 | ロック | us |
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スコットランド出身の音楽マネージャー。エルトン・ジョン、クイーンを手掛けたことで知られている。
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1949年9月9日 | 1949年9月9日 | マネージャー | ロック | sc |
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ヴィッキー・レアンドロス
Vicky Leandros ギリシャ・コルフ島出身の歌手。1964年、西ドイツでレコード・デビュー。1967年、ユーロビジョン・ソング・コンテストにルクセンブルク代表で出場し、ポール・モーリアの名曲「L'amour Est Bleu」(ラムール・エ・ブル=恋はみずいろ)を歌って4位を獲得。以後は世界的に活動し、1970年に初来日公演を果たした。
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1949年8月23日 | 1949年8月23日 | 女性歌手 | ポップ | gr |
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1949年8月20日 | 1986年1月4日 | 36 | 男性歌手 | ロック | ie |
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スコットランド出身の世界的ロック・ギタリスト。1976年、ダイアー・ストレイツを結成。フィンガーピッキングの達人でボブ・ディラン、エリック・クラプトンらと共演した。ローリング・ストーン誌誌「偉大な100人のギタリスト」2011年44位。 グラミー受賞 6回・ノミネート 16回(2024年時点) |
1949年8月12日 | 1949年8月12日 | ギター | ロック | sc |
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エリック・カルメン
Eric Carmen |
1949年8月11日 | 2024年 | 74 | 男性歌手 | ポップ | us |
アメリカの名ギタリスト、音楽プロデューサー。ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ダニー・ハサウェイ 、ポール・サイモン、ベット・ミドラー、ロバータ・フラック、アレサ・フランクリン、ジェームス・テイラーなどの作品に参加。
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1949年8月8日 | 1949年8月8日 | ギター | ロック | us |
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1949年7月26日 | 1949年7月26日 | ドラム | ロック | eg |
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イングランドのベーシスト、作詞家、作曲家。元祖ヘヴィメタル・バンド「ブラック・サバス」のオリジナル・メンバー。ローリング・ストーン誌「史上最高のベーシスト」21位。バンドのほとんどの歌詞を手掛け、オカルティックな世界観を構築。1984年にブラック・サバスを脱退し、ギーザー・バトラー・バンドを結成。1988年にオジー・オズボーン・バンドに加入した。 グラミー受賞 2回・ノミネート 5回(2024年時点) |
1949年7月17日 | 1949年7月17日 | ベース | メタル | eg |
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イングランドの音楽プロデューサー、作曲家、編曲家、作詞家、歌手。バグルス「Video Killed The Radio Star」(1979「ラジオ・スターの悲劇」) 全英1位やイエス「Owner of a Lonely Heart」(1983) 全米1位で知られている。1984年にはアート・オブ・ノイズを結成した。 グラミー受賞 1回・ノミネート 4回(2024年時点) |
1949年7月15日 | 1949年7月15日 | 男性歌手 | ポップ | eg |
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フィリス・ハイマン
Phyllis Hyman |
1949年7月6日 | 1995年6月30日 | 45 | 女性歌手 | R&B | us |
アメリカのドラマー、パーカッショニスト、作曲家。サンタナのドラマーとして著名で、ウッドストック・フェスティバルと1stアルバム『Santana』(1969) から『Lotus』(1974) にかけて7枚のアルバムで演奏した。脱退後はツトム・ヤマシタ、スティーヴ・ウィンウッド、アル・ディ・メオラ、サミー・ヘイガー、ニール・ショーン、ミック・ジャガー、アンディ・サマーズ、フレディ・ハバードらと共演した。
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1949年7月6日 | 1949年7月6日 | ドラム | ロック | us |
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オーストラリアの国民的歌手。アルバムまたはシングルにおいて50年連続で1位を獲得した唯一のオーストラリア人アーティスト。12thアルバム『Whispering Jack』(1986) はオーストラリアにおいて、ミート・ローフ『Bat Out Of Hell』(1977) に次いで2番目に売れたアルバム、オーストラリアのアーティストによるで最も売れたアルバムとなり25週間1位を獲得。1980年代で最もヒットしたアルバムとなった。オリビア・ニュートン=ジョンとデュエットした「Dare To Dream」は、2000年シドニーオリンピックの公式テーマソングとなった。
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1949年7月1日 | 1949年7月1日 | 男性歌手 | ロック | au |
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エイドリアン・ガーヴィッツ
Adrian Gurvitz イングランドのシンガーソングライター、ギタリスト、音楽プロデューサー。1968年、ロックバンド「ザ・ガン」(1967–1970) を結成し「Race with The Devil」全英TOP 10入り。解散後はソングライターとして「Classic」(1982) 全英8位、エディ・マネー「The Love in Your Eyes」(1988) 全米24位、映画『ボディガード』(1992) に収録されたケニーG & アーロン・ネヴィル「Even If My Heart Would Break」などを共作した。ギタリストとしても高い評価を得た。
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1949年6月26日 | 1949年6月26日 | プロデュース | ロック | eg |
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アメリカの世界的シンガーソングライター、音楽プロデューサー。世界セールス1億枚以上。コモドアーズのフロントマンを経て、2ndアルバム『Can't Slow Down』は全米・全英・全豪で1位を獲得。2,000万枚以上を売り上げた。2022年より人気オーディション番組『American Idol』でケイティ・ペリー、ルーク・ブライアンと共に審査員を務めている。 グラミー受賞 4回・ノミネート 33回(2024年時点) |
1949年6月20日 | 1949年6月20日 | 男性歌手 | ポップ | us |
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イングランドのドラマー。プログレッシブ・ロック・バンド「イエス」のメンバーとして知られる。イエスに在籍する前にビートルズのメンバーのアルバムや様々なセッションに参加。1969年、プラスティック・オノ・バンドに参加した。
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1949年6月14日 | 2022年5月26日 | 72 | ドラム | ロック | eg |
イングランド出身。ロック・キーボーディストの第一人者・作曲家。王立音楽アカデミーでピアノを学び、1971年プログレッシブ・ロックバンド「イエス」に加入。デヴィッド・ボウイ『Space Oddity』(1969)、キャット・スティーヴンス「Morning Has Broken」(1971) など数多くのセッションに参加。ソロ作品多数。ライブ中に複雑な演奏をしながら、片手でカレーやビールを飲食しながら演奏していた。長男オリバー・ウェイクマンは2007年より父親に代わってイエスのツアーに参加。次男アダム・ウェイクマンはオジー・オズボーン、ブラック・サバスのサポート・メンバーとして活動。元ソフト・マシーンのアラン・ウェイクマンは従兄弟。
See Also
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1949年5月18日 | 1949年5月18日 | キーボード | ロック | eg |
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1949年5月17日 | 1949年5月17日 | ドラム | ロック | eg |
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アメリカの世界的のシンガーソングライター、ピアニスト、作曲家。世界売上1億5,000万枚以上。ポップなメロディと都会的なアダルト・コンテンポラリー・サウンドで、プロデューサーのフィル・ラモーンと組みヒットを連発。エルトン・ジョンと共にピアノ・ロックを確立した。
グラミー受賞 5回・ノミネート 23回(2024年時点)
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1949年5月9日 | 1949年5月9日 | 男性歌手 | ポップ | us |
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リチャード・トンプソン
Richard Thompson |
1949年4月3日 | 1949年4月3日 | 男性歌手 | フォーク | eg |
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ギル・スコット・ヘロン
Gil Scott-Heron |
1949年4月1日 | 2011年5月27日 | 62 | 男性歌手 | ソウル | us |
アメリカのジャズ・テナーサックス、ウィンドシンセサイザー演奏者。圧倒的なテクニックと多彩な表現力を兼ね備え、ジョン・コルトレーン以降、最もテナーサックスの演奏スタイルに影響を与えた。1978年、トランペット奏者の兄ランディ・ブレッカーとブレッカー・ブラザーズ、スティーヴ・ガッドらとステップス・アヘッドを結成。マッコイ・タイナー、エルヴィン・ジョーンズ、ハービー・ハンコック、ジャコ・パストリアス、パット・メセニー、ジョン・レノン、ポール・サイモン、アート・ガーファンクル、ジェームス・テイラー、フランク・ザッパ、渡辺香津美、小曽根真など様々な著名ミュージシャンと共演し、膨大なレコーディングに参加した。
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1949年3月29日 | 2007年1月13日 | 57 | サックス | ジャズ | us |
エディ・マネー
Eddie Money |
1949年3月21日 | 2019年9月13日 | 70 | 男性歌手 | ロック | us |
マーシャ・ボール
Marcia Ball |
1949年3月20日 | 1949年3月20日 | 女性歌手 | R&B | us |
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イングランドのギタリスト。ローリング・ストーンズの元ギタリストとして最も有名。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のギタリスト」2011年7位。ストーンズ脱退後、1975年4月から6月までザ・ジャック・ブルース・バンドのメンバーとしてブルースやカーラ・ブレイのツアーに参加した。
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1949年1月17日 | 1949年1月17日 | ギター | ロック | eg |
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1948年12月31日 | 2012年5月17日 | 63 | 女性歌手 | ディスコ | us |
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メリー・クレイトン
Merry Clayton
アメリカ合衆国 ルイジアナ州ニューオーリンズ出身の女性R&Bシンガー。ソロ活動の他、バック・ヴォーカリストとしてローリング・ストーンズ、ニール・ヤング、ジョー・コッカー、キャロル・キング、ビリー・プレストン、リング・スターらとの共演で著名。1963年「The Doorbell Rings」でデビュー。ローリング・ストーンズ『Let It Bleed』収録「Gimme Shelter」でミック・ジャガーとデュエット。当初はデラニー&ボニーのボニー・ブラムレットが参加する予定だったが、体調を崩したので代役として彼女が呼ばれた。この曲はローリング・ストーン誌「史上最高の500曲」2021年13位にランク。リトル・フィートのサム・クレイトンは弟。
See Also
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1948年12月25日 | 1948年12月25日 | 女性歌手 | R&B | us |
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アメリカのギタリスト、軍事アナリスト。ロックからジャズ、カントリーまで幅広い演奏スタイルを持つ。1972年、スティーリー・ダンの結成に参加。1974年に脱退し、ドゥービー・ブラザーズへ加入した。軍事技術を独学し軍事アナリストとしても活動。2001年にアメリカ国防総省の軍事顧問に就任した。
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1948年12月13日 | 1948年12月13日 | ギター | ロック | us |
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1948年12月13日 | 1948年12月13日 | ギター | ロック | us |
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イングランド出身の世界的シンガーソングライター。ブラック・サバスとソロ活動で世界中のヘヴィメタル・ファンから絶大な人気を博している。
グラミー受賞 5回・ノミネート 12回(2024年時点)
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1948年12月3日 | 1948年12月3日 | 男性歌手 | メタル | eg |
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アメリカのフュージョン・ドラマー、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。1970年、ウェザー・リポートのオリジナル・メンバーとして1年間在籍し、1972年にブルーノートと契約。ソウルフルでファンキーなフュージョン・サウンドで1970年代に人気を博し、マイルス・デイヴィス、ジャコ・パストリアス、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、カルロス・サンタナ、スティーヴィー・ワンダー、ビリー・コブハム、トミー・ボーリンらと共演した。
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1948年11月21日 | 2016年12月25日 | 68 | ドラム | フュージョン | us |
ミック・ロック
Mick Rock イングランドの写真家。「1970年代を撮影した男」とも呼ばれ、世界中の著名ミュージシャンを撮影し晩年まで精力的に活動した。ロックの作品はロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーに所蔵されている。1970年代半ばにニューヨークに移りスタテン島に住んでいた。日本では立川直樹氏と交流があり、写真集『魂~MICK ROCK meets 勘三郎』(2007) をプロデュースした。
撮影 | ||||||
マーヴィン・ピーターソン
Hannibal Marvin Peterson アメリカのジャズ・トランペット奏者、作曲家。1980年代までギル・エヴァンス・オーケストラに参加し、ロイ・ヘインズやファラオ・サンダースらと共演した。 1974年にデビューアルバム『Children of the Fire』をリリース。「Hannibal Lokumbe」「Hannibal Marvin Peterson」「Marvin Peterson」などいくつかの表記がある。
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1948年11月11日 | 1948年11月11日 | トランペット | ジャズ | us |
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南アフリカ連邦出身の世界的音楽プロデューサー、ソングライター。バンド活動を経て1976年にプロデュース業に転身。1993年、カナダの歌手シャナイア・トゥエインと結婚した(2008年離婚)。
プロデュース作品
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1948年11月11日 | 1948年11月11日 | プロデュース | us |
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アメリカのシンガーソングライター、ギタリスト。1971年、リンダ・ロンシュタットのバックバンドとして集まったドン・ヘンリー 、ランディ・マイズナー、バーニー・レドンと世界的ロック・バンド「イーグルス」を結成。バンド解散後もソロ・アーティストとして大成功を収めた。 グラミー受賞 6回・ノミネート 21回 |
1948年11月6日 | 2016年1月18日 | 67 | 男性歌手 | ロック | us |
1948年11月3日 | 1948年11月3日 | 女性歌手 | ポップス | sc |
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ドイツ生まれのアメリカの世界的シンガーソングライター、音楽プロデューサー。
グラミー賞ノミネート 8回(2024年時点)
トリビア
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1948年10月9日 | 1948年10月9日 | 男性歌手 | ロック | us |
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アメリカ合衆国ワシントン州アナコルテス出身の女性シンガー。ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー(以後ビッグ・ブラザー)のリードシンガー、ジョー・コッカー、ローリング・ストーンズ、フレディ・キング、ロング・ジョン・ボルドリーなどのバック・ヴォーカリストとなった。
参加作品
See Also
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1948年9月25日 | 2012年10月3日 | 64 | 女性歌手 | ロック | us |
イングランドの世界的ポピュラー歌手。1966年にデビュー。クリフ・リチャードのバック・コーラスなどで経験を積み、1971年にボブ・ディランがジョージ・ハリスンに提供した楽曲のカバー「If Not For You」で再デビュー。1974年「I Honestly Love You」が全米1位を獲得しグラミー賞「最優秀レコード賞」と「最優秀女性歌唱賞」を受賞。以後、ヒット曲を連発し世界中で爆発的な人気を博した。クリフ・リチャードとは「Suddenly」邦題「恋の予感」(1980) でデュエットした。
グラミー受賞 4回・ノミネート 12回(2024年時点)
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1948年9月26日 | 2022年8月8日 | 73 | 女性歌手 | ポップ | eg |
フレッド・ソニック・スミス
Fred Sonic Smith |
1948年9月14日 | 1994年11月4日 | 46 | ギター | ロック | us |
ラス・カンケル
Russ Kunkel アメリカの有名セッション・ドラマー。ジェームス・テイラー、キャロル・キング、ジャクソン・ブラウン、ジョニ・ミッチェル、リンダ・ロンシュタット、カーリー・サイモンらのレコーディングに参加した。1968年、キャス・エリオットの妹リア・コーエンと結婚。1990年、ニコレット・ラーソンと結婚。
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1948年9月2日 | 1948年9月2日 | ドラム | us |
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アメリカのドラマー、音楽プロデューサー。スライ&ザ・ファミリー・ストーンのオリジナル・ドラマーとして知られている。セッション・ドラマーとしてさまざまなレコーディングに参加した。
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1948年9月1日 | 1948年9月1日 | プロデュース | ファンク | us |
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リッキー・ガーディナー
Ricky Gardiner |
1948年8月31日 | 2022年5月13日 | 73 | ギター | ロック | sc |
イングランド出身の世界的ヴォーカリスト。ビートルズ、クイーンに次いで世界で最も売れた歴史的ハードロック・バンド「レッド・ツェッペリン」のフロントマンとして絶大な影響力を持った。 ローリング・ストーン誌「史上最高の歌手200人」2023年63位。エルヴィス・プレスリーやジョニ・ミッチェルを敬愛し、クイーンのフレディ・マーキュリーなどからリスペクトされた。
グラミー受賞 8回・ノミネート 21回(2024年時点)
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1948年8月20日 | 1948年8月20日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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ラリー・ディマジオ
Larry DiMarzio アメリカ合衆国ニューヨーク生まれの実業家、技術者、ミュージシャン、写真家。1975年、世界的楽器部品メーカーのディマジオを設立。
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1948年8月18日 | 1948年8月18日 | 実業家 | us |
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ニール・ラーセン
Neil Larsen アメリカのジャズ・キーボード奏者。1969年に徴兵され、ベトナム戦争中のアメリカ海軍で娯楽音楽のディレクターとして働いた。退役後、1975年にグレッグ・オールマンのバンド・メンバーとしてツアーを開始。その後、セッション・ミュージシャンとしてマイルス・デイヴィス『Rubberband』(1985)、トミー・リピューマ、ハーブ・アルパート、リッキー・リー・ジョーンズ、ジョージ・ハリスンなどのレコーディングに参加した。2008年からはレナード・コーエンのバンド・メンバーとしてレコーディングとツアーに携わった。
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1948年8月7日 | 1948年8月7日 | キーボード | ジャズ | us |
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1948年7月21日 | 1948年7月21日 | 男性歌手 | フォークロック | eg |
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ダグ・カーン
Doug Carn
アメリカのジャズピアニスト。1970年代に元妻で歌手のジーン・カーンをフィーチャーしたスピリチュアル・ジャズを Black Jazz Records よりリリース。『Infant Eyes』『Adam's Apple』『Revelation』などカルト的な人気を獲得した。レニー・クラヴィッツとの共演で有名な女性ドラマーでカルロス・サンタナの妻シンディ・ブラックマン・サンタナ『Another Lifetime』(2010) に参加した。
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1948年7月14日 | 1948年7月14日 | ピアノ | ジャズ | us |
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アメリカの実業家。ソニー・ミュージックエンタテインメントの会長兼CEOを15年近く務め、モットーラ・メディア・グループを設立した。
バンドマンを経て1960年代にCBSレコードに就職。1990年、ソニーミュージックの会長兼CEOに就任し、60カ国以上に事業を拡大。デジタルダウンロードを提供する最初の大手音楽会社となり、2000年までに年間収益は60億ドルを超えた。ダリル・ホール&ジョン・オーツ、マライア・キャリー、セリーヌ・ディオン、デスティニーズ・チャイルド、グロリア・エステファン、ジェニファー・ロペス、ジェシカ・シンプソン、シャキーラらを手掛けた。1993年、マライア・キャリーと再婚したが1998年に離婚した。
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1948年7月14日 | 1948年7月14日 | 実業家 | us |
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エクトル・ザズー
Hector Zazou フランスの作曲家、音楽プロデューサー。世界中の異文化の伝統的な音楽と現代的音楽を融合させたサウンドを創り出し、ロバート・フリップ、ローリー・アンダーソン、ジョン・ケイル、坂本龍一、ビョーク、スザンヌ・ヴェガなど国際的なアーティストたちとコラボレーションを行った。
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1948年7月11日 | 2008年9月8日 | 60 | 作曲家 | 現代音楽 | fr |
1948年6月29日 | 1948年6月29日 | ドラム | ハードロック | eg |
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アメリカのシンガーソングライター、マルチ楽器奏者、音楽プロデューサー。世界で4,300万枚以上を売り上げたミートローフの2ndアルバム『Bat Out Of Hell』(1977) をはじめ、ザ・バンド、ニューヨーク・ドールズ、ダリル・ホール&ジョン・オーツ、グランド・ファンク・レイルロード、XTC、バッドフィンガー、ジェシ・ウィンチェスターらのプロデュースでも有名。ヴォーカルとすべての楽器を演奏し自宅録音を行うマルチプレイヤーとしても知られている。エアロスミスのスティーヴン・タイラーの娘リヴ・タイラーの育ての親。
グラミー賞ノミネート 1回(2024年時点) |
1948年6月22日 | 1948年6月22日 | 男性歌手 | ポップ | us |
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ニック・ドレイク
Nick Drake |
1948年6月19日 | 1974年11月25日 | 26 | 男性歌手 | フォーク | eg |
リンジー・ディ・ポール
Lynsey de Paul イングランドの歌手。「Won't Somebody Dance with Me」(1973・邦題「夢のパートナー」) と「No Honestly」(1974) で、アイヴァー・ノヴェロ賞を2年連続で受賞した。日本でヒットした「Ooh I Do」(邦題「恋のウー・アイ・ドゥ」)はフィル・スペクターへのオマージュ。
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1948年6月11日 | 2014年10月1日 | 66 | 女性歌手 | ポップ | eg |
イングランドの伝説的なロック・ドラマー。ローリング・ストーン誌「史上最も偉大な100人のドラマー」2016年1位。愛称ボンゾ。ドラムはほとんど独学でジーン・クルーパ (1909–1973)、バディ・リッチ (1917–1987)、マックス・ローチ (1924–2007) といったジャズ・ジャイアンツの影響を受けた。1968年、ジミー・ペイジ、ロバート・プラント、ジョン・ポール・ジョーンズとレッド・ツェッペリンを結成。1980年9月25日、多量の飲酒により32歳で他界。同年12月4日、バンドは解散を声明した。1988年以降のツェッペリン再集結の際には、息子のジェイソン・ボーナム(1966年7月15日–)がドラムを演奏している。
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1948年5月31日 | 1980年9月25日 | 32 | ドラム | ロック | eg |
アメリカの世界的女性ロック・シンガー。フリートウッド・マックのメンバーで「ロックの歌姫」と呼ばれている。
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1948年5月26日 | 1948年5月26日 | 女性歌手 | ロック | us |
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1948年5月21日 | 1948年5月21日 | 男性歌手 | ポップ | eg |
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グレイス・ジョーンズ
Grace Jones ジャマイカ出身のアメリカ人の歌手、モデル、女優。 1970年代初頭からブラック・ニュー・ウェイブの代表的モデルとして活躍し、アンディ・ウォーホールのミューズとなった。1977年にアイランド・レコードと契約。エディット・ピアフのカバー「La Vie En Rose」(Pd: Tom Moulton) が全米23位を記録し世界中でヒット。アーノルド・シュワルツェネッガー主演『コナン・ザ・デストロイヤー』(1984) や『007 美しき獲物たち』(1985) などの映画に出演した。 グラミー賞ノミネート 2回(2024年時点) |
1948年5月19日 | 1948年5月19日 | 女性歌手 | ポップ | jm |
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アメリカのジャズ・サックス奏者。1974年にジョージ・ハリスンやジョニ・ミッチェルのツアー、ポール・マッカートニー&ウイングス「Listen to What The Man Said」(1975「あの娘におせっかい」)のソロ、バーブラ・ストライサンド、ホイットニー・ヒューストン、スティーリー・ダン、ブロンディ、クインシー・ジョーンズ、マーカス・ミラー、リチャード・ティーらと共演。1978年にはブルース・ブラザーズのオリジナル・メンバーとして参加した。 グラミー受賞 2回・ノミネート 13回(2024年時点) |
1948年5月19日 | 1948年5月19日 | サックス | ジャズ | us |
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イングランド出身の世界的音楽プロデューサー。アンビエント・ミュージック(環境音楽)のパイオニア。ロキシー・ミュージックの奇抜なシンセサイザー奏者としてブライアン・フェリーを凌駕する人気を博した。イーノを敬愛するダニエル・ラノワと組みU2やコールドプレイの名アルバムをプロデュース。デヴィッド・ボウイの「ベルリン三部作」をはじめ、トーキング・ヘッズ、ポール・サイモンなどのアルバムに参加。弟はロジャー・イーノ。
グラミー受賞 7回・ノミネート 14回(2024年時点)
プロデュース作品
Memo
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1948年5月15日 | 1948年5月15日 | プロデュース | アンビエント | eg |
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イングランド・バーミンガム出身の世界的ロック・シンガー。トラフィック、ブラインド・フェイスなどロック史に残るバンドを経て60年近く活動。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」2008年33位。マディ・ウォーターズ、ジョン・リー・フッカー、Tボーン・ウォーカー、ハウリン・ウルフ、B.B.キング、サニー・ボーイ・ウィリアムスンII、エディ・ボイド、オーティス・スパン、チャック・ベリー、ボ・ディドリーらの英国ツアーでハモンドオルガンやギターを演奏した。
グラミー受賞 2回・ノミネート 11回(2024年時点)
グループ・他
ソロ・アルバム
ソロ・シングル
参加作品
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1948年5月12日 | 1948年5月12日 | 男性歌手 | ロック | us |
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アグスティン・ペレイラ・ルセナ
Agustin Pereyra Lucena |
1948年5月10日 | 2019年5月16日 | ギター | ボサノヴァ | us |
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タニア・マリア
Tania Maria |
1948年5月9日 | 1948年5月9日 | 女性歌手 | ジャズ | br |
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イングランドのドラマー。元祖ヘヴィメタル・バンド「ブラック・サバス」のオリジナル・メンバー。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のドラマー」34位。1980年『Heaven & Hell』のツアー中、健康上の理由からバンドを脱退。1983年『Born Again』のレコーディングで一時的に復帰したがツアーには不参加。以後、ヴィニー・アピス、ベヴ・ベヴァン、コージー・パウエルなどが後任となった。 グラミー受賞 1回・ノミネート 2回(2024年時点) |
1948年5月5日 | 1948年5月5日 | ドラム | メタル | eg |
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チェコスロバキア出身のキーボーディスト、作曲家、音楽プロデューサー。10代の頃からジャズ・ピアニストとして高い評価を獲得。1960年代末に渡米し、ジョン・マクラフリンのマハヴィシュヌ・オーケストラでキーボーディストとして参加。1980年代にはテレビ番組『特捜刑事マイアミ・バイス』や映画の音楽を制作した。
ジョン・マクラフリン、ジェフ・ベック、アル・ディ・メオラ、ミック・ジャガー、カルロス・サンタナ、スタンリー・クラーク、トミー・ボーリン、ニール・ショーン、スティーヴ・ルカサーらと共演。「Too Much to Lose」(1977) では、ジェフ・ベック (G)、デヴィッド・ギルモア (B)、リンゴ・スター (Dr) が参加した。 グラミー受賞 2回・ノミネート 2回(2024年時点) |
1948年4月17日 | 1948年4月17日 | キーボード | ジャズ | cs |
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ジャマイカのレゲエ・シンガー。ジャマイカがイギリスから独立した1962年にデビュー。1965年から活動拠点をロンドンに移し、1970年にキャット・スティーヴンス「Wild World」のカヴァーが全英8位を記録。ローリング・ストーンズ『Dirty Work』(1986) にゲスト参加し「Too Rude」でキース・リチャーズとデュエットした。1993年、映画『クール・ランニング』の主題歌「I Can See Clearly Now」全米18位・全英23位が大ヒットした。 グラミー受賞 2回・ノミネート 7回(2024年時点) |
1948年4月1日 | 1948年4月1日 | 男性歌手 | レゲエ | jm |
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アメリカの世界的ロックシンガー。世界売上1億5,000万枚以上を誇るロックバンド「エアロスミス」のフロントマン。日本では1970年代後半からクイーン、キッスとともに「3大バンド」として人気を博し、海外アーティスト初の4大ドームツアーを敢行した。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」99位。父ビクター・タラリーコ (1916–2011) はクラシックのピアニストで、スティーヴンはドビュッシーやベートーヴェン、エヴァリー・ブラザース、ビートルズなど聴いて育ち、レフト・バンクのレコーディングなどに参加しキャリアを積み重ねた。娘は女優のリヴ・タイラー。
グラミー受賞 4回・ノミネート 17回(2024年時点)
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1948年3月26日 | 1948年3月26日 | 男性歌手 | ロック | us |
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1948年3月22日 | 1948年3月22日 | 作曲家 | ミュージカル | eg |
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アメリカのシンガーソングライター。薬物依存症の克服、家族の死など本人の体験や人々の悲哀を描き出した楽曲を発表した。アコースティック・ギターの名手としても知られている。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」74位。
グラミー受賞 6回・ノミネート 19 回(2024年時点)
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1948年3月12日 | 1948年3月12日 | 男性歌手 | フォーク | us |
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イングランドのベーシスト。世界的ロックバンド「イエス」メンバーで、1968年の結成から2015年に他界するまで在籍した唯一のオリジナル・メンバー。ローリング・ストーン誌「史上最高のベーシスト50選」2020年18位、プログレッシブ・ロックのベーシスト1位。2012年、ジェネシスの元ギタリスト、スティーヴ・ハケットとのユニット「スクアケット」(Squackett)でアルバム『A Life Within A Day』をリリースした。 グラミー受賞 1回・ノミネート 7回 |
1948年3月4日 | 2015年6月27日 | 67 | ベース | ロック | eg |
マイク・モラン
Mike Moran イングランドの作曲家。ロンドンの王立音楽大学で学び、1975年、キーボード奏者としてイアン・ギラン・バンドに参加。その後は映画音楽などを手掛け、ジョージ・ハリスン、オジー・オズボーンらと仕事をした。1988年、フレディ・マーキュリーとオペラ歌手モンセラート・カバリェが共演した『Barcelona』を共同プロデュース。
妻はワーナーミュージックグループ の最初の女性エグゼクティブで音楽業界の重鎮リンダ・モラン。
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1948年3月4日 | 1948年3月4日 | 作曲家 | eg |
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1948年3月3日 | 1948年3月3日 | ギター | ロック | us |
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アメリカの世界的ギタリスト・作曲家。セッション・ミュージシャンとして頭角を現し、スティーリー・ダン、ジョニ・ミッチェル、クリストファー・クロスなど、世界的ミュージシャンのレコーディングに参加した。 グラミー受賞 4回・ノミネート 19回(2024年時点) |
1948年3月2日 | 1948年3月2日 | ギター | フュージョン | us |
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アイルランドの国民的ブルースロック・ギタリスト、歌手。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のギタリスト」2011年57位。世界売上3,000万枚以上。エルヴィス・プレスリー、マディ・ウォーターズ、レッドベリー、チャック・ベリー、ロニー・ドネガンなどに憧れギターを独学。ブライアン・メイ、ジ・エッジ、スラッシュ、ヴィヴィアン・キャンベル、ゲイリー・ムーア、ジョニー・マー、ジョー・ボナマッサなどに影響を与えた。生前、スタジオ・アルバム11枚、ライブ・アルバム3枚をリリースした。
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1948年3月2日 | 1995年6月14日 | 47 | ギター | ロック | ie |
ジョー・ラバーベラ
Joe LaBarbera |
1948年2月22日 | 1948年2月22日 | ドラム | ジャズ | us |
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クリスチャン・ヴァンデ
Christian Vander フランスのドラマー。フランスを代表するプログレッシブ・ロックバンド「マグマ」のリーダー。ジャズサックス奏者ジョン・コルトレーンの大ファンで、ジャズバンド Christian Vander Trio としても活動。
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1948年2月21日 | 1948年2月21日 | ドラム | プログレ | fr |
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イングランドのギタリスト。元祖ヘヴィメタル・バンド「ブラック・サバス」のオリジナル・メンバー。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のギタリスト」2011年25位。1970年のデビュー以来、ブラック・サバスのすべてのアルバムに参加。板金工時代に事故で指の先端部分を欠損したが、ジャンゴ・ラインハルトの演奏を聴かされ奮起した。 グラミー受賞 3回・ノミネート 7回(2024年時点) |
1948年2月19日 | 1948年2月19日 | ギター | メタル | eg |
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アメリカのロックシンガー・俳優。スクリーミン・ジェイ・ホーキンズ (1929–2000) から影響を受けたおどろおどろしいシアトリカルなステージングはショックロック (Shock Rock) と呼ばれ、1973年には画家サルバドール・ダリが出演した。
1969年、バンド「アリス・クーパー」でデビュー。1975年の解散後は、アリス・クーパーをステージネームとし本名に改名した。デズモンド・チャイルドをプロデューサーに迎えた18thアルバム『Trash』が全米20位・全英2位を獲得し、19thアルバム『Hey Stoopid』(1991) にはオジー・オズボーン、ニッキー・シックス、ジョー・サトリアーニ、スラッシュ、スティーヴ・ヴァイ、ヴィニー・ムーア、ミック・マーズらが参加した。2011年、ロックの殿堂入り。 グラミー賞ノミネート 3回(2024年時点) See Also – Shock Rock
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1948年2月4日 | 1948年2月4日 | 男性歌手 | メタル | us |
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ジョイス
Joyce Moreno
ブラジルの女性シンガーソングライター。1968年、1stアルバム『Joyce 』(Philips) リリース。「ボサノヴァ第二世代」と呼ばれ、 1979年にジョイスが作曲した「Essa Mulher」(或る女)をエリス・レジーナが歌い、作曲家としても注目を浴びた。2013年までコンスタントにアルバムをリリースした。 グラミー受賞 回・ノミネート 回(2024年時点) |
1948年1月31日 | 1948年1月31日 | 女性歌手 | ポップ | br |
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アメリカの音楽プロデューサー、作曲家、ギタリスト。
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1948年1月14日 | 1948年1月14日 | プロデュース | us |
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ジョン・エサリッジ
John Etheridge |
1948年1月12日 | 1948年1月12日 | ギター | ロック | eg |
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アメリカの世界的シンガーソングライター、キーボーディスト。ロックバンド「スティーリー・ダン」での活動が有名。12歳の頃からヴィレッジ・ヴァンガードに通いつめ、アール・ハインズ、チャールズ・ミンガス、ソニー・ロリンズ、セロニアス・モンク、マイルス・デイヴィス、ビル・エヴァンスらの演奏に陶酔した。
グラミー受賞 4回・ノミネート 15回(2024年時点)
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1948年1月10日 | 1948年1月10日 | 男性歌手 | AOR | us |
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アメリカのミュージシャン。ロギンス&メッシーナを結成し、1971年『Sittin' In』でデビュー。1977年にソロ活動を開始し、フリートウッド・マックのスティーヴィー・ニックスと共演した「Whenever I Call You Friend」(1972) 全米5位。さらに映画『フットルース』(1984) 同名主題歌が全米1位、映画『トップガン』(1986)「Danger Zone」(作曲:ジョルジオ・モロダー)全米2位を記録し世界中で大ヒットした。
グラミー受賞 2回・ノミネート 12回(2024年時点) |
1948年1月7日 | 1948年1月7日 | 男性歌手 | ポップ | us |
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アメリカのベーシスト。7歳でピアノを始め、13歳でプロとして活動を開始。伝説的なブルースメンのジョン・リー・フッカー、Tボーン・ウォーカー、リトル・ウォルターをはじめ、ジャクソン5、マーヴィン・ゲイ、アレサ・フランクリン、テンプテーションズ、ダイアナ・ロス、トニー・ウィリアムス、スモーキー・ロビンソン、スティーヴィー・ワンダー、マイケル・ジャクソン、ヨアヒム・キューン、ゲイリー・ムーア、アラン・ホールズワースらのレコーディングやツアーに参加した。
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1948年 | 1948年1月1日 | ベース | フュージョン | us |
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ロミー・ハーグ
Romy Haag オランダのダンサー、歌手、女優。1974年、26歳の時にベルリンでキャバレー「Chez Romy Haag」をオープン。ブライアン・フェリー、ティナ・ターナー、グレイス・ジョーンズ、イギー・ポップ、フレディ・マーキュリー、ルー・リード、ミック・ジャガーらが訪れた。1976年にデヴィッド・ボウイと恋愛関係になり、ボウイはベルリンへ移住した。
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1948年1月1日 | 1948年1月1日 | 女性歌手 | ダンス | nl |
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1947年12月31日 | 2023年5月8日 | 75 | 女性歌手 | ロック | br |
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イングランド出身のシンガーソングライター、音楽プロデューサー。世界的ロック・バンド「エレクトリック・ライト・オーケストラ」のリーダーとして著名。1988年、ロイ・オービソン、ボブ・ディラン、ジョージ・ハリスン、トム・ペティとトラヴェリング・ウィルベリーズを結成。プロデューサーとしてジョージ・ハリスン、リンゴ・スター、ポール・マッカートニー、トム・ペティ、ロイ・オービソン、デル・シャノンなどを手掛けた。 グラミー受賞 1回・ノミネート 5回(2024年時点) |
1947年12月30日 | 1947年12月30日ー・ウィリアムス | 男性歌手 | ポップ | us |
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イングランド出身の世界的ロック・ドラマー。ローリング・ストーン誌「偉大なドラマー」43位。
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1947年12月29日 | 1998年4月5日 | 50 | ドラム | ロック | eg |
イングランド出身のロック・シンガー。レインボーやアルカトラスのヴォーカリストとして有名で、精力的にソロ・アルバムをリリース。ロサンゼルス在住。
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1947年12月23日 | 1947年12月23日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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スペインの世界的ギタリスト。フラメンコやジャズで活躍。12歳で兄ペペ・デ・ルシアとのデュオで初レコーディングした。
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1947年12月21日 | 2014年2月25日 | 66 | ギター | フラメンコ | es |
クリス・ジャガー
Chris Jagger イングランドのギタリスト・歌手・俳優。ミック・ジャガーの弟。さまざまな分野で才能を発揮し、ジミ・ヘンドリックスの衣装をデザイン。1967年6月4日、ジミにプレゼントし、1stアルバム『Are You Experienced』(1967) US版、3rdアルバム『Electric Ladyland』(1968) US版裏面で着用した写真が確認できる。チベットを支援するチャリティーコンサートを企画し、1997年、アレクサンドラ・パレス公演ではダライ・ラマが出席し、デヴィッド・ギルモアやシネイド・オコナーらが出演した。ローリング・ストーンズ『 Dirty Work』(1988) と『Steel Wheels』(1989) に参加。2021年「Anyone Seen My Heart? feat. Mick Jagger」をリリースした。
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1947年12月19日 | 1947年12月19日 | ギター | フォーク | us |
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ロドニー・ビンゲンハイマー
Rodney Bingenheimer
アメリカの人気ラジオディスクジョッキー。 1976年から2017年まで放送されていたラジオ番組「Rodney On The ROQ」の司会者として有名。マーキュリー・レコードでインターンとしてキャリアをスタート。ソニー・ボノに似ていたことからシェールに可愛がられ、大人しく控えめな性格でエルヴィス・プレスリー、ブライアン・ウィルソン、ビートルズらに信頼された。
ラジオでは才能ある新しいアーティストをいち早くオンエアし、ブロンディ 、ラモーンズ、セックス・ピストルズ、ヴァン・ヘイレン 、ガンズ&ローゼズ、デュラン・デュラン、ザ・キュアー、ジョーン・ジェット、ニーナ・ハーゲン、コートニー・ラブのホール、シンボル・シックス、ノー・ダウト、ブラー、ニルヴァーナ、ソニック・ユース、バングルス、X、パンドラスなど、数多くのバンドがアメリカ市場で成功する手助けとなった。 1971年、アメリカの音楽業界に嫌気がさしロンドンに移住。グラムロックに出会い、デヴィッド・ボウイはビンゲンハイマーにLAにグラムロックの店を開店するよう提案。ナイトクラブ「Rodney Bingenheimer's English Disco」をオープンし、エルヴィス・プレスリー、デヴィッド・ボウイ、マーク・ボラン、レッド・ツェッペリン、アンディ・ウォーホル、スージー・クアトロ、 |
1947年12月15日 | 1947年12月15日 | DJ | ロック | us |
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アメリカのギタリスト、歌手、オルガン奏者。オールマン・ブラザーズ・バンドの メンバー。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」70位。テネシー州ナッシュビルで生まれ、フロリダへ移住。兄デュアン・オールマンとオーティス・レディングやB.B.キングなどの黒人音楽に夢中になり、セッション・ギタリストとしてアレサ・フランクリン、ウィルソン・ピケットなどのレコーディングに参加した。1969年、兄に誘われオールマン・ブラザーズ・バンドを結成し、1stアルバム『The Allman Brothers Band』リリース。1971年7月ライブアルバム『At Fillmore East』が全米13位を獲得し、人気バントとなったが1971年10月29日、デュアンオートバイで事故により24歳で他界。バンドは解散と再結成を繰り返し、2014年まで続いた。
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1947年12月8日 | 2017年5月27日 | 69 | 男性歌手 | ロック | us |
アメリカのギタリスト。ソロ活動の他、ヴァン・モリソン、ボズ・スキャッグス、ネヴィル・ブラザーズ、サミー・ヘイガーなど数多くのセッションに参加した。
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1947年11月29日 | 2012年3月3日 | 64 | ギター | ロック | us |
アメリカの世界的ロック・バンド「イーグルス」のギタリスト。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のギタリスト」2011年第54位。1969年、ジェイムス・ギャングのギタリスト兼ボーカリストとしてデビュー。1975年、イーグルスに加入した。デュアン・オールマンから影響を受け、クリス・レアはウォルシュに憧れミュージシャンになった。2008年、リンゴ・スターの妻バーバラ・バックの妹マジョリーと結婚した。 グラミー受賞 5回・ノミネート 15回(2024年時点) |
1947年11月20日 | 1947年11月20日 | ギター | ロック | us |
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イングランド出身の歌手、ベーシスト、ギタリスト、作詞家、作曲家。キング・クリムゾン、エマーソン・レイク&パーマーのメンバーとして著名。
グラミー賞ノミネート 1回 |
1947年11月10日 | 2016年12月7日 | 69 | 男性歌手 | ロック | eg |
アメリカのシンガーソングライター。スティーヴィー・ワンダーがプロデュースした全米No.1「Lovin' You」(1974) が有名。夫はミュージシャンのリチャード・ルドルフ、娘はコメディアン・女優のマーヤ・ルドルフ。リチャードは1990年にジャズシンガーの笠井紀美子と再婚した。
See Also |
1947年11月8日 | 1979年7月12日 | 31 | 女性歌手 | ソウル | us |
アメリカのソングライター、歌手、ピアニスト。バーブラ・ストライサンドやフィフス・ディメンションなど、数多くのアーティストが彼女の楽曲をレコーディングし成功を収めた。3オクターブのメゾソプラノの音域と力強く情感的なヴォーカルでも知られている。
Studio AlbumsSee Also
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1947年10月18日 | 1997年4月8日 | 49 | 作詞作曲 | us |
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ボブ・ウィアー
Bob Weir アメリカのギタリスト、ソングライター。グレイトフル・デッドの創設メンバー。1995年にグループが解散後または活動中に、ジ・アザー・ワンズ(後にザ・デッド)、キングフィッシュ、ボブ・ウィアー・バンド、ボビー・アンド・ザ・ミッドナイツ、スケアリング・ザ・チルドレン、ラットドッグ、ファーサー、デッド&カンパニーなどで演奏した。1994年、グレイトフル・デッドのメンバーとしてロックの殿堂入り。
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1947年10月16日 | 1947年10月16日 | ギター | フォーク | us |
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フランス・ギャル
France Gall フランスの歌手。1963年「Ne Sois Pas Si Bête」(恋のお返し)でデビュー。1964年「Sacré Charlemagne」(シャルマーニュ大王)が大ヒット。1965年「第10回ユーロビジョン・ソング・コンテスト」でセルジュ・ゲンスブール作「Poupée de Cire, Poupée de Son」(夢見るシャンソン人形)を歌い優勝した。父は作詞家のロベール・ギャル。
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1947年10月9日 | 2018年1月7日 | 70 | 女性歌手 | ポップ | fr |
ブライアン・ジョンソン
Brian Johnson |
1947年10月5日 | 1947年10月5日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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イングランドのロックシンガー・ギタリスト・ソングライター。T・レックスのヴォーカル兼ギタリストとして、1970年代に流行したグラムロックを牽引し、デヴィッド・ボウイらに影響を与えた。本名マーク・フェルド (Mark Feld)。ステージネームのボラン(Bolan) は、ボブ・ディラン (Bob Dylan) を短縮した造語。2020年ロックの殿堂入り。1965年ソロデビュー。1967年、スティーヴ・トゥック (1949–1980)とアコースティック・デュオ「ティラノザウルス・レックス」を結成し、1970年にバンド名をT・レックスと短縮短縮。1977年9月16日、自動車事故により29歳で世を去った。友人のデヴィッド・ボウイがボランの私生児養育費を賄った。
代表曲
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1947年9月30日 | 1977年9月16日 | 29 | 男性歌手 | ロック | eg |
アメリカの世界的ロック・シンガー、俳優。約60年のキャリアで世界売上1億枚以上を記録。映画『ファイト・クラブ』(1999) をはじめ65作以上に出演した。ミュージカル俳優として活躍し、1971年にモータウンのサブ・レーベル「レア・アース」より1stアルバム『Stoney & Meatloaf』でデビュー。1977年、トッド・ラングレンのプロデュースで2ndアルバム『Bat Out Of Hell』をリリース。全米14位・全英9位を獲得し、長年にわたってチャートイン。世界で4,300万枚以上を売り上げ、史上最も売れたアルバムのひとつとなった。 グラミー受賞 1回・ノミネート 1回 |
1947年9月27日 | 2022年1月20日 | 74 | 男性歌手 | ロック | us |
アメリカのシンガーソングライター、ギタリスト。1973年、世界的ロック・バンド「イーグルス」に加入し、名曲「Hotel California」を作曲したが、2000年に突然解雇された。以後はソロ活動に専念。 グラミー受賞 4回・ノミネート 12回(2024年時点) |
1947年9月21日 | 1947年9月21日 | ギター | ロック | us |
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シルヴェスター
Sylvester |
1947年9月6日 | 1988年12月16日 | 41 | 歌手 | ディスコ | us |
アメリカのドラマー、ギタリスト、歌手、作曲家、音楽プロデューサー。芸名「バディ」はバディ・リッチに由来。
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1947年9月5日 | 2008年2月26日 | 60 | ドラム | ロック | us |
エリック・ベル
Eric Bell 北アイルランドのロック・ギタリスト。ヴァン・モリソン率いるゼムを経て、1969年、フィル・ライノットとシン・リジィを結成。バンド活動で徐々に精神を蝕まれ、1973年、大晦日のコンサート中にギターを放り投げ、アンプを観客席に投げ込みステージを去った。ゲイリー・ムーアが後任として抜擢された。ノエル・レディング (Jimi Hendrix Experience) の Noel Redding Band に参加した。
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1947年9月3日 | 1947年9月3日 | ギター | ロック | nie |
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リンダ・トンプソン
Linda Thompson |
1947年8月23日 | 1947年8月23日 | 女性歌手 | ロック | eg |
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アメリカの著名なセッション・ベーシスト。1998年、映画『ブルース・ブラザース2000』にオールスター・バンド「ルイジアナ・ゲイター・ボーイズ」で出演。これまでにB.B.キング、ダニー・ハサウェイ、アレサ・フランクリン、バディ・ガイ、ボビー・ウーマック、スティーヴィー・ワンダー、ジョージ・ハリスン、エリック・クラプトン、ローリング・ストーンズ、デヴィッド・ボウイ、ビリー・ジョエル、マイケル・マクドナルド、ジョン・メイヤーらのレコーディング、ツアーに参加。2017年から長野県軽井沢町に在住。
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1947年8月5日 | 1947年8月5日 | ベース | us |
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アメリカのハードロックのギタリスト。ベンチャーズを聴いてギターを開始。マッコイズを結成しカバー曲「Hang On Sloopy」(1965) 全米1位。ジョニー・ウィンター&エドガー・ウィンター兄弟と活動し、1973年エドガー・ウィンターFrankenstein」全米1位をプロデュースした。同年、デビュー・アルバム『All American Boy』収録「Rock and Roll, Hoochie Koo」全米23位。1985年「Real American」が ハルク・ホーガンのテーマ曲となった。シンディ・ローパーのパリ公演ではリードギタリストを務め、1982年にロックドラマーのカーマイン・アピスのメンバーとして初来日した。
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1947年8月5日 | 1947年8月5日 | ギター | ロック | us |
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クラウス・シュルツェ
Klaus Schulze ドイツの作曲家。シンセサイザーやシーケンサーを使用したミニマルかつ大作的な楽曲で知られる。初期のタンジェリン・ドリームやアシュ・ラ・テンペルに参加。『En=Trance』(1988) はトランスの起源にもなった。リヒャルト・ヴァーンフリート (Richard Wahnfried) という別名義も使用。1976年、ツトム・ヤマシタを中心に結成された「Go」 に参加した。
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1947年8月4日 | 2022年4月26日 | 74 | 作曲家 | 電子音楽 | de |
アメリカの世界的ドラマー、歌手。1971年、リンダ・ロンシュタットのバックバンドとして集まったグレン・フライ、ランディ・マイズナー、バーニー・レドンと世界的ロック・バンド「イーグルス」を結成。バンド解散後はソロとなり、「The Boys of Summer」(1984) が全米5位を記録しグラミー賞「ベスト・ロック・ボーカル」を受賞した。フリートウッド・マックのスティーヴィー・ニックス、ウェイン・ショーター、アクセル・ローズらと共演し大成功を収めた。 グラミー受賞 8回・ノミネート 37回(2024年時点) |
1947年7月22日 | 1947年7月22日 | ドラム | ロック | us |
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メキシコ生まれのアメリカの世界的ギタリスト。ロックバンド「サンタナ」のリーダー。ローリングストーン誌「偉大なギタリスト」2023年11位。 グラミー受賞 10回・ノミネート 14回(2024年時点)。
幼少期からさまざまな音楽に触れ、B.B.キング、ガボール・ザボ、ジミ・ヘンドリックス、マイク・ブルームフィールド、ハンク・マーヴィン、ピーター・グリーンから影響を受けたという。敬愛するマイルス・デイヴィスと活動していたミュージシャンとの共演が多く、ジョン・コルトレーンに魅了されスピリチュアルへの関心も高まっていった。ラテンロック・バンド「マロ」を率いたホルヘ・サンタナ (G/Jorge Santana, 1951–2020) は弟。
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1947年7月20日 | 1947年7月20日 | ギター | ロック | mx |
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1947年7月19日 | 1947年7月19日 | ギター | ロック | us |
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イングランドの世界的ギタリスト、天体物理学博士。ロックバンド「クイーン」のメンバー。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のギタリスト」2011年26位。
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1947年7月19日 | 1947年7月19日 | ギター | ロック | eg |
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アーロ・ガスリー
Arlo Guthrie アメリカのフォーク・シンガーソングライター。父ウディ・ガスリー同様、社会不正義に対する抗議やベトナム戦争などの社会風刺を歌った。2020年に脳卒中を起こしコンサート活動を停止した。
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1947年7月10日 | 1947年7月10日 | 男性歌手 | フォーク | us |
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ブルース・イグロア
Bruce Iglauer アメリカの実業家、音楽プロデューサー。ブルース音楽を専門とする独立系レコードレーベル「アリゲーター・レコード」を設立し、ビッグ・ウォルター・ホートン、サン・シールズ、フェントン・ロビンソン、ココ・テイラー、アルバート・コリンズ、ロニー・ブルックスなどをプロデュースした。
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1947年7月10日 | 1947年7月10日 | 実業家 | ブルース | us |
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リビー・タイタス
Libby Titus アメリカのシンガーソングライター。1968年、カバーアルバム『Libby Titus』をリリース。1977年、同名の2ndアルバム『Libby Titus』にフィル・ラモーン、ロビー・ロバートソン、ポール・サイモン、カーリー・サイモンがプロデューサーで参加。1970年代後半はバート・バカラックやドクター・ジョンと共作した。 「Love Has No Pride」はボニー・レイット、リンダ・ロンシュタット、リタ・クーリッジらによって歌われた。1966年、大富豪ヘレナ・ルビンスタインの孫と結婚。離婚後、ザ・バンドのレヴォン・ヘルムと交際し、1993年にドナルド・フェイゲンと再婚した。
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1947年7月6日 | 1947年7月6日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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ヤスパー・ファントフ
Jasper van 't Hof オランダのジャズ・ピアニスト。1969年、ジャズ・ロック・バンド「アソシエーション P.C.」に参加。1974年にはチャーリー・マリアーノらとポーク・パイを結成した。キース・ジャレット、アーチー・シェップらと共演。
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1947年6月30日 | 1947年6月30日 | ピアニスト | ジャズ | nl |
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イングランドのドラマー。世界的ロックバンド「フリートウッド・マック」のメンバーとして著名。197cm。
The Cheynes、The Bo Street Runners、Peter B's Looners、Shotgun Express(ロッド・スチュワート、ピーター・グリーン参加)、John Mayall&the Bluesbreakers などのバンドを経て、1967年、ピーター・グリーンらと「ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック」結成。1968年、1stアルバム『Peter Green's Fleetwood Mac』リリース。1977年、13thアルバム『Rumours』(邦題『噂』)31週間全米1位・全英1位、年間チャート1位、1,700万枚(2023年2月現在4,000万枚以上)、グラミー賞「最優秀アルバム」受賞、シングル「Dreams」全米1位という史上空前のセールスを記録し、一躍スーパースターの座に上り詰めた。インタビューによるとドラッグに溺れ何度も破産したという。
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1947年6月24日 | 1947年6月24日 | ドラム | ロック | us |
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ジュリー・ティペッツ
Julie Tippetts イングランドの歌手・女優。結婚前はジュリー・ドリスコール (Julie Driscoll) として活動。フォーク、ジャズ、サイケデリック、ポエトリーなどが融合した前衛音楽よりのサウンドが特徴。1965年、ロッド・スチュワート在籍時のロング・ジョン・ボルドリーのバンド「スチームパケット」に加入(名前は結婚前のジュリー・ドリスコル)。1971年、アルバム『1969』でソロデビュー。ジャズミュージシャンのキース・ティペットと結婚し、ロバート・フリップのプロデュースで『Septober Energy』(1971) など、夫婦共同で多数のアルバムをリリースした。ロバート・ワイアットのライブやカーラ・ブレイの2ndアルバム『Tropic Appetites』(1974) にヴォーカリストで参加。
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1947年6月8日 | 1947年6月8日 | 女性歌手 | 前衛 | eg |
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ホアン・ラ・バルバラ
Joan La Barbara アメリカの女性歌手、作曲家。現代音楽のヴォーカルの名手とみなされ、ささやき声、叫び声、ため息、吸気音、多重音などヴォーカルサウンドを発展させた。シラキュース大学でソプラノ歌手ヘレン・ボートライト、ジュリアード音楽院でコントラルト歌手マリオン・フレッシュルに師事。ジョン・ケージ、ロバート・アシュリー、モートン・フェルドマン、フィリップ・グラス、ラリー・オースティン、ピーター・ゴードン、アルヴィン・ルシエ、夫のモートン・サボトニック、振付師マース・カニンガム、詩人ケネス・ゴールドスミスらとコラボレーションしてきた。2004年にグッゲンハイム・フェローシップ、2016年に現代芸術財団のジョン・ケージ賞を受賞。
See Also |
1947年6月8日 | 1947年6月8日 | 女性歌手 | 実験音楽 | us |
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アメリカの前衛芸術家、音楽家、ヴァイオリニスト、発明家、映画監督。コロンビア大学で彫刻を学び、1970年代にニューヨークで言語、テクノロジー、ビジュアル・イメージを駆使した様々なパフォーマンス・アートを行うようになった。1981年「O Superman」が全英2位をはじめ、多くの国でヒット。6曲が全米「TOP 200」入り。ルー・リードのパートナー、ブライアン・イーノやピーター・ガブリエルとのコラボレーションでも知られている。
グラミー受賞 1回・ノミネート 6回(2024年時点)
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1947年6月5日 | 1947年6月5日 | 女性歌手 | 前衛音楽 | us |
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イングランドのロック・ギタリスト。フェイセズ、ローリング・ストーンズのメンバーとして有名。ロニー・ウッド (Ronnie Wood) 名義でも活動。
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1947年6月1日 | 1947年6月1日 | ギター | ロック | eg |
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アメリカのベーシスト、歌手、作曲家。ローリング・ストーン誌「史上最高のベーシスト50選」47位。セッション・ミュージシャンとしてジェームス・テイラー、ジャクソン・ブラウン、リタ・クーリッジ、吉田拓郎、松任谷由実、五輪真弓、中島みゆきなどのアルバム多数に参加。2007年からマイク・ポーカロの代理としてTOTOのツアーメンバーとして同行した。
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1947年5月28日 | 1947年5月28日 | ベース | ロック | us |
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デイヴィッド・ヘルフゴット
David Helfgott |
1947年5月19日 | 1947年5月19日 | ピアノ | クラシック | au |
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ピーター・ゴールウェイ
Peter Gallway |
1947年5月19日 | 1947年5月19日 | 男性歌手 | ロック | us |
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ピート・ハム
Pete Ham ウェールズ出身の歌手、ソングライター、ギタリスト、キーボーディスト。悲運のロック・グループ「バッドフィンガー」のリーダー。1970年にピーター・ハムとトム・エヴァンズ が書いた「Without You」が世界的に有名。1971年にハリー・ニルソンがカバーし全米1位・全英1位を獲得、グラミー賞「最優秀男性ポップヴォーカル・パフォーマンス賞」受賞。1993年にはマライア・キャリーがカバーし、全米3位・全英1位を獲得した。1975年、ピート・ハムは27歳で自殺。1983年、トム・エヴァンズもピートの後を追った。マネージャーのスタン・ポリーを起因としたバンドの破綻とこの曲の印税をめぐるトラブルが一因といわれている。
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1947年4月27日 | 1975年4月24日 | 27 | 男性歌手 | ロック | wales |
アメリカのロックシンガー、ソングライター、音楽プロデューサー、俳優。過激なステージパフォーマンスで知られたミシガン州デトロイトのバンド、ストゥージズのフロントマンとして有名。商業的には成功しなかったが、MC5と並んでガレージ・ロック(オリジナル・パンク)代表格としてカルト的人気を博した。
グラミー賞ノミネート 2回(2024年時点)
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1947年4月21日 | 1947年4月21日 | 男性歌手 | ロック | us |
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1947年4月13日 | 1947年4月13日 | プロデュース | ロック | au |
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フローリアン・シュナイダー
Florian Schneider-Esleben |
1947年4月7日 | 2020年4月21日 | 73 | 作曲家 | 電子音楽 | de |
1947年4月2日 | 1947年4月2日 | 女性歌手 | カントリー | us |
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リンダ・シャーロック
Linda Sharrock アメリカの前衛的なジャズ歌手。大学在学中にアートを学び、アヴァンギャルド・ミュージックに興味を持つようになった。1960–1970年代にファラオ・サンダースやハービー・マンと共演。1966年にソニー・シャーロックと結婚。2009年に脳卒中を患い音楽シーンから撤退したが2012年に復帰した。
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1947年4月2日 | 1947年4月2日 | 女性歌手 | ジャズ | us |
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1947年3月25日 | 1947年3月25日 | 男性歌手 | ポップ | eg |
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ジーン・カーン
Jean Carn |
1947年3月15日 | 1947年3月15日 | 女性歌手 | ソウル | us |
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日本の打楽器奏者、作曲家、キーボーディスト。1970年に渡欧し前衛音楽家として活動開始。1976年、スティーヴ・ウィンウッド (Vo, Key)、アル・ディ・メオラ (G)、クラウス・シュルツェ (Syn)、マイケル・シュリーヴ (Dr) らとスーパーグループ Goを結成した。小沢征爾、ポール・マッカートニー、ミック・ジャガー、デヴィッド・ボウイなど交友は多岐にわたる。
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1947年3月15日 | 1947年3月15日 | 作曲 | 前衛音楽 | jp |
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アメリカの世界的名ギタリスト、歌手、作曲家。スライド・ギターの名手で世界各国のルーツミュージックに対する造詣も深く、リスナーのみならずミュージシャンからも絶大な人気を誇っている。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のギタリスト」2011年31位。 1965年、タジ・マハールとライジング・サンズ結成。テリー・メルチャーの尽力によりコロムビアレコードと契約。メルチャーのプロデュースで『Rising Sons Featuring Taj Mahal and Ry Cooder』を録音したが、1992年までリリースされなかった。1966年に解散しソロ活動を開始した。ローリング・ストーンズ『Let It Bleed』(1969) に参加。『パリ、テキサス』(1985) 、スティーヴ・ヴァイが出演した『クロスロード』(1985)、『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(1997) などの映画音楽も多数手掛けた。 グラミー受賞 7回・ノミネート 15回(2024年時点) |
1947年3月15日 | 1947年3月15日 | ギター | ルーツ | us |
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アメリカの歌手。ジョー・コッカーとデュエットした「Up Where We Belong」全米1位で知られている。 グラミー受賞 2回・ノミネート 2回(2024年時点)
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1947年3月3日 | 1947年3月3日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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ルパート・ホルムズ
Rupert Holmes イングランドのシンガーソングライター。AOR(Adult Oriented Rock)のミュージシャンとして、ボズ・スキャッグス、ボビー・コールドウェル、スティーリー・ダン、クリストファー・クロスらと共に著名。1974年、アルバム『Partners in Crime』でデビューし「Escape」(1979) 「Him」(1980) がヒット。 1986年にはミュージカル『Drood』でトニー賞3部門「ミュージカル作品賞」「ミュージカル脚本賞」「オリジナル楽曲賞」を受賞した。
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1947年2月24日 | 1947年2月24日 | 男性歌手 | ロック | us |
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アメリカの著名ジャズ・フュージョンのドラマー、音楽プロデューサー、作曲家。
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1947年2月22日 | 1947年2月22日 | ドラム | ポップ | us |
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1947年2月14日 | 1975年6月29日 | 28 | 男性歌手 | フォーク | us |
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イングランドのロック・ギタリスト、シンガーソングライター。1965年から1969年までスモール・フェイセス、1969年から1975年までハンブル・パイに在籍し、その後はソロで精力的に活動した。独自の歌唱方法は、彼の大ファンだったロバート・プラントなど後のブリティッシュロック・シーンに影響を与えた。キース・リチャーズはミック・テイラーの後任にしたかったという。1991年4月20日、就寝中の寝タバコが原因で44歳で焼死した。
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1947年1月30日 | 1991年4月20日 | 44 | ギター | ロック | eg |
アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身のシンガーソングライター、ギタリスト、キーボード奏者。ローリング・ストーン誌のポール・ネルソンは、1970年代に登場した最重要新人アーティストとしてジャクソン・ブラウン、ニール・ヤング、ブルース・スプリングスティーン、ジヴォンを挙げた。
グラミー受賞 2回・ノミネート 5回
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1947年1月24日 | 2003年9月7日 | 56 | 男性歌手 | ロック | us |
イングランドの世界的音楽プロデューサー。ビートルズ『ホワイト・アルバム』(1968) にジョージ・マーティンのアシスタント・プロデューサーとして携わった後、エルトン・ジョン、プロコル・ハルム、ピンク・フロイド、ロキシー・ミュージック、セックス・ピストルズ、ポール・マッカートニー、プリテンダーズ、ピート・タウンゼント、U2などの作品のプロデュースを行った。1974年、サディスティック・ミカ・バンド 2ndアルバム『黒船』をプロデュースした際、ミカと不倫になり加藤和彦と離婚。バンドは解散した。
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1947年1月13日 | 1947年1月13日 | プロデューサー | ロック | us |
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イングランド出身の世界的ロックシンガー・ソングライター・俳優。世界売上1億枚以上。グラムロックの先駆者として台頭し、カメレオンのようにサウンドとイメージを変容させ時代を駆け抜けた。ジョン・コルトレーンを敬愛し、13歳の頃にロニー・ロス (1933–1991) にサックスを習った。ピンク・フロイドのシド・バレット (1946–2006) とT・レックスのマーク・ボラン (1947–1977) に影響を受け、ボランが他界した際は彼の私生児の養育費を賄った。イギー・ポップが財政難に陥った際は、共作した「China Girl」(1977) をカバーし印税でイギーを支援。NME誌の「史上最も影響力のあるアーティスト」に選出された。
グラミー受賞 5回・ノミネート 19回(2024年時点)
Studio Albums
共演
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1947年1月8日 | 2016年1月10日 | 69 | 男性歌手 | ロック | eg |
アメリカの女性シンガーソングライター・詩人。ニューヨーク・パンクシーンで台頭し「パンクの女王」と称された。ローリング・ストーン誌「偉大な100組のアーティスト」第47位。2007年ロックの殿堂入り。喜びを感じるフレーズはジミ・ヘンドリックス「1983... (A Merman I Should Turn To Be)」だという。
グラミー賞 ノミネート 4回(2024年時点)
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1946年12月30日 | 1946年12月30日 | 女性歌手 | us |
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アメリカのキーボード・サックス奏者、シンガー。兄はギタリストのジョニー・ウィンター。1969年、兄ジョニーのアルバム『Johnny Winter』『Second Winter』に参加。1970年『Entrance』でソロデビュー。1973年「Frankenstein」がインストゥルメンタルとして異例の全米1位。
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1946年12月28日 | 1946年12月28日 | キーボード | ロック | us |
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ロビー・デュプリー
Robbie Dupree アメリカのシンガーソングライター。ソフトロックなサウンドで「Steal Away」(1979) 全米6位、「Hot Rod Hearts」(1979) 全米15位がヒット。1981年、グラミー賞「最優秀新人」ノミネートされたがクリストファー・クロス(5部門独占)に敗れた。最後のランクインは「Brooklyn Girls」54位。
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1946年12月23日 | 1946年12月23日 | 男性歌手 | ポップ | us |
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カーマイン・アピス ★
Carmine Appice
アメリカのロック・ドラマー。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のドラマー」2016年28位。ジョン・ボーナム、コージー・パウエル、ロジャー・テイラー、フィル・コリンズなどの世界的ドラマーに影響を与えた。ジーン・クルーパ (1909–1973)、バディ・リッチ (1917–1987) に憧れジヤズ・ドラムを開始。ジェームス・ブラウン、アレサ・フランクリン、ウィルソン・ピケット、トミー・ボーリン、スタンリー・クラーク、ピンク・フロイドなどのツアー、レコーディングに参加した。
参加バンド
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1946年12月15日 | 1946年12月15日 | ドラム | ロック | us |
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イングランド出身のフランスの女優、歌手。セルジュ・ゲンズブールとの関係で世界的に有名。エルメスの高級バッグ「バーキン」の由来となった。日本では1999年に「無造作紳士」(L'aquoiboniste)がドラマで使用され、ベスト・アルバム『Best』が30万枚を売り上げた。
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1946年12月14日 | 2023年7月16日 | 76 | 女性歌手 | ポップ | eg |
1946年12月5日 | 2018年10月2日 | 72 | プロデュース | ロック | eg |
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スペインの歌手。ヴェルディやプッチーニなどのオペラの名唱をはじめ、ルチアーノ・パヴァロッティ、プラシド・ドミンゴとともに「三大テノール」として広く知られている。
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1946年12月5日 | 1946年12月5日 | 男性歌手 | オペラ | es |
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1946年11月22日 | 2024年2月3日 | 77 | ベース | レゲエ | jm |
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アメリカの世界的ギタリスト。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のギタリスト」2003年2位、2011年9位。セッション・ミュージシャンを経て、弟グレッグ・オールマンらと結成したオールマン・ブラザーズ・バンドのリーダー。B.B.キングに魅了されギターを開始。1965年、グレッグらとオールマン・ジョイズ (The Allman Joys / The Spotlights) を結成。1971年10月29日、バイクの交通事故により24歳で他界。バンドは2014年に解散した。
The Allman Brothers Band 参加アルバム
ソロ・アルバム/他
参加作品
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1946年11月20日 | 1971年10月29日 | 24 | ギター | ロック | us |
ロイ・ウッド
Roy Wood イングランドのシンガーソングライター、ギタリスト、マルチ楽器奏者。1970年、世界的ロック・バンド「エレクトリック・ライト・オーケストラ」をオリジナル・メンバー結成したが、1972年2ndアルバム『ELO2』をレコーディング中に脱退しウィザードを結成。卓越した作曲能力で、ザ・ムーブ 、エレクトリック・ライト・オーケストラ、ウィザード、ソロ名義で産み出したシングルヒット曲を合わせると、全英「TOP 10」に16曲がチャートインした。英国ロック創成期の主要ギタリストのひとりで、ピート・タウンゼントにも通じるパワフルで変幻自在のギタープレイは後進に影響を与えた。「目にした楽器はすべてマスターする」という信条を実践し、マルチ楽器奏者となった。
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1946年11月8日 | 1946年11月8日 | ギタリスト | ロック | eg |
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グラム・パーソンズ
Gram Parsons アメリカのシンガーソングライター。バーズ 6thアルバム『Sweetheart Of The Rodeo』(邦題『ロデオの恋人』)に参加し、カントリーロックを生み出した。ローリング・ストーン誌「史上最も偉大な100組」87位。1966年、ハーバード大学に入学し神学を専攻したが、カントリーミュージックに傾倒し殆ど講義に出席しないまま退学した。麻薬の過剰摂取により26歳で他界。
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1946年11月5日 | 1973年9月19日 | 26 | 男性歌手 | ロック | us |
イングランドの名ギタリスト、歌手。ブルースロックの分野で活動し、フリートウッド・マックの創設メンバーとしても知られる。ローリング・ストーン誌『史上最高のギタリスト250選』2024年62位。カルロス・サンタナ、ゲイリー・ムーア、エアロスミスのジョー・ペリー、ウィッシュボーン・アッシュのアンディ・パウエル、マーク・ノップラー、ノエル・ギャラガー、レディオヘッドのコリン・グリーンウッドなど、多くのミュージシャンやバンドに影響を与えた。
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1946年10月29日 | 2020年7月25日 | 73 | ギター | ロック | eg |
アメリカの作曲家、編曲家、ピアニスト。妹のカレン・カーペンターと共にカーペンターズを結成。リチャードのキャッチーで美しいメロディーとカレンのエモーショナルで気品高い歌声は世界中を席巻した。世界売上1億枚以上。摂食障害に陥ったカレンが1983年2月4日、32歳で他界したことでカーペンターズは活動を終えた。
グラミー受賞 3回・ノミネート 7回
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1946年10月15日 | 1946年10月15日 | 作曲家 | ポップ | us |
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オラ・ハドソン
Ola Hudson |
1946年10月12日 | 2009年6月5日 | 62 | デザイナー | us |
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ミリー・スモール
Millie Small 1964年、バービー・ゲイのカバー「My Girl Lollypop」世界で600万枚の大ヒット。ジャマイカのアイランド・レコーズの名を世界に轟かせた。
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1946年10月6日 | 2020年5月5日 | 72 | 女性歌手 | ポップ | jm |
アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身の著名なバック・ヴォーカリスト。1965年、アイク&ティナ・ターナーのコーラス・グループ「アイケッツ」でキャリアをスタート。ロンドンに移住しローリング・ストーンズのツアーに参加したことから、アンドリュー・ルーグ・オールダムのイミディエイト・レコードとソロ契約。無名時代のキース・エマーソン、スティーヴ・ハウらがバック・バンドを務めた。1967年、キャット・スティーヴンス作詞作曲「The First Cut Is The Deepest」が全英18位を記録。エリック・バードン、フレディ・キング、エリック・クラプトン、ピーター・ガブリエル、ニーナ・ハーゲン、オーシャン・カラー・シーンらのバック・ヴォーカルを務めた。
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1946年10月3日 | 1946年10月3日 | 女性歌手 | ソウル | us |
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デイヴ・ホランド
Dave Holland イングランドのジャズ・ベーシスト。マイルス・デイヴィス『In A Silent Way』(1968)『Bitches Brew』(1970) に参加。1970年、アンソニー・ブラクストン、チック・コリア、バリー・アルトシェルとサークル結成。1975年にジョン・アバークロンビーとジャック・ディジョネットとゲイトウェイ結成。
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1946年10月1日 | 1946年10月1日 | ベース | ジャズ | eg |
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1946年9月5日 | 1991年11月24日 | 45 | 男性歌手 | ロック | us |
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デイヴ・リーブマン
Dave Liebman |
1946年9月4日 | 1946年9月4日 | サックス | ジャズ | us |
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アメリカの世界的オルガン奏者、作曲家、音楽プロデューサー。神童と呼ばれ音楽は独学。10歳までにマヘリア・ジャクソン、16歳の頃にはサム・クック、レイ・チャールズ、リトル・リチャード、キング・カーティス、さらにビートルズ、ローリング・ストーンズ、エリック・クラプトン、スティーヴ・ウィンウッド、エルトン・ジョン、ルーサー・ヴァンドロス、ホイットニー・ヒューストン、パティ・ラベル、ジョニー・キャッシュ、レッド・ホット・チリ・ペッパーズなど膨大なレコーディングやツアーに参加した。1980年代に勢いを失い、コカインとアルコールに依存するようになり、飲酒運転、少年に対する性的暴行、放火、保険金詐欺など問題が表面化した。
グラミー受賞 2回・ノミネート 9回
Albums
Singles
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1946年9月2日 | 2006年6月6日 | 59 | キーボード | R&B | us |
アメリカのソングライター夫婦デュオ「アシュフォード&シンプソン」で知られる。ローリング・ストーン誌「史上最高のデュオ20組」19位。2002年ソングライターの殿堂入り、2019年にグラミー賞評議員賞を受賞した。
代表作
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1946年8月26日 | 1946年8月26日 | R&B | us |
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1946年8月23日 | 1978年9月7日 | 32 | ドラム | ロック | eg |
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ラルフ・ヒュッター
Ralf Hütter |
1946年8月20日 | 1946年8月20日 | 男性歌手 | 電子音楽 | de |
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アメリカのファンク・ベーシスト。ローリング・ストーン誌「史上最高のベーシスト」7位。スラップ奏法(チョッパー)を生み出したことで知られている。1967年、スライ&ザ・ファミリー・ストーン結成に参加し、グレッグ・エリコ(ドラムス)とのコンビネーションでファンク・サウンドを完成させた。
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1946年8月14日 | 1946年8月14日 | ベーシスト | ポップ | us |
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イングランドの超絶技巧ギタリスト。主にジャズ・ロック、ジャズ・フュージョン界で活躍。卓越した技巧を持ち、個性的な演奏を聴かせた。エディ・ヴァン・ヘイレン、スティーヴ・ヴァイら世界中のスーパー・ギタリストから尊敬を集めている。
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1946年8月6日 | 2017年4月15日 | 70 | ギター | フュージョン | eg |
マックス・ミドルトン
Max Middleton イングランドのキーボード奏者、作曲家。ジェフ・ベック『Blow by Blow』(1975) での演奏がよく知られている。
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1946年8月4日 | 1946年8月4日 | キーボード | ロック | eg |
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ウェールズ出身のギタリスト。1966年、エイメン・コーナーのヴォーカリストとしてデビュー。1969年「(If Paradise Is) Half as Nice」全英1位をはじめヒット多数。サポート・ギタリストとしても有名。
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1946年8月2日 | <1946年8月2日 | ギター | ロック | wales |
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アメリカの世界的歌手。1969年にソロデビューし「Long Long Time」(1970 全米20位) がグラミー賞にノミネートされ、1980年代まで不動の地位を確立。3rdアルバム『Linda Ronstadt』(1972) ではジャクソン・ブラウンの尽力で敏腕セッション・ミュージシャンが集められ、彼らはその後イーグルスを結成した。1990年代半ばから体調が悪化し2010年頃に引退。2014年ロックの殿堂入り。
グラミー受賞 11回・ノミネート 27回(2024年時点)
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1946年7月15日 | 1946年7月15日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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ジョアン・ボスコ
João Bosco ブラジルの歌手、ギタリスト、作曲家。アラブ系移民の家庭に生まれた。1972年に自作曲「バラ・コン・バラ」をはじめ、「メストリ・サラ・ドス・マーリス」「酔っ払いと綱渡り芸人」などがエリス・レジーナにレコーディングされ成功を収め、間もなく卓越したヴォーカリストとして賞賛されるようになった。アラブ文化、アメリカの黒人音楽、ボサノヴァを融合し有名となった。
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1946年7月13日 | 1946年7月13日 | 男性歌手 | MPB | br |
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イングランドのドラマー。ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのドラマーとして有名。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のドラマー」8位。スタジオ・ミュージシャンとしてキース・ムーン加入前のザ・フーのセッションなどに参加した。
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1946年7月9日 | 2008年11月12日 | 62 | ドラム | ロック | eg |
イアン・マシューズ
Iain Matthews イングランドのシンガーソングライター。1967年、フォークロック・バンド「フェアポート・コンヴェンション」のオリジナル・メンバーとして参加。1969年に脱退し、マシューズ・サザン・コンフォートを結成。1970年にジョニ・ミッチェルの曲「Woodstock」のカヴァーで全英1位を獲得した。
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1946年6月16日 | 1946年6月16日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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メンター・ウィリアムス
Mentor Williams アメリカの作詞家、音楽プロデューサー。レコード・プラントでポール・マッカートニーやケニー・ジョーンズ、アップル・スタジオでスティーラーズ・ホイールやジェリー・ラファティと仕事をした。兄はソングライター、俳優のポール・ウィリアムズ。
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1946年6月11日 | 2016年11月16日 | 70 | 作詞家 | us |
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アメリカのスーパー・ベーシスト。1981年、ロバート・フリップに誘われ、キング・クリムゾン(ビル・ブルーフォード (Dr)、エイドリアン・ブリュー (G/Vo))を復活に参加した(1984年解散)。アラン・ホールズワース、テリー・ボジオ、パット・マステロットと「HoBoLeMa」を結成し、2008年から2010年にかけてツアーを行った。セッション・ミュージシャンとして、膨大なレコーディングやツアーに参加。ジョン・マクラフリンからマハビシュヌ・オーケストラへの参加要請の電話を義母が取り、名前を聞き取れずそのままにしてしまった。
参加作品
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1946年6月6日 | 1946年6月6日 | ベース | プログレ | us |
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ニールス=ヘニング・エルステッド・ペデルセン
Niels-Henning Ørsted Pedersen デンマークのジャズ・ベーシスト。1962年、コペンハーゲンのジャズクラブ Jazzhus Montmartre のレギュラーベーシストに就任。ヨーロッパ公演を行ったアルバート・アイラー、ローランド・カーク、デクスター・ゴードンらと共演。1973年から1986年まではオスカー・ピーターソン・トリオに参加。ダウン・ビート誌「年間最優秀ベーシスト」3度選出された。
グラミー受賞 1回・ノミネート 1回 |
1946年5月27日 | 2005年4月19日 | 58 | ベース | ジャズ | dk |
1946年5月26日 | 1993年4月29日 | 46 | ギター | ロック | eg |
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アメリカの世界的な女性歌手・女優。ロネッツ「Be My Baby」(1963) など、フィル・スペクターが手掛けた数々の名曲でバックコーラスを務め、11歳年上の夫ソニー・ボノと「ソニー&シェール」を結成。1965年に5曲が米国TOP 20にランクインし、エルヴィス・プレスリーやビートルズ、ローリング・ストーンズに迫った。1971年には冠番組が放送開始し、テレビでも大人気を博した。2000年以降も精力的にワールドツアーを行い大成功。「デュエットしてみたい歌手3人」を聞かれ「アデルとピンクと...マドンナは嫌」と答えた。
グラミー受賞 1回・ノミネート 7回(2024年時点)
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1946年5月20日 | 1946年5月20日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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イングランドの世界的ギタリスト、作曲家。キング・クリムゾンのリーダー。
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1946年5月16日 | 1946年5月16日 | ギター | ロック | eg |
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スコットランド出身のシンガーソングライター。1965年「Catch The Wind」全米23位・全英4位でデビュー。ミッキー・モストがプロデュースした「Sunshine Superman」(1966) 全米1位、「Mellow Yellow」(1966) 全米2位、「Hurdy Gurdy Man」(1968) 全米5位、「Atlantis」(1969) 全米7位など「Billboard Hot 100」に17曲がチャートインし、スタジオ・ミュージシャン時代のジミー・ペイジ、ジョン・ポール・ジョーンズ、ジョン・ボーナムやジェフ・ベック・グループが参加した。1968年にはビートルズ、ビーチ・ボーイズのマイク・ラヴ、ミア・ファローらと共にインドを訪れ、ポール・マッカートニーの作詞に協力したりジョン・レノンにギター・テクニックを伝授した。2012年、ロックの殿堂入り。 グラミー賞ノミネート 1回(2024年時点) |
1946年5月10日 | 1946年5月10日 | 男性歌手 | ポップ | sc |
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ビル・クルーツマン
Bill Kreutzmann アメリカのドラマー。ロックバンド「グレイトフル・デッド」の創設メンバー。1995年に解散するまで在籍し、ガルシア、ウィアー、レッシュとともに2,300回全公演で演奏した。
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1946年5月7日 | 1946年5月7日 | ドラム | ロック | us |
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アメリカの女性シンガーソングライター。クインシー・ジョーンズに見出され、1963年「It's My Party」(涙のバースデイ・パーティ)が全米1位を獲得。B面はポール・アンカから提供された「Danny」が収録された。弟は作曲家のマイケル・ゴーア。 グラミー賞ノミネート 3回 |
1946年5月2日 | 2015年2月16日 | 68 | 女性歌手 | ポップ | us |
アメリカ歌手、ソングライター。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」14位。エルヴィス・プレスリーに憧れ、1966「Back Up Train」でデビュー。1974年、ガールフレンドから沸騰したコーングリッツを浴びせられ、重度のやけどを負い彼女は拳銃自殺。1976年に教会を設立しゴスペル・シンガーに転身。牧師として宣教活動に力を入れ、1990年代に音楽業界へ復帰した。1995年ロックの殿堂入り。
グラミー受賞 11回・ノミネート 21回(2024年時点)
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1946年4月13日 | 1946年4月13日 | 男性歌手 | ポップ | us |
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アメリカの世界的セッション・ベーシスト。1967年、サックス奏者キング・カーティスに見出され、彼のバンド「キングピンズ」に加入。ジェームス・ジェマーソンやチャック・レイニーと並び称され、B.B.キング、ニーナ・シモン、アレサ・フランクリン、ハービー・ハンコック、ジョージ・ベンソン、グレッグ・オールマン、ジョン・ウィリアムズ、マイク・ブルームフィールド、アル・クーパーなどのレコーディングに参加した。2006年、オールマン・ブラザーズ・バンド40周年記念公演にゲスト参加。ジャコ・パストリアスから大きな影響を受けたという。
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1946年3月22日 | 1946年3月22日 | ベース | us |
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アメリカの女優、歌手。1963年、ブロードウェイでデビュー。1965年、ミュージカル『Flora The Red Menace』でトニー賞「主演女優賞」を受賞した。父は映画監督ヴィンセント・ミネリ、母は女優ジュディ・ガーランド。 グラミー賞ノミネート 2回(2024年時点) |
1946年3月12日 | 1946年3月12日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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1946年3月8日 | 2023年7月26日 | 77 | ベース | ロック | us |
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1946年3月6日 | 1946年3月6日 | ギター | ロック | eg |
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シリータ・ライト
Syreeta Wright
アメリカのR&Bシンガー、ソングライター。モータウンの著名なバックアップ・シンガーで、ビリー・プレストン、スプリームス、スモーキー・ロビンソン、ジョニー・マティス、マイケル・ボルトン、渡辺貞夫、ジョージ・ハリスンなどのレコーディングに参加。スティーヴィー・ワンダーの元妻。
See Also |
1946年2月28日 | 2004年7月6日 | 58 | 女性歌手 | R&B | us |
ゲイリー・グリムショー
Gary Grimshaw |
1946年2月25日 | 2014年1月13日 | 67 | デザイナー | ロック | us |
フランシス・モーズ
Francis Moze |
1946年2月2日 | 1946年2月2日 | ベース | ロック | fr |
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テリー・キャス
Terry Kath アメリカの歌手、ギタリスト、ソングライター。ブラスロック・バンド「シカゴ」のリーダー、ヴォーカリスト、ギタリスト。1978年1月23日、ロシアン・ルーレットで急逝。9thアルバム『Chicago XI』全米6位が遺作となった。
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1946年1月31日 | 1978年1月23日 | 31 | 男性歌手 | ロック | us |
イングランドの奇才音楽プロデューサー、ビジネスマン。セックス・ピストルズやニューヨーク・ドールズの仕掛人として知られている。1983年、1stアルバム『Duck Rock』(全英3位) でヒップホップを広め、以後、エレクトロニカ、オペラ、クラシック、ジャズ、ダンス・ミュージックを融合した実験的な最先端なサウンドをリリースした。
トリビア
See Also |
1946年1月22日 | 2010年4月8日 | 64 | プロデュース | eg |
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1946年1月19日 | 1946年1月19日 | 女性歌手 | カントリー | us |
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アメリカの著名なピアニスト、トロンボーン奏者、作曲家、音楽プロデューサー、歌手。ジャズ・フュージョンの分野で活動し、ブラジリアン・タッチなジャズからファンキーでアーバンなサウンドへと変化していった。セッション・ミュージシャンとしてフランク・ザッパ、キャノンボール・アダレイ、フローラ・プリム、クインシー・ジョーンズ、マイケル・ジャクソン、ジョージ・ベンソンなど、膨大なレコーディングに参加した。
グラミー受賞 2回・ノミネート 7回
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1946年1月12日 | 2013年8月5日 | 67 | ピアノ | フュージョン | us |
イングランドのドラマー。ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ、デヴィッド・ボウイ、マザーズ・オブ・インヴェンション、ジェファーソン・スターシップ、ホワイトスネイク、ジャーニーなど錚々たるビッグネームのバンドで活躍。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のドラマー」27位。
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1946年1月10日 | 1946年1月10日 | ドラム | ロック | eg |
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1946年1月8日 | 1946年1月8日 | ギター | ロック | us |
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アメリカのユダヤ人実業家。音楽雑誌『ローリング・ストーン』の創刊者として著名。
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1946年1月7日 | 1946年1月7日 | 実業家 | ロック | us |
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イングランドの伝説的なミュージシャン。世界的バンドとなるピンク・フロイドをロジャー・ウォーターズ、リチャード・ライト、ニック・メイスンと結成し、1967年にメジャーデビューしたが、次第に精神に異常をきたし1968年にバンドを脱退した。5年足らずの活動期間にもかかわらず、その卓越した音楽センスと抜群のカリスマ性から、マーク・ボランやデヴィッド・ボウイなどバレットを信奉するミュージシャンは数多い。
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1946年1月6日 | 2006年7月7日 | 60 | 男性歌手 | サイケ | us |
イングランドのベーシスト・キーボーディスト・マルチ楽器奏者・編曲家。歴史的ハードロック・バンド「レッド・ツェッペリン」のメンバー。本名ジョン・ボールドウィン (John Baldwin) で、ステージネームはアメリカ独立戦争の軍人ジョン・ポール・ジョーンズから拝借。レッド・ツェッペリン結成前はセッション・プレイヤーや編曲家として、ローリング・ストーンズ、ハーマンズ・ハーミッツ、クリフ・リチャード、ミッシェル・ポルナレフ、ドノヴァン、ジェフ・ベック、キャット・スティーヴンス、ロッド・スチュワート、シャーリー・バッシー、ルル、ダスティ・スプリングフィールド、トム・ジョーンズ、ニコなどのレコーディングに参加した。
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1946年1月3日 | 1946年1月3日 | ベース | ロック | eg |
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ジュニア・マーヴィン
Junior Murvin |
1946年 | 2013年12月2日 | 1946年1月1日 | 男性歌手 | レゲエ | jm |
レミー・キルミスター
Lemmy Kilmister イングランド出身の歌手、ベーシスト。世界的ハードロック・バンド「モーターヘッド」(Motörhead) のフロントマン。ローリング・ストーン誌「史上最高のベーシスト50人」2022年33位。ジミ・ヘンドリックスやザ・ナイスのローディを務めいくつかのバンドを経た後、1972年にホークウインドに加入。「Silver Machine」が全英3位を記録し全盛期を支えたが、ドラッグなどの問題で1975年に解雇された。同年、モーターヘッドを結成し、フロントマンとして40年に渡り活動した。2015年12月28日、がんによりロサンゼルスで他界した。 グラミー受賞 1回・ノミネート 4回 |
1945年12月24日 | 2015年12月28日 | 70 | 男性歌手 | ロック | eg |
ピーター・クリス
Peter Criss |
1945年12月20日 | 1945年12月20日 | ドラム | ロック | us |
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アメリカの天才ジャズドラマー・作曲家。1962年、16歳でジャッキー・マクリーンにスカウトされ、歴史的なミュージシャンとレコーディングした。1986年モダンドラマーの殿堂入り。心臓発作により51歳で他界。
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1945年12月12日 | 1997年2月23日 | 51 | ドラム | ジャズ | us |
1945年12月1日 | 1945年12月1日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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ロジャー・グローヴァー
Roger Glover |
1945年11月30日 | 1945年11月30日 | ベース | ロック | wales |
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アメリカのトランペット・フリューゲルホルン奏者。スタンリー・タレンタイン、ビリー・コブハム、ブルース・スプリングスティーン、チャールズ・ミンガス、ホレス・シルヴァー、フランク・ザッパ、パーラメント、ダイアー・ストレイツなど数々のレコーディングに参加した。
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1945年11月27日 | 1945年11月27日 | トランペット | ジャズ | us |
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カナダ出身の世界的シンガーソングライター。「クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング」やバッファロー・スプリングフィールドのメンバーとしても活躍し、1969年にソロデビュー。1972年、4thアルバム『Harvest』全米・全英・カナダで1位「史上最高のアルバム500」2023年72位。シングル「Heart Of Gold」全米1位「史上最高の500曲」2024年259位。ローリング・ストーン誌「偉大なギタリスト100人」2011年17位、「偉大なシンガー100人」37位、「偉大なアーティスト100組」34位。1995年ロックの殿堂入り。
グラミー受賞 2回・ノミネート 28回(2024年時点) |
1945年11月12日 | 1945年11月12日 | 男性歌手 | フォーク | ca |
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アメリカの音楽プロデューサー、エンジニア。1970–1980年代にかけてパティ・スミス、チープ・トリック、ニューヨーク・ドールズなどプロデュース。ジョン・レノンとは生涯を通じて仕事をしたが、『Double Fantasy』でオノ・ヨーコがダグラスへの印税を不当に差し控えたとして裁判しなった。
プロデュース作品・他 |
1945年11月6日 | 1945年11月6日 | プロデュース | ロック | us |
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JDサウザー
JD Souther |
1945年11月2日 | 2024年9月17日 | 78 | 男性歌手 | ロック | us |
メルバ・ムーア
Melba Moore アメリカの歌手、女優。1967年、ミュージカル『ヘアー』のオリジナル・キャストでディオンヌ役を演じた。1975年「This Is It」で歌手デビューしグラミー賞「最優秀新人賞」、「Lean On Me」(1976) と「Read My Lips」(1985) で3度グラミー賞ノミネートされ、ドナ・サマーとジェイソン・ベネットに次ぐ3人目の黒人アーティストとなった。
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1945年10月29日 | 1945年10月29日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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ブラッシュ・シールズ
Brush Shiels アイルランド・ダブリン出身のロックベーシスト。1967年、スキッド・ロウを結成し、フィル・ライノットとゲイリー・ムーアがプロとしてキャリアをスタート。ライノットは1969年にシン・リジィを結成した。1970年、1stアルバム『Skid』リリース。フリートウッド・マックなどのサポート・アクトを務めた。1971年、ゲイリー・ムーアが脱退し後任としてポール・チャップマンが加入した。
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1945年10月24日 | 1945年10月24日 | ベース | ロック | ie |
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レスリー・ウェスト
Leslie West アメリカの巨漢ギタリスト、歌手。1969年にソロ・デビューを果たし、フェリックス・パパラルディらとハードロック・バンド「マウンテン」を結成。解散後はソロ・アルバムをリリースしながらミック・ジャガー、キース・リチャーズ、ビリー・ジョエル、オジー・オズボーン、スティーヴ・ルカサー、スラッシュ、ザック・ワイルドらと共演した。
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1945年10月22日 | 2020年12月23日 | 75 | ギター | ロック | us |
ドン・マクリーン
Don McLean アメリカのシンガーソングライター、ギタリスト。「American Pie」(1971) 全米1位全は、アメリカのロック創世期に活躍したバディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、ビッグ・ボッパー、パイロットが犠牲になった飛行機事故が題材。曲中で繰り返される「The Day The Music Died」(音楽が死んだ日)は、事故があった1959年2月3日をさしている。マクリーンの曲「And I Love You So」(1970) はエルヴィス・プレスリー、ペリー・コモ、ヘレン・レディ、グレン・キャンベルなどによって録音され、2000年にはマドンナが「American Pie」をカバーしてヒットした。2004年、マクリーンはソングライターの殿堂入り。
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1945年10月2日 | 1945年10月2日 | 男性歌手 | フォーク | us |
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アメリカの世界的ソウル・シンガー、ソングライター。マーヴィン・ゲイやカーティス・メイフィールドらと共に「ニュー・ソウル」と呼ばれ、新世代の黒人アーティストとして脚光を浴びた。1973年に妄想型統合失調症と診断され、1977年に表舞台に復帰。ロバータ・フラック、ジョー・コッカーらの作品に参加したが、1979年にホテルから転落し他界。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」49位。歌手のレイラ・ハサウェイは妹。
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1945年10月1日 | 1979年1月13日 | 33 | 男性歌手 | ソウル | us |
ガル・コスタ
Gal Costa ブラジル・バイーア州出身の歌手。1960–1970年代のトロピカリアを代表する女性歌手のひとり。1967年、アルバム『Domingo』をカエターノ・ヴェローゾと共作。ソロデビュー・アルバム『Gal Costa』ではカエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジル、トン・ゼー、ジョルジ・ベンらの楽曲を取り上げ、トロピカリズモの古典となった。1982年「Festa Do Interior」(フェスタ・ド・インテリオール)大ヒット。映画『O Mandarim』(1995) で伝説の歌手カルメン・ミランダ役を演じた。
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1945年9月26日 | 2022年11月9日 | 77 | 女性歌手 | MPB | br |
イングランドのロックシンガー・作曲家。ロキシー・ミュージックのフロントマン、ソロ・アーティストとして世界的に有名。Q誌「偉大な100人のシンガー」60位。
1970年、キング・クリムゾンのヴォーカリストのオーディションを受け不合格になったが、ロバート・フリップにEGレコードのデヴィッド・エントホーヴェンを紹介された。
1971年、ロキシー・ミュージック結成。 メンバー
グラミー賞ノミネート 2回(2024年時点) |
1945年9月26日 | 1945年9月26日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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オドネル・リーヴィ
O'Donel Levy |
1945年9月20日 | 2016年3月14日 | 70 | ギター | R&B | us |
ローリー・シュピーゲル
Laurie Spiegel アメリカの作曲家。電子音楽の作曲とアルゴリズム作曲のソフトウェア「Music Mouse」の開発で知られているコンピュータ音楽の先駆者。シュピーゲルによるヨハネス・ケプラー『宇宙の調和』の演奏は、 1977年にボイジャー宇宙船に搭載されたゴールデンレコードの「地球の音」セクションのオープニングトラックに選ばれた。クーパーユニオンとニューヨーク大学で教鞭を執り、1981年にはニューヨーク大学でコンピュータミュージックスタジオを設立。著作はMIT、ケンブリッジ大学、オックスフォード大学から出版されており、視覚芸術は世界のさまざまなギャラリーで展示されている。2019年、全米女性の殿堂入り。
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1945年9月20日 | 1945年9月20日 | 作曲家 | 電子音楽 | us |
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ミック・アンダーウッド
Mick Underwood |
1945年9月5日 | 2024年7月28日 | 78 | ドラム | ロック | eg |
マーサ・ヴェレス
Martha Veléz
アメリカ合衆国ニューヨーク市出身の歌手、女優。ボブ・マーリーが唯一プロデュースしたアメリカ人アーティスト。マドンナ、プリテンダーズ、トーキング・ヘッズ、ラモーンズなどを手掛けたサイアー・レコード設立者シーモア・スタインにスカウトされ、エリック・クラプトンなど豪華ロック・ミュージシャンが参加した名盤『Fiends & Angels』をリリースした。
Studio Albums
See Also
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1945年8月25日 | 1945年8月25日 | 女性歌手 | ロック | us |
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ハース・マルティネス
Hirth Martinez
アメリカのシンガーソングライター、ギタリスト。ザ・バンドのロビー・ロバートソンに見出され、ボブ・ディランの援助で2枚のアルバムをリリースし批評家から絶賛された。21年ぶりにリリースされた3rdアルバムには、ロン・カーター (B) ウィル・リー (B) デヴィッド・サンボーン (Sax) ランディ・ブレッカー (Tp) ガース・ハドソン (P) ら豪華ミュージシャンが参加した。1966年に Samy Phillip 名義でいくつかのシングルをリリースした。
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1945年8月21日 | 2015年10月6日 | 70 | 男性歌手 | フォーク | us |
北アイルランド出身のシンガーソングライター。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」24位。1993年ロックの殿堂入り、1996年に大英帝国勲章OBEを受章。
1964年、ゼムを結成しデビュー。同年「Gloria」全米75位、翌年シャドウズ・オブ・ナイトがカバーと全米10位を記録。1966年にゼムを脱退し、アメリカでソロに転向した。 グラミー受賞 2回・ノミネート 7回(2024年時点) |
1945年8月31日 | 1945年8月31日 | 男性歌手 | ロック | nie |
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イングランドの世界的なロック・ヴォーカリスト。1969年、第2期ディープ・パープルに加入。『In Rock』(1970)『Fireball』(1971)『Machine Head』(1972)『Who Do We Think We Are』(1973) に参加し、「Speed King」(1970)「Highway Star」(1972)「Smoke On The Water」(1972・全米4位) などロック史に残る名曲を歌った。リッチー・ブラックモアと対立し1973年に脱退。イアン・ギラン・バンド、ブラック・サバス、再びディープ・パープルを経てソロ活動に専念した。
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1945年8月19日 | 1945年8月19日 | 男性歌手 | ハードロック | us |
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アメリカのジャズ・フュージョン・サックス奏者。渋みのあるエモーショナルでファンキーなプレイが特徴。世界的ミュージシャンの膨大なレコーディングに参加した。
グラミー受賞 6回・ノミネート 16回(2024年時点) 参加作品
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1945年7月30日 | 2024年5月12日 | 78 | サックス | ジャズ | us |
アメリカのロック・ドラマー、作曲家。1960–1970年代に最も人気のあったセッション・ドラマーの一人で、ジョージ・ハリスン、ビーチ・ボーイズ、ジョー・コッカー、トラフィック、ハリー・ニルソン、フランク・ザッパ、アート・ガーファンクル、アリス・クーパーらの楽曲・ツアーに参加。1970年、エリック・クラプトンらとデレク&ザ・ドミノスを結成。同年、名曲「Layla」(邦題「いとしのレイラ」)をリリースした。なお、同曲の有名なピアノコーダは、ジムが恋人のリタ・クーリッジから盗用したという。統合失調症を発症し、1983年に母親を殺害。2023年に収監されたまま他界した。 グラミー受賞1回 |
1945年7月14日 | 2023年3月13日 | 77 | ドラム | ロック | us |
アメリカの女性歌手、シンガーソングライター、女優。世界的ロック・バンド「ブロンディ」のヴォーカル。
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1945年7月1日 | 1945年7月1日 | 女性歌手 | ロック | us |
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ゲイリー・ブルッカー
Gary Brooker" イングランドの歌手、キーボード奏者、音楽プロデューサー。1967年、ロック・バンド「プロコル・ハルム」を結成。ジョン・レノンが絶賛したデビュー曲「A Whiter Shade of Pale」(作詞:キース・リード 作曲:ゲイリー・ブルッカー、マシュー・フィッシャー)が全米5位・英国・西ドイツ・フランス・イタリア・オランダ・カナダで1位を獲得した。
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1945年5月29日 | 2022年2月19日 | 76 | 男性歌手 | ロック | eg |
アメリカの歌手、ギタリスト、音楽プロデューサー。世界的ロック・バンドのクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルを率いた。ローリング・ストーン誌「偉大なシンガー」72位、「偉大なギタリスト」2003年40位。 グラミー受賞 1回・ノミネート 8回(2024年時点) |
1945年5月28日 | 1945年5月28日 | 男性歌手 | ロック | us |
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テリー・キャリアー
Terry Callier アメリカのシンガーソングライター、ギタリスト。ソウル、フォークを基調とした深遠であたたかなサウンドが特徴。ジョン・コルトレーンに影響を受け、メジャーデビュー前はデヴィッド・クロスビーとデュオ David Crosby & Terry Callier で短期間演奏した。1970年代前半に3枚のアルバムをリリースしたもののセールスに結びつかず、ジョージ・ベンソン、ギル・スコット・ヘロンらとツアーを行った。「Sign Of The Times」(1979) がR&Bチャート78位に達し、モントルー・ジャズ・フェスティバルへの出演のきっかけとなった。その後、忘れ去られた存在となったが、1980年代後半にイギリスで起こったアシッド・ジャズ・ブームで再発見され、同国で演奏を再開。アーバン・スピーシーズ「Religion and Politics」(1997年) でフィーチャーされた。2002年にはブルーイ(インコグニート)とマーク・マック(4ヒーロー)プロデュースのプロデュースにより『Speak Your Peace』をリリース。「Brother To Brother」でポール・ウェラーをフィーチャーした。
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1945年5月24日 | 2012年10月27日 | 67 | 男性歌手 | ソウル | us |
イングランドのギタリスト。世界的ロックバンド「ザ・フー」のメンバー。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のギタリスト」2011年10位。
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1945年5月19日 | 1945年5月19日 | ギター | ロック | eg |
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イングランド出身の音楽プロデューサー、作曲家。英国の大物プロデューサー、ミッキー・モストの元でキャリアを開始。ビジネスパートナーのマイク・チャップマンとのタッグ「チニチャップ」でスージー・クアトロやブロンディをプロデュースし、1970–1978年にかけて英国でヒットを連発した(73–74年だけで全英「TOP 40」19曲・1位5曲)。1998年にはエース・オブ・ベースの2曲をプロデュースした。
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1945年5月16日 | 1945年5月16日 | プロデュース | ロック | eg |
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1945年5月8日 | 1945年5月8日 | ピアノ | ジャズ | us |
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ボブ・シーガー
Bob Seger |
1945年5月6日 | 1945年5月6日 | 男性歌手 | ロック | us |
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アメリカ合衆国テネシー州ラファイエット出身の歌手、女優。ブッカー・T・ジョーンズの元妻プリシラ・クーリッジ (1941–2014, 73) は姉。レオン・ラッセル「Delta Lady」(1969) は交際していたリタに捧げられた。
See Also
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1945年5月1日 | 1945年5月1日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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1945年4月29日 | 1970年3月16日 | 24 | 女性歌手 | R&B | us |
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リンダ・スタイン
Linda S. Stein
アメリカの音楽マネージャー、不動産ブローカー。1945年、サイアー・レコード社長兼ワーナー・ブラザース・レコード副社長シーモア・スタインと結婚(2007年離婚)。マドンナ、ラモーンズ、トーキング・ヘッズ、プリテンダーズのキャリア形成に貢献。パンクロックの重鎮ダニー・フィールズと組み、ストゥージズやラモーンズをイギリスに連れて行き、セックス・ピストルズ、クラッシュ、ダムドなどパンク・ムーブメントに影響を与えた。
1990年代、マネージメント業を辞め、「スターのための不動産エージェント」に転身。スティーブン・スピルバーグ、エルトン・ジョン、マドンナ、スティング、アンジェリーナ・ジョリー、ビリー・ジョエル、クリスティ・ブリンクリー、ブルース・ウィリス、マイケル・ダグラス、ヤン・ウェナー(『ローリング・ストーン』誌創業者)のために数百万ドルのマンションを手配した。オリバー・ストーン監督『ウォール街』(1987) でチャーリー・シーンに高層マンションを売る不動産業者(シルヴィア・マイルズ)と、映画『54』(1998) の略奪的なレコード会社の重役のモデルとなった。 2007年10月30日、リンダがマンハッタンの自宅で死亡しているのが発見された。2007年11月9日、リンダの個人秘書ナタビア・ロウリーが逮捕された。2009年、娘マンディ・スタイン監督が母親に捧げられた映画『バーニング・ダウン・ザ・ハウス:CBGBの興亡』(Burning Down The House: The Story Of CBGB) がトライベッカ映画祭で公開された。 |
1945年4月24日 | 2007年10月30日 | 62 | マネージ | ロック | us |
マイケル・スチュアート
Michael Stewart アメリカの音楽プロデューサー、ギタリスト。ビリー・ジョエル「Piano Man」(1973) やトム・ジョーンズやケニー・ランキンなどをプロデュース。1964年、フォークロック・ グループ「ウィ・ファイヴ」(We Five) を結成。「You Were On My Mind」(1965) が全米3位を記録しグラミー賞「最優秀ヴォーカル・グループ」にノミネートされた。
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1945年 4月19日 | 2002年11月13日 | 57 | プロデュース | ロック | us |
イングランドのロックギタリスト。ハードロック・バンド「ディープ・パープル」のギタリストとして世界的に有名。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のギタリスト」2011年50位。ジミ・ヘンドリックスのフォロワーとして有名。
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1945年4月14日 | 1945年4月14日 | ギター | ロック | us |
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ローウェル・ジョージ
Lowell George アメリカの歌手、ギタリスト。リトル・フィートのリーダー。1968年から約半年間、フランク・ザッパ率いるマザーズ・オブ・インヴェンションにギタリストとして加入したが、ドラッグの曲を書いてザッパに解雇されたという。1969年にリトル・フィート結成。バンド外ではヴァン・ダイク・パークス、ジョン・ケイル、ハリー・ニルソン、ミーターズ、はっぴいえんど、矢野顕子などのセッションに参加。グレイトフル・デッド『Shakedown Street』(1978) プロデュースした。1979年、オーバードーズによる心不全で他界。34歳没。
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1945年4月13日 | 1979年6月29日 | 34 | ギター | ロック | us |
アメリカの世界的セッション・ドラマー。イーストマン音楽学校でクラシックの打楽器奏法を学び、1973年チック・コリアのリターン・トゥ・フォーエヴァー、1976年にセッション・ミュージシャンで結成された「スタッフ」に参加。フランク・シナトラ、チャールズ・ミンガス、B.B.キング、クインシー・ジョーンズ、アレサ・フランクリン、ポール・マッカートニー、ジャコ・パストリアス、アル・ディ・メオラなど、超一流ミュージシャンのレコーディングに参加した。 グラミー受賞 1回・ノミネート 4回(2024年時点) |
1945年4月9日 | 1945年4月9日 | ドラム | フュージョン | us |
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イングランドの歴史的ギタリスト、シンガーソングライター。サリー州リプリーの複雑な家庭事情で祖父母に育てられた。十代でブルースに傾倒し何時間もギターを練習した。音楽に没頭し過ぎてキングストン大学を退学し、路上演奏を開始した。
グラミー受賞 17回・ノミネート 37回(2024年時点)
ジミ・ヘンドリックスとエリック・クラプトン1966年10月1日、アメリカからロンドンに来て1週間も経っていなかったジミ・ヘンドリックスは、マネージャーのチャス・チャンドラー (Animals) に誘われ、結成されたばかりのクリームのギグを見に行った。ギグは学生組合による主催で、ピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズ、ニック・メイスン 、リチャード・ライト、ローリング・ストーンズのチャーリー・ワッツの出身校として有名なウェストミンスター大学 Little Titchfield Street Campus で行われた。 参加作品▶ Discogs
トリビア
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1945年3月30日 | 1945年3月30日 | ギター | ブルース | eg |
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ジョルジ・ベン
Jorge Ben ブラジルの歌手、ギタリスト。サンバにソウル、ファンク、ロックを取り入れた「サンバ・ホッキ」を確立。セルジオ・メンデスの世界的ヒット曲「Mas Que Nada」(マシュ・ケ・ナダ Pd:Armando Pittigliani)や「Taj Mahal」(タジ・マハール)のソングライターとしても有名。ジョルジ・ベンジョール (Jorge Ben Jor) とも呼ばれる。
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1945年3月22日 | 1945年3月22日 | 男性歌手 | MPB | br |
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ブラジルの歌手。1960年代から1970年代にかけて、ブラジルで大人気を博した。1965年、コンテストでエドゥ・ロボとヴィニシウス・ヂ・モライスの「Arrastão」(アハスタォン)を歌い優勝。2ndアルバム『Dois na Bossa』はブラジル国内のレコード売り上げ記録を更新した。1960年代の後期から1970年代の初頭にかけて、ジルベルト・ジルたちとトロピカリア運動の普及に貢献。アントニオ・カルロス・ジョビン、ミルトン・ナシメント、ジョアン・ボスコ、シコ・ブアルキ、ジョルジ・ベンやカエターノ・ヴェローゾとレコーディングした。1982年、コカインとアルコールによって36歳で他界。
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1945年3月17日 | 1982年1月19日 | 36 | 女性歌手 | MPB | br |
アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト出身のギタリスト。世界的ブルースロック・バンド「キャンド・ヒート」の元メンバー。ローリング・ストーンズでも2曲演奏した。
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1945年3月11日 | 1945年3月11日 | ギター | ロック | us |
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ロビン・トロワー
Robin Trower イングランドのブルース、ロック・ギタリスト。プロコル・ハルムの初期メンバーとして活動した後、トリオを結成。代表的な「ジミヘン・フォロワー」の一人で、ジミ・ヘンドリックス的な曲作りと良く似た粘り気のあるブルージーなサウンドから「ジミの再来」と評された。
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1945年3月9日 | 1945年3月9日 | ギター | ロック | eg |
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タラ・ブラウン
Tara Browne
ロンドン社交界の名士で、ギネスビールで世界的に有名なギネス家の財産相続人。
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1945年3月4日 | 1966年12月18日 | 21 | パトロン | ロック | eg |
ジャマイカの歴史的なシンガーソングライター。レゲエの先駆者の一人で、宗教的・社会的をテーマにした楽曲をポジティブに歌った。
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1945年2月6日 | 1981年5月11日 | 36 | 男性歌手 | レゲエ | jm |
アシャ・プトゥリ
Asha Puthli
インド出身のアメリカ人の女性シンガーソングライター、女優。フリージャズ、ソウル、ファンク、ディスコ、テクノなど幅広いレパートリーで、1970年代から2024年現在も活動しているアーティスト。幼い頃からインド古典音楽とオペラを学び、 13歳でコンテストに優勝。大学卒業後、 英国航空の客室乗務員として働いた。
アメリカで休暇中、マーサ・グレアムのダンス奨学金のオーディションを受け合格。英国航空を辞職しニューヨークに移住した。1967年、大物プロデューサーのジョン・ハモンド は、ニューヨーカー誌に投稿されたヴェド・メータの記事『Jazz In Bombay』で彼女を知り、デモを聴いてCBSレコードと契約させた。 ジョン・ハモンド の推薦で、オーネット・コールマン『Science Fiction』(1971)「What Reason Could I Give」「All My Life」の2曲で歌ったことにより、ダウンビート誌「最優秀女性ジャズ・ボーカリスト賞」受賞。彼女はグラムロック界に早くから参入し、デビューアルバム『The Devil Is Loose』(1973) ではエルトン・ジョンを手掛けたデル・ニューマン、2ndアルバム『She Loves To Hear The Music』(1975) ではマイルス・デイヴィスの仕事で有名なテオ・マセロがプロデュースした。 See Also |
1945年2月4日 | 1945年2月4日 | 女性歌手 | ポップ | in |
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イングランドのドラマー。プログレッシヴロック・バンドのソフト・マシーンやシド・バレット『The Madcap Laughs』(1970) での演奏で著名。1973年、酔っ払い4階の窓から転落し下半身不随となり、ドラマー生命は絶たれた。多くの仲間に支えられ、ピンク・フロイドのニック・メイスンによるプロデュース『Rock Bottom』(1974) でシンガーソングライターとして復活した。
参加作品
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1945年1月28日 | 1945年1月28日 | ドラム | ロック | eg |
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マギー・ベル
Maggie Bell スコットランド出身の女性ロック・ボーカリスト。1969年から1973年までブルース・ロック・バンドのストーン・ザ・クロウズ、その後はソロで活動した。「イギリスのジャニス・ジョプリン」の異名をとった。
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1945年1月12日 | 1945年1月12日 | 女性歌手 | ロック | sc |
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イングランドの世界的ロックシンガー。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」59位。世界売上2億5000万枚以上。全米No.1アルバム 4作、全米TOP 10アルバム 17作、全英No.1アルバム 10作、全英TOP 10アルバム 33作などの大記録を持つ。セッション・シンガーとして活動した後、1964年にロング・ジョン・ボルドリーの率いるフーチ・クーチー・メン、1967年にジェフ・ベック・グループ、1969年にフェイセズに参加。1971年、ソロ・シングル「Maggie May」が全米1位を獲得し、以後アメリカを拠点に活動。 グラミー受賞 1回・ノミネート 15回(2024年時点) |
1945年1月10日 | 1945年1月10日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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アメリカ合衆国テキサス州ダラス出身のシンガーソングライター、ギタリスト。西海岸を代表するアーティストの一人でバッファロー・スプリングフィールドや「クロスビー、スティルス&ナッシュ」、ソロ活動で知られている。ジョニ・ミッチェルの作品には1stアルバム『Song to a Seagull』(1968) から参加。1997年、両バンド名義でロックの殿堂入り。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のギタリスト」2011年47位。1stアルバム『Stephen Stills』(1970) にはリンゴ・スター、ジミ・ヘンドリックス、エリック・クラプトン、キャス・エリオット、ブッカー・T・ジョーンズらが参加した。 グラミー受賞 1回・ノミネート 8回(2024年時点) |
1945年1月3日 | 1945年1月3日 | ギター | ロック | us |
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タミコ・ジョーンズ
Tamiko Jones |
1945年 | 1945年1月1日 | 女性歌手 | ソウル | us |
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ブルース・ボトニック
Bruce Botnick アメリカのオーディオ・エンジニア、音楽プロデューサー。ドアーズ 6thアルバム『LA Woman』の共同プロデューサーとして最もよく知られている。
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1945年 | 1945年1月1日 | エンジニア | ロック | us |
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アメリカ合衆国メリーランド州タコマパーク出身のギタリスト。世界的ブルースロック・バンド「キャンド・ヒート」のオリジナル・メンバーで、熱狂的なブルース愛好家。ローリング・ストーン誌「偉大なギタリスト100人」2003年77位。
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1944年12月25日 | 1997年10月20日 | 52 | ギター | ロック | us |
バリー・ジェンキンス
Barry Jenkins イングランドのドラマー。1963年、R&Bグループ「ナッシュビル・ティーンズ」のドラマーに就任し「Tobacco Road」(1964) が大ヒット。1966年、アニマルズのオリジナルドラマー、ジョン・スティールがアニマルズを脱退。ナッシュビル・ティーンズでの仕事に感銘していたエリック・バードンは、オーディションなしでジェンキンスをアニマルズに加入させた。1966年に解散後、エリック・バードン&ジ・アニマルズに1968年の解散まで参加した。
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1944年12月22日 | 2024年1月27日 | 79 | ドラム | ロック | eg |
ボビー・コロンビー
Bobby Colomby
アメリカのドラマー、音楽プロデューサー、テレビ司会者。1967年、ブラッド・スウェット&ティアーズに参加。コロンビーのルーツはジャズで、同バンドをジャズロックとして方向づけた。1976年、ジャコ・パストリアスの1stアルバム『Jaco Pastorius』、1978年にジャクソンズ『Destiny』をプロデュース。エディ・パルミエリ、アース・ウィンド&ファイアー、マザーズ・ファイネスト、アメリカ、タヴァレス、ケニー・ロギンス、ブランフォード・マルサリス、ハリー・コニック・ジュニアらと共演した。兄ハリー・コロンビーは14年間セロニアス・モンクのマネージャーを務めた。 ▶ インタビュー(1998年 英語) |
1944年12月20日 | 1944年12月20日 | ドラム | ジャズ | us |
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アルヴィン・リー
Alvin Lee イングランドの歌手、ソングライター、ギタリスト。ブルースロック・バンドのテン・イヤーズ・アフターでヴォーカルとギターを務めた。
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1944年12月19日 | 2013年3月6日 | 68 | ギター | ロック | eg |
マイケル・カーヴィン
Michael Carvin アメリカのジャズ・ドラマー。ドラマーの父のもと6歳でドラムを始め、12歳頃にプロとなりモータウン専属のドラマーとして2年間在籍。1973年にフレディ・ハバードのバンドに参加し、ダグ・カーン、ファラオ・サンダース、ロニー・リストン・スミス、ジャッキー・マクリーンなどのレコーディングに参加した。
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1944年12月12日 | 1944年12月12日 | ドラム | ジャズ | us |
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アメリカの国民的女性歌手。ロカビリー、ポップ、カントリー・ミュージックを歌い、1960年代に47曲がアメリカのチャートインし、10年間のチャートではエルヴィス・プレスリー、ビートルズ、レイ・チャールズに続き4位。「Rockin' Around the Christmas Tree」(1958) は50年以上アメリカのクリスマスソングとして親しまれている。
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1944年12月11日 | 1944年12月11日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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アメリカ合衆国ニューヨーク出身のプロモーター、音楽プロデューサー。 歴史的なイベント「ウッドストック・フェスティバル」と「オルタモント・フリーコンサート」の共同主催者として有名。
ニューヨーク市ブルックリンのユダヤ系の家庭に生まれた。1967年ニューヨーク大学を中退し、1968年に「マイアミ・ポップ・フェスティバル」を共同プロデュース。初日に約25,000人が集まり、ジミ・ヘンドリックス、フランク・ザッパ、ジョン・リー・フッカー、アーサー・ブラウン、ブルー・チアーが出演した。 ウッドストック・フェスティバル 1969年8月15日–18日 ニューヨーク州ウッドストックに移住し、ニューヨーク州ベセルの農場で「ウッドストック・ミュージック&アート・フェスティバル」を開催。ジョーン・バエズ、ラヴィ・シャンカル、サンタナ、グレイトフル・デッド、ジャニス・ジョプリン、スライ&ザ・ファミリー・ストーン、ザ・フー、ジェファーソン・エアプレイン、ジョー・コッカー、ザ・バンド、「クロスビー、スティルス&ナッシュ」、ジミ・ヘンドリックスなど、ロックグループやフォーク歌手など30組以上が出演し、平和と反戦を主張するヒッピーや若者ら約40万人の観客が集まった。会場では2件の出産があり、観客は食べ物などを分け合ったり、暴力事件もなく平和的な祭典だった。オルタモント・フリーコンサート 1969年12月6日 カリフォルニア州トレイシー郊外のオルタモント・スピードウェイで開催され、ローリング・ストーンズ、サンタナ、フライング・ブリトー・ブラザーズ、ジェファーソン・エアプレイン、「クロスビー、スティルス&ナッシュ」が出演。ステージ警備に雇われたヘルズ・エンジェルスと観客が何度も喧嘩を起こし、仲裁したジェファーソン・エアプレインのマーティ・バリンがヘルズ・エンジェルスに殴られ失神。観客のメレディス・ハンターは、ローリング・ストーンズの演奏中にリボルバーを持ってステージに突進し、ヘルズ・エンジェルスに刺されて死亡。ひき逃げで男性2人が死亡し、1人が溺死。観客は30万人以上といわれ4人が死亡した。ジャスト・サンシャイン・レコード ジャスト・サンシャイン・レコードを所有・運営し、カレン・ダルトン、ベティ・デイヴィス、ミシシッピ・フレッド・マクドウェルなど、多様なミュージシャンのアルバム40枚以上を制作・リリースした。また、ジョー・コッカー、リッキー・リー・ジョーンズらのマネージメントも行っていた。See Also |
1944年12月11日 | 2022年1月8日 | 77 | 実業家 | ロック | us |
1944年12月8日 | 1944年12月8日 | 男性歌手 | ポップ | nl |
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イングランドのロック・ドラマー。デニー・レインのバンドを経て、世界的ロック・バンド「エレクトリック・ライト・オーケストラ」(ELO) のオリジナル・メンバーとして参加。ブラック・サバス 11thアルバム『Born Again』(1983) のツアーに参加。1988年、活動停止していたELOをジェフ・リン抜きで再開し、名称使用を巡って紛糾したが「ELO Part II」と明記することで和解した。
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1944年11月24日 | 1944年11月24日 | ドラム | ロック | eg |
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アメリカのオルガン奏者・ソングライター・プロデューサー。1962年、スタックス・レコード専属スタジオ・バンド「ブッカー・T&ザ・MG's」を結成し、オーティス・レディング、ジョニー・テイラー、ウィルソン・ピケット、サム&デイヴらの演奏を担当。
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1944年11月12日 | 1944年11月12日 | プロデュース | R&B | us |
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1944年11月10日 | 1944年11月10日 | 作詞家 | ミュージカル | eg |
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ボニー・ブラムレット
Bonnie Bramlett
アメリカの歌手。エリック・クラプトンが参加したデラニー&ボニーのメンバー。1960年代、テレビ番組のハウスバンド「ザ・シンドッグズ」でレオン・ラッセルらと活動後、様々な歌手のバック・コーラスを経て17歳のときにアイク&ティナ・ターナーのコーラス・グループ「アイケッツ」に初の白人メンバーとして加入した(金髪を隠す黒いかつらをかぶり、肌を黒くして3日間在籍)。
1967年、セッション・ミュージシャンのデラニー・ブラムレットと結婚し、ブルースロックデュオのデラニー&ボニーを結成。アルバム『Home』(1969) でメジャーデビューし、レコーディングにはスタックス専属バンド「ブッカー・T&ザ・MG's」が参加した。3rdアルバム『On Tour With Eric Clapton』(1979) 全米29位。1972年にふたりは離婚しグループは解散した。 スティーヴン・スティルスやオールマン・ブラザーズ・バンドのツアーに参加。ローリング・ストーンズのアルバム『Let It Bleed』(1969) 収録「Gimme Shelter」でミック・ジャガーとのデュエットをオファーされたが体調不良で参加できず、代役としてメリー・クレイトンが呼ばれた。この曲はローリング・ストーン誌「史上最高の500曲」2021年13位にランクした。 オリバー・ストーン監督ヴァル・キルマー主演『ドアーズ』(1991) にバーテンダー役で出演。娘は人気セッション・シンガーのベッカ・ブラムレット(1968年4月19日–)で、1993年から1995年までフリートウッド・マックに加入していた。 See Also
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1944年11月8日 | 1944年11月8日 | 女性歌手 | R&B | us |
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イングランドのキーボーディスト、作曲家。ロックにクラシックやジャズの要素を取り入れた、シンセサイザー奏者の先駆者。ザ・ナイス解散後、1970年、グレッグ・レイク (King Crimson)、カール・パーマー (Atomic Rooster) と「エマーソン・レイク&パーマー」(ELP) を結成。1stアルバム『Emerson, Lake & Palmer』が全米18位を記録。1985年にはエマーソン・レイク&パウエルを結成した。ソロ・アルバムに加えて『ゴジラ FINAL WARS』(2004) などのサウンドトラックも制作。2016年3月11日、カリフォルニア州サンタモニカの自宅で拳銃自殺したところをパートナーの川口真理さんが発見。71歳没。
See Also |
1944年11月2日 | 2016年3月11日 | 71 | キーボード | ロック | eg |
イングランド出身の歌手、ギタリスト、ソングライター、マルチ楽器奏者。ムーディー・ブルース、ポール・マッカートニー率いるウイングスのメンバーとして著名。ウイングス解散後も精力的に活動した。
グラミー受賞 2回・ノミネート 4回
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1944年10月29日 | 2023年12月5日 | 79 | ギター | ロック | eg |
イングランドの歌手、作詞家。世界的プログレッシブロック・バンド「イエス」の元ヴォーカリスト。1968年、イエスを結成し、1969年1stアルバム『Yes』。1979年に脱退したものの、ソロか集えを行いながら再加入と脱退を繰り返した。ヴァンゲリスや喜多郎などとも共演した。娘は歌手のジェイド・アンダーソン。 グラミー受賞 1回・ノミネート 6回(2024年時点) |
1944年10月25日 | 1944年10月25日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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テッド・テンプルマン
Ted Templeman |
1944年10月24日 | 1944年10月24日 | プロデュース | ロック | us |
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イングランドのロック・ベーシスト、ソングライター。世界的ロックバンド「ザ・フー」のメンバー。ローリング・ストーン誌「史上最高のベーシスト50人」2020年3位。1983年にザ・フーが解散しソロ活動を本格始動。1990年には、キース・エマーソン(Emerson, Lake & Powell)、ジョー・ウォルシュ(Eagles)、ジェフ・バクスター(Steely Dan, Doobie Brothers)、サイモン・フィリップス (TOTO) とザ・ベストを結成しツアーを行った。1996年、ザ・フーが再始動し全米ツアー前日の2002年6月27日、ラスベガスの宿泊先でオーバードーズにより57歳で他界した。
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1944年10月9日 | 2002年6月27日 | 57 | ベース | ロック | eg |
ジェシ・エド・デイヴィス
Jesse Ed Davis
アメリカのロック・ギタリスト、シンガー。スワンプ・ロックを代表する名ギタリストで、スライド・ギターの名手。
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1944年9月21日 | 1988年6月22日 | 43 | ギター | ロック | us |
1944年10月4日 | 1944年10月4日 | ベース | ジャズ | pr |
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アメリカのシンガーソングライター。1973年『Michael Franks』でデビュー。軽やかなヴォーカル、ボサノヴァの穏やかで温かなアコーステッィク感、ジャジーで都会的なサウンドで、クワイエット・ストームを牽引した。ワーナー・ブラザースと契約し、トミー・リビューマのプロデュースで名盤『The Art Of Tea』(1976) と『Sleeping Gypsy』(1977) をリリース。ジョー・サンプル、ラリー・カールトン、デイヴィッド・サンボーン、マイケル・ブレッカーら一流ミュージシャンが参加した。
See Also |
1944年9月18日 | 1944年9月18日 | 男性歌手 | AOR | us |
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アメリカの歌手。世界的ロックバンド、シカゴの元ヴォーカリスト。「100万ドルの歌声」と評され、シカゴ(アルバム全米1位4枚)とソロ(全米1位2曲)で成功を収めた。しかしながら、シカゴのブラス・ロックを嫌い不満を残し決裂。「加入した翌日からやめたくなった」そうで、ソロ転向の機会をうかがっていたという。イリノイ州シカゴでポーランド系移民の家庭に誕生。
グラミー受賞 1回・ノミネート 14回(2024年時点)
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1944年9月13日 | 1944年9月13日 | 男性歌手 | ロック | us |
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レスリー・ハーヴェイ
Leslie Harvey |
1944年9月13日 | 1972年5月3日 | 27 | ギター | ロック | sc |
ロジャー・ディーン
Roger Dean |
1944年8月31日 | 1944年8月31日 | イラスト | ロック | us |
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アメリカのベーシスト、歌手。1967年、ヴァニラ・ファッジの1stアルバム『You Keep Me Hangin' On』全米6位でレコード・デビュー。ボガートはBBAが消滅した後、ビリー・コブハム、ロッド・スチュワートなど様々なミュージシャンと精力的に活動。
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1944年8月27日 | 2021年1月13日 | 76 | ベース | ロック | us |
パット・マルティーノ
Pat Martino |
1944年8月25日 | 2021年11月1日 | 77 | ギター | ジャズ | us |
バーバラ・トンプソン
Barbara Thompson |
1944年7月27日 | 2022年7月9日 | 77 | サックス | ジャズ | eg |
アメリカの名セッション・ベーシスト。ボブ・ディラン、マイク・ブルームフィールド、アル・クーパー、マイルス・デイヴィスらの名盤に参加し、多数のレコーディングにと共演。 1991年にドナルド・フェイゲンのプロジェクト「ニューヨーク・ロック&ソウル・レヴュー」に参加。
参加作品
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1944年7月4日 | 1944年7月4日 | ベース | ポップ | us |
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フランスの国民的シンガーソングライター。日本では「Tout, tout pour ma chérie」(シェリーに口づけ)、「Holidays」(愛の休日)、「Qui a tué grand' maman ?」(愛のコレクション)、「Love Me Please Love Me」(愛の願い)、「Ça n'arrive qu'aux autres」(哀しみの終わる時)、「I love you because」(愛の伝説)、「J'ai du chagrin Marie」(悲しきマリー)、「La Vie, la vie m'a quitté」(悲しみのロマンス)、「Tous les bateaux, tous les oiseaux」(渚の想い出)、「Great Balls Of Fire」(火の玉ロック)などがヒット。レコーディングにはスタジオ・ミュージシャン時代のジミー・ペイジ、ジョン・ポール・ジョーンズらが参加した。父親もミュージシャンで、レオ・ポル (Léo Poll) 名義でエディット・ピアフやイヴ・モンタンに楽曲提供した。 |
1944年7月3日 | 1944年7月3日 | 男性歌手 | ポップ | fr |
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ジム・キャパルディ
Jim Capaldi |
1944年8月2日 | 2005年1月28日 | 60 | ドラム | ロック | eg |
ベティ・デイヴィス
Betty Davis
アメリカ合衆国ノースカロライナ州ダーラム出身のシンガーソングライター、モデル。マイルス・デイヴィスの2番目の妻で、18歳年上のマイルスにジミ・ヘンドリックスやスライ・ストーンを紹介し、サイケデリック・ロックやファンクに導いた。オールミュージックでは「ティナ・ターナーのざらざらとした感情的なリアリズム、デヴィッド・ボウイの未来派ファッション・センス、そしてマイルス・デイヴィスの流行を先導する才能を兼ね備えた、他に類を見ない派手なファンク・ディーバ」、マイルスの自伝では「非常に才能があるが自分の才能を信じていない。一流のグルーピー」と評された。
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1944年7月26日 | 2022年2月9日 | 77 | 女性歌手 | ファンク | us |
リック・デイヴィス
Rick Davies イングランドのシンガーソングライター、キーボーディスト。1969年、世界的ロック・バンド「スーパートランプ」を結成。『Breakfast In America』(1979) 全米1位・グラミー2部門受賞、世界で2,000万枚を売り上げた。
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1944年7月22日 | 1944年7月22日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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ワンダ・サー
Wanda Sá ブラジルの女性ボサノヴァ歌手・ギタリスト。1964年のアルバム『ヴァガメンチ』でデビュー。1969年エドゥ・ロボと結婚(1982年離婚)。
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1944年7月1日 | 1944年7月1日 | 女性歌手 | ボサノヴァ | br |
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イングランドの歴史的ギタリスト。日本ではエリック・クラプトン、ジミー・ペイジと並ぶ「3大ロック・ギタリスト」の一人。ローリング・ストーン誌「偉大なギタリスト」2003年14位・2011年5位。
参加楽曲
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1944年6月24日 | 2023年1月10日 | 78 | ギター | ロック | eg |
1944年6月22日 | 1944年6月22日 | プロデュース | us |
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ジョン・ハイズマン
Jon Hiseman イングランドのロック・ドラマー、音楽プロデューサー。プログレッシブロック・バンド「コロシアム」のリーダーとして知られる。
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1944年6月21日 | 2018年6月12日 | 73 | ドラム | ロック | eg |
レイ・デイヴィス
Ray Davies |
1944年6月21日 | 1944年6月21日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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シコ・ブアルキ
Chico Buarque |
1944年 6月19日 | 1944年 6月19日 | 男性歌手 | MPB | br |
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1944年6月17日 | 1944年6月17日 | ギター | ロック | eg |
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アメリカ合衆国の歌手。学生時代にスティーヴ・ミラーに歌とギターを習い、スティーヴ・ミラー・バンドに加入。その後、白人によるリズム&ブルースが盛んだったロンドンへ渡った。7thアルバム『Silk Degrees』(1976) に参加したデヴィッド・ペイチ、デヴィッド・ハンゲイト、ジェフ・ポーカロは TOTO を結成した。
グラミー受賞 1回・ノミネート 7回(2024年時点)
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1944年6月8日 | 1944年6月8日 | 男性歌手 | AOR | us |
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ゲイリー・グリッター
Gary Glitter |
1944年6月4日 | 1944年6月4日 | 男性歌手 | ポップ | eg |
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1944年6月2日 | 2012年8月6日 | 68 | 作曲家 | 映画音楽 | us |
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1944年5月28日 | 1944年5月28日 | 女性歌手 | ソウル | us |
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アメリカのR&Bシンガー、女優。ローリング・ストーン誌「偉大なシンガー」95位。1960年代にヴォーカル・グループのラベルでリード・シンガーを務め、1977年よりソロとなった。1986年、マイケル・マクドナルドとデュエットした「On My Own」が全米1位を獲得した。 グラミー受賞 2回・ノミネート 13回(2024年時点) |
1944年5月24日 | 1944年5月24日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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イングランド出身の世界的ロック・シンガー。「You Are So Beautiful」の歌唱が著名。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」97位。
グラミー受賞 1回・ノミネート 7回
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1944年5月20日 | 2014年12月22日 | 70 | 男性歌手 | ロック | eg |
ビリー・コブハム
Billy Cobham アメリカのジャズ・ドラマー。マイルス・デイヴィス『Jack Johnson』やマハヴィシュヌ・オーケストラ、カルロス・サンタナとの仕事で知られている。1973年、1stアルバム『Spectrum』が評判となり、超絶技巧ギタリストのトミー・ボーリンがディープ・パープルに加入するきっかけになった。 グラミー賞ノミネート 1回(2024年時点) |
1944年5月16日 | 1944年5月16日 | ドラム | ジャズ | us |
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キャロリン・フランクリン
Carolyn Franklin アメリカ合衆国テネシー州メンフィス出身のシンガーソングライター。姉アレサ・フランクリンの「Angel」(1973) 全米20位・R&B1位、「Ain't No Way」(1968) 全米16位・R&B9位などを書いたことで知られている。5枚のアルバムをリリースし、「It's True I'm Gonna Miss You」(1969) 全米23位、「All I Want To Be Is Your Woman」(1970) 全米46位を記録した。乳がんにより43歳で他界。
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1944年5月13日 | 1988年4月25日 | 43 | 女性歌手 | ソウル | us |
ジャッキー・ロマックス
Jackie Lomax イギリスのギタリスト・シンガーソングライター。 1960年代後半にアップル・レコードでロマックスの作品をプロデュースしたジョージ・ハリスンとの交流でよく知られている。アルバム『Is This What You Want?』(1969) にエリック・クラプトン参加。
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1944年5月10日 | 2013年9月15日 | 69 | ギター | ロック | eg |
アメリカ出身の音楽プロデューサー。デヴィッド・ボウイやT・レックスなどプロデュースで著名。後にレオン・ラッセルとシェルター・レコードを設立するデニー・コーデルに誘われ、1968年にロンドンに移住した。
グラミー受賞 3回・ノミネート 1回(2024年時点) デヴィッド・ボウイ
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1944年4月24日 | 1944年4月24日 | プロデュース | ロック | us |
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バーニー・ウォーレル
Bernie Worrell |
1944年4月19日 | 2016年6月24日 | 72 | キーボード | ファンク | us |
アメリカの世界的ソウル・シンガー。1961年にモータウンと契約し、スプリームスとしてデビュー。
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1944年3月26日 | 1944年3月26日 | 女性歌手 | R&B | us |
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イングランドのミニマル・ミュージック、映画音楽の作曲家、ピアニスト。1976年、ブライアン・イーノのプロデュースでオブスキュア・レコードより1stアルバム『Decay Music』リリース。1992年、音楽担当したジェーン・カンピオン監督『ピアノ・レッスン』が大ヒットし、サウンドトラックが300万枚以上を売り上げ世界的に知られるようになった。以後、多くの映画音楽を作曲し、世界各地でコンサートを開いた。
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1944年3月23日 | 1944年3月23日 | 作曲家 | ミニマル | eg |
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ジョン・セバスチャン
John Sebastian アメリカのシンガーソングライター。1965年、ロック・バンド「ラヴィン・スプーンフル」を結成し「Do You Believe in Magic」(1965) 全米9位、「Summer in The City」(1966) 全米1位を獲得。脱退後、 1970年に「クロスビー、スティルス&ナッシュ」らが参加したソロ・アルバムをリリース。1976年「Welcome Back」で全米1位。2000年、ロックの殿堂入りを果たした。
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1944年3月17日 | 1944年3月17日 | 男性歌手 | ロック | us |
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ラルフ・マクドナルド
Ralph MacDonald アメリカのパーカッショニスト。グラミー賞を受賞したロバータ・フラック & ダニー・ハサウェイ「Where Is The Love」、ビル・ウィザース & グローヴァー・ワシントン・ジュニア「Just The Two Of Us」など様々な世界的ミュージシャンのレコーディングに参加した。
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1944年3月15日 | 2011年12月18日 | 67 | パーカッション | us |
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アメリカのR&Bの著名シンガーソングライター、ギタリスト。サム・クックのSARレコードと契約し、ザ・ヴァレンティノスとして「It's All Over Now」(1964) をリリース。すぐにローリング・ストーンズがカバーし、ストーンズは初の全英1位を獲得した。ソロのみならず、楽曲提供や名セッション・ギタリストとしてアレサ・フランクリンなど多数の楽曲に参加した。1964年12月に他界したサム・クックの未亡人バーバラ・クックと1965年2月に結婚し物議をかもした。2009年、ロックの殿堂入り。
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1944年3月4日 | 2014年6月27日 | 70 | 男性歌手 | R&B | us |
イングランドのロックシンガー・俳優。世界的ロックバンド「ザ・フー」のフロントマン。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」2008年61位。
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1944年3月1日 | 1944年3月1日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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イングランドの著名なロック・キーボーディスト、セッション・ミュージシャン。1960年代初めにスクリーミング・ロード・サッチ&サヴェージズのピアニストとしてキャラアをスタートし、様々なミュージシャンのレコーディングやツアーに参加した。
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1944年2月24日 | 1994年9月6日 | 50 | キーボード | ロック | eg |
1944年2月23日 | 2014年7月16日 | 70 | ギター | ブルース | us |
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リーバップ・クワク・バー
Rebop Kwaku Baah ガーナ出身の打楽器奏者。1970年代にトラフィックやカンなどのロック・バンドに在籍した。
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1944年2月13日 | 1983年1月12日 | 38 | ドラム | ロック | gh |
アメリカ合衆国ニューヨーク市ブルックリン出身の歌手、作曲家、音楽プロデューサー、マルチ楽器奏者。ボブ・ディラン「Like a Rolling Stone」のオルガン演奏やブラッド・スウェット&ティアーズを結成したことで知られている。本名アラン・ピーター・クーパーシュミット (Alan Peter Kuperschmidt)。
グラミー賞ノミネート 2回(2024年時点)
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1944年2月5日 | 1944年2月5日 | 男性歌手 | ロック | us |
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チャーリー・マッスルホワイト
Charlie Musselwhite
アメリカ合衆国ミシシッピ州出身のブルース・ハーモニカ奏者、歌手。3歳の時、テネシー州メンフィスに引っ越し。白人でありながら若い頃からメンフィス、シカゴで黒人のブルースマンと共演を重ねシカゴ・ブルース復興に貢献した。
グラミー受賞 1回・ノミネート 15回(2024年時点)
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1944年1月31日 | 1944年1月31日 | ハーモニカ | ブルース | us |
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イングランドのマネージャー、プロデューサー。ビートルズのマネージャーとして有名なブライアン・エプスタインの元で働いた後、ローリング・ストーンズのマネージャーになった。1960年代中頃、ローリング・ストーンズに薬物問題が深刻になり、彼らとの契約をアラン・クレインに譲った。1965年、イミディエイト・レコードを設立し、スモール・フェイセス、P・P・アーノルド、ザ・ナイス、ハンブル・パイらと契約したが1970年に倒産した。2014年ロックの殿堂入り。
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1944年1月29日 | 1944年1月29日 | マネージャー | ロック | us |
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イングランドのドラマー。世界的プログレッシブロック・バンド「ピンク・フロイド」の創設メンバー。
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1944年1月27日 | 1944年1月27日 | ドラム | ロック | eg |
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クラウス・ノミ
Klaus Nomi
ドイツ出身でニューヨークを拠点に活動した歌手。シアトリカルなアンダーグラウンド特有の強烈なコスチュームとビジュアルで、サウンドはオペラ、ニュー・ウェイヴ、ディスコなど多岐にわたる。エイズで死亡した最初の著名人としても知られている。1973年、ニューヨークに移住し、歌手活動の傍らホテルのパティシエとして働いた。1978年、パートナーのジョーイ・アリアスとともにデヴィッド・ボウイのバックコーラスとなり「歌う菓子職人」として注目された。 ▶ YouTube 1980年1stシングル「Keys of Life」、翌年1stアルバム『Klaus Nomi』をリリース。1982年に2ndアルバム『Simple Man』をリリースしたが、すでにHIVに感染しており、ジョーイに看取られながら39歳で他界した。 |
1944年1月24日 | 1983年8月6日 | 39 | 男性歌手 | ニューウェイヴ | de |
イングランドの世界的ロック・ギタリスト、作曲家、音楽プロデューサー。ハードロック・バンド「レッド・ツェッペリン」のギタリスト兼リーダーとして世界中を席巻した。
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1944年1月9日 | 1944年1月9日 | ギター | ロック | eg |
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イングランドの詩人、作詞家。キング・クリムゾンのオリジナル・メンバーで、作詞と照明を担当。ロック・ミュージックに壮大な世界観を持ち込み、バンドの方向性を決定付けた。
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1943年12月27日 | 2024年11月14日 | 80 | 詩人 | ロック | eg |
イングランドのギタリスト。カントリー、R&B、ロックなど幅広い音楽性と卓越したテクニックで「Guitar Player's Guitar Player」と評された。
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1943年12月21日 | 1943年12月21日 | ギター | カントリー | eg |
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グウェン・マクレエ
Gwen McCrae |
1943年12月21日 | 2025年2月21日 | 81 | 女性歌手 | ソウル | us |
イングランドの世界的ロック・ギタリスト。ミック・ジャガー、ブライアン・ジョーンズと共にローリング・ストーンズを結成。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のギタリスト」2011年4位。1979年、ロン・ウッド、スタンリー・クラークらとニュー・バーバリアンズを結成した。 グラミー受賞 3回・ノミネート 16回(2024年時点) |
1943年12月18日 | 1943年12月18日 | ギター | ロック | eg |
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アメリカのギタリスト、歌手。オールマン・ブラザーズ・バンドのオリジナルメンバーとして有名。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のギタリスト」2011年61位。1969年、デュアン・オールマンらとオールマン・ブラザーズ・バンド結成。1971年10月29日にデュアン・オールマンがオートバイ事故で他界し、ベッツがリーダーとなった。デュアンの弟グレッグと対立し脱退・加入を繰り返した。自分の息子にデュアンと名づけた。
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1943年12月12日 | 2024年4月18日 | 80 | ギター | ロック | us |
グローヴァー・ワシントン Jr.
Grover Washington Jr. アメリカのジャズ/フュージョン・サックス奏者。スムースジャズの礎を作った人物として知られる。1980年、アルバム『Winelight 』でビル・ウィザースが歌った「Just The Two Of Us」全米2位の大ヒットしグラミー賞「最優秀R&Bソング」を受賞した。
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1943年12月12日 | 1999年12月17日 | 56 | サックス | ジャズ | us |
アメリカの伝説的なロックシンガー、ソングライター、詩人。ドアーズのフロントマンとして全米の若者から絶大な人気を誇った。ローリング・ストーン誌「偉大なシンガー100人」に47位。「27クラブ」の会員であり、この概念を決定づけた人物(内縁の妻パメラ・カーソンも27歳で他界)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校で映画を専攻し、同級生にフランシス・フォード・コッポラがいた。
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1943年12月8日 | 1971年7月3日 | 27 | 男性歌手 | ロック | us |
アメリカの世界的シンガーソングライター。1970年、スリー・ドッグ・ナイト「Mama Told Me Not to Come」をカバーし全米1位を獲得したことで広く知られるようになり、ニーナ・シモン、レイ・チャールズ、ハリー・ニルソン、アニマルズなどが彼の楽曲を取り上げた。1977年には「Short People」全米2位を記録。1980年代以降は『トイ・ストーリー』などウォルト・ディズニー映画のサウンドトラックを多数手掛け、『モンスターズ・インク』のテーマ曲「If I Didn't Have You」(2001) でアカデミー歌曲賞を受賞した。 グラミー受賞 7回・ノミネート 23回(2024年時点) |
1943年11月28日 | 1943年11月28日 | 男性歌手 | ロック | us |
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1943年11月24日 | 1993年7月21日 | 49 | ピアノ | フュージョン | us |
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カナダ出身の史上最高の女性ソングライターのひとり。
グラミー受賞 10回・ノミネート 18回(2024年時点) カナダ時代
アメリカ
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1943年11月7日 | 1943年11月7日 | 女性歌手 | フォーク | ca |
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アメリカのブルース・ロックの歌手、ギタリスト、キーボーディスト、作詞家。1966年、スティーヴ・ミラー・バンド結成。ボズ・スキャッグスにギターを手ほどきし、同バンドにギタリストとして加入。バンドは1970年代半ばから1980年代前半にかけて、よりポップ志向のアリーナロックのジャンルへと進化し人気を博した。2016年にロックの殿堂入り。
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1943年10月5日 | 1943年10月5日 | 男性歌手 | ポップ | us |
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ランディ・バッハマン
Randy Bachman カナダのギタリスト歌手、ソングライター。1970年、3週連続全米1位を記録した『American Woman』で有名なロックバンドのゲス・フーとバックマン・ターナー・オーヴァードライヴの創設メンバー。
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1943年9月27日 | 1943年9月27日 | 男性歌手 | ロック | ca |
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スペインのアダルト・コンテンポラリーの歌手、ソングライター、元プロサッカー選手。世界で最も商業的に成功したスペインの歌手で、世界売上3億枚以上。5大陸で5,000回以上のコンサートを開催し、6,000万人以上の人々を魅了したといわれている。ウィリー・ネルソンとのデュエット「To All the Girls I've Loved Before 」全米5位・カントリー1位を獲得。以後、ダイアナ・ロス「All of You」(1984)、フランク・シナトラ「Summer Wind」(1993)、アルバム『Crazy』(1994) でドリー・パートン、スティング、アート・ガーファンクルとデュエットした。2013年、ラテンソングライターの殿堂入り。 グラミー受賞 1回・ノミネート 7回(2024年時点) |
1943年9月23日 | 1943年9月23日 | 男性歌手 | ポップ | es |
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トニー・バジル
Toni Basil |
1943年9月22日 | 1943年9月22日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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キング・スポーティ
King Sporty |
1943年9月19日 | 2015年1月5日 | 71 | DJ | レゲエ | jm |
ブラジルの重要シンガーソングライター、ギタリスト、キーボーディスト。ジョアン・ジルベルトに憧れ音楽活動開始。64年、『Samba Demais』(サンバ・ヂマイス)」でデビュー。66年、「Samba de Verão」(サマー・サンバ/So Nice/作曲:マルコス/作詞:兄パウロ・セルジオ・ヴァーリ)をオルガン奏者ワルター・ワンダレイが収録し全米26位(イージーリスニングチャート3位)。1968年、大半の曲を英語で歌いデオダートと共作した『Samba '68』がアメリカでヒットし、以後も精力的に活動。
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1943年9月14日 | 1943年9月14日 | 男性歌手 | MPB | br |
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ミッキー・ハート
Mickey Hart アメリカ出身。グレイトフル・デッドのドラマー、パーカッショニスト。ティト・プエンテに影響を受けドラムを開始。1961年、アメリカ空軍に入隊し「エアメン・オブ・ノート」でドラマーを務めた。1967年、カウント・ベイシー・オーケストラのコンサートで、グレイトフル・デッドのドラマー、ビル・クロイツマンと出会い同バンドに加入したものの、ハートの父がバンドから7万ドルを横領し1971年に脱退。1974年に復帰した。1991年『Planet Drum』がビルボード・ワールド・ミュージック・チャートで26週間1位を記録し、史上初のグラミー賞「最優秀ワールド・ミュージック・アルバム」賞を受賞した。1994年ロックの殿堂入り。 グラミー受賞 2回・ノミネート 3回(2024年時点)
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1943年9月11日 | 1943年9月11日 | パーカッション | ワールド音楽 | us |
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イングランドのベーシスト・作曲家。世界的プログレッシブロック・バンド「ピンク・フロイド」の創設メンバー。
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1943年9月6日 | 1943年9月6日 | ベース | ロック | eg |
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イングランドの音楽マネージャー、プロモーター。デヴィッド・ボウイが世界的スターに上り詰めた時期にマネージメントを務めたが、後に契約上の争いでボウイと仲違いした。
16歳のとき弁護士事務所でキャリアをスタート。 1964年、アニマルズをめぐる紛争でミッキー・モストに助言し、モストのラック・レコードと音楽出版社ラック・パブリッシング設立に協力した。アレン・クラインから交渉術、マスター・レコーディング所有権の複雑さ、あらゆる取引から最大限の利益を引き出す方法を学んだ。 1972年、著作権管理団体 MainMan を設立し、ニューヨーク、ロンドン、東京にオフィスを構え、イギー・ポップ、ミック・ロンソン、モット・ザ・フープル、ダナ・ギレスピー、ルー・リード、ルーサー・ヴァンドロス、ジョン・メレンキャンプらを手掛けた。デヴィッド・ボウイは非常に好調だったが、1975年までローリング・ストーンズやエルトン・ジョンのようなレベルの売り上げには程遠かった。 1997年、ボウイはアルバム25枚の「ボウイ債」を発行し、プルデンシャル保険会社が5,500万ドルで購入。ボウイは10年分の印税を放棄することで、5,500万ドルの前払い金を受け取り、不和となったトニー・デフリーズが所有する曲を購入。この債券は2007年に清算され、曲の収益に対する権利はボウイに戻った。 |
1943年9月3日 | 1943年9月3日 | マネージ | ロック | eg |
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エドゥ・ロボ
Edu Lobo |
1943年8月29日 | 1943年8月29日 | 男性歌手 | MPB | br |
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ベン・シドラン
Ben Sidran アメリカのキーボード奏者、音楽プロデューサー、作家。イングランド滞在中、セッション・ミュージシャンとしてエリック・クラプトン、ローリング・ストーンズ、ピーター・フランプトン、チャーリー・ワッツらと共演。デビューアルバム『Feel Your Groove』(1970) にボズ・スキャッグス、ジェシ・デイヴィス、ピーター・フランプトン、チャーリー・ワッツらが参加。ジャズに関する著書多数。
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1943年8月14日 | 1943年8月14日 | キーボード | ロック | us |
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ケニー・ギャンブル
Kenneth Gamble |
1943年8月11日 | 1943年8月11日 | R&B | us |
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デヴィッド・ボックス
David Box アメリカのロックンロールミュージシャン。テキサス出身の仲間であるバディ・ホリーの影響を受け、ホリーの死後しばらくの間、彼のバンド「ザ・クリケッツ」で代役を務めた。1964年10月23日、飛行機事故により21歳で他界。奇しくもホリーは1959年2月3日、22歳で飛行機事故により他界した。
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1943年8月11日 | 1964年10月23日 | 21 | 男性歌手 | ロックンロール | us |
マイケル・マントラー
Michael Mantler オーストリアのアヴァンギャルド・ジャズのトランペッター、現代音楽の作曲家。バークリー音楽大学で学び、1964年にニューヨークでラズウェル・ラッド、アーチー・シェップ、セシル・テイラーらとジャズ・コンポーザーズ・ギルドに参加。翌年、カーラ・ブレイとともにジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ (The Jazz Composer's Orchestra) を結成した。1978年、ラリー・コリエル、トニー・ウィリアムス、スティーヴ・スワロウ、カーラ・ブレイらが参加した『Movies』をリリース。ファラオ・サンダース、ジャック・ブルース、ニック・メイスン、ロバート・ワイアット
1965年、カーラ・ブレイと1991年まで結婚し、カレン・マントラーを授かった。
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1943年8月10日 | 1943年8月10日 | トランペット | ジャズ | at |
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アメリカの名ギタリスト、歌手。1960年代のブルースロックを代表するギタリストの一人。1960年代初頭、大物プロデューサーのジョン・ハモンド に見出され、ポール・バターフィールド・ブルース・バンドに加入。1965年、ボブ・ディランの『Highway 61 Revisited』レコーディングとツアーにアル・クーパーと参加し「Like a Rolling Stone」で演奏した。1967年、エレクトリック・フラッグを結成したが、1stアルバム『A Long Time Comin』を録音して脱退。1968年、ビル・グレアムのフィルモア・イーストで録音したアルバム『The Live Adventure of Mike Bloomfield and Al Kooper』(Columbia 邦題『フィルモアの奇蹟』)をリリースし、セッション・ブームを巻き起こした。
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1943年7月28日 | 1981年2月15日 | 37 | ギター | ブルース | us |
イングランドのキーボーディスト。世界的プログレッシブロック・バンド「ピンク・フロイド」の創設メンバー。
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1943年7月28日 | 2008年9月15日 | 65 | キーボード | ロック | eg |
イングランドのロックシンガー・作曲家・俳優。世界的ロックバンドローリング・ストーンズのフロントマンで、キース・リチャーズと数々のヒット曲を放った。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」16位。2009年、ジョス・ストーンらとスーパーヘヴィを結成し『SuperHeavy』(2011) をリリースした。 グラミー受賞 3回・ノミネート 18回(2024年時点) |
1943年7月26日 | 1943年7月26日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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トニー・ジョー・ホワイト
Tony Joe White アメリカのシンガーソングライター。「Polk Salad Annie」が憧れのエルヴィス・プレスリーにカバーされた。
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1943年7月23日 | 2018年10月24日 | 75 | 男性歌手 | ロック | us |
1943年7月21日 | 2016年6月14日 | 72 | ギター | ロック | nie |
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イングランド出身のシンガーソングライター、キーボーディスト。旧名クリスティン・パーフェクト (Christine Perfect)。英国のブルースロック・バンド「チキン・シャック」と「フリートウッド・マック」のメンバーとして知られ、キャリアは50年以上。ソロとして「Got A Hold On Me」が全米10位を記録した。 グラミー受賞 2回・ノミネート 7回 |
1943年7月12日 | 2022年11月30日 | 79 | 女性歌手 | ロック | eg |
アラン・ウィルソン
Alan Wilson アメリカの歌手、作曲家。1965年、ブルースのレコード収集家ボブ・ハイトとブルースロック・バンド「キャンド・ヒート」結成。ヒッピー時代に人気を博し、モントレー・ポップ・フェスティバル (1967) とウッドストック・フェスティバル (1969) に出演し、「On The Road Again」(1968) 全米16位、「Going Up The Country」(1968) 全米11位、「Let's Work Together」(1970) 全英2位を獲得した。1970年には憧れのジョン・リー・フッカーとレコーディング。1970年9月3日、自宅裏の丘の中腹で寝袋にくるまって死んでいるのが発見された。27歳没。
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1943年7月4日 | 1970年9月3日 | 27 | 男性歌手 | ブルース | us |
カナダのギタリスト・シンガーソングライター。ボブ・ディランのバックバンド「ザ・バンド」のメンバーとして世界的に有名で、マーティン・スコセッシ監督の映画音楽を多数手掛けた。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のギタリスト」2011年59位、「過小評価されている25人のギタリスト」2007年20位。
グラミー賞ノミネート 5回 ザ・ホークス 1958–1968
ザ・バンド 1968 – 1976
ソロ
アルバム ザ・バンド
アルバム ソロ
ボブ・ディランと共演
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1943年7月5日 | 2023年8月9日 | 80 | 男性歌手 | ロック | ca |
リトル・エヴァ
Little Eva |
1943年6月29日 | 2003年4月10日 | 59 | 女性歌手 | ポップ | us |
アメリカの世界的女性シンガーソングライター。キャロル・キングやジョニ・ミッチェルと並ぶ人気を誇った。1964年、姉のルーシーとフォーク・デュオ「サイモン・シスターズ」結成。1971年、アルバム『Carly Simon』でソロ・デビュー。1973年にジェームス・テイラーと結婚(1983年離婚)。
グラミー受賞 2回・ノミネート 15回(2024年時点)
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1943年6月25日 | 1943年6月25日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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ラファエラ・カラ
Raffaella Carrà |
1943年6月18日 | 2021年7月5日 | 78 | 女性歌手 | ポップ | it |
バリー・マニロウ ★★★
Barry Manilow
アメリカの歌手、作曲家、音楽プロデューサー、ピアニスト、指揮者。全世界セールス7,500万枚以上(2007年4月時点)。ニューヨーク市ブルックリン出身のロシア系ユダヤ人。ジュリアード音楽院卒業。テレビ番組の音楽監督、マクドナルド、ケンタッキー・フライドチキン、ペプシコーラなどのCMソングの作曲と歌を手掛けた。ディオンヌ・ワーウィックの前座でクライヴ・デイヴィスに見出され、1973年1stthアルバム『Barry Manilow』でレコード・デビュー。フランク・シナトラやボブ・ディランに絶賛さ、コンサートは軒並みソールドアウトとなった。2017年までほぼ毎年スタジオ・アルバムをリリース。プロデューサーとしてベット・ミドラー、ディオンヌ・ワーウィック、ローズマリー・クルーニーなどのアルバムを手掛けた。2014年、ゲアリー・キーフと同性婚をし話題となった。
グラミー受賞 1回・ノミネート 15回(2024年時点) TOP 10 シングル
TOP 10 アルバム 他
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1943年6月17日 | 1943年6月17日 | 男性歌手 | ポップ | us |
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ケニー・バロン
Kenny Barron アメリカのジャズピアニスト。1960年代にディジー・ガレスピー・カルテットにピアニストとして加入。1987年から1991年までスタン・ゲッツのレコーディングに参加。 グラミー賞ノミネート 13回(2024年時点) |
1943年6月9日 | 1943年6月9日 | ピアノ | ジャズ | us |
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スコットランド出身のベーシスト、歌手、マルチ楽器奏者。ローリング・ストーン誌「史上最高のベーシスト50選」6位。1966年、エリック・クラプトンとジンジャー・ベイカーと結成した超絶ブルースロック・バンド「クリーム」でのヴォーカルとベース・プレイは多大な影響を与えた。1968年のクリーム解散後、1970年にジャック・ブルース&フレンズを結成。トニー・ウィリアムス、ラリー・コリエル、カーラ・ブレイ、ジョン・マクラフリン、ビリー・コブハムなど、主にジャズ/フュージョン系のミュージシャンと共演した。
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1943年5月14日 | 2014年10月25日 | 71 | ベース | ロック | sc |
1943年5月5日 | 1943年5月5日 | 男性歌手 | ポップ | es |
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1943年4月30日 | 2016年10月24日 | 73 | 男性歌手 | ポップ | us |
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イングランドの音楽プロデューサー。クラッシュの名盤『London Calling』(1979) のプロデュースで知られ、プロコル・ハルムやモット・ザ・フープルなどのバンドを名付けた。
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1943年4月13日 | 1981年8月29日 | 38 | プロデュース | ロック | eg |
ノア・ハワード
Noah Howard アメリカのフリージャズのアルトサックス奏者。ジョン・コルトレーンやアルバート・アイラーの影響を受け、サン・ラと演奏を始めた。アメリカでは称賛を得られず1968年にパリへ移住。スタジオとジャズクラブを経営しレコーディングを続けた。
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1943年4月6日 | 2010年9月3日 | 67 | サックス | ジャズ | us |
カナダ出身のミュージシャン。ボブ・ディランのバックバンド「ザ・バンド」のメンバーでヴォーカル、ピアノ、ドラムなどを担当。ザ・バンド解散後、ソロ・アルバムを残さず1986年3月4日、モーテルで縊死。死後、ライブ・アルバムがリリースされた。エリック・クラプトン「Holy Mother」(1986) は彼に捧げられた。
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1943年4月3日 | 1986年3月4日 | 42 | 男性歌手 | ロック | ca |
アメリカの著名フュージョン・ギタリスト。早くからジャズとロックの融合に取り組み、アコースティック・ギターを使用したジャズとクラシックの融合も試みた。マイルス・デイヴィス、パコ・デ・ルシア、ジョン・マクラフリン、アル・ディ・メオラ、山下和仁など世界のミュージシャン多数と共演した。
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1943年4月2日 | 2017年2月19日 | 73 | ギター | ジャズ | us |
ギリシャの世界的作曲家、シンセサイザー奏者。『炎のランナー』(1981) 全米1位、『ブレードランナー』(1982)、『南極物語』(1983) などのサウンドトラック、2000年シドニー・オリンピック閉会式の音楽、2002年FIFAワールドカップのアンセムなどを手掛けた。1974年、リック・ウェイクマンの後任としてイエス加入を打診されたが諸所の問題から断った。1975年、ギリシャのハードロック・バンド en:Socrates Drank the Conium 『Phos』にプロデューサー、キーボード奏者で参加。1979年ジョン・アンダーソンとジョン&ヴァンゲリス結成。
グラミー賞ノミネート 3回 |
1943年3月29日 | 2022年5月17日 | 79 | 作曲家 | gr |
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キース・レルフ
Keith Relf イングランドのロックシンガー。1962年にヤードバーズを結成。エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジらが在籍し、レッド・ツェッペリンの母体となった。1976年5月12日、自宅でギターを演奏中、接続不良が原因で感電死した。33歳没。1992年、ヤードバーズがロックの殿堂入りを果たし、レルフの未亡人と遺児がジェフ・ベック、ジミー・ペイジらと授賞式に出席した。
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1943年3月22日 | 1976年5月12日 | 33 | 男性歌手 | ロック | eg |
アメリカの世界的ジャズギタリスト・歌手。ボビー・ウーマック「Breezin'」、レオン・ラッセル「This Masquerade」、ロッド・テンパートン「Give Me The Night」を取り上げ世界中で大ヒットした。
グラミー受賞 10回・ノミネート 25回(2024年時点) 代表作・他
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1943年3月22日 | 1943年3月22日 | ギター | ジャズ | us |
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アメリカの歌手、作曲家、音楽プロデューサー。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」78位。ラリー・グラハムらとファンク・バンド「スライ&ザ・ファミリー・ストーン」を結成し、『Stand!』(1969) 全米13位、『There's a Riot Goin' On』(1971) 全米1位、『Fresh』(1973) 全米7位とヒット・アルバムを連発。「Everyday People」(1968)「Thank You」(1969)「Family Affair」(1971) など3曲の全米1位を放った。ジェームス・ブラウンやジョージ・クリントンらと共にファンクを広め、1993年にグループでロックの殿堂り。
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1943年3月15日 | 1943年3月15日 | 男性歌手 | ファンク | us |
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ピーター・ジェンナー
Peter Jenner イギリスの音楽マネージャー、音楽プロデューサー。1966年、ロックミュージックのマネージメント会社 Blackhill Enterprises をアンドリュー・キングと共同設立。当時無名だったピンク・フロイド、マーク・ボラン、クラッシュ、ロイ・ハーパーらを手掛け、ボランはブラックヒルの秘書ジューン・チャイルド (June Child, 1943–1994) と結婚した。ブラックヒルは1981年に解散したが、ジェンナーはマネージメントの仕事を続け、ピンク・フロイド脱退後のシド・バレットのマネージメントとプロデュースにも関わった。
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1943年3月3日 | 1943年3月3日 | マネージ | ロック | eg |
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ボブ・ハイト
Bob Hite アメリカの歌手、ブルースのレコード収集家。1965年、アラン・ウィルソン (G) とブルースロック・バンド「キャンド・ヒート」結成。ヒッピー時代に人気を博し、モントレー・ポップ・フェスティバル (1967) とウッドストック・フェスティバル (1969) に出演し、「On The Road Again」(1968) 全米16位、「Going Up The Country」(1968) 全米11位、「Let's Work Together」(1970) 全英2位を獲得した。1981年4月5日、違法薬物の大量摂取により38歳で他界。
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1943年2月26日 | 1981年4月5日 | 38 | 男性歌手 | ブルース | us |
アメリカの音楽マネージャー、実業家。
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1943年2月25日 | 2019年6月21日 | 76 | マネージャー | フォーク | us |
イングランド出身のシンガーソングライター、ギタリスト。ビートルズのヴォーカル兼リード・ギタリスト。ビートルズの楽曲でシタールを演奏し、世界的にインド音楽が注目されるきっかけとなった。 グラミー受賞 12回・ノミネート 39回
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1943年2月25日 | 2001年11月29日 | 58 | 男性歌手 | ロック | eg |
アメリカの著名レーベル経営者、映画プロデューサー。アサイラム・レコード、ゲフィン・レコードの創設者として有名。エリオット・ロバーツと共同でアサイラム・レコードを設立し、その後ゲウィン・レコードを設立した。
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1943年2月21日 | 1943年2月21日 | 実業家 | us |
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アイリス・ゴーディ
Iris Gordy アメリカの作詞家、音楽プロデューサー、モータウンの元副社長。モータウン創設者ベリー・ゴーディの兄弟フラー・ゴーディの娘。スモーキー・ロビンソン、テンプテーションズ、リック・ジェームス、フォー・トップス、デバージ、ダイアナ・ロス、タタ・ヴェガのアルバムに携わった。
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1943年2月16日 | 1943年2月16日 | プロデュース | R&B | us |
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ニール・クリスチャン
Neil Christian イングランドの知る人ぞ知るロック・シンガー。1960年代初頭、 Neil Christian & The Crusaders を結成しジミー・ペイジが2年間在籍。1962年、ジミー・ペイジの後任として、エリック・クラプトンのサポート・ギタリストとして知られる名手アルバート・リーが加入した。1965年にメンバーのほとんどがスクリーミング・ロード・サッチに移籍したものの、1966年「That's Nice」が全英14位を記録しリッチー・ブラックモアらがツアーに参加した。
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1943年2月14日 | 2010年1月4日 | 66 | 男性歌手 | ロック | eg |
アメリカのレコーディング・エンジニア、音楽プロデューサー。1970年代のイーグルスとの仕事で知られている。1960年にアメリカ海軍でソナー技術者として働き、訓練の一環としてオーディオ制作の授業を受けた。退役後、音楽業界でフルタイムで働くためにニューヨーク大学を退学。 B.B.キング、ザ・フー、ジョー・ウォルシュ、ジェイムス・ギャング、エルヴィン・ビショップなどさまざまなアーティストと仕事をした。
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1943年2月13日 | 1943年2月13日 | エンジニア | us |
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リトル・ジョニー・テイラー
Little Johnny Taylor アメリカのブルース・R&Bシンガー。1963年「Part Time Love」(作詞作曲:クレイ・ハモンド)が全米19位・R&B1位を獲得。ローリング・ストーンズは 23thアルバム『Blue And Lonesome』(2016) で「Everybody Knows About My Good Thing」をカバーした。
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1943年2月11日 | 1943年2月11日 | 男性歌手 | ブルース | us |
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レニー・アンドラーヂ
Leny Andrade ブラジルの女性歌手。ブラジリアン・ジャズのファースト・レディ。スキャットを得意とし、ダイナミックでエモーショナルな歌唱で知られている。
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1943年1月25日 | 2023年7月24日 | 80 | 女性歌手 | ジャズ | br |
1943年1月23日 | 1943年1月23日 | ヴィブラフォン | ジャズ | us |
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アメリカ合衆国テキサス州出身の伝説的な女性シンガー。しわがれたメゾ・ソプラノの声は狂気と渇望を表現し、瞬く間にセンセーションを巻き起こした。ジミ・ヘンドリックス同様、音楽にすべてを捧げたアーティスト。
ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」28位。
トリビア
See Also
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1943年1月19日 | 1970年10月4日 | 27 | 女性歌手 | ロック | us |
1943年1月18日 | 1943年1月18日 | ドラム | ジャズ | us |
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アメリカのフォークロックのシンガーソングライター。世界売上4,500万枚以上。1974年、第1回アメリカン・ミュージック・アワード「最優秀ポップ/ロック男性アーティスト」でエルトン・ジョンやスティーヴィー・ワンダーをおさえ受賞。1990年、ソングライターの殿堂入り。1973年9月20日、人気絶頂期に飛行機事故により30歳で他界した。
代表作
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1943年1月10日 | 1973年9月20日 | 30 | 男性歌手 | ロック | us |
アメリカの作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。ブライアン・ウィルソンの依頼でビーチ・ボーイズ『SMiLE』に携わったことで有名。
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1943年1月3日 | 1943年1月3日 | 編曲家 | ロック | us |
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ジョン・ダンバー
John Dunbar イングランドの芸術家、収集家、ギャラリスト。アメリカ合衆国メキシコシティ出身。1960年代のカウンターカルチャーの芸術や音楽シーンとのつながりでよく知られている。ケンブリッジ大学在学中に歌手マリアンヌ・フェイスフルと出会い、1965年5月6日ピーター・アッシャーが介添人となり結婚。アレン・ギンズバーグらとパリで新婚旅行を過ごした。マリアンヌは男児を出産したが、ダンバーを捨ててミック・ジャガーと同棲し離婚。1965年、インディカ・ギャラリーを共同設立し、展覧会をしていたオノ・ヨーコをジョン・レノンに紹介した。
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1943年 | 1943年1月1日 | 芸術家 | ロック | us |
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1942年12月31日 | 1942年12月31日 | ギター | ロック | us |
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1942年12月29日 | 1999年12月10日 | 56 | ベース | ロック | ca |
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アメリカのギタリスト。著名なスタジオ・ミュージシャンで、フュージョン・バンド「スタッフ」のメンバーとして知られている。
グラミー賞ノミネート 1回
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1942年12月19日 | 2011年5月8日 | 68 | ギター | us |
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アメリカの白人ブルース・シンガー、ハーモニカ奏者。ポール・バターフィールド・ブルース・バンドには、マイク・ブルームフィールドやエルヴィン・ビショップら名ギタリストが参加。バンドはボブ・ディランがエレキギターを使用し、物議をかもした1965年7月24日のニューポート・フォーク・フェスティバルでディランの演奏を務めた(ポール・バターフィールドは不参加)。
▶ YouTube
ポール・バターフィールド・ブルース・バンド Albums |
1942年12月17日 | 1987年5月4日 | 44 | 男性歌手 | ブルース | us |
アメリカの伝説のギタリスト・シンガーソングライター。本名ジョニー・アレン・ヘンドリックス。ジミの強烈なギタープレイはビートルズ、ローリング・ストーンズ、エリック・クラプトン、ジェフ・ベックらに強烈な衝撃を与え、ウッドストック・フェスティバル (1969) とワイト島フェスティバル (1970) でヘッドライナーを務めた。
無名時代
メジャー・デビュー
The Jimi Hendrix Experience, 1966–1969ジミ・ヘンドリックス (G/Vo)、ノエル・レディング (B)、ミッチ・ミッチェル (Dr)
Gypsy Sun & Rainbows, 1969ジミ・ヘンドリックス (G/Vo)、ビリー・コックス (B)、ミッチ・ミッチェル (Dr)、ジェリー・ベレス (Per)、ジュマ・サルタン (Per)、ラリー・リー (G) 1969年8月、ウッドストック・フェスティバルにメインアクトとして出演。Jimi Hendrix Band of Gypsys, 1969–1970ジミ・ヘンドリックス (G/Vo)、ビリー・コックス (B)、バディ・マイルス (Dr)1969年10月に結成し、1970年1月28日のライブで解散。
The Jimi Hendrix Experience, 1970ジミ・ヘンドリックス (G/Vo)、ビリー・コックス (B)、ミッチ・ミッチェル (Dr)ジプシー・サン&レインボウズ解散後に結成。ワイト島音楽祭や「オープン・エア・ラブ&ピース・フェスティバル」に出演。 フェスティバル出演
参加作品
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1942年11月27日 | 1970年9月18日 | 27 | ギター | ロック | us |
ジョー・バターン
Joe Bataan |
1942年11月15日 | 1942年11月15日 | 男性歌手 | ラテンソウル | us |
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ジョン・P・ハモンド
John P. Hammond アメリカのブルース歌手・ギタリスト。1973年、マイク・ブルームフィールド、ドクター・ジョンと『Triumvirate』リリース。ジミ・ヘンドリックス、エリック・クラプトン、トム・ウェイツらと共演。1991年、ドキュメンタリー番組『ロバート・ジョンソンを探して』の司会を務め、伝説のデルタ・ブルースマン、 ロバート・ジョンソンの生涯を紹介した。父はビリー・ホリデイ、ボブ・ディラン、アレサ・フランクリン、レナード・コーエン、ブルース・スプリングスティーンらを発掘・プロデュースした大物ジョン・ハモンド 。2011年、ブルースの殿堂入り。
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1942年11月13日 | 1942年11月13日 | ギター | ブルース | us |
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ノラ・フォースター
Nora Forster
ドイツ・ミュンヘン出身のプロモーター、女優、モデル。パンク・ミュージシャンのパトロンでジョン・ライドンの妻。
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1942年11月6日 | 2023年4月6日 | 80 | パトロン | パンク | de |
ブラジルのシンガーソングライター。1966年、ミルトン作曲「Canção do Sal」をエリス・レジーナが歌い大ヒット。1969年、1stアルバム『Courage』(A&M) リリース。ウェイン・ショーター『Native Dancer』(1975) にゲスト参加し幅広いファン層を得た。ジョージ・デューク、サラ・ヴォーン、ポール・サイモン、パット・メセニー、ジョン・アンダーソン、ピーター・ガブリエル、ジェームス・テイラーらと共演した。 グラミー受賞 1回・ノミネート 4回(2024年時点) |
1942年10月26日 | 1942年10月26日 | 男性歌手 | MPB | us |
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アメリカカ合衆国リフォルニア州グレンデール出身の世界的ギタリスト、シンガー。シカゴ大学で物理学を専攻していたがブルースに専念するため中退。ポール・バターフィールド・ブルース・バンドのギタリストを経て、ソロになって「Billboard Hot 100」に5曲がチャートインした。
グラミー賞ノミネート 4回(2024年時点)
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1942年10月21日 | 1942年10月21日 | ギター | ブルース | us |
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イングランドの世界的音楽プロデューサー。エルトン・ジョンのプロデューサーとして有名。テン・イヤーズ・アフター、ボンゾ・ドッグ・ドゥー・ダー・バンド、マイケル・チャップマン、デヴィッド・ボウイ「Space Oddity」(1969) などをプロデュース。
グラミー賞ノミネート 5回 |
1942年9月30日 | 2002年7月21日 | 59 | プロデュース | ポップ | eg |
ディー・ディー・ワーウィック
Dee Dee Warwick |
1942年9月25日 | 2008年10月18日 | 66 | 女性歌手 | R&B | us |
アメリカ合衆国ニューヨーク出身の女性シンガー。1967年、1stアルバム『Out of Different Bags』。1975年、6thアルバム『Who Is This Bitch, Anyway?』(Blue Note) がJazz7位、1977年『Sweet Beginnings』(Columbia) 全米62位・R&B14位・Jazz12位を記録。ロバータ・フラックのカバー「Feel Like Makin' Love」が人気を博した。 グラミー賞ノミネート 1回 |
1942年9月22日 | 2024年1月19日 | 84 | 女性歌手 | ポップ | us |
アル・ジャーディン
Al Jardine アメリカのギタリスト、歌手。ビーチ・ボーイズでリズムギターと数曲でリード・ヴォーカルを担当。ビーチ・ボーイズのデビュー曲「Surfin' Safari」(1962) でベースを担当。歯科医になるためにバンドを離れ1963年に復帰。1990年代は主治医にマインド・コントロールされていたブライアン・ウィルソンやマイク・ラヴと対立しビーチ・ボーイズを離脱。自身のバンド「エンドレス・サマー・バンド」でツアーを行い、2013年に完全和解し再加入した。
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1942年9月3日 | 1942年9月3日 | ギター | ロック | us |
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アメリカのジャズ・ドラマー、ピアニスト。1968年、トニー・ウィリアムスの後任としてマイルス・デイヴィスのグループに加入し、『Bitches Brew』(1970)、『On The Corner』(1972) 、ワイト島フェスティバルに参加。キース・ジャレット、ゲイリー・ピーコックとのトリオも有名。ビル・エヴァンス、ハービー・ハンコックなど膨大なレコーディングに参加した。 グラミー受賞 2回・ノミネート 6回(2024年時点) |
1942年8月9日 | 1942年8月9日 | ドラム | ジャズ | us |
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1942年8月7日 | 1942年8月7日 | 男性歌手 | MPB | br |
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アメリカ合衆国ニューヨーク州ブルックリン出身の音楽プロデューサー、レコーディング・エンジニア。主にハービー・ハンコックのアルバム多数、モビー・グレープ、ポインター・シスターズ、サンタナ、タジ・マハールなどをプロデュースし、サンフランシスコ初の自動化スタジオ「オートマット」設立した。
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1942年8月7日 | 1942年8月7日 | プロデュース | us |
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アメリカのポピュラー歌手。1960–1970年代にかけてヒットソングをリリースした。 グラミー受賞 5回・ノミネート 9回
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1942年8月7日 | 2021年5月29日 | 78 | 男性歌手 | ポップ | us |
アメリカの音楽プロモーター。ジャニス・ジョプリンを擁したビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーの仕掛け人。「サマー・オブ・ラブ」の父と呼ばれ、1960年代中期から後半のサンフランシスコでヒッピー時代のカウンターカルチャーを牽引した。
See Also |
1942年8月2日 | 2005年6月25日 | 62 | 実業家 | ロック | us |
アメリカのミュージシャン。グレイトフル・デッドのリードギタリストで、1960年代のカウンターカルチャーの象徴としてよく知られる。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のギタリスト」2011年46位。
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1942年8月1日 | 1995年8月9日 | 53 | 男性歌手 | ロック | us |
アメリカのシンガーソングライター、ギタリスト。世界的フォークロック・バンド「バーズ」のメンバー。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のギタリスト」2011年95位。
グラミー賞ノミネート 3回(2024年時点)
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1942年7月13日 | 1942年7月13日 | 男性歌手 | ロック | us |
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1942年7月10日 | 2010年5月16日 | 67 | 男性歌手 | メタル | us |
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ブラジルの世界的シンガーソングライター、ギタリスト、政治家。カエターノ・ヴェローゾらと共にトロピカリア・ムーブメントを牽引。
グラミー受賞 2回・ノミネート 7回(2024年時点)
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1942年6月26日 | 1942年6月26日 | 男性歌手 | MPB | us |
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アーサー・ブラウン
Arthur Brown
イングランドのロック・シンガー。1967年、クレイジー・ワールド・オブ・アーサー・ブラウン を結成し「Fire」(1968) が全米2位・全英1位を獲得。ザ・フー、ジミ・ヘンドリックス、ドアーズ、スモール・フェイセス、ジョー・コッカーなどとツアーを行った。1970年に Kingdom Come を結成し、1974年に解散してからはソロ活動に専念した。ショックロック (Shock Rock) と呼ばれる奇抜なステージングは様々なミュージシャンに影響を与えた。
See Also – Shock Rock
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1942年6月24日 | 1942年6月24日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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ブラジル出身の音楽プロデューサー、キーボード奏者、作曲家、編曲家。ミルトン・ナシメントらのアレンジやクール&ザ・ギャング「Celebration」(1980 全米1位) のプロデュースで知られている。
グラミー受賞 1回・ノミネート 3回(2024年時点)
Albums
Single
プロデュース
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1942年6月22日 | 1942年6月22日 | プロデュース | br |
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アメリカのベーシスト。セッション・ミュージシャンとしてジョージ・ハリスン、レオン・ラッセル、ジョー・コッカー、ザ・バンドらと共演。1970年、デラニー&ボニーのツアーで一緒になったエリック・クラプトン、ジム・ゴードン、ボビー・ウィットロックと共にデレク&ザ・ドミノスを結成。1971年、トム・ダウドのプロデュースで唯一のアルバム『Layla』(いとしのレイラ)をリリースしたがバンドは解散。薬物で3年間の休養から復帰したクラプトンをサポートした。1980年、アルコールと麻薬の過剰摂取により37歳で他界。
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1942年6月18日 | 1980年5月30日 | 37 | ベース | ロック | us |
1942年6月18日 | 1942年6月18日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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アメリカのソウル、R&B、ファンクの歌手、作詞家、作曲家、マルチ楽器奏者。1970年にマーヴィン・ゲイ、ダニー・ハサウェイ、スティーヴィー・ワンダーらと共に彼らのサウンドは「ニュー・ソウル」と呼ばれ、世界中のチャートを席巻した。
グラミー賞ノミネート 8回
代表曲
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1942年6月3日 | 1999年12月26日 | 59 | 男性歌手 | ポップ | us |
1942年5月17日 | 1942年5月17日 | 男性歌手 | ブルース | us |
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アメリカのシンガーソングライター。「カントリー・ミュージックのファースト・レディ」と呼ばれ、「Stand by Your Man」(1968) が全米19位を記録。当時カントリー史上、女性歌手として最大のヒットとなった。1960–1970年代に23曲がカントリー・チャート1位を獲得し、ロレッタ・リン、ドリー・パートンと共にカントリー・ミュージックでの女性の地位を確立した。 グラミー受賞 2回・ノミネート 16回 |
1942年5月5日 | 1998年4月6日 | 55 | 女性歌手 | カントリー | us |
アメリカのセッション・ドラマー。ビートルズやローリング・ストーンズのメンバーやボブ・ディラン、エリック・クラプトン、ライ・クーダーらと共演。ジョン・レノン「Jealous Guy」「I Don’t Wanna Be A Soldier」などに参加した。
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1942年4月27日 | 1942年4月27日 | ドラム | us |
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ボビー・ライデル
Bobby Rydell |
1942年4月26日 | 2022年4月5日 | 79 | 男性歌手 | ポップ | us |
アメリカの世界的歌手、女優、作曲家、映画プロデューサー、映画監督。1962年に歌手デビューして以来、ローラ・ニーロやビー・ジーズのバリー・ギブによる楽曲提供で41曲のビルボードTOP 100を送り出した。1970年代、米国で最も成功した女性歌手で、当時彼女よりアルバムを売り上げていたのはエルヴィス・プレスリーとビートルズだけである。音楽評論家のスティーヴン・ホールデンは彼女を「フランク・シナトラ以来最も影響力のある米国ポップ歌手」と評している。映画『ファニー・ガール』でアカデミー主演女優賞、『スター誕生』でアカデミー歌曲賞の他に複数のエミー賞、グラミー賞、ゴールデングローブ賞、トニー賞を受賞。
グラミー受賞 8回・ノミネート 47回(2024年時点)
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1942年4月24日 | 1942年4月24日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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アメリカの音楽エグゼクティブ。サイアー・レコード社長兼ワーナー・ブラザーズ・レコード副社長を務め、マドンナ、ラモーンズ、トーキング・ヘッズ、プリテンダーズなどと契約した。2005年ロックの殿堂入り。
1958年 Billboard Hot 100 開発 13歳のとき、ビルボードの店員としてキャリアをスタート。スタインはビルボードの伝説的な編集者ポール・アッカーマン、 ビルボードチャートの責任者トム・ヌーナンとビルボードの金庫に保管されていた20年分のチャートを研究し「Billboard Hot 100」を開発。1958年8月4日に公開し、リッキー・ネルソン「Poor Little Fool」が初の全米1位を獲得した。1961年、オハイオ州シンシナティのキングレコードに就職し、1963年まで設立者シド・ネイサン (1904–1968) からレコードビジネスについて多くを学んだ。 ホームシックに陥り、1963年にニューヨークに戻ってアトランティック・レコード共同創設者ハーブ・エイブラムソンのもとで3ヶ月ほど働いた後、ジェリー・リーバーとマイク・ストーラーと共にレッド・バード・レコードを設立したジョージ・ゴールドナー (1918–1970) のアシスタントになり、ブリル・ビルディングで働いた。 1966年 サイアー・レコード設立とジミ・ヘンドリックス リーバーとストーラー、ゴールドナーの関係が悪化し、1966年にスタインはリチャード・ゴッテラーとサイアー・レコードを設立。ジミ・ヘンドリックスと契約する機会があったものの、ある時ジミがギターを壊し、恋人のリンダ・キースと何度も口論するのを目撃し契約を断念した。ゴッテラーはプロデュースに専念するため1974年にレーベルを離れ、スタインはニューヨークのクラブで新人発掘に注力。1975年、妻リンダ・スタインの勧めでラモーンズ、1977年にトーキング・ヘッズ、リチャード・ヘル & ザ・ヴォイドイズ、 1980年にプリテンダーズと契約した。後にリプレイスメンツ、デペッシュ・モード、ザ・スミス、ザ・キュアー、アイス-T、ミニストリー、ザ・アンダートーンズ、エコー&ザ・バニーメンらと契約した。 1982年 と契約 1982年、歌手志望のマドンナは「Everybody」「Burning Up」「Ain't No Big Deal」を含む4曲のデモテープを作成し、自ら地元のクラブに売り込んでいた。ナイトクラブ「ダンステリア」のDJマーク・カミンズ (1950–2013) に楽曲をプレイしてもらうことに成功し、観客から好評を得た。カミンズはプロデュースを条件にマドンナのレコード契約に協力。カミンズはアイランド・レコード創設者クリス・ブラックウェルにデモを聴かせたが契約を断られた。その後、デモテープに感銘を受けたスタインは、アルバムのオプション付きでシングル3枚の契約を結んだ。1982年10月6日、マドンナはカミンズのプロデュースにより「Everybody」でデビューし全米7位・ダンスチャート3位を獲得した。ニューウェーブとパンク スタインは、軽蔑的な意味を持つ「パンク」を使うとニューヨークのクラブ CBGB で頻繁に演奏していたサイアーのバンドの売り上げが悪くなると考え、代わりに「ニューウェーブ」という名称を考案。「Don't Call It Punk」(パンクと呼ばないで)キャンペーンを開始した。晩年 2017年、スタインは同性愛者であることを公表し、2018年にサイアー・レコード社長兼ワーナー・ブラザーズ・レコード副社長を引退。同年、自伝『Siren Song: My Life in Music』を出版した。2023年4月2日、ロサンゼルスの自宅で癌により80歳で他界した。アイス-Tは自伝で「スタインはクライヴ・デイヴィスのような昔の音楽エグゼクティブの血を引いているが、もっと風変わりだ。もう少し奇妙で、もう少し前衛的で、もっとエッジの効いたやつだ」と書いている。 |
1942年4月18日 | 2023年4月2日 | 80 | 実業家 | us |
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レオン・ハフ
Leon A. Huff |
1942年4月8日 | 1942年4月8日 | R&B | us |
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アメリカ合衆国オクラホマ州ロートン出身の世界的シンガーソングライター、キーボーディスト、ギタリスト。カーペンターズやアレサ・フランクリンらがカバーした不朽の名曲「A Song for You」の作者として世界的に有名。1960年代後半より様々なミュージシャンへ楽曲提供し、デラニー&ボニー、ジョージ・ハリスン、ローリング・ストーンズ、ジョー・コッカー、アル・クーパー、ザ・ベンチャーズ、リタ・クーリッジなど数多くのミュージシャンと共演。アルバム33枚と430曲をレコーディングした。
グラミー受賞 2回・ノミネート 7回
楽曲
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1942年4月2日 | 2016年11月13日 | 74 | 男性歌手 | ロック | us |
アメリカの偉大なシンガーソングライター、ピアニスト。ゴスペル・フィーリングの圧倒的な歌声で「Queen Of Soul」と称されている。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」1位。同世代女性シンガーのメイヴィス・ステイプルズ、パティ・ラベル、グラディス・ナイトらとR&Bシーンを賑わせた。父C・L・フランクリンは牧師・公民権運動活動家、姉アーマ・フランクリンと妹キャロリン・フランクリンはともに歌手。
グラミー受賞 18回・ノミネート 44回
全米1位ソング
全米TOP 5内アルバム
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1942年3月25日 | 2018年8月16日 | 76 | 女性歌手 | ポップ | us |
1942年3月23日 | 1994年10月22日 | 52 | プロデュース | ロック | us |
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アミナ・クローディン・マイアーズ
Amina Claudine Myers |
1942年3月21日 | 1942年3月21日 | ピアノ | ジャズ | us |
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ウェールズ出身の作曲家、ピアニスト、ヴィオラ奏者、音楽プロデューサー。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのメンバーとして有名。1960年、ロンドン大学で音楽論学に関する長い学術論文に取り組み、イギリスでケイルの演奏を見たアメリカの著名作曲家アーロン・コープランドに見出され、アメリカのイーストマン音楽学院に留学。1965年にルー・リードとヴェルヴェット・アンダーグラウンドを結成した。1970年にソロ活動を開始し、テリー・ライリーやブライアン・イーノと共演。ストゥージズやパティ・スミスをプロデュースした。
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1942年3月9日 | 1942年3月9日 | 作曲家 | ロック | wales |
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フローラ・プリム
Flora Purim
ブラジルの女性歌手。ボサノヴァ、ジャズ、フュージョン、サイケデリック・サウンドを歌いこなし、夫アイアート・モレイラと渡米。ディジー・ガレスピー、ギル・エヴァンス、スタン・ゲッツ、サンタナ、ジャコ・パストリアス、ジョージ・デューク、グレイトフル・デッドのミッキー・ハートらと共演した。
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1942年3月6日 | 1942年3月6日 | 女性歌手 | フュージョン | us |
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アメリカ合衆国ニューヨーク州ブルックリン出身のロック・シンガー、ギタリスト。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのフロントマン、ソロとして世界的に著名。シラキューズ大学在学中にデルモア・シュワルツに師事して詩作を学び、1965年にジョン・ケイルとヴェルヴェット・アンダーグラウンドを結成し、アンディ・ウォーホルの目に留まりデビュー。当時はオーネット・コールマンやアルバート・アイラーなどのフリー・ジャズに影響を受け、30分に及ぶ即興演奏をすることがあった。1970年に脱退し、1972年に1stアルバム『 Lou Reed』(RCA) でソロ・デビュー。1972年11月、デヴィッド・ボウイとミック・ロンソンによるプロデュースで2ndアルバム『Transformer』をリリースし、グラムロックの名曲「Walk On The Wild Side」がヒットした。2008年、前衛音楽家ローリー・アンダーソンと3度目の結婚をした。 グラミー受賞 1回・ノミネート 2回 |
1942年3月2日 | 2013年10月27日 | 71 | 男性歌手 | ロック | us |
イングランドのロック・ミュージシャン、マルチ楽器奏者。ローリング・ストーンズの創始者・初代リーダー。
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1942年2月28日 | 1969年7月3日 | 27 | ギター | ロック | eg |
クラウス・ヴァイス
Klaus Weiss ドイツのジャズ・ドラマー。『twen』誌でドイツNo.1ドラマーに選出。1966年、初リーダー作『Greensleeves』リリース。1970年代はジャズロックバンドの Niagara や Sunbirs を結成した。アメリカから公演にやって来たバド・パウエル、ジョニー・グリフィン、マル・ウォルドロン、ブッカー・アーヴィンらの伴奏も務めた。
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1942年2月17日 | 2008年12月10日 | 66 | ドラム | ジャズ | de |
イングランドの名エンジニア、音楽プロデューサー。ボブ・ディラン、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリン、ザ・フーなどを手掛けた。
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1942年2月15日 | 1942年2月15日 | エンジニア | ロック | eg |
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レオン・ヘイウッド
Leon Haywood アメリカのファンク、ソウルの歌手、ソングライター、音楽プロデューサー。ブルースマンを経て、サム・クックのバンドにキーボード奏者として参加し歌手が亡くなるまで活動した。1970年代にディスコブームで頭角を現し、1975年「I Want'a Do Something Freaky to You」(R&B7位・全米15位)、1976年「Strokin' (Pt. II)」(R&B13位)、1978「Party」(R&B24位) 、1980年「Don't Push It Don't Force It」(R&B第2位、全英12位)
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1942年2月11日 | 2016年4月5日 | 74 | 男性歌手 | ポップ | us |
アメリカ合衆国ニューヨーク市ブルックリン出身の世界的シンガーソングライター。本名キャロル・ジョーン・クライン (Carol Joan Klein)。1958年、16歳でデビュー。1960年代はじめ夫ジェリー・ゴフィンとソングライター・デュオでヒット曲を連発(キャロルが作曲、ゴフィンが作詞)。1970年代のシンガーソングライター・ブームの代表的な女性歌手となった。世界セールス7,500万枚以上。
グラミー受賞 4回・ノミネート 9回(2024年時点)
楽曲提供
Albums
See Also |
1942年2月9日 | 1942年2月9日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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アメリカの音楽プロデューサー、シンガーソングライター。バーズのプロデュースやビーチ・ボーイズのブルース・ジョンストンとのコラボレーション、マンソン・ファミリーとの一件で有名。ライ・クーダーやタジ・マハールのキャリアに貢献し、1960年代のカリフォルニア・サウンドを構築した。女優・歌手ドリス・デイの一人息子で、テリー・デイ (Terry Day) としてコロムビア・レコード史上最年少プロデューサーとなった。
プロデュース
チャールズ・マンソンメルチャーはビーチ・ボーイズのデニス・ウィルソンからミュージシャン志望のチャールズ・マンソンを紹介されたが、マンソンの異常な行動と怖ろしい素性を知り関係を断った。1969年8月8日夜、メルチャーが以前住んでいたロサンゼルス「シエロ・ドライブ10050番地」でシャロン・テート殺人事件が起こり、マンソン・ファミリーは全米を震撼させた。チャールズ・マンソンが収監されたカリフォルニア州のコーコラン刑務所には、ロバート・ケネディ暗殺犯のサーハン・ベシャラ・サーハンと大物音楽プロデューサーのフィル・スペクターがいた。マンソンは敬愛するスペクターに面会を求めたという。▶ Charles Manson Reaches Out to Phil Spector チャールズ・マンソンは2017年11月19日に83歳で、フィル・スペクター41年10月28日は2021年1月16日に81歳でともに獄中死した。 |
1942年2月8日 | 2004年11月19日 | 62 | プロデュース | ロック | us |
イングランドのシンガーソングライター。1960年代からホリーズ、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングのメンバーとして知られている。2006年、デヴィッド・クロスビーと共にデヴィッド・ギルモア『On An Island』とツアーにも同行した。 グラミー受賞 1回・ノミネート 8回(2024年時点) |
1942年2月2日 | 1942年2月2日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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ブラジルの女性歌手。「ボサノヴァのミューズ」として有名。1964年、1stアルバム『Nara』リリース。同年、誕生したブラジルの軍事独裁政権したことからボサノヴァから離れ、プロテストソングに傾倒。政府からマークされるようになると、1968年にパリへ亡命した。その後、カエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジルたちもロンドンへ亡命した。彼らとブラジル音楽の普及に精力的に活動していたが、脳腫瘍が悪化し1989年6月7日、47歳で他界した。
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1942年1月19日 | 1989年6月7日 | 47 | 女性歌手 | ボサノヴァ | br |
クラレンス・クレモンズ
Clarence Clemons 米国のサックス奏者、歌手。ブルース・スプリングスティーンのレコーディングやコンサートに参加し、『Born To Run』(1975) のカバーアートにも登場した。
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1942年1月11日 | 2011年6月18日 | 69 | サックス | ポップ | us |
ジョン・ルシアン
Jon Lucien
イングランド出身の歌手。10代でアメリカへ移住し、RCAの幹部に見出されてデビュー。RCAは「黒いシナトラ」として売り出そうとしたという。
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1942年1月8日 | 2007年8月18日 | 65 | 男性歌手 | R&B | eg |
イングランドのジャズ・ロックギタリスト。前衛的なサウンドと超絶技巧で知られ、ブルース、ロック、ジャズ、インド音楽、フラメンコ、クラシックなどレパートリーは多岐にわたる。ギター講師としてジミー・ペイジやジョン・ポール・ジョーンズに教えた。ウェイン・ショーター、カルロス・サンタナ、パコ・デ・ルシア、ラリー・コリエル、アル・ディ・メオラら世界の超一流ミュージシャンと共演し、複数のプロジェクトに参加した。
プロジェクト
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1942年1月4日 | 1942年1月4日 | ギター | フュージョン | eg |
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アメリカのソウル・シンガー。世界的ファンク・バンド、アース・ウィンド&ファイアーのバンドリーダー。1966年、ラムゼイ・ルイスのバンドに加入。1969年、ソルティ・ペパーズを結成し、翌年アース・ウィンド&ファイアーと改名した。1975年、サウンドトラック『That's The Way Of The World』が全米1位を獲得。バンドはこれまでに9,000万枚以上を売り上げ、6度のグラミー賞を受賞。2000年にロックの殿堂入りした。
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1941年12月19日 | 2016年2月4日 | 74 | 男性歌手 | ファンク | us |
1941年11月25日 | 2015年4月14日 | 73 | 男性歌手 | ポップ | us |
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アメリカのベーシスト。ジェームス・ジェマーソンと並びソウル・ミュージックの伝説的ベース・プレイヤーとして有名。ローリング・ストーン誌「史上最高のベーシスト50」15位。スタックス・レコード専属スタジオ・バンド「ブッカー・T&ザ・MG's」にルイス・スタインバーグの後任として加入し、オーティス・レディング、ジョニー・テイラー、ウィルソン・ピケット、サム&デイヴらの演奏を担当。スタックスを離れてからはフレディ・キング、エルヴィス・プレスリー、デュアン・オールマン、ロッド・スチュワート、リヴォン・ヘルム、トム・ペティ、ボブ・ディラン、エリック・クラプトン、マディ・ウォーターズ、ニール・ヤング等のレコーディングやバンドに参加した。2012年5月13日、東京のホテルで睡眠中に他界。70歳没。
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1941年11月24日 | 2012年5月13日 | 70 | ベース | R&B | us |
アメリカのブルース・シンガー、ギタリスト、ピアニスト、作曲家。ルイジアナ州ニューオーリンズ出身。スタジオ・ミュージシャンとしても幅広く活躍し、プロフェッサー・ロングヘア、リンゴ・スター、カーリー・サイモン、ジェシ・エド・デイヴィス、ジョニー・ウィンターなど多数と共演した。
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1941年11月21日 | 2019年6月6日 | 77 | 男性歌手 | ブルース | us |
アメリカの世界的シンガーソングライター、俳優。ポール・サイモンとのデュオ「サイモン&ガーファンクル」の活動で知られ、ソロアーティストとしても成功を収め「天使の歌声」と評された。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」86位。近年は息子のアート・ガーファンクル・ジュニアと活動している。 グラミー受賞 8回・ノミネート 13回(2024年時点) |
1941年11月5日 | 1941年11月5日 | 男性歌手 | フォーク | us |
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イングランドのロック・ギタリスト。クリフ・リチャードのバック・バンドとして結成され、1950年代から活動するエレキギター・バンド「シャドウズ」のリード・ギタリスト。
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1941年10月28日 | 1941年10月28日 | ギター | ロック | eg |
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1941年10月25日 | 2020年9月29日 | 78 | 女性歌手 | ポップ | au |
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アメリカの重要ギタリスト、ソングライター、音楽プロデューサー。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のギタリスト」2011年39位。スタックス・レコード専属スタジオ・バンド「ブッカー・T&ザ・MG's」を結成し、オーティス・レディング、ジョニー・テイラー、ウィルソン・ピケット、サム&デイヴらの演奏を担当。ジョン・レノンとポール・マッカートニーはクロッパーのプレイを高く評価した。
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1941年10月21日 | 1941年10月21日 | ギター | R&B | us |
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ビリー・コックス
Billy Cox
アメリカのロック・ベーシスト。旧友のジミ・ヘンドリックスと結成したバンド・オブ・ジプシーズのベーシストで有名。サム・クック、スリム・ハーポ、ジョー・サイモン、チャーリー・ダニエルズ、ジョン・マクラフリン、ルーファス・トーマス、カーラ・トーマス、ルー・ロウルズ、エタ・ジェイムス、ジャッキー・ウィルソン、リトル・リチャードのハウスバンドやツアーバンドのメンバーであったり、彼らのセッションを録音したりした。女性シンガー・ギタリスト Char Vinnedge とニトロ・ファンクションを結成し、『Billy Cox's Nitro Function』(1972) をリリースした。
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1941年10月18日 | 1941年10月18日 | ベース | ロック | us |
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アメリカの世界的シンガーソングライター。アート・ガーファンクルとのデュオ「サイモン&ガーファンクル」で一世を風靡した。ローリング・ストーン「偉大な100人のギタリスト」2011年93位。 グラミー受賞 16回・ノミネート 36回(2024年時点) |
1941年10月13日 | 1941年10月13日 | 男性歌手 | フォーク | us |
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ジョン・シンクレア
John Sinclair
アメリカの詩人、作家、政治活動家。ブラックパンサー党を支持する反人種差別団体「ホワイトパンサー党」の党首。1960年代半ば、新進気鋭の詩人としてデトロイトのパンクバンドMC5のマネージャーに就任。69年、マリファナ所持で懲役10年を言い渡された。1971年、その厳しい判決に抗議コンサート「ジョン・シンクレア・フリーダム・ラリー」開催され、ボブ・シーガー、スティーヴィー・ワンダー、アーチー・シェップらが参加しジョン・レノンとオノ・ヨーコは新曲「John Sinclair」を演奏した。シンクレアはアムステルダムへ移住し、レコーディングとラジオ番組で活動した。
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1941年10月2日 | 2024年4月2日 | 82 | 詩人 | ロック | us |
1941年10月3日 | 1941年10月3日 | 男性歌手 | ロックンロール | us |
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リンダ・マッカートニー
Linda McCartney
アメリカの写真家、ミュージシャン、料理研究家。1941年9月24日、ニューヨーク州スカースデイルでユダヤ系ロシア人移民の裕福な家庭に生まれた。少女の頃はバディ・ホリーやR&Bに陶酔。1962年に地質学者のジョセフ・メルビル・シー・ジュニア (1938–2000) と結婚し、ヘザーを授かったが1年足らずで離婚。同年、母ルイーズがアメリカン航空1便墜落事故で他界した。
写真家としてキャリアをスタートし、撮影したローリング・ストーンズの写真が音楽雑誌に掲載され有名になった。その後、ジミ・ヘンドリックス、ドアーズ、ジャニス・ジョプリン、サイモン&ガーファンクルを撮影し、彼らとはプライベートでも親しい仲となった。ジミ・ヘンドリックス 3rdアルバム『Electric Ladyland』(1968) の表紙を子供たちとセントラルパークの「不思議の国のアリス」像で撮影したが没になり、米国盤はジミの横顔、英国盤は大勢の女性ヌードモデルの写真が使われた。ジミこの「ヌード・ジャケット」を嫌い、1997年以降はエクスペリエンス・ヘンドリックス財団の意向により、米国盤ジャケットで統一された。なお、没になった写真には幼いコートニー・ラブが写っているという。なお、没になったリンダ版は2018年頃にリリースされた。また、ポール・マッカートニー&マイケル・ジャクソン「The Girl Is Mine」(1982) なども撮影した。 1969年3月12日、ポール・マッカートニーと結婚し、長女メアリー(写真家)、次女ステラ(ファッションデザイナー)、長男ジェイムズ(ミュージシャン)を授かった。1971年にポールとウイングスを結成し、コーラスとキーボードを担当した。1990年代にはベジタリアン料理研究家としてテレビのレギュラー番組に出演、レシピ集の出版、冷凍食品の開発・監修などを行った。1998年4月17日、乳がんによりに56歳で他界。父リー・イーストマンは1970年以降、ポール・マッカートニーの弁護士を務めていた。 |
1941年9月24日 | 1998年4月17日 | 56 | 女性歌手 | ポップ | us |
アメリカの女性歌手。名曲「夢のカリフォルニア」で有名なママス&パパスのママ・キャスで知られている。グループ解散後もソロ歌手として成功し、9枚のアルバムをリリースした。睡眠中に心筋梗塞で死去。クロスビー、スティルス&ナッシュの『グレイテスト・ヒッツ』(2005) は彼女に捧げられた。
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1941年9月19日 | 1974年7月29日 | 32 | 女性歌手 | ポップ | us |
アメリカの世界的ソウル・シンガー、ソングライター。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」8位。ブッカー・T&ザ・MG's のギタリスト、スティーヴ・クロッパーとのタッグで「(Sittin' On) The Dock Of The Bay」などのヒット曲をリリースした。
グラミー受賞 2回・ノミネート 5回
Studdio Albums
Singles
トリビア
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1941年9月9日 | 1967年12月10日 | 26 | 男性歌手 | ソウル | us |
アメリカの女性シンガーソングライター。バート・バカラックとハル・デヴィッドによる名曲「What The World Needs Now Is Love」(1965「世界は愛を求めている」)全米7位・カナダ1位、「Put a Little Love in Your Heart」(1969「恋をあなたに」)全米4位、「Needles and Pins」(1963「ピンと針」)の歌唱で世界的に有名、キム・カーンズ「Bette Davis Eyes」(1981)、アーマ・トーマス「Break-A-Way」(1964)、ブレンダ・リー「Dum Dum」(1961)、リッキー・ネルソン「Thank You Darlin'」(1962)、マリアンヌ・フェイスフル「Come And Stay With Me」(1965) などの作者としても知られている。2010年ソングライターの殿堂入り。
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1941年8月21日 | 1941年8月21日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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アメリカのシンガーソングライター。バーズや「クロスビー、スティルス&ナッシュ」など1960–1970年代を代表するロックバンドに在籍。1980年代は薬物中毒で活動に支障をきたしたが、デヴィッド・ギルモア、マイケル・マクドナルド、ドナルド・フェイゲンらと共演し、息子のジェイムス・レイモンドがサポートした。ジョージ・ハリスンにシタール、ブライアン・ウィルソンにヴァン・ダイク・パークスを紹介。Q誌「偉大な100人のシンガー」99位。父は映画『タブウ』(1931) でアカデミー撮影賞を受賞したフロイド・クロスビー。
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1941年8月14日 | 2023年1月18日 | 81 | 男性歌手 | ロック | us |
アメリカの音楽プロデューサー、シンガーソングライター。幼少期からバイオリンやピアノを学び作曲を開始。プリンストン卒業後、コロンビア・レコードに研修生として雇われ、社長ゴダード・リーバーソンの元で働いた。ディスコやヘヴィメタルが流行した頃にはプロデュースへの興味を失い、時折、佐野元春などをプロデュースするのみとなった。1970年には1stアルバム『John Simon's Album』をリリースした。
プロデュース作品
See Also
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1941年8月11日 | 1941年8月11日 | プロデュース | us |
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ヴィヴ・プリンス
Viv Prince |
1941年8月9日 | 1941年8月9日 | ドラム | ロック | eg |
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アイアート・モレイラ
Airto Moreira
ブラジルのパーカッショニスト。15歳でプロのミュージシャンとして活動を開始。1964年にクアルテート・ノーヴォに加入。渡米後、さまざまな名セッションに参加し、ウルグアイのメンバーで構成されたブラジリアン・フュージョン・バンド「オパ」をプロデュースし、1972年にリターン・トゥ・フォーエヴァーに加入した。妻は歌手のフローラ・プリム。
参加作品
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1941年8月5日 | 1941年8月5日 | パーカッション | ラテン | br |
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ピート・ショットン
Pete Shotton
イングランド・リバプール出身の実業家。ビートルズの前身となったスキッフル・バンド「クオリーメン」のオリジナル・メンバーで、ジョン・レノンが最も信頼した友人のひとりとして知られている。ジョンとは幼馴染で一緒にクオリーバンク・グラマースクール (Quarry Bank Grammar School) に通い、悪態、喫煙、喧嘩、卑猥な落書き、黒板を窓から投げ捨てるなど、2人は問題児として「Shennon & Lotton」と呼ばれた。ジョージ・ハリスンとも馬が合い、ビートルズ解散後も交友が続いた。
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1941年8月4日 | 2017年3月24日 | 75 | 実業家 | ロック | eg |
カナダ出身の歌手、シンガーソングライター。1957年、ドン・コスタに見出され当時15歳のアンカが作詞作曲し歌った「Diana」が全米2位・全英1位・オーストラリア1位・カナダ1位ヒット。
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1941年7月30日 | 1941年7月30日 | 男性歌手 | ポップ | ca |
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アメリカの歌手、音楽プロデューサー。Pファンクの創始者として、パーラメントとファンカデリックを結成。ド派手なファッションでジェームス・ブラウンやスライ・ストーンらと共にファンクを広めた。レッド・ホット・チリ・ペッパーズ 2ndアルバム『Freaky Styley』をプロデュース。作曲家の George S. Clinton とは別人。
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1941年7月22日 | 1941年7月22日 | 男性歌手 | ファンク | us |
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アメリカのギタリスト。1961年「You Can't Sit Down」が全米29位を記録し100万枚以上を売り上げた。チェス・レコードのハウス・ギタリストとなり、ハウリン・ウルフ、マディ・ウォーターズ、カーティス・メイフィールド、オーティス・ラッシュ、スタン・ゲッツ、a href="1920.html#bbking">B.B.キング、ディジー・ガレスピー、ジョン・リー・フッカー、グローヴァー・ワシントン・ジュニア、キャノンボール・アダレイ、ダニー・ハサウェイ、ハーヴィー・メイソン、ラムゼイ・ルイス、クインシー・ジョーンズ、ボブ・ディラン、マイケル・ジャクソンらとレコーディングした。
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1941年7月19日 | 1941年7月19日 | ギター | ジャズ | us |
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1941年7月18日 | 2024年1月23日 | 82 | プロデュース | ポップ | de |
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アメリカの著名セッション・ギタリスト。レイ・チャールズ、ジェームス・ブラウン、アレサ・フランクリン、キャロル・キング、ボビー・ウーマック、スモーキー・ロビンソン、マイケル・ジャクソンなどの数々の名盤に参加した。
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1941年6月25日 | 1941年6月25日 | ギター | R&B | us |
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アメリカのシンガーソングライター、音楽プロデューサー。1960年代に兄ブライアンとソングライターチーム「ホーランド・ドジャー・ホーランド」を結成。スプリームス、アイズレー・ブラザーズなどを手掛け、全米1位 14曲・全英1位 4曲を記録した。 グラミー受賞 1回・ノミネート 2回 |
1941年6月16日 | 2022年8月8日 | 81 | 作詞家 | R&B | us |
ハリー・ニルソン
Harry Nilsson アメリカ合衆国ニューヨーク州ブルックリン出身のシンガーソングライター。1967年にリリースした「Without Her」はジャック・ジョーンズ、グレン・キャンベル、ブラッド・スウェット&ティアーズ、ハーブ・アルパート、アストラッド・ジルベルト、ルル、ジュリー・ロンドンらがカバーした。1968年、フレッド・ニールが書いた「Everybody's Talkin'」をカバーし映画『真夜中のカーボーイ』(1969) で使用された。1971年、ピート・ハムとトム・エヴァンズが書いた「Without You」をカバーしグラミーを受賞。後にマライア・キャリーらかもカバーし名曲となった。1971年「Me and My Arrow」ビルボード・アダルトコンテンポラリー3位。ビートルズをカバーしたことがきっかけでジョン・レノンとリンゴ・スターと同居し一緒に仕事をした。
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1941年6月15日 | 994年1月15日 | 52 | 男性歌手 | ポップ | us |
アメリカの世界的ジャズ・ピアニスト、作曲家。コロンビア大学とジュリアード音楽院で音楽を学び、1964年頃にブルー・ミッチェル、ハービー・マン、モンゴ・サンタマリアらと共演しキャリアをスタート。
グラミー受賞 27回・ノミネート 72回(2024年時点)
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1941年6月12日 | 2021年2月9日 | 79 | ピアノ | ジャズ | us |
ロイ・ハーパー
Roy Harper イングランドのシンガーソングライター。 「孤高のフォーク・シンガー」と呼ばれ、ポール・マッカートニー、ジミー・ペイジ、デヴィッド・ギルモア、ジョニー・ロットンらへ影響を与えた。レッド・ツェッペリンは「Hats Off To (Roy) Harper」(1970) を捧げ、ピンク・フロイド「Have A Cigar」(1975・邦題「葉巻はいかが」)にゲスト・ヴォーカルとして参加した。
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1941年6月12日 | 1941年6月12日 | 男性歌手 | フォーク | eg |
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イングランドのドラマー。ローリング・ストーンズのドラマーとして有名。デビュー以来、ミック・ジャガー、キース・リチャーズと共に在籍し続けたオリジナルメンバーの1人。ジャズに影響を受けた独特のドラミングで、ストーンズの独自性溢れる音作りを永年にわたって支えた。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のドラマー」12位。
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1941年6月2日 | 2021年8月24日 | 80 | ドラム | ロック | eg |
アメリカの世界的シンガーソングライター。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のソングライター」1位。1962年にレコードデビューし、多大なる影響を人々に与えてきた。
グラミー受賞 10回・ノミネート 38回(2024年時点)
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1941年5月24日 | 1941年5月24日 | 男性歌手 | フォーク | us |
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アメリカのロックンロール・スター。「Donna」と「La Bamba」が大ヒットし、1950年に大ブームを巻き起こした。
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1941年5月13日 | 1959年2月3日 | 17 | 男性歌手 | ポップ | us |
イングランドのロック・シンガー、俳優。アニマルズのヴォーカリストとして有名。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」2008年57位。アニマルズ解散後、エリック・バードン&ウォー、エリック・バードン・バンドやソロで活動を続けた。 グラミー賞ノミネート 7回(2024年時点) |
1941年5月11日 | 1941年5月11日 | 男性歌手 | ロック | eg |
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アメリカのソングライター。ソングライター・デュオ「アシュフォード&シンプソン」で知られる。ローリングストーン誌「史上最高のデュオ20組」19位。2002年にソングライターの殿堂入り、2019年にグラミー賞評議員賞を受賞した。
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1941年5月4日 | 2011年8月22日 | 69 | R&B | us |
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コーク・エスコヴェード
Coke Escovedo |
1941年4月30日 | 1986年7月13日 | 45 | パーカッション | ラテン | us |
ピーウィー・エリス
Pee Wee Ellis
アメリカのサックス奏者、作曲家、編曲家。1965–1969年までジェームス・ブラウンのバンドに在籍し「Cold Sweat」「Say It Loud – I'm Black and I'm Proud」など26曲をジェームス・ブラウンと共作した。ジャズのバックグラウンドを持ち、高校在学中にロン・カーターやチャック・マンジョーネらと共演。ジェームス・ブラウンのバンドを経て、ジョージ・ベンソンやヴァン・モリソンらと仕事をし、マイルス・デイヴィスのサイドマンだったデイヴ・リーブマンとバンドを結成。ジャコ・パストリアスのお気に入りとなる「The Chicken」をレコーディングした。イギリスへ移住しジンジャー・ベイカーらとバンドを結成した。
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1941年4月21日 | 2021年9月23日 | 80 | サックス | ジャズ | us |
プリシラ・クーリッジ
Priscilla Coolidge-Jones アメリカの歌手。リタ・クーリッジの妹。1969年、デビューアルバム『Gypsy Queen』(1970) をプロデュースしたブッカー・T・ジョーンズと結婚(1979年離婚)。2014年、夫婦の激しい口論を住民が聞き警察が呼ばれた。夫マイケル・セイバートはプリシラの頭を撃ち後を追った。
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1941年4月20日 | 2014年10月2日 | 73 | 女性歌手 | フォーク | us |
ラリー・ワイス
Larry Weiss |
1941年3月25日生 | 1941年3月25日生 | 作曲家 | ポップ | us |
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アメリカのソウル・R&Bシンガー、ソングライター。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」2013年68位。ゴスペル・グループの歌手を経て、1959年にR&Bのグループ「ファルコンズ」(The Falcons) に加入。ソロになりヒット曲を連発した。
優れたソングライターでもあり、ローリング・ストーンズ、グレイトフル・デッド、ブッカー・T&ザ・MG’s、エアロスミス、ジェネシス、ヴァン・ヘイレン、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル、ロキシー・ミュージック、ブルース・スプリングスティーンなどピケットの楽曲をレコーディングした。
グラミー賞ノミネート 5回
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1941年3月18日 | 2006年1月19日 | 64 | 男性歌手 | ソウル | us |
バフィー・セントメリー
Buffy Sainte-Marie |
1941年2月20日 | 1941年2月20日 | 女性歌手 | フォーク | us |
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イングランドの著名ギタリスト、シタール奏者。1960–1970年代にかけてセッションに参加した楽曲約750曲がヒットし、内54曲が全英1位となった。エヴァリー・ブラザース、ボビー・ダーリン、リトル・リチャードのアルバムなどに参加し、エディ・コクランやトム・ジョーンズの伴奏を務めた。1960年代にシタール奏者ヴィラヤト・カーンのセッションに参加したことから、ジョージ・ハリスンらとシタールを学んだ。1978年以降、ジェイムズ・ラスト・オーケストラに9年間所属し、映画『グリース』の成功後、オリビア・ニュートン=ジョンとツアーにも同行した。1987年以降は映画やジングルの音楽の作曲した。
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1941年2月14日 | 2012年10月2日 | 71 | ギター | ロック | eg |
ブラジルの世界的ピアニスト、作曲家、編曲家。1960年代の世界的なボサノヴァ・ブームの中、女性ヴォーカルをフィーチャーした親しみやすい楽曲は世界中で人気を博した。2006年にはブラック・アイド・ピーズのウィル・アイ・アムをプロデューサーに迎え、スティーヴィー・ワンダー、ジョン・レジェンドなど豪華ゲストが参加した『Timeless』が世界中で大ヒット。2023年11月に最後の公演を行った。妻は歌手のグラシーニャ・レポラーセ。
グラミー受賞 1回・ノミネート 6回
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1941年2月11日 | 2024年9月5日 | 83 | 作曲家 | MPB | br |
アネット・ピーコック
Annette Peacock アメリカの前衛音楽の歌手、音楽プロデューサー、作曲家、編曲家。ティモシー・リアリーと交流し、1960年にジャズ・ベーシストのゲイリー・ピーコック、後にポール・ブレイと結婚。前衛ジャズ・サックス奏者のアルバート・アイラーとヨーロッパツアーを行った。
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1941年2月9日 | 1941年2月9日 | 女性歌手 | 電子音楽 | us |
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リッチー・ヘブンス
Richie Havens |
1941年1月21日 | 2013年4月22日 | 72 | 男性歌手 | フォーク | us |
アメリカのジャズ・ヴィブラフォン、マリンバ奏者。ミルト・ジャクソン、マイルス・デイヴィス、セロニアス・モンクを聴きジャズに傾倒。デイヴ・パイクにヴィブラフォンの手ほどきを受け、1961年にニューヨークへ進出。ジャッキー・マクリーン、エリック・ドルフィーらと共演。1970年代のラテン、ソウル、ファンクから影響を受けたサウンドはDJやレアグルーヴ愛好家から人気が高い。 グラミー賞ノミネート 2回 |
1941年1月27日 | 2016年8月15日 | 75 | ヴィブラフォン | ジャズ | us |
ロング・ジョン・ボルドリー
Long John Baldry
イングランドの初期のブルース・シンガー、俳優。ローリング・ストーンズやビートルズらと共演し、バンドからロッド・スチュワートやエルトン・ジョンを輩出した。1970年代後半にカナダへ移住。晩年まで音楽活動を続け、同地で永眠した。
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1941年1月12日 | 2005年7月21日 | 64 | 男性歌手 | ブルース | eg |
アメリカの女性シンガーソングライター。フォークロックの草創期から活動し、フォーク界に多大な足跡を残した。1969年、ウッドストック・フェスティバルに出演。2018年、10年ぶりのアルバム『Whistle Down the Wind』をリリース。それに伴うワールドツアーが最後になると引退を表明した。2017年ロックの殿堂入り。 グラミー賞ノミネート 9回(2024年時点) |
1941年1月9日 | 1941年1月9日 | 女性歌手 | フォーク | us |
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ジェームス・レイ
James Ray アメリカのR&B歌手。1962年「If You Gotta Make A Fool Of Somebody」全米22位・R&B1位。ビートルズのメンバーお気に入りのナンバーで、ポール・マッカートニーがライブで演奏し、ジョン・レノンは自宅のジュークボックスに収録した。「Got My Mind Set on You」(1962) を1987年にジョージ・ハリスンがカバーし全米1位(ハリスン全米1位3曲のうち唯一ハリスンが作詞作曲していない曲)。
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1941年 | 1963年 | 22 | 男性歌手 | R&B | us |
ロニー・リストン・スミス
Lonnie Liston Smith |
1940年12月28日 | 1940年12月28日 | キーボード | ジャズ | us |
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ピート・ブラウン
Pete Brown イングランドの詩人・作詞家・歌手。クリームやジャック・ブルースとのコラボレーションでよく知られ、クリームのヒット曲「I Feel Free」(1966)「SWLABR」(1967) 「Sunshine of Your Love」(1967) 「White Room」(1968) を共作した。パンクが台頭すると1977年に音楽シーンを離れ、映画『フィリックス・ザ・キャット ザ・ムービー』(1989) などの映画の脚本を書いた。2017年、プロコル・ハルムの最後のアルバム『Novum』の歌詞をゲイリー・ブルッカーと共作した。
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1940年12月25日 | 2023年5月19日 | 82 | 作詞家 | ロック | eg |
アメリカの歴史的なシンガーソングライター・ギタリスト・マルチプレイヤー。学生の頃からクラシック、ブルース、R&B、ドゥーワップなど膨大なレコードを聴き漁ったという。1965年、マザーズ・オブ・インヴェンションとしてヴァーヴ・レコードと契約し、翌年デビューアルバム『Freak Out!』をリリース。ソロと並行しライブや楽曲制作など精力的に活動した。バンドからローウェル・ジョージ、ジョージ・デューク、テリー・ボジオ、エイドリアン・ブリュー、スティーヴ・ヴァイを輩出。長男のドゥイージルはギタリストとして父のレパートリーを再演するプロジェクト「ザッパ・プレイズ・ザッパ」を主宰している。 グラミー受賞 2回・ノミネート 9回 |
1940年12月21日 | 1993年12月4日 | 52 | ギター | ロック | us |
フィル・オクス
Phil Ochs アメリカのシンガーソングライター、政治活動家。ウィットで鋭い着眼点、1960年代から1970年代にかけて約200曲を書き、8枚のアルバムをリリース。ユーモラスな皮肉で政治を批評したが次第に精神状態が悪化し、1976年4月9日に35歳で自殺した。ウディ・ガスリー、ピート・シーガー、バディ・ホリー、エルヴィス・プレスリー、ボブ・ギブソン、ファロン・ヤング、マール・ハガードなどに影響を与えた。
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1940年12月19日 | 1976年4月9日 | 35 | 男性歌手 | フォーク | us |
スティーヴン・コヴァセヴィチ
Stephen Kovacevich |
1940年12月17日 | 1940年12月17日 | ピアノ | クラシック | us |
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1940年11月29日 | 1940年11月29日 | トランペット | ジャズ | us |
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ビリー・ハート
Billy Hart
アメリカのジャズ・ドラマー。オーティス・レディングやサム&デイヴ、さまざまなジャズメンと共演した。
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1940年11月29日 | 1940年11月29日 | ドラム | ジャズ | us |
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スクリーミング・ロード・サッチ
Screaming Lord Sutch
イングランドの歌手、政治家。ステージネームはアメリカの歌手スクリーミン・ジェイ・ホーキンズに由来。1960年頃にスクリーミング・ロード・サッチ&ザ・サヴェイジズ (Screaming Lord Sutch & The Savages )を結成し、ホラー映画のようなステージングで人気を博した。バンドにセッション・ミュージシャン時代のジミー・ペイジ、ジョン・ボーナム、ジェフ・ベック、ノエル・レディング、リッチー・ブラックモアらが参加した。名前はスクリーミン・ジェイ・ホーキンズに由来。
See Also – Shock Rock
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1940年11月10日 | 1999年6月16日 | 58 | 男性歌手 | ロック | eg |
イングランドの国民的歌手。バックバンドのシャドウズと共にビートルズ時代が到来する前の1950年代末から1960年代初めにかけてイギリスを席巻した。16歳の時、エルヴィス・プレスリー「Heartbreak Hotel」(1956) に触発されバンドを結成。1958年デビューシングル「Move It」が全英2位を獲得。いくつかの曲でブレイク前のオリビア・ニュートン=ジョンがバックコーラスを務めた。英国チャートイン最長記録(1952–2005年)は、エルヴィス・プレスリー 2,463週に次ぐ1,972週。 ▶ 英国チャートイン最長記録 |
1940年10月14日 | 1940年10月14日 | 男性歌手 | ポップ | eg |
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アメリカのジャズ・サックス奏者。晩年のジョン・コルトレーンと活動したことで知られている。1964年、1stアルバム『Pharoah』リリース。1965年、コルトレーンのグループに加入し、1966年の日本公演に帯同。1967年にコルトレーンが他界してからは自身のバンド活動をはじめ、サイドマンとしてロニー・リストン・スミス、セシル・マクビー、ロン・カーター、スタンリー・クラークらと共演。「Karma」(1969) 188位、「Thembi」(1971) 175位、「Love Will Find A Way」(1978) 163位の3曲が全米TOP 200入り。「Kazuko」(1980) はファラオの日本人妻へ、「Tomoki」(1996) は息子トモキ・サンダースへ捧げた曲。「Astral Traveling」(1971)、「Love Is Everywhere」(1973)、「You’ve Got to Have Freedom」(1980) などクラブ・ジャズ界でも絶大な人気を誇っている。 グラミー受賞 1回・ノミネート 1回 |
1940年10月13日 | 2022年9月24日 | 81 | サックス | ジャズ | us |
イングランド出身の歴史的なシンガーソングライター。世界中を席巻したロックバンド、ビートルズを創設したリーダー・ヴォーカル兼ギタリスト。ポール・マッカートニーと数々の名曲を制作した。1970年のビートルズ解散後はアメリカに移住し、妻オノ・ヨーコと活動。1975年から約5年間音楽活動から引退し、1980年に復帰するも同年12月8日ニューヨークの自宅ダコタ前で銃撃され他界した。 グラミー受賞 7回・ノミネート 34回 |
1940年10月9日 | 1980年12月8日 | 40 | 男性歌手 | ロック | eg |
アメリカのジャズ・ベース奏者。1958年頃からベースを始め、イェール大学で作曲を学んだ後、ポール・ブレイ、スティーヴ・キューン、アート・ファーマーらと共演。1960年代にゲイリー・バートン、ロイ・ヘインズとともにスタン・ゲッツのバンドに加入。ゲイリー・バートン・カルテット(ゲイリー・バートン (Vib) スティーヴ・スワロウ (B) ラリー・コリエル (G) ロイ・ヘインズ(Dr))『Duster』(1967) はジャズロックの草分けとなった。その後、当時のジャズでは珍しかったエレクトリックベースに転向。スタン・ゲッツ、ゲイリー・バートン、ジョン・スコフィールド、カーラ・ブレイのレコーディングには欠かせないベーシストで、ビル・エヴァンス・トリオ、チック・コリア、キース・ジャレット、キップ・ハンラハン、など膨大なレコーディングに参加した。ラテンジャズのベーシストとして著名なアンディ・ゴンザレス が師事。
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1940年10月4日 | 1940年10月4日 | ベース | ジャズ | us |
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アメリカの作詞家、作曲家、歌手。1970年代にソングライターとして活動し、1980年代からテレビ音楽や山下達郎の英語作詞を手掛けた。妻は日本人。
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1940年10月3日 | 2013年5月17日 | 72 | 作詞家 | ポップ | us |
アメリカの有名シンガーソングライター、俳優。映画音楽も多数手掛け、バーブラ・ストライサンド「Evergreen」(1976) でアカデミー歌曲賞とグラミー最優秀楽曲賞を受賞した。ダフト・パンクの4thアルバム『Random Access Memories』(全米1位・2020年ローリング・ストーン誌「史上最高のアルバム500枚」 295位)で「Touch」「Beyond」を手掛け、グラミー授賞式ではダフト・パンクを代表してスピーチした。『ファントム・オブ・パラダイス』(1974) の悪役スワンを演じた。2010年、米国作曲家作詞家出版者協会会長に就任。兄ジョン・J・ウィリアムスは、NASAのロケット科学者でマーキュリー計画とアポロ計画に参加し、1969年に「NASA功労勲章」を受賞。弟メンター・ウィリアムスは1973年ドビー・グレイ「Drift Away」全米5位を作詞。
代表曲・作詞
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1940年9月19日 | 1940年9月19日 | 作詞家 | us |
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ロジャー・ニコルス
Roger Nichols アメリカの作曲家、作詞家、マルチ楽器奏者。1968年『Roger Nichols & The Small Circle Of Friends』でデビュー。A&Mでポール・ウィリアムス、トニー・アッシャー、ビル・レーンらと数多くの楽曲を共作した。
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1940年9月17日 | 1940年9月17日 | 作曲家 | us |
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アメリカのジャズ・ヴィブラフォン奏者。5歳の時、ライオネル・ハンプトンからヴィブラフォンのマレットをもらった。学生時代にバンドを結成し、1966年にハービー・マンのバンドに加入。1970年代初めにロイ・エアーズ・ユビキティを結成し、1976年『Everybody Loves The Sunshine』をリリースした。ほとんどの作品でプエルトリコ出身のパーカッショニスト、チャノ・オフェラルが参加。1990年代のクラブ・ジャズ・ムーブメントで再評価され、ロニー・リストン・スミスと日本公演を行った。
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1940年9月10日 | 2025年3月4日 | 84 | ヴィブラフォン | ジャズ | us |
ベニー・モウピン
Bennie Maupin アメリカのジャズ・サックス、バスクラリネット、フルート奏者。ザ・ヘッドハンターズやリー・モーガン、ホレス・シルヴァーなどのグループで活動し、マイルス・デイヴィス『Bitches Brew』(1968) に参加した。
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1940年8月29日 | 1940年8月29日 | サックス | ジャズ | us |
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ソニー・シャーロック
Sonny Sharrock アメリカのジャズ・ギタリスト。歌手のリンダ・シャーロックと結婚し一緒に活動した。1960年代のフリー・ジャズの最初の波に登場した数少ないギタリストの一人。フルート奏者ハービー・マンとは幾度となく共演し、ファラオ・サンダース『Tauhid』(1966) 、マイルス・デイヴィス『Jack Johnson』(1971 *ノンクレジット) に参加。1970年代以降はビル・ラズウェルがサポートでレコーディングを行った。。
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1940年8月27日 | 1994年5月25日 | 53 | ギター | ジャズ | us |
ドビー・グレイ
Dobie Gray |
1940年7月26日 | 2011年12月6日 | 71 | 男性歌手 | R&B | us |
イングランド出身のドラマー、シンガーソングライター、俳優。ビートルズのメンバーとしてジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスンと共に活躍した。1970年のビートルズ解散後はソロ活動を通じて多くのヒット曲を制作。長男ザック・スターキーはドラマー、ザックの娘タティア・スターキー (Tatia Jayne Starkey) はベーシスト。 グラミー受賞 9回・ノミネート 27回(2024年時点) |
1940年7月7日 | 1940年7月7日 | ドラム | ロック | eg |
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1940年7月4日 | 1976年3月 | 34 | ピアノ | ジャズ | br |
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アダム・フェイス
Adam Faith イングランドの歌手、俳優、金融ジャーナリスト。最初の7曲が「全英TOP 5」にランクインは史上初。1960年代で最もヒットしたアーティストの1人で、クリフ・リチャードのライバルとしての地位を確立した。俳優や投資家としても活躍したが、2002年に破産し3,200万ポンドの負債を抱えたと報じられた。
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1940年6月23日 | 2003年3月8日 | 53 | 男性歌手 | ポップ | eg |
1940年6月17日 | 1940年6月17日 | ベース | R&B | us |
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ナンシー・シナトラ
Nancy Sinatra アメリカの歌手、女優。父は稀代のエンターティナー、フランク・シナトラ。1960年代中頃にアイドル歌手として人気を博した。代表作は、「These Boots are Made For Walkin'」「Somethin' Stupid」「Sugar Town」映画『007は二度死ぬ』テーマ曲「You Only Live Twice」、映画『キル・ビル』挿入歌「Bang Bang」など。 グラミー賞 ノミネート 4回(2024年時点 |
1940年6月8日 | 1940年6月8日 | 女性歌手 | ポップ | us |
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アメリカのドラマー、歌手。ボブ・ディランのバックバンド「ザ・バンド」のメンバーで唯一のアメリカ人。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」91位。ザ・バンド解散後は、Levon Helm & The RCO All-Stars を結成(ドクター・ジョン、ポール・バターフィールド、スティーヴ・クロッパー、ドナルド・ダック・ダン)した。
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1940年5月26日 | 2012年4月19日 | 71 | 男性歌手 | ロック | us |
アーサー・アレキサンダー
Arthur Alexander アメリカのカントリー・ソウルの作詞家、歌手。ほとんど知られていないものの、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ボブ・ディラン、オーティス・レディング、ジェリー・リー・ルイス、ティナ・ターナー、パール・ジャムなどによってカバーされた。1964年、ローリング・ストーンズが「You Better Move On」(1961年・全米24位)をカバー。
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1940年5月10日 | 1940年5月10日 | 男性歌手 | R&B | us |
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アメリカの大人気歌手、俳優。父は俳優、映画監督、ミュージシャンのオジー・ネルソン、母は女優のハリエット・ネルソン、双子の息子ハードロック・バンド「ネルソン」を結成。エルヴィス・プレスリーに衝撃を受けロカビリーに傾倒。ヴァーブ・レコードと契約。ファンクラブは世界に9,000支部以上存在した。1961年「リック・ネルソン」に改名。1960年代半ばにブリティッシュ・インヴェイジョンが始まると商業的成功には恵まれなくなった。1985年12月30日、終演でバディ・ホリーの「Rave On」を歌い、これが生涯最後の公演となった。翌日、ジェリー・リー・ルイスから購入した旅客機が墜落し45歳で他界した。奇しくも1959年に飛行機事故で他界したバディ・ホリーが生前最後に演奏した曲も「Rave On」であった。
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1940年5月8日 | 1985年12月31日 | 45 | 男性歌手 | ロカビリー | us |
イタリアの音楽プロデューサー、作曲家、シンセサイザー奏者、歌手。チッコリー「Son of My Father」(1972)、「ディスコの女王」ことドナ・サマー「I Feel Love」(1977) が世界中で大ヒットし、ディスコ・ミュージックを広めた。映画『アメリカン・ジゴロ』『ミッドナイト・エクスプレス』『スカーフェイス』『フラッシュダンス』『ネバーエンディング・ストーリー』『オーバー・ザ・トップ』などのサントラを手掛け、『フラッシュダンス』と『トップガン』でアカデミー歌曲賞を受賞した。ミュンヘンにミュージックランド・スタジオを開設し、ローリング・ストーンズやレッド・ツェッペリンがレコーディングを行った。
グラミー受賞 4回・ノミネート 9回(2024年時点) |
1940年4月26日 | 1940年4月26日 | 作曲家 | 映画音楽 | it |
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イングランド・マージーサイド州リヴァプール出身の歌手。「ブリティッシュ・ロック御三家」(クリフ・リチャード、マーティー・ワイルド)の一人。1959年「Maybe Tomorrow」(Decca) 全英18位でデビュー。「Halfway to Paradise」(1961) 全英3位(楽曲提供:キャロル・キング&ジェリー・ゴフィン)、「Jalousie」(1961) 全英2位などがヒットした。1960年5月10日、シルバー・ビートルズ(ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、スチュアート・サトクリフ、トミー・ムーア)は、フューリーのバックバンドを探していたラリー・バーンズ (Larry Barnes) のオーディションを受けた。スチュアート・サトクリフ (B) 解雇するという条件で週給20ポンドでオファーされたが、ジョン・レノンが拒否。結局、シルバー・ビートルズはジョニー・ジェントルのスコットランド・ツアーのバックバンドとなった。1983年1月28日、心臓発作により42歳で他界。
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1940年4月17日 | 1983年1月28日 | 42 | 男性歌手 | ロック | eg |
アメリカの世界的ジャズ・ピアニスト、作曲家、音楽プロデューサー。1960年にプロデビューし、1963–1968年までマイルス・デイヴィス・クインテットのメンバーとして活躍。1970年代以降もファンクを取り込んだ『Head Hunters』(1973)、アコースティック・ジャズ人気を復活させたV.S.O.P.クインテット、ヒップホップを取り込んだ『Future Shock』(1983) など、常に新しいジャズ作品を発表してきた。スティーヴィー・ワンダー、ミック・ジャガー、ポール・サイモン、ジョニ・ミッチェル、カルロス・サンタナなど共演多数。
グラミー受賞 14回・ノミネート 34回(2024年時点) |
1940年4月12日 | 1940年4月12日 | ピアノ | ジャズ | us |
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1940年4月4日 | 2002年5月17日 | 62 | 作詞家 | ロックンロール | us |
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ブラジル出身のボサノヴァ、ジャズ、ポピュラー音楽の歌手。1959年、ジョアン・ジルベルトと結婚し、1963年にアメリカへ移住。ジョアン・ジルベルト、スタン・ゲッツ、アントニオ・カルロス・ジョビン『Getz/Gilberto』(1964) で「歌った「イパネマの娘」が全米5位を記録し世界的にヒットした。
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1940年3月29日 | 2023年6月5日 | 83 | 女性歌手 | ボサノヴァ | br |
ルイス・ガスカ
Luis Gasca アメリカのジャズ・トランペット、フリューゲルホルン奏者。モンゴ・サンタマリア、カル・ジェイダー、ジャニス・ジョプリン、サンタナらと共演したことで知られている。アルバム『For Those Who Chant』(1972) にはカルロス・サンタナ、コーク・エスコヴェードなどが参加。
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1940年3月23日 | 1940年3月23日 | トランペット | ジャズ | us |
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アメリカのR&B、ソウル、ゴスペル、ロックンロールのシンガー。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」89位。1960年代に人気を博し、ミック・ジャガーやヴァン・モリソンらに影響を与えた。1970年代以降はヒット曲に恵まれなくなったが、その後も精力に活動した。
グラミー受賞 1回・ノミネート 6回
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1940年3月21日 | 2010年10月10日 | 70 | 男性歌手 | R&B | us |
アメリカのジャズ・ボーカリスト。ソフトな歌声と卓越したテクニックを持ち、1980年からはナイル・ロジャースやナラダ・マイケル・ウォルデンらのプロデュースでブラック・コンテンポラリーでも人気を博した。「We Are The World」(1985) ではブリッジ部分でリード・ボーカルをとった。 グラミー受賞 6回・ノミネート 19回 |
1940年3月12日 | 2017年2月12日 | 76 | 男性歌手 | ジャズ | us |
ラルフ・タウナー
Ralph Towner |
1940年3月1日 | 1940年3月1日 | ギター | ジャズ | us |
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アメリカのR&Bシンガー、音楽プロデューサー。メロウで官能的なサウンドが特徴。幼い頃から聖歌隊で歌い、11歳でドゥーワップ・グループ「The Romeos」に参加(モータウンの作曲家ラモント・ドジャーも在籍)。ABCレコードの作曲家、編曲家を経てモータウンに入社。マーサ&ザ・ヴァンデラス、アイズレー・ブラザーズ、ジャクソン5などに楽曲を提供した。1972年、マイケル・ジャクソンに提供した「I Wanna Be Where You Are」がR&B2位を獲得しキャリア発展の契機となった。クインシー・ジョーンズ、シリータ・ライト、ミニー・リパートンらの楽曲に携わり、マーヴィン・ゲイ「I Want You」(1976) を楽曲提供・プロデュースした。
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1940年2月16日 | 2017年2月23日 | 77 | 男性歌手 | R&B | us |
アメリカのポピュラー音楽の歌手、作曲家、音楽プロデューサー。ビルボードチャート史上最も成功したアダルト・コンテンポラリーのアーティストとして、エルトン・ジョンとバーブラ・ストライサンドに次いで3位にランク。売上枚数は世界で1億2千万枚以上(2005年5月時点)。1976年、ザ・バンド『The Last Waltz』にゲスト出演。1969年マーシャ・マーフィーと再婚し95年に離婚。当時世界で4番目の慰謝料1億5000万ドルがマーシャに支払われた。
代表曲
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1941年1月24日 | 1941年1月24日 | 男性歌手 | ポップ | us |
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キャプテン・ビーフハート
Captain Beefheart |
1941年1月15日 | 2010年12月17日 | 69 | 男性歌手 | ロック | us |
アメリカの偉大な歌手、ソングライター。大人気ソウル・グループ「ザ・ミラクルズ」で活躍し、副社長としてモータウン・レコード創設時から貢献したブラックミュージック界の重鎮。作曲家としてもテンプテーションズ、フォー・トップス、マーヴィン・ゲイらに楽曲提供した。ローリング・ストーン誌「偉大な100人のシンガー」20位。
グラミー受賞 1回・ノミネート 6回(2024年時点)
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1940年2月19日 | 1940年2月19日 | 男性歌手 | R&B | us |
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ウェイモン・リード
Waymon Reed
アメリカのジャズトランペット奏者。
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1940年1月10日 | 1983年11月25日 | 43 | トランペット | ジャズ | us |
ヴァン・マッコイ
Van McCoy |
1940年1月6日 | 1979年7月6日 | 39 | 作曲 | ディスコ | us |
アーティ・リップ
Artie Ripp アメリカの音楽プロデューサー、実業家。カーマ・スートラ・レコード、ブッダレコード、ファミリープロダクションに参画。ビリー・ジョエルと契約し、デビューアルバム『Cold Spring Harbor』(1971) をプロデュースしたが決別した。
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1940年 | 1940年1月1日 | プロデュース | us |